ウマ娘ではなく四足歩行の方の馬になっちゃった。ウマ娘の世界で。
ウマ目ウマ科ウマ属ノウマ種――ウマ。
この世界には存在しない生き物である。
この世界に『馬』はいない。
いるとするならばそれは『馬』であって、この世界の生態系に『馬』は存在していないのだ。
この世界は馬――ウマ娘と呼ばれる二足歩行の人型生物がレース場を走り回り、ある種のエンターテインメント性を持って人々に受け入れられている。
そんな世界だから、転生特典が何がいいか? と問われたら、ウマ娘になってみたいと考えるのは自然だったかもしれない。作中描写ではレース以外にもウマ娘の活躍は広がっていたようだし、何よりあの超人的な身体能力を以て駆け回ってみたかった。
だから俺は声高々に宣言した。「馬にしてください!」と。
「
俺はヒヒーンと鼻を鳴らした。
『加藤研究所は、先日日本で発見された生物の相同器官にウマ娘と類似した点があるとして、ウマ娘と共通の祖先を持っている可能性を指摘しました――』
『もしこれが本当なら、人間があの生物に先祖返りした結果こそがウマ娘なのかもしれません』
『まさにウマ娘にとっての生きた化石、と言えますね』
厩務員のタブレットから聞こえるニュースを盗み聞く。相も変わらず、俺の存在は連日お茶の間を賑わしているらしい。
馬の近くで大きな音声を流すのはあまりよろしくないのでは――と思ったけれど、この世界の馬、『ウマ娘』にとってはあまり関係ないのだろう。むしろ、彼女ら自身がタブレット端末くらい使いこなしているくらいだ。
そう考えると、ウマ娘は馬の特性と人間の特性を兼ね備える、まさに最強の生物と言えるのかもしれない。人は他の生物に比べ虚弱とされがちだけど、人間のスタミナや耐毒性、環境対応力は驚異的だ。それに加えて馬の膂力を併せ持つのだから、この世界においてウマ娘が一大コンテンツに成長しているのも頷ける。
こんな益体も無い考えを巡らす程度には、現在の俺は落ち着いた生活を送れている。
三女神様との不幸な行き違いでトンチキ転生を果たした俺は現在、俺のために特急で建てられた厩舎に保護されていた。
どういうわけかマジの四足歩行の馬になってウマ娘の世界に降り立ってしまった俺を、世間が逃がすはずもなかったのだ。
ワイドショーやSNSでは俺の正体について度々議論されていて、すわ新種か、あるいは絶滅した生物の復活か、はたまた宇宙より飛来したUMAか……と好き勝手言われていた。いや、
俺の最近の日課は、こうしてスタッフの会話やニュース番組の音声を流し聞きすることだ。いやぁ、ウマって耳もいいんだねぇ。
でも、確か低い音域はむしろ人間より聞き取り辛いんだったか。かといって別に不便は感じない。もしやこれが転生特典だろうか。
ニュースに耳を澄ましていると、厩務員が何かに気づいたようにタブレット端末の画面を切って、そそくさと入口の方へ向かっていった。ああ、もう少しニュースを聞きたかったのに。
ただ、彼もこのトレセン学園のスタッフだ。いつまでもサボってはいられないのだろう。
ここが日本ウマ娘トレーニングセンター学園の敷地内であることは、既にスタッフの世間話から察していた。
どうも、俺が発見された場所がトレセン学園のほど近くだったようで、ここの理事長が俺の保護を申し出たのだとか。この厩舎も、その理事長のポケットマネーで建てられたのだというのだから、なんとも太っ腹なことである。
スタッフが戻ってくると、連れ立って二つの人影が近づいてくる。
ほうほう、また見物客。ここ数日は落ち着いたと思っていたけれど、やはりトレーナーや厩務員は、ウマ娘の祖先かもしれない俺に興味が尽きないのだろう。
ここ数日で俺の愛嬌スキルもかなり習熟した。お望み通り愛想を振り撒いてやろうじゃないか。
二人の人影の内、フォーマルなベストを羽織った女性の方が俺の前へやってくる。
「貴方が、ウマ娘の祖先といわれている…… 私はこのトレセン学園のトレーナーの、桐生院葵と言います。そしてこちらが――」
ははあ、桐生院トレーナーか。女性のトレーナーとは、中々珍しい。
するとその後ろにいる白毛の少女が……
「……ええと、ハッピーミークです。よろしくお願いします」
ハッピーミーク。なるほど、
少なくとも俺が視聴したウマ娘のテレビアニメや事前情報の中で、“ハッピーミーク”というウマ娘の名は見かけなかった。というか、史実にもいただろうか、そんな競走馬。
あるいは、配信が延期されまくっているアプリゲームには登場するのかもしれない。
結局、俺はウマ娘のゲームをプレイする前に死んでしまったな。あの調子じゃ、2030年くらいにリリースされるんじゃないか?
そんな俺の物思いを知ってか知らずか、ハッピーミークは俺の顔をボーッと眺めたままだ。
対して、桐生院トレーナーはどこか緊張した面持ちで俺と対面していた。
なんだったら深々とお辞儀までしている……そうか、ウマ娘の祖先かもしれないから、俺に対してもそれ相応の礼節を以て接してくれているということか。
この世界において、ウマ娘は確固たる意志を持つ人型生物である。その祖先もどきの俺を、まさか他の動物と一緒にしてはまずいということだ。
今まで妙に丁寧に対応されるから不思議に思っていたのだが、ようやく理由が分かった気がする。
そういうことならば、こちらもできるだけ丁寧に応対しよう。二人にぺこりと頭を下げて、彼女らの声に耳を傾けた。
会話内容自体はこれまでの見物客と変わらず俺についての質問が主だった。会話、といっても一方的に話を聞くだけだけだから気楽なものだ。
ただ、途中レースの話を振られたときは非常に困った。こちとら競馬のケの字も知らぬまま死んだので、桐生院トレーナーの話が半分もわからないのだ。
仕方がないので意味深に深く傾いてお茶を濁す。
すると、桐生院トレーナーはハッとなってメモ帳に何かを書き込んでいた。
“このアイディアは、ハッピーミークとのトレーニングに活かせるかもしれない!”とでも言わんばかりだった。これでなにか閃いたのならマジで才能あると思いますよ貴方。
ようやっと桐生院トレーナーも満足したようで、何度もお辞儀をしながらこの厩舎から立ち去っていった。
俺も負けじとお辞儀をするので、最終的に一人と一頭が互いにペコペコしながらお別れすることとなった。
「それじゃ……失礼しました、『アーケオエクウス』さん」
去り際にペコリと頭を下げて、ハッピーミークも厩舎から出てゆく。
……『アーケオエクウス』――それは、俺の名前だろうか? 確か“
しかしそれが俺の馬名とは一体どういうことだろう。いやさ、世間が俺をウマ娘の祖先だと勘違いしてしまったのは、百歩譲っていいとして。
だとしても学名なんかはもう少し研究をしてから考えるべきだと思う。
……たぶん、深い意味はないのだろう。大方、各メディアでウマの始祖だアーケオエクウスだと繰り返し発言していたから、それがそのまま俺の俗称として定着してしまった、といったところではないだろうか。
なら気にしても仕方が無い。霊長類より名付けられたこの名前、有難く拝命しようではないか。
俺が世間に発見されてしばらく経った。
流石にこの頃になると人々の関心も冷めてくるようで、連日の訪問客はなくなった。お陰様で平穏な毎日が過ごせている。
これからもメディアのカメラに映る機会はあるだろうが、それだって研究成果などが発表された時分に局所的に訪れるだけだろう。
このあいだ注射器刺されて血液を抜き取られたので、その検査結果が発表された頃にまた姿を見せるかもしれない。
つまり俺は平穏な毎日を過ごしているが、同時にメチャ暇だった。まさかウマ娘ではない謎生物を競走バとして育てるわけもないだろうし、トレセン学園側も俺の扱いに困っていることだろう。このまま動物園にでも送られるのかな。
俺がぼーっと遠くの晩秋の空を眺めていると、視界の端に見覚えのある影が映る。
あの娘は確か……
「
以前我が厩舎を訪れた、俺の知らぬウマ娘だった。
無論、俺の知識に存在していたウマ娘などせいぜい数十人程度で、このトレセン学園にはもっと多くのウマ娘が在籍しているのだから、俺の知らないウマ娘なんてたくさんいる。
けれど、その中でもハッピーミークだけは、なんだか強く印象に残っていた。
せっかくだからこっち来て話し相手になってくれないかな。や、話せないんだけども。
当の彼女も暇そうだし、ちょっとちょっかいかけてもバチは当たらないだろう。
「
……気づかないな。一人でたそがれていたからてっきり暇してるかと思ったけど、もしかして考え事してるのか? もう一度鳴いてみようか。
お、俺の鳴き声に気づいた。あたりをキョロキョロと見回して他に
やっと決心がついたのか、恐るおそるといった具合に早足でこちらに駆け寄ってきた。早足といっても、彼女はウマ娘であるからヒトの全力疾走ほどの速さだ。
「……えっと…………もしかして、私のこと呼びましたか」
「
ハッピーミークの問いに全身全霊を持って首肯しまくる。
こちとら首振りだけが意思伝達手段。非言語的コミュニケーション極めてやるぜ……!
ハッピーミークは、俺の反応に驚いたのか一瞬みじろぎして、ぽかんと口を開けていた。そうして、おずおずと俺の前に腰を下ろした。
「…………」
「……」
俺は、このタイミングになってようやく、自身の見通しの甘さに気づいた。
ハッピーミークが話してくれないと、コミュニケーションが取れない……!
まだ二回しか顔を合わせていないけれど、それでもハッピーミークが自分からあまり話を振らないタイプだということは察している。
そして、俺はそもそも発声ができない。
詰んだな、これ。
「…………あの、アーケオエクウス、さんは……」
「
いきなり話を切り出したハッピーミークに驚きながらも、それがハッピーミークの悩みの種なのだろうと思い直す。
俺は急かさずハッピーミークの続く言葉を待つことにした。待つことしかできない、ともいう。
「トレーナー……あ、えっと、トレーナーっていうのは、この前一緒にここへ来た人が、私のトレーナーで…………」
ハッピーミークは、おずおずといった様子で話し始めた。
「そうそう、そのチラシの水族館にトレーナーと行って……」
「
「もっとトレーナーの話聞きたい? えっとね……」
「
しばらく話すうちにハッピーミークの緊張もほぐれていったようで、当初の固い面持ちが嘘のように笑みを見せている。いつの間にか、敬語も忘れているようだった。
年頃の娘の悩み事だと身構えていたら、いざ飛び出してきたのは桐生院トレーナーとの思い出話ばかりだ。
正直肩透かしだが、まあハッピーミークの気晴らしになっているのならこれでいいか。俺の暇つぶしって目的も達成されているわけだし。
そうしてその後も、一人のウマ娘が謎のUMAにトレーナーのことを語り聞かせるなんとも奇妙な絵面が続いた。
しかし、その話は他ならぬハッピーミークによって中断される。
「……昨日は、トレーナーと一緒にプールでバタフライのスタミナトレーニングを――」
ハッピーミークは、その話題を口にした途端、先程まで
しかし、依然として俺にできるのは聞き役に徹することだけだ。何をするでもなくただハッピーミークの話したいようにさせる。
俺の態度が功を奏したのか、彼女はゆっくりと再び口を開いた。
「トレーナーに専用トレーニングを受ける前は…………ぱっとしないって言われてて、私の走り……」
「
語られたのは、ハッピーミークのこれまでのレース戦績だった。
つい二年前の春頃までは成績が振るわなかったこと。
桐生院トレーナーと契約してから目に見えて成長できたこと。
それから再来年のURAファイナルズを目標に順調に成果を挙げてきたこと。
しかし、最近になってレースの戦績が伸び悩んでいること。
それが原因で桐生院トレーナーの頭を悩ませてしまっていること。
「私のせいで…………トレーナーに迷惑がかかってる……私が、走るせいで…………」
「
――当たり前だが、俺がハッピーミークにできることはあまりに少ない。
レースの知識なんて、馬になってから厩務員のタブレット端末を盗み見たくらいだし、そもそも桐生院トレーナーとの話し合いで解決する事柄なら、ますます俺の出る幕はない。何より、喋れないし。
ただちょっと、いやものすごくもったいないなと思った。
だってレースだろうがなんだろうが、走ることは楽しいものだから。少なくとも、俺は馬になる前からそう思っている。その点に関しては、
そうだな……ハッピーミーク。
「
「……?」
「は、速い……! すごいねアーケオエクウス」
「
改めてウマ娘のインチキ身体能力に驚かされた。
なんだかんだ言って、俺の馬体はかなりスペック高いはずなのに。いや、正確な比較対象はいないんだけど。
そんな俺に、ハッピーミークはその小さな体で追いすがっている。とんでもないぜ、ウマ娘。
今オレたちが何をしているか? 無論、ここにいるのはウマ娘と馬なのだから、その本懐を果たさんとしているのだ。
つまり、厩舎から抜け出して全力疾走していた。いやー、久方ぶりのターフの感覚が気持ちいい。
代わりに、この場でトレーニングしていた何人かのウマ娘とトレーナーの注目を一身に集めている。邪魔はしないから、少しの間見逃してほしい。
そして肝心のハッピーミークはというと、周りの目を気にしながらも必死に俺に追いすがっていた。
このまま2
ならば、いけるところまで突っ走ってみよう。
横目に映る景色は次々と移り変わり、俺の見たことのない景色が目に飛び込む。
“これ”だ。“これこそ”だ。
「……!」
“これ”が楽しい! やっぱり厩舎は退屈だよな、走らなきゃやってられん!
「
「ふぅ、ふぅ……」
歓喜に打ち震えながらも、横に並走する彼女の様子を伺う。
「
「――!」
ハッピーミークは、どうだろうか。楽しいだろうか。まだ、ハッピーミークの走りが桐生院トレーナーを悲しませると、本気で思っているだろうか。
「……
騒ぎを聞きつけたのか、学園のスタッフと思わしき人影が後ろから迫ってくる。
あの速さは……ウマ娘か。そりゃあ、“ウマ娘のスタッフ”もいるよな。
それに……その後ろに追従しているのは、桐生院トレーナーだ。どうやら、愛バの騒ぎを聞きつけて全速力でやってきたらしい。
そうして、俺とハッピーミークは徐々に速度を落とし、おとなしくその身柄を確保されたのだった。
厩舎から脱走した俺だけでなく、ハッピーミークも説教されてしまった。ごめんよハッピーミーク。
俺としては、“厩舎から脱走した俺をハッピーミークが追いかけていた”ということにしようと思っていたのだけど、当のハッピーミークが素直に事の顛末を語ってしまった。
俺は厩務員に、ハッピーミークは桐生院トレーナーに、それぞれ引き取られて帰路につく。別れる前にもう一度ハッピーミークと顔を合わせた。
「
「? ……?」
ハッピーミークは頑張って俺の言っていることを理解しようとしてくれているらしい。目を細めて唸っている。
その心意気はありがたいけど、ウマ娘だろうが俺の鳴き声は「ヒヒーン」としか聞こえないだろう。ちなみに、英語では馬の鳴き声を「neigh」と表現するそうな。
厩務員に引っ張られながらも、遠くのハッピーミークに挨拶をするために首を必死に動かす。
「
「…………うん、またね」
……“URAファイナルズ”か……、どうにかしてハッピーミークの勇姿を見届ける方法を考えないとな。
それから一年と少し経ち、いよいよURAファイナルズの舞台がやってきた。
俺はというと、一年の努力が実り、“始走式”という形でレース場に潜り込むことに成功した。あれだ、野球の始球式みたいな感じ。
さて、肝心のレース内容だが。
ハッピーミークがURAファイナルズ決勝で優勝できたのかどうか……語るのは野暮ってもんだろう。
ところでそこな厩務員、ハッピーミークの『うまぴょい伝説』見たいんだけど、録画データ持ってる?
・アーケオエクウス
日本に突如として現れた謎の生物。発見当初はウマ娘の祖先ではないかと考えられていた。
第1回URAファイナルズ決勝直後、優勝したウマ娘との交流の際に言語を理解していることが判明。その記述内容から今まで三女神の神話の中でしか語られなかった異世界の存在が示唆され、もう一波乱巻き起こす。