【完結】ザコの旅   作:クリス

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本格的に挟まっていきます。


5話 ナビタイム ツーリングサポーター プレミアムコース 月額400円(税込)
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 赤石山脈と富士山に挟まれた国道52号線、富士川街道をビーちゃんでトコトコと走る。

 

 枯葉色に染まる山脈。古ぼけた民家と田園。やけにスピードの遅い軽トラ。

 

 こういう絵に描いたような田舎道は走っていて気持ちがいい。

 

 神奈川や東京には何度か行ってみたことがあるけど、しょっちゅう渋滞するし路駐は多いし信号は多いしで、走っていて全然気分がよくなかった。

 

 やっぱりバイクで走るならこういう田舎道にかぎる。

 

 景色を眺めながらしばらく流し、やけに特徴的な形をしている上沢交差点を右折、国道300号線、本栖みちに入る。

 

 300号をさらに進み、下部温泉駅をパス。常葉川を横断し枯れ木の山道を登っていくと、目的の一軒家が見えてきた。

 

 ギアを下げ、ウィンカーを出しながら一軒家に寄せる。

 

 エンジンを止めてヘルメットを脱ぐ。

 

「よ、よし、い、行くぞ」

 

 油の切れたチェーンのように、ぎこちない足取りで一軒家の玄関に向かう。

 

 インターホンの表札に目が留まった。

 

「志摩……やっぱここなんだ」

 

 表札に書かれた苗字に緊張が走る。そう、ここは志摩さんの家。

 

 この玄関の先には志摩さんと志摩さんの家族がいるのだ。

 

「ど、どうしよう……」

 

 インターホンの前でどうしていいかわからず立ち尽くす。はたから見たら完全に不審者だ。

 

 うーん、この安定のクソザコムーブ。我ながら惚れ惚れしちゃうね。

 

 そもそもどうしてこんなことになったのか、それは一通のラインから始まる。

 

 

 

 

リン:双葉、ちょっと頼みたいことがあるんだけど、今度の日曜って大丈夫?

 

双葉:うん、大丈夫だよ。どうしたの?

 

リン:前に言ってた原付なんだけどさ、この前免許取ったんだよね。

 

リン:それで、双葉のことうちの親に話したら、慣れるまで一緒に走ってもらったほうがいいんじゃないかってなっちゃって

 

リン:わたしは一人でも平気って言ったんだけど、お母さんがどうしてもって聞かなくてさ。

 

双葉:それはたぶん志摩さんのお母さんが正しいと思うよ。わかった。日曜日だね。何時くらいがいい?

 

リン:1時くらいでいいかな? 

 

双葉:わかった。1時だね。

 

リン:ほんとごめん、ありがと。

 

双葉:りょーかい! ボクに、任しておいて!

 

 

 

 

 

 とまあ、調子に乗って引き受けた結果がこのザマである。

 

 けれど、よくよく考えてみたら、つい最近まで友達ゼロ人できるかなを地で行っていたボクに、人の家にお邪魔する経験なんてあるわけがなかった。

 

 レストランすらオープンな店がまえじゃないと入れないのに、同級生の家なんて入れるわけがない。

 

 だけど、引き受けたのに恥ずかしいから帰りますなんてもっとできるわけがない。

 

 だから行くしかないんだけど、ないんだけど!

 

「どうしよ。ほんとにどうしよ……」

 

 玄関の前で目をギョロギョロと動かしどうにかしようと頑張るボク。

 

 憎い! 自分のクソザコっぷりが憎い!

 

「と、とりあえずベルを鳴らそ──」

 

 意気込んだ瞬間、目の前のドアがガチャリと音を立てて開いた。

 

「ぴゃあ!?」

 

 わけのわからないゆるキャラみたいな奇声をあげて飛び跳ねるボクを他所に、ドアの向こうから男の人が出てきた。

 

 や、やばい! 家族の人出てきちゃった!

 

「こんにちは、うちに何かようですか?」

 

 こ、ここは冷静に、名前と目的を言わないと。

 

「あ、あのあの、ぼ、わたし、あ、怪しいものじゃなくて、し、志摩リンさんにたのたの、たのまれて」

 

 どうみてもただの不審者です。本当にありがとうございました。

 

 何がたのたの頼まれてだよ。ふざけてんの? 

 

「あぁ! もしかして君がリンの言っていた双葉さんかい?」

 

 でも、男の人はボクがなんのためにきたのかを理解してくれたようだった。

 

「あ、ひゃ、ひゃい! そ、そうです!」

 

 そのチャンスを逃さず首を猛烈な勢いで振る。よかった、通じてくれた。

 

「今日は日曜なのにわざわざきてくれてありがとう。今リンを呼んでくるよ。さ、上がって」

 

 よかった、いい人そうだ。たぶん志摩さんのお父さんなんだろけど、すごく若々しいな。

 

「あ、あの、ば、バイク路肩に置きっぱなんで、停めさせてもらってもいいですか?」

 

「あぁ、それなら玄関の前に適当に停めといてくれてかまわないよ」

 

「わ、わかりました。ありがとうございます」

 

 志摩さんのお父さん(仮)の言葉に従い路肩に停めていたビーちゃんを玄関の前に持っていく。

 

「リンからは聞いていたけど、すごいのに乗ってるんだね」

 

「わっ!」

 

 突然かけられた声にびくりとする。

 

 振り返ると、もう家の中に戻っていると思っていた志摩さんパパがボクのビーちゃんを珍しそうに眺めていた。

 

「あ、驚かしてしまってごめんね。黄色ナンバー、ってことは原付か。にしてはけっこう大きいんだなあ」

 

 興味深そうにビーちゃんを眺める志摩さんパパ。その目は娘の志摩さんにそっくりだった。

 

 この人が志摩さんのお父さんで間違い無いだろう。

 

「き、気になりますか?」

 

 あまりにも興味津々といった感じだったので、勇気を出して話を振ってみる。

 

「うん、そうだね。これ、ヤマハの古いビジネスバイクだよね。こういうタイプのバイクを見るのはこれが初めてだよ。さっき家の中でエンジンの音が聞こえてきたんだけど、もしかして2サイクルかい?」

 

 心なしか食いつきがいい気がする。

 

 前に志摩さんがお父さんもバイクに乗っていたと言っていたし、もしかして好きなのかな。

 

 というか娘さん呼びにいかなくていいのかな。まいっか。

 

「はい、一応。珍しいですか?」

 

「僕がバイクに乗り始めたころには4サイクルが主流で、2サイクルは規制でほとんどなくなってしまったからね。やっぱりパワーはすごいのかい?」

 

  そういえばそうだった気がする。2ストなんて90年代には原付を除いてほとんど全滅状態だったらしい、乗ったことがなくても不思議じゃないのか。

 

「はい、出だしは遅いですけど、6000回転あたりからの加速はすごいです。70は出せます。でも、これでもトルクが余ってる感じなんで、リアのスプロケット替えればもっと出せるかもしれません」

 

 けど、それをすると坂道で死ぬからやろうとは思わない。

 

 マフラーを抜けが良いものに変えてキャブレターをいじれば解決するかもしれないけど、そこまでするほど速度に飢えていない。

 

「70! それでも余裕があるってことは、やっぱり昔の原付はすごいんだね。これは何年のモデルなのかな?」

 

「99年です」

 

「ということは、双葉さんやリンよりも歳上になるのか。乗るのは大変じゃないかい?」

 

「たしかに、気を抜くとすぐエンストするし、低速だとギアが抜けたりするんで面倒ですけど、一度走り出してしまえば素直な子ですよ」

 

 人見知りのボクにしては珍しく饒舌だ。

 

 これも全て、あいつ、バイクのことになると早口になるよな現象のおかげだ。なお、話題が尽きるとコミュ障に戻るもよう。

 

 なんか、自分で言ってて悲しくなってきた。

 

「そうなんだ。やぁ、古いバイクっていうのはなかなかいいものだね。みたところ細かいパーツ弄って──」

 

 盛り上がるボクたち。けれど、それは長くは続かなかった。

 

「お父さん、何してんの?」

 

 突如現れた第三者の声。ぎょっとして玄関の方向に顔を向ける。

 

 なにしてんだと言いたげな志摩さんが、ボクたちをじとーっと睨んでいた。

 

「あ、志摩さん」

 

「ほんとに来てくれたんだ。ありがと」

 

 ごく短いやり取りを終え、志摩さんが志摩さんパパに顔を向ける。

 

「ああ、リン下りてきてたんだね」

 

「下でずっと話してたら普通に気づくよ。ていうか、娘差し置いて娘の友達とバイク談義で盛り上がるとか、ちょっとどうかと思うわ」

 

 容赦のない一言。自分の娘にこれ言われたらかなりへこみそうだ。

 

「リン、これはだね──」

 

「もういいから双葉連れて家上がりなよ。外寒いでしょ」

 

 クリティカルヒットして焦る志摩さんパパの弁明をばっさり切り捨て、中に入るように指図する志摩さん。

 

 従わない理由もないため、弱々しくうなずくボクたち。

 

「あ、あはは、なんかごめんね双葉さん」

 

「は、はい」

 

 志摩さんパパのしょんぼりとした背中についていく。

 

 そういえば、さっき志摩さんボクのこと友達って、言っていたような……

 

 こうして、ボクの初めての同級生の家への訪問が始まった。

 

 

 

 

 

「これが志摩さんの言ってた原付か」

 

 志摩さんの家でお茶をもらったりしてゆっくりしたあと、ボクは志摩さんと一緒に一台の原付と対峙していた。

 

 ヤマハ・ビーノ、街でよく見かける原付スクーターだ。パステルブルーの車体と大きな丸目ライトがなんとも可愛らしい。

 

「去年お父さんが家で使うために買ったんだけど、全然乗らないからわたし専用になった」

 

 いいなあ、ボクにも誰かピカピカの旧車プレゼントしてくれないかな。もちろん2ストで。

 

「乗ったことはあるの?」

 

「免許取ったあと家の前の道何往復かしたけど、それだけ。大通りとかはまだ走ったことない」

 

 ということはほとんど初見ということになるのか。なら付き添いがいないとちょっと危ないかもしれない。

 

 ボクも初めて公道にでたとき交差点でエンストさせて死ぬかと思った。あの時誰かが一緒に走ってくれていたらどれだけ安心だったことか。

 

「じゃあ、練習も兼ねて甲府くらいまで行ってみる? 道もほとんどまっすぐだしそんなに難しくはないと思う」

 

 距離にしてだいたい30キロくらい。初めてにしては少し遠い気もするけど、慣れるにはこれくらいがちょうどいい。

 

「双葉に任せる。わたしはついていけばいいんだよね?」

 

「うん、ゆっくり行くからそれについていくだけでいいよ。自転車で走るのと全然違うから、初めは戸惑うとおもうけど、焦らず教わったとおりに運転すればだんだん慣れていくから」

 

 バイクは理屈で運転する乗り物じゃない。身体で動かす乗り物だ。だから、少しでもうまくなりたかったらどんどん乗るしかないのだ。

 

「スクーターだからトラブルもあんまり起きないだろうけど、なにかあったらウィンカー出してすぐ路肩に寄せてね」

 

「わかった」

 

「じゃ、行こっか」

 

 志摩さんがヘルメットを被り、ビーノに跨った。

 

 右グリップについているセルスイッチを押すとセルモーターがピストンを回してエンジンに火が入る。

 

 マフラーがとことこと透明な煙を吐き出す。4ストの原付らしい大人しいエンジン音だ。

 

 ボクも行こう。

 

 ヘルメットとゴーグルを身につけてシートに跨る。チョークを引き、体重をかけてキックペダルを蹴り飛ばす。

 

 アクセルを吹かす。エンジンが独特な金属音のような唸り声をあげ、オートルーブの白煙があたりに立ち込める。

 

「お父さん、行ってくる」

 

 志摩さんが後ろでボクたちのことを静かに見守っていた志摩さんパパ改め渉さんに出発を告げる。

 

「うん、気をつけるんだよ。母さんも、もう少ししたら帰ってくるらしいから、あとで電話でもしてあげなさい。けっこう心配してるみたいだからね」

 

「わかった」

 

 話し終えた渉さんがボクのほうにやってくる。

 

「すまないね、娘を頼むよ」

 

「はい! 任せてください」

 

「うん、よろしくね」

 

 会話を終え、志摩さんに手で合図を出す。

 

 クラッチを握りギアを上げ、ウィンカーを出す。ミラーに映る志摩さんのビーノが、少し遅れて同じようにウィンカーを出した。

 

 アクセルを吹かし半クラッチでゆっくりと前進。左右確認、車、自転車、歩行者なし。よし、行こう。

 

 クラッチを離す。進み出す車体。今日は先導だからいつもよりもかなり遅くバイクを走らせる。

 

 ミラーで志摩さんがちゃんとついてきていることを確認しギアを上げる。

 

 志摩さんの初めてのツーリング。少しでも楽しんでもらえるように頑張ろう。

 

 

 

 

 

 枯れ木の野山と古ぼけた民家がおりなす田舎道。

 

 2ストロークと4ストロークのバイクがトコトコと音を立て走っていく。

 

 3速で時速30キロ前後をキープするようにスロットルを調節する。

 

 本当は4速でもう少しスピードを出したいところだけど、それはまずバイクという乗り物に慣れてからの話になるだろう。

 

 前方に信号、黄色信号だ。ブレーキペダルを踏んで減速しつつギアを下げていく。

 

 2速、1速と落としていき停止線ギリギリでフロントブレーキをかけ停車。

 

 アイドリングを安定させるために空吹かししてからニュートラル。後ろにいる志摩さんに顔を向ける。

 

「志摩さん! 大丈夫?」

 

 ヘルメットとエンジン音で音が聞き取りにくくなるので、なるべく大きな声で話しかける。

 

「うん、大丈夫」

 

「ごめん、なんて!?」

 

 うーん、やっぱり聞き取りづらい。インカムあれば解決するんだけど、そんなものボッチが持ってるわけないしなあ。

 

「大丈夫!!」

 

 よかった。大丈夫みたいだ。

 

 走ってる時もミラーでちょくちょく見てたけど、走り出しでたまにフラつく以外とくにおかしなところはなかった。

 

 道がまっすぐっていうのもあるだろうけど、志摩さんのセンスもいいのだろう。

 

 視線を戻しメーターを見る。燃料計の針がもう底をつきかけていた。これはガソリン入れなきゃダメだな。

 

 もう一度志摩さんに向き直る。

 

「ガソリンなくなりそうだから!! この先のスタンド寄るね!!」

 

「わかった!!」

 

 はたからみたら怒鳴りあっているように聞こえるかもしれないけど、バイクに乗っている時は怒鳴るくらい大きな声じゃないと本当に通じない。

 

 比較的エンジン音の大人しい原付でこれなんだから、大型バイクなんか生の声じゃどうやっても聞き取れないだろう。

 

 そうこうしているうちに向かい側の信号が黄色に変わった。

 

 志摩さんに手で発進の合図をしてクラッチを握りギアを上げる。

 

 アクセルを吹かし発進の準備をする。エンジンが唸りマフラーが白煙を噴き出す。

 

 あまり行儀がいい行為とは言えないけど、アイドリングから急発進すると回転数が足りなくて最悪エンストしちゃうから仕方ない。

 

 青信号、スロットルを回しながらクラッチを離す。ゆっくりと加速していく車体。

 

 走りながらタンク下の燃料コックをリザーブ側に捻り、予備の燃料に切り替える。これであと2リットル分は走れる。

 

 さて、志摩さんの様子はどうかなっと。

 

「あっー!」

 

 ミラーには、トラックに滅茶苦茶煽られている志摩さんの姿が映っていた!

 

 まずい、あれは日本国原産暴走トラックだ!

 

 あいつらに制限速度の概念はない。40キロのところだって70キロで走る。とくに田舎道のトラックはやばい。殺意がみなぎっている。

 

 減速しながらウィンカーを出して路肩に寄せる。

 

 ミラーに映る志摩さんも同じように寄せている。心なしか顔が慌てているように見える。

 

 ボクたちが端に寄せた瞬間、トラックが反対車線にはみ出しながら猛スピードで抜いていった。

 

「ふぅ、よかった……」

 

 タイヤで飛び散った砂つぶがボクの頬に当たる。うぇ、痛い。

 

 向こうも仕事で急いでいるとはいえ、もう少し優しくしてほしい。まったく、日本人は急ぎすぎなんだよ。

 

 志摩さんのことも気になるし、この先のスタンドで一旦休憩するか。

 

 

 

 

 

「レギュラーマンタンゲンキンデー」

 

 数分してたどり着いたスタンドで、店員に向かってガソリンを入れるための呪文を唱えバイクを降りる。

 

 志摩さんはガソリンを入れる必要がないのか目につく範囲にはいない。トイレにでも行っているのかな。

 

「653円でーす」

 

「あ、はい」

 

 そうこうしているうちにガソリンを入れ終えた店員にお札を渡し釣り銭を受け取る。

 

 こういう時、小銭も渡せば釣り銭減るのに何故かいつも忘れちゃうんだよねえ。おかげで小銭ばっか増えていく。

 

 エンジンをかけて、スタンドの出口付近に停めている志摩さんのビーノの隣に寄せる。

 

 あ、オイルランプ点灯してるじゃん。補充しないと。

 

 エンジンを切ってサイドバッグからエンジンオイルと使い捨てのノズル取り出す。

 

 右側にあるYB-1のエンブレムが刻まれたオイルタンクのネジを外す。

 

 ガコッとフレームにはめ込まれていた台形型のオイルタンクが外れ、キャップに覆われた給油口が顔を覗かせた。

 

 キャップを外し、タンクの中に青緑のオイルを注いでいく。

 

「何してんの?」

 

 いつの間にか戻ってきていたらしい志摩さんが後ろから質問してきた。たしかに4スト乗りには見慣れない光景だろう。

 

「オイルの補充だよ」

 

「交換とかじゃないんだ」

 

「うん、ボクのバイクは志摩さんのビーノと違って、 2スト……ガソリンと一緒にエンジンオイルも燃やすから、定期的にオイル継ぎ足さないといけないんだよね」

 

「あぁ、だから走ってる時マフラーからあんなに煙出てたんだ」

 

「そうなんだよね。だから後ろ走る時服にオイルつくかもしれないからちょっと気をつけてね。まあ今くらい離れてれば大丈夫だよ」

 

「りょーかい、あとこれ」

 

 オイルの補充と後始末を終えて振り向くと、志摩さんが手に持っていた何かを差し出してきた。ココアだ。

 

「え、いいの?」

 

「一緒に走ってくれたし、お礼ってほどじゃないけど」

 

 そういうことなら断る理由もない。ありがたく受け取るために手を伸ばす。

 

「ありが──」

 

「1300円」

 

 手を引っ込める。まさかの十倍!?

 

「うそだよ」

 

 ほっ、よかった。

 

 真顔で言われると冗談に聞こえないからやめてほしい。礼を言って今度こそココアを受け取る。

 

「それで、初めての運転はどうだった?」

 

 ココアを飲みながらたずねる。志摩さんは楽しんでいるとも、緊張しているともとれる表情で口を開いた。

 

「うん、やっぱ自転車と全然違うね。スピードも姿勢も違うし、トラック煽ってきてめちゃ怖かったし。双葉いなかったらやばかったかも」

 

「やっぱあれ怖いよね。夜とか走る時はもっと気をつけてね、あれよりやばいから」

 

 ボクはトラックにいい思い出がない。思い出すのは夜中の峠道。

 

 真っ暗でまったく見通しが効かないのに平気で煽ってきた時は死ぬかと思った。

 

「マジか、トラックおっかねえ」

 

「でも、楽しいでしょ?」

 

 トラック怖いと話す志摩さんの口元は、口ぶりと反してわかりやすいくらいに緩んでいた。

 

「うん、なんかうまく説明できないんだけど、めっちゃ楽しかった」

 

 ボクはその気持ちがよくわかった。

 

 まだ車の免許を取れないボクたちにとって、バイクというのは生まれて初めて経験する自分の力以外で動く乗り物だ。

 

 スロットルを回すだけで進んでいく景色。

 

 自転車とは比較にもならない風圧とスピード。

 

 歩きで何十分もかかる場所にたった数分で行ける感動。

 

 唸るエンジン、煙を噴くマフラー、ハンドル越しに感じるピストンの鼓動。

 

 空も土も太陽も、まるでパステルクレヨンで塗られたように色づいて、自分が何倍にも何十倍にも大きくなったような全能感。

 

 これを知ってしまえば、前の自分には戻れない。

 

「やばいでしょ?」

 

「うん、これやばい。ハマるかも」

 

 あの志摩さんが珍しくニヤニヤしている。だけど当然だ。バイクは楽しいのだ。

 

「だよね、やばいよね。ボクも初めて乗った時テンション上がりすぎて新潟まで行っちゃったよ」

 

「いや、それはわからない」

 

 あ、やっぱりそれはだめか。なんとなく素質ありそうな気がするんだけどなあ。

 

「でも、双葉がバイク好きな理由はわかった気がする」

 

 そう言って志摩さんは微笑んだ。どうやら、バイクの楽しさは十分に伝わったみたいだ。ならそれでいい。

 

「これからどうする?」

 

 志摩さんの家からここまでだいたい10キロ。帰りも含めれば20キロは走ったことになる。

 

 個人的には、もう少し交差点の経験を積んだほうがいいと思うけど、初めての運転としては十分な距離だろう。

 

「せっかくだしもうちょっと走りたいかな。まだカーブとか全然走ってないし」

 

「じゃあ予定通り甲府まで行っちゃおうか」

 

「そうだね」

 

 ココアを飲み干しヘルメットを被る。志摩さんも同じようにヘルメットを被った。

 

「双葉、甲府着いたらカリブー寄っていい?」

 

「アウトドアのお店だっけ? わかった。ちょっと待ってて、ナビ出すから」

 

 ポケットからスマホを取り出しバイク専用のナビアプリで甲府のカリブーに目的地を設定する。

 

 スマホをポケットにしまい、ヘルメットの隙間から無線式のイヤホンを左耳にねじ込んで準備完了だ。

 

「なんでイヤホン? あ、そっか、音声案内か」

 

「こうすれば画面見なくても道わかるでしょ。充電も全然使わないしけっこうおすすめだよ」

 

「へぇ、ナビはやっぱグーグル?」

 

「ううん、バイク専用のアプリ。お金かかるけど、グーグルみたいに変なルート案内しないし、原付で走れる道も案内してくれるからすごい使いやすいんだ」

 

 初めのころグーグルの案内に従って走っていたら、まんまとバイパスに案内されて死にかけた。

 

 突然原付侵入禁止の標識が現れて、あれっと思った瞬間には制限速度がいきなり80キロになった時の恐怖は今でも頭に焼き付いている。

 

 もっと手前で出してくれないとわかんないって。

 

 それ以来、ボクは多少お金がかかってもちゃんとしたナビを使うようにしている。でないといつか冗談抜きで死ぬ。

 

「いいなそれ、あとで詳しく教えてくれない?」

 

「いいよ。でも、今はとりあえず甲府行こっか」

 

 お互いにバイクに跨りエンジンをかけ道路に繰り出す。

 

 ミラーに映る志摩さんは、出発したばかりのころとは比べものにならないくらい運転がスムーズになっていた。

 

 昼過ぎの国道52号。二台のヤマハが駆け抜けていく。

 

 冷たい風が吹き荒ぶ。秋はますます寒さを増していた。

 




用語解説

やけにスピードの遅い軽トラ
ほんとに遅い。50キロのところ30キロくらいで走ってる。

キャブレター
ガソリンと空気を混ぜ合わせてシリンダーに噴射させるためのパーツ。電子的なシステムは一切使われていないので調整には根気がいる。
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