ザ・アメミヤズ・ブラッド   作:邪道キ

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思った以上に反響があって驚いている作者です。

お待たせしました。第二話、どうぞ。感想お待ちしています。


攻魔~THE ISLAND~

────<1>────

 

 八月最後の月曜日。月が替わるまであと三日。大人たちは日の照る街を駆け、学生は夏休みの思い出作りに奔走する。だがここに一人、ファミレスの窓際の席で項垂れる高校生がいた。

 熱い、灼ける、焦げる、灰になるとぼやきながら身じろぎ一つ出来ない。羽織った白いパーカーの隙間から刺さる殺人的紫外線が痛い。気温は体温を越えているというのにエアコンの冷気は届かない。無い無い尽くしの悪魔的環境にじりじりと気力を削られながら顔を上げた。

 

「今、何時だ?」

「もうすぐ四時よ、あと三分二十二秒」

「……もうそんな時間なのかよ。明日の追試って朝九時からだっけ」

「今夜一睡もしなけりゃ、あと十七時間と三分あるぜ。間に合うか?」

 

向かいの席に座るヘッドフォンをぶら下げた短髪の高校生、矢瀬基樹(やぜもとき)が気楽に問いかけて来た。目を落とすとそこにはテーブル一杯に広げられた問題集の数々。白い紙一面に印刷された明朝体の黒文字の羅列が鬱陶しく思える。量の膨大さに思わず息を漏らした。

 

「……この間から薄々気になっていたんだが」

「?」

「なんで俺はこんな大量に追試を受けなきゃなんねーんだろうな?」

 

だらしなく項垂れる高校生、暁古城(あかつきこじょう)はテーブルのプリントを手に取る。明日より彼は英語数学二科目ずつを含めた全九科目の追試と体育実技のハーフマラソンを受ける予定だ、それも夏休み最後の三日間で。思い返して堪らずプリントを叩きつける。

 

「この追試の出題範囲ってこれ、広すぎだろ。こんなのまだ授業でやってねーぞ。おまけに週七日の補修ってどういうことだッ」

 

 声を大にして暁古城は叫んだ、うちの教師たちは俺に何か恨みでもあるんか!と。学生にはあんまりなスケジュールに文句を垂れ流さざるを得ない。

 

「いや、そりゃ…あるわな、恨み」

「あんだけ毎日毎日、平然と授業をサボられたらねェ。」

 

 嗚呼、哀しいかな、眼前の二人の反応は余りにも淡泊なものだった。

 残念ながら暁古城、彩海学園高等部一年はお世辞にも真面目で勤勉な授業態度ではない。それは他ならない自分が分かっている。分かっているが、だがしかし。

 

「いや、アレは不可抗力なんだって。いろいろ事情が…」

「おまけに夏休み前のテストも無断欠席だしぃ?」

 

 イラついたような弁明ももう一人、藍羽浅葱(あいばあさぎ)に遮られた。華やかな制服と校則違反ギリギリまで飾り付けられた彼女、不思議とケバケバしさは無く黙ってりゃ美人なのにいつもニヤニヤしているせいで、寧ろ男友達のような気楽さがある。

 

「それもあの担任には伝えたって…今の俺の体質に朝はきついって」

「え、体質って何?花粉症?」

「あ…いや、オレ夜型なんだよ。朝苦手っていうか…」

 

 浅葱の指摘に、古城はびくりと頬を引く。浅葱は吸血鬼じゃあるまいしと呆れるが、そのことが古城に結構くるものがあった。

 気まずく顔逸らしていたが、えっと正面で声が上がった。見ると浅葱がスマホ画面に釘付けなっている。しばらく彼女は指を動かすと、スマホをしまい慌ただしく荷物をしまい始めた。

 

「……ごめん古城、あたしバイト行くわ」

「バイトって、人工島(ギガフロート)管理公社の…?もうそんな時間か」

「なんか一昨日魔族が暴れてトンネルに穴開けたから、今すぐ来てって」

「一昨日…そんなことあったっけ」

「ホンット迷惑するわ。じゃ!」

 

 今度学校始まったら教科書返してねー、とテキパキ荷物を纏めると浅葱はファミレスを立ち去った。

 

「あの見た目と性格でも、大変なんだなプログラマーって」

「確かに、ガキの頃からぶっちぎりで成績は良かったんだが…大人の都合にゃ勝てねぇか」

 

 彼女の後姿を見送りながら存外失礼な事を口にする古城。担任からは「ビッチっぽい」と評されるものの、それでも素は良いのだからモテそうなものだが、そんな浮いた話を古城は聞いた覚えがない。だからどうという訳でもないが。

 

「…って言うか、あの見た目と性格でもって本人に絶対言うなよ」

「解ってるよ、これでも教えて貰ってるんだから、そこまで不躾じゃねぇし」

「そーだぞ。わざわざ浅葱が直々(じきじき)に教えてんだから」

「──いや、それ言ったらお前だって宿題見せてもらってるだろ?」

 

 矢瀬の含みのある言い方に怪訝そうに聞き返す。彼も今だって浅葱に宿題を写してもらっていたという点では同じ穴の狢のはずだ。

 

「アイツとは小学校のころからの付き合いだけど、他人に勉強教えるなんて事なかったぞ」

「そうなのか?結構写しとかもらってるし、教えてもらってるぞ俺」

「頭いいとか思われるのが嫌なんだろ…けど、お前には教えているんだなぁ」

 

 何でだろうなぁ、とニタニタ頬を吊り上げる。何が言いたいのか意図の読めない友人に、古城は力なく首を振った。

 

「…まぁ見返り込みだけどな。今日だってほら、会計置いてってるし…げ、アイツどんだけ喰ってんだ!?」

「あ……そう」

 

 持ち上げた伝票に書かれた数字に目を剥く。矢瀬ほどではないが古城だって浅葱の事は知っている。古城のなけなしの小遣いが全部吹っ飛ぶぐらいの量の飯を食う大食漢なところとか、ちょっと前は今ほど派手ではなかったとか。だが慌てて財布の中を確認する古城を見て、矢瀬は声のトーンを著しく落とした。

 

「悪ィ矢瀬、金貸してくれ。有り金だけじゃ足りねぇ」

「今度返せよ、いくら?」

「五百円」

「五百ゥ?…それくらいあるだろ?」

「昨日凪沙のアイス分で消えた」

「…ッフ」

「笑ってんじゃねぇよ」

 

 薄ら笑いを浮かべながら五百円玉を投げ渡す矢瀬。どうせ妹に甘い兄貴とか思っているのだろう、あぁその通りだ悪いかよと心中で毒ついてやる。

 古城が小銭を受け取ると、矢瀬は荷物をまとめだした。宿題はとっくに写し終え、教えてくれる浅葱がいない以上居座る意味もないと席を離れる。足早に街道を駆けるクラスメイトを窓際から眺めながら、再び机へ突っ伏した。

 

「暑ィ…」

 

 日差し刺す窓越しの、一人の視線に気づくこともなく。

 

────<2>────

 

 絃神島、魔族特区。行政上、東京都絃神市として区分される。

 日本本土の南方海上三百三十キロ付近に浮上する、総面積約百八十平方キロメートル、総人口約五十六万人。平均気温二十度を超え、国内外を代表する製薬業、精密機械工業、ハイテク素材産業が所狭しとひしめく学術都市。

 同時に、ここでは魔族の存在が公認され、彼らの生態・能力の解析・研究・発展と引き換えに市民権を与え、人間との共生、共存の為のモデルケース──“魔族特区”としての側面を持つ。

 壮大な実験場の土地は年々開発により広がっていき、その都度多くの施設、サービスが生まれては作り直されていく。島は人と魔族と共に、幾度となく隆盛を繰り返した。

 

 ここ、比較的新しく建設されたショッピングモールで一人の高校生がある勝負に出ていた。サラリと伸びた髪、その間から覗く鋭い目は、何物をも逃さず、同時に何物をも寄せ付けない鋭さがある。

 青年は目下のハンドルを掴む。それをゆっくりを弧を描くように回していくと、八角形の箱の側面に開けられた穴から何か出て来た。一瞬の決着、職員がそれを摘まみ上げると、勝敗を高らかに告げる。

 

「おめでとうございます!三等当選です!」

 

 カランカラン、ハンドベルの軽快な音が鳴り響く。背後からおぉ、と驚嘆入り混じる声が上がるが、当選した本人は顔色一つ変えず景品を受け取った。

 景品はぬいぐるみ。二頭身にデフォルメされ、尻尾が二股に分かれたネコ、巷では『ネコマたん』と呼ばれ女子に人気のキャラクターだったはず、と回想する。

 

「三等当選、おめでとう凱くん」

「……ありがとうございます、ゴンザさん」

 

 雨宮凱が列から外れたところで、先ほどベルを鳴らした初老の男・ゴンザが声を掛けて来た。

 

「彼女への御見上げが出来たね」

「…彼女はいない」

「照れなくてもいいのに~」

「…本当にいない」

「あれ?この前ヘッドフォン付けた子が、彼女と一緒に歩いてたって…」

「……俺とアイツはそんな仲じゃない」

「違うのかい?」

 

 何を言い出すのか、と男の証言に肩を落とす凱。あの飄々とした後輩はどうも妙なことを勘ぐっているらしい。この前何を間違えたのか「年上の彼女にプレゼント送りたい」と相談してきたり、断るとこれが余裕か、と訳の分からない絡みをしてきたり。どうなったか進展は知らないが、もしや進展ナシなのだろうか?

 こちらの態度をみて訝しんでいた男は、何を思ったかフッと笑みを零した。

 

「…にしても、変わったね凱くん。こういうとこ前は来なかったでしょう」

「…溜まった引換券を使って来いと言われただけだ、他意は無い」

「それでも、前より表情が柔らかくなったよ。ここに来たばかりは余り表情を変えなかったから」

「…………何も、変わっていない」

 

 そう指摘され、凱は首を横に振った。

 彼がこの島に来て一年半ほどになる。ココで様々な出来事と出会い、向き合い、相応に愛着が生まれた。そして得たものを超える数の事件とも。

 振り返って改めて思う、来たばかりは周囲の迷惑も考えない事ばかりで、監督官の彼女によく怒られていた。同居人との共生も価値観のすり合わせに難儀した。一昨日などミスをしでかして、その尻拭いを後輩がしていると教師に聞いた。果たして変わったと言えるか。

 

「変わってるよ、自分のことは、自分じゃあんまりわからないことだ」

 

 男は背をポンと叩くと、踵を返して抽選会場に戻って行った。ジワリと滲む熱に振り返ると、自分の後ろに並んでいた子連れだろうか、男の子がぐるぐると抽選機を回している。ガヤガヤと賑わう会場に凱は背を向け、モールを出た。

 自動ドアの隅に寄り、手にしたレジ袋を広げる。二リットルペットボトルが二本、牛乳パック一つ、それと今日の夕飯用の食材がいくつか見えるが、思った以上に詰め込まれており、ネコまたんの入る隙間はない。学生カバンの方に入れたいが、こちらもある都合で結構満杯。多少の羞恥は忍んで小脇に抱えようと決断した、その時だった。

 

「暁?」

 

 自分の視野を白い髪と白いパーカーが特徴の顔見知りが走り抜ける。揺れるフードを抑える高校生は、モールの近くのゲームセンターに駆け込んでいく。一体どうしたのか、焦っていた様子を訝しむ凱だが理由は直ぐに分かった。

 暁古城の走った後に一人の少女が現れた。ベースギターのギグケースを背負い、辺りを険しげな眼で見渡す。ここだけ見ればただのギタリストかもしれないが、凱が目を引いたのは彼女の服装。青と白を基調とした制服にチェック柄のスカート、胸元にはリボンがあるから、彼の妹と同じ中学の物だ。

 

(逃げている、のか…何故)

 

 彼が知る限りの暁古城の交友関係には、バンドをやっている後輩はいなかったはず。最近知り合ったとしら、追い回すという行為はいささか引っかかる。彼女には何かがある。

 ショッピングモールに立ち尽くす少女、その背を影から見つめる凱。スマホを取り出し弄るふりをして様子を窺うと、少女は古城を見失ったせいか、ただただ立ち尽くすのみ。このまま諦めるのだろうか、そう思っていた時動きがあった。

 なんと古城がゲーセンから出てきたのだ。自動ドアが開き、鉢合わせる二人。ここからが正念場だ。次の両者の動きで自身が成すべき行動がはっきりと────。

 

 

「オゥ、ミディスビアーチェ!アウグーリ!」

(…………………………………助けるべきなのか?)

 

 明け透けな外人のフリを始めた古城に足が止まってしまった。ワタシ日本語ワカリマセーン、とほざく相手に呆気にとられる少女だが、古城がその隙に逃げおおせようとしたのに気づいて我に返り、追いかけ始めた。

 遠ざかる二人に遅れて硬直が溶けた凱は再び追跡を開始する。息を殺し、足音も殺し、気取られないよう目視で確認できるか否かの絶妙な距離を保ちながら耳の神経を尖らせた。

 

 警戒心を抱く古城に対し少女が何かを話している。口の動きと僅かに聞こえる言葉を符合させると────剣巫(けんなぎ)、三聖──第四真祖、監視────。

 

(……獅子王…機関…?…)

 

 聞き取れた少女の所属に目を細めた。

 獅子王機関(ししおうきかん)────確か大規模魔導テロや魔導災害を阻止するための公安委員会直属の特務機関だったはず。この名を口にした昨年の担任が非常に忌々し気な顔をしたため印象に残っていた。

 纏めると彼女は“獅子王機関”から派遣された“剣巫”という存在で、この島に来たのは“第四真祖”である古城の監視。だが彼女の真剣な顔持ちから察するに監視だけではなく、場合によってはそれ以上(・・・・)のこともあり得るのだろう。

 

 すると古城に何か言われたのか、突然剣巫は立ち止まった。人違いじゃないのか、と呼び止めようとしているところから、どうも古城は人違いでゴリ押したらしい。古城はぞんざいに手を振って、足早に去っていく。

 どうしたものか、凱は近くの建物に寄って思案する。剣巫との距離が少しずつ縮まっていくが、このまま接触するのは良くはないと直感する。上手く脇道に逸れてやり過ごすのが得策か、そう考え建物の狭間に身を投じようとしたとき、彼女の周囲に変化が生じた。

 

 二人、見知らぬ男が立ちふさがる。年は二十代前後、派手に染めた長髪、着飾ったスーツが違和感の男たち。

 

(…またか。この前もしていたはずだが)

 

 二人の腕についている腕輪、魔族登録証だ。確かあの二人はナンパの常習犯で、よく相手方とトラブルを起こし警察の世話になっている。『なんかウチの知り合いも引っかかったんだって。しつこ過ぎてウザかったらしいよ』と同居人が愚痴っていたが、あの強気な態度は確かに迷惑だ。

 

 次第に両者の雰囲気は険悪になり、男は荒っぽい怒号を放つ。最中越しに少女が言い返しているのが分かる、これ以上はマズい。再び荒事になる前に止めるべきだろう。

 凱は荷物を建物の間に置くと歩き出す。男たちの間から古城もまたこちらへ歩いてきていた。面倒ごとを避ける気質の彼が取って返してきたのは少し驚いたが、二人もいれば止められそうだ。そして先に古城が男の肩に手を掛けた時。

 

 最悪の事態が、少女の掌底によって引き起こされた。

 

 

────<3>────

 

 

 若雷(わかいかづち)────手の内から霊力を押し出す。打ち込まれた力の流れが、強固な魔族の体を打ち抜き怯ませる。絃神島より遠く離れた本土で研鑽された一撃は、獣人種の男を意識諸共容易く吹き飛ばした。

 一瞬のことに周囲は目を見開く。壁に叩きつけられ動かないナンパ男を見て、ようやく片割れは我に返った。

 

「この餓鬼、攻魔師か────!?」

「D種────!」

 

 赤く染まった虹彩に、剣巫──姫柊雪菜は険しく呻いた。第一真祖“忘却の戦王(ロストウォーロード)”の系譜に連なる者、常人を遥かに超える身体能力に魔力耐性、強力な再生力を持つ吸血鬼の男。今、男は“魔族の王”の切り札を切る。

 

「──灼蹄(シャクティ)!その女をやっちまえ!」

 

 男の絶叫と共に、足元から魔力が吹き上がる。鮮血の様に赤く、陽炎の様に揺らめく力は歪な偶蹄類を模り、アスファルトを焼いた。

 灼蹄(シャクティ)と呼ばれた眷獣が人無きするだけで街路樹は燃え、鉄柱はドロドロに溶けていく。その渦中に一人、魔力を感知し腕輪が警報を鳴らすのも気に留めず、吸血鬼は己が使い魔の力に酔い、幽鬼の如く佇んでいた。

 

「こんな街中で眷獣を使うなんて…!」

 

 惨状に雪菜は臍を噛む。だが退くことはなく、背中からギターケースを降ろし、中から何かを抜き放った。

 

「────《雪霞狼(せっかろう)》」

 

 雪菜が手にするのは一振りの銀槍。畳まれた柄を伸ばし、格納された巨大な矛先が出現する。飛行機の翼の様に伸びた副刃、洗練された原始的武装を振り回し、雪菜は静かに息を吐いた。

 妖馬が蹄を打ち鳴らし疾走する。超高濃度の魔力の塊が猛スピードで迫りくる。だが雪菜は二メートルを超える超想をしっかりと握り、恐れずに突き刺した。傷口から赤熱化した魔力が噴き出し、辺りに飛び散っていく。だが眷獣は止まらない、雪菜が押し負け少しずつ後ずさる。

 だが。

 

「う…嘘だろ!?」

 

 恍惚に酔っていた吸血鬼の笑みが歪んだ。灼蹄(シャクティ)の猛進は周囲を焼き払い、少女を後退させた。だがそれは少しのことで、既に突進は止まりその姿が徐々にほどけていく。

 そして一閃。それだけで魔力さえ残さず使い魔は消え失せた。

 狼狽える吸血鬼に、雪菜は槍を構える。許可なく魔族の能力を行使、更に街中で眷獣を使用するなど言語道断。立派な法律違反な上に、どれほどの人命に被害が及ぶか。若き剣巫は猛り狂っていた。この邪悪を滅すべし、と。

 

 雪霞狼を握りしめ、突進する。相手は眷獣の消滅によって力を消耗し、最早こちらに注意は向いていない。破魔の矛先が吸血鬼の心臓を貫こう────とその時。

 

 モフン、視界が優しく包まれた。

 

 突然の感触に思わず急停止。雪霞狼を横に構えなおすと、顔に張り付いた何かを引き剥がした。

 果たしてその正体は、二頭身にデフォルメされ、尻尾が二股に分かれた可愛いアイツ。

 

「────ネコマたん?」

 

 予期せぬマスコットの登場に雪菜は戸惑う。これはどこから飛んできたのか、誰が投げて来たのか。警戒し一歩下がろうとして、雪霞狼を何者かに捕まれた。

 雪菜は反射でその名を叫ぶ。

 

「第四真祖──ッ!」

「お前、やり過ぎだ!もういいだろ…」

 

 キッとこちらを睨む雪菜を宥めながら古城は振り返る。先の眷獣の暴れ様からして、男は魔力を出し過ぎたらしい。眷獣とは召喚だけでも膨大な魔力を喰うはずだから、今は立っているのも厳しいはずだ。

 だがそこにいたのは突き殺されかけた男ではなく。

 

「痛痛痛痛痛ッ!離せって!」

「迷惑防止条例法違反及び聖域条約違反だ…これで何度目だ」

 

 手を後ろに回され固められた吸血鬼の男と、固めている長身の高校生の姿だった。

 

「───俺じゃねぇ!あの女が先に灼蹄を───」

「…きっかけを作ったのはお前の様に見えたが?」

「見てんなら止めろよッ!あいつのせいでダチがひでぇ目に────」

「霊力は籠っていたが、気を失っているだけだ。殺されていないだけマシだろう」

 

 高校生がクイと顎を指すした方を見ると、壁にもたれた男がうめき声をあげのたうち回っている。友人の意識が戻ったのを見たのか、吸血鬼は拘束を強引に振りほどくと駆け寄って肩を貸した。

 消耗した二人はおびえた視線を送りながら足早に去っていく。遠ざかる陰に向けて古城が大声を張り上げた。

 

「おいアンタら、もう眷獣は使うなよ──!あとナンパもすんな────!!」

「──西方面に条約違反者が逃げた。一名負傷しているから早めに捕縛してほしい」

 

 一方高校生は冷静に電話をかけ特区警備隊に通報しているようだ。結構冷静、否冷静過ぎる対応だ。普通あのような暴力に身を晒された一般人がこうも眉一つ動かさず対処できるのだろうか。心中警戒が鳴りやまない中、高校生は古城の方へ振り返った。

 

「──えっと…雨宮、先輩?」

「暁。あまりこういう危険な場所には来ないほうが良い。怪我じゃ済まない」

「いや、そりゃそうなんですけど…」

「明日追試だと聞いたが」

「…あ~、今回はちょっと俺のせいでもあるっていうか…取り敢えず俺は大丈夫なんで────」

 

 視線を逸らししどろもどろな返答をする古城。どうも目の前の雨宮なる人物は彼の上級生らしい。だが雪菜はここに来る前に暁古城の周辺に関する調査報告に全て目を通している。家族、交友関係、何故か異性関係も含まれていたが、獅子王機関の身辺調査で彼のことは出ていなかったはずだった。

 槍を握る手に力が籠る。取り敢えず事態を前に進める為、一度近くの車に飛び移ると石突をルーフにぶつけた。

 

「あなた…何者ですか?」

 

 金属のぶつかる音に双方雪菜を見る。突然の音に思わず振り返る古城、対照的に動じていない様子の雨宮凱。ココなら両者の様子がよく見える、不審な動きをしようものなら雪霞狼でいつでも対応できる。

 

「そういうお前こそ何だ?獅子王の攻魔師が、何故ここに来たのか」

「私たちを知っているのですか?」

「…攻魔師の組織、上司が嫌っているということ以外はさほど知らない。」

「それだけ知っているのなら、当然分かっているはずですよね?公共の場における眷獣の使用。彼らは殺されても文句を言えなかった…むしろ──」

「滅するか否か決めるのはお前じゃない、飽くまでこの街の特区警備隊だ」

「しかし────」

「お前がその槍で(ここ)の住人を虐殺して来いと言われたのならまだしも────お前は何をしにここに来た?」

 

 柳眉が吊り上がる、頭に血が上る。この男は今自分をあの魔族と同列に扱ったのか?

 確かに彼女が属する組織、獅子王機関は公的な組織ではないし自分もまたまっとうな背景があるのかと聞かれればYESと断言できない。しかし獅子王機関で学んだことは彼女の血肉となり、出逢った仲間や恩師たちはかけがえのないモノとなっている。それをこの男はあの下劣な魔族のような見境の無い犯罪者としてみたのか?

 

「────そんなことするわけないじゃないですか…っ!」

「なら何をしにここに来た?」

「世界最強の吸血鬼、第四真祖・暁古城に全力で接近し、その動向を監視することです!」

 

 ガンッ!!!雪霞狼を打ち鳴らし、立つ場が少し沈む。轟音に白いフードが後ずさるのが見えたが関係ない。今、再び姫柊雪菜は義憤に燃えていた。

 対する雨宮もその気配に当てられながらも視線を外さない。少し瞼を落とし掌を握る。ありふれた動作だが、動きの中に隠された“気の流れ”を雪菜は見逃さなかった。やはり普通の人間ではない、未登録魔族か魔術師か、どちらにせよあの“握りしめられた右腕”は何かマズい。

 

「…なら自分のやるべきことを果たせ、俺は邪魔立てするつもりはない。だがここにはここの規定(ルール)があるから目立つと────」

「っ、だぁーもう何で一触即発みたいなことになってんだよ!」

 

 一触即発の雰囲気に耐えかねたのか、二人の間に古城が割って入る。自分が話の話題に入っていたような気がするが、これ以上この二人を面と向かわせるのはまずいと思ったのだろうか。

 

「よく分かんないんすけど取り敢えず落ち着きましょう先輩⁉あっちすげぇブチ切れてますから!」

「…目立つと色々支障が出るだろうから、気を付けたほうが良いと…」

「どう聞いても煽ってんでしょうが!誰でも怒るわそんな言い方!」

「…ダメだったか」

「ダメ、絶対!」

 

 両手でバツ印を作る古城を前に、僅かながら首を垂れる雨宮。後で謝ろうと促している間に、怒りに囚われた雪菜は首を振って今一度監視対象を見た。

 

「…暁、古城?」

「おう…っていうかお前もお前だけどな、そもそもパンツ見られたからって何も突き殺しに行くことは…」

「………見たんですか?」

 

 冷厳な声色に、古城はアッと声を漏らす。ぎこちなく振り返ると、先ほどまで雨宮に向けられていた怒気がこちらに刺さってくる。何か弁明しなくては、古城の額に脂汗が輝くのは暑さのせいではないだろう。

 

「あ、いや……でもそんな気にするようなことじゃないだろ。中学生の下着なんて興味ないし…それに結構可愛い柄────」

「暁」

「…何すか何すか?」

「見たのか?」

「真顔で聞かないでもらっていいっすか?あの、アレは不可抗力というか、偶然のイタズラというか…」

 

 二つの眼差しに挟まれ口をパクパクさせる古城。何故だろう、二人を止める筈が今度は自分が尋問されているような状態になっている。この変遷に戸惑う古城に、風が吹きつけた。ビルの間から流れる強めの風が湿った髪を巻き上げる。額に走る寒気に顔をしかめた古城の、視線の先に遭った雪菜のスカートも。

 三者、硬直。風は静かに通り過ぎるがもう遅い、古城の眼にはめくりあげられた衣装の先の桃色の布をガッツリ焼き付いている。それを分かっているのか、雪菜も槍を脇に抱えて両手でスカートを抑えた。

 

「何でまた見たんですか」

「いや今のはそんなトコにいるそっちのせいじゃ──」

「すまない」

「先輩⁉ちょっと待ってまだ謝んないで⁉」

「謝ったほうが良いと…」

「今じゃねぇよ!いや今だけど今じゃねぇよ!」

 

 余計こじれるから!と斜め六〇度に体を曲げる雨宮に駆け寄る古城。何も語らない両者に挟まれて一人てんやわんやする標的を見ていて、どんどん戦意を削がれていく。雪菜は思わず息を吐くと飛び降りてギターケースを拾い上げた。

 折りたたまれた槍を入れジッパーを閉じると背中にかけて歩き出す。ここから立ち去ろうとする雪菜を見たのか、暁古城が何か言っていたが聞きたくなかった。

 

「いやらしい」

 

 それだけ言うと振り返らず、胸いっぱいの羞恥から手の中の柔らかいモフモフに逃避した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ネコマたん、持って行ったな」

「アレ先輩のッスか!?」

 

 

────<4>────

 

 その後まもなくサイレンの音が聞こえたが、凱の案内で現場から気づかれることなく脱した古城。

 古城としてはこのまま帰りたかったが、凱より「少し付き合ってほしい」と告げられ、そのままズルズル彼の後を追うことになった。空は朱色に変わり、太陽が地平線に接し始めている。家に帰る頃には真っ暗だろうなぁ、とぼんやり考えながら前を進む背中を見た。

 凱は先ほどの誘いから一言もしゃべることなくどんどん前に進み続けている。早すぎて引き離されるほどではないが、こちらを顧みることなく歩いているため余計取っ付きづらい。耐えかねた古城は少し足を速め凱に並んだ。

 

「あの…」

「何だ?」

 

 古城の呼びかけに凱は目だけを彼の方へ向けた。一瞬睨まれたようにも感じてムッとするが、構うことなく先ほどから仕舞っていた言葉を吐いた。

 

「────聞かないんすか、さっきのこと」

「聞いたほうが良いのか?」

「いや、出来れば聞かないでいてくれた方が…」

「安心しろ、結構前から知っていた」

 

 その発言に古城は思わず立ち止まった。自分が周囲に隠している秘密────世界最強の吸血鬼などという馬鹿げた体質と力をこの上級生は知っていたというのだ。何故バレたのか、それ以前に何時から知っていたのか。

 

「暁、お前は顔と鼻に出やすいタイプだと那月ちゃんが言っていた」

「…言い方に悪意感じるんすけど、鼻ってなんスか」

「言われたことをそのまま復唱しただけだ。他意はない」

「言ってる大本が他意有りまくりじゃないっすか、あのロリっ子教師」

 

 脳裏によぎる自身の担任の姿に呻く古城。そういえば彼女は去年凱の担任だったというのを小耳にはさんだことがある。もしかしてその筋から知ったのだろうか?とボンヤリと考えていたとき、不意に凱が立ち止まった。

 

「だから…そこまで身構える必要はない」

「…そうもいかないんすよ…この体質の事がバレると、凪沙がマズいんで」

「……………よく喋る方の暁か」

 

 よく喋る方の、という表現に少し得心してしまうが、無視して言葉を繋ぐ。

 

「…はい…………アイツ魔族恐怖症なの知ってますよね?それなしでも四年前の事故でずっと入院してたんすよ。最近は、まぁ学校に通ったりとかしてますけど、まだ定期的に通院しなきゃいけないし…」

 

 古城の脳裏に昨日の妹の様子が思い出される。夜中にアイス食べたいと捲し立てる口喧しいところや追試に追われる兄貴をこき使う図々しいところはあるが、買ってきたアイスをおいしそうに食べている様子は本当にうれしそうだった。だが今の自分は、妹の幸せを容易く奪ってしまう魔族(トラウマ)、もし知られようものなら今の生活が破綻することは想像に難くない。何より彼女の笑顔を奪ってしまうことがシスコンと弄られようが兄として耐えがたい。

 一度言葉を区切り、古城は凱と面と向かう。この人物は自分の秘密を知って言いふらした様子はない。だから大丈夫だろうが、胸に軽くない重しを掛けられたように感じ確認を取る。

 

「で、なんですけど…俺のことは凪沙には」

「解っている」

「…あざっす」

 

 その言葉に胸の重しが少しだけ軽くなる。ただ一言、それだけ聞ければ今は良い。二人はそれ以上何も言わず再び歩き出した。

 しばらく無言で歩くこと、三十分は立っただろうか。既に日は半分ほど沈み場所は西地区の住宅街、高級マンションが立ち並ぶ古城自身があまり行かない場所だが天高くそびえたつ建物のうちの一つで凱は振り返った。

 

「ここで待っていろ。すぐ戻る」

 

 一言告げた凱は先ほどより少し早く歩いてエントランスを潜り抜ける。どうやらここが彼の住居らしい。意外と金持ちだろうか、と邪推しつつも入り口付近の柵にもたれ掛かると、張り詰めていた空気を一気に吐いた。

 

「キッ………ツい。あの人全然喋んねぇんだもんなぁ…」

 

 雨宮凱という人間は、必要以上に喋らない。同学年からも“クールな人”というイメージで通って“は”いるらしいが、目つきが鋭いわ、纏う雰囲気は妙に刺々しいわ、至近距離にいてもやはり慣れない。中学バスケ部で身に染みた体育会系のノリが通用するかも怪しいから、勢いで打開できそうにもない。

 しかし彼に忌避感を抱くのはこれだけではなかった。それは古城と凱の間に存在する一つの“溝”。見えないうちに出来た距離に古城は天を仰いだ。

 

「まぁ…しょうがねぇか、半分、いや六割…やっぱり半分は俺のせいだし」

「あれ?後輩君どうしたの」

 

 声を掛けられ反射的に首がむく。そこには彩海学園の制服を着た少女が立っていた。左からかき分けられた短めの茶髪、控えめながらも化粧が施された華やかな印象は、どことなく浅葱を思い出させる。確か、杁矢薫(いりやかおる)と言ったはずだ。

 

「…どうも」

「どうしたの、家こっちじゃないよね?」

「あ~ちょっと用事があって」

「何何?もしかして、凱となにかあった?」

「あ、いや…別になんかあったわけじゃないんすけど」

 

 少し投げやり気味に答えた古城に、杁矢は困ったように眉を寄せた。

 

「アイツがまた何かしたなら、言っても良いよ。殴ってもバレない路地裏教えるから」

「何でそんなの知ってるんですか…良いっすよ、別に俺はどうこうしようってわけじゃないし。前のだって」

「悪いのは凱だって、前にも言ったでしょ。君は正当な報復活動をしただけだ」

「いやアレは俺の勘違いだったし…あの後大丈夫でした?」

「大丈夫大丈夫、寧ろ前よりかピンピンしてたから」

 

 カラカラと笑う杁矢に釣られ頬を緩める古城。それを見た杁矢は目を細めて笑みを浮かべた。両者は学校でも同じクラスで基本一緒にいることが多い。無口な彼に比べて彼女は結構喋るタイプであり、浅葱とはメル友である。やっぱり世界ってバランスが保たれるようにできているのだろうか、と割とどうでもいいことを思った。

 

「まぁどっちにしろ凱には文句言っとかないと。明日補修でしょ?浅葱から聞いたよ~バイトで切り上げたって」

「あ、そうなんすか?そういや急に時間繰り上がったって言ってたな」

「大分イラついてたね~今度一緒に食事行ってあげたら?」

「またっすか?俺もう今月ヤバいんですけど」

「あっそう?…まぁ何であれこんな時に家に呼び出さなくても────」

「暁」

「────うぉお!?ビックリしたぁ!」

 

 突然声が後ろから刺さり、古城は前につんのめってしまった。幸い正面にいた杁矢に受け止めてもらい転倒せずに済んだが、振り向くといつの間にいたのか、緑色のクリアファイルを持った凱が。彼の登場に心臓の鼓動が全身を打つ仲、杁矢が声を上げた。

 

「ちょっと気配消さないでよ!」

「すまない…これを」

 

 凱の差し出した一冊のファイル。胸を抑えながら受け取ると中には数枚の紙、一枚手に取ると複数の日本語の印字と手描きの英語、そして右上には「雨宮凱」の文字。英語のテスト用紙らしい。

 

「去年の今頃、同じ補修を受けた。目を通すだけでもいい、参考になるはずだ」

「…あ、いいんすか?」

「新学期に返してもらえれば」

「あざっす!」

 

 思わぬ恵みを受け取った古城はファイルを掲げた。例え出題範囲が分からなくとも過去の問題を見ることが出来ればある程度の対策が出来る。そこを集中して徹夜すればもしかしたら乗り切れるかもしれない。

 早速帰って中身を見よう、と踵を返した。送って行こうかという杁矢の声もあったがそれを遠慮して近場の駅に向かって走り出す。

 

 取っ付きにくいが、悪いどころかむしろ良い人、けど個人的に苦手な先輩。

 結局のところ暁古城にとって、雨宮凱という上級生の印象はそんなものだった。

 

 

 

 

 

 ドアが閉まります────無機質なアナウンスと共に扉は閉じ、僅かな浮遊感と共にエレベーターは上昇する。鉄の箱の中に二人、凱と杁矢は向かい合っていた。凱を見つめる目は細く、どこか責めるように刺さる。

 

「どうかしたか?」

「アンタ、もうちょっと目つきどうにかならないの?」

「生まれつきだ」

「聞き飽きた、もっとマシな言い訳無いの?」

「…」

「────まだ喧嘩してるの?」

「してない」

「なら良いけど、いつまでもあの感じじゃ気が持たないわよ」

「俺は何ともないが…」

「後輩君が、よ。もうちょっと愛想良くしたら?」

「…」

 

 だんまりを決め込んでしまった凱に、杁矢は頭を抱える。雨宮凱と暁古城の間にある確執、その経緯を知るものとしてこの現状は許容しがたい。今回の様にモノを渡すぐらいには改善はしている様だが、未だ完全な終結には至っていないのが古城の態度から明白。この不器用過ぎる同い年が笑顔の一つでもできたならマシになるのかもしれないが、一年半以上同じ屋根の下にいてそんな顔を見たことがない。一体何時になったら年相応なことをできるようになるのか、と昨年の英語教師の呆れ顔を思い返し入矢はババ臭く嘆息した。

 そのままエレベーターは目的の階に到着、二人は降りて廊下を歩くと手前から奥へ向かって三番目のドアを開けた。鍵は掛かっていない、凱が掛けていかなかったのだろう、中へ入り杁矢がカギをかけるとリビングから逆立った髪の男が顔を出した。

 

「お帰り!…凱、さっきは大丈夫だったんだろうな?」

「問題ない、ちゃんと渡した」

「ホントかぁ?また妙なトラブル起こしてねぇだろうな?」

「…」

「おい待て、まさかまた何かやらかしたんじゃねぇだろうな⁉勘弁してくれよ、文句言われるの俺だぞ!?」

「ちょっと!何でエアコンついてないの?」

「しょうがねぇだろ故障してんだ、明日業者来るから我慢しろ!」

 

 帰宅した二人の態度に同居人────戸雷尚武(とらいしょうぶ)は百面相する。凱と杁矢の書類上の保護者に当たる彼にとって問題が起きれば直ぐに駆け付け責任の是非を、上階に住む元担任の現上司と問わなければならない。あの小さな体躯に似合わないほどの圧力を相手にして、隠れて胃薬を飲み始めた事に気づかれていないと思っているようだ。

 凱は目を伏せながら台所に向かう。先ほど古城にテストを渡すために戸雷に押し付けた袋、その中身を取り出して冷蔵庫を開けた。

 

「戸雷、食材だが」

「おう、水物は冷蔵庫入れといてくれ。食材はそのままでいい」

「解った」

「出来たら食うよな?今日も夜中だろうし」

「頼む」

「じゃあ飯出来たらたっぷり今日のこと聞かせてもらうかんな!」

 

 覚悟しろよ!と喚く戸雷を尻目に凱は自分の部屋へ赴いた。

 ドアを開けると中には机と椅子とベッドのみ。非常に簡素な自室だが、いつもと違うのはベッドの上にビニールに包まれた一着の服が置いてあること。黒い革で出来た外套、自分が普段使っているものの色違いだ。

 もしかして、と凱はクローゼットを開ける。中には少ない普段着と制服の予備がいくつか、そして黒く細長い箱が隅に立てかけてある。だがここには白い外套はない。

 

「おい!服は洗濯籠に入れておけよ!あとあっちの方はクリーニングに出したから、ベッドの予備使え!」

 

 リビングからの叫びを耳に、凱はクローゼットから離れる。昨日の時点で一部破けていたから、既に補修へ出してくれたのだろう。あの服は“仕事”で重宝しているし、個人的にも思い入れがある。ビニールを引き剥がし、広げた外套をハンガーにかけるとクローゼットを閉じた。

 

 

────<5>────

 

  深夜。絃神島、西地区。

 ここは所謂「眠らない街」、飲食店や商業施設、勿論バーやクラブ、風俗もここに集まっており、夜行性の多い魔族たちにとっては心のオアシス。煌びやかなネオン街が、人の活気を伝えてくる。

 その一角、真新しいネオンを下げた一際大きい店があった。中央に設営されたステージを中心に建てられた屋内を、ゆるりと動くミラーボールが七色に照らしている。人も魔族も、日々の鬱屈した感情を解き放ち、ポップとアルコールが見せるひと時の享楽に興じる。嬌声と笑いが溢れる空間の端、二人の男がカウンターに座った。しかし酒を頼むためでも、バカ騒ぎから距離を置くためでもない。目的は双方の間に座る一人の女だった。

 

 赤いフィット&フレアのワンピースを身に纏い、ウェーブの掛かった髪を肩まで降ろした彼女はカクテルグラスの中の赤と橙の液体を呷る。たったそれだけの所作が艶っぽく、男たちの情欲を刺激するには十分だった。

 

「ねぇねぇお嬢ちゃん一人?ならおれたちと一緒に呑まない?」

 

 男の片割れ、ワインレッドのYシャツを着た男が先陣を切る。こんな上玉ひっかけない男がいるだろうか、今捕まえておかねば他の男にとられることは間違いない、とでも考えているのだろうか。下心丸出しの笑顔を横目に、女は口角を釣り上げた。

 

「うれしい御誘いね?ごめんなさい、先約があるの」

「え~?誰々、友達?」

「そうね…切っても切れない、大事な縁よ」

「何それ?…じゃあその子が来るまででもいいから一緒に遊ぼうよ~」

 

 右と左から女を誘う男たち。だが彼女は笑みを浮かべるだけで返事を曖昧にしてしまう。やがて左の革ジャンの男がしびれを切らしたのか、彼女の肩に手を乗せた。

 

「釣れないこと言うなよ~ちょっとだけ!ちょ~っとだけだからぁ!」

「ダ~メ、今日は帰ったほうが良いわ」

「何でさ~、一緒に気持ちいいことしようよ~」

「ゴメン、ホントに今日無理なの」

「こ~んなに誘ってる服なのに?」

「ちょっと!ドコ触ってんのよ!?」

 

 男の手が腰に回り、引き寄せられるのを払いのける。すると彼女の反応が癇に障ったのか、今度は尻に手を突っ込んできた。思わず悲鳴じみた声を出す女、もう我慢ならない、一発ひっぱたいてやろうと尻を掴んだ手を引き抜いた瞬間、戦慄した。

 

 男の手に握られていたのは一丁の銃。六発装填式のスイングアウトリボルバー、黒い銃身とフレーム一体のソリッドフレーム。往年の名銃(レミントンM1860)をベースにしながら、表面には幾何学的な魔術刻印が施され、時折うっすらと蒼く光っているように感じる。男はそれを見せびらかすように片手で弄ぶと、カウンターから離れた。

 女は辺りを見渡す。先ほどまでガンガン流れていた音楽は止まり、馬鹿騒ぎしていた客は蜘蛛の子を散らすように逃げ出している。残ったのは少女とYシャツ男と革ジャン男、そして手に鉄パイプやナイフ、西洋剣やチェーンソーと多彩な武器を携えた黒ずくめの男達のみだった。

 

 革ジャンの男は銃を男達に渡す。先頭にいた男が受け取ると懐から半ばくしゃくしゃになった札束を投げ上げた。ナンパ二人組は犬の様に金にがっつくと、懐に抱え上げ正面玄関に駆け込んだ。

 これで残ったのは女と武装集団のみ。超常なる街であっても、明らかに尋常ではない状況。だが女は────笑っていた。

 

「…へぇ、私の為に準備してくれたの?」

「あぁ、ただ…一人には豪勢だったか」

 

 リーダーと思しき男、髪を後ろでまとめ顎ひげを蓄えたサングラスの男がシリンダーを押し出し、装填された弾丸が零れ落ちる。彼の背後から嘲笑が聞こえてくる、武器を失った女がこの大勢の男たちに勝てる筈はない、とでも言いたくてたまらなそうな顔を眺め、女は首を振った。

 

「いいえ、これ以上ない位光栄ね」

「余裕ぶるな。その顔を穴だらけにしようか、それとも俺らの気が済むまで孕み袋にしてやるか、どっちがいい?攻魔師」

 

 ブルンッ、奥から鳴り上がる勇ましいエンジン音をきっかけに、男たちがばらけ始めた。ある者は剣をぺちぺちと叩き、ある者はしっかりと武器を握りしめて構える。何時でも襲い掛かり、彼女の服と肌を裂いて望み通りの状況へもっていける、男たちの確信は変わらない。彼女の態度もまた。

 女は腕時計み目配せすると、席を立つ。そして彼らの前へ両腕を組んで、初めて笑みを消した。

 

 

 

 

 

 

「どっちも遠慮しておくわ…言ったでしょ?先約があるの」

 

 底冷えするような声が響いた、刹那、天井が爆せ、影が落ちてくる。突然のことに杁矢以外の全員が身構え、着地したものを凝視する。

 それは髪に深紅のタッセルを結わえ付け、フードの付いた革製の黒い外套、同じく黒のインナーとズボンを着こんだ黒衣の攻魔師────雨宮凱だった。

 凱はゆっくりと立ち上がり、割れたガラスを踏みしめる。ガラスの砕けた音にチンピラたちが再び構えるが、女は目を背けながら息をついた。

 

「遅いわよ、凱」

「杁矢、こいつか」

「えぇ、この前しょっ引いた運送チームの親玉。ドラッグを若い子に売って、随分と荒稼ぎしてるみたい」

「…しかも魔族用の効能が強いものを斡旋して、人魔問わず7人も死者を出した…間違いないな?」

 

 女────杁矢薫は男たちを睨みつける。

 武装集団────もといこの街に潜伏する犯罪組織の一つがばら撒いた違法ドラッグ。人と魔の共存の為に抑えられた魔の力と鬱憤を晴らすべく海外では一部が許容される場合もあるが、日本に分類される絃神島では当然御法度の代物を、このチンピラどもはあろうことか前途ある人間の学生に売りさばき、多くの被害を出した。

 これまで尻尾を掴むことが出来なかったが、数日前彼らの仲間が武器商人の依頼を受けたとリークがあり遂に捕縛、元締めがよく利用するバーを聞き出し、ここに突入に至ったのだ。相手が待ち構えてい居たのは予想外だったが、寧ろ好都合。二人は内心気を引き締める。

 他方男たちは増援の登場に緊張が走る。武器を握りしめ直し、構えなおす彼ら一人一人に凱は視線を流した。

 

「全部で十三人…何人か魔族が混じっているな――行けるか?」

 

 凱の問いかけに対し杁矢は────。

 

 

 

 

 

 

「当然♪」

「…殺れ」

 

 行動は同時。武装したチンピラが押し寄せ、凱は彼らの先陣を踏み越えた。頭上に浮かぶ陰に全員の視線が釘付けになり一瞬だけ速度が落ちる。身内同士の衝突を避けるべくできた隙間に着地すると、握りしめた右拳を床に打ち込んだ。

 振動、フローリングの割れる音が遅れてやって来る。乾いた音が耳に聞こえる頃にはチンピラたちは宙に浮いていた。

 

 床から手を抜いた凱は、一歩足を引き腰を落とす。見ると今の一撃に耐えたものが三、四人かいる。内一人、無精ひげを生やした長髪の男が殴りかかってくるのをいなして、鳩尾を肘で打つ。向かいから鉄パイプで殴りかかってくる男を足で払いのけ鼻頭を蹴り上げたところで三人目が何かをこちらに向けていた。蹲ったままの男を引っ張り上げ、その方へ差し出すと、彼の手には奪われた杁矢の銃が握られていた。

 凱は咄嗟に落ちていたグラスを蹴り飛ばす。空中で割れた破片が手に刺さり、男が銃を取りこぼす。盾にした男を投げ捨て懐に飛び込み、破れかぶれな拳を受け止め顎を殴り飛ばした。

 

 だが男は仰け反ったまま足を引き、倒れることを拒んだ。脳を揺らされながらも意識を失っていない。手を放し距離を取るが、背後で動く気配が二つ。振り返ると盾にした男と鉄パイプの男が銀色の腕章に手を掛けている。この三人は魔族だ。

 三つの千切れる音が重なったと同時に、凱はコートを翻す。赤い裏地にしまい込まれた得物を引き抜くと、抜刀。眼前に投擲された鉄パイプを弾き、膝をつき刀身を肩に乗せた。

 奇妙な構えにたじろぐことなく本性を現した三人は犬歯をむき出しにし、毛皮靡く腕から生える爪を突き立てようと足を踏み込んだ、その時。

 

 銃声。音の方を見るとここまで手を出していなかった杁矢が銃を握っている。先ほど奪った男の懐に入ったとき蹴って渡したのか、銃口から洩れる煙より弾丸の飛来を察知するが、獣人の動体視力が捉えたのは弾丸の軌道。

 

 放たれた一発は浮遊する二発を巻き込んで直進。だが三人の誰にも当たることはなく、凱の肩の刀身に綺麗に乗っかっていた。

 

 一閃。凱の振った一太刀が空を切る。軌道を変えた三発は獣人たちの体に吸い込まれ体内に消える。そして十人の武装した犯罪者たちはこの一振りを以って全員地に伏したのだった。

 

 一度刀を払い、納刀する凱。杁矢は銃を一度横に振り、くるりと回して排莢する。

 

「この前捕まえた奴ら獣人ばっかりだったから…持ってきて正解だったわね、銀イリジウム弾(弱点)

 

 スカートを捲し上げ太ももに巻き付けたホルダーにシリンダーをあてがうと、這わせるように回し、納めてあった弾丸を込める。六発漏らすことなく装填するとスナップを聞かせてシリンダーを戻し構えなおした。

 床に倒れる男たち。その様を見て凱は眉をひそめた。哀れみではなく、疑念。倒れている数は十三。あと一人足りない。

 耳元に僅かな風を感じる。男たちを踏み越えながら奥を覗くと、非常口が丁度閉まるところだった。

 

「最初から逃げるつもりだったのか」

「こいつら囮ってわけね。追って、アイツを取り押さえれば(ヤク)のルートも潰せる」

「解っている」

 

 杁矢の急かしに凱は首肯すると非常口を思い切り蹴破る。破裂したような音が響き足音が遠くなるのを見送った杁矢は、おもむろに引き金を引いた。

 下に向けられた銃の先にはチェーンソーの動力部。空いた小さな穴から噴煙が立ち上り、やがてうるさかったエンジン音が止む。こっそり拾うつもりだったのか、取っ手を握ったまま呆ける男の口に、しゃがみ込んだ杁矢は銃口をねじ込む。

 

「さぁ────俺らの気が済むまで…どうするの?」

 ガチャリ、引き起こされた撃鉄に、男は両腕を上げた。

 

 

 

 

 駆ける、駆ける────。暗く入り組んだ路地を抜ける。目が眩むほどの光量に顔をかばいながら、人ごみを見回した。前から後ろから通り過ぎる住人達。彼らの奇異の視線を浴びながら、凱は耳に手を当てた。

 

「戸雷、どっちにいった」

『今探してる、待ってろ!』

 

 インカムから声が飛ぶ。店の前で待機していた戸雷が監視カメラを用いて行方を捜しているが、凱も辺りを見渡す。追い始めてからさほど時間は立っていなかったからそんなに遠くに入っていないハズ、多くはない人の流れの中から異質なモノを探し出そうと回る。腕を組み歩く男女、千鳥足で歩くけばけばしい女、談笑する男たち、不意にこの男達が揺れた。間から頭が出てどんどん遠ざかるのと、インカムが叫ぶのは同時。

 

『左だ、急げぇ!』

 

 人ごみをすり抜けていきながら凱は走る。途中何度か通行人の肩にぶつかり背後から罵倒が聞こえてくるが関係ない、繫華街を抜け歩道に飛びだすと、元締めが道路を横切っているのが見えた。

 信号が点滅し、赤に変わる。だが男を逃すまいと凱は柵を飛び越え、動き始めた車の間を通り抜け、向かいの歩道へ渡った。建物の角へ曲がる男の影を追う、だがもうそこまで迫るだろうという時に、不意に足が止まった。

 

(────魔力!?)

 

 濃密な負の力、圧縮された存在感に刀を取る。元締めの男は魔族ではなかったはずだし、魔術師のようにも見えなかった。何であれこの先で何かが起きている。慎重な足運びで建物を右折すると、抜刀して足を踏みしめた。

 そこは人気のない公園。通って来た繁華街の近くとは思えないほどの静けさが不気味だが、このあたり一帯を包む魔力が更に警戒心を引き上げる。少しずつ、正体を推し量るため公園に近づいたとき、中から急に元締めが出て来た。

 

 

 男は下半身をアンモニア臭く濡らし、這うように尻を引きずる。目の前には幾多の血のシミと、持ち主だっただろう者の無残な姿と────。

 

 

 

 

 

 

執行せよ(エクスキュート)、“薔薇の指先(ロドダクテュロス)”」

 

 虹の薔薇が、吸血鬼を砕こうとしていた。 

 




次回 無垢 ~RODDACTUROS~

 ────冷たい薔薇が、咎人を優しく絞め殺す。

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