「へぇ、ここがカリブーか。なんか雰囲気あるね」
走り続けること約20キロ。ボクたちはついに目的のお店にたどり着いた。
ヘルメットを脱いでお店を眺める。ログハウスのような店構えがいかにもアウトドアって感じでいい。
「志摩さん、大丈夫? 足とかつったりしてない?」
シートのメットインにヘルメットをしまっていた志摩さんに体調をうかがう。
志摩さんのお父さんから頼まれている以上、適当にやるわけにはいかないのだ。
「なんともないけど、なんで足?」
「バイクって、ようはずっと座りっぱなしでしょ? だから疲れてたりすると、突然つったりするんだよね」
ふとした拍子に激痛が走ってパニック、なんてのは長距離ツーリングでは珍しくない。慣れないうちはとくにだ。
「今はなんともないかな。にしても原付ってけっこう疲れるんだね。スクーターだからもっと楽かと思ってた」
「ずっと風が身体にあたってるから意外と体力使うんだよね。ハンドルにつけるスクリーンとかあれば、もっと楽になると思うよ」
ボクも一時期ヘッドライトにバイザーを付けようかと考えた時期があったけど、装着した写真をネットで見たら絶望的に似合わなかったので諦めた。
やっぱ見た目は大事だよ。見た目は。
「ま、とりあえず寒いしお店入ろうよ。ボクここ初めてだから案内してもらってもいい?」
「うん、って言ってもわたしもここは初めてだけどね。いつもは身延のほう行ってるし」
そんな他愛もない話をしながらボクたちは店の中に入る。
真っ先に視界に飛び込んだのは、見渡すかぎりのアウトドア用品と、一匹の大きな黒い犬だった。
スタッフの飼い犬かなんかだろうか、暖房が効いている店内でゴロンと横になっていて可愛い。
「お、わんこだ」
志摩さんが犬に近づくと、犬が起き上がって近づいていった。ずいぶんと人懐っこい犬だ。
「ふっ、めんこいやつめ」
慣れた様子で犬を撫でている志摩さんの顔は犬に負けないくらい綻んでいた。
「犬、好きなの?」
「斉藤がちくわ……斉藤が飼ってるチワワの写真送りまくってきて、気づいたら好きになってた」
へぇ、あのチワワ、ちくわっていうんだ。かわいいなあ。一回会ってみたいなあ。
「あいつ、都合悪くなるとすぐちくわのふりするんだよなあ」
「なんか、志摩さんって、斉藤さんとほんと仲良いね」
何度か二人のやりとりは見てきたけど、まったくっていうほど遠慮がなかった。
たぶん、お互いの性格とか、生き方とか、そういうものを知り尽くしているからなんだろう。
「別に、あいつはただの腐れ縁っていうか……まあ、いい奴ではあるけど」
口ではそう言っているけども、志摩さんにとって斉藤さんが気の置けない存在なのは想像に難くない。
なんていうか、うらやましい。ボクにもこういう友達がいたらよかったのになあ。
「ガス缶見てくるけど、双葉はどうする?」
「ボクはこういうところ初めてだし色々見てこようかな。終わったら呼んでよ」
「わかった。じゃ、終わったら呼ぶね。あばよ、わんこよ」
犬をひと撫でして、志摩さんは店の奥に消えていった。さて、ボクはどうしようかな。
まずは──
「な、撫でてもいいかな」
もふもふ成分を補充しようと、犬にそっと手を伸ばす。
「ちょっとだけ、ちょっとだけだからね。噛んだりしないでね」
がしかし、手が触れる寸前、犬がボクから一歩距離をとった。
「あれ?」
志摩さんは簡単に撫でていたのにどうしてだろう。もう一度手を伸ばす。
願い虚しく中を掴む手。
「あっ」
思い出した。そういえば、さっきガソリンスタンドでココア飲んでたっけ。
犬にとってチョコレートは毒。つまり犬にとってボクは毒物の塊でしかないというわけだ。
「がーん……」
膝をつき項垂れる。もういいや、店見て回ろう。
おぼつかない足どりで歩き出すボク。その姿を犬が興味なさそうに眺めていた。
次会ったら思いきりわしゃわしゃしてやるからなー覚悟しとけよー
「モンベル、コールマン、スノーピーク……うわぁ、ブランドばっかだ」
陳列されているテントを見て回る。当たり前だけど、商品はどれもブランド品ばかりだ。
「これが4万、こっちが……うわ、6万」
アウトドア用品が高いのは知っていたけど、こうして面と向かって値札を見ると、卒倒しそうな値段だ。
「あ、いた」
声がして振り向くと、レジ袋を携えた志摩さんがいた。用事はもう終わったらしい。
「終わったよ」
言葉のとおり、レジ袋にはガス缶が詰められていた。前に本栖湖で使っていたバーナーで使うんだろうか。
「テント見てたの?」
「うん、ちょっと気になってね。ボク使ったことないんだよね」
「使わないって、じゃあ旅先でどうやって寝てんの?」
野宿していることは知っているはずだけど、テントを使わないとは思っていなかったらしい。
「普通に寝袋とマットだけだけど」
そう言うと、志摩さんの目が信じられないものをみるような目に変わった。うん、いつものリアクションだ。
「マジか……寒くないの?」
「風と保温だけしっかりしておけば、意外となんとかなるよ。あとは気合」
個人的にこれが一番大事だと思っている。中途半端に暖かい家に未練があるから気になって眠れなくなるのだ。
家が火事になって焼け出されたくらいの気概でいけば人間、どこでだって眠れる。
「最初は寒くて眠れないこともあったけど、今はとくにそういうのもないかな。たぶん慣れちゃったんだろうね」
「前から思ってたけど、なんていうかたくましいよね。双葉って」
突然の言葉にボクは目を丸くした。
野宿なんて言うなれば痩せ我慢だ。すごいことでもなんでもない。
ボクなんかよりも、一人でテントを立てて焚き火を起こす志摩さんのほうがよっぽどすごいと思う。
「わたしだったら外で寝るとか絶対無理だな。怖いし」
街灯すらないキャンプ場のほうがよっぽど怖い気がするけど、きっとこれは考え方の違いなんだろう。
「ほんと、わたしよりもちっこいのに、よくやるよ」
「お、同じくらいだと思うけどなあ……」
密かに気にしていることを言われ動揺する。
頭のお団子でかさ増ししてるだけで、髪を下ろしている今ならボクのほうが大きいはず!
……きっと、たぶん、めいびー
「ふぅん、じゃあ比べてみる?」
ちょっとだけむっとした顔の志摩さんが、ボクの目と鼻の先に立った。
そしてむっとした表情のまま手を自分の頭の上に乗せ、ゆっくりボクへとスライドさせていく。
伸ばした手が、ボクの髪をそっと撫でて、そのまま奥へと去っていった。
「なっ……」
「ふっ、勝ったな」
ニヤリと勝ち誇る志摩さん。むむ、ちょっとカチンときたぞ!
「もう一回! もう一回勝負! 今度はボクがやる!」
わずかな望みに賭けて、自分の頭に手を乗せ、志摩さんに向けてスライド。
「ぜぇーったいボクのほうが大きいもんね!」
けど、現実はボクに優しくなかった。
伸ばした手が、志摩さんのおでこの上のほうにぶつかって止まった。
止まってしまった。
「……ふっ」
暖房で暖められた額の温い感触が手に伝わる。志摩さんが悪い顔でニヤリと笑った。
「そ、そんなぁ……」
力が抜けて、ヘナヘナと床に膝をつく。ずっとボクのほうが大きいと思ってたのに……
学年最小じゃないことだけが、唯一の取り柄だったのに……
「ま、元気だしなって。いつか伸びるから……たぶん」
たぶんはいらなかったなあ。あと勝ち誇ったみたいに頭ポンポンするのやめてください。
「もう帰る?」
「……うん」
差し出された手を取ってお店を後にするボクたち。これじゃまるで姉と妹みたいじゃないか。
おかしいな、さっきまでいい感じに先輩風吹かせてたはずなんだけどなあ……
県道104号線、和田峠。きついヘヤピンの連続をエンジンを唸らせながら登っていく。
ミラーをチラリと見ると、すごい量の白煙が、まるで飛行機雲のように尾を引いていた。
2ストの宿命とはいえこの光景は心臓に悪い。
ミラーに写っている志摩さんも心なしか距離が離れている気がする。服にオイルついたらたまったもんじゃないしね。
大きな赤い減速帯のあるカーブの先に目的地が見えてきた。ウィンカーを出して対向車が来ないか確認しバイクを止める。
「ふぅ、やっとついた」
ゴーグルとヘルメットを脱ぎ、眼下に広がる街を眺める。
「……すげぇ」
隣の志摩さんがボソリと呟いた。
和田峠、みはらし広場。ツーリングのしめにボクが選んだお気に入りの場所だ。
澄み渡ったオレンジに染まる甲府盆地。
南東の山脈の向こうには、雪を被ったが富士山がまるで砂糖化粧をほどこされたチョコレートケーキのように佇んでいた。
遠くの空で飛行機が尾を引いて飛んでいた。
「綺麗でしょ。ここお気に入りの場所なんだ」
「うん……あ、そうだ。一緒に写真取っていい?」
断る理由もないので、甲府盆地をバックにスマホをかかげる志摩さんに近寄る。
「双葉、もうちょっとこっち」
スマホの画面に納めようと無理しているせいで、顔がくっつきそうになる。
「ちょ、近くない?」
「だってこうしないと入んないし」
「横にすればいいんじゃないの?」
「あ、そっか」
が、二人とも自撮りなんてろくにしたことがないので、案の定グダグダになった。
まあ、志摩さん自撮りとか絶対しなさそうだもんね。
「チーズ」
パシャリ。ようやく写真を一枚撮り、画面を二人で確認する。
「双葉、目閉じてるし」
スマホには、これいじょうないってくらいに盛大に目を瞑っているボクが写っていた。
無駄にいい笑顔なのが憎たらしい。
「もう一回撮る?」
「……だね」
このあと、顔が引き攣ってるだのピンボケしてるだので、四回ほど撮り直す羽目になったボクたちなのであった。
今度自撮りの練習しておこう。なでしこあたりにでも頼めばいくらでも教えてくれるだろう。
「やっと撮れた。今送るね」
「うん、ありがと」
スマホを開き、送られてきた写真を確認する。そこには、甲府をバックに、笑顔のボクたちが写っていた。
なんだ、普通にいい写真じゃん。あとで印刷して部屋に飾ろうかな。
「双葉、今日はいろいろ連れてってくれてありがと。今度お礼するよ」
「お、お礼なんていいよそんなの。ボクがしたくてしただけだし」
今日ボクがしたことなんてバイクで一緒に走ったくらいだ。大したことは何もしていない。
「でも、双葉いなかったら道でパニクってたかもしれないし、ほんと助かった」
「ど、どういたしまして……」
混じり気のない純粋な感謝の気持ちを伝えられ、恥ずかしさと嬉さが込み上げてくる。
耐性がないから、こういう時どうすればいいのかわからないよ。
「綺麗だね」
「うん、綺麗だね」
黙って景色を眺める。こうして無言の時間を過ごすのは、なんというか心地よかった。
野クルでわいわいやるのも楽しいけど、こうやって静かな時間を過ごすのもやっぱり楽しい。
「前から気になってたんだけどさ、双葉はなんで旅しようと思ったの?」
ふと、志摩さんがたずねてきた。
こういうことを聞かれたのは初めてだ。そういえばどうして旅しようと思ったんだっけ。
ああ、そうだ。思い出した。
「ボク昔、ある小説にハマってたんだよね」
人に話すのは恥ずかしいから誰にも言ったことがなかったのに、気がつけばボクは口を開いていた。
「喋るバイクと女の子が旅をする話なんだけどさ」
ちなみにその小説は今でも追いかけている。早く新刊でないかな。
「その子がいろんな国にいくんだ。それがすっごくワクワクして、ボクも同じような冒険がしてみたいなって思って、気がついたらこうなってた」
ちょっと前までは、あの主人公のように何もかも捨てて旅に出たいと思っていた。
けど今は違う。心配してくれる人がいる。一緒にいて楽しい人がいる。
何も持っていないと思ってたはずなのに、気がつけば捨てられないものがたくさん増えていた。
だからボクは帰ってくる。大切な人たちがいるあの街へ。
「あ、その本わたしも読んだことあるかも。あれでしょ? 銃撃ったりするやつ」
「志摩さんも読んだことあるんだ! あれすっごい面白いよね」
「わたしも中学の時ハマってたっけなあ。なんか無駄にグロかった気がする」
そう言って、はっとしたようにボクの顔を見る志摩さん。
「あれ? そういえばあの本の主人公、自分のこと僕って言ってたような……」
もしかして、とでも言いたいのだろう。そこに気づいてしまったか……
「双葉、もしかして……」
じとーっとボクを見る志摩さん。思わず目を逸らす。
「……ノーコメントで」
この場においてそれは答えを言っているようなものでしかない。
微妙な空気がボクたちの間に流れる。
「……まあ、いいんじゃないの? 人それぞれだし」
なら、その間はなに? いやまあ言いたいことはボクもわかってるけどさ。
恥ずかしい事実を暴かれ、顔に熱が集まっていく。
そう、ボクが自分のことをボクなんておかしな呼び方をしているのは、全てあの本のせいなのだ。
しょうがないじゃん、ハマったの小学生の時だったんだもん。
「志摩さん、みんなには秘密にしてね……ほんとお願いだから」
真っ赤になった顔を隠して必死に懇願するボク。我ながら本当に情けない。
「言わないって」
顔をパチパチと叩いて、恥ずかしさでどうにかなりそうな気を引き締める。よし、ボク復活。
時計を見る。いい時間だ。今日は十分走った。もう帰ろう。
「じゃあ、志摩さんそろそろ──」
「リンでいいよ」
帰ろうと言いかけたところで、志摩さんに遮られた。
「え?」
思わず聞き返す。正直に言うとうまく聞き取れなかったからだ。
「だ、だからリンでいいって」
聞き返されたのが恥ずかしかったのか、志摩さんの顔がちょっとだけ赤くなった。
「いいの?」
思わず聞き返す。
短い付き合いだけど、志摩さんはボクと同じで自分からいくようなタイプじゃないのはよくわかっている。
だから志摩さんが自分からこんなことを言うなんて、少し意外だった。
しかも大して交流のないボク相手にだ。
「なでしこのことも名前呼びなんでしょ?」
「うん、なでしこが呼んでほしいって言ってきたから」
ラインか本人経由で知ったのだろうか。まあなでしこなら志摩さんに自慢していても不思議じゃないか。
けど不思議だ。斉藤さんのことを苗字呼びにしていることも含め、志摩さんはそういうの気にする人じゃないと思ってたんだけどなあ。
「あいつはもう名前呼びなのに、わたしだけ志摩さんって、なんか仲間外れみたいでやだし……今日もいろいろしてくれたし……」
本栖湖で偶然出会い、なんやかんやあって付き合いが始まったボクたち。
なでしこはともかく、ボクはせいぜい知り合い止まりだと思っていたけど、それは間違いだったのかもしれない。
「だからさ、名前でいいよ。と、友達でしょ?」
「友、達……」
言われ慣れない単語に思わず立ち尽くす。
誰かから、面と向かって友達なんて言われたのは、生まれて初めだ。うん、そうだ、初めてだ。
なんだろう、すごく、すごく嬉しい。
「……うん! よろしくね! リン!」
笑顔で志摩さん……リンに手を差し出す。
視界がちょっとぼやけているのはきっと眼鏡がずれているせいだ。
「……よろしく、双葉」
手を握る。手袋越しの手は、風で冷えて冷たかったけど、すごく暖かかった。
「それで、気が向いたらでいいんだけどさ、いつかキャンプ行かない?」
ふと志摩さんがそう言った。キャンプ、そうキャンプだ。
「この前なでしことキャンプした時、けっこう楽しかったんだ。でも思ったんだよね。あの時双葉もいたらもっと楽しかったんじゃないかなって……」
驚いた。あれだけソロキャンが好きだと言っていた志摩さんがそんなことを言うなんて。
「わたしとなでしこと双葉の三人でさ、一緒に焚き火囲ってご飯食べたりラジオ聞いてのんびりしたり……」
本栖湖での出来事を思い出す。
短い時間だったけど、なんていうかすごく満たされていた気がする。綾乃の時もそうだ。すごく楽しかった。
「一人旅も悪くないけど、キャンプだって同じくらい楽しいと思うよ。なでしこだってきっと大喜びするだろうし」
ずっと一人で旅をしてきた。少しくらい誰かと一緒にいるのも悪くないかもしれない。
いや、強がらなくてもいいか。今はっきりわかった。
ボクはみんなとキャンプがしたいんだ。
「どう、かな?」
不安そうにボクを見るリン。あれだけ一人旅が好きと豪語していたから、断られると思っているのだろうか。
ボクみたいなクソザコが、こんな楽しそうな誘いを断れるわけがないのにね。
「うん、やろう。キャンプ、いつか絶対!」
ボクにできる精一杯の笑顔で約束する。笑い方ならなでしこでさんざん見てきた。
「……わかった。約束」
リンがにっこりと笑った。今日一番の笑顔だった。
「うん、約束」
夕日の空、忘れられない思い出がまた一つ増える。
「帰ろっか」
「そうだね」
今から帰るとなると、家につくころにはすっかり夜になっているだろう。帰りに夕飯の材料買って帰らないとな。
「あ、そうだ、お母さんに電話しないと」
ちょっと電話すると言ってリンがスマホを取り出した。
そういえば出かける時リンのお父さんがそんなことを言っていた気がする。
「もしもしお母さん? ……今甲府、和田峠のみはらし広場ってところ……え!? おじいちゃんが? ……うん……うん……わかった、じゃあね」
電話が終わったようだ。驚いていたみたいだけど、なにがあったんだろうか。
「リン、どうかしたの?」
ボクがたずねると、リンは困っているとも照れているともとれる表情で口を開いた。
「なんか、おじいちゃんここに来るみたい」
おじいちゃん、リンが前に話していたバイクで日本中旅して回っているっていう人か。
ここに来るって、すごい急だな。でもバイクなら難しい話じゃないか。
「おじいちゃん今甲府にいるらしくてさ、お母さんがわたしたちのこと話したら様子見に行くって言い出したみたい。わたしは待つけど、双葉はどうする?」
たしかに、もうすぐ日が暮れる時刻になる。
リンのおじいさんがどれくらいで来るのかわからないけど、待っていたら帰るころには真っ暗になっていることだろう。
でも、帰っても誰もいないしなあ。一人でご飯を食べて、一人で寝るだけ。
いつものことだけどちょっと寂しい。そう思うようになったのは、きっとみんなのおかげなんだろうな。
「どうせ暇だからボクも待つよ」
「わかった。ただ待ってるのもあれだし、ココアでも飲む?」
リンがビーノのメットインからバーナーと二つのコップを取り出す。そんなもの持ってきてたのか。
いいなあボクもほしいなあ。買っちゃおうかな。
「ありがとう。ちょうど何か飲みたかったんだ」
「うん、ちょっと待ってて」
慣れた手つきでコッヘルをバーナーにかけるリン。あっという間にココアが出来上がった
夕暮れの空の下、ココアの甘い香りのする湯気が風に流されあたりに漂う。
「あいつ、たまにわたしの髪でいたずらするんだよね。この前なんて熊つくられたし、なんだよ熊って」
甲府盆地を眺めながら他愛もない話に花を咲かせる。
「く、熊ってすごいね。それだけ長かったらできるとは思うけどさ」
「いい加減伸びてきたし、わたしも双葉みたいに肩くらいにしようかな。風呂入る時めんどいんだよね」
「寒いからやめたほうが──」
峠の向こうから力強いエンジン音が聞こえてボクは会話を中断した。もしかして……
「あ、おじいちゃんのバイクの音だ」
ついに来たようだ。ドキドキする気持ちを抑えながら道路のほうに足を運ぶ。
「あ、来た。おーい」
コーナーの向こうから現れたバイクに向かってリンが手を振る。あれがリンのおじいさんか。
バイクはみるみるうちに近づいてきて、やがてボクたちの前で止まった。
正面からじゃわからなかったが、トライアンフのネイキッドだ。
リアに荷物を満載している。旅をしているのは本当のようだ。かっこいいな。
バイクの持ち主がエンジンを切り、バイザー付きのジェットヘルメットを脱ぐ。
「久しぶりだなリン。元気にしてたかい?」
真っ白な髪に真っ白な髭。ピンと張った背筋に切長の目筋。
渋いおじさんという概念を擬人化させたかのような人が、微笑みながらそう言った。
「うん、ひさしぶり、こっち来てたんだ」
リンの声がちょっとだけうわずっている。それだけで二人の仲が良さがうかがえた。
「たまたま古い友人に用があったもんでね。咲から聞いたよ。バイクに乗り始めたそうじゃないか」
うわ、声まで渋い。リンのお父さんもそうだったけど、美形の家系なんだろうか。たぶんお母さんも美人なんだろうな。
「うん、原付だけどね。双葉に先導してもらったんだ。この子が双葉、わたしの友達」
「ひゃ、ひゃい、どうも!」
リン、紹介してくれたのは嬉しいけど、唐突にボクにバトンを渡すのはやめてほしかったな。
「なるほど、君が娘の言っていたリンのお友達か」
あぁ、そんな渋い顔でこっち見ないで!
初対面、それもめちゃくちゃ渋いおじさんを前にして、ボクのクソザコメンタルが早くもキャパオーバーを起こしかけていた。
「自己紹介が遅れてすまない。リンの祖父をやっている新城肇というもんだ。今日は孫が世話になった。礼を言うよ」
そう言って礼儀正しくお辞儀する新城さん。
渋い顔と渋い声と渋い仕草のトリプルコンボによって、ボクのクソザコゲージが振り切れた。
「あ、あのあの! ぼ、わた、ボク、や、山中双葉って言います! きょ、今日は、ま、まことにせ、僭越ながらお孫さんと一緒に走らせていただきました!」
「……テンパリすぎだろ」
ボソッて突っ込むのやめて! わかってるけど! 一言一句そのとおりだけど!
うぅ、このコミュ障っぷりほんとなんとかならないのかな。
「はっはっは、なかなか面白い子じゃないか。なあに、そう緊張しなくてもとって食いやしないさ。それでどうだったかい、リンの腕前は」
威圧感など微塵も感じさせない穏和な笑みの前に、ボクのクソザコメンタルが少しだけ落ち着きを取り戻していく。
「は、初めとは思えないくらいすごく上手でびっくりしました。あれなら遠出しても全然大丈夫だと思います」
お世辞でもなんでもない。本当にうまかったのだ。
たぶん自転車で公道を走ることに慣れていたっていうのが大きいんだと思う。
「だそうだぞリン。よかったじゃないか」
「う、うん、そんなに褒められるとちょっと照れるな」
リンと新城さんが話している合間、ボクの視線は新城さんが乗ってきたバイクに釘付けになっていた。
トライアンフ・スラクストン 1200R
前に雑誌で見たことがある。こんな間近で見れるなんて思ってもいなかった。
シルバーのタンク、フレームにみっしりと詰まった巨大な二気筒エンジン、排気量は脅威の1200cc。
テクノロジーとビンテージの融合、イギリスの産んだ芸術品。
はっきり言ってカッコ良すぎる。
「そのバイクが気になるのかい?」
「うひゃぁ!?」
後ろから声をかけられ飛び跳ねる。心臓に悪いからやめてほしい。いや、ボクがたんにザコなだけか。
あとリンは横で笑うな。顔背けても口元でバレバレだから。
「ずいぶんと興味深そうに眺めてたが、バイクわかるのかい?」
「は、はい! これトライアンフの新モデルですよね! 雑誌で見ました!」
ボクの言葉に新城さんがにっこりと笑う。やっぱり優しい人だ。緊張していたボクが馬鹿みたいだ。
「ほぉ、よく知ってるじゃないか。こいつは最近手に入れたばかりでね。まだ慣らしの最中なんだ」
たしかによく見たらピッカピカの新車ってかんじだ。古いのもかっこいいけど、こういうのもまた味があっていいなあ。
「そうなんですか。いいなあ、かっこいいなあ」
荷物を満載してるのもボク的にポイントが高い。荷物積んだバイクってなんでこんなにかっこいいんだろう。
「はっはっは、そう煽ててもなにもでやしないよ。けど、そういう君も、なかなかどうして、いい趣味してるじゃないか」
新城さんはそう言ってボクのビーちゃんに目を向けた。
「YBか、懐かしいな。若い頃に走ってるのを見かけたよ」
「え、双葉のバイクってそんなに古いの?」
リンが驚いた。たしかに、ボクも知った時はけっこう驚いた。
「うん、ビーちゃんの製造自体は99年だけど、基礎設計は40年以上前なんだ」
「古っ、双葉そんなの乗ってたのか」
同じビジネスバイクだったらカブのほうがもっと古いんだけど、見た目が見た目だから驚くのも無理ないか。
「リンには馴染みがないだろうが、昔はこういうバイクがそこら中で走ってたもんだ。酒屋のオヤジが配達に使ってたのを覚えているよ」
顎髭を撫でながら過去に想いを馳せるように微笑む新城さん。ほんと、何しても様になる人だな。
「見たところ保存状態もかなりいい。貴重なバイクだ。大事にしてあげなさい」
「はい!」
バイクもかっこよくて、本人もかっこいいとか反則でしょ。ボクもこんなふうにかっこいい歳の取りかたをしたいなあ。
「さて、久しぶりに会えたことだし、食事でもどうかと思ったんだが、娘に君たちを連れて帰るように頼まれていてな。リン、双葉さん、一緒に走ることになるが問題ないかい?」
突然の申し出に驚くボク。でも、当然と言えば当然か。
信用されていないわけじゃないだろうけど、大人がいたほうが安心できるのは事実だ。
ましてやこの人はリンのおじいちゃん、保護者としてこれ以上的確な人はいないだろう。
「わたしは全然。双葉は? なんか用事ある?」
「ううん、ボクも大丈夫だよ」
三人で走れるなら是非とも走ってみたい。マスツーリングなんて初めてだ。楽しみだな。
「なら決まりだな。私が先導するからリンは後ろを走りなさい。双葉さん、君はリンの後ろを頼めるかい?」
「はい、任せてください」
「こんな老人と走ってもつまらんだろうが、よろしく頼むよ。そうだ、ついでだから娘の家で夕飯を食べていくといい」
「え、いやそんないきなり迷惑ですよ!」
首をぶんぶん振って断ろうとしても、新城さんはニヤリと笑うだけで取り合ってくれない。
「なに、一人増えたところでどうということはないさ。咲に電話するから二人は出発の準備をしててくれ」
それだけ言うとスマホを出して電話を始めてしまった。もう断る雰囲気じゃない。
「じゃ、いこっか双葉」
「り、リンはいいの? 嫌じゃないの?」
バイクを道路向けて切り返しながらたずねる。
リンならたぶん嫌がるはずだ。その時は普通に帰ろう。
「べつになんとも思わないけど、どうしたの?」
あれ、おかしいな。
リンなら嫌がると思ったんだけど。予想外の反応に困惑するボク。
表情を見た感じ、おじいちゃんの手前言い出せないという感じでもなく、本当になんとも思っていないみたいだ。
「そ、そっか、ごめんなんでもない」
困るなあほんと。
なにが困るって、ちょっと嬉しいって思ってる自分にだよ。
思わず顔がニヤけそうになり必死に堪える。
なんでボクの周りってお人好しばっかりなのかな。まあいいか。
「でもリン、言っとくけどボクめちゃくちゃ挙動不審になるから覚悟しててね」
「自信満々に情けないこと言うなよ……わかった、そのときはフォローするから」
「あ、ありがとう!」
「双葉さん、娘はOKだそうだ。二人とも、準備はいいかい?」
すでにバイクに跨っている新城さんに手で応える。
峠道に三台のバイクのエンジン音が響き渡る。うん、間近で聞くと迫力が段違いだ。
「では行こうか」
風を切って走り出すトライアンフ。初めにリンが続き、その後をボクがつける。
夕暮れの峠道。三台のバイクが細い影を作って走り出す。
ちなみに、このあとリンのお母さんに会って、予定通りクソザコムーブをかまし、リンと新城さんに笑われたことは言うまでもないだろう。
あんなに美人だなんて聞いてないよ!
用語解説
黒い犬
アウトドアショップエルク甲府店にいる看板犬のダンテくん。ドラマ版にも登場。かわいい。
ある小説
やたら兵器の描写がマニアックだったり主人公にパーカッションリボルバーとかいうマニアックの極みみたいな銃持たせる小説。
トライアンフ
イギリスのバイクメーカー なんと19世紀から会社がある。かっこいいバイクを作ることで有名。
スラクストン1200R
トライアンフが2016年に発売した大型ネイキッドバイク。スラクストンはイギリスにあるサーキットの名前。クラシックなフォルムからは想像できないほど最新の電子制御システムが盛り込まれている。