7-1
ボクの住んでいる家となでしこの住んでいる家は、そんなに離れていない。
谷間の中に作られた町だから、住宅用のスペースはおのずと限られてくるのだ。
たしか自転車で15分かかるかかからないかくらいの距離だ。意外と近所なのだ。
つまりなにが言いたいのかというと。
「遊びにきたよ! 双葉ちゃん!」
こういうことが起きる。
「まさか本当に来るなんて思わなかったよ」
「ん〜!」
「って、聞いてないか」
リビングのテーブルでお好み焼きを食べるなでしこは、ボクの呟きなど耳にも入っていないようだ。
「ふわっふわ〜 うん、うん!」
なんでこんなことになったのか、ボクにもよくわかってない。気づいたら流れてそうなっていた。
「おいしかったー! ごちそうさま! 双葉ちゃん」
相変わらずの早食いでお好み焼き一皿を平らげたなでしこ。
すごい勢いで食べたから口の端にソースがついてしまっている。
「お粗末さま。ソースついてるよ」
ティッシュを取って口元を拭いてあげる。なんだか餌付けしている気分だ。
「えへへ、ありがと。双葉ちゃんって料理得意だったんだね」
「お好み焼きなんて小麦粉水に溶かしてキャベツ突っ込んで豚肉と一緒に焼けば誰だってできるよ」
冷蔵庫のありあわせで作った軽食。こんなものは料理のうちにも入らない。
「そうかなあ? わたしが作った時はもっとべちゃべちゃだったし、形もこんなに綺麗じゃなかったよ?」
「たぶん水入れすぎか、キャベツが大きすぎたんだろうね。小麦と水は一対一、キャベツはスライサーで小さめの千切りにするとふわふわになるよ」
「へぇ、そうなんだ〜 プロですなぁ〜」
お腹が空いてるみたいだったから、おやつ代わりに適当に作ってあげただけなのに、こうも全力で褒められるとなんだか変な気分になってくる。
お世辞で言ってるわけじゃないぶんよけいに気恥ずかしい。
でも、こんなにおいしそうに食べてくれるなら作ったかいがあるというものだ。
「それでどうしたの? いきなり来たからびっくりしたよ」
通販でも届いたのかと思ってドアを開けたらなでしこがいて本当にびっくりした。
最初に会った時、これでいつでも遊びに行けるねと言っていたのを思い出す。まさか本当に家に突撃してくるとは思わなかったけど。
もうすぐ試験だっていうのに大丈夫なのかな。
「あっ! そうだった! 双葉ちゃん!」
テーブルに手をついてものすごい勢いで顔を近づけてくるなでしこ。その目はそれはもうキラッキラに輝いていた。
「今度の土日、空いてる?」
「空いてるけど、どうしたの?」
バイト探しは継続しているけど、今のところいい感じのものが見つかっていない。
旅の予定も決めてないから土日は本当になにもなかった。
「リンちゃんがね! ミニ賽銭箱買ってきてね! 三人で焼肉しようってなってね!」
湧き上がるテンションに身を任せているせいか、何を言っているのかまったくわからない。
「ストップストップ、ちょっと落ち着こ?」
「えっと、つまりね! 双葉ちゃん、三人でキャンプしよ!」
あぁ、そういうことか。ようやくわかった。リンとなでしことボクの三人でキャンプしよう。
そう言っているのだ、この子は。
「ミニ賽銭箱ってあれだよね。リンが通販で買ったコンパクトグリルのことでしょ?」
昨日リンがラインで自慢してきたのを覚えている。
本サイズに畳めてグリルにも焚き火台にもなる優れものらしい。見た目は賽銭箱のおもちゃにしか見えなかったのにすごいやつだ。
「そうだよ! それでね、今日リンちゃんと話して一緒にキャンプしよってなったんだ! だからやろうよ! キャンプ!」
キャンプ、願ってもない話だ。
やっと三人でキャンプする機会がやってきた。断る理由なんてない。
またあの楽しいキャンプができる。そう思うと顔が自然と綻んでくる。
「うん、やっちゃおうか、キャンプ」
「やったぁ! 双葉ちゃんとリンちゃんとキャンプだぁ!」
満面の花を咲かせ、なでしこは笑う。その様子があまりにも嬉しそうで、ボクも気がつけば笑っていた。
あ、そうだ。あれを忘れていた。危ない危ない。
「でもなでしこ、土曜日は夕方くらいに行くことになっちゃうけどそれでもいい?」
「全然いいけど、なにか用事?」
「うん、土曜日千明と次のキャンプ場の下見に行く約束したんだよね」
場所はまだ決めてないけど、甲府市周辺にすると言っていた。
昼すぎまで下見するとなれば、なでしこたちと合流するのは夕方くらいになるだろう。
「なにそれー! わたしも行きたい!」
「いや、キャンプ行くんでしょ」
「あ、そうだった。わかった。リンちゃんに伝えとくね」
「うん、よろしく」
「えへへ、三人でまったり焼肉お鍋キャンプ、楽しみだな〜」
あんまりにも楽しそうにいうものだから、ボクも楽しみになってきた。
それにしても、この前キャンプに行ったばかりなのに、もう行こうとしている。本当にキャンプにハマったんだな。
「でね、双葉ちゃん。まだ夜ご飯食べてないよね?」
「うん、これからだけど」
なでしこが持ってきたリュックからカセットコンロと食材らしきものを取り出す。
そんなもの持ってきてたのか、どうりでリュックパンパンだなって思ったよ。
「キャンプに向けてのお鍋研究会、やろ!」
満面の笑みでそう言った。
相変わらずこの子は人をその気にさせるのがうまい。
「けっして、けっして、開けてはいけませんよ」
ガスの火に、土鍋がコトコトくべられる。蓋の隙間から、怪しげな湯気が立ち上る。
「ご、ごくり……あ、開けたらなにが起こるというのだ!」
「まあ、ただの鱈鍋だけどね」
知ってる。ていうかさっきさんざん食材の下処理したし。
ボクはなでしこの主導の下、お鍋研究と称して鍋パに勤しんでいた。
土鍋の蓋の隙間から、魚の風味豊かな香りが部屋中に広がる。匂いだけでもおいしそうだ。
「それにしても、双葉ちゃんってやっぱりお料理得意だよね。わたしあんな上手に包丁使えないよ」
「何年も一人でご飯作ってるからね。ちょっとくらいは上手になるよ」
「え……それって」
なでしこの顔が一瞬曇る。そっか、なでしこボクの家のこと知らないんだっけ。
今さら隠すものでもないし、話してしてもいいかもしれない。
「ボクの家ね、お父さんがいないんだ。それで、お母さんも仕事でぜんぜん帰ってこないから、家事は基本的に全部自分でやってるんだ」
たしか小学校の5年生くらいから料理は自分で作るようにしていた。もうかれこれ5年になるのか……
レトルトしか作れなかったころにくらべれば、ずいぶんと上達したものだ。
「おかげで、料理の腕ばっかり上手くなっちゃったよ」
煮物、揚げ物、炒め物、滅多に作らないけどお菓子だって作れる。まあ誰にも食べさせたことないけどね。
そうなると、さっきなでしこに食べさせたのが初めてになるのか……
「そう、なんだ……じゃあ、いっつも一人でご飯食べてるの?」
「うん、そうだよ。って、なんでそんな悲しそうな顔してるの?」
ボクの家のことを聞いたなでしこは、いつもの太陽のような笑みを一変させた。
「だってそんなの……双葉ちゃんは、寂しくないの?」
なでしこの瞳が揺れる。大したことなんて話してないのに、今にも泣きそうだ。
なでしこにはちょっと刺激がきつかったのかな。
「うーん、ボクもいまいちよくわかってないんだよね」
あまりにも長く続きすぎたせいで、ボクにとってはそれが当たり前のことになってしまった。
「ちょっと前までなら、寂しくないって答えてたと思う。でも、最近になってまた寂しいなって思うようになってきたんだよね」
長い間自分の感情に蓋をしてきた。
月日が経つにつれて、蓋は重くなっていき、いつしか自分では開けられなくなっていた。
でも、その蓋は最近になって突然消えてしまった。理由はもちろんこの子たちと出会ったからだ。
「けど、それって悪いことじゃないと思うんだ」
身体の傷と同じで、心の傷も放置すれば膿んで腐っていく。問題はそれになかなか気づけないことだ。
少し前のボクがまさにそれだった。
楽しかったら楽しいと言えて、悲しかったら悲しいと言える。それが人間の本来あるべき姿だ。
「ボクがこう思えるようになったのは、なでしこのおかげなんだよ?」
「わたしの?」
首を傾げるなでしこ。やっぱりわかっていなかったか。
この子は知らないんだろうな。ボクがなでしこに、みんなにどれだけ救われたかを。
「ボクさ、ずっと人と話すのが怖かったんだ」
家に一人きりになったあの日から、ボクは人とうまく話せなくなってしまった。
嫌われるのが怖い。拒絶されるのが怖い。そう思って心に蓋をした。
小学校、中学校、高校。ずっと一人で生きてきた。友達なんて一人もいなかった。
努力はした。けど、いくら頑張っても闇の中をもがくだけで、そのうち疲れて諦めてしまった。
きっと手を差し伸ばしてくれた人もいたんだろう。でも、ボクはその手を取ることはできなかった。
「ずっと、ずっと一人ぼっちでさ。いつの間にかそれが当たり前になっちゃって、もうそれでいいやって思うようになっちゃって……」
全てを諦めて、ただ過ぎ去っていく日常を眺めるだけの毎日。灰色の世界。
「心の扉がね、どんどん重くなっていくんだ」
人とは話さない。どうせ仲良くなんてなれないから。クラスメイトの名前なんて覚えない。どうせ友達になんてなれないから。
「寂しいって思ってるくせに、一人のほうが気楽だなんて言い張って、強がって……どんどん意固地になってさ」
そうやって強がっているうちに、いつの間にか本当に一人っきりになってしまった。
「双葉ちゃん……」
「千明とあおいに会って、ちょっとはマシになったんだけど、それでもやっぱりボクはボクのままでさ。だから、本栖湖でなでしこがカレー麺をくれた時、本当に嬉しかったんだ」
一人ぼっちで強がっていたボクの心を解きほぐしてくれた。
誰かと暖かいご飯を食べることの喜びを再び思い出させてくれた。
ずっと一人で生きていくと決めていたのに、一人二人と友達が増えていき、気がつけばボッチだなんて口が裂けても言えないようになっていた。
凍りついていたボクの心は、あっという間に溶けてしまった。
「最近、学校がすごく楽しいんだ。それってたぶん、なでしこたちがいるからなんだよね」
この子はいつもボクを引きずり回す。
朝も昼も夕方も、こっちの事情なんてお構いなし。おかげでクラスの人とも少しずつ話せるようになってきた。
退屈でしかたなかった学校が、灰色の日常が色を取り戻した。
それもこれも全てこの子のおかげなのだ。
「だからね、なでしこ。ありが──」
「ふ゛た゛は゛ち゛ゃ゛ゃ゛ん゛!」
万巻の思いを込めて言おうとした言葉は、なでしこの万力のような腕によって遮られた。
え、なにこれ。
「ちょ、むぐ、はな」
とんでもない力で頭を抱きしめられているせいで、話すことができない。心臓と胸の暖かさがボクの頭を包み込む。
「ぎづいであげられなくてごめべんねぇ! もうぜっだいひどりになんがしないよぉ!」
本栖湖の時以上にわんわんと泣きながらボクを抱きしめ続けるなでしこ。
ボクの話ちゃんと聞いてたのかな? いや、そういうことじゃないんだろうな。
ボクが寂しそうだったから、この子が泣く理由はそれだけできっと十分なんだ。
「もういいやなんでがなじいごといっちゃだめだよぉ!」
泣きすぎて、なにを言ってるのか全然わからない。
すごくうれしいけど、泣きたくなるくらい嬉しいけど、いいかげん息ができなくなってきた。
「ちょ、なでしこ、ぎぶ、ぎぶ」
なでしこの背中をタップする。これなんてプロレス?
「ふ゛た゛は゛ち゛ゃ゛ゃ゛ん゛!」
強かった力がさらに強まる。ダメだ聞いてない。
もう平気って言おうとしたのに、全然聞いてくれる雰囲気じゃない。
「泣きすぎだって……ほんと、少しは話、聞いてってば……」
ふいに目元が濡れた。きっと湿気のせいだ。
「だ、だから……もう、平気って……言ってるじゃん……」
鼻がつんとする。きっと思い切り抱きしめられているからだ。
「大丈夫だから、だい、じょう、う、うぅ、うぐ……」
声が漏れる。きっとお腹が空いてるからだ。
きっと、きっとそうに違いない。
だから、もう少しこのままでいよう。この暖かさに浸っていよう。
「ぷはぁ〜 おいしかった〜」
お茶を啜り、なでしこが満足気に笑う。なでしこの言うとおり鍋は物凄くおいしかった。
しめの雑炊も平らげて、今日はもうお腹いっぱいだ。
「おいしかったね! 双葉ちゃん」
「うん、これならきっとリンも大喜びだよ」
あんなことがあったなでしこであったが、鍋が吹きこぼれたことで我に返ってくれた。
「もう大丈夫? なでしこ」
おいしかったと笑うなでしこだけど、その目は泣き腫らしたせいで真っ赤になっていた。
おかげでティッシュが一箱空になった。
ちなみにボクの目も真っ赤になっているだろうけど、それはきっと七味が目に入ったせいだ。
「えへへ、さっきはごめんね」
「謝らないで。むしろありがとう」
ボクのためにあそこまで泣いてくれる人なんて、ボクは今まで出会ったことがなかった。
それがどれほどの衝撃だったかは、言わなくてもわかるだろう。
さっきのことを思い出すと、また目頭が熱くなっていく。
なでしこがあんなに取り乱してなかったら、きっとボクは声をあげて泣いてしまっていただろう。
「双葉ちゃん、寂しくなったらいつでもわたしん家、遊びに来ていいからね! お姉ちゃんもお母さんもきっと喜ぶよ!」
是非とも行きたい。なでしこのお姉さんにももう一度会いたいしね。楽しみがまた増えた。
「うん、今度遊びにいくよ。お菓子をいっぱい持ってね」
「えへへ、いつでも待ってるね!」
久しぶりにクッキーでも作ってみようかな。きっとこの子なら大喜びで食べてくれるだろう。
「あ、そうだ! 今日双葉ちゃん家泊まっていい?」
「うん、寝袋取り出しながら言うセリフじゃないね」
「えへへ、こっちでお泊まり会とかやったことなくてつい。お母さんにはもう言ってあるよ!」
最初から泊まる気満々じゃないか。いやまあいいけど。
この様子だと制服だのなんだの全部持ってきてそうだ。
きっと明日は一緒に登校することになるだろう。久しぶりに電車で登校しようかな。
そうだ、なでしこが遅刻しないようにちゃんと起こしてあげないと。
「片付けしたら一緒にゲームでもやる? マリカーあるよ」
「マリカー!? やるやる!」
気の置けない友達と些細なことで盛り上がる。そんな普通の日常。
キャンプも楽しいけど、こういう時間もすごく楽しい。
「げぇむ、げぇむ〜」
ボクは今間違いなく世界で一番幸せだった。
甲府盆地の外れ、笛吹市。ゴルフ場の茶けた芝生を右手に眺め、ゆるい坂道をビーちゃんで駆け抜けていく。
少し進むと山の入り口が見えてきた。
その入り口と道路の境目。黒坂オートキャンプ場と書かれた看板のそば。
見慣れた黒縁眼鏡をかけた女の子が手を振っていた。
「おーい、ここだ〜」
手を振りかえし千明に近づく。ギアを落とし、ビーちゃんを止める。
「おまたせー」
今日は土曜日。千明と約束したキャンプ場にボクは来ていた。
「いやぁ、悪いなあ来てもらって」
リュックを背負った千明がもうしわけなさそうに頭をかく。
「いいよいいよ、ボクも気になってたし」
「ならいいんだけどよ。このあと四尾連湖行くんだろ? 時間大丈夫なのか?」
「うん、ここから30キロくらいしか離れてないし、到着も夕方くらいって言ってるから大丈夫」
二人は昼過ぎに到着すると言っていた。まだ11時、ようやく出発したところだろうか。
「30キロがくらいかぁ。かぁー! いいなーあたしもバイクほしいぜぇ」
「原付簡単なんだから取っちゃえばいいじゃん」
「そうしたいのは山々なんだがなぁ……金がねえずら」
バイク本体、試験料、保険料、その他もろもろ合わせてどんなに安くしても10万近くになるだろう。
最近バイトを始めたらしいけど、学生が気軽に出せる金額じゃない。
「そっか、頑張ってね」
「くそぅ! 他人事みたいな顔しやがってぇ!」
実際他人事だからね。
ボクだって稼いでビーちゃんを手に入れたんだから、千明だって頑張れば買えるに決まっている。
「ま、金のことは後で考えるとして、とりあえずキャンプ場の中入っちまおうぜ」
「うん、そうだね」
ビーちゃんを押して二人でキャンプ場に足を踏み入れる。
「はいチーズ」
パシャリ。麓に広がる甲府市と青空をバックに二人で写真を撮る。
自撮りのコツはなでしこにさんざん教わった。おかげでずいぶんと上手くなった気がする。
「なんつうか雰囲気あっていいじゃねえか」
木々の狭間に見える甲府市を眺め、千明が感慨深げに呟く。
「場所もそんなに離れてないし、次はここでキャンプしてもいいかもね」
「まあ、もう少し下見してからだな。決めるのは」
オートキャンプ場なだけあって、周りを見ればちらほらと客がいる。そのほとんどが車だ。
「オートキャンプか。ああいうのもありだよなあ。テント張らんでいいし、暖房使いたい放題だし、最高じゃねえか」
「どっちかって言うと最後のほうが本音でしょ」
「へへ、ばれちったか。この前イーストウッド行った時めちゃ寒くてさ。冬の厳しさってやつを存分に思い知ったぜ」
「そこは気合と根性と厚着だよ。ちなみにボクは今上に6枚着てる」
Tシャツ、長T、シャツ、セーター、ダウンジャケット、防寒ジャケット。これだけ着ていれば大抵の寒さは感じなくなる。
「……すげえなお前。なんつうか尊敬するわ」
「ふははー もっと褒めたまえー」
枯葉と枯れ木の野道を二人で歩く。何気にこうして千明と二人きりで出歩くのは初めてかもしれない。
「問題は次のキャンプをいつやるかだよなー 期末テストもあるし、バイト始めちまったからぽんぽん予定入れらんねえもんなあ」
そうだった、もうすぐ期末テストだ。まあ別に心配するほどのことでもないか。
「テスト明けか、いっそのこと冬休みまで待ってみんなでパーってするのもありじゃない?」
「冬休み、ってことはクリスマスか……クリキャン、ありだな」
きっと、千明の頭は今猛烈な勢いで回転しているのだろう。
なでしこに負けず劣らず、千明も今までなんでキャンプしてなかったのか不思議なくらい、キャンプ大好きだよね。
やっぱりお金の問題なんだろうか。キャンプ道具高いもんね。
「ていうか、ロリ子は期末平気なのか?」
「ふっふっふ、千明くん。ボクはこう見えても、学年順位で一桁以下になったことがないのだよ」
普段はあれなボクだけど、テストの点数は自慢できるくらいにはいい。
「なん、だと……」
暇で暇でしかたなかったから勉強ばっかしてただけだけどね!
ボッチってこういうシチュエーションだと本当に無敵だよね。
「くっ、同じ眼鏡属性なのに、この違いはなんなんだ!」
「いや、眼鏡関係ないから」
いつも尻に火がつくまでやらないとか言ってるから点数よくならないだけだと思うんだけど。
「でも、マジでそんなに点数いいなら今度教えて──」
教えてくれと言いかけていた千明が何かに気づいたように足を止める。
「どうしたの千明」
何かと思い千明の視線の先を追いかける。そこには、一人のキャンプ客がいた。
使い込まれたワンポールテント、焚き火台にくべられた薪が静かに燃え、ローチェアに腰掛けた男の人がスキレットで肉を焼いている。
「かっけぇ……」
まるで絵に描いたようなキャンプ。
男の人の被った中折れ帽も合わさってお洒落というよりも渋い男のキャンプって感じだ。
何よりも目を見張るのは、テントの横に止められたバイクだ。
トライアンフ・スラクストン1200R、ボクはこのバイクに乗っている人を最近見たことがある。
「む、なんだい?」
この聞き覚えのある渋い声はまさか……
男の人が顔を上げる。帽子のつばで隠れていた顔があらわになる。
「君はたしか……」
渋い顔に渋い声、そして渋い仕草、こんな渋さの擬人化みたいな人をボクは一人しか知らない。
「なんだ、双葉さんじゃないか」
そう言って、リンのおじいさん、新城肇さんが笑った。相変わらず渋かった。
「ほぉ、キャンプの下見か」
「はい、まだ時期は決まってないんですけど、テスト終わりくらいにみんなでキャンプしようってなりまして」
「そうか、てっきり私はここでキャンプしにきたんだと思ってたんだがね」
新城さんの目線がビーちゃんに移る。シートにはバッグとマットレスがネットで縛り付けてある。
この人がキャンプに来たと思ってもとくにおかしくはなかった。
「下見が終わったらリンさんと友達の三人で四尾連湖に行くんです。荷物はそのためのものでして」
「なるほど、四尾連湖か。前にいったが悪くない場所だった。楽しんできなさい」
「はい! じゃあボクたちはこれで。いこっか千明」
「う、うす」
ボクの横で縮こまっていた千明に話しかける。
まあ、友達が見たこともない妙に渋いおじさんと仲良さそうに話始めたらそうなるか。
「ああ、そうだ。お二人さん」
声をかけられ立ち止まる。振り返る。新城さんの手には竹串に刺さった二切れの肉。さっき焼いていた肉だ。
「肉、食うかい?」
新城さんがニヤリと笑い、ボクと千明がごくりと唾を飲み込む。それが答えだった。
「とりあえずここで一休みしようぜ」
「じゃあマットレス出すね」
「お、サンキューな」
見晴らしのいい空き地にマットレスを広げ二人で腰掛ける。
積もった落ち葉とマットレスがふかふかしていて案外心地がいい。
「コーヒー淹れる?」
「マジか! そういえばバーナー買ったって言ってたもんな。じゃあもらうわ」
「わかった。ちょっと待っててね。あ、コップ一個しかないけどいいかな?」
「あ、それならあたし水筒持ってきたからそれに注いでくれよ」
「りょーかい」
荷物を下ろし、手早くコーヒーの準備を始める。
バーナーが水を温め、豆を挽くガリガリという音がキャンプ場にこだます。
「にしても、まさか双葉にあんな渋いおっさんの知り合いがいたなんてびっくりしたぜ」
肉うまかったなーとつぶやく千明。たしかに、あの後食べた肉はめちゃくちゃおいしかった。
スキレットで焼くとあんなに美味しくなるのか。ちょっと欲しくなってきたな。
「新城さんって言うんだ。あの人リンのおじいさんだよ」
「マジかよ! あのおっさんしまりんのおじいちゃんなのか。うわ、みえねー」
それは背丈的な意味だろうか。それともあの渋さだろうか。たぶんどっちもだろうな。
「この前リンと原付の練習行った時に知り合ったんだ。ほんとかっこいい人だよね。ボクも歳取るならああいう歳の取り方したいよ」
「双葉どっちかっていうと、かわいい系のおばあちゃんだろ」
ちっこいってことか! ちっこいって意味なのか! くそう、千明だって大して身長高くないくせにー!
「そういう千明はあれだね。世間話だけで3時間くらい話す近所のおばあちゃんだね」
「やめろよ、そういう具体的な話するの。想像しちまっただろうが」
80になってもクソザコのボク、延々と同じ話を続ける千明……
なんだろう。遠い先のことなのに、すごく惨めな気持ちになってくる。
「やめよっか、この話」
「だな」
花の高校生でする話じゃない。
将来のこととか老後のこととか、そういう生々しい話はもう少し歳を取ってからにしよう。
そうこうしているうちにコッヘルの水が沸いた。
いつもどおりサーバー代わりのコッヘルとケトルを温め、セットしたドリッパーにお湯を注ぎきっかり20秒待ってから抽出を始める。
コーヒーの香りが風に運ばれ乗っていく。
「今日は悪かったな。つき合わせちまって」
きっかり300cc抽出し、マグカップと水筒の蓋に注ぐ。あっという間に暖かいコーヒーができあがった。
「ううん、千明と一緒にキャンプ場行けてすごく楽しかったよ。はいどうぞ」
「お、サンキュー」
二人で街を眺めコーヒーをすする。ゆったりとした時間。束の間の休息。この時間は何物にも代え難い。
「テスト終わったら冬休み。やっと好きなだけキャンプできるぜ」
「なんかすごいワクワクするね。どこ行こっか」
コーヒーをすすって次のキャンプに思いを馳せる。
きっとどれも楽しい思い出になるに違いない。
もちろん旅も忘れちゃいない。最近は近場しか行けてなかったから、今度こそ遠出したい。
寒いし南のほう、九州なんて悪くないだろう。ちょっと遠いけど三日も走れば辿り着ける。
綾乃がいいなら一緒に琵琶湖なんてのも悪くない。夢がどんどん広がっていく。
「……なんつーかよ。双葉、最近変わったよな」
さっきまでのほほんとしていた千明が打って変わって、何やら神妙な雰囲気でそう言う。
ふざけているわけじゃないだろう。その証拠に、ボクのことをあだ名で呼んでいない。
「いきなりどうしたの?」
「いや、なんとなく思ってな。もちろん悪い意味じゃねえぜ。どう言えばいいんだろうな。明るくなったっていうか、影がなくなったっていうか……」
べつにたいそうなものを背負って生きていたつもりなんてないんだけどなあ。中二病じゃあるまいし。
「なんかいいことでも、あったのか?」
でも、千明が言うくらいなんだから、自覚はないけど相当変わったのだろう。
「いいことかぁ」
いいこと……思い当たる節が多すぎて、どれがきっかけなのかわからない。
いや、一つはっきりしてるじゃないか。
「みんなに会えたこと、かな」
小声で呟く。いいことがあったとしたら、きっとこの出会いこそがボクにとってのいいことだ。
「ん? なんか言ったか?」
「ううん、なんでもない。ちょっと寝るね。2、30分したらおこしてー」
「あ、おい」
コーヒーを飲み干し枯葉の上に横になる。実は夜中までゲームやってたから眠くてしかたないのだ。
厚着のおかげでちょうどいい具合にひんやりしている。これならよく眠れそうだ。
「ってもう寝てるし……ったく、しょうがねえなあ」
木々のざわめきと千明の優しげな声を聞いているとだんだん眠たくなってきた。
もう寝てしまおう。
灰色の空。
灰色の廊下。
灰色の教室。
灰色の校舎。
灰色の世界で灰色の日常を過ごす。
誰も僕を見ない。誰も僕を必要としない。
けど、それでいい。どうせ僕は一生このままなのだ。
期待するから裏切られる。希望を持つから絶望にうちしがれる。
だったら最初から期待なんてしなければいい。希望なんて持たなければいい。
だから、これでいいんだ。
灰色のベンチに腰掛け、灰色の空を見上げる。
向こうで生徒の楽しそうな声が聞こえてきた。
とても楽しそうな声だった。
最後に誰かと笑ったのは、いつだっただろうか。
もう、思い出すことすらできやしない。僕は一人だ。
視界がぼやける。
「あれ……おかしい……なぁ……天気予報、晴れ、だったのに、なぁ……」
心の中の何か大事なものに罅が入った気がした。
きっとこのままいけば取り返しのつかないことになるだろう。
けど、もうどうでもいいや。
このまま壊れるのを眺めていよう。
きっと、そのほうが楽になれる。
もう二度と寂しいなん──
「なぁ、ここら辺ででっかい釘みたいなの落ちてるの見てないか?」
「うひゃぁ!?」
突然何かが視界に飛び込んで飛び跳ねる。眼鏡がずれる。ぼやけた視界に黒い影が映る。
「うおっ、大丈夫か!?」
女の子の声が僕を心配するようにそう言った。眼鏡をかけ直す。
「って、どうしたんだよ! めっちゃ泣いてんじゃねえか!! いじめられたのか!! 怪我か!? どっか痛いのか!?」
眼鏡をかけた女の子が慌てふためいた。長いツインテールがブンブン揺れる。
なんでこの人は僕よりも取り乱しているんだろうか。おかげで何かいろいろ引っ込んだ気がする。
とりあえず、目の前でパニックになってるこの人を落ち着かせよう。
「あ、あの、ぼ、ボクは別に──」
空はいつの間にか晴れていた。
それはそれは青い空だった。
「おーい! 起きろー風邪引くぞー」
「う、うん?」
何かに身体を左右に揺すられ意識が浮上していく。
目を開ける。千明が呆れた顔でボクを覗き込んでいた。
起き上がる。
「ボク、どれくらい寝てた?」
「30分くらいだな。ほんと外なのによくそんな気持ち良さそうに寝れるよな」
「年季が違うの、年季が」
「そこまでいくと才能だよなほんと。つうかそろそろ四尾連湖行ったほうがいいんじゃねえの?」
時計を見る。たしかに今から出発すればちょうどいい時間に着くだろう。
荷物をまとめてビーちゃんに跨る。ヘルメットを被る。
「じゃあボク行くよ」
「おう、気をつけろよ」
うなずいてキックペダルを蹴り飛ばす。エンジンが唸る。白煙が噴き出す。
そういえば、さっき夢を見ていた気がする。昔の夢だ。ひどく懐かしい夢だった。
そういえばあんな時もあったな。今思えば馬鹿みたいな話だ。
誰にも必要とされていないなんて、あるわけがないのにね。
「千明」
「ん、なんだ?」
「ありがとね」
あの時言えなかった言葉を伝える。
ボクが今こうしてボクでいられるのは、千明のおかげなのだ。
ずっと同じ場所で足踏みしていたボクを引っ張ってくれたのはなでしこだ。
けど、一人ぼっちでうずくまっていたボクを見つけてくれたのは、他ならない千明なんだ。
口うるさくてお調子者、だけどすごく優しい人。
ボクの大事な友達、ボクの大好きな友達。
「え、は? なんの話だ?」
「なんでもなーい、じゃーねー」
首を傾げる千明を他所にスロットルを回す。タイヤが落ち葉を撒き散らす。
目指すは四尾連湖、友達がボクを待っている。