レジ袋に詰まった食材を確認し、ほくそ笑む。
県道17号線と国道152号線を結ぶ丁字路のスーパーで、ボクたちは小休止を挟んでいた。
開店したばかりでまだあまり客のいない店内をあとにする。
思っていたよりも安く手に入れることができて助かった。
やっぱり食材はコンビニよりもスーパーで買ったほうがいいな。
二重式の自動ドアをくぐると、あずきと小麦の焼ける美味しそうな匂いがした。
匂いのするほうに顔を向ける。鯛焼き屋の店員さんが鯛焼きをたくさん焼いていた。
小麦の生地が型の中でじゅうじゅうと音を立て、そっと乗せられた餡子が上品な甘さをアピールする。
おいしそう。思わずつばを飲み込む。
「いけないいけない」
店に向けて一歩踏み出そうとしたところで我に返る。
ここには買い物と休憩で寄っただけ、買い食いをしにきたわけじゃない。
まだまだ先は長い。初っ端から誘惑に負けていたら日が暮れてしまう。
それにリンだって待っているんだ。ボクだけ甘いものに釣られるわけにはいかない。
頬を叩く。覚悟は決まった。ボクは絶対に負けない。
ふ、残念だったな。貴様の誘惑はボクには──
「タイヤキヤキタテダヨー カッテッテー」
ま、まあ一個くらいならいいよね。
「んまー」
サクサクでふわふわの鯛焼きを頬張りながらバイクに向かう。
うーん、やっぱ焼き立ては格が違う。誘惑に負けてくれてありがとうボク。
視界の先に見慣れたちっこい後ろ姿が映る。
リンはもういるみたいだ。ビーノに腰掛け何かを口に運んでいる。
背を向けているからわからないけど飲み物か何かだろう。
「おまたせー」
リンが振り返る。同時に口に運んでいたものが露わになる。
それは、茶色だった。
それは、鯛の形をしていた。
それは、鯛焼きだった。
……
…………
………………
お前もか。
無言で見つめ合う。言葉を発さなくてもボクにはわかる。リンがどれほどの死闘を繰り広げてきたのかを。
「鯛焼き、美味しいね」
「……うん」
二人で黙々と鯛焼きを食べる。それだけで十分だった。
ボクたちは何も悪くない。全て鯛焼きが美味しすぎるのがいけないんだ。
ピコン!
聞き覚えのある着信音に思わずドキリとする。きっと野クルの誰かだ。
恐る恐るスマホを手に取る。相手は綾乃だった。
なんだ綾乃か。身体の力が抜ける。
綾乃:やっほー
双葉:やっほー
綾乃:今日もどっか行ってんの?
双葉:諏訪湖の側の高ボッチ高原に向かってるところ。
綾乃:ひぇーまた遠く行ってんなー
双葉:今日は友達と一緒
綾乃:もしかして前に写真で送ってきたリンちゃんって子?
双葉:うん、そーだよ
綾乃:わたしもどっかの誰かさんの真似してバイクでお出かけだよー
双葉:いいじゃん。どこにいくの?
綾乃:愛知の伊良湖岬に行こうかなって思ってる
双葉:ってどこだっけ
綾乃:カンガルーのつま先
双葉:あ、だいたいわかった。気をつけてねー
綾乃:そっちも事故るなよー
楽しいやり取りに自然と顔がニヤつく。
スマホをしまう。ボクが友達とこうしてラインのやり取りをするようになるなんて思っても見なかった。
ほんと、人生って何が起こるかわからないよね。
「なんか楽しそうだけど、誰とラインしてたの?」
鯛焼きを食べ終えて心なしか満足気なリンがこっちを見てくる。
なんか最近この子の考えていることが読めるようになってきた気がする。
「ほら、前に行った浜名湖で知り合った友達」
「なでしこの幼馴染だっけ?」
「そうそう、綾乃って子。あれからちょくちょくやり取りしてるんだよね」
なんだかんだ言って綾乃と一番連絡を取り合っている気がする。
大半がくだらないやり取りだけど、そのくだらなさがすごく楽しい。
「綾乃もツーリングだってさ」
「ふぅーん」
一欠片になった鯛焼きを頬張る。おいしかった。帰りにまた寄ろうかな。
よし、休憩終わり。
「ん?」
リンがこちらを向く。
「ん」
そして無言でヘルメットを被る。
同じソロ志向どうし、こういうところはすごく気が合う。
ん、だけで通じるのってなんかいよね。
ビーちゃんに跨りエンジンをかける。隣でビーノのセルモーターが回る。唸る二台のバイク。
出発の時間だ。
「何キロ?」
ボクの言葉にリンがスマホを確認する。
「70」
ってことはあと2時間ちょっとか。
今10時前だから昼ごはんも入れて1時か2時くらいにはつけるかな。
「じゃ、すぐそこだしパパッといっちゃおうか」
「70はすぐそこじゃねえよ……」
うーんまだだめか。
リンの感性はまだまだ一般人よりみたいだ。
頭バイク乗りになるには経験値が足りないらしい。
でもボクは知っている。
ここまで70キロ以上走っているのにもかかわらず、リンが全然疲れているようにも飽きているようにも見えないことを。
なんならもっと走りたそうにソワソワしていることを。
「ふっふっふ」
きっと、遅かれ早かれボクと同じ人種になるだろう。
まってろよ、いつか絶対引きずりこんでやるからなー
「なにニヤけてんの? 行くよ」
「うぃー」
走り出すビーノについていく。
晴わたる空。どこまでも続く長い道が、ボクたちを抗いようのない旅の快楽へと誘惑していく。
左のヘヤピン。スロットルを緩めながら身体を傾ける。
『うぉっ、またカーブ! どんだけカーブあんだよ』
ヘッドセット越しに聞こえるリンの悲鳴をBGMに、ヘヤピンを抜けていく。
国道152号線、ビーナスライン。蓼科、霧ヶ峰、美ヶ原を結ぶ全長70キロ以上にも及ぶ長大な観光道路。
そんな美しい峠道をボクたちはひた走っていた。
街の面影はすっかり遠のき、右を見ても左を見ても視界に映るのはアスファルトと木々だけ。
エンジン音と風切り音だけがひたすらヘルメットの中で反響する。
左のヘヤピン。ブレーキングし身体を左側に乗り出す。
傾く世界、近づくアスファルト、全身を揺さぶる遠心力。その全てがボクを魅了してやまない。
やっぱり峠は最高だ。
「遅いよーリン!」
リンの斜め後ろにつけ、リーンインしながらヘヤピンを切り抜ける。
バイクの醍醐味といったらやはりなんと言ってもワインディングだ。このスリルとスピード感がたまらない。
もっとスピードを出したいところだけど、今日は相方がいるから我慢我慢。
「おらおらー」
真後ろで軽く蛇行運転。ちょっとしたおふざけ。
『煽り運転すんなし。なんでそんな余裕そうなんだよ』
前を走るビーノから文句がこぼれる。
ワインディングなど想定されていないスクーターで、このつづら折りを走るのは難しいものがあるのだろう。
「ボクが週に何キロ走ってると思ってるのさ!」
二学期に入ってしばらくは週千キロ以上がデフォだった。
11月に入ってからは大人しくなっているけど、それでも週に500キロ単位で走っている。
自分でいうのもあれだけど、走行時間はかなりのものになるだろう。
『いやそんなの知らんしってうわまたカーブ! やべえ、峠まじやべぇ』
きついきつい言うわりには、ノリノリで重心移動しているように見えるのは気のせいだろうか。
心なしか声もうわずっている。もしかしなくても楽しんでるよね。
「頂上までレースする?」
『捕まるわ。わたし白ナンバーなの忘れんなよ』
そうだった。一応30キロまでしかだしちゃいけないんだった。
2ストならともかく、4ストならそれくらいでもちょうどいいのかもしれない。
「じょーだんじょーだん」
軽口を叩きながらまたヘヤピンを抜ける。
霧ヶ峰は初めてきたけれど、こんなにいい道だなんて知らなかった。今度一人で行ってみようかな。
『あ、この先の白樺湖で左折だって』
そこから先は本格的に山登りってわけか。キャブのビーちゃんじゃきついだろうなあ。
「はーい」
『じゃ、先行ってるわ』
急加速していくビーノ。やっぱりノリノリじゃないか。
ギアを下げ加速する。
オートルーブの白煙が風に流され散っていく。
透き通る青空の下、枯れ茶けた草原の丘にたたずむパーキングエリアにビーちゃんを停め、ひと息つく。
霧ヶ峰、車山肩駐車場。ボクたちは、目的地の一つにたどり着いた。
ここでしばらくエンジンを休ませよう。
「おつかれ、ビーちゃん」
タンクをポンポンと叩く。
ツカレタ!
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
「くそさみぃ」
隣でリンが寒そうに身震いする。たしかここの標高は1800メートルくらいだったはず。
空気の薄さとかは感じないけど、寒さは確実に増している。
つまり、ただでさえ寒いのにもっと寒くなるというわけだ。
「コーヒーでも淹れる? 持ってきたよ」
「んー? バーナー出すのめんどいしいいや」
「ふっふっふ、それについては──」
ピコン!
言いかけたところで着信がなる。リンとボクがほぼ同時にスマホを取り出す。
相手はあおいだ。
あおい:笛吹ついたでー
ほどなくして写真が送られてくる。今笛吹公園にいるんだ。
ソフトクリームに集合写真。どれもおいしそうで楽しそうだ。いいなあ、リア充してるなあ。
あおい:お土産買って帰るから楽しみにしててな!
「うぐっ……」
「もう堪忍して連絡しなよ」
ボクの表情で察したらしいリンが呆れたようにそういう。一言一句その通りだから何も言えない。
じとーっとした目がボクを見つめる。なにか、なにか言わないと。
「……む、向こうのほう道続いているけどなにかあるのかな!」
「クソザコかよ」
正論やめてください。死んでしまいます。
「……たしかに、地図だと駐車場の先にカフェあるみたい。時間もちょうどいいし寄ってく?」
しょうがないなあと言いたげに肩をすくめるリン。
やっぱり優しいなあリンは。この子のこういうところが大好きだ。
「う、うん、行こっか」
「食い終わったらあいつらに連絡しろよ」
「……はい」
背を向けて歩き出したリンにとぼとぼとついていく。
なんか、尻に敷かれているように見えるのは気のせいだろうか。
「「あったか!」」
趣のあるログハウスの中に入ったボクたちを出迎えたのは、猛烈な暖気だった。
店の奥でパチパチという薪の燃える音がする。薪ストーブでも置いているんだろう。すごくあったかい。
「いらっしゃいませー お好きな席へどうぞー」
店員さんの優しげな言葉にうながされ、二人で店の奥へと足を伸ばす。
年季の入ったフローリングが歩くたびにコツコツと音を鳴らす。
ストーブの上におかれたヤカンからは、ヒューヒューと湯気が吹き出していて、乾いた空気を柔らかくしている。
丸太の柱にぶら下げられたランプ。淡い光がカウンターに並べられたサイフォンを照らしていた。
「なんかいいなあ、こういうの」
誰に言うわけでもなくつぶやく。
山の上にひっそりとたたずむカフェ。その情緒あふれるノスタルジーに浸りながらテーブルにつき、立てかけてあったメニューに手を伸ばす。
「双葉、メニュー見せて」
横に座っていたリンが身体を寄せてくる。肩と肩が触れ合う。
「「うぐっ」」
ボクとリンが同時に唸る。簡単に言ってしまえば高かったのだ。
500円600円は当たり前。ちゃんと食べようとすればもっと必要になるだろう。
少なくともボクたちのような学生にはおいそれと出せる額ではない。
標高も高くて運搬費がかかるからしかたないのだけど、やっぱり高いものは高い。
「……どうする?」
恐る恐るたずねる。まさかここで帰るなんて言わないよね。
いや、そんなどっかのクソザコみたいなことリンがするわけないでしょ。
「ぼ、ボルシチセット……」
目線をメニューに持っていく。
ボルシチセット1300円(税込)
ブックオフで巻数の少ない漫画なら全巻揃えられる値段にリンの目が泳ぐ。
「ぐ、ぐぬぬ……」
そして、しばらく無言の葛藤をつづけたあと不意にリンが立ち上がった。
「リン、いくんだね……」
「か、金はあるんや……」
不退転の覚悟を胸に秘め、リンが歩き出す。
目指すは注文カウンター、手に入れるはボルシチセット1300円(税込)
「いい加減ボクも決めよう」
茶番を切り上げメニューを見てため息をつく。ほんとどうしよう。
綾乃と餃子食べてから食事に対するハードルが上がっちゃったんだよなあ。
誰かと一緒に食べるご飯のおいしさを知ってしまった。もう菓子パンだけで満足していたボクには戻れない。
だからこそあんなものを買ってしまったわけなんだけど……
「……サンドイッチセットか」
メニューの写真に目が止まる。
サンドイッチセット1200円(税込)
ドリンクが500円でサンドイッチが700円って考えたらわりと普通か。
チーズにレタスに玉ねぎ。具は日替わりなんだ。なんかおいしそう。
よし、決めた。立ち上がり注文カウンターへと足を運ぶ。
「すいません、サンドイッチセットひとつ。ドリンクはブレンドで」
注文を終えテーブルに戻る。席にはすでにリンが座っていた。
歩いたせいで身体が熱い。上着を脱いでしまおう。
チャックを開きパステルブルーのジャケットを脱ぐ。押し込んでいたユニクロの青いダウンジャケットの襟を元に戻す。
「そんな厚着してたのかよ。どうりで平気そうにしてるなって思ったよ」
「ちなみにズボンの下はジャージだよ」
秘技! ズボン二枚重ね!
動きやすさとプライドを犠牲に究極の暖かさを得る禁断の邪法!
エリートキャンパーのリンにこれは真似できまい!
ふはは、まいったかー!
って、ボクはいったい誰に言っているだろうか。
「着すぎだろ」
「えへへ」
さらにその下にタイツを履いてるって言ったらどんな顔するのかな。
そんなくだらないことを考えていると、店員さんが注文したものを運んできてくれた。
熱々のボルシチに具沢山のサンドイッチ。とてもおいしそうだ。
「サンドイッチうまそう。あとで一口ちょうだい」
「いいよ」
そっちのボルシチももらっていい? なんて野暮なことは聞かない。答えなんてわかりきっているから。
「「いただきまーす」」
両手を合わせて同時に食べる。
本栖湖で食べたカレー麺も、浜松で食べた餃子もおいしかった。
だから、このサンドイッチもきっとすごくおいしいに違いない。
「はぁ……」
ビーちゃんに腰掛け息をはく。開いた口の中に霧ヶ峰の冷たい風が入り込む。
楽しい食事はあっという間に終わり、現実に向き合う時がやってきた。握ったスマホがやけに重く感じる。
ラインのあおいのアイコンをタッチ。音声通話ボタンのまわりを指でなぞる。
「いい加減、電話しないとだめだよなぁ……」
休憩は十分にとった。あとは野クルのみんなに連絡を入れるだけ。
リンはトイレに行っている。今ここにいるのはボクだけだ。
ボタンのまわりをなぞる。かれこれ十分くらいこんな調子だ。
「あっ」
間違えて通話ボタンをタッチしてしまった。
「ま、まだ心の準備できてないのに!」
発信音。数コールもしないうちに電話がつながる。慌ててスマホを耳に当てる。
『もしもし、双葉ちゃん? どないしたん?』
いつもと変わらない関西弁。いつもと変わらない優しい声。
「え、えっとね、あ、あおい、い、今、ね、ぼ、ボク……」
まるで初対面の人と電話する時のように何度もつっかえてしまう。これじゃダメだ。
「えっとね、えっと……えっと、えっと」
ダメだ。よくわからないけどとにかくダメだ。早く言わないと、早く謝らないと。
せっかく仲良くなれたのに、せっかく名前で呼べるようになったのに、嫌われたくない、また一人になりたくない。
「えっと……う、うぅ」
ダメだ。やっぱり言い出せない。
嫌われるのが怖い。怒られるのが怖い。ありもしない未来が頭の中で溢れていく。
『大丈夫やで双葉ちゃん、大丈夫やから、そんなに怖がらんといて。知っとるよ、今志摩さんと霧ヶ峰におるんやろ?』
「え、な、なんでそれ知ってるの?」
あおいの予想外の言葉に頭を殴られたかのようなショックを受ける。
『さっき志摩さんから聞いたんよ。面接ドタキャンされてしもうたんやって? ほんま残念やったなあ』
バイトの面接をドタキャンされたことも知っているみたいだ。
もう全部バレているって考えたほうがいいみたい。
ばらすって本当だったんだ。
いや、きっと言い出せないボクの代わりに伝えてくれたんだ。
「ご、ごめんね。キャンプ行けなくて」
あおいの優しい声と、リンのお節介に絆されて、ずっと言えなかったことを言う。
『なんで双葉ちゃんが謝るん? 双葉ちゃんなんも悪いことしとらんやろ』
まるで姉が妹に言い聞かせるように優しく言葉を紡ぐあおい。
『そら一緒にキャンプ行けんかったのはちょっと残念やで。なんで言ってくれんかったんやって思っとる』
昨日ボクがドタキャンされたといえばそれですんだ話だったのだ。
どうせ冬のキャンプ場なんてガラガラだ。一人増えたところで何も問題なんてない。
結局のところ、ボクが勝手に怖がっていただけなんだ。
『でもな、それだけや。この前も言ったやろ? キャンプなんていつでもいけるって』
そういえばそうだ。たしかにそんなことを言っていた。どうして忘れてしまっていたのだろうか。
『双葉ちゃんはな、ちょっと気負いすぎなんよ。キャンプなんてゆうたってただのお遊びやで? ドタキャンしようがいきなり割り込もうがかまへんのよ』
「うん、そうだね。たしかに遊びだよね」
そうだ。遊びだ。キャンプも旅も、ツーリングも、ただの遊びだ。
やらなかったからって、何かを失ったりなんてしない。
みんなで集まって、みんなで楽しんで、それで終わりだ。
得るものはあるかもしれないけど、失うものなんて何もない。
『もしかしたら双葉ちゃんは、うちらに嫌われるなんて思っとったのかもしれんけど、断言するで、そないなこと絶対におきんからな』
隙あらばホラ吹きやおふざけばかりするあおいからは、想像もつかないくらい真剣な声だった。
『そないつまらんことで嫌いになる友達なんて、双葉ちゃんの周りには一人もおらん。もし、嫌うなんてゆうやつがおったら、そんときはうちがぶっとばしたる』
悪いことをすれば怒られる。心配をかければ叱られる。
でも、遊びに行けなくなったくらいで嫌いになる友達なんていない。ちょっと残念がって、また遊ぼうってなるだけだ。
『だからもう怖がらんといてえな、双葉ちゃん』
つまりは、そういうことだ。
「……ごめんねあおい、変なこと言っちゃって」
そうだ、ボクはもうボッチなんかじゃないんだ。
あおいも、千明も、なでしこも、リンも、斉藤さんも、綾乃も、みんな友達だ。
ボクの大好きな友達なんだ。
『その様子やと、もう大丈夫そうやな。なら湿っぽい話はこれでしまいや。せっかく長野おるんやから楽しんでかな損やで!』
「……うん! わかった!」
嘘偽りのないあおいの言葉に心の底から活力が湧いてくる。
今のボクならきっと日本一周だってできる。
『長野のお土産、期待しとるよ。わたし生チョコ饅頭っちゅうやつが食べたいわあ。うちらもお土産こうてくるから、月曜部室で食べ合いっこしよう?』
「そんなの、いくらでも買ってくるよ」
たくさん、たくさん買ってこよう。きっとすごくおしいしいに違いない。
『ふふ、なら楽しみにしとるで。ほなまたな。車、気ぃつけるんやで。あと志摩さんによろしゅうなー』
「うん、またね!」
電話を切る。さっきまでの鬱屈した気持ちが嘘のように晴れ渡っていた。
なんで、ボクの周りの人たちは、こんなに優しい人たちであふれているんだろう。
おかげで一人ぼっちを気取ることもできなくなってしまった。
「電話終わった?」
いつの間にか戻ってきていたリンが優しげな笑みを浮かべながらボクを見ていた。
「うん、終わった。リン」
お節介な友人に向き直る。トイレに行くって言ってたくせに、手が全く濡れてない。
「なに?」
「ありがとね」
いろんな思いを込めてお礼を言う。
リンにとってはちょっとしたお節介だったのかもしれないけど、ボクはそれに助けられた。
本当に感謝してもしきれない。リンの友達になれて、本当によかった。
「……なんのこと?」
すっとぼけたように目を背ける。でも、ちょっと赤くなった頬がすべてを物語っていた。
リンもなんだかんだ言って素直じゃないんだよなあ。そこがいいところでもあるんだけどさ。
「ううん、なんでもない。そろそろ行こっか」
「……だね」
ヘルメットを被り、バイクに跨る。
チョークを引いてペダルを蹴飛ばす。
スロットルを回す。エンジンが唸る。ボクの心が躍りだす。
高原を二台のヤマハが走り出す。
空は相変わらず晴れ渡っていた。
風が吹き草を揺らし、物静かな音を奏でる。
耳が痛くなるほどの静寂の中で、風の音だけがひっそりと、だがたしかに存在を主張する。
標高1665メートルの頂に、チェアーの軋む音とコーヒー豆を挽く音だけが耳を騒がせる。
しじまに身を任せていると、ボクたちが普段どれほどの音に囲まれて生きていたかを実感する。
風の吹く音、草の揺れる音、豆を挽く音。この三つだけで世界が形作られる。
挽き終わった粉をドリッパーに注ぐ。ふちを指で叩き平に慣らし、コッヘルの上に乗せる。
ぶくぶくと音がする。視線を上げればイワタニのバーナーにかけていたケトルの水が沸騰していた。
火を止めてケトルを取る。火傷しないようにハンカチを使うのも忘れない。
湯気に手をかざす。たぶん95度くらいだ。やっぱり山の上だから沸騰しても温度が低い。
つまりコーヒーを淹れるには最適な温度というわけだ。このまま抽出しよう。
何十回、何百回と使ううちにもはや自分の手と化したケトルでお湯を注いでいく。
見慣れない景色、嗅ぎ慣れない空気。だけど、この瞬間だけはいつもの光景だ。
プラスチックのドリッパーの向こう側に琥珀色の液体が溜まっていく。
風に乗ってマンデリンの芳醇な香りがあたりに漂う。
ケトルのお湯が空になり、コッヘルがコーヒーでいっぱいになる。
コーヒーを二つのマグカップに注ぎ、後ろを振り向く。
「リンー、コーヒー入ったよー」
「うぃー」
さっき見た時は何もなかった空間に、今では立派なテントが張られていた。
すごい、コーヒー淹れはじめて5分くらいしか経ってないのに、もうできてる。
「はいどうぞ」
「ん、ありがと」
リンにマグカップを渡し、買ったばかりの椅子に腰掛ける。安っぽいアルミのフレームが軋んで音をたてた。
「……うん、おいしい」
「どういたしまして」
二人でコーヒーを啜る。寒空の下、時間がゆっくりと流れていく。
「それにしても、双葉ってバーナー持ってたんだ」
リンの視線がボクの足元に置いてある小ぶりなバーナーに向けられる。もちろんリンの持ち物じゃない。
「リンのバーナー見てたらボクも欲しくなっちゃって、通販で安かったから買っちゃった。普通のガス缶だから沸かすの苦労したけど」
「ここ標高高いからね」
家庭用のCB缶は局所用のOD缶に比べて出力が弱い。
次こういうところに来る時は風除けとかも持ってきたほうがいいかもしれない。
「でも、いつでも淹れたてのコーヒーが飲めるのがこんなに嬉しいことなんて知らなかったよ」
「なんか、キャンプで飲む飲み物って妙に美味しいよね」
「わかる」
二人で椅子に腰掛けコーヒーをすする。しじまの中でコーヒーの香りだけが心を躍らせる。
「これで、温泉入れてたら最高だったんだけどなぁ」
「だよねぇ……」
「「はぁ」」
二人でため息をはく。そう、本当なら高ボッチ高原のそばにある温泉に入る予定だったのだ。
「潰れてるとかないわー」
けど、行こうとしていた温泉はけっこう前に閉鎖していた。もっと先に行けばあるらしいけど、そこまで行く気力もない。
「下調べしておいてよかったね」
ボクが霧ヶ峰でうだうだやっている間にリンが調べてくれていたのだ。もし調べていなかったらと思うとぞっとする。
「景色いいって聞いたのに、ここからだと曇っててなんも見えないし、温泉は潰れてるし、ほんとふんだりけったり」
「ボクはそこそこ走れたから満足」
「あれでそこそこかよ……双葉はいいよなあ、バイクに乗ってれば幸せなんだから」
「うん、ボクバイク乗るの大好き」
リンはボクのことをよくわかっているみたいだ。
ぶっちゃけボクはバイクに乗れていればそれで満足できる。我ながらひどく単純な脳みそだ。でもバイク乗りなんて基本そんなものだ。
「ふっ、今の言い方なんかすげぇバカっぽい」
「ふーん、リンだって楽しんでたくせに」
「いやまあ、そうだけどさ……」
ここから少し先の頂上の晴れている場所で、二人でノリノリでポーズとって写真撮ったのをボクは忘れていないからね。
「リンってさ、クールそうに見えるけど、実はかなりテンション高いよね。千明といい勝負じゃない?」
たぶん口にしてないだけで心の中は相当に騒がしいはず。短いつきあいだけどだんだんわかってきた。
「うげ、あいつと一緒にすんなよ」
やっぱりまだ苦手みたいだ。野クル、待望の5人目、とはいかないらしい。
「そんなに嫌ってあげないでね。普段はあんなんだけど、本当はすごく面倒見が良くていい人だから」
千明が千明だったからこそ、ボクは今こうして友達とキャンプをすることができている。
もし千明がいなかったら、ボクはきっと今でも一人のままだっただろう。
「べつに、嫌いじゃないよ。ただ苦手ってだけで」
「よくわかるなあそれ。嫌いじゃないけど苦手なものっていっぱいあるよね」
初対面の人とか初対面の人とか初対面の人とか。
「でもまあ、嫌いじゃないならそれでいいや」
ボクにはボクの好きなものがあって、リンにはリンの苦手なものがある。
人は自分以外の誰かになることはできない。
無理して好きになるくらいなら、苦手なままにしておくほうがよっぽどいい。
いつか好きになれたら、その時は素直に自分の気持ちに従えばいい。
ただそれだけの話だ。
コーヒーをすする。風が草木を優しく揺らす。
曇り空の隙間から、一筋の太陽が差し込む。
風で雲が流れていく。
「「暇だ」」
椅子に座ってただぼんやりと時間が過ぎていくのを眺める。
でもボクはこの時間が嫌いじゃない。リンもきっと同じ気持ちなんだろう。
「双葉はいつもどうやって時間潰してるの? わたしは本とか読んでるけど」
「ボク? ボクは潰すほど時間が余ったことないからよくわかんないや」
思い返してみても、旅先で暇で苦しんだような記憶がない。
「多い時でだいたい20時間くらいは乗りっぱなしだから、ついた時はもう寝るだけなんだよね」
前に大阪に行った時は、朝の5時に出発してついたのが夜の11時だった。こんなんじゃ暇を潰すもなにもありゃしない。
「桁おかしいだろ。というか20時間ってなんだよ。ほぼ一日じゃん」
こいつやっぱ頭おかしいんじゃないの? といいたげなリンの顔。
うーん、これはまだまだ教育が足りないみたいだ。
「リン、バイクに乗るのは楽しいでしょ?」
「うん」
「楽しい時間はたくさんあったほうがもっと楽しいでしょ?」
「う、うん」
「だったらいっぱい乗るしかないじゃない」
具体的には十時間以上。
「……ちょっと何言ってるかわからん」
なに、これでもダメだというのか! くそう、なら教育するまでだぁ!
「長く走る時はね、自分を人間とか生き物なんて高尚な存在じゃなくて、ハンドルを握るための機械だって思いこむことが大事だよ」
「いや聞いてねえし」
「だからリンも一緒に日本一周しよう?」
もちろん下道オンリーでね。地獄の渋滞、突然の大雨、迷子、ガス欠、マシントラブル……考えただけでもゾクゾクしてくる。
「やめろぉ! わたしをそっちの道に引きずり込むなぁ!」
「大丈夫、本州ならたったの3500キロだから」
「どこも大丈夫じゃねえ!」
友達同士のくだらないじゃれあい。
出会ってまだひと月しかたっていないのに、ボクは驚くほどリンに心をゆるしていた。たぶんリンも同じように思ってくれているのだろう。
それはきっとあの長い道を一緒に走ったからだ。
タイヤを通じ、エンジンを通じ、心を通わせる。
余計な言葉なんて必要ない。バイクに乗って一緒に走ればそれだけで十分なのだ。
「……そろそろご飯食べる?」
馬鹿騒ぎもひと段落つき、リンにうながされて時計を見る。
午後4時。いつの間にかいい時間になっていた。
「だね。ご飯にしよっか」
そばに置いていたボストンバッグを開きスーパーで買ってきた食材を広げる。
「角煮、カレー粉、ほうれん草、ご飯……うん、全部ある」
「なに作るの? まあたいだい想像つくけどさ」
言うまでもなくカレーである。やっぱり最初に作るのはカレーだよね。
「たぶんリンの考えてるとおりだよ。初めてだし、まずは簡単なものからじゃないとね」
「ふぅーん、できたら味見させてよ」
「せっかくだし、できたらお互いに半分こする?」
「さんせー」
バーナーの音、茹でる音、煮る音、料理の音。
静かな高原に楽しげな音が響き渡る。
楽しい時間が過ぎていく。
「リン、起きてる?」
暗闇に包まれたテント。隣で寝袋にこもっているリンに話しかける。
「寝てる」
「起きてんじゃん」
目と鼻の先。手を伸ばせばすぐにでも触れられる距離に人が寝ているのはなんというか不思議だった。
こんな経験は初めてだ。でも嫌じゃない。
「今日はありがとね。すごく楽しかった」
共に走った17号、やばいやばいと言いあったビーナスライン。
高ボッチの頂点で見た諏訪湖の美しい景色。慣れない道具で作った料理のおいしさ。
本当に、楽しかった。リンの言ったとおり一人旅と同じくらい楽しかった。
新しい景色を見て、新しいものを食べて、新しいことを知った。
誰かと分かち合うことの楽しさを知った。
「……そっか」
暗闇の向こうで、満足そうな呟きが聞こえた。
「リンは楽しかった?」
「……まあ、悪くなかった」
相変わらず素直じゃない。リンだってけっこうはしゃいでたくせに。
でも、それでいっか。どうせ言わなくてもわかるしね。
「またやろうね。キャンプ」
今度はボクから誘いたいけど、それはもう少しキャンプというものを知ってからでもいいだろう。
「……考えておく」
「今度こそ三人でさ……そしたらきっと、もっと楽しいよ……」
暖かい寝袋に包まれていると、意識がどんどんと薄れていく。
「……そうだね」
あの騒がしくて元気いっぱいの子が来れば、きっともっと楽しくなる。もっとキャンプを好きになれる。
「べつに、わたしは二人でもいいけどな……」
どんどん意識が薄れていく。リンがなにを言っているのか聞き取れない。
心地よさに身を任せる。今日はいろんなことがあった。どれも楽しいことばかりだった。
「おやすみ、リン」
「おやすみ、双葉」
今夜はいい夢が見れそうだ。
「むー」
そんな楽しい楽しいキャンプも終わり月曜日。
ボクは風船と化した桜髪の友達と対峙していた。
「ご、ごめんね? なでしこ」
「むー」
朝からずっとこんな調子だ。
お昼もいつもどおり一緒に食べてくれたし、本気で怒ってるわけじゃないみたいだけど、ふくれっつらを納めてくれないのだ。
「怒りん坊なでしこやな」
「自分で蒔いた種だ。自分でなんとかするのが筋ってもんだぜ。ロリ子」
「そ、そんなぁ」
あおいも千明もさっきからこんな感じで手を貸してくれない。
鬼! 関西弁! おでこ!
ボッチ街道まっしぐらだったボクに、友達のご機嫌伺いのやりかたなんてわかるわけないでしょ!
「な、なでしこ?」
「むー」
ダメださっきからむーしか言わない。
なにか、なにかないか……そうだ。あれがあった。
リュックから対なでしこ最終兵器を取り出す。
「な、生チョコ饅頭だよ〜 おいしいよ〜」
買ってきたお土産を見せびらかす。
なでしこの視線が饅頭の箱に釘付けになる。しめた。
箱を右に動かすと、なでしこの目も右に動く。左に動かすと左に動く。
「すごくおいしいよ〜 コーヒーと一緒に食べたらすごくおいしいよ〜」
「ごくり……」
あともう少し。どうでもいいけど、ボクはいつまでこの間抜けな話し方を続ければいいのだろうか。
「リンも同じの買ってきてるよ〜」
なでしこの肩がびくりと震える。
やっぱりなでしこにはリンをぶつけるのが一番みたいだ。
「たぶん図書室でどうやってなでしこに渡そうか悩んでるんだろうな〜」
ごめんよリン、ボクのために犠牲になっておくれ。あとでジュース奢るから。
「三人で食べたらきっとすごーくおいし──」
そこまで言いかけて、なでしこがボクの手を掴んでいきなり立ち上がった。
「ちょっとリンちゃんのところ行ってくる! 双葉ちゃん! いこ!」
「え、ちょ、まっ!?」
部室の扉を開け放ち走り出すなでしこ。当然ボクも巻き添えである。
「おーいってらー」
「うちらの分も残しといてーなー」
流れていく景色、遠ざかっていく部室。桜色の髪を追って必死に走る。
「なでしこ、今度は三人でキャンプ行こうね」
言いたかったことを、言いたくなったことを言う。
「……うん! 約束だよ!」
とりあえず、仲直りは成功したようだ。成功したのはいいんだけど……
「リンちゃーん、今行くよー!」
饅頭部室に置きっぱだから!
用語解説
リーンイン
カーブでバイクが傾く方向に身体を傾ける走法。バイクをあまり傾けずに曲がれる。
白ナンバー
恐らくこの世で最もひどい扱いを受けている車両区分。これ考えた奴まじで誰だよ
ユニクロ
ユニバーサルクローゼット。それ以上でもそれ以下でもない。
イワタニ
ガス全般を担う企業。スーパーで売ってるカセットガスはだいたいイワタニ製。