肩を揺すられる感覚で意識が目覚める。うっすらと目を開けるとエンリさんがこちらの様子を伺うように顔を覗き込んでいる。
綺麗な顔が視界に広がり、思考停止していた頭がフルに回転を始める。
…いつの間にか眠ってしまってたみたいだな。
「かわっ……んん。おかえりエンリさん。もしかして寝ちゃってた?」
「……(こくり)」
「あー…ごめん。つい気が緩んじゃったみたいだ」
「……?」
「いや、平気だよ。起こしてくれてありがとう」
ほんの数分だろうと少しだけ睡眠が取れたおかげか、さっきよりかは気持ち程度は調子がいい。とはいえ足の問題は解決してないから時間の問題だろう。
「それで、向こうで何か見つかった?」
「……」
「お、緑の鍵と…パスワードの紙があったのか。次は…”シ”か。あと何個あるんだろ」
「……」
集まったパスワードは3つ。未だにどこで使うのかも分からないしいくつあるのかも知らないが集めておいて損はないだろう。
エンリさんの手を借りて立ち上がり、改めて二人でまだ行っていない道へ向かう。
向かった先は下に続いているようで、縄梯子が掛けられている。
エンリさんが率先して先に降りていき安全を確認すると、こちらに向かって手を振ってくる。とりあえず降りて大丈夫みたいだ。
「よっと…ここ触手部屋か。なるほど、あの時は気付かなかったけど上の方に縄梯子が掛けられてたのか」
「……」
「大変だけどここからまた道を戻っていかないとな。後は殺人鬼が奥の方へ探しに行ってくれてれば助かるんだけどな」
触手部屋からもう見慣れた通路に出ると、出た瞬間に猛烈な違和感に駆られた。確かに床は血濡れではあったけど、ここまでベッタリと濡れていたか?血痕がまるで引きずられているかのよう伸びている。
歩く度にぴちゃぴちゃと靴底を叩く血溜まりに何か言い知れぬ不安が湧いてでる。
「……何かおかしい。ちょっと前にここを通った時、こんなに血溜まりがあった記憶が無いんだけどエンリさんは?」
「……(ふるふる)」
「そう、だよな。じゃあこれは殺人鬼が運んでいった跡ってことだな…」
「……」
わざわざこのタイミングで?なんのために?今は俺たちを排除するために動いてる筈なのに、いきなりなんでこんな的外れな行動を?
「とにかく、痕跡は俺たちの進行方向と一緒だし用心していこう」
「……(こくり)」
痕跡を辿るように進んでいくが、今のところ奴の姿は見えない。
こうして不気味な程に何事もなく迷路の部屋も抜けて一本道に入ると、仄暗い道の先にぼんやりと何か見える。
近付いていくとそれが迷路の部屋にあったような死体の山であること、そしてその山が道を塞ぐように積み上げられていることが分かった。同時に、してやられたとようやく気付いた。
「そういうことかっ!すぐに──」
「……!!」
急いで踵を返そうと振り返った時、もう既に殺人鬼が後ろから悠々と迫ってきていた。
あの床に新しく出来ていた血溜まりや血痕は死体を運んできた時に出来たものだった。よく見れば壁側に積まれている死体の山の陰に大きめの手押し車が隠されている。
逃げ場はない。閉じ込められた時と似た状況だが、こちらはエンリさんもいる上に俺は怪我をしている。しかもエンリさんが持ってた斧は下で折れてしまった。
……戦えるのは俺だけだ。覚悟を決める時がきたのだ。
「……エンリさん。落ち着いて聞いてくれ。この場で助かる方法はもうひとつしかない」
「……俺が殺人鬼の気を引く。その間にエンリさんは脇をぬけて逃げるんだ」
「……!?(ふるふる)」
「頼む!どの道俺のこの足じゃ逃げ続けられない。ここで2人とも死ぬ訳にもいかない。エンリさんはここから出て、誰か大人に話すんだ」
「……っ」
奴は俺たちを嘲笑うようにゆっくりと近付いてくる。もう逃げられないと無言の圧を放ちながら手にした得物を弄んでいる。
余裕かましてられるのも今のうちだ。
どうせもう逃げられないなら、せめて本気でオリバーの敵討ちをさせてもらおうじゃないか!
エンリさんを隠すように前に出る。手にした鉈は既に手に馴染みきっており、部屋の薄い明かりを反射し怪しい光を帯びる。
死んでもエンリさんだけは生きて逃がす。その為なら今の俺はなんだってしてやる。
「来いよ殺人鬼。余裕ぶっこいてられるのも今だけだぜ」
「今度こそオリバーの敵討ちと洒落こもうか!」
「………■■■■」
言葉が通じているかは知らないがまるで俺の言葉に応えるように何か呟くと、俺と殺人鬼は同時に走り出す。
振り下ろされる包丁を鉈で力いっぱい弾き、返す刃で得物を弾き飛ばそうとするがいなされる。そのまま抉り込むようなパンチを後ろに下がって避け、胴体に向かって鉈を横薙ぎに振る。少しだけ殺人鬼の胴体から血が出るがダメージになっているようには見えない。
再びの衝突。今度は勢いよく突き出された包丁を体を横に逸らして避けて手首を切りつける。先程よりも少し多く出血したが、やはりその程度だ。
繰り出される大振りの蹴りを地面スレスレまで屈んで避けて、残る片足に鉈を振るうが微動だにしない。これでバランスを崩せばラッキーだったがそう上手くはいかないか!
かかと落としのように振り下ろされた足を転がって避けて距離を取り体勢を立て直す。今のところ胴体と手首は出血しているがピンピンとしてる辺り、戦って勝つのは到底無理だと再認識した。
ジリジリとお互いに距離を詰めると殺人鬼から繰り出される左ストレートを避けようとして──殺人鬼の膝蹴りが俺の腹を抉った!
しまった!!フェイントっ!?
「がはっ!!」
「……っ!!」
もろに一撃をくらい、堪らずうずくまって嘔吐く。頭上から低い笑い声がくつくつと響き、太い手が俺の首を掴み持ち上げられた。
「ぐっ……うぅっ……」
「■■■……」
「……っ」
「だ…めだ……にげ……」
殺人鬼は俺を痛ぶるのに夢中だ…今ならエンリさんは逃げられるっ!
どんどん俺の首を絞めあげる力が強くなっていく。意識を完全に失う前に……チャンスを作る!!
激しく抵抗する振りをして奴の加虐心を煽り、俺の滑稽な姿を見て愉悦が込められた笑いを溢す殺人鬼の顔に向かって鉈を不意打ちで振り下ろす。
今までとは違う感触と共に、奴の仮面の一部を叩き割りながら鉈が顔にめり込んだ!
「■■■■■■■!!!」
「っはぁ!逃げろエンリさん!!逃げろ!!」
「……!!」
必死にエンリさんに逃げるように言うと、顔を押さえて藻掻く殺人鬼の横を走り抜けた。
良かった…これでエンリさんだけでも……
そう安堵した時、殺人鬼は鉈を抜いて投げ捨てるとより強く首を絞め上げてきた。仮面の割れた片側から覗く真っ赤な目が強い殺意をもって俺を射抜く。そのまま体を上に持ち上げられると、俺のふくらはぎに刺さったままの包丁を掴んでグチャグチャと抉り始めた!
「……■■■■!!」
「ぐっ!が、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「……っ!!!」
あまりの激痛に声が抑えられずもがき苦しむ。気道を絞められたまま息苦しさと激痛で目の前がチカチカする。
そんな俺の叫びを聞いてしまったエンリさんの足が止まってしまった。ダメだ!逃げろ!お願いだから……エンリさんだけでも逃げてくれ……!!
悲痛な顔でこちらに走ってくるエンリさんに、もう声を掛けることも出来ず…俺は意識を失った。
────
──
─
セドリックくんを見捨てて逃げる。本人から言われた提案に私は賛同出来なかった…
目の前でセドリックくんが私を庇うように殺人鬼と戦っている。
きっと部屋に閉じ込められた時にも戦っていたんだと動きを見て分かった。
セドリックくんと殺人鬼の戦いは終始セドリックくんの不利で進んでいた。だってセドリックくんは足に深い怪我をしてる…それに相手は人間離れした巨人。どれだけセドリックくんが鉈で切りつけても、殺人鬼は平気な様子でセドリックくんを狙い続けている。
私にも……私にも、何か出来ることがあるなら……
あの斧があったら、私も一緒に戦えていたかもしれない。でももう既に斧は壊れてしまった。
今の私は苦しそうに戦うセドリックくんをただ応援することしか出来ないお荷物になってしまっている。 それでも彼は私を命懸けで逃がそうと頑張っている。
……嫌だよ……セドリックくんを置いて逃げるなんて……
でも、そんな願いも虚しくセドリックくんは殺人鬼の不意打ちを受けて捕まってしまった。ぐぐぐっと首を絞められるセドリックくんの顔が苦しげに歪むのを見て飛び出していきたい衝動に駆られる。
そんな状態でも彼は殺人鬼の顔に鉈を振り下ろし、それを受けて殺人鬼が初めて悶え苦しんでいる
「っはぁ!逃げろエンリさん!逃げろ!」
「……!!」
彼が作ってくれた、最初で最後のチャンス。走り抜けるならここしかない。命を賭して私を逃がそうとしてくれている。そんな彼の願いを受けて殺人鬼の横を走り抜けた。
走り抜けていく間際、私の姿を見て安堵したような顔を見せた彼の表情が私を苦しめる。
大切な人を見捨てて自分だけが助かろうとしている。その事実に心がはち切れそうだった。
「ぐっ!が、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「……っ!!!」
走り抜けてから部屋の出口までもう少し。そのタイミングで後ろから聞いた事のない彼の絶叫が聞こえ、私の体が走るのをやめてしまった。
だめだ……やっぱり無理だった…。セドリックくんの願いを叶えなきゃいけないのに……私には、やっぱりセドリックくんを置いていくなんて…見捨てるなんて出来ない。
そして反射的に体が殺人鬼の元へ走り出す。馬鹿なことをしてるのはよく分かってる。こんなことしても彼は喜ばないって、望んでいないっていうのも分かってる。
それでも……
「……!」
「■■■■■?」
殺人鬼が放り捨てた鉈を拾い、両手で構えてその広い背中に思い切り振り下ろす。少しだけ切れたような手応えはあったけど、想像以上に硬い。
殺人鬼は掴んでいたセドリックくんをその場に落とすが、セドリックくんはピクリとも動かなかった。きっと、彼はもう……
「……っ」
「■■■■■」
胸の中でふつふつと沸き上がる怒りと憎しみ、そしてそれらを凌駕する悲しみでどうにかなりそうだ。
それでも今は。今だけはこの怒りをぶつけたい。そして死ぬ時は彼の傍で。
「……!!」
「……■■」
何度も鉈で切りかかるけど、全てが軽くあしらわれる。
少しつまらなそうにいなされ、いとも容易く鉈を弾き飛ばされてしまった。
武器が無くなった私は殺人鬼の振るった腕に殴り飛ばされ倒れてしまい、体を強く打ち付けしてしまった。
……体に力が……ごめんなさい……セドリックくん……
ぼんやりとした意識の中で最後に見たのは、私に伸ばされた殺人鬼の手だった。