翌朝未明、クルーザーは大きな島にぶつかった。
グリードアイランド島。
地図には存在しない、幻の島。
はじめて見る海からの景色に、こみ上げてくるものがある。
長かった……一年半にも及ぶ、この世界での旅路。その終わりも近い。
だが、最後の最後に、対すべき相手が残っている。
──レイザー。
俺たちにとって最初に出会った、この世界の住民。
グリードアイランドに不法侵入した相手を排除する役目を持つ、ゲームマスター。
海岸近くまで船を寄せると、居た。
ひとり浜辺に立ち、こちらを見るレイザーの姿。
「忘れ物はない? ボートに乗り換えて岸につけるわよ」
カミトの引率のもと、ボートに乗って浜辺へ。
一直線に向かう先は、こちらを待ち構えるレイザーの元。
「レイザー。わたしたちは【
船を寄せながら、カミトは大声で語りかけた。
「そうか。ドゥーンから話は聞いている! 上陸を許可しよう!」
レイザーは、迷うことなくそう応じた。
なるほど、交渉はすでに済んでいるということか。
いったい誰が、といえば……ブラボーに違いない。
ゲームクリア時、ブラボーはゲームマスターのリストやドゥーンと話し合っていた。
その時に、プレイヤーが日本に帰るための、非正規上陸の許可を取り付けたのだろう。
とはいえ……ちょっと戸惑う。
レイザーには、いまだに日本帰還の最大の障害ってイメージがあるし。
「ん、どうした?」
困惑が表情に出ていたのだろう。
ボートを岸に着けたところで、レイザーが尋ねてきた。
「なんでもないよ。あとから来る
「ああ。ゲームのこと以外でなら、な」
レイザーは厳つい顔に微笑を浮かべたまま、そう答えた。
◆
岸に、降り立つ。
同時に、抱えていた死体袋がオーラに包まれ──その中身を失った。
「これは……」
「グリードアイランドが、みんなの死を認識したんでしょう。変則だけど、これで帰れることが証明されたわね」
驚いていると、カミトが説明する。
そうか。
【
──プレイヤーの死。
【
なら、ヒョウたちは日本に帰れたのか。
思い出す。日本へ帰ってくれと、思いを託したヒョウやD。
どんなかたちにせよ、彼らが日本に帰れたのなら……すこしだけ、救われる思いだ。
「……やるわよ。みんな、指輪はこの世界に来た時のものに変えてるわね?」
カミトの確認に、全員がうなずく。
準備は終わった。なら、あとは……帰るだけだ。
「……いくわよ」
カミトは【挫折の弓】を手に持ち、レットさんに向ける。
これが別れになることは、わかっていた。
だが、話したいことは、すべて船の中で話してしまって、なにも出てこない。
「──【
「みなさん、さよならっス! ユウさん、あのとき拾ってくれて、本当に感謝してるっス!」
敬礼と共に、レットさんが消える。
なんだか、レットさんらしい別れ方だった。
「──【
「カミトさん、シュウさん、ユウさん、みんなお元気で! あのっ! ユウさん! あっちに帰っても──」
思いだしたように、なにか言いかけて、ミコが消えた。
そのあわてぶりがおかしくて、思わず苦笑してしまう。
続いては、いよいよ俺とシュウだ。
だが、カミトは【挫折の弓】を構えない。
俺を、シュウを、まっすぐに見つめて……絞り出すように、笑顔を浮かべた。
「ユウちゃん、シュウ……ありがとうね」
「カミトこそ、ありがとう。カミトには本当に助けられた」
「わたしもユウちゃんに、たくさん救われたわ。本当に……ありがとう」
多くを語らず、カミトはただ感謝する。
そして、ついに【挫折の弓】を構えた。
別れの時が来たのだ。
「──【
「──そうだ、カミト」
と、シュウの言葉で、呪文が中断される。
「──すっかり忘れてた。船室にオレとユウの荷物がある。屋敷の鍵とか通帳とか……
ああ、今朝、やけに念押ししていたと思えば、そういうことか。
日本に帰る俺たちには、どのみち必要ないものだ。だから、惜しくはない。
シュウの言葉に、カミトは一瞬ぽかんと口を開け──苦笑を浮かべた。
「【
それが、この世界で聞いた最後の言葉だった。
──こっちこそ、本当のことを言えなくてごめん。
そう謝りたかった。
だが、それを言い出せないまま、まばゆい光に包まれていく。
そこで、遅ればせながら思い出した。
別れを告げるべき対象が、もう一人居ることに。
──ありがとう。バイバイ、“
もはや存在するかもわからない、もう一人の自分に、別れを告げて。
──“ ”
なぜか、否定の意思が返ってきた気がした。
◆
数秒か、数分か。すこしの間、気を失っていたらしい。
気がつくと、机に突っ伏していた。顔に当たる木の感触が心地いい。
あたりを見回す。
目の前にはパソコンのモニター。
6畳の部屋には、ベッドと衣装タンス、格闘雑誌とジャンプ漫画しかない本棚。
懐かしい……俺の部屋だ。
自分のもののはずなのに、目にするのは約一年半ぶり。
だけど、記憶にある自分の部屋と、なにひとつ変わらない。
──帰って、来たのか?
しばらくぼーっとしていると、部屋の扉が急に開いた。
顔をのぞかせたのは、この一年半も、変わらず見慣れ続けた、黒髪猫目の美少女──妹の
「おニイ」
声を聞いた瞬間、感情が揺さぶられる。
そうだ。友は、こんな声だった。
帰ってきたんだと、強く実感する。
お前のために、大冒険してきたんだと、語りたくなって……自重。
「うん、友、ひさしぶり──帰ってきたよ」
万感の思いを込めて、俺が敬礼すると、友は怪訝な顔になる。
「いや、ナニ寝ぼけてんの。まだ夜中だよ?」
なんというか、普通過ぎる反応に、戸惑う。
俺、一年以上失踪してたはずなのに。
「あ、あ、あー。いま何月何日」
「おニイ、ボケるのもたいがいにしてよね。10月15日に決まってるでしょ」
思わず時間を確認する。
机の脇に置いていたスマホに表示された日時は、10月15日20時28分。西暦もおなじ。
ちょっと信じられないが……グリードアイランド・オンラインの開始から、30分も経っていない。
「……ゲームが一段落してるなら、お風呂、早く入っちゃってよね。でないと入り損なうよ?」
「うん。ありがとな、友」
呆れたような友の表情。
懐かしさを噛みしめながら、言葉を返す。
「……なんかおニイ、わたしのこと子供扱いしてない?」
「そんな事ないよ」と返しながら、心に決める。
まずは、すぐにシュウにメッセージを送って、無事を確認しよう。
向こうであったことを、いろいろ語り合って……また、いっしょにゲームをするのもいいかもしれない。今度は普通の、なんの変哲もないゲームを。
ふと、思いつきで“練”をやってみる。
“練”はおろか、オーラが見えることもない。
「惜しいけど……うん、これが普通なんだよな」
喪失感より、不思議と納得のほうが大きい。
心を、かけがえのない思い出を持ち帰れた。それで充分だと、そう思う。
「……おニイ、奇行に走らないでよ」
「はい」
そういえば友がまだ居た。
呆れた表情の妹を部屋から追い出して……ベッドに寝転ぶ。
一夜の夢のように消えた一年を越える時間。
その中で、多くのものを得て。多くのものを失った。
だけど、変わらないものがあって、大切なものがひとつ、出来た。
手で、顔を隠す。
そうすることで、たしかに感じる、もうひとりの自分の存在。
「シュウに、話すことが増えたな」
持ち帰れたのは、記憶だけ。心だけ。
だから彼女は、俺の心から生まれた“
心の中の、ごく淡い意識は、こうささやきかけてくる。
──よろしく、“俺”。
◇キャプテン=ブラボー
「グリードアイランド、作ってみないか?」
始まりは、そんな冗談のような一言だった。
それが、次々に仲間が現れて、様々な協力者に恵まれて、次第に形になっていき……出来上がったゲームは、人に誇れるものになった。
密かに、名作になると自負もしていた。
グリードアイランドへの愛と、たしかな技術があれば、当然と言えた。
だが、あの運命の日、すべては変わった。
気がつけば俺はあの草原に立っていて……レイザーに【
飛ばされたのは、300人のテスターと、
突如背負うことになった命の数に、押しつぶされそうになった。
だが、救うと決めた。手が届く全員に、手を差し伸べると決めた。
だから、グリードアイランドクリアを目指した。
そのためにはグリードアイランドを手に入れなくてはならず、金か、信用が必要だった。
ゆえに、その両方を手に入れることが出来るハンター試験を受け……そこで初めて、おなじ目標を持つ、旅の道連れができた。
彼女たちは、信頼のできる相手で。
だが、ついに自分の素性を明かせなかった。
素性を明かせば、責められるかもしれない。それはいい。
だが、俺は帰る意志のあるすべてのプレイヤーのために、帰る手段を提供するつもりだった。
もし、彼女たちが最後までつきあうと、そう言ってくれたなら……拒む自信がなかった。
彼女たちに、そんな重みを背負わせるわけにはいかない。
迷う間にも、ブラボーな仲間が増えていった。
彼らとなら、きっとグリードアイランドをクリアできると確信できた。
そして、逢魔ヶ災の話を聞いた。
彼らは、プレイヤー狩りになっていた。
すでに数多くのプレイヤーを手にかけていた。
何人かは、仲間の手によって、とうの昔に討たれていた。
「なぜ、プレイヤーを殺すかって?
探し当てたかつての仲間は、逢魔ヶ災に呑まれていた。
おそらくは、プレイヤーと違い、明確に定義された存在理由。それが彼らの心に強い影響を与えたのだろう。
許せなかった。
だが、殺せなかった。
同じものが好きで、同じゲームづくりに取り組んだ彼らは……人が変わってしまったとしても、紛れもなく仲間だった。
だから信頼できるハンターに身柄を引き渡し、持っていたゲームを奪って、安心してしまった。
グリードアイランドのクリア報酬を手に入れたら、その業から解放するためにも日本に返そうと、そう思っていた。
……まさかアマネによって解放されているとは思わなかった。
アマネは俺の妹だ。
不治の病に侵され、幼い頃から闘病生活を送っていた。
気晴らしになればと、開発中のグリードアイランド・オンラインを遊ばせてはいたが……密かにβテスターに応募し、合格しているとは思いもしなかった。
この世界で妹と出会ったのは、逢魔ヶ災を拘束した後。
カミトたちと合流するために乗る、飛行船の発着場でのことだ。
偶然出会った風を装っていたが……いま思えば、あいつは逢魔ヶ災と接触するために、あの発着場に降り立ったのだろう。
面識こそないものの、アマネは以前より逢魔ヶ災がゲームマスターだと知っていたし……俺を探す手がかりを求めていたのだから。
「兄さま。会えてよかった……見てください。わたしは、ここではこんなに元気です」
ひさしぶりに見る、妹の元気な姿だった。
浮き立った思いは、しかし一瞬にして沈み込んだ。
アマネは言った。
この世界でいっしょに暮らそうと。
この世界でなら、兄さまとわたしは血の繋がった兄妹じゃないと。
その時、初めて妹の心を知った。
情けないことに、それまで妹が俺に向けていた思いに、気づきもしなかった。
だが、それは許されない思いだ。
アマネを諭したが、彼女はそれを聞き入れなかった。
すべての帰還志望者を日本に送り返すには、まだ時間がかかる。
また連絡すると、連絡先だけ交換して別れたが……その時、すでにあいつの心には、鬼が宿っていたのかもしれない。
次の再会は、“港”。
グリードアイランドから脱出した不意を打たれて、エースとともにアマネの念能力に閉じ込められた。
エースの命が惜しければ。
そう言ってアマネが渡した指輪を、指にはめた瞬間、俺はアマネのことしか考えられなくなった。
結局、さんざん死の怨毒を撒き散らした後、アマネは死んだ。
俺はその共犯者として多くの仲間を傷つけ、あるいは殺しながら、生きながらえてしまった。
いっそ、何もかも忘れてしまっていれば良かった。だが、残酷にも、記憶は俺のものとして克明に記録されている。
それでもなお、ユウは許そうとしてくれた。
自身、深く傷ついているというのに……強い子だと思う。
だが、駄目だ。
俺は償いようがない、贖いようがない罪を犯した。
ユウの言葉に甘えてはいけない。為すべきことを為さなくてはならない。そのためにのみ、俺の命はあるのだ。
指輪を、握り込む。
もう外れない
グリードアイランドの指輪。クリアデータの【
「ブラボーがブラボーらしさを失ったとしたら……俺は悲しい。ものすごく」
ユウの言葉を思い出す。
そうだ。
俺の役目は、最初から心に定めていた。
──救う。この世界に取り残された、すべてのプレイヤーを。
償いではない。
それがただの代償行為だとしても、この身がすでに罪に塗れていたとしても。
──今度は決して、俺が
強く、強く、心に誓う。
この身は、人を救うために。
ただそれだけの戦士であればいい。
誓いを、言葉として己に投げかけながら、歩いていく。
もうけっして、歩みを止めない。
──俺はブラボー。キャプテン=ブラボーだ。