もはやフォードは恐る恐るマッチを擦る必要はなかった。
いや、部屋が明るいので最初から擦る必要すらないのだが。
近年、かの気さくな食通種族たるデントラシ人の地位はかつてより向上していた。
この船は、今も昔も官僚的でとっても不愉快な種族たるヴォゴン人が所有していた。
だが、今ではデントラシ人がヒッチハイカーを拾っても、追い出すことはできないのだ。
それというのも、ヴォゴン人以上に有能で不愉快でない種族が台頭してきたからだ。
その種族は四足歩行型の装置を銀河系行政中枢の大ブランティス星系に送り込んだ。
そして、その自律装置に仕事をさせたのだ。しかも、感情がないので最も官僚的でもあった。
そういうわけで、、ヴォゴン人の立場はだんだんとなくなりつつあるのだ。
彼らに雇われていたデントラシ人もそれで以前よりも待遇が良くなった。
ただし、銀河中の人権団体はなんちゅうことになったんだと思っていた。
反人権団体が諸手を挙げて大喜びしたのとはまるで正反対だった。
「・・・フォードくん」
「うん、何だい?」
「フォードくんが地球に来た理由は何なの?」
「ああ・・・それは少し説明が難しいね。
本当のぼくはヒッチハイカーで、その本の編纂に携わってた。
これでも先祖代々ヒッチハイカーだからね・・・」
いろははヒッチハイカーという単語を一応は知っていた。
だが、こんな想像を絶するようなものだとは思わなかった。
せいぜい、荒野で親指を立てるような連中だとばかり・・・。
「まあ、地球のヒッチハイカーとさして変わらない人種なんだ、ぼくたちは」
「えっ・・・あっ、そうなんだ・・・」
普段のフォードと違い、今の彼は何だか別人のように思えた。
「まあ、まずはコーラでも飲んで・・・うわあっ!
しまった!さっき丘の上に来る前に間違えて振っちゃったんだ!
目に!目にしみる!うわああ・・・」
前言撤回、いつものフォードだった。
彼はあっという間に顔をびちゃびちゃにしてしまった。
いろはは持っていたハンカチで彼の顔を拭いてあげた。
「もう、フォードくんったら・・・」
「うう・・・」
どうにも彼は手のかかる弟のような存在だった。
ういがいなくなってからは、いろはの中では彼が代わりになっていた。
ふと、地球のことを思い出す。そういえばフォードが何か言っていたはずだ。
「ねえ、フォードくん。地球はどうなったの?」
「・・・聞きたいかい?」
その顔は苦しそうだった。
まるで、いろはを傷つけたくないと言わんばかりだ。
「・・・うん」
「そうか・・・じゃあ、端的に言おう。
多分、地球は今頃滅んでる真っ最中だよ。
もう誰にもどうしようもなかった」
「・・・そうなんだ」
彼女はフォードの肩に寄りかかる。
どうしようもない無力感がいろはを襲った。
かつて妹たちの生きていた惑星は現在進行形で滅んでいるという。
思えば、自分を気にかけていてくれた人たちもいた。
両親だって自分を必死に励まそうとしてくれた。
彼らも現在進行形で死につつあるというのだろうか?
「ねえ、一つだけどうしようもないわがまま言っていい?」
「言ってくれ」
「私、地球でみんなと一緒に死にたかった」
「だろうね。でも、ぼくだってわがままだ。
ぼくは死にたくなかった。
わかってたさ、君が死にたがっていたのは。
初めて会った時もそうだった。ぼくにはわかった。
本当はぼくを押しのけた後に撥ねられるのを望んでたんだろ?」
「・・・うん」
「でもね、ぼくだってわがままなんだ。
可愛い女の子を死にゆく惑星に置いて行きたくないぐらいにはね。
たとえ、その子が妹を失って死にたがってたとしても」
「・・・ワガママだね」
「そうだよ、ぼくはぼくのワガママを貫き通すつもりだ。
少なくとも、君に関連することについてはね」
さっき以上にいろははフォードに寄りかかった。
たとえ、彼が異星人だとしても関係なかった。
今ではもう彼だけがかつての地球を覚えている唯一の存在だった。
「そうそう、君に渡したい本があったんだった」
そういうと、彼は鞄から”銀河の歩き方 地球”という本を取り出した。
「ガイドには劣るけど、このシリーズもなかなかのもんだ。
それに、この本に関してはかなりぼくの手が加えられてる」
いろははそれを試しにめくってみる。
ちゃんとした内容だった。
「・・・まあ、批判は殺到したけれどね」
「えっ?どうして?」
「”ほとんど有害というだけでこの厚さ?”ってね」