愛という名の絶望   作:倉木学人

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2022/07/08 序文の引用とプールの描写を追加


私は愛するために生まれたのだと

 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。

 ―マタイによる福音書 13章12節

 

**

 

 

 トレセン学園。

 それは前途有望なウマ娘たちが”トゥインクル・シリーズ”を目指して競い合う場所。

 

 今日もマンハッタンカフェとゼンノロブロイとの合同トレーニングを終えた。

 かなりハードな練習を彼女に課したつもりだったのだが、随分と余裕があるように見える。

 苦手なプールだろうに、よくぞ耐えてくれたとも思う。

 全体的にボリュームのある大柄な身体を揺らしながら、屋内プールサイドから俺の元へとにじり寄って来た。

 

「トレーナーさ~~~ん」

 

 スーパークリーク。

 すみれステークス以降の不調を乗り越え、覚醒した彼女はスタミナという一点において学園でも並ぶ者のいないステイヤーとなった。

 彼女は選抜レースから光るものをもっていたとはいえ、俺たちトレーナーの目は間違っていなかったと断言できる。

 

 そんな彼女のトレーナーは何故か新人である俺であった。

 

「トレーニング終わりました~」

 

 何でも、スカウトに来た俺の顔が不安そうだったからこそ俺をトレーナーとして認めたそうなのだが。

 正直に言うと、その理由は十分に理解できていない。

 

 確かに彼女は大変聡明で、気遣いの出来るウマ娘ではあるのだ。

 恐らく自身の強みは完全に理解していると見ていい。

 俺でなくとも、中央のトレーナーであれば誰とでも上手くやっていけることだろう。

 

「今日のトレーニングも良く組んでくれました。よしよし。いいこ♪ いいこ♪」

 

 ただし、この何かにつけて人を甘やかそうとする癖さえなければ。

 これは間違いなく人を選ぶ。

 

「よし。明日も続けれそうだな」

「勿論です~」

 

 彼女は時々暴走しだし、俺を甘やかしてくる。

 恐らくは時と場合と人を選んでやっているのだろうが、それでもギリギリのタイミングを狙う事があるのが困りものだった。

 学園の通路で膝枕を差し出してきた時は、流石に肝が冷えた。

 彼女の世話好きは学園でも有名なので、スルーされるのかもしれないが。

 

「すまん。ちょっと手洗いに行ってくる」

「あら~? そうですか」

 

 暫くの間、甘やかされた後。

 この場を出て、彼女から間合いを取ることにする。

 

「?」

 

 プール部屋を出る時。

 彼女の耳がわずかに垂れたような。

 そんな姿を幻視したのだが、気のせいだろうか?

 

「ふう」

 

 今のままではどちらが育てられているかが分からない。

 俺は甘やかされるだけでなく、彼女を真剣に導いてやらなければならない。

 

 俺は、これから多くのウマ娘と出会うことになるだろう。

 それだけ時間を積めば、その経験から立派に成長することになるのだろうか?

 だが彼女達はチャンスが数えるほどしかない。

 

 

 手早くトイレを済まし、プール前にある自販機の前で立ち止まる。

 今日もセミの声がしつこく煩い。

 少し悩んでいると、後ろから人の気配を感じた。

 

「おや。これはこれはスーパークリークのトレーナー君じゃあないか! こうして話すのは初めてかな?」

 

 振り向くと学生服姿の彼女がいた。

 くすんだ瞳と不健康に白い肌は見る者に不安を与えるが。

 その一方で、その足取りは堂々としている。

 彼女の名前はこの学園でも有名だ。

 

「アグネスタキオンか。そうだな」

 

 誉れ高き名家の生まれであり、速さという点においては会長さえ一目置いている”最高傑作”にして”異端”。

 スーパークリークとの関わりは良く知らないが、彼女とは後輩の関係にあたる。

 脚質が似ているので、互いにドリーム・シリーズに進出できれば競い合うこともあるだろうか。

 

「何か飲むか?」

「じゃあ私も紅茶を頼むよ」

 

 自分のとは別に紅茶缶を買い。

 冷たい方を彼女へと手渡した。

 

「感謝するが、いやしかし。こう言っては何だが」

 

 彼女はわざとらしくこちらを向いて、大げさに不思議そうな態度をとる。

 

「もっと美味しい紅茶を彼女なら喜んで淹れてくれるのではないかな?」

 

 俺は缶を開け、そのまま口に入れる。

 そして大きく一息入れた。

 

「いや、これでいいんだ」

「それは残念だ。彼女が淹れてくれる紅茶は心が休まるよ」

「知ってる。いつも飲んでるからな」

 

 露骨に彼女がねだってくるのも無理はない。

 紅茶の味など詳しくは知らない舌だが、スーパークリークが淹れてくれる紅茶は本当に美味しいと感じる。

 

「羨ましい限りだね。私が君なら彼女を決して手放したりはしないだろうに」

 

 俺はじっと缶の紅茶を見つめる。

 この紅茶だって良さはある。

 いつでも気軽に買えて中々美味しいというのは、ただそれだけで努力の結晶なのだ。

 しかし、問題はそこではない。

 

「タキオンも、先輩と同じことを言うのだな」

「ふむ?」

 

 彼女の頭の上にある耳がピンと跳ねあがる。

 

「勝ちウマ娘の誘いには乗っておけ、とな」

 

 先輩曰く、新人トレーナーでも才能あるウマ娘と組むのは良くある事らしい。

 当然そのまま勝ち続けて天狗になることも、才能を潰してしまう事も良くある事である。

 それでも、その先輩は俺の現状を肯定していた。

 

「成程。それは君の先輩の言う事が正しいよ。私のモルモッ。いや、私のトレーナー君もそういう所があるからね。ああ、君達トレーナーの気持ちは良く理解できるとも!」

 

 話を聞いた彼女は深く頷いてみせた。

 その顔は獲物を見つけた時にする顔なのではないだろうか。

 

「君達は自身のトレーナーとしての能力に疑問を感じているのだろう。だからこそ才ある私達を選んだことに引け目を感じているのではないかな?」

 

 そうだ、と頷いてみせる。

 これを本人にいう事は無いが。

 彼女がもっと優秀なトレーナーの元で走っていたら、そう思うことは多少あった。

 

「だが、君達は才薄き娘を選ばなかった。恐らくその考えは正しいよ。初めてだから負けて当然、そんな気持ちで私達へ向き合うのは不誠実が過ぎるだろう?」

 

 それもまた本心だと頷いた。

 新人だから芽の無いウマ娘の面倒を見て、当たり前のように失敗する。

そんなのは”逃げ”なのだ。

 だからこそ、他のトレーナーにスーパークリークの指導権を要求された時に俺は引かなかった。

 

「私のトレーナー君の能力は恐らく平均をやや下回る程度だと見ている。この学園では、ね。それでも彼女の献身振りには感謝してもしきれないさ。ククッ。彼女が私のモルモットになると宣言した、あの時を思い出すと今でもゾクゾクするよ!」

 

 ああ、あの彼女もまた自分と同じ新人トレーナーだった。

 彼女のトレーナーが光ったり、香ばしく甘い匂いがしたりするのは関係者の間でも有名な話である。

 恐らく、彼女は彼女なりにアグネスタキオンと適切な関係を保てているのだろう。

 

「ま、精進したまえ。君が彼女に協力するのは役目だろう。トレーナー君?」

 

 なるほど、これがアグネスタキオンか。

 そんな中、少し疑問に思ったことを口にする。

 

「タキオンは、クリークと付き合いが多いのか?」

 

 あまり二人に関係性があるとは思えないが、それなりに付き合いがあるように見える。

 スーパークリークも普段から持ち歩いている飴玉とかハンカチぐらいは誰にでも与えるだろうが。

 顔が広いとはいえ、学園の知り合い程度で紅茶を振舞うだろうか。

 

「ああ。多い方だとも。彼女は研究に参加する訳ではないが。実験の検証には協力的な娘だからね」

 

 そうか、知らなかった。

 アグネスタキオンの悪名は有名なのに、あれに関わるのか。

 

「意外かい? 彼女もウマ娘だ。ウマ娘たるもの最高のその先、スピードの向こう側を見たいというのは当然の考えだろう」

「そうなのか?」

「欲を言えば、彼女も研究自体に参加して欲しい所だが。彼女にそこまで求めるのもね。とはいえ、引用回数が増えるのは研究として喜ばしい限りだよ」

 

 目の前の彼女のように理論を重視するウマ娘はいるとはいえ。

 俺達がその中に入っているのは想像つかないな。

 スーパークリークは理論より身近な者の幸せを好むタイプであると見ている。

 

「俺も参加していいか」

「ああ! そりゃあそうとも。君は私の助手ではないが、ここは学の園だ。歓迎しよう!」

 

 そういって彼女は悪い笑みを浮かべ。

 どこからか取り出した200gほどの白い袋を俺に手渡してくる。

 

「じゃあ、まずは試しとして、この粉を彼女のドリンクにだな」

「それは駄目だ」

「おやおや? 協力するんじゃなかったのかい、君は」

 

 不満そうにしているが、これはこれだ。

 俺の頭の中のスーパークリークもダメですよーと否定してくる。

 

「研究か。そういえばタキオンはウマ娘の調子を保つ方法について何か知らないか?」

 

 ふと思ったことを口に出したのだが。

 それを聞いたアグネスタキオンの耳はへたれ、呆れた視線をこちらに向けてくる。

 

「トレーナーくーん? それはとてもとても難しい問題だよ。何せ私も、実践できている訳ではないからねえ」

 

 まあそれもそうかと納得する。

 スーパークリークの謎の不調も結局謎のままだったのだ。

 ウマ娘の能力には謎が多いが、アグネスタキオンもまた全てを知る訳ではないのだろう。

 それが恐らく彼女が研究を続ける理由なのだから。

 

「とはいえ、彼女の場合は割と分かりやすいのではないかな?」

 

 俺は、彼女の光の無い目を見る。

 深く暗いが、その先には確かな知性が見えるのだ。

 

「というと?」

「スーパークリーク君にやってはいけないことさ」

 

 アグネスタキオンはスーパークリークのやる気が下がるような事について、何か知っているのか。

 防げるなら未然に防ぎたい所なのだが。

 

「簡単なルールだよ。彼女の愛を拒否してはならないのさ」

 

 再び俺は目を逸らして手元の紅茶缶を見つめた。

 しばらく時間がたっているので随分とぬるくなってしまっている。

 

「愛、か。タキオンがそう表現するとは意外だが」

「何。愛という欲望の持つ効果というのは無視できない。それだけのことだよ」

 

 目の前の研究者然とした彼女がそういう言葉を口にするとは思わなかったが。

 俺にはアグネスタキオンの言う事が否定できないでいた。

 

「分かりやすいのは、タイシン君の件だろうね」

「ナリタタイシンか」

 

 スーパークリークと寮の同室である、あのウマ娘にしても痩せた小柄な(そしてこれを本人に言うと怒る)姿を思い浮かべた。

 俺も聞いた話でしかないが、スーパークリークとナリタタイシンは同室になった時に二人は喧嘩になったのだとか。

 今は仲良くやっているようだが、世話焼きな彼女のことだ。

 恐らくスーパークリークの方が干渉しすぎたのだろう。

 

「全く不思議な事に。その時は何故か、私の元に相談しに来たのを覚えているよ。何故、タマモクロスでもオグリキャップでも、あるいは会長(シンボリルドルフ)でもなく私なのかは。全く理解できないのだが」

 

 親友である彼女たちも、自分の元に来なかった事を不思議がってたさ。

 アグネスタキオンは、そう補足した。

 確かに数あるウマ娘の中から、何故アグネスタキオンに相談したのだろうか?

 

「あの時の彼女は、そう。普段の温厚さに似つかわしくなく、まるで痩せ犬のように怯えていたね。私の同室のデジタル君も思わず退散したぐらいだった」

 

 スーパークリークがそんな表情を見せていたのだろうか。

 俺は未だにそういう姿を見たことはないのだが。

 ともかく、よっぽどのことだったのは伝わってくる。

 

「その時にしてくれた話の内容は、私としても未だに消化不良なのだが。彼女は何か、ウマ娘の成り立ちについて知っている口ぶりだった」

 

 彼女は口に手をあて、小さく言いにくそうにして。

 そう呟いた。

 

「ウマ娘の、成り立ち?」

 

 もしや彼女はアグネスタキオンがウマ娘の専門家と知って相談したのか。

 学園で学びつつレースで実践する彼女は最先端の研究者だろう。

 そういうことならば話す理由になるだろうが。

 

「彼女とどういう話を?」

「さて、何故を問うのは研究として当然の行為だが。それを私が口にするのは無粋というものだろう」

 

 それもそうだと俺は納得する。

 

「気になるというのならば、自分から調べてみると良いさ」

 

 話とやらが気になるが。

 俺はスーパークリークの担当だ。

 いつしか彼女から直接事情を聞く、その日が来るのかもしれない。

 

「話が逸れたね。愛について、話を戻そう。ともかく、愛さ」

 

 こほんと彼女はわざとらしく咳払いする。

 

「本当は愛することを拒否されたぐらいで気落ちしてはいけないよ。良い事しても、それが必ず報われるとは限らないのだから。本人もそれは十分に承知の事だろう」

 

 自分のやった事が報われないといのは辛いことだ。

 そして恐らく、俺はウマ娘のトレーナーである限り。

 それをこれから見続けることになる。

 

「私もカフェに実験体になってくれと常日頃から頼み込んでいるが、毎回断られている。勿論、これからも諦めるつもりはないがね!」

 

 そのガッツに俺は呆れてしまった。

 だが、スーパークリークは恐らくそうじゃない。

 

「とはいえ、愛を拒否されるのは辛い事さ。私と違って、彼女は恐らく何か。拒否されることにトラウマを刻まれているではないかな? 仮定に過ぎないが、それならば一通り説明がつく」

 

 スーパークリークは穏やかで優しい娘であるからこそ出来ない事がある。

 それを俺が支えてやらなければならないのだ。

 

「君自身の行動で、彼女のやる気を削ぐ事は避けたいのだろう? ウマ娘の体調管理は楽じゃない、特に高調子を維持するのは大変なことだ。彼女の誘いには全て乗っておくといい」

 

 少なくとも自分自身のミスでスーパークリークを悲しませることは駄目だった。

 それは、確かなことだろう。

 

「さあ、あまり彼女を待たせるものではないよ?」

 

 しっしとアグネスタキオンに手でせかされる。

 

「ありがとう。アグネスタキオン」

「ああ。彼女には優しくしたまえ。機会があれば、また会おう。トレーナー君」

 

 思えばクリークに酷いことをしてしまったのかもしれない。

 まずは帰ったらスーパークリークに詫びを入れる事から始めよう。

 

「しっかりと彼女の面倒を見ることだよ。何せ私達の目指す最高の走りも研究も、先に走る誰かが必要不可欠なのだからね」

 

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