ザ・アメミヤズ・ブラッド   作:邪道キ

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2万字、ちょっと長め。
しかも凱君出番少なめです。


無垢 ~RODDACTUROS~

────<1>────

 

 男は後退っていた。だが地面に流れる血が足元をすくい、男の逃げ足を断つ。尻もちをついた男は赤く染まった虹彩を濡らしながら尚も足掻いていた。男は吸血鬼にも拘わらず。

 

「遊んでくれませんか?」

 

 そう声を掛けられたのが切っ掛けだった。最初友達共々むしゃくしゃした気分だった。なんせ昼間可愛い女の子をひっかけて遊ぶつもりだったのに、失敗した挙句物理的に返り討ちにされてしまった。その後も特区警備隊に見つからぬようしばらく静かにしていたが、結局可愛い子を誘えずじまいで気分もへったくれもない時にこれだった。

 声の主は、藍色の髪の小柄な少女。左右対称の顔立ちに薄い水色の眼がとても芸術的だが、首から下を覆い隠す長めのローブはから伸びる足は何もはいていない。恐らく隠れている部分も然り。

 何処か妖精じみた雰囲気だが、そのようなことはどうでも良い。二人は魔族登録証を外し抑えられた力を解き放った。少しばかり牙で引き裂き火で灼けばこの作り物のような薄気味悪い無表情も歪むだろう。

 だが今はどうだ。友人は強靭な獣の体を引き裂かれ、自身の使い魔は見る見るうちに弱ってついさっき消え去った。

 

「てめぇ…いったい何しやがった⁉」

 

 迫る恐怖に声を上げる。少女は顔色一つ変えること無くこちらを見ている。侮蔑もなく、憎悪もなく、だが彼女の背後から伸びる半透明の腕は明確な殺気を以ってこちらに迫っている。

 

「殺す価値もありませんが、いずれこの島共々滅びる身。アスタルテ、彼らに慈悲を」

 

 余りにも場違いで穏やかな声が響く。だが少女の巨腕はそれに従うかのようにゆっくりと振り上げられた。

 

命令受諾アクセプト

 

 吸血鬼の男の悲鳴が響く。それを潰すべく握りしめられた拳は振り降ろされ、男の眼前で停止した。

 目の前に迫った恐怖に、男は泡を吹いて倒れる。少女は男の事を気にも留めず制止した腕をじっと見つめていた。固く握りしめられた手、小指の付け根に何かがいる。

 何かはくるぶしまで沈んだ両足に力を込めると右手を握って腕を殴った。虹色の曲が少し歪み、衝撃と共に空中へ浮き上がる。自身のそばまで腕を引っ込めた少女が見たのは、吸血鬼の前に立ちふさがる、黒い外套の男だった。

 

(吸血鬼、か…?)

 

 凱は小さいローブを纏った少女を見ながら疾走、巨碗と吸血鬼の男の間に割って入ると、大股を開いて腕を交差させた。振り下ろされた一撃が地を砕き、足を沈めていく。

 

「~~~~~~~~~~っ!!!」

 

 全身の骨がきしみ、声にならない呻きが漏れる。なんとか足首まで踏みとどまると、あらん限りの力を込めた右腕で殴り返した。右腕がめり込んでいき、弾けた風船のように押し返される。

 小刻みに震える右腕を降ろし、足を引っ張り上げる凱。相対する月夜に晒されるのは、巨大な腕を側に控えさせた、蒼い髪に薄い水色の虹彩の少女。

 

「…何者だ」

 

 どこか生気に欠けた少女を睨みつけ、凱は問いかける。少女はこちらの視線に動ずることなく、というより何も感じないように動かない。代わりに応えたのは先ほどからこちらを見ていた、もう一つの影だった。

 

「これは…驚きました。この島の攻魔師は、随分と若いのですね」

 

 穏やかな声音と共に少女の前に出たのは、黒い法衣の大男。金髪を坊主近くまで刈り上げ、片眼鏡に隠れた彫りは深く、恐らくは欧州辺りの生まれ。年は四十くらい、だが鍛え上げられた肉体からはわずかに覇気が漏れ、少々小さく感じる質素な服からは武骨な金属の鎧が覗いている。

 極めつけは手にする半月斧バルディッシュ。振るえば魔族とてただでは済まない重量級ヘビーウェポン。未だ血が滴っているのを見ると、獣人はこれで両断されたのだろう。

 

「何故彼らを襲った」

「…この者たちは昼間、街中で暴れまわった愚か者。しかも片方は眷獣まで使ったとあらば、裁かれるのは必然」

「裁くのはお前の使命じゃない」

「御尤もな言葉。しかし…ここであなたと闘うには少々分が悪い」

 

 法衣の男の足元が揺れる。立っていた場所が轟音を上げた時には、凱の目の前で半月斧を振り下ろしていた。身体能力に優れた獣人でさえ反応できない、神速。凱は抜刀し斜めに構えて斧を受け流した。

 地面が割れ、斧が埋まる。それを足で固定すると、剣を払い突き刺す。得物を放しバックステップする男、凱は距離を詰めて斬りかかった。

 横一閃、男は身を翻して背後を取り肘で打つ。衝撃を受け、地に転がりながら反転する凱。向き合った二人は距離を詰め、拳を打ち、蹴撃を受ける。殴打の応酬を繰り返し、法衣の男は右腕を掴むと背後に回って腕を固めた。

 

「義手ですか…魔義化歩兵ソーサリスソルジャー────とは少し違いますね」

「貴様こそ尋常じゃない呪力だ。その防具、どこで手に入れた?」

 

 固めた腕を睨みながら男がささやく。だが凱も背中越しに異常な力を感じ取っていた。殴り合って解ったが、この法衣の男の動きには無駄がなく、そして豪快だ。この近距離でなければ感じ取れなかった服の下の呪力は、子供が振り回す鋏のようなあからさまな危機ではない、静かに鍛え上げられた脅威。男は戦い慣れている。特に、魔族。

 凱は足を踏み、緩んだ手を跳ね除ける。外套を翻し、足を突き入れるが、男は腰を引き両手で抱え込むように掴んだ。つま先と踵、挟み込んだ両手がほどけ、凱を回転させる。だが回る視界でも法衣を逃さない、片足で着地すると、勢いそのまま踵をこめかみに蹴り込んだ。

 思わぬ反撃だったのか、法衣の男の体が大きく吹き飛ぶ。凱は回った余韻で落ちた剣を蹴り上げると、柄を掴んで走り出した。先の蹴りは確実に頭を揺らし、今なら峰打ち数回で行動不能にできる筈。

 

「アスタルテ」

 

 だが忘れていた、敵は“法衣の男”だけではない。

 冷厳な声に巨碗が応える。左から迫る拳へ、咄嗟に身をよじって躱すと手の甲へ昇り上げた。

 巨人の肘に当たる部分を掴み、下を睥睨する。腕の下、虹色の光に照らされた蒼い瞳と目が合う。刀を持ち直すと腕から降り、懐に入って微動だにしない首へ振りかぶった。

 白い肌に銀色の刃が食い込む、それを半月斧の突きが防いだ。腕に食い込む切っ先、袖から響く金鳴り音に目を向けると、半月斧がさらに押し込まれる。肩から引っ張られるように突き放され、眼前に光が落ちる。打ち揚がった煙幕に目をつむるが、このまま逃がせない。

 

「───《死龍(シリュウ)》ッ!」

 

 凱の叫びに、右腕が“開眼”する。刀を掴む力が強まり、柄の木材が悲鳴を上げる。喉が唸り、閉ざされた目が見開かれる。

 横一線。風が歪み、全てが揺れる。近くの樹木が倒れ建物に切れ込みが入るが、剣圧に切り裂かれた者は誰もいない。

 

「御一人ですか…怠惰な。この島は人魔問わず腐り果てているようだ」

「何が言いたい」

「あなたは若い。この島でその未来を散らさないよう…忠告はしましょう」

 

 声が小さくなり、気配が遠のいていく。最早完全に後を追えなくなってしまった凱は暗闇を睨んだ。上司の様に長大な距離さえ、無いも同然にしてしまう魔術があれば違ったかもしれないが所詮は無い物ねだりだ。大きく息を吐き、刀を払うように投げ離した。

 街路樹に突き刺さった刀身に怯えた目が移り込む。凱達の戦いの間に意識を取り戻したのか、闇に紛れようとしていた元締めが逃げ道を遮られてへたり込んだ。まだ起きてから時間が経っていないのもそうだが、駄々洩れの気配と鼻を突く臭いはごまかしようがない。

 樹の方へ迫る凱。元締めは醜態をさらしながら懐をまさぐると、銃を取り出して発砲した。二発、三発は放たれた弾丸は虚空に消えるか、金属音と共に右腕に弾かれるか。弾いた右手は銃口を覆い、ゆっくりと銃身を曲げた。トリガーに指が挟まり、離すことも出来ない。こちらを見下ろす鋭い眼に、元締めは乾いた笑いを上げた。

 

「取り敢えず────お前は拘束する」

 

 あっさり左の一撃で落ちた男の頭上で、常夏の夜が明けていく。

 

────<2>────

 

「先輩は、存在自体が戦争やテロと同じ扱いなんですよ?」

 

 姫柊雪菜の言葉に、暁古城は思わず声を裏返した。

 

 吸血鬼の王、“真祖”。世界に三人しか存在せず、“夜の帝国”を統治する存在。一人一人が一国家の軍隊を軽々しく超える力を持ち、絶大な権力と発言力を持つ者たち。そんなバケモノが比較的平穏な極東の島国に現れたとなれば国の一大事。ましてやそれが“存在しない筈の四番目”ともなれば今すぐにでも散滅せねばと震える手で命令を下すだろう。

 だが、当の本人からすれば堪ったものじゃない。欲しくもない力とそれがもたらす厄介事とただでさえ日々悪戦苦闘しているというのに、昨日ひと悶着の後こっそり財布を拾い、その礼として今目の前で自分がハンバーガーを奢った少女は「人間扱いは勿論、生物扱いしていません」と言ったのだ。動揺しないほうが無理な話だ。

 

「本当に知らなかったんですね…」

「他の真祖のことはともかく、おれはそんな扱いされる謂われはねーぞ。第一、支配する国なんてねーし」

「そうですね」

 

 雪菜は古城の言い分に静かに頷いた。先ほどまで食していたテリヤキバーガーの包みを畳む様子は丁寧で几帳面だ。先ほども獅子王機関の何たるかを丁寧に教えてくれたことからも、先ほどの発言も悪意があって行ったものではないのだろう。正直すぎて逆に傷ついたが。

 そんなことを考えていると、雪菜が攻撃的な視線を向け、

 

「それについて疑問に思っていました。先輩は、ここで何をするつもりなんですか?」

「何って…何だよ」

「昨日妹さんに会ってきました。先輩は自分が吸血鬼であることを隠してますよね?」

 

 と指摘され、ウっとわずかに呻く。そういえば今朝(凪沙)が雪菜と出会っていたようなことを言っていたような気がする。

 

「家族にまで魔族であることを隠しているのは、ここで何か目論見が在るからじゃないんですか?例えば絃神島を影から支配するために登録魔族を自分の軍勢に加えようとしているとか。或いは自分の快楽の為に彼らを虐殺しようとしているとか───」

「待て待て!発想が豊か過ぎて怖いわ!」

 

 なんて恐ろしい、と一人勝手に上ずった声を抑える雪菜にストップを掛ける。どこか思い詰めたような様子に低くうなりながら、古城は口を開いた。

 

「───っていうか第一、俺吸血鬼になる前から島にいるし」

「吸血鬼になる前から…ですか?」

「記録でもなんでも調べてくれ。俺がこうなったのは今年の春で、島には四年前からいるんだから」

 

 雪菜は眉を顰める。どうも彼女は何か誤解をしているらしいようだ。

 暁古城は厳密には吸血鬼ではない、“元人間の”第四真祖だ。今年の春ある事件に巻き込まれ第四真祖を名乗る人物に遭遇、能力と命を奪ったのだ。

 そんな主張を、雪菜はそんなはずはありませんと首を振った。

 

「第四真祖が元人間だったなんて」

「事実そうなんだよ」

「普通の人間が途中で吸血鬼になることはありません。仮に吸血鬼に血を吸われて感染したとしてもそれは“血の従者”───疑似吸血鬼です」

「らしいな」

「だったらどうしてそんな直ぐバレる嘘を付くんですか?」

 

 ダメだこの子真面目過ぎる、と古城は頭痛を覚え始めた。事実を話しているのになぜ納得してくれないのか。

 しかし彼女の言う事もまた常識だ。通常“真祖”とは今は亡き神々の呪いを受けた最も古い始祖の吸血鬼である。この通説に則れば古城の言っていることの方が荒唐無稽だろう。

 

「普通の人間が真祖になるためには、失われた神々の秘呪で自ら不死身になるしかないんです。まさか神々に知り合いでも───」

「いねぇよ、知り合いに神様なんて大層なモン」

「じゃあどうやって吸血鬼になったんですか、吸血鬼になる方法なんて後はもう───」

 

 ここまで言って不意に言葉を切った。たった一つ、人間が真祖の力を手にする方法が存在していたのだ。それを思い出し、顔色が青ざめる。

 

「まさか…………真祖を…喰って、その力を取り込んだんですか?」

「いやそんなゲテモノ食ったみたいに言わないでくれ」

 

 畏怖の表情を浮かべた雪菜。だが古城はだらしなくコーヒーを啜った。

 融合捕食、真祖喰い──真祖を存在ごと、能力と呪いを体の内に取り込む事。自ら真祖にならずとも真祖になることが出来るが、それでも取り込んだ力に逆に取り込まれる危険すぎる手段だ。人間が真祖を喰らうなどもってのほか、実行しても真祖がその人間の皮をかぶっただけにしかならない。

 だが現に暁古城は第四真祖を取り込んだという。

 

「…言っておくけど、俺もよく分かんないんだよ。ただ俺は、あの馬鹿にこの面倒な体質を押し付けられただけだし」

「あの馬鹿…?先輩は自分の意思で真祖になったんじゃ──」

「誰が好き好んでなるかよっ」

 

 古城は投げやりな口調で言うが、雪菜は困惑の眼差しを向ける。

 

「あの馬鹿、とは…?」

「第四真祖だよ、先代の」

「先代の…第四真祖⁉」

 

 愕然として息を呑んだ。

 

「まさか、本物の“焔光の夜伯”ですか⁉先輩はあの方の能力を受け継いだとでも?どうして第四真祖が先輩を後継者に選ぶんですか?そもそもなぜあの焔光の夜伯なんかに遭遇するんですか?」

「いや、それは…」

 

 矢継ぎ早に質問されたじろぐ古城。直後、頭によぎったのは一つの光景だった。

 

 崩れた天井、照らす赤い月、燃え盛る炎、灼ける大地に立つ自分。

そして目の前に立つ、逆巻く炎のような虹色の髪と、焔光の瞳の少女────

 

 突然、激しい苦痛を受けたように顔が歪む。飲みかけのコーヒーが倒れ、溶けた氷で薄まった水っぽい中身が零れる。だが古城はそれにも気づかず、脳髄の内側から突き刺すような痛みにさいなまれた。

 まるで予想外の反応に、雪菜は狼狽えた。

 

「……先輩?」

「わりぃ、姫柊…その話は聞かないでくれ。その日のことはすっぽり忘れてて、思い出そうとするとこの様だ」

 

 顔を上げられない古城。胸を見えない杭にでも貫かれたように心臓を抑える。脳裏に浮かんだのは一人の少女、出逢ったはずの、もう顔も思い出せない彼女の笑顔が、古城の口調を弱々しくさせた。

 

「そう…ですか。じゃあ仕方ないですね」

 

 その言葉に古城は顔を上げた。見るとほっとしたような表情でこちらを見ている。余りにもあっさりとした言い様に内心拍子抜けした。

 

「信じるのか?」

「はい、少なくとも先輩が嘘をついているかどうかは大体わかりますから」

「…あぁ、そう…」

「…なんですか?」

 

 歯切れの悪い応答に首を傾げる雪菜。まるで古城が単純だと言っている言い方が引っ掛かるが、こうもあっさりと自身の言い分を信じてくれたのが古城にとっては意外だった。第四真祖になった日のことがすっぽり抜け落ちているという、聞くからに怪しい話であるのに。本当に昨日殺気を発しながら「魔・即・斬」に走った人物と同じなんだろうか、それともこの素直な部分が素なのか?

 

「こっち向いてください、ズボン拭きますから」

「え、いやいいよ、ここは」

「染みになっちゃいますよ、ほら」

 

 そういって雪菜が古城のズボンに手を伸ばす。太腿やらもっと上の部分に沁みついたコーヒーを拭かれていくが、古城は身動きできない。彼女は自覚ナシだろうが、この体制は要らぬ誤解を招いてしまうのではないか。鼻の奥にむず痒さを覚え、古城は口元を覆った。

 そんな男子高校生の葛藤を知らずか、雪菜は無防備にうなじを晒したまま、

 

「私、獅子王機関から先輩の監視を命令されているんですけど…それからもし危険と判断したら抹殺する様にとも」

「抹殺?まじで?」

 

 物騒な言葉に古城は硬直する。雪菜の口調は依然穏やかだった。

 

「その理由が分かったような気がします、先輩は少し自覚が足りません。危なっかしいというか…」

「いや姫柊も危ないっつーか、怖いっつーか…」

「私のことそんな風に見てたんですか?」

「あ、いや昨日割とキレてたじゃん…」

「き、昨日はちょっと気が立っていたというか…兎に角!今日から先輩のことは私が監視しますから、くれぐれも変な真似はしないでくださいね!」

 

 イマイチ釈然としない様子で口をもごつかせたが、仕方なしと古城は肩をすくめた。まだ全面的に信用されていないのかもしれない、色々と不安なところもあるが彼女自身は悪い人間ではなさそうだ。何もやましいこともないし、どうせ監視されるなら彼女のような人物が良いだろう。

 一応妹のことを考えこれまで通り内密にしてもらうよう頼んだところ、年相応の幼い笑顔で了承してくれたのに、古城は多少安堵出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行ったか?」

 

 二人が席を立ち、出口へつながる階段を降りていく。その後ろ姿を、窓際の席に座るサングラスの男が覗き込んでいた。逆立った短髪と黒いYシャツの下からでもわかるガタイの良さ、どう見ても怪しさ満点の風体、先ほどからチラチラと古城たちを観ていた様子は周りに不審がられていたことに戸雷尚武は気づいていなかった。

 よくバレなかったものだ、と相席していた短髪の少女はため息をついた。

 

「───行ったみたいね」

「な、なんつーか、意外というか…あんな女の子が監視役なんだな」

「何、女の子と同棲しといて、意外ぶることもないでしょ」

「もうちょいムサイオッサンとか来るのかと思ってた」

「それ、自分の事?」

「何でだよッ」

 

 杁矢薫にジト目で睨まれ、戸雷尚武二十四歳が突っ込んだ。対外的には杁矢の保護者代理人という扱いではあるが、オッサン呼ばわりされるほど老けているつもりはない。グルルルルと唸る戸雷をジト目で見ながら、杁矢はポテトを頬り込んだ。

 

「獅子王は身寄りのない子を引き取って育ててるのよ。対魔族用の戦闘員としてね」

「身寄りのないって…あんな子がか?」

「別に珍しいことじゃないわ。虐待、身売り、育児放棄…高い霊力を持った子は色々と敏感らしいし親と折り合い付かないこともあるんだって」

「だからっていいのかよ、それを政府がやって」

「私たちも似たようなもんでしょ、それが公的か私的かで。マトモじゃないのがマトモなの」

「そりゃそうだけど…少なくとも人繭体(クリサリス)の俺やあの馬鹿と一緒にするのは違うだろ」

「それは同感」

 

 顔をしかめながら、手元をまさぐる戸雷。しかし指に触れたには軽すぎる感触に凝視すると、触っていたのは空になった袋だけ。残っていたポテトを全部食われたと悟ると、忌々しげに袋を丸めて握り潰した。

 

「にしても、いきなり獅子王に喧嘩売るとか、凱の奴何考えてんだ」

 

 ここにいない三人目の同居人を思い出し、こめかみを震わせる。昨夜仕事前の夕食で「獅子王機関と揉めた」ことを洗いざらい吐かせた戸雷と杁矢は絶句、放心。またもこの男はトラブルを持ってきたのかと呆れながらも、相手は公的機関。どのような介入が行われるか分からない。聞く限りは個人の問題のようだが、保護者代理人としてしょうがないで済ませられなかった。

 そこで杁矢に頼み、慣れない尾行調査を敢行。周囲から忌避の眼に晒されながらも、相手である姫柊雪菜について何となく知ることが出来た。

 

「話の感じだと魔族の対処で揉めたって言ってたけど…確かに相性最悪ね」

「だな…アイツ無自覚で人煽るからなぁ、見るからに真面目そうだし───」

「そっちの意味じゃなくて、よ」

「どういう意味だよ」

「思い返してみなさいよ、凱の起こした最初のトラブル。多分今回もそれと同じよ」

 

 含みのある言い方に戸雷は首を傾げた。性格面での相性の悪さ以外で凱に関するトラブル、しばらくして思い至ったのか、アッと声が漏れ出た。

 正直性格面では雨宮凱とはどっこいどっこい、というのが杁矢が抱いた印象だ。妙に義理堅さを出して後輩に試験資料を恵んだり、隠し事が下手くそで今回のように自分たちにばれるところなどまさにそれだ。それだけならば誰も問題にはしないだろう、だが彼と彼女、それぞれが抱える問題が事態を容易く治めはしない。

 すっかり氷も解け、温くなったドリンクを吸い、杁矢は遠くを見るように目を逸らした。

 

「那月ちゃんに指示仰いだほうが良いわね」

 

 

────<3>────

 

「教師をちゃん付けするな」

 

 南宮那月は彩海学園高等部の英語教師である。年齢は自称二十六歳、だが外見年齢はそれよりも遥かに若いことで有名だった。

 美女より美少女、或いは幼女と言っても差し支えない彼女だが、どこかの華族の血を引いているらしく、不釣り合いな威厳とカリスマ性を以って、生徒たちからの支持を集めている。

 

「いきなり何だ」

「…いや、虫の知らせだ」

「…………杁矢か、暁か?」

「さぁな…最近の若造は年上への敬意というものを知らないから困る」

 

 突飛なことを言い出した元担任に凱は首を傾げた。一部の生徒からは人形のような見た目ゆえに「那月ちゃん」なる渾名で呼ばれている。凱も諸事情によりそれに倣っているが、当人は嫌がっており、そのような不届きものは発見され次第彼女が愛用する黒扇子を頭に受けている。

 

「今日アイツは追試だったはずだな」

「気にかかるのか…私が見たのは英語だが、せいぜい及第点。他の科目次第であるいは…という具合だ」

「…そうか」

「……何時から他人に気を回せるほど偉くなったつもりだ?自分のこともままならんくせに」

 

 ジャラリ、右腕に冷たい音が絡みつく。見ると何もない空中から生えてきた鎖が右腕に絡みつき、がっちりと固定して吊り上げた。驚いて千切ろうと力を込めるが、軋むどころかビクともしない。いきなり何だと藻掻く凱を他所に、那月は右腕を優しくなぞった。

 その所作で肌色がぬぐい取られ、露わになったのは白い紙。栞ほどの大きさにおどろおどろしい筆文字がびっしりと書かれていたのだろう、今はその大半が掠れ、意味を判別するのが難しくなっている。那月はそれを凝視し、字の羅列に込められた力を感じ取った。

 

「昨日僅かに“右腕”を使っただろう」

「今のところ問題はない」

「無暗矢鱈と使うなよ。呪符に負荷が掛かって“偽装”の効力が落ちる。もう死龍のせいでトラブるわけにはいかんだろう?」

「解っている」

 

 短い返答を聞き那月は沈黙するが、しばらくしてフンと息を吐いて鎖を外した。自由になった腕は傷一つ、文字一つない。軽く動かしても動作に異常もない、何の変哲もない腕だ。

 那月はソファに腰かけ、紅茶を一口含む。そして威厳溢れる態度でこちらを見返した。

 

「───さて、改めて聞こう。お前に死龍を使わせたのはどんな奴らだ?」

 

 彩海学園の二学期開始まであと数日。一部の生徒は部活動、又は補修で出入りしているが、凱が学校を訪れたのはそのどちらでもない。南宮那月と雨宮凱の共通の肩書、“攻魔師”によるものだ。

 魔族特区内の教育機関には、生徒保護の為、一定の割合で国家攻魔官の資格を持つ者を職員として配属することが条例で義務付けられており、那月もその一人だ。そして凱も、学生という身分ではあるが、彼女の1年間の指導の下で今年の春に仮免許を取得した。

 そんな二人が話題とするのは、昨夜の違法薬物売買組織の摘発時の出来事──魔族襲撃事件の主犯についてである。

 

「二人組、人間の大男と小柄の少女。男は武装していたが、魔族と闘い慣れている」

「顔は?」

「短く刈った金髪、目は青、頬が少しこけてキツめの印象だった。多分欧州辺りの生まれだ」

「武器は?魔族相手に素手ではあるまい」

「半月斧。」

 

 身体的特徴を思い返し、一つ一つ挙げていく。日本に限らず、各国の魔族特区には種族、国籍、職種問わず様々な人間が入り乱れて生活している。十人十色、千差万別、数多要る存在の中から特定の二人を探すのは時代を経ようと難しい。何時だって目撃証言は重要な手がかりなのだ。しかし、

 

「少女の方は?」

「───眷獣を使っていた」

 

 かなり長い間を置いてそうつぶやいた。が、間を置き過ぎた。

 

「何があった」

 

 那月の睨みに一瞬戸惑う。

 凱はどうすれば良いか言いよどんだ。片割れの少女から感じ取ったのは酷く直感的なことで、理屈っぽい根拠はない。勘だけで判断し、動くことは出来ないのが集団でありチームだということは特区警備隊と、そして杁矢たちと行動を共にして嫌というほど身に染みた。

 

「取り敢えず言え、判断は私が下す」

 

 だが那月は苛立たし気に手招きする。自身の教育係がこういうのだから言うべきだろう、凱は意を決して思ったことを言い放った。

 

「宿主は…前に教えてもらった“人造生命体ホムンクルス”に似ていた」

 

 凱の口にした言葉に、那月が目を細める。無理もない、常識的にはありえないことだ。

 

「ではお前は、“人造生命体が眷獣を操った”とでも言いたいのか?」

「そうだ」

「眷獣を使えるのは吸血鬼だけだ。見間違う、ほどヤワに鍛えた覚えはないぞ」

「だが眷獣と宿主の気配が釣り合っていなかった」

 

 眷獣は現世に降りる際には宿主の力、純粋な魔力の塊で体を構成する。強力な眷獣ほど呼び出すために膨大な魔力を消費するため、宿主である吸血鬼は悠久の時を生きる生命力と相応の魔力が必要となる。つまり眷獣の強さは宿主の強さに比例しており、宿主格付け基準でもあるのだ。

 しかし昨夜の少女には魔力の濃度も薄く、量も多くは感じられなかった。不死の体を持つ吸血鬼を魔力枯渇に追い込めたというのに、だからこそ余計に接近した際に気配の濃さの隔離が激しく思えた。同時に彼女の体から薄っすらと嗅ぎ取れた、人造生命体用の薬品のニオイも。

 

「それに…この街の魔族を狙う人間が魔族の力を借りるのは違和感がある」

 

 凱はもう一人の男の、あの質素な風体を思い返す。男の口ぶりからして魔族を狩ることが目的、毒を以て毒を制すという考え方もあり、凱も理解しているが、男にこの思想を当てはめるには違和感を感じた。

 男から感じられたのは無法に悦を見出す魔族への確かな侮蔑、同時に自分を気遣う清廉された気高さ、所謂僧侶や神父のような神に仕える者特有の気配。那月の下でわずかながらも鍛え上げられた直感が、男と手段のミスマッチを告げていた。

 物思いに耽る凱を那月が正面から覗き込んだ。青く澄んだ瞳に見つめられ、凱も鋭く黒い眼で見つめ返す。数刻のにらみ合いと沈黙が流れ、先に目を逸らしたのは那月。フンと鼻を鳴らして机へ戻った。

 

「わかった。混乱を招きかねんが…これで少しは進展するだろう」

「…どういうことだ」

 

 那月の言い方に疑問を浮かべる。この物言いは今回の魔族襲撃事件が以前にも起きていたかのような言い草だ。那月は机の中から一つのファイルを取り出し凱へ投げつけた。

 宙で半ば開き、中身が見えたファイル。危なげに掴んだその内容は、幾人の凄惨な傷を負った者たちの写真と現場検証の報告書。添付された写真に写る者たちは、ほとんどが大振りの刃物でバッサリ切り裂かれているか、鉄球でも受けたかのような打撲まみれだ。そしてその全員が、腕に魔族登録証を付けている。

 

「ここ二か月ばかりの間で、警察が把握しているだけでも五件。今回で未遂だが六件目…全員相手は魔族だ」

「同一犯、という事か」

「既に大手企業に所属している魔族にも注意喚起は促しているが…狙われたのは聞かない奴ばかりだ」

 

 呆れたように目を背ける那月を背に、資料に目を通す。どうやら魔族襲撃事件は以前から起きていたらしい。標的にされたのは条約違反などを起こした所謂犯罪者の類の連中で、一般の魔族に被害は向かってはいない。しかしこれ以上の被害を防ぐため、無辜の市民にその矛先が向かう前に捕縛しなくてはならない。那月は凱へ向き直った。

 

「そこで、今回お前と杁矢には罰則ついでにやってもらいたいことがあるのだが…」

「罰則?」

「──知らんとでも思ったか?獅子王の小娘と揉めたそうだな。今朝がた“報連相”のしっかりとした生徒から聞いた」

「…暁から聞いたのなら、杁矢は関係ない」

「連帯責任だ、そう思っておけ」

 

 不遜な物言いに、凱は不満げに声を上げた。あの問題は飽くまで自分個人が引き起こしてしまったもので、杁矢たちは今そのせいで動いているのだ。しかし抗議の声を流して、那月が1枚の写真を取り出す。仕立ての良い服を着た男が移り込んでいる。

 

「表向きは貿易会社の役員だが、特区警備隊は密売組織の幹部ではないかと目を付けている。」

「この男を張れ、ということか?」

「今は情報が少ない。外見は分かっているとはいえ限度もある。地道に張って待つしかない。口惜しいがな」

 

 眉間にしわを寄せた那月を見て、凱はファイルを閉じた。“現時点”では一般人を囮に使わなければならないほど、相手の潜伏能力は高いらしい。

 凱は席を立ち、生徒指導室を退室しようとドアに手を掛けた。

 

「今日から張り込む。戸雷には伝えたから早く帰って飯を食っておけ」

「解っている」

 

 ガラリと閉まる戸越しに返事をした。校舎に差す、日はまだ高い。

 

────<4>────

 

 絃神島南地区、住宅街の中では見晴らしのいい立地に建てられた九階建てのマンション。世界最強の吸血鬼・暁古城は居を構えているのは、その七階の四号室である。

 彼が起きる頃には日はとっくに登り切り、今日の津市に間に合うか否かというギリギリの具合だった。元々夜型だった古城だが、吸血鬼になって以降はさらに悪化し、朝起きても頭が回らず遅刻と欠席を繰り返していた。お陰で貴重な夏休みを補習と追試で潰してしまったわけだが。

 夏休み最後の一日、まだ追試四教科とハーフマラソンを残している状況であっても寝覚め具合は特に変わらず、怠惰ながらも妹からの説教をちょっと恐れる平凡な日々が続いていくと思っていたが、そんな日常もここ数日で変化が生じ始めた。

 

 姫柊雪菜、自身の監視という使命を帯びた国家公認ストーカーである彼女が隣の七〇五号室に引っ越してきたのだ。そういえば隣の住人が急に引っ越していったが、どうも獅子王機関の根回しによるものらしい。ちゃんと立退料は払ったらしいが、自分のせいで隣人が引っ越していってしまったのはどこか心苦しかった。

 業者に運んでもらった少なすぎる荷物を部屋に入れ、足りない日用品を買いそろえる為ホームセンターへ向かった。が、雪菜は今まで来たことがなかったのか、ゴルフクラブをメイスと間違えたり、チェーンソーを武器と警戒したり、果ては洗剤から毒ガス生成を連想し始めたり。

 あらかた買い物を終える頃にはすっかり古城は消耗しきっていた。一方の雪菜は随分と楽しそうだったが。

 

「そういえば支払いの方は大丈夫なのか、姫柊?結構買い込んだみたいだけど」

「はい、必要経費を前払いしてもらった支度金がありますから」

 

 なるほど、と古城は納得する。見習いとは言え見知らぬ土地に攻魔師を送り込むのだから、それぐらいの待遇はあるのだろう。

 

「それっていくらぐらい出るんだ?」

「一千万です」

「いっせ…!?」

「第四真祖が相手だから、いつ死んでも悔いが残らないようにしておけと経理のおばさまに言われたのですけど…」

「俺のせいか!その大金は俺のせいなのか!?」

 

 余りにも莫大な額に力なく頭を振る。危険な任務だから、という理屈は解るが、実害を被っているのは自分のハズだ。なぜ変な槍で脅して私生活を監視してくる方の懐が潤うのか。暁古城は叫んだ、納得いかねぇ、と。

 雪菜はこの嘆きを勘違いしたのか、

 

「すいません先輩、荷物はこぶの手伝ってもらったりして」

「いや、それは別にいいんだが。姫柊一人じゃ持てないだろ」

「はい、先輩が一緒で助かりました」

 

 雪菜がそう言って微笑んだため、古城は黙って肩をすくめた。古城がぶら下げている袋の中身は雪菜の日用品。寝室用のカーテンにバスマット、トイレのスリッパ、コップと歯ブラシ、マグカップ。まるで同性開始直後の学生カップルのようだ。そして二人がモノレール乗り場に辿り着いたとき。

 

「────古城?」

 

 目の前で誰かの驚く声がした。名前を呼ばれた古城が反射的に顔を上げると、人目を引く華やかな女子高生が二人。見知った顔だ。

 

「浅葱?と先輩か…あれ?二人共家こっちじゃないよな?」

 

 藍葉浅葱と杁矢薫、この組み合わせを見ることは割と珍しくない。だが気になるのは視線、杁矢は後輩君じゃーんと笑顔で手を振っているが、浅葱は警戒したようにこっちを見ている。

 

「うん、バイトの帰りにバッタリ遭遇しちゃって…」

「…で、あたしはこれから夜勤のバイト。なんかレポート見せようかなって思って、たん…だ、って」

 

 杁矢も気づいたのか語尾がどんどん小さくなっていく。浅葱が見ているのは古城、の手に握られた生活感のある大荷物。そして浅葱は隣の雪菜に目を剥ける。

 

「──で、誰その子?」

「ああ、姫柊か。えーっと、今度ウチの中等部に入ってくる予定の転校生」

 

 古城は気軽な口調で答えた。幸長初々しく頭を下げる。浅葱はそんな雪菜を見て、 

 

「どうしてその中等部の転校生と古城が一緒にいるわけ?」

 

 古城は思わず口ごもった。雪菜が古城と一緒にいる理由、国の特務機関から派遣された監視者であるということは秘密にするという約束なのだ。しかし咄嗟に言葉が出て来ない。そんな古城に、助け船を出したのは浅葱の横にいた杁矢だった。

 

「もしかして、妹ちゃんの知り合い?」

「そ、そう!そうなんすよ!こいつ姫柊は凪沙のクラスメイトなんだよ」

「凪沙ちゃんの?」

「ああ、何か転校の手続きに来た時に、凪沙と知り合ったみたいで」

「それで古城は凪沙ちゃんにその子を紹介してもらったってわけ?」

「まぁそうかな」

 

 あながち間違いではないので適当に流していく。するとやり取りを聞いていた雪菜がハッとした表情を浮かべた。

 

「綺麗な子だよねー」

「ああ…って凪沙も言ってた」

 

 浅葱が古城に顔を寄せ、小声でつぶやく。口元が笑っているのに目だけ笑っていない。古城は危うく素直に同意しかけたが、目つきに気づいて慌てて言葉を付け足した。浅葱は作り物めいた笑顔のまま古城から離れた。

 

「浅葱?」

「じゃ電車きたからアタシ帰るね」

 

 丁度モノレールが駅に到着したころだった。だが古城たちもマンションとは逆方向である。

 

「世界史のレポート見せてくれるんじゃなかったのかよ?」

「そのつもりだったんだけど、どっかに忘れてきちゃったみたい」

 

 慌てて呼び止めるが、浅葱の怒気を孕んだ笑顔に強い意志を感じ取った。明日、きっちり説明してもらうわよ、と。

 すこし理不尽と思い声を掛けようとした古城だが、ポンと肩に手を置かれて止められた。振り返ると杁矢が隠し切れない苦笑を片手で覆っている。

 

「うん、どんまい」

「いや何がっすか」

 

 ドンマイじゃなくて普通に成績の危機なんすけど、と言い返そうとするが、その前に杁矢は閉まりかけのドアに滑り込んでしまった。二人共雪菜にだけは笑顔で手を振り、去っていった。

 

「すみません、先輩。私のせいで誤解されてしまって…」

「誤解?…いやぁ、ないないアイツはただの男友達みたいなもんだから」

「先輩…」

 

 何故か雪菜から責めるような視線を向けられながら、古城がマンションに帰り着いたのは夕方を過ぎたころだった。エントランスをくぐると、部活帰りなのに普段の暁家では見ない食材を詰めた荷物を持った凪沙と遭遇した。曰く、

 

「引っ越してきたばっかで、ご飯の支度なんて出来ないでしょ?」

 

 と雪菜の歓迎会も兼ねて寄せ鍋を作るらしい。少しの思案の後、お言葉に甘えますと雪菜も了承し、凪沙の準備の間、二人は古城の自室で残りの宿題に始末をつけることになった。

 

「ごめんね、雪菜ちゃん。古城君の事よろしくね、出来の悪いお兄ちゃんですけど」

 

 一方的にそう言って自宅へ連れていく凪沙の後ろを、渋顔でついていく古城。年上の威厳もあったもんじゃない。

 自宅に上がり、凪沙がエプロンを付けている間に入った古城の部屋は、片付け魔の凪沙が隙あらば部屋に入り込んでは整頓しているので、元々殺風景な部屋とは言え女子に見せて恥ずかしくないほどには綺麗だ。

 

「これ…先輩ってバスケ部員だったんですか?」

 

 古雑誌を突っ込んだ隙間だらけの本棚に置かれたアルバムに気づいて、どこか意外そうに雪菜が聞いてくる。アルバムには中学時代に古城が所属していたバスケ部の記録だった。ゴルフクラブの事を戦槌と勘違いしてたのに、と茶化すと雪菜は口をへの字に曲げた。

 

「都大会準優勝って立派な成績ですよね」

「昔の話だけどな」

「それなのに先輩がバスケをやめたのは、第四真祖の力を手に入れたからですか?」

 

 そう言って雪菜が真剣なまなざしで見つめてくる。思い返せばあれからもう1年か、古城は面倒臭そうに首を振った。

 

「この体質は関係ねーよ、やめたのはその前だし」

「だったら、どうして?」

「別に大したことじゃねーよ。部活は一人じゃ出来ないってことを俺が分かってなかっただけ。要するに部内で孤立してたんだよ」

 

 あっけらかんと語った古城に、雪菜はエッと声を上げた。

 

「あの頃の俺は、自分一人で何とか出来るって思ってたんだ。実際途中まではそれで何とかなってた。所謂ワンマンチームってやつ。優秀選手にも選ばれたりもしたし、調子乗ってたのかもしれない。そんなうまくいくわけないのにな」

 

 苦笑する古城。気だるげにベッドに倒れ込み、天井を見上げると当時を思い出すような気がした。

 きっかけは中学最後の大会。地区予選での古城の負傷だった。敵チームの執拗なファウルを受け、退場を余儀なくされてしまったのだ。幸いにも得点は大きくリードしていたし、怪我自体も舞したものではなかった。このまま勝ち上がれば次の試合に行けた。

 だが古城がいなくなった瞬間、チームの士気は崩壊した。

 たちまち相手チームに逆転を許し、大量リードの末に敗北を喫したのだ。その一部始終を古城はベンチから、ただ茫然と見ていた。それ以上に──。

 

「他の皆が負けをすんなり受け入れてたことがショックでさ…」

 

 古城はそういうと肩をすくめた。

 

「で、気づいたんだよアイツらの気力を奪ってたのは俺なんだって自分で本気出さなくても他の誰かが勝たせてくれるって思わせちまった。」

 

 そして古城は部活をやめた。引き留めてくれる仲間もいたが、古城はもう彼らとバスケをする気持ちはなかった。これ以上自分といれば彼らの為にならないと思ったのもそうだし、既に心が離れていた。

 話を聞いていた雪菜が、生真面目な口調でこう言った。

 

「それは、先輩だけのせいじゃないと思いますけど…」

「ああ、別にそれはいいんだ。俺が勝手にやる気をなくしただけだし」

 

 おどけたように言う古城だが、だけどと前置きして犬歯を剥いた。その眼は普段とは違い、赤く染まっている。

 

「第四真祖とかいう、このふざけた体質を押し付けられた時に俺も少し考えたんだ。この力を使えば、きっと今の世界が抱えてる問題のいくつかは解決できる。凶悪犯罪者をぶっ潰したり、汚職政治家を消したりさ」

「先輩それは…」

「わかってる。それじゃダメなんだって。他人より力を持ったからって俺みたいなやつが勝手な思い込みで世界を動かして言い訳がねー。……一人で騒いで突っ走って、いろんな人に迷惑かけることもあるしな」

 

 その言葉を聞いて、雪菜は安堵した。そして何かに気づいたように眉を潜ませ、

 

「先輩が吸血鬼であることを隠して、普通の人間として過ごそうとしているのは、それが理由ですか?」

「吸血鬼の力なんて欲しくもねーし、出来ればそんなものに関わりたくねーよ。はっきり言ってこの力は俺の分を超えてる。扱いきれる自信はねー」

 

 曖昧に頷いた古城。雪菜は同情しながらもどこか冷めた目で見ていた。

 

「でも、それは……先輩が何もしない言い訳ですよね?」

「……あれ?そういう評価?俺良いこと言ったつもりなんだけど」

 

 古城は傷ついたような表情を浮かべて起き上がり、雪菜はクスりと笑った。

 

「でも、本当は少しだけ見直しました」

 

 古城の教科書を出して机に広げる。丸暗記はダメ、基本的な公式を抑えましょうと家庭教師みたいなことを言い出した雪菜は少しだけ楽しそうだった。

 

 

────<5>────

 

 凪沙が用意した夕食は軽く七~八人分はあったが、古城達三人は旺盛な食欲を発揮し、あっという間に完食。〆のおじやも汁まで平らげた。

 満腹満腹とキャミソール姿でソファに寝転ぶ凪沙に、呆れながら古城は部屋着にパーカーを羽織った。腹いっぱいの夕食に古城も満足なのだが、同時に眠気が襲ってきたのだ。まだ起きて残りの宿題を済ませておかなければならないので、眠気覚ましにコンビニに向かおうと考えた。

 それならアイス買って来て!この前のヤツ!とせがんできた凪沙の頼みを聞きながら靴ひもを結ぶ。下っ腹が出るんじゃないかと指摘するも大きく頬を膨らませ抗議されてしまい、自覚があるんじゃないかとは思いつつも、後片付けもやってくれたし…と玄関を出た時だった。

 

「──こんな時間に何処へ行くんですか、先輩?」

 

 目の前に雪菜が立っていた。思わぬ登場に驚く古城だが、雪菜の髪から水が滴り、素肌の上から制服のブラウスを羽織っている無防備な状態だ。恐らく風呂に入っていたところ古城の外出を察知して慌てて出てきたのだろう。真面目過ぎるというか、そそっかしいというか、まさかその格好のままついてくる気なのか?古城が尋ねると

 

「監視役ですから」

 

 と言いつつもじもじしていたので、髪を乾かし身支度ができるまで待つことになった。空の星を数えながら吸血衝動を起こさぬよう抑えていると、準備が出来た雪菜が制服姿にギターケースを背負って現れる。今度服も買いに行こう、そう考えている自分に嘆息しながら、二人はエレベータを降り、夜の南地区へ繰り出した。

 

「さっきは悪かったな、疲れたろ」

「え?」

「夕食の時。凪沙が騒がしくて」

「いえ、楽しかったです。お鍋もおいしかったですし」

 

 古城の問いかけに雪菜は少し照れたように微笑んだ。

 

「それならよかった。昔は交代でやってたんだけど、凪沙の方が断然うまくてな」

「いいですね、兄妹って。私には家族がいないので憧れます」

「…家族がいない?」

 

 何気なく雪菜が口にした言葉に古城は言葉を失った。

 

「高神の杜にいるのは全員孤児なんです。全国から素養のある子どもを集めて、攻魔師として育成する組織ですので」

 

 予想以上に重い身の上話を語る雪菜だったが、差したる感傷を見せなかった。攻魔師になるために育てられた、まるで────言葉が出て来ない。

 

「…でも家族がいなくて寂しいとかそういうんじゃなくて。スタッフの皆は優しくしてくれましたし、剣巫の修業も嫌ではなかったので」

 

 だが、そういう彼女の言うことは信じられた。以前彼女が見せた技の数々は、イヤイヤ習得して出来るものではない、彼女が歩んできた努力の結晶なのだろう。

 

「剣巫ってなんだ?」

「高神の杜に仕えている攻魔師のことです剣術を修めた巫女、という意味だと思いますけど…」

「じゃあ、姫柊も占いとかできるのか?」

「形だけは。あまり得意ではないんですけど」

 

 自身無さげに言う彼女を見て、古城はどことなく納得した。確かに偏見だが、堅苦しい儀式は苦手なように見える。「魔・即・斬」していたところからも、もう少し動物的な本能や直感で動くタイプだと思う。とか考えていると雪菜が心を見透かしたようにこっちを見て来た。

 

「私、霊感霊視はそれなりに出来ますから、嘘ついても無駄ですよ」

「え!?やっぱイヌっぽい…あ」

 

 古城の失言のせいで機嫌を損ねられたが。

 そうこうしているうちにコンビニに近づいて来たが、その途中で足を止めたのは雪菜の方だった。止めたのはゲームセンター、店頭のクレーンゲームの筐体の中の猫のマスコット。そういえば初めてあった日にシレっと持って行ったぬいぐるみもあのような見た目だったはず。恐らく好きなのだろう。

 せっかくだし、と古城はゲーム機に金を投入した。凪沙の無茶なクエストに付き合わされ、幸いにも腕には自信がある。ひっかけやすい位置にアームを持っていき、正確に降下。狙い違わずマスコットを挟み、取り出し口へ持ってゆく。二人は息を殺して、出口から降りてくるのを待っていた。

 

「お前達、彩海学園の生徒だな、こんな時間に何をしている?」

 

 背後から舌足らずな声が聞こえて、思わず硬直する。筐体のガラス越しに背後を見ると、古城がゲッと呻いてしまった。常夏なのにフリルドレス夜中にも拘らず日傘、恐らく生徒指導の為の見回りなのだろう、間違いない、南宮那月だ。

 ふと隣を見ると雪菜も青ざめた表情で硬直している。まずい、既に時刻は日をまたいでいる。店頭とは言えゲーセンで遊んでいるのは条例違反である。言い訳のしようがない。

 じりじりと、その癖楽しそうに那月がこちらに近づいてくる。背中に流れる汗の冷たさに何とかしようと頭を回す。その間にも距離は縮まり、振り向かぬならばとあちらが何か言いだした、その時。

 

 轟音。人工島が揺れた。

 

「っ…姫柊走れ!」

「あっ…はい!」

「待て!」

 

 一瞬音の方へ那月の注意がむいた隙に、古城が雪菜の手を引いて駆けだす。雪菜も手を握り返し、二人で那月の張った結界を越えて行く。即席だったからか結界は意外と脆く、気合で簡単に砕くことが出来た。最早那月に追う術はない。

 覚えていろ、捨て台詞か聞こえるが、それも鳴り響き続ける轟音に消されていく。風に乗って感じる破壊の余波を受け、古城は呻いた。これを引き起こしているものを知っている。

 

「先輩、あれって…」

「眷獣、だよな…それも結構大物の」

 

 人工島の岸壁まで走り抜けて、雪菜が止まった。ほとんど息を切らしてはいないが、顔が僅かに赤い。古城の手を握り続けていたせいだろうが、それでも雪菜は手を放さなかった。

 二人の上で、大きな火球が落下し、爆風が襲う。嵐の夜のように海面が激しく波打ち、足元がきしむ。

 一瞬だけ見えた漆黒の妖鳥が浮かび上がっては地に消えていく。間違いなく、濃密な魔力の塊である召喚獣。それも数日前雪菜が戦った妖馬とは違う、比べ物にならない。恐らく操るのは“旧き世代”と称される部類の存在だ。

 

 場所は東地区の倉庫街。ほとんど無人のハズだがすでに大規模な工業火災程度の被害が出ているのは遠めでも解る。にも拘らず未だ爆発が起き、妖鳥が見え隠れしているのは、“旧き世代”の吸血鬼と競り合う事の出来る“何か”がいる。途轍もない非常事態だ。

 息を呑む古城の横で、雪菜は唐突にギターケースを降ろした。

 

「先輩、すみません。先に自宅へ帰ってもらっても良いですか?」

「は?…姫柊は」

「何が起きているのか調べてきます。安全が確認出来たら、すぐ戻りますので」

「ちょっと待て、姫柊が行くなら、俺も…」

「何を言っているんですか。先輩はご自身の立場を考えてください」

 

 ケースに突っ込んだ手を掴み、止めようとする古城だが、逆に掴み返され優しく解かれる。彼女の眼差しは呆れと厳しさが同居していた。

 

「先輩は第四真祖で、相手は吸血鬼なんですよ?」

「ああ、そうだけど」

「先輩がもし戦いを止める為にあの場に行ったらどうなると思いますか?第四真祖が他の吸血鬼に攻撃すれば大問題です。逆に相手に憑いたら、それはそれで揉めます」

 

 思わずウっと口ごもる古城。しかし彼女のこれからしようとしていることを思い返し、負けじとにらみ返した。

 

「じゃあどうすりゃいいんだよ!?」

「だから先輩は何もしなくていいんです。むしろ邪魔なのでさっさと帰ってください。こういう危ない目に遭わせないためにも、私がいるんですから」

「だったら、俺がそういうことしないように側で見張ってろよ…」

「そうしたいですけど…けど、あそこに先輩の知り合いが巻き込まれているかもしれないのに…」

 

 雪菜の冷静な指摘に、古城は思わず沈黙した。あの規模の戦闘だ。幾ら市街地から離れていると言っても、民間人が巻き込まれているとは限らない。その中には自分の顔見知りがいるかもしれない。

 

「ですから私が行きます。任務の一環です」

「なんで姫柊がそこまでするんだよ。街の治安維持なら特区警備隊の────」

「眷獣が暴れまわっている戦場に近づけませんよ。攻魔師以外は」

 

 きっぱりと言い切る雪菜は、銀槍を取り出した。柄を伸ばし、小気味イイ音とともに、刃が両側に展開する。対真祖戦を想定した《雪霞狼》なら、“旧き世代”程度など容易いだろう。

 それでも、雪菜を留めたい古城に雪菜は儚げに微笑んだ。

 

「ですから、先輩は凪沙ちゃんの側にいてあげてください」

「え…」

「聖域条約にも、魔族の自衛権は保障されています。家族や守りたい人の為に力を行使することは問題ないんですから」

 

 古城が呆けている隙に雪菜は駆けだす。断崖から飛び降り、貨物運搬用モノレールの上に飛び移る。モノレールの行き先は東地区、これで距離を短縮できるはずだ。

 倉庫街のあちこちで火災が起きていた。街灯の消えた街で、燃え盛る炎が明るく照らしている。漆黒の夜空も、その中に溶けるように黒い妖鳥も。

 翼長は軽く十メートルは越えている、時折溶岩のような琥珀色に輝いては、その輝きを地面に向けて落としている。地上には宿主だろうか、仕立ての良い背広に身を包んだ吸血鬼が見える。30代ほどの外観をしているが、恐らくは倍以上の時を生きているはずだ。

 ガクン、左右に大きく揺れながらモノレールが停止する。恐らく送電装置も火災にでやら手のだろう、ここから先は徒歩だ。雪菜はモノレールから飛び降りて再び駆けだした。

 

「あれは…」

 

 現場に近づくほど、事の異様さが如実に浮かび上がってくる。あの規模の眷獣が攻撃を繰り返しているのに一向に戦闘が終わらない。吸血鬼の頬に汗が伝い、血の気が引いていく。

 目の前で妖鳥が堕ちた。苦悶の表情を上げ、胴から鮮血のように魔力が噴き出す。傷口に埋め込まれていたのは半透明の巨大な“腕”。妖鳥と同じく魔力の塊、だが雪菜はその様相に違和感を感じ取った。既に妖鳥は実態を保てず霧散しかけている。だというのに“腕”は妖鳥をむさぼるように蹂躙をやめなかったのだ。

 

(魔力を喰っている!?魔力を喰う眷獣なんて…)

 

 いる筈がない。そのような特徴を持つ眷獣など。

 そして更に驚愕したのは“腕”の眷獣の根本。“腕”を操っているのは雪菜よりも小柄な少女。素肌の上からケープコートを纏った、人工的な美しい顔立ちの、藍髪の少女────。

 

「…人工生命体(ホムンクルス)!?どうして…」

 

 呆然とする雪菜の背後で何かが落ちた。振り返ると妖鳥の宿主が血の海に沈んでいる。右肩から裂け、胸にまで届く傷から血を吹き上げる。人間ならまず生きてはいないし、吸血鬼とて生存を怪しむ傷、幸いにも“旧き世代”だからかまだ息はあるようだが、傷が一向に直る気配がない。

 ただの裂傷ではない、呪力の籠った一撃が吸血鬼の再生を阻害している。こんなことが出来るのは自分と同じ攻魔師、又は祓魔師と呼ばれる人種のみ。だが彼らが市街地で私闘など許されるはずがない。

 

「目撃者…いえ攻魔師ですか。やはり若い…魔族の仲間ではないようですね」

 

 低い男の声に、雪菜は槍を構える。燃え盛る炎を背にして立っていたのは目算百九十は超えるだろう大男。手にした半月斧から血が滴り、装甲強化服を纏った法衣は地で濡れている。雪菜は男を睨みつけた。

 

「今すぐ戦闘行為をやめてください。行動不能な魔族に対する一方的な虐殺行為は攻魔特別措置法違反です」

「魔族におもねる背教者たちの定めた法に、この私が従う道理があるとでも?」

 

 蔑むように雪菜を眺めた男は斧を振り上げる。吸血鬼に止めを刺すつもりだ。

 

「《雪霞狼》ッ」

 

 戦斧を、ギリギリのところで受け止める。戦斧を弾かれた男は驚嘆、すぐさま距離を取り、雪菜へ向き直った。

 

「これは…七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)!かの“神格振動波駆動術式(DOE)”を刻み込んだ、獅子王機関が保有する秘奥…!」

 

 片眼鏡が赤く輝き、情報を映し出しているらしい。男は槍を、雪霞狼を構えた雪菜を見て歓喜の色を浮かべた。

 

「いいでしょう、相手にとって不足なし。ロタリンギア殲教師、ルードルフ・オイスタッハが手合わせ願います」

「ロタリンギア!?どうして西欧協会の祓魔師が吸血鬼狩りを────」

「我に応える義務はナシ!」

 

 男────オイスタッハが地を砕き、猛然と加速する。先ほどの距離の取り方と言い、巨躯に似合わない猛スピード。装甲車すら引き裂けるだろう速さ、だが雪菜にはその動きが“視える”。

 紙一重で躱し、反撃。旋回視野槍がオイスタッハの右腕に迫る。回避不能、オイスタッハは装甲で受け止める。呪力同士の激突が青白く発行し、やがて押し負けたのは砕け散った装甲の方だった。

 

「我が聖別装甲の防護結界を、一撃で…!素晴らしい」

 

 装甲の破片を観て、オイスタッハは満足げに舌なめずりをする。その隙に距離を取った雪菜は警戒心を強めた。この男はこの街に、巨大な役債を運び込むに違いない、直感がそう告げていた。

 

「──獅子の神子たる、高神の剣巫が願い奉る。破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神意をもちて我に悪神百鬼を討たせ給へ!」

 

 厳粛に唱えられた祝詞に雪霞狼が応えるように光を放つ。槍によって増幅された波動がオイスタッハの表情を歪めさせる。

 疾駆。閃光のように突き入れられた銀槍を、戦斧で迎え撃つ。

 

「ぬぅん!」

 

 斧越しに伝わる衝撃に、オイスタッハは目を見開いた。小柄な少女から放たれた一撃は、並の獣人などでは話にならない。全身の強化鎧が軋み上げ、関節が悲鳴を上げる。

 だが一撃では終わらない。防御不能の突撃の嵐が、反撃を許さない。相手の動き、次にどう動くか、研ぎ澄まされた霊視による未来予測により退路を断ち、力で劣る雪菜はオイスタッハの先を行く。そして一撃、雪霞狼の連撃に耐えきれず、戦斧がひび割れ崩壊した。その瞬間、雪菜の猛攻が停まる。直接攻撃、一瞬ためらってしまった、故に。

 

「この力、この速度…これが獅子王機関の剣巫…素晴らしい。確かに見せてもらいました」

 

 この隙が命取りとなる。

 

「やりなさい、アスタルテ!」

命令受諾アクセプト執行せよ(エクスキュート)、“薔薇の指先(ロドダクテュロス)”」

 

 オイスタッハが跳躍、代わりに前へ出た無機質な声が応じ、虹色の腕が雪菜に迫る。雪菜は雪霞狼で迎撃、魔力と呪力が交錯し、耳障りな音を立てる。

 僅かに苦悶し、だが押し勝ったのは雪菜。“薔薇の指先”と呼ばれた眷獣の腕を切り裂き、徐々に力を削っていく。ダメージのフィードバックか、苦悶の表情を浮かべていたが、やがて、

 

「ああああああああ────!」

「しまっ────」

 

 絶叫と共に、アスタルテの背中からもう一つの拳が現出する。二体いた、違う、二対で一体なのだロウがどうでもいい。少なくとも右腕に穂先を突き立てた雪菜に左腕を防ぐ術はない。旧き世代を蹂躙する力を持つ眷獣に、生身の人間など紙より脆い。優れた剣巫故に、迫る死を直感した。

 覚悟の時間などない、頭に浮かぶのは見知った少年の顔。何時も気だるげな彼だが、自分が死んだら悲しむのだろうか。もしそうなら、と心が熱くなった時。

 

「姫柊ィ────!」

 

 思いがけない距離からその声が聞こえて来た。

 暁古城が拳を握り締め、眷獣へと振りかぶる。単純な動き、何か考えがあるわけでもない。ただロドダクテュロスと古城の拳がぶつかり合おうとして────

 

 頭上から舞い降りた“死”が、爆発した。

 

 地面を抉り、巨大なクレーターを作る。衝撃に吹き飛ばされ、雪菜が地面を転がった。何が起きたのか、いやそれよりも頭に浮かぶのは古城の事だ。どうしてきてしまったのか、あれだけ注意したのに。

 

「何やってるんですか、先ぱ────」

 

 どうしてここへきてしまったのか、詰問しようと顔を上げた瞬間、一瞬にして頭が冷えた。

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 眼前に広がるのは血、否肉、或いは骨だったもの。それらがないまぜになって、コンクリートに刷り込まれるように広がっている。ただ人と分かったのは中央、古城だったらしい頭部が落ちていたから。

 

「そんな…………先輩…………いや、っ………ぁ」

 

 顔半分が削れ、光を失った古城の眼と眼が合い、心臓を掴まれるように死を実感する。身近な人の死を、雪菜は経験したことがない。ましてや全身を潰されるなどという凄惨なものは余計に。

 槍が落ちる、だが拾えない。足がすくむ、もう立てない。これまでの毅然とした姿が嘘のように鍛えられた正義は陥落し、かつてない恐怖の津波が雪菜を暗闇へ呑み込み────

 

 

 

「大丈夫ッ!しっかりして!私が判る!?」

 

 

 

 頬の痛みに暗闇から戻される。気づくとそこには一人の女性。白のインナーに黒のボディーアーマーを纏った精悍な面持ちだが、どこかで見覚えがある。だが自分の知る彼女とは雰囲気が余りにも違い過ぎて、辛うじて炎で明るく照らされた髪色で判別できた。

 

「あ、貴方は…藍葉先輩と一緒にいた…」

「杁矢薫。覚えててくれたんだ」

 

 どうしてここに、問う前にうめき声が聞こえた。振り向くと、古城が背中をさすりながら痛みに悶えている。全身擦り切れているが、ミンチにされていないし、顔の両側在る。雪菜は辺りを見回すと、血の染みは無くなっていた。

 

「先輩!なんでここにいんの!夜勤のバイトじゃないんすか?」

「うん、だから夜勤のバイト中よ、今」

「こんなところ来るバイトなんてあるかっ!怪しすぎるわ!」

 

 あっけらかんと告げた杁矢に古城は思わず反論した。炎も燃え盛る場所で、吸血鬼が暴れているような所に飛び込む大それたバイトなど、どこの求人誌にも載っていない。精々浅葱のような管理公社のプログラミングぐらいだろう。まさか彼女も獅子王機関とかいうんじゃなかろうか、一抹の不安が古城の中によぎるが、雪菜は依然呆けた様子でいるため、どうやら違うらしい。

 

「ウソ……でも、いま、確かに先輩が」

「死んでるのが視えた?」

「……………はい、眷獣に潰されて…首が、あそこに」

「死の幻覚…思いっきり影響受けてんじゃん…ちょっと凱!もう少し武氣(ぶぎ)抑えられない!?」

 

 嘆息しながら杁矢が叫んだ名前に、二人はエッとなる。眷獣が砕いた地面の先、未だ視界が不明瞭だが一つの影がある。その影が振り向いたのか、僅かに揺れた。

 

 

 

「無理だ、抑えてどうにかなる相手じゃない」

 

 

 

 その時だった、右腕がぐにゃりと輪郭を崩す。肘から先が膨れ上がり、手首が細く長く研ぎ澄まされる。粉塵が晴れ現れたのは、竜頭の先から伸びる一振りの刀、それを腕に付けた、黑衣の男。

 

「黒鉄の義手…それにこの、身の毛がよだつほどの殺意…」

 

 オイスタッハの底冷えするような低音が響く。眷獣の腕に囲われながらも、侮蔑に満ちた目でこちらを睨んでくる。

 

「あなたがそうでしたか。武器に殺された無辜の人々の怨霊から生まれた魔人────《刃人(ソードガイ)》、いえ、《武装魔(ブソーマ)》」

 

 残る煙幕を払い、右腕を掲げる。腕に開いた両目と共に、雨宮凱はオイスタッハを睨みつけた。

 

 




次回 道具 ~LETHAL WEAPON~

 ────生き様に、各々の真価を問われる。
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