──グリードアイランドに戻る。
そのための第一歩。
最初の目的地は天空闘技場。
自分の体が持つ高い基礎能力に慣れ、戦いの経験を積む。
同時に勝ち続ければ、数億の現金も手に入る。いいことづくめだ。
とはいえ、そこにたどり着くまでが一苦労だ。
なにせスタート地点は、アイジエン大陸の人里離れた土地。
訓練も兼ねて、走りながら人の痕跡を追い、街にたどり着いても、現金が無いので休むこともままならない。
シュウが、ちょうど催されていた腕試し大会で賞金を稼ぐかたわら、俺は図書館でハンター文字と格闘しながら情報収集。地図を読み、現在地と、最寄りの大陸間飛行船の発着場を確認。
夜行バスで発着場にたどり着いたものの、戸籍もパスポートも無いから正規の手段じゃ大陸間飛行船に乗れない。
かなり悩んだが、シュウと相談の末、食料を買い込んで密航すると決め。“絶”で気配を殺しながら、船内に隠れ潜んで過ごすこと8日。
レイザーに飛ばされてから11日目にして、俺とシュウは、ようやく天空闘技場の地を踏むことが出来た。
天を衝くような巨大な塔。
その周りに広がる、ホテルやショッピングモール。
一日に4千人に達する新規参加の格闘家や、絶え間なく行われる試合を観に訪れる観戦客。年間十億人を超える人間の滞在を支える、巨大な施設群。
案内看板の各所に見える「天空闘技場」の文字に、たどり着いたことを実感する。
「着いた……うん、我ながら、なんでやり遂げられたって集中力だった……」
「本当にな。でもこうして天空闘技場を実際に見ると、あらためて、本当に来ちゃったんだなって実感が湧くよな」
図書館で調べた時に、わかっては居た。
隠されもしないプロハンターの事績についての書籍。
たやすく見つかったハンター協会会長、アイザック=ネテロの名前。
だが、そんな文字や写真よりも、はるかに。
この天空に届く巨大な塔には、ここがHUNTER×HUNTERの世界だという問答無用の説得力がある。
「だったら……居るんだろうな。俺たちがよく知る、天空闘技場の住人たちが」
「いまが1997年11月4日。ゴンやキルアがここを訪れる一年半も前だけど、ヒソカとカストロの初戦はもう終わってる。新人狩りは……戦績考えると、居ても居なくてもおかしくはないって感じか」
「受付のお姉さんは? 200階クラスの方の」
「いや知らねえよ。それこそ誤差だよ」
それは違うぞシュウ。
きれいなお姉さんは、居てくれたほうがいいに決まってるじゃないか。
なんて内心を見透かしたのか、シュウはジト目でこちらを見て……ため息。疲れのためか、流すことにしたようだ。
「長旅で疲れてるだろうけど、今日のうちに戦っときたい。ユウ、いけそうか?」
「実力はともかく、体力はまあ、大丈夫」
飛行船に乗ってからは横になって寝てなかったけど、寝ながら警戒を切らさないコツを掴んで、途中からはそれなりに休めてる。
元の体に比べて体力も桁違いだから、いまのコンディションでも1、2戦くらいはこなせると思う。
ただ、身体能力だけの素人がどこまで戦えるかは、やってみないとわからない。
「ま、1階でつまずくことはないだろ。理想はノーダメージでの勝利。個室が与えられる100階までは、最短で駆け抜けたい」
ああ、急ぐのはそれが理由か。
たしかに、手持ちの現金は10万弱。
50階クラスでの賞金が5万ほどとはいえ、のんびり構えても居られない。
共用ってことにしてくれてるけど、元はシュウが腕試し大会で獲得した賞金だし。
「今日は絶対ホテルの個室で寝る。それをご褒美にがんばろうぜ、ユウ」
厚意に甘え続けるのは心苦しいが、ちょっと……そろそろ、風呂に入りたいしベッドで寝たい。
「うん、やる気出す。そうと決まれば選手登録だ」
「あ。ユウ、格闘経験の項は、ちゃんと10年以上って書いとけよ」
「えー。俺観戦はともかく格闘経験皆無なんだけど」
「そりゃオレもだよ。でも、最初の実力判定には格闘経験も考慮に入る。個室、早く欲しいだろ?」
身体能力だけはずば抜けてるから、まるきり嘘ってわけじゃないけど……シュウのこういう肝の太さは、ほんと尊敬する。
◆
受付で登録書類を渡すと、闘技場の中に案内された。
石造りの舞台が十六面。
それを囲うように観客席がある。
だだっ広い空間に、ひしめき合う観衆。会場には熱気が渦巻いている。
「──1964番、2000番の方、Aのリングへどうぞ」
「あ、オレだ。じゃあユウ、ちょっと行ってくるから」
番号を呼ばれたシュウが、軽快に駆けていく。
気負いなど微塵もない。軽く散歩しに行くような調子だ。
入場者のレベルを判断する一階の試合。
たしかにぱっと見、対応不能な動きをする選手は見当たらないけど……そのクソ度胸は見習いたい。
ちなみに試合は張り手一発。
ゴンの試合を彷彿とさせる一撃だった。
ああ、あれ俺もやろうと思ってたのに……実際武術の拙さを誤魔化すには、一撃で決めるのが一番だし。
「──2001番、2006番の方、Cのリングへどうぞ」
と、呼ばれた。
緊張しながら舞台に向かう。
大丈夫。一撃お見舞いしてぶっ飛ばすだけだ。きっと出来るはず。
「両者リングへ」
審判の指示。
リングに上がって、対戦相手と顔を合わせ……思わず口元をひくつかせる。
──うん。これはさすがにない。
対戦相手は、身長2mはあろうかという大男だった。
赤銅色の肌にボクサーパンツ。手にはグラブを装着していて、足元はシューズ。脛の状態を見ても、蹴り込んでるようには見えない。
おそらくはボクサーで……間違いなく念能力者。
体に纏われた力強いオーラを見れば、あきらかだ。
考えてみれば、200階クラスの実力者でも、スタートは一階から。
可能性は低くとも、そんな強者とぶちあたる可能性はゼロではない、とはいえ。
「……能力者同士の正面衝突とか……どんな確率だ」
嘆きたくなる気持ちはある……けど、強者を恐れて止まってなど居られない。
グリードアイランドに戻ると決めたのだ。
──だから、望むところだ……って言っとこう!
「──それでは始め!」
開始の合図に、相手が構える。
サウスポーのハメドスタイル。
巨体が揺れて、流れるようにリズムを刻む。
相手は念能力者。
だから、こっちも念能力者だと知っているはず。
慎重に間合いを削ってくるのは、見た目通りの少女じゃないと警戒してのことか。
「──シッ!」
右ジャブ──速い!
とっさに退がって避ける。
軌道は変則ながら、
とんでもないスピードと迫力。拳が風を切る音は、まるで超重量の砲弾。
そんなジャブを避け得た理由は明快だ。
純粋にスピードが違う。あちらが軽量級ならこっちの速度は四足獣のそれ。
とはいえ、我ながら足さばきは拙劣。見切りもなにもない大げさ回避に、舌打ちしたくなる。
──次はもっと上手く避ける。小さく、細かく、より速く!
ジャブが来る。
頭を半個分横に振って拳を避け、引き手よりも早く敵の懐に飛び込む。
目の前には鋼と形容されるべき、肉厚の腹筋。完全なゼロ距離から、掌を叩き込む。
「──くっ!」
全力の掌打。
イメージ通りなら、壁際までぶっ飛ばしてるはずの一撃。
だが、ボクサーはわずかに顔を歪め、たたらを踏んだだけだ。
──厄介だな。
体格が違いすぎる。
身長差は50cm、体重差は、おそらく三倍近い。
格闘技においては絶望的な体格差。スピードはこちらが上でも、筋力や頑丈さは相手がはるかに上だろう。
── 一撃貰えば終わる。そう思っておいたほうがいい。
緩やかに円を描きながら、ボクサーは拳を繰り出してくる。
こちらに躱させ、逃げ場を削り、左のストレートに繋げる。
キックや肘などの雑味のない、異種格闘技の場にあるまじき純正のボクシング。
──だけど、ありがたい。
いま、彼と戦えることに感謝する。
厄介なほどタフで、拳を貰えば一撃でふっとばされるくらい強くて──それでいて、純粋無垢なボクシング。
──攻撃の、防御の、回避の、最適の動きを体に覚え込ませるための、この上ない教材だ。
じわりと、心の奥から好戦的な
死角を、観る。
俺の念能力にも関わる、だからこそ人並み外れた感覚。
密航のときにも存分に役に立ってくれたけど……本来の用途は
死角は怖い。
見えないから、備えられない。
見えないから、そこになにがあるか、わからない。
一対一で、舞台の上。
それでも死角は存在する。
隠れるのは、なにも全身でなくていい。
拳ひとつ。
腕の一振り。
それが見えなければ── 一刺しに出来る。
「──っ!?」
脇腹に掌底。
ボクサーの眉が歪む。
攻撃の軌跡は右のショートフックの影に隠れ、完全に死角。
だが、返礼がわりの右の
瞬時の対応は敵の技量の高さ。
だけでなく、いまのはこちらも拙かった。
死角に潜り込んだ腕以外──足さばきや重心移動から、攻撃のタイミングを読まれたのだ。
──もっとだ。
ひりつくような緊張感の中で、攻防を重ねる。
視線を、意識を誘導する。
より自然に、より静かに、死角からの攻撃を洗練させる。
吹き抜ける拳の威力が、集中力を極限まで高める。
打ち出される拳が描く軌跡。その美しさが、最適の動きに導いてくれる。
「くっ、ちくちくと! 効きゃあしないんだよ!」
ボクサーが吠える。
強がりも入っているが、その言葉は真実だ。
打ちこんだ攻撃の回数が十を超え二十を数えるに至っても、彼の動きはよどみなく、揺るがない。
しかし。試合は、唐突に終わりを告げた。
「──それまで! 二人とも素晴らしい動きだった。高階層で戦う実力充分と見る。2001番、2006番、ともに50階へ!」
制限時間の3分が過ぎてしまったのだ。
惜しい。制限時間さえなければ、もう少しうまく刺せ──いかん。興奮してるせいで物騒な思考になってる。
まあ、消化不良なのは向こうも同じ。
ボクサーは悔しげにこちらを見やり、一言。
「マッシュ=トンプソンだ──また、いずれ」
決意を秘めた言葉に、返す言葉はひとつしかない。
「ユウ=ミルガン……うん。また、いずれ」
時期を定めない再戦の約束。
その時までに、あのタフネスを破る力を手に入れると、心に誓った。
あとでシュウに、無茶するなと怒られた。
ごめんて。
◆
続く50階クラスの試合でも勝利して、その日はホテルに泊まった。
シュウが宣言した通り、天空闘技場にほど近いホテルの、シングルルーム。
幸い、50階クラスのファイトマネーで、着替えと食事代含めても足は出なかったので、シュウの世話にならずに済んだ。
この世界に来てから11日目にして、はじめての個室だ。
というか、そもそもまともな部屋に泊まった記憶自体ない。そう思うと、ちょっと感慨深い。
「寝たい……でも先にお風呂に入らないと、ぜったい朝まで起きれない……」
なにしろこの8日あまり、まとまった睡眠時間が取れてない。
そのうえあのボクサーとの戦い。続く一戦は楽勝だったとはいえ、消耗は限界に近い。
浴槽に湯が溜まっていく。そんな光景をぼうっとながめながら、服を脱ぎかけて。
「……あ」
気づく。
この体が女だってのは、すでに嫌というほどわかってる。
トイレに行ったり、体を拭いたり……ただ、極限状況だったせいで、あんまり意識していなかった。
でも、気づいてしまった。
この体、妹がモチーフだと。
「……うわ、よく考えたら、気まずいなんてもんじゃない」
さいわい妹ははるか彼方。
俺がこんな状況に陥ってることさえ知らないだろう。
でも、行方不明で心配かけてる上に、妹に対して不実なことしてる気になって……なんだか申し訳ない。
「最後にいっしょに風呂入ったのいつ頃だ? 三年前……小学生の時? ……うん、深く考えるのはやめよう。この体は別人だし。胸からして別人だし。そもそも妹の格好してるのに、不潔にしてるほうが申し訳ないし」
割り切って服を脱ぎ、シャワーで汗を流してから、湯船に浸かる。
ひさしぶりのお風呂だ。泣きたくなるほど気持ちいい。
「……ヤバ、寝る。これ寝ちゃう。もったいないけど、とっとと体洗ってベッドで寝よう。起きられたらもう一回風呂に入ればいいや」
そう決めて、急いで髪と体を洗い、急ぎ風呂から出た。
「寝間着は、バスローブでいいか。髪を乾かして……あんま長く設定してなくてよかった」
何度か睡魔に意識を持っていかれながら、かろうじて身支度を澄ませ、ベッドに倒れ込む。
あとは朝まで、夢も見なかった。