【完結】ザコの旅   作:クリス

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 溶けた霜が太陽に当てられてキラキラと輝く。肌を刺す冷たい空気の中で息が白く濁って宙に舞っていく。

 

 降り注ぐ朝日が琵琶湖の水面をサファイアのように美しく輝かせていく。

 

 風の音と鳥の声、岸辺に打ちつける波の音。そして安いアルミの椅子の軋む音。 

 

「平和だなぁ」

 

 ゆっくりと過ぎていく時間にうっとりとする。外は相変わらず寒いけど、その寒さすらスパイスになっているような気がした。

 

 ぶくぶく。ミニテーブルの上のバーナーにかけていたコッヘルの水がいつの間にかお湯になっていた。

 

 火を止めてティーバッグを放り込んでいたマグカップに注ぐ。

 

 カップのふちから垂れるティーバッグの紐を掴んで上下すると、お湯の中で紅茶の色素が滲み出し、いかにも紅茶ですと言いたげな香りがボクの鼻をくすぐった。

 

 本当なら二、三分蒸らすところだけど、寒いからもう飲んでしまおう。用意していたガムシロップを二個注いでスプーンでかき混ぜる。

 

「あちち」

 

 息で冷ましながら熱々の紅茶をすする。冷えた身体に甘ったるい紅茶が染み渡る。

 

「コーヒーもいいけど、紅茶も好きだな〜」

 

 コーヒーは男の子の味、紅茶は女の子の味って感じがする。

 

 どっちも好きだけど、朝のまったりした時間に合うのはやっぱり紅茶だと思う。

 

「ずずず、ぷはぁ〜」

 

 紅茶を飲んで息を吐くと、口からもわもわと白い湯気が立ち込めた。

 

 ブロロロ、駐車場のあるほうから聞き慣れた4ストエンジンの音が聞こえてきた。帰ってきたみたいだ。

 

 コッヘルに残ったお湯を確認。よし、まだある。バーナーにもう一度火をつけてお湯を温める。

 

 その間に綾乃のマグカップを拝借して紅茶を用意する。すでに暖められていたお湯はあっという間にぶくぶくと沸騰した。

 

 マグカップにお湯を注ぎ紅茶を作る。走ってきて疲れているだろうしミルクティーにしよう。出来上がった紅茶にガムシロとコーヒーミルクを投入。

 

 ミルクと紅茶の甘い香りがあたりに立ち込めた。

 

「おまたせー 朝ごはん買ってきたよー」

 

「ありがと、はいこれ」

 

 レジ袋を受け取ってマグカップを差し出す。

 

「サンキュー あ、ミルクティーじゃん」

 

「ガムシロとコーヒーミルクの代用品だけどね」

 

「おいしければそれでいいよー いただきまーす……あっま」

 

 綾乃の頬に色が差す。どうやら気に入ってくれたみたいだ。

 

「それで、何買ってきてくれたの?」

 

「あんパンとあんドーナツとあずきデニッシュとー」

 

「全部あんこだし。まあ甘いの買ってきてって言ったのボクだけどさ。まあいいや、寒いしテントの中で食べようよ」

 

「さんせー あ、よかったらストーブ焚いてもらってもいい? 走った時すっごく寒くてさ」

 

「もっちろん」

 

 マグカップをこぼさないように持ちながら二人でテントにもぞもぞと入り込んでいく。

 

「なんかわたしたち虫みたいだね」

 

「たしかに……」

 

 ダンゴムシかな? そんなバカなことを考えながら、琵琶湖での朝はすぎていった。

 

 

 

 

 

「もう大丈夫?」

 

 ビーちゃんに跨って後ろにいるヘルメット怪人に話しかける。

 

「うん、へいきへいき」

 

 ネックウォーマーに覆われた口がモゴモゴと動く。ゴーグルも遮光レンズだから本当に表情がわからない。

 

「昨日寝れた?」

 

「人間って意外とどこでも寝れるんだね。めっちゃぐっすりだった」

 

「疲れてるとそんなもんだよ」

 

 20時間くらい走ったあとに横になると30秒くらいで眠れる。たんに気絶してるだけともいう。

 

「それに双葉があっためてくれたしね」

 

「誤解を生む言い方やめて!」

 

「ふひひ」

 

 まるでなんかボクがいかがわしいことしたみたいじゃないか。ただヒーターでテント暖めただけだってのに。

 

「で、これからどうするんだっけ?」

 

「昨日行ったとおり湖沿いを半時計回りに北上して半周。向う岸のほうにある近江舞子ってところにあるゲストハウスに泊まるよ。なんとベッドとおっきなお風呂つき」

 

「やったーお風呂だー!」

 

「しかもバイクで行くと一泊2000円!」

 

「やすー!」

 

「まあ150キロ先だけどね」

 

 観光とか休憩もいれてだいたい8、9時間くらいかな。まあのんびりいこう。

 

「そんなのすぐじゃん! はやく出発しよー! やった! やっとお風呂に入れる!」

 

「はーい、じゃあ行こっか」

 

 キックペダルを蹴飛ばしてエンジンをかける。オイル混じりの真っ白な煙がモクモクと宙を舞う。

 

「いくよー」

 

「しゅっぱーつ」

 

 ギアを変え、アクセルを吹かしクラッチを離す。転がり出すタイヤ。光り輝く湖岸に別れを告げ、琵琶湖を一周に繰り出す。

 

 近江舞子まであと約150キロ。ボクたちの新たな旅が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

「……あれ、150キロってめちゃ遠くない?」

 

 ふふふ……

 

 

 

 

 

 

 湖岸に沿う県道559号線、さざなみ街道を走ること約8キロ。

 

 スロットルを緩め、桟橋に係留されたプレジャーボートを眺めカーブを曲がっていると、視界の向こうに大きな橋をとらえた。

 

『橋でっか!』

 

 国道477号線、琵琶湖大橋有料道路。守山市と大津市を結ぶ巨大な橋だ。

 

「1400メートルあるんだって、すごいよね」

 

 遥か彼方の対岸まで一直線にかかる橋は遠目から見ても壮大だ。

 

 遠目からチラチラとその姿は確認していたけど、こうはっきり見ると迫力だ段違いだ。

 

『あそこって原付渡っても大丈夫なのかな』

 

「大丈夫みたいだよ。たしか10円だったはず」

 

『やっす、うまい棒買えるじゃん』

 

 ボクも調べたとき驚いた。100円とかならわからなくもないけど、駄菓子と同じ料金で渡れるのは破格と言ってもいい。

 

『料金所でうまい棒渡したら通してくれるかな』

 

「ダメに決まってるでしょ」

 

『だよねー』

 

 でも料金所の人にうまい棒わたした時の反応はちょっと気になる。たぶん怒られて終わりだろうけど。

 

「写真撮ってく?」

 

『うーん、明日でいいやー』

 

「わかった。明日は向う岸から橋渡って帰るからその時撮ろっか」

 

『りょーかーい』

 

 カーブが終わる。スロットルを回し加速してく。心地よい寒さとともに景色が流れていく。

 

『うまい棒の話してたらお腹空いてきちゃった』

 

「コンビニでうまい棒でも食べる?」

 

 このあとめちゃくちゃうまい棒食べた。

 

 あれってたまに食べるとおいしいよね。

 

 

 

 

 

 琵琶湖大橋から約15キロ。畑と湖に挟まれた湖岸の道路をひたすら走り続ける。

 

 50キロで走っていくボクたちを高そうなベンツが猛スピードで追い抜いていった。

 

『はやー』

 

「もうあんなに遠く行っちゃってるよ」

 

『こらーここ50キロだぞー』

 

 たぶん70キロ、もしかしたらそれ以上だしてそうだ。怖くないのかな?

 

『次の信号までレースでもする?』

 

「絶対勝てないからやめとく」

 

 いくら2ストとはいえエンジンの排気量が倍も違うバイクに勝てる道理なんてない。

 

 ていうか息を吐くようにさっき言ったことと矛盾すること言うのやめてよ。

 

『じゃ、おっさきー』

 

「あっ、ちょ」

 

 ミラーに映った綾乃が右のほうに消えていく。

 

 次の瞬間、横からエンジン音が鳴り響いてあっという間に綾乃がボクの前に踊りでた。

 

『ずっと双葉に先行ってもらうのもあれだし、しばらく先走るよ。どうせ湖に沿って走るだけでしょ?』

 

 昨日から今にいたるまでずっとボクが先導だった。ずっと先導するのも疲れてきたし、ここは前を走ってもらおう。

 

「わかった。しばらくよろしくねー」

 

『おうおう、綾乃さんにまかしとけー』

 

 湖に沿って走るだけだから大丈夫だろう。もし何かあったらボクが代わればいいだけだ。

 

 先導を綾乃に交代し、また何もない道を走り続ける。

 

『ほんとなんもないね。こんなに信号のない道走ったの初めてかも。なんか楽しいね』

 

「わかるわかる。なんかテンションあがるよね」

 

 こういう道は、まるで自分が映画の主人公にでもなったかのような、そんなワクワクを与えてくれるから大好きだ。

 

『でーででー、でっでっでっででー』

 

「ぷっ、なにそれ」

 

 いきなり変な歌歌いだしたもんだから思わず吹き出してしまう。

 

『えーと、おじさん二人がハーレーで旅する映画の曲』

 

「イージーライダー?」

 

『そうそう』

 

「あれ最後二人とも死ぬらしいよ」

 

『えっ、ほんとに? 死んじゃうのあの二人』

 

「ほんとほんとユーチューブのネタバレ動画で見たもん」

 

『それ最近捕まったやつじゃん』

 

 しょーもない話をしながらもバイクはどんどん進んでいく。

 

 人っ子ひとりいない湖岸の道路。晴れ渡った空の下をエンジンを唸らせ駆け抜けていく。

 

 エイプとYB。

 

 リーフブルーとダークブルーのタンク。シルバーのメッキフェンダー、ゴールドのホイール。

 

 ヘッドライトのメッキに雲が映り、すぐに消えていく。

 

 あの映画のような派手さはないけど、この瞬間はボクたちも立派な主人公だ。

 

 

 

 

 

『でっかー!』

 

 アクセルを吹かし緩やかな坂を抜けていく。右を見ると視界一面にどこまでも続く琵琶湖が広がっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 県道513号線、葛籠尾崎大浦線。

 

 琵琶湖の最北端、奥琵琶湖パークウェイへと続く細い峠道をひた走る。

 

 出発から約4時間。目的地まではすでに50キロを切っていた。

 

『すごくない! 向う岸全くみえないんだけど!』

 

「うん……水平線見えるってすごい」

 

『ひっろ! でかすぎでしょ!』

 

 山中湖もかなり大きいけど、ここはそんなレベルじゃない。

 

 湖岸を走っている時はあんまり実感がなかったけど、こうして縦から見下ろすと、その広大さにびっくりさせられる。

 

「『でけー!』」

 

 そのあんまりの大きさに二人でバカみたいに盛り上がる。それくらいすごいのだ。

 

 そんなボクたちをバイクが一台抜き去っていく。メーターを見てみたらいつの間にかスピードがけっこう落ちていた。危ない危ない。

 

「綾乃、ちょっと遅いからスピード上げていこう」

 

『あ、ほんとだ。ごめん。見惚れてた』

 

 スピードを上げるエイプ。置いていかれないようにボクもスロットルをさらに回す。湖畔を横目に眺めなだらかな一本道を駆け抜けていく。

 

『横に生えてる木って桜だよね』

 

 ちらりと左右の並木を見る。うん、葉はすっかり落ち切っているけど、たしかに桜の木だ。

 

「こんだけいっぱい植えられてると、春になったらすごい綺麗だろうね」

 

 美しい湖を眺めつつ桜並木のトンネルをバイクで駆け抜けていく。想像するだけでもワクワクしてくる光景だ。とはいえ花見シーズンは当分先のことだろうけど。

 

「春になったらもう一度来てみる?」

 

『あ、それいいかも。今度は双葉の友達も一緒でさ』

 

「リン来るかな?」

 

 リンの行動範囲の三倍くらい離れてるからたぶん厳しいだろう。それにスクーターでこの距離はさすがのボクでも億劫になる。

 

『その子と仲良いいんでしょ? 双葉が誘えば来てくれるんじゃない?』

 

「まあ、その時になったら話振ってみるよ。もしかしたら慣れてきていいって言ってくれるかもしれないし」

 

『お、言ったな。ちゃんと覚えとけよー』

 

「あいあいさー」

 

 適当に返事しつつビーちゃんを走らせていく。反対車線からバイクの集団がやってきた。近づくと先頭のライダーが手を振ってくれた。

 

『やっほー』

 

「やっほー」

 

 笑顔で手を振りかえす。バイクはこの瞬間が楽しい。なんていうか繋がっている気がする。

 

『さっきからバイク多くない?』

 

「峠道とかみんなこんな感じだよ。車よりバイクのほうが多いくらい」

 

『いいなーおっきなバイク乗れて。わたしももっと大きいの乗りたいよ』

 

「憧れるよねーリッターバイクって……まあ、ボクは乗れないけど」

 

 主に身長とか身長とか身長とかのせいで。あと身長のせいで。

 

『え、なんで……あっ』

 

 なにかを察したように綾乃がだまりこくる。変な空気がボクたちの間に流れる。

 

『い、いい加減双葉も先走りたいでしょ? 交代するよ』

 

「下手くそなフォローありがとー!」

 

 スピードを落とした綾乃を避けてスロットルをぶん回す。エンジンが猛烈な勢いで唸り世界が急加速していく。

 

『な、なでしこだって痩せられたんだから、双葉だって大丈夫大丈夫! ……きっと』

 

 きっとはいらなかったなー! 

 

 ちくしょー! なんでもっとおっきく産んでくれなかったんだよー! お母さんのバカー!

 

 見えてきた左カーブを半ばやけくそになりながら膝がするかすらないかの猛烈なハングオンで切り抜けていく。

 

 ちっこいからってなめるなよー!

 

『はやっ! てかなにそれー!』

 

「綾乃のバカー!」

 

 2ストの排気音にクソザコの悲鳴がかき消されていった。

 

 

 

 

 

「はいちーず」

 

 パシャリ。

 

「むー」

 

 奥琵琶湖パークウェイ。何台ものバイクや車が止まるパークの展望エリアで、眼下に広がる広大な琵琶湖をバックに二人で写真を撮る。

 

 にっこり顔としかめっつらのツーショットができあがった。

 

「もーいい加減機嫌なおしなってー」

 

「むー」

 

 綾乃はボクの怒髪天をついてしまったのだ。

 

 今のボクは言うなれば激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム状態。

 

 ちょっとやそっとじゃボクの機嫌はなおらないぞー!

 

「あ、向こうの売店でうどん売ってるみたいだよー」

 

「ほんと!?」

 

 バイクに乗ってる時は気がつかなかったけど、もうお腹がペコペコだった。ここに来るまでの峠でだいぶ攻めてたからかな。

 

「ねえねえ、どこどこー?」

 

「ん? あっちだよー」

 

 綾乃が指差すほうにスキップで歩いていく。寒さで疲れ切った身体に染み渡るあったかいお汁。関西圏だから白だしなのかな?

 

「おっうどん、おっうどーん」

 

「……ちょっろ」

 

 後ろでボソリとつぶやいた綾乃の言葉は必死に聞こえないふりをすることにする。

 

 そんなことよりおうどんだー!

 

 

 

 

 

「はーおいしかったー」

 

 自販機で買った缶コーヒーをすすりながら展望スペースの古ぼけたベンチに腰掛け琵琶湖を眺める。

 

 綾乃は向こう見てくると言って一人で行ってしまった。

 

「あと行きたいところは白髭神社くらいかなー そんで宿に着いてお風呂入ってー」

 

 ピコン! 誰だろ。

 

斉藤:おはよー

 

双葉:え、もう昼だよ?

 

斉藤:寒くてベッドから起きれなくて二度寝しちゃったー

 

斉藤:リンから聞いたんだけど、今琵琶湖にいるんだって?

 

双葉:うん、写真送るね

 

 綾乃と撮った(ちゃんと笑顔で撮り直した)パークウェイから見た琵琶湖の写真を送る。

 

斉藤:へぇ、琵琶湖ってこんなにおっきいんだ。となりにいるのがなでしこちゃんの幼馴染の土岐さんだよね?

 

双葉:そうだよ。浜松から一緒に走ってきたんだ

 

斉藤:二人でツーリングかー すっごい楽しそ〜 このあとはどんな予定なのかな?

 

双葉:琵琶湖半周したから、このまま一周してゲストハウスに泊まって明日には帰ってくる予定だよ

 

斉藤:そうなんだ〜気をつけてね。あと、リンもめっちゃ心配してるみたいだから早めに帰ってあげると安心すると思う

 

双葉:リンが?

 

斉藤:うん、昨日電話で話した時けっこう心配してるみたいだった。宿についたら連絡してあげたら喜ぶと思うよ

 

斉藤:もちろんわたしもね。帰って来なかったらやだよ?

 

双葉:わかった。ありがと。ついたらリンに連絡するよ

 

斉藤:ついでにお土産買ってきてくれるとうれしいなー

 

双葉:もっちろん! 楽しみにしててね。じゃあねー

 

斉藤:またねー

 

 やり取りを終える。リンが心配してくれているのは驚いた。

 

 いや、そうでもないか。そう言えば前に琵琶湖行くって話した時もすごい必死に止められたっけ。

 

 今度からもう少し連絡する回数増やしたほうがいいかな。

 

 そうだ、どうせなら野クルのみんなにも連絡しておくか。

 

双葉:琵琶湖なう

 

 写真と添付して送信。ほどなくして既読がついた。

 

あおい:うそやろ、ほんまに琵琶湖おるやん……

 

双葉:すごいよーでっかいよー!

 

千明:つ、ついにたどり着いたんだな……がくっ

 

双葉:どうしたの?

 

千明:なでしこの風邪うつったなう。

 

双葉:ありゃりゃ

 

なでしこ:アキちゃんごめんね〜! お見舞いいくから元気だしてー!

 

あおい:無限ループやめーや

 

双葉:お土産買ってくるから元気だしなよ

 

千明:ありがてぇ、ありがてぇ!

 

双葉:だから休んでしっかりなおしてね!

 

千明:へーい、じゃあもう寝るわー

 

なでしこ:おやすみー

 

双葉:おやすみー

 

あおい:双葉ちゃん明日帰ってくるんよね? 

 

双葉:うん、7時くらいに出発する予定。だから帰ってくるの9時か10時くらいかなー

 

あおい:やっぱそんくらいになってまうか。ほんまに、ほんまに気いつけてな。なにかあったらうちらでも誰でもええからすぐに電話するんやで?

 

双葉:わかった。心配してくれてありがと。そうだ、お土産なにかリクエストある?

 

なでしこ:おいしかったらなんでもオッケーです!

 

あおい:ならわたし琵琶ゼリーほしいわ〜 あれめっちゃ気になってたんよ

 

双葉:びわゼリー? わかった。探してみる

 

千明:そこの関西弁、ホラを吹くのはやめなさい

 

双葉:そうなの?

 

あおい:せやでーびわは千葉の特産品や。ちなみになんでビワって言うか知っとる?

 

千明:そこー嘘に嘘を重ねるなー 故郷のお袋さんが泣いてるぞー

 

双葉:知ってた。まあ適当にみんなで食べられるもの買ってくるよ

 

あおい:はーい、楽しみにしとるでー

 

なでしこ:気をつけてね! あとアヤちゃんのことよろしくね〜!

 

 スマホをしまう。みんなすごく心配してるみたいだ。これは本当に無事故で帰らないと何されるかわからないな。

 

「そういえば綾乃どこ行ったんだろ」

 

「双葉ー」

 

 噂をすればなんとやら、後ろから綾乃の声が聞こえてきた。振り返るとエイプの横でボクに向かって綾乃が手を振っていた。

 

 コーヒーを飲み干してベンチから立ち上がり綾乃の元に向かう。

 

 ボクの後ろをハーレーが一台通り過ぎる。綾乃が女の人らしきライダーに手を振った。

 

「知り合い?」

 

「ううん、双葉のこと待ってたら話しかけられた。静岡と山梨から来たって言ったらめっちゃ驚いてた」

 

「そんなに珍しいかな?」

 

 バイク乗りなんて、ゴキブリと同じでどこにでも湧くもんだと思うんだけど。 

 

「バイクならともかく、原付で来る人はなかなかいないでしょ」

 

「大して遠くないんだけどなあ」

 

「聞いたよー 双葉みたいなの距離ガバって言うんだってね」

 

「は、え?」

 

 初めて聞く言葉だ。キョリガバ? あぁ、距離ガバか。

 

 酷い言い草だけど的確すぎてなにも言い返せない。

 

「山梨から琵琶湖が350キロで、今日100キロくらい走ったから450キロでしょ?」

 

 意外と走ったな。そろそろオイル新しいの買っとかないと。帰りにホームセンターでも寄ろうかな。

 

「冷静に考えるとさ……ていうか冷静に考えなくても普通にヘンタイだよね。新幹線レベルだよこの距離」

 

「へ、ヘンタイって……綾乃も着いてきてるんだから人のこと言えないでしょ」

 

「だよねー 双葉のせいでわたしヘンタイになっちゃったよー」

 

「もういいよそれで」

 

 楽しそうにケラケラ笑う綾乃に呆れる。どうやら綾乃の中でボクはヘンタイにカテゴライズされてしまったようだ。

 

 ボクなんてまだまだなのにね。世の中には往復1000キロを日帰りでこなす汎用人型バイク操縦ロボットもいるというのに。

 

「そろそろ行く?」

 

 時計を見ると時刻は1時に差し掛かろうとしていた。そろそろ出発したほうがよさそうだ。

 

 ビーちゃんに跨って出発の準備を整える。

 

「3時にチェックインの予約入れてるからちょうどいいと思う」

 

「あと50キロくらいだっけ? けっこうあっという間だったね」

 

「でしょー! 100キロ200キロなんてあっという間なんだよー! 綾乃もやっとわかってくれたんだね!」

 

「……わかりたくないけど、なんとなくわかっちゃうのが困る」

 

 なんとも言えない表情でエンジンをかける綾乃。

 

 ふふふ、順調にこっちの世界に染まってきていますなー

 

「じゃ、行こっか」

 

「へーい」

 

 キックペダルを蹴り飛ばしエンジンをかける。周りを確認してゆっくりと走り出す。

 

 冬の琵琶湖。旅も残すところ半分を折り返していた。

 

 

 

 

 

「「ふぃ〜」」

 

 誰もいない広々とした湯船にボクたちのだらけ切った声がこだます。

 

「ごくらくじゃ〜」

 

「と、とける〜」

 

 近江舞子、ゲストハウス。

 

 奥琵琶湖パークウェイから50キロをぱぱっと走り抜き、ボクたちはついに宿にたどり着いた。

 

「一泊2000円って聞いてちょっと心配してたけど、なんかすっごいいい感じじゃん」

 

「人もいないし布団もふかふかだし、オフシーズンさいこ〜」

 

「わかる〜」

 

 やっぱり旅をするのは冬が一番だ。虫もいないし人もいないし、なにより空が綺麗だ。

 

 夏の青空と入道雲も好きだけど、冬のどこまでも澄み渡る青空がボクは無性に気に入っている。

 

「浜松からここまで350キロ……あはは、改めて考えるととんでもないや」

 

「楽しかった?」

 

「うん! でもめっちゃ疲れた〜! たぶん今日もぐっすりだろーなー」

 

「明日はまた200キロだから今日はゆっくり休まないとね」

 

「うげ〜 また200キロか〜 でも双葉はもっと走るのか」

 

「だいたい350キロかな。大した距離じゃないからパパッと帰るよ」

 

 時間にして約15時間くらい。本当だったらもう一度琵琶湖半周して岐阜と長野を経由して帰る予定だったから、これでも短いほうなのだ。

 

「地元の友達に話したらびっくりするだろーなー バイク乗ってるだけでも驚かれるのに、琵琶湖行ったなんて言ったら腰抜かすんじゃない?」

 

「そう言えばさ、気になってたんだけどなんで琵琶湖まで着いてきてくれたの?」

 

 前から疑問に疑問に思っていたことをぶつける。

 

 ツーリングに行こうとは言っていたけど、まさかこんなところにまで着いてくるとは思ってもなかった。

 

 350キロ。とてもじゃないがなにかあったら引き返すなんて甘えは許されない距離だ。

 

 ボクはそういうリスクを承知で走っているけど、綾乃……いや、普通の女の子なら忌諱感を持ったって不思議じゃない。

 

 すごく嬉しかったし、楽しかったけど、やっぱり不思議だ。

 

「双葉とさ、おんなじものを見てみたくなったんだ」

 

 綾乃の目はどこか手に入らないものに憧れるような、そんな目をしていた。

 

「浜松で温泉入った時の双葉の目が忘れられなくて、なんでこの人こんなに楽しそうなんだろうなーって、ずっと思っててさ」

 

 何かを掴むように、中に向かって手を伸ばす綾乃。

 

「でも、昨日と今日一緒に走ってみて、なんとなくわかったよ。たしかに、こんなの知ったら病みつきになっちゃうよね」

 

 病みつき。ボクたちバイク乗りは、多かれ少なかれなにかに病みつきになる。スピード、改造、レース、エトセトラ。

 

 ボクにとってはそれは旅だった。そして、綾乃もそうなったんだろう。

 

「知らない道を走って、知らない景色見て、知らないご飯食べて……わたし知らなかったよ。世界がこんなに広いなんて」

 

 湯気の向こうに見える綾乃の目がキラキラと輝く。なにかを本気で楽しんでいる人の目だ。

 

 ボクはその目に見覚えがあった。なぜならボク自身がこういう目をしているからだ。

 

「双葉、わたしを連れてってくれてありがと。すっごく楽しかった。またいこーね」

 

 湯気の向こうの綾乃がへらと笑い拳を突き出す。

 

「うん! またいこー!」

 

 ボクも笑って拳を突き出す。

 

 コツン、拳にお湯でふやけた指の感触が伝わる。

 

「春になったら九州でもいく?」

 

「さすがにそこまで行くと親の説得が難しいかなー でも考えとくね」

 

「ほんとにー? めっちゃ遠いよ〜」

 

「あ、双葉が初めて遠いって言った!」

 

 お風呂場を舞う湯気のように、ボクたちの会話も弾んでいく。

 

 楽しい時間はあっという間にすぎていく。けど、この思い出はきっと一生忘れないだろう。

 

 旅ももうじき終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 そして次の日……

 

「綾乃、準備いい?」

 

「おっけーだよー!」

 

 宿の前でビーちゃんに跨り振り返る。荷物は積んだ。忘れ物もない。お土産も買った。

 

 エンジンをかける。白煙が宙を舞う。

 

「帰るとしますか」

 

「しゅっぱーつ!」

 

 さあ、帰ろう。ボクたちの家に。

 

 

 

 

 

「また200キロかぁ……でもまあ、そのくらいなら……」

 

 ふふふ……

 

 

 

 

 

 

「やったー! 浜名湖だー!」

 

 見覚えのある木組の展望台の上で、沈み始めた太陽に照らされた浜名湖を眺める。

 

 出発から8時間。ボクたちは浜名湖へとたどり着いた。

 

「うわ、二日しか離れてないのに、なんかすっごい懐かしい」

 

「それなんかわかる」

 

 二人でオレンジ色に染まっていく空を眺める。初めて綾乃と出会った時は、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。

 

 本当に、世の中なにが起きるかわからないなあ。

 

「もうすぐ夕方だね。双葉はこれから150キロだっけ?」

 

「うん。たぶん6時間くらいかな」

 

「そっか……じゃあもう行かないとまずいよね」

 

 ただわかれるのも寂しいという綾乃の誘いで、この木組の展望台に足を伸ばしたけど、お別れの時間が迫ってきた。

 

「……双葉、今日うちに泊まっていかない? 明日も休みでしょ?」

 

 ボクを見る綾乃の瞳は気のせいか少し揺れている気がした。

 

「そうだけど……どうして?」

 

「だって、これから夜になっちゃうし、150キロって絶対危ないよ。べつに気とか全然使わなくていいからね。わたし一人っ子だし」

 

 たぶん、これは建前だ。純粋に心配しているだけなら、こんな寂しそうな顔なんてしない。

 

「綾乃……」

 

 ボクも名残惜しいとは思っている。一緒にいたのはたったの三日だけど、なによりも濃い三日間だった。

 

 ボクは綾乃のことがもっと好きになったし、綾乃もきっとボクのことをもっと好きになってくれたと思っている。

 

 これから一人で帰るのかと思うと、なんだか胸にぽっかり穴が空いたようなそんな気持ちになる。

 

 だけど……

 

「ありがとう……でも、そろそろ帰るよ」

 

「どうして?」

 

「ボクを待ってる人たちがいるからさ」

 

 脳裏にみんなの顔が浮かび上がる。リン、なでしこ、千明、あおい、斉藤さん……

 

 みんなボクの身を案じてくれた。本気でボクの無事を願ってくれた。

 

 旅は楽しい。けど、旅は行って終わりじゃない。

 

 行って帰って、そしてただいまって言って、初めて旅は終わるのだ。

 

「みんな心配してるから、早く帰って安心させてあげたいんだ」

 

 昔みたいに一人きりだったら、一人ぼっちだったら、なにもなかったら、きっと、二つ返事で綾乃の提案に飛びついただろう。

 

 だけど、もう昔とは違うのだ。ボクには帰るところがある。帰りたい場所がある。

 

「……そっか、じゃあしょがないかー あーあ、双葉にふられちゃった」

 

 ちょっと寂しそうに笑う綾乃。そろそろ本当にお別れの時間だ。

 

「またいつでも会えるって。だからそんな顔しないで」

 

「……絶対?」

 

「絶対」

 

 お互いにしばらく無言で見つめ合う。別れなきゃいけないのはわかってる。けど、少しでも長く一緒にいたい。

 

 お互いに気持ちは同じみたいだ。だけど、それももう終わり。

 

「……じゃ、ボクはもう行くね」

 

「うん、下まで送ってくよ」

 

 二人で展望台を降りてバイクに跨る。

 

 空はすっかりオレンジ色に染まり切って、美しいグラデーションを作っていた。

 

 着く頃には真っ暗だろうなあ。まあ、頑張って走るとしますか。

 

「双葉、今度いつ会える?」

 

「いつでも! 呼べばどこにだって行くよ!」

 

 だってボクにはバイクがあるから。

 

 エンジンをかける。ビーちゃんが待ってましたと言わんばかりに白煙を吐き出す。

 

「またねー!」

 

 人差し指と中指をこめかみに当てて、シュッと振り払う。ちょっとかっこつけがすぎるかな。

 

 でも、死ぬまで見栄を張るのがバイク乗りという生き物だ。

 

 クラッチ、1速、スロットル。

 

 唸るエンジン、飛び散る白煙。流れ出す景色

 

「双葉ー! やっぱ次わたしから会いにいくよー!!」

 

 ミラー越しに映る綾乃に手を振る。今の綾乃なら本当に山梨まで来そうな気がする。

 

 というか絶対来るだろうな。なんとなくそんな確信がある。

 

 だってたかが150キロしか離れてないんだもん。

 

「バイト、いい加減決めないとなー」

 

 お金を稼いで、浜松餃子に負けないくらい、おいしいものをご馳走してあげないと。

 

 スロットルを回す。エンジンが唸って車体が加速していく。

 

 さぁ、帰ろう。みんながボクを待っている。

 

 そして、帰ったらみんなにこう言うんだ。

 

 

 

 

 ただいまってね。




用語解説

イージーライダー
薬物の密売で稼いだお金でバイクで旅して旅先で差別されて最終的に死ぬとかいうわりと酷い話。オープニングかっこよすぎ

最近捕まったやつ
おすすめに無駄にいっぱい出てくるせいで何度もネタバレ食らいました
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