YOU CAN(NOT) GIVE ONE LAST KISS. 作:tubuyaki
『何か』を介した関係が無くなった世界
「アンタね」
私が話しかけると、男はびくっと体を震わせた。恐る恐るといった風に振り向いたソイツは、冴えない顔をしたサラリーマン風の男だった。没個性極まるスーツに身を包んだその姿は、まさに有象無象の中の一人といったところね。人ごみに紛れたら、もう二度と見つからない感じがするわ。
「アンタでしょ? 以前私にグラスを寄越したのは」
「なんのことですか?」
「とぼけないで、もう調べはついてんのよ」
私がそう言うと、男は目に見えて狼狽えた。
気分は犯人を追い詰めた探偵のようで…… ヤバイ、ちょっと楽しいかも
「私がせっかくあの店の同じ時間帯に通い詰めてあげたのに、ちっとも来ないんだから探したわ。いい度胸よね、女の方から探させるだなんて」
「ええと…… 本当に、意味が分からないんだけど……」
困った風に言う男へと、私は言ってやった。
「私の目を見ながらでも、同じことが言える?」
「そんなこと言われても……」
コイツ、今、目が泳いだわね。間違いない、コイツよ。
「アンタの風貌は聞いていたから、後は簡単だったわ。この近辺のバーで、普段来ない感じの、落ち込んだ様子の男が来てないかって聞いて回ったの。以前、私を元気付けてくれた人がいて、どうしてもお返しがしたいってていでね。皆、コロッと騙されたわ。これも私の美貌のタマモノよね。もちろん闇雲じゃあないわよ。あんたのバー遍歴も、どうせ今までにあんたが通い慣れたあの店に雰囲気が近いところで落ち着くって予想がついたから、それらしい店を先回りして話を通しておいたわけ」
男は、私が吹き出しそうになるぐらい変な顔をして弁明を始めた。
「あなたの言い分は分かりました。それから、その熱心さも。けれど、僕は本当にその男じゃあないんです。たまたま最近、落ち込むことがあって、それでバーに通い始めるようになっただけなんです。だからあなたが言うその店っていうのも、何のことだか分かりません」
「ふーん? けどね。私、あの店のマスターに頼んで確かめて貰ったのよね。この店にあんたがいるって」
男は、嘘でしょとでも言いたげに目を見開いたが、すぐにその表情を硬くした。
「それでも、勘違いです。店内も暗いし、きっと僕とよく似た誰かと見間違えたんだ」
「今、呼びましょうか。あの店のマスター」
男はぎょっとして、きょろきょろと店内を見回した。
「いないわよ。私が電話してから店に入る手筈になってるの。万が一あんたにバレて、警戒させてもいけないしね。彼、落ち込んでたわよ? せっかく出来た常連が、ばったり来なくなってしまったんですものね。心配にもなるわ」
男は、冴えない顔が更に情けなくなるような表情で、ため息を付いた。
「まさか、あのマスターがこんなことに付き合う人だったなんて……」
「嘘よ」
男は完全に固まった。私は仄かな優越感に浸りながら、こう言ってやった。
「あんたって、本当にバカね」
* * *
男は、最高にガンコだった。いつ、どこで会ったのか? 一体、何があったというのか? いくら問い質してもまったく答えやしない。『いやぁ、君は忘れてると思うよ』だとか、『知っても意味が無いことなんだ。信じて貰える話でもないしさ』だとか、スカした答えばかり返してくる。そのくせ、私をからかって遊ぶつもりだったのねと突き放して言ったら、大真面目になって『君に助けられたのは本当なんだ。本当に、感謝しているんだ。あの時の君は随分、落ち込んでいるように見えた。だから、少しでも力になりたかったんだ……』等と来たものよ。嫌になっちゃうわ。
だから私は言ってやった。
「一つ言えることはね。私の今一番の悩み事は、間違いなくアンタだってことよ。私の知らない男が、私に好意を向けてるですって? このままじゃ気持ち悪くて、安心して過ごせないわ。あんたといつ、どこで会ったのか、その正体を明かすまで徹底的に付き合って貰うわよ。もっとも、あんたに明かす気がなくとも、あたしが明らかにしてみせるけどね」
失礼にも男は明らかに迷惑そうな表情を浮かべたから、私は奴をストーカーで訴えてもいいのだと脅してやった。
「正体不明の男が、一方的に私のことを知って、贈り物をして来たんだもの。か弱い女性の敵よ」
「本当にストーカーみたく僕を探しに来たのはそっちじゃないか」
私は本当に呆れかえった。被害者の私に向かって、なんという言い草だろう。
「なんですって? ……まあ、いいけど? 警察にどっちの話を信じてもらえるか、試してみるのも面白そうね」
男は憮然とするも、やがて気の抜けた表情を作った。
「はあ、分かったよ。僕の負けだ。けれど、僕の方から何かを言うつもりはないよ。あくまで君の追及に付き合うだけだ」
「上等よ。あんたごときの背景を丸裸にするなんて、わけないもの。あんたも仕事があるでしょうから毎日来いとは言わないけれど、週末には必ず来なさいよね。あ、名刺は置いていきなさいよ? 逃げるようなら、すぐ通報するから」
男は明らかに警戒して言った。
「まさか、名刺を見てすぐ通報なんてこと、しないよね?」
「それはそれで面白そうね」
「もう帰る」
「冗談よ」
私は男の反応を楽しみながら呼び止めた。
「前に一杯奢って貰ったわけだしね。その分、我慢しておいてあげるわ。さ、早く寄越しなさい」
観念した男から名刺を受け取る。さっと目を通してみても、私の頭にピンと来るものは無い。私はその名刺に書かれたことについて、幾つか質問をしてみた。当たり障りの無いことしか分からなかった。
「今日はもう帰らせてもらうよ。君に付き合うのはまた今度」
男は去り際に、本当に小さな声で呟いた。きっと、無自覚に漏れ出た言葉だったんだと思う。
「変わらないなあ、アスカは」
……バカ、聞こえてんのよ。