【完結】ザコの旅   作:クリス

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「ふぅ……」

 

 スーパーの自動ドアをくぐって外に出る。外の寒さに反比例して、心は達成感で打ち震えていた。

 

「あ、面接終わったん?」

 

 外で待ってくれていたらしいあおいがスタスタと近づいてきた。わざわざ待っててくれたみたいだ。

 

「うん、終わった」

 

「それで、どうやったん?」

 

 神妙な顔でたずねるあおい。たしかに、あおいにとっては気になることだろう。

 

「えっとね、なんとなんとー!」

 

「なんとー?」

 

「採用けってーしましたー!」

 

 ボクのひと言にあおいがぱぁっと笑顔になる。

 

 その笑顔を見ると、ボクの心にも嬉しさが込み上がってきた。

 

「やったやーん! おめでとーな!」

 

「やったよあおいー!」

 

 湧き上がるテンションに任せあおいとハイタッチをかます。パチーンといい音がなった。

 

「それで、いつから働くん?」

 

「来週からだって! あおい、バイト紹介してくれてありがとー!」

 

 そう、今日ボクは、あおいのバイト先のスーパーでバイトの面接を受けていたのだ。

 

 面接は1学期のころに何度か受けていたのと、ボク自身が人と話すのに慣れたのもあって、想像してたよりもスムーズに終わった。

 

 結果は見てのとおりだ。紹介してくれたあおいには感謝しかない。

 

「そないおおげさにお礼言わんでも、ええって! 最近バイトさんが一人辞めてしもうて、ちょうど代わりの人探しとっただけみたいやし」

 

「でも、あおいがボクのこと紹介してくれたおかげですんなり採用されたから、ちゃんとお礼言わないと気がすまないよ。ほんとにありがと」

 

「おおきにやでー にしても、まさか双葉ちゃんが前にここで働いとったなんて知らんかったわ。店長さん驚いとったで」

 

 ボクもつい最近知ったことだけど、実はあおいが働いているスーパーと、ボクが以前働いていたスーパーは同じ店だったのだ。

 

「うん、店長にも無理して働くなよって釘刺されちゃった」

 

「あ、あはは」

 

 もうパートの人に「君、いつもいるね」なんて言わせないからなー!

 

「ま、なんにせよこれから部活仲間でバイト仲間や! よろしゅうな双葉ちゃん!」

 

「うん、よろしくね! あおい」

 

 よーし、これで資金問題解決! これからは赤字にならない程度に使っていけば、またお金も貯まるだろう。

 

 そしてゆくゆくは新しいバイクを……ぐふふ。

 

「せや! せっかくやし向こうのラーメン屋さんでラーメンでも食べてかへん? 給料も入ったばかりやし、うちが奢ったるで!」

 

「え、悪いよそんなの!」

 

「ええからええから、ほないこ!」

 

「あ、ちょ」

 

 手を引っ張られて強引に連れていかれる。ボクの友達はなんでこうみんな押しが強い人たちばっかりなんだろう。

 

 まあそこが好きなんだけどね。

 

「ラーメン食べるのなんて何ヶ月ぶりやろなあ。久しぶりにごっつ食べるでー」

 

 身の毛もよだつ、冬の身延。だけどボクの心は、それ以上にポカポカとしていた。

 

 

 

 

 バイクを押しながら、二人で冬の街道を歩く。口の中にはまだラーメンの味が残っていた。

 

「あそこ行ったん初めてやったけど、けっこうおいしかったなあ」

 

「うん! おいしかった。ありがとあおい」

 

 二人とも、ここでの用事は済ませたのであとは帰るだけだ。

 

 けど、なんとなくこのまま帰るのはもったいない気がして、今こうして二人で冬の街をぶらついていた。

 

 歩道の上をタイヤをころころと転がしながら歩き続ける。

 

「もうあとちょっとで冬休みなんよね。今年はほんまあっちゅうまやったわ」

 

「あとはクリキャンやって、みんなでお正月迎えるだけだね」

 

「そやった。まだ場所決めとらんかったわ。双葉ちゃん、なんかいいところ知らへん?」

 

「ごめんね。ボクも探してるんだけど、キャンプ始めたばっかりだから、どれがいいとかあんまわかんなくてさ」

 

 ツーリングスポットだったらいくらでも挙げられるけど、キャンプに関してはまだまだ素人の枠をでない。

 

 こう言う時はプロに聞くのが一番だろうな。

 

 ボクは今ごろ本屋で店番をしているであろう友達のことを思い浮かべた。

 

「リンが探してくれるみたいだから大丈夫だろうけど、ちょっと頼りすぎな気もするんだよね」

 

 みんなでキャンプがしたいから集まるってだけで、誰が主催とかそういうのはないんだけど、やっぱり気になる。

 

「双葉ちゃんは真面目やなあ」

 

「一応誘ったのボクだしさ、ほんとだったらこれはボクがやらなきゃいけないことなんだよね」

 

 ボクは友達とはなるべく対等な関係でいたいと思っている。

 

 つい最近まで友達という存在とは縁がなかったから、余計にそう思うのかもしれない。

 

「そない大ごとに考えんでもええんとちゃう? 志摩さんだっていちいち難しいこと考えとらんやろ」

 

「うーん、あおいの言うとおりなんだけど、こればっかりは癖っていうかなんていうか……」

 

 家にも学校にも、頼れる人なんて誰もいなかったボクにとって、誰かに頼るっていう行為はまったく未知の領域なのだ。

 

 もちろんそれがよくないのはわかっている。でも、染み付いた生き方はそう簡単には変えられない。

 

「そっか……ならしゃーないけど、もうちょっと気楽に頼ってもええと思うで。友達ってそういうもんやろ」

 

「だよねー」

 

 ボクも本当はわかっている。友達付き合いに貸しも借りもないことくらい。

 

 友達だから助けるし、友達だから助けてくれる。

 

 そこに貸しとか借りとか、そういうギブ&テイクは存在しない。そういうのを考えはじめてしまったら、それはもう友達と言えなくなってしまう。

 

 だけど、そうやって気楽に考えられるほど、ボクのみんなに対する感情は軽くない。

 

「難しいよね。生きるのって」

 

「……せやなー」

 

 あおいは、きっとボクが納得しきってないことをわかっているんだろうな。

 

 わかってて、あえて適当に相槌を打ってくれている。そういう気遣いがほんとに嬉しい。

 

 なでしこみたいな、問答無用で明るいところに引っ張り出すような優しさじゃない。

 

 いうなれば、月明かりのような優しさだ。

 

 本当にいい友達を持ったなって、しみじみ思う。

 

「じゃあ、そろそろ帰るね」

 

 ビーちゃんを車道に移動させヘルメットを被ってシートに跨る。

 

「帰り道、気ぃつけてーな」

 

「ありがと。バイトよろしくね」

 

 イグニッションスイッチをオン。オイルランプとニュートラルランプが点灯する。

 

 あ、燃料ほとんどなくなってるじゃん。リザーブに変えておこ。

 

 コックを捻ってリザーブに切り替えて、チョークを引きキックペダルを蹴る。

 

 エンジンが唸って、白煙が舞う。

 

「またね」

 

 軽く手を振ってビーちゃんを発進させる。

 

「双葉ちゃん、また明日なー!」

 

 夕陽に沈む身延を、エンジンの音を響かせ駆け抜けていく。

 

「難しく考えすぎ……か」

 

 あおいに言われた言葉がリフレインする。

 

 肩の力を抜くって言っても、どうすればいいんだろうね。

 

「ダメだ。考えてもわからない」

 

 こう言う時は走って気を紛らわすのが一番だ。

 

 そうだ。どうせだからキャンプ場の下見にでも行ってこよう。

 

 

 

 

 

 

「へぇ、ここか……」

 

 すっかり日も沈んだ空。星々が瞬き始める夜のはじまり。

 

 静岡県、国道139号線。富士宮道路。富士山YMCAグローバルエコビレッジ。

 

「ここからじゃ全然見えないか」

 

 ちょっと前、リンがクリキャンの候補地として教えてくれたキャンプ場の前で、ボクは一人孤独にふけっていた。

 

 真っ暗な世界の中で、エンジンのアイドリング音がトコトコと響き渡り、ウィンカーのオレンジの光がカチカチと点いては消えてを繰り返す。

 

「まあリンが紹介してくれたところなんだし、いいところに決まってるか」

 

 どうせ暗くてなにも見えない。そろそろ出発しよう。

 

 そうだな、このまま帰るのもアレだし、北上して本栖湖見てから帰るとするか。

 

 ピコン! とポケットのスマホが鳴る。

 

「誰だろ」

 

綾乃:綾乃さんだよー

 

双葉:双葉さんだよー

 

綾乃:なでしこから聞いたぞー クリスマス、キャンプするんだってね

 

双葉:うん! 今ちょうど下見してるところ。静岡の富士山YMCAってところだよ

 

 カメラを起動してキャンプ場の入り口を撮って送信する。

 

双葉:ここだよ

 

綾乃:暗くてなんもみえないし

 

双葉:だってもう夜だし。でも、すごいいとこみたいだよ。富士山とかすっごい綺麗に見えるみたい

 

綾乃:いいなー双葉となでしこだけみんなでワイワイキャンプして。わたしは家族と寂しくクリスマスだって言うのにさー

 

双葉:家族いるじゃん

 

綾乃:それはそれ、これはこれ。ってやつ

 

綾乃:ていうかもうすぐ8時だけど、そんな遠くまで行って平気なの? 

 

双葉:家から30キロくらいしか離れてないし、ここら辺はしょっちゅう走るから大丈夫だよ

 

綾乃:なんだ、近所じゃん。でも、慣れたころが一番危ないって言うし、気をつけなよー 

 

双葉:はーい、じゃーね

 

綾乃:あ、そうだ。双葉

 

双葉:うん? どうしたの?

 

綾乃:……やっぱおしえなーい

 

双葉:えぇ……

 

綾乃:ほんじゃ、これで。クリスマス、楽しんでねー

 

双葉:はーい

 

 スマホをしまう。

 

「慣れたころが、一番危ないか」

 

 たしかにそのとおりだ。

 

 夜の峠はもう何回も走ってるしどうってことないけど、気をつけるにこしたことはないか。

 

「じゃ、もうちょっと走ろっか、ビーちゃん」

 

 タンクをポンポンと叩きハンドルを握る。ウィンカーを切り替えて、漆黒の峠を駆け抜けていく。

 

 たくさんの友達。楽しいキャンプ。そして旅。

 

 全てが順調すぎるくらいに進んでいく。

 

 きっと、こうしてなにもない平和な時間が過ぎていくんだろうな。

 

 ボクは走りながらそんなことを思うのであった。

 

 

 

 

 

 

「本栖湖とーちゃーく」

 

 人気のない湖、まばらに置かれた街頭の不健康な光の下で、ビーちゃんを止める。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 夜の本栖湖は不気味なくらい人がいなくて、怖いくらいに静かだった。

 

 風の音も、虫の声もない。耳が痛くなるほどの静寂。

 

 まるで、この地に生きている存在はボクだけなんじゃないかって思ってしまうくらいの圧倒的な静かさ。

 

「ここで二人に会ったんだよな……」

 

 正確にはリンとはもうちょっと前に知り合ってたけど、まともに会話したのはここが初めてだ。

 

「あの時本栖湖行こうとしなかったら、どうなってたのかな」

 

 闇の向こうに広がる本栖湖を眺めながら、もしもの世界を考える。

 

 もしボクがあの時本栖湖に行こうとしなかったら、トイレに行こうとしなかったら、きっと二人には合わなかったんだろう。

 

 なでしことは結局同じクラスで会ってたんだろうけど、今みたいに仲良しにはなれなかったに違いない。

 

 綾乃と友達になることもなかったはずだ。もちろん琵琶湖に一緒に行くこともなかっただろう。

 

 千明とあおいとも距離を置いたまま、二人がどれだけボクを大事に思ってくれていたのかも気づかないまま、一人で旅を続けていたんだろうな。

 

 キャンプだって、それっぽい理由をつけて断ってたと思う。野クルからも距離を取ってたかも。

 

 一人で旅をして、誰もいない家に帰ってくる。一人で冷たいパンをかじって、一人で冷たいベンチで眠る。

 

 お金は今より貯まってただろうし、なんなら新しいバイクだって買ってたかもしれない。

 

 それはそれできっと楽しいだろうけど、今みたいな心がポカポカする暖かさは決して手に入らない。

 

 冷たい一人の世界。灰色の日常。

 

「ほんと、カレー麺には感謝しないとな……」

 

 半分に分けられたカレー麺から始まった新しい世界。

 

 一人で完結していた世界は何十倍にも、何千倍にも、何万倍にも広がった。

 

 みんなが背中を押してくれたおかげで、ボクは前よりも笑うことができるようになった。

 

 もし、本栖湖に行かなかったら、全部なかったのだろう。

 

「もう帰ろ」

 

 そんなことを考えると、急にここにいるのが怖くなってきた。

 

 一人ぼっちは当たり前だったのに、いつのまにかずいぶんと臆病になった気がする。

 

 でも、それでいいんだろうな。

 

「帰ろっか、ビーちゃん」

 

 帰って暖かいご飯を食べて、リンと電話でもしよう。なんの役にも立たない、楽しい会話をしよう。

 

 イグニッションスイッチをオンにする。チョークを引いて、キックペダルを蹴り飛ばす。

 

 けど──

 

「……あれ?」

 

 いつもなら感じるはずの手応えがまるでない。

 

 おかしいな、エンジン止めたばっかりだからまだ熱いはずなんだけど……

 

 もう一度蹴る。

 

 同じく反応なし。あれ、本当にどうしたんだろう。故障?

 

「あ、ガソリンか」

 

 そういえばガソリン切れかけてたな。たぶんメインが空になってしまったんだろう。

 

「リザーブに切り替えて……」

 

 燃料コックに手を伸ばす。全身の血の気が引いた。

 

 コックはすでにリザーブに変えられていた。

 

「……え、うそ」

 

 つまり、もう燃料はない。ガソリン欠乏。略してガス欠。

 

「えぇ……」

 

 夜の本栖湖に、ボクの声にならない声が吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 昔なでしこと会ったトイレのベンチでココアをすする。甘いココアが冷え切った身体を少しだけ暖かくしてくれた。

 

「バーナー持ってきて正解だったな……」

 

 リンの真似して外でココアでも飲もうと持ってきたけど、まさかこんな形で使うはめになるなんて。

 

 でも助かった。温かい飲み物を飲むだけでもだいぶ落ち着いた。なにもなかったらそれこそパニックになってたかもしれない。

 

「ほんと、どうしよ」

 

 下のほうのキャンプ事務所に行ってみたけど、人はいなかった。キャンプ場も同じく人の気配はない。

 

 当たり前だ。今日はオフシーズン、冬にキャンプする物好きなんてそんなにいるわけじゃない。

 

 もとから期待なんてしてなかったけど、誰もいないってわかるとやっぱり怖くなってくる。

 

「下まで歩いて帰る……無理か。エンジンかからないのにどうやって家まで行くんだよ」

 

 ここから家まで50キロ以上ある。氷点下を割るような真冬の山梨をろくな装備もなしに歩くなんて自殺行為にもほどがある。

 

「ロードサービス……呼ぶか? でもお金かかるよなあ……」

 

 こんな山奥、来るまでどれだけかかるかわからない。それにお金だってかかる。

 

「前ガス欠した時はすぐ近くにスタンドあったしなあ……」

 

 こんな夜の無人地帯でガス欠になった経験なんてあるわけがない。

 

「うわぁ、まさかこの期におよんでガス欠やらかすなんてなー」

 

 ほんと、リザーブ入れっぱで忘れるなんてなにやってんだよボク。ちょっと気、抜けすぎじゃない?

 

「なんとか夜やりすごして、明日ガソリンスタンドまで行くか?」

 

 幸い目の前はトイレ。あんまり褒められた行為じゃないけど、優先トイレにこもって朝まですごせば凍死はしないだろう。

 

 前にもこういったことはあった。

 

 持ってきた装備が不十分でしかたなくトイレで一夜過ごした。

 

 優先トイレと田舎のバス停は、野宿界隈では帝国ホテルと呼ばれ、それはそれはありがたい存在として崇められている。

 

 人としての尊厳は地に落ちるけど、そんなもの気にしてたらそもそも野宿なんてやらない。

 

 むしろそれが楽しい。ワクワクする。

 

「ひさしぶりに野宿するかー!」

 

 防寒対策はそれなりにしっかりしている。寝ないでトイレにでもこもればなんとかなるだろう。

 

 明日の学校はしょうがないから休むとして、なんとか朝まで乗り切ればボクの勝ちだ。

 

「この人としてのぎりぎりの緊張感……なつかしいぜ」

 

 こんな目にあっているのにも関わらず、ちょっとテンションが上がっているボクはきっと早死にするだろう。

 

 うんうん、これこれ。こういうのだよ。ボクの本来やりたかったことは。

 

 こういうトラブルこそ、ボクが旅に求めているものなのだ。

 

 低予算、行き当たりばったり、楽観、妥協につぐ妥協。地に落ちた尊厳。

 

 きっちり計画を練ったキャンプもいいけど、やっぱりボクにとっての旅はこういうものなのだ。

 

「ふっふっふ、本栖湖め、かかってきやがれー」

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

「いや、無理か……」

 

 見栄を張ったところで、押し寄せる寒さはボクの体力を容赦なく奪っていく。

 

 自分の力じゃもうどうしようもないのは、わかっている。

 

 怖いよ。誰か助けてよぉ……

 

「もっと気楽に頼っていい、か」

 

 あおいの言葉を思い出す。不意にリンの顔が思い浮かんだ。

 

 なんとなく、あの子なら来てくれそうだなと思った。

 

 根拠なんてないけど、なんとなくそう思った。

 

「もう、一人じゃないもんな……」

 

 スマホを取る。ラインを起動して、リンのアイコンをタッチする。

 

 ほどなくして電話がつながる。

 

『……どうしたの双葉?』

 

 聴き慣れた優しい声に、涙が出そうになるほどほっとする。

 

「あのねリン、ちょっと……困ったことがあってさ──」

 

 こうして、ボクは生まれて初めて、自分の意思で誰かに助けを求めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、わたしに助けを求めたと」

 

「……はい」

 

 お風呂に浸かりながら湯気の向こうで絶対零度の視線を向けるリンに事の顛末を話す。

 

「ほんと、びっくりしたわ。いきなり電話で本栖湖でガス欠したから助けてくれって」

 

 野宿すると意気込んだボクだったけど、しばらくして正気に戻ってリンに助けを求めた。

 

 いや、常識的に考えて真冬の本栖湖でテントも寝袋もなしに野宿できるわけないじゃん。バカなの? 死ぬの?

 

 そんなこんなでリンに助けを求め、しばらくすると携行缶を積んだスクーターに乗ったリンが、額に青筋を浮かべながらやってきて、ボクはなんとか救助された。

 

 そして、お礼を言って帰ろうとしたボクを鬼の形相のリンが連行して、志摩家のお風呂に放り込まれて今に至るわけである。

 

 柑橘系の入浴剤が、冷え切った身体を温めてくれる。九死に一生ってこんな状況を言うんだろうなあ。

 

「しかも理由が夜中にツーリングしてたらガソリン入れ忘れたからって……バカだろお前」

 

「……返す言葉もありません」

 

 一緒にお風呂に入りながら説教を受けるというよくわからないシチュエーション。

 

 側から見るとシュールなんだろうけど、リンがマジギレしているせいでそれどころじゃない。

 

「もしわたしが電話出なかったらどうするつもりだったの?」

 

「えっと、トイレで朝まで耐久──」

 

「あ゛?」

 

「ごめんなさい、もうしません」

 

 うぅ、怒ったリン怖いよぉ。なんでそんな声低いんだよぉ。

 

 ボクを迎えにきてくれてから、リンずっとご機嫌斜めだ。まあ、理由はわかるけどさあ。

 

 そりゃ、怒るに決まってるよなあ。逆の立場だったらボクだって怒るもん。

 

「ほんと、ちっこいんだから無理すんなよ……」

 

「……心配かけてごめんなさい。あと、助けてくれてありがと」

 

 お湯に浸かったまま頭を下げる。

 

 あおいに気楽に頼っていいって言われてたけど、まさかこんな早く助けを求めることになるなんて思ってもなかった。

 

 でも、本当に助けてくれたんだよな……怒られているはずなのに、すごく嬉しいと思ってしまう自分がいる。

 

「……もういいから顔あげなって」

 

 言われたとおり、リンの顔を恐る恐る見る。さっきまでの怒った顔とは違って、どこか安心したような顔だった。

 

「身体大丈夫? どこか変なとこない?」

 

「うん、いつもどおりだよ」

 

 ボクがそう言うと、リンは心底ほっとしたように湯船に沈んだ。

 

「……心配かけてごめんね」

 

「もういいって。でも、なんかあったらすぐ言ってね。あと、今日遅いから泊まっていきなよ」

 

「え、悪、なんでもないです。お世話になります」

 

 リンの目が一瞬ギラついて慌てて訂正する。うぇ、リンやっぱ機嫌なおってないじゃん。

 

「はぁ……ったく、まあでも、ただのガス欠でよかったね」

 

「うん、ボクもほんとにそう思う」

 

 もしこれが事故で電話もできないような状況に陥っていたら、それこそまずいことになっていた。

 

 ある意味いい経験になったかもしれない。

 

 慣れたころが一番危ない。

 

 綾乃の言ってたとおりだ。今度からもっと気をつけないと。

 

「せっかくなでしこたちとクリキャンするって決まったのに、何かあったらどうすんだよ……」

 

 返す言葉がない。

 

 ただでさえあっち行ったりこっち行ったりで心配かけてしまってるのに、これ以上心配かけてどうするんだ。

 

「双葉だけいなかったら、意味ないだろ……」

 

 不安げなリン。ずいぶん心配させちゃったみたいだな。本当に悪いことしちゃったな。

 

「ごめんね、リン」

 

「双葉、さっきからそればっか。もういいって、今度から気をつけてくれればそれでいいよ」

 

「うん、気をつける」

 

 ボクがそう言うと、リンの顔から険しさが抜けて、いつものリンに戻った。

 

「それで、キャンプ場下見したんでしょ? おじいちゃんに聞いただけで、わたしも行ったことないんだけど、どんな感じだった?」

 

「暗くてよく見えなかったけど、すごい広そうだった。たぶん夜は星がすごい綺麗なんじゃないかな」

 

 あのあたり一帯にはほとんど建物がなかった。

 

 方角的に日が出れば富士山もものすごい綺麗に見れるに違いない。

 

「そっか、楽しみだな」

 

「だね」

 

 クリキャンまで残り少し、きっとすごい楽しい時間になるに違いない。

 

「ボク、そろそろ上がるよ」

 

 リンに叱られていたせいでいい加減のぼせそうなのだ。

 

 そうだ、リンのお母さんとお父さんにも事情説明しないと。

 

 いきなり押しかけてきっと驚いてるだろうな。

 

「リン、何度も言うけど、助けてくれてありがとう」

 

 風呂場を出て、タオルを巻いて半透明の扉を背に座り込む。

 

 ボクの人生の中で、誰かに助けられた経験はほとんどない。いや、皆無と言ってもいい。

 

 一人で生きてきた、なんて自惚れるつもりはないけど、思い返しても誰かに助けられた記憶はほとんどない。

 

「リンがスクーターで迎えに来てくれた時、すっごくほっとしたんだ……ほんとに助けに来てくれたんだなって」

 

『……そんなの、当たり前でしょ』

 

 ドア越しに聞こえるリンのちょっと恥ずかしそうな声に思わず笑ってしまう。

 

 それを当たり前と言えるのは、リンが優しいからなんだよ? 

 

「少なくとも、ボクにとっては当たり前じゃなかったよ。だから、今すっごい嬉しいんだ。変だよね、怖い目にあったばかりだっていうのにさ」

 

 あの時の寒さは今思い出しても身震いするほどだけど、それを塗り替えすほどに嬉しさのほうが勝っている。

 

『んだよそれ。変なやつ』

 

「えへへ、ボクもそう思う」

 

 今までは、自分で自分を助けるしかなかった。

 

 けど、もう違う。困ったら頼ってもいいんだって、やっと心の底から気づけた。

 

『ていうか、さっきからお礼ばっか言ってるけどさ。わたしだっていろいろ助けてもらってるし、ありがとうって、思ってるんだからな』

 

扉に隔てられているせいで顔は見えないけど、なんとなくどんな表情を浮かべているのか想像がついた。

 

 情けは人のためならず。誰かに親切にすれば、いつか自分に返ってくる。

 

 今回のことは、きっとそれだけのことなんだろうな。 

 

「そっか……そうだよね」

 

 本当に、ボクはなんていい友達を持ったんだろうか。

 

 たかが偶然。されど偶然。人生っていうのは、本当になにが起こるのかわからない。

 

「リン、もう一回言うね。助けてくれて、ありがとう。大好きだよ」

 

『……お、おう』

 

 もう、無茶なことをするのはやめにしよう。

 

 旅を辞めるつもりはない。野宿だってやめるつもりはない。

 

 これからも遠くに行くし、バイクにだって乗り続ける。

 

 だけど、友達の顔を曇らせるようなことはもうやめよう。

 

 だってもう、ボクは一人じゃないんだから。

 

「じゃあ、先上がるね」

 

 さて、とっとと着替えて咲さんたちにお礼を言わないと。

 

 それだけじゃない。急に押しかけたんだ。日を改めてちゃんとお礼しないとダメだろう。

 

 久しぶりにクッキーでも焼くか。

 

『あ、そうだ双葉』

 

「どうしたの?」

 

『言い忘れてたけど、風呂から上がったらお説教だってさ』

 

「……へ?」

 

 説教? リンだけじゃないの? え、誰?

 

 もしかして、咲さん? え、嘘だよね? 

 

『それだけ。わたしもうちょっとお風呂浸かってるから先上がってて。あ、ちなみにお母さん怒るとめっちゃ怖いからな』

 

 あの、リン。恐怖を煽るようなこと言わないでほしいなあ……

 

「ゆ、湯冷めしちゃったらあれだし、やっぱボクももうちょっと入ろっかなー!」

 

『狭いからやだ』

 

「なんでだよー! さっきまで一緒に入ってたじゃん!」

 

 立ち上がって強行突破しようとしてドアノブをガチャガチャする。

 

 が、開かない。嘘でしょ? まさか、鍵かけたの?

 

「あ、あのリン? 鍵、開けてくれるとすっごくすっごく嬉しいなー」

 

『やだ』  

 

「ちくしょー! リンの薄情者ー! 鬼、お団子、低身長!」

 

 さっきまでの感動を返してよー!

 

 やっぱ返さなくていいや。ボクの心に大事にしまっておこう。

 

 違う。そうじゃない!

 

『いや、双葉のほうがちっこいだろ』

 

 うん、そうだね。ってちがーう!

 

 やばい、脱衣所のドアの向こうから足音聞こえてきた。

 

『双葉ちゃーん、話し声聞こえてきたけど、お風呂終わったのかしら?』

 

「ひっ」

 

 優しくて美人の咲さんとは思えない、恐ろしく低い声が扉の向こうからから聞こえてくる。

 

『ちょーっとおばさんと、お話ししましょ?』

 

 あ、これやばいやつだ。

 

 咲さんとはちょっとしか話ししたことないけど、ボクにはわかる。

 

 これやばい。とにかくやばい。まじやばい。

 

「あ、あわ、あわわ」

 

『自業自得だ。ばかっ』

 

 このあとめちゃくちゃ叱られた。

 

 もう夜のツーリングなんてこりごりだぁ!




用語解説

これやばい
とにかくやばい
まじやばい

双葉、心の一句。
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