港は、灰に覆い尽くされていた。
夜明け前、月の淡い光が地を照らす、そんな中で。
見渡す限りの空間を灰が覆う光景は、まるで月世界。
吸血鬼が滅びた、その痕跡。
風のない夜が、こんな時には恨めしい。
人が死んだという事実が、こんなにもはっきりと残るのだから。
あたりに、動くものはない。
ただいくつかの人影が、闇の帳越しでもはっきりと見えた。
その中でも、唯一二本の足で立つ影は、鎖使いカミトの姿は、遠間からでもよくわかる。
「カミト」
声をかける。
カミトは緩慢な動作で、こちらを振り向いた。
「ユウちゃん。シュウ……無事だったのね」
表情は見えない。
だが、声は、泣き笑いのようだった。
応えるように手を挙げてから、身を引きずるようにして歩み寄る。
アマネとの戦いで、掛け値なしに力を絞り尽くしたため、カミトの下にたどり着くには、ずいぶん時間がかかった。
カミトの顔が見えた。
心底疲れ切ったような、そんな無表情のなかに、わずかに喜びの色。
この月世界のような光景を見れば、それを成したのがカミトたちだというのなら、それも納得だ。
見れば、カミトの足元には、横になって眠るミコの姿。
それに、疲れてしゃがみこんでいるマッシュとビノールト。
それから、ぶっ倒れて大の字に寝転がったレットさんの姿があった。
「ただいま。勝ったよ……けど、勝っただけだ」
血の災禍、吸血鬼アモンを倒した。
炎の災禍、レイズを討つ、決定的な役割を担った。
全ての元凶となったアマネを、シュウと、みなと、力を合わせて討ち取った。
だけど、だれひとり、取り戻せていない。
ブラボーも、去っていってしまった。
「そう……こっちも、勝ったわ。勝っただけ、だけど」
カミトが口に出した言葉も、それだけ。
だが、カミトが手に持っている赤いリボン。
青髪童女のミオが着けていたそれが、カミトの手にあることで──ここで起きた悲劇を知った。
だから、なにも聞かない。
「そうか……【挫折の弓】は、取り返した。ブラボーは……死んだ」
ブラボーとの約束を守り、嘘をつく。
約束がなくても、いまのカミトを見れば、きっと同じことを言っただろう。
カミトは、身内に甘い。
口こそ厳しいが、本質的には優しい人なんだと思う。
そんな彼女が、真実を知れば、どれほど傷つくか。
いまの弱った彼女を、これ以上傷つけたくなかった。
「……そう」
そう返したカミトの表情を見て、思わず息を呑んだ。
どこか納得がいったような、そんな表情に、すべてを見透かされたような気がして。
だが、それも一瞬。
決意を秘めた瞳で、カミトは夜明け前の空を見上げた。
「帰るわよ……それが、目標なんだから。そのために、みんな死んだんだから」
感情を押し殺すように。
カミトは緩慢な動作で、エースやヒョウの遺体を一箇所に集めていく。
見かねて、へばっていたマッシュとビノールトが立ち上がり、作業を手伝いはじめた。
「カミト、なにを?」
「連れて帰るのよ。せめて、死体ぐらい返してやらなきゃ……救われないじゃない」
「……俺たちも、手伝うよ」
「ありがとね」
カミトはむりやり笑顔を浮かべて、そう言った。
一通り、作業が終わって。
「マッシュ、ビノールト。ふたりは、食料と寝袋を調達してもらっていいかしら。ユウちゃんたちは、しばらく休んでて。ミコをお願いね」
カミトは休むことなく、動き続ける。
「カミト、どこへ?」
「船を借りてくるわ……帰るためにね」
カミトが、歩いていく。
ブラボーの事をくわしく聞こうともしない。
やはりカミトは、気づいているのかも知れない。
真実には至っていなくても、ブラボーが他者の罪を背負い、別の道を歩み出したことに。
◆
待つこと2時間。
夜も明けて、東の空はすでに明るい。
そんな中、カミトが回してきたのは、大型のクルーザーだった。
レットさんもすでに目を覚ましていて、全員で遺体を寝袋に詰め、船に運び込んだ。
「さ、行きましょうか……グリードアイランド島に」
グリードアイランド島。
その中で【
船に乗り込んだのはカミト、ミコ、レットさん、シュウ、俺の5人。
マッシュとビノールトは、残って見送る事になった。
カミトは、2人に簡単な別れを告げて、操舵室へと向かった。ミコは、船室で寝かされている。
「3人とも、あえてこう言わせて貰うぜ──またな!」
マッシュはそう言って、笑う。
今生の別れとなる事はわかってるだろうに……淡白だが、マッシュらしい別れの言葉だ。
「ユウたちのおかげで強くなれた。オレはこの力で、天空闘技場の頂点に立ってやるからよ。応援していてくれよ?」
「ああ、マッシュなら、楽勝だ」
「つーか負けたらぶっ飛ばす」
「そうっスよ! オレたちはライバルなんスから、負けるんじゃないっスよ!」
ビノールトの別れは、もっとあっさりとしていた。
「言いたいことは、宴会の時に言っちまったからな……
「ああ、ビノールト。きみと出会えてよかった」
それから、二、三、言葉を交わして。
船が、ゆっくりと動き始めた。
日の登る水平線に向かって、船は進む。
陸が、離れていく。
「──ああ、ひとつ言い忘れてたことがあったな」
遠くなっていくマッシュが、声を上げる。
「最初、お前に交際を申し込んだけどな、あれ、無かったことにしてくれ。お前ら、お似合いだぜ!」
とびきりの笑顔で、そんな事を言ってきた。
思わずつんのめりかける。
ありえない。勘違いもいいとこだ。
だが、まあ、ムキになって否定することでもない。
「いやー、そうっスかねー」
『いや、おまえじゃないだろ』
図々しく勘違いしたレットさんへのツッコミが、重なった。
それを見て、マッシュと、ビノールトも釣られて爆笑する。
「またなーっ! みんなーっ!!」
「気をつけてなーっ!」
2人に応えるように、大きく、手を振る。
船が動き出し、だけど、姿が見えなくなるまで、俺たちは2人に向かって手を振っていた。
その後は。俺も、シュウも、かなり負傷が厳しかったので、比較的軽傷だったレットさんを操舵の交代要員に任命し、その日は船室で泥のように眠った。
◆
次に目覚めたのは2日後だった。
どうやら、予想より疲労が激しかったらしい。
目を覚ますと、寝台で寝ているのはレットさんとカミトだけだった。
重い頭を無理やり起こし、体調を確認する。
体が重いのは、たぶんオーラを限界まで絞り尽したからだろう。
腹や顔にできた痣は、あと数日は、確実に痛みが残る……完調ではないが、まあ、静養が必要なほどじゃない。
船室を出て、操舵室を覗くと、シュウが船の運転を任されていた。
「よ」
「お、ユウ。もう起きられるのか?」
それは、どう考えてもお前に言うべき台詞だと思うぞ、シュウ。
肉体的なダメージに関しては、お前の方がよっぽどひどかったんだから。
「シュウのほうはどうなんだ? もう起きていいのか?」
「ん、完璧完調」
言ってシュウは軽く演舞する。
動きのキレは、本当に完調時のそれ。
人間ワザじゃないだろう、その回復力。
「ミコは?」
「甲板に出てる……やっぱり、ミオのことがちょっとショックだったみたいでな。いまはまだ、話しかけない方がいいかも」
「そうか……」
妹が出来たみたいだと、ミコはそう言っていた。
そんなミオが死んだのだ。ショックは深刻だろう。
俺は、甲板に出た。
ミコは、波間をみつめるように、甲板の端に立っていた。
俺は、黙ってミコの隣に立つ。
言葉も、なにもない。ただ、一人にしておけなくて、そうした。
「──なんで」
ミコは、長い間、ずっと無言でいた。
しかし、やがてポツリ、ポツリと、話し始めた。
「なんで、みんなが、死ななきゃいけなかったの? みんな、みんな、いい人でしたのに」
俺は、無言。
真相を、ミコに教えるわけにはいかなかった。
誰かを憎めれば、楽だけど。
真実を知ればきっと、それ以上にミコは傷つくことになる。
「ミオは、ミオはまだ10歳で、あんなに小さかったのに……」
ミコの声は、震えていた。
「──こんなに、小さくて、わたくしの膝に乗って……いっしょにゲームを始めたママが迷子だから、さきにおうちに帰って待ってるんだって……それが……う、うあああっ!」
ミコは、こらえ切れず、声をあげて泣き出した。
俺は、黙って胸を貸す。
こういうとき、もうちょっと身長があればサマになるんだろうけど。
ミコのほうが背が高いから、抱えあげられるような、つんのめった体勢になった。
そのまま、黙ってミコの背を撫でてやる。
ヒョウの死も、ダルの死も、Dの死も、エースの死も、そしてミオの死も、決してなかったことにはできない。
でも、みんな、ただ死んだわけじゃない。
みんな仲間のために、戦った。仲間の帰還を願って、最後まであがいた。最後まで、俺たちの戦いを助けてくれた。
そのおかげで、いまの俺達がある。
だったら、その意思を、無にするわけにはいけない。
元の世界に戻って、当たり前の生活を送って、当たり前に笑い、当たり前に騒ぐ。そんな当たり前の幸せを、あいつらは俺たちに託すしかなかった。
背負わされた命は、重いけど、その重みの分だけ、幸せにならなくちゃいけない。
いつだって、あいつらに、胸を張っていられるように、前を向いて歩いていこう。
そう、心に誓いながら、不覚にも、熱いものがこみ上げてくるのを押さえ切れなかった。
◆
泣き疲れて眠ったミコを船室に運び込み、寝かせてやると、奥の方からいい匂いがする。
見れば、簡易キッチンにカミトが立ち、腕を振るっていた。匂いからして、シチューを作っているらしい。
くつくつと煮えるシチュー。
それがかき混ぜられるたび、食欲を誘う香りがただよってくる。
クウ、と腹の虫が鳴った。
よく考えれば、丸二日、何も食べていない。
「あら、ユウちゃん。ミコちゃんは寝ちゃったのね」
俺に気づいたカミトが、振り返って微笑みかけてくる。
「泣き疲れて、いま寝たとこ」
言いながら、俺は据え置きのテーブルについた。
「ごめんね、ユウちゃん。ミコちゃんの面倒見させちゃって」
「当然だろ? ミコは大切な仲間だ」
「そうじゃなくて……ユウちゃんもキツイのに、任せちゃって」
カミトは、視線を落とした。
それを言うなら、カミトのほうがよっぽどキツイだろう。
死んだ5人の仲間も、ブラボーも、カミトのほうがつき合いは長いのだ。
「……ま、それは置いといて、とりあえずご飯にしましょ。人間空腹じゃあロクなこと考えないものだし。一人ならなおさら、ね」
どうも、この人と話していると、見透かされている気がして落ち着かない。
「レットと、シュウも呼んできてちょうだい。天気もいいし、この海域なら自動操縦に任せられるはずだから」
眠りこけるレットさんをたたき起こし、操舵室のシュウを呼んでくると、匂いにつられてか、ミコも起きだして来た。
5人で雑談しながら温かい食事をしていると、不思議と重苦しかった心が楽になった。
──ほんとにカミトは、お見通しだなあ。
「あ、そうだ。ここ、ラジオついてるんスよね。喫茶店でバイトしてた時、よく聞いてたんスよ」
レットさんが、はたと手を打ってラジオをつけた。
どこの電波を拾ったのか、スピーカーは軽快な音楽を吐き出しはじめる。
聞き慣れない曲調だが、素直にいい曲だ。
「……やっぱ、こっちでも、音楽の良さは変わらないっスよね」
音楽を楽しむように、目を細めるレットさん。
なんだか意外な一面を見た思いだ。
まあ、これまでアナログ生活かサバイバル生活で、その手の趣味を共有する機会なんてなかったから当然だけど。
音楽を肴に、しばし談笑……していると。
ラジオから、いきなり耳慣れた歌が聞こえてきた。
『──え!?』
全員いっしょに声を上げる。
ラジオから流れてきたのは、ボーカルが違い、微妙にアレンジされているものの、間違いなく日本の歌だった。
「これって……あれ、だよね」
「間違いないっスよ」
「これはわたしも知ってるわ」
おそらく、プレイヤーが歌っているであろう、その曲に、みんなで顔を見合わせる。
ややあって、カミトがくつくつと笑い出し、それが全員に広がった。
「……世界が違っても、音楽のよさは変わらない、か」
ひとしきり笑ってから、カミトがつぶやいた。
本当にその通りだと、そう思い──世界が、こちらに優しく微笑みかけてきた気がした。
◆
その夜半過ぎ。
なんとなく目がさえて、甲板に上がった。
「よ」
甲板には、先にシュウが上がっていた。
「シュウ、寝てないとだめだろ? 当番で疲れてるんだから」
「いや、眠れないんだよ。いよいよ明日にはグリードアイランド島に着く。それで帰れると思うと、な」
そう言って、シュウは夜空を眺めた。
「──わあ」
つられて見上げた空に、思わず歓声がもれる。
人の明かりのない夜空に描かれた、光のイルミネーション。
漆黒の闇の中、見たことないくらいの量の星が、散りばめられていた。
「こっちで最後の夜空かと思うと、よけいきれいに見えるな」
「いや、それ抜きにきれいな星空だよ」
星空が、本当にきれいで、思わず見とれてしまう。
「──ユウ」
「なんだよ、あらたまって」
声をかけてきたシュウ。
その真剣な表情に、戸惑う。
「正直オレ、この世界に未練があるんだ」
「別に、おかしいことじゃないだろ。前も言ったけど、俺だって、こっちで大切なものがいっぱい出来た。それより大事なものがあるから、帰るんだ」
「ああ、わかってる。オレも、帰る。そう決めた。だから、ユウ。未練を断ち切るために……オレを殴ってくれ」
不意の言葉に、戸惑いしかない。
だが、レットさんの趣味について、なにも知らなかったように。
数年来の親友であるこいつにも、俺が知らない悩みや葛藤があったんだろう。
水臭い。相談しろよ、とは思うけど……
俺がぶん殴って未練が断ち切れるというのなら、やってやろうと決めた。
「わかった。いくぞ」
言ってから、腰だめに構えて──シュウの頬を、思い切り殴った。
さすがにオーラは纏わせなかったが……にぶい音と共に、シュウは甲板の端まで吹っ飛んでいった。
「……おーい、シュウ、大丈夫か?」
傍まで歩いて行き、甲板に大の字になったシュウを見下ろす。
シュウは、どこかすっきりしたような顔で、急に笑い出した。
「手加減なしかよ……ユウ、やっぱお前大好きだわ」
言いながら、笑うシュウ。
俺は呆れて、船室に足を向ける。
「そのまま寝ないようにな」
「だったらちょっとは加減しろ!」
シュウは、なおも笑いながら応える。
そのまま船室に向かおうとすると、物陰に隠れるように、カミト、レットさん、ミコが並んでいた。
「みんな、なにやってんの」
「いや、まー、その……」
カミトが、どこか言葉を探すような仕草。
「端的にきくけど……ひょっとしてシュウに、とんでもなく下品なお願いされた?」
なにを疑われているのか、理解して。
俺は出会ってから初めて、カミト相手に拳骨を落とした。