12-1
「やっほー 来ちゃった」
冬の静岡。視界を遮るものがなに一つないだだっ広い夜の草原で、綾乃はにへらと笑った。
「あ、アヤちゃん!?」
唖然とするボクたちの中で、真っ先に反応したのはなでしこだった。
がばりと立ち上がったかと思うと、小走りで綾乃のもとに駆け寄っていく。
「お、なでしこサンタだ」
「え、あ、アヤちゃん? 本当にアヤちゃんなの!?」
「そうだよ〜 久しぶり〜」
なでしこに笑いかける綾乃は、前に浜名湖で別れた時からなにも変わってなかった。
元気そうでなによりだ。って、そんなことはどうでもいいよ!
「あ、綾乃!」
「あ、双葉もサンタじゃん」
「ど、どうしてこんなところにいるの!」
「そ、そうだよアヤちゃん!」
一瞬、自分のいるキャンプ場をこんなところ呼ばわりはどうかと思ったけど、それよりも頭の中にある疑問を解決するほうが先だ。
「どうしてって、そんなの双葉たちに会いに行こうって思ったからに決まってるじゃん」
「こ、ここから浜松までめちゃ遠いよ!」
「そう? たったの170キロだよ」
「なんだ、そんくらいか」
「納得すんなよ……」
リンがボソリと呟く。だって本当にすぐそこじゃん。びっくりして損したよ。
「……気のせいか? なんか、すっげぇ聞き覚えのあるセリフが聞こえた気がするんだが……」
「アキ、残念やけど気のせいやないで」
「わぁ、まるで双葉ちゃんみたいだね〜」
「……くっ、遅かったか」
「そこの四人、聞こえてるからね」
とくにリン。遅かったかって、人を病原菌みたいに言わないでよ。ひどいなー
リンだって人のことそこまで言えないくせに。峠でノリノリでリーンアウトしてたのバラしちゃうぞー!
「もしかして、アヤちゃんバイクで来たの?」
「そうだよー 海沿いの150号ずっと走ってきた。風強いしトラックにめっちゃ煽られるしで大変だったよ」
「大変って、そんなあっさり……」
まあたしかに大変だとは思うけど、琵琶湖ツーリングで鍛えられた綾乃にとってはもう大した距離じゃないんだろう。
「浜松からここまでめっちゃ離れてるだろ……」
ふふふ、いつかリンもボクたちの仲間にしてあげる。
「あ、生リンちゃんだ。なでしこと双葉が送ってくる写真でよく見てるよ〜」
「あ、う、うん。よろしく」
「で、千明に犬山さんと斉藤さんだよね? あれ、そこの眼鏡かけてるその……できあがってる人は?」
あ、鳥羽先生に気づいちゃった。ぐでんぐでんになった先生がふらふらと立ち上がる。
「わらひはこもんのとばみなみでぇえすぅ! えんろはるばるごぐろう!」
と、酔っ払いがそう言った。ほんと、この人……まあいいけどさあ。
「あ、はい」
ああもう綾乃困っちゃってるじゃん。
本栖高校が変なところって思われたらどうしよう。
「あはは、ごめんなー、この人酔っ払うとこうなってまうんよ」
「普段はめちゃ美人でいい先生なんだがなぁ」
「まあ? 楽しそうでいいんじゃない? あ、中入っていい?」
「もちろんいいぞ! あ、椅子ないな。どうしよ」
「あ、わたし持ってきてるから平気だよ」
持ってきたらしい荷物の中からアルミのスツールを取り出してボクの椅子の横に置いた。
なんでボクの横? 普通なでしこの横に置くもんじゃないの? まいいか。
「ふぃー 疲れた〜 あ、お土産買ってきたよー」
荷物から見覚えのある紙箱を取り出す綾乃。あれは、もしかして……
「わぁ! うなぎパイだぁ!」
なでしこが好物に目を輝かせる。さっきまでさんざんすき焼きと鶏肉を食べてこのリアクションである。
この子の胃袋の限界ってどこまであるんだろう。大食い大会とか出たら優勝しそうだ。
「おつかれ、大変だったでしょ」
「休みだからけっこう混んででさ。おかげで予定よりめっちゃ遅れちゃったよ。てかみんなサンタなんだね」
それじゃわたしも。と綾乃がニット帽を取って代わりにサンタ帽を出して被った。
爆誕! 綾乃サンタ! でも、八人もサンタがいると、なんだかありがたみが薄れるなあ。
「遠くからめっちゃいい匂いしてたけど、なに食べてたの?」
「すき焼きとビア缶チキン? ってやつだよ! すっごいおいしいんだー! よかったらアヤちゃんも……あっ」
鍋の中を覗き込んだなでしこの顔が曇る。あれだけたくさんあったすき焼きは、いつのまにか空になっていた。
「あはは、いいよいいよ。いきなり来たこっちが悪いんだし」
「ご、ごめんねアヤちゃーん!」
「ふっふっふ、なでしこちゃん、心配なら無用やでぇ!」
あおいが鮮やかな手捌きで鍋の中に新しい具材を投入していく。
玉ねぎにバジル。そしてトマト……トマト?
「名付けて! トマトすき焼きのできあがりやー!」
赤と茶色と緑色。
さっきまでザ・和風だった鍋が瞬く間に地中海の香りが漂う洋風すき焼きに大変身を遂げていた。
鼻をくすぐる濃厚なトマトと牛肉とバジルの香り。
食べなくてもわかる。これは絶対においしい!
「おー!」
「すごいよあおいちゃん!!」
「しめのパスタもあるし、せっかく遠くから来てくれたんや、土岐さんもじゃんじゃん食べてええからなー」
「ほんとに? ありがとー! 実はカレー麺しか持ってきてなかったんだよねー」
でたな、みんな大好きカレー麺。まあ実際、カレー麺が一番お腹に溜まるしね。
「じゃ、気ぃとりなおしてー」
なでしこ、リン。
千明、あおい。
斉藤さん、綾乃。
そしてボクと先生。
これで、全員が揃った。
まさか、こんな光景を見れるなんて、夢にも思ってなかった。
人生なにが起こるかわからないけどさ、これは流石に予想外だよ。
でも、こんなに楽しい予想外なら、ボクは全然大歓迎だ。
『いただきまーす!』
さて、ボクも食べますか。
『くそさみぃー!』
前を走るビーノからそんな声が聞こえる。
『同じ静岡なのに寒いよー!』
後ろを走るエイプからそんな声が聞こえる。
「二人とも……自分をバイクの一部と思うのです。そうすれば寒さも感じなくなるのです……たぶん」
そして真ん中を走るボクがそう言う。
たぶん、きっと、めいびー
『たぶんかよ』
『しんとーめっきゃく、しんとーめっきゃく……やっぱむりー!』
「ボクも無理」
思い込んだだけで寒さがなくなるわけないじゃん。なに言ってんの? 頭バイク乗りなの?
まあ言ったのボクだけどさ。
『ていうか、アヤちゃんも双葉も別についてこなくてよかったのに』
いつの間にか綾乃と仲良くなっていたリンがそう言う。
ボクたちは今、キャンプ場から10分くらいのところにあるコンビニに物資調達に向かっていた。
理由は、買い置きのガスがなくなったから。おかげでしめのパスタはお預けだ。
一応イワタニのバーナーを持っているボクや、いつのまにかボクと同じバーナーを買っていた綾乃もガス缶を持ってきていた。
だけどバイク乗りの宿命である最適化の名の下、お互い一本ずつしか持ってきていなかった。
飯炊きやヒーターで使うので半端に使うわけにもいかず、こうして調達に行っているのだ。
『だって、せっかくリンちゃんに会えたんだから一緒にツーリングしたかったんだもん。それにお菓子も買いたかったし』
『そっちが本音か』
「あんまんっていいよね」
『せめて建前言えよ』
『あはは』
真っ暗な一本道を三本のライトが明るく照らす。
一人で走ったら心細い道も、3台もいればやかましくなる。
『アヤちゃんはテントどこに張ってるの? あとで遊びに行くよ』
『わたし? 二人のテントから10メートルくらい離れたところだよ』
「めっちゃ近所じゃん」
『ほんとは隣に張りたかったんだけど、さすがに違う人だったら気まずいしさ。誰だおまえはー! ってなったらやじゃん』
『たしかに』
エンジン音と風切り音。月明かりと冬の風。
国道139号線。富士宮道路。
身も心も凍る冬の道をボクたちはひた走っていく。
「寒いね……」
帰ってきたら、キャンプ場のお風呂に入ろう。
きっと、すごく沁みるはずだ。
そうに違いない。
ボクはそう思った。
「綺麗だなぁ……」
ボクのつぶやきが、寒い空気の中に白い息となって消えていった。
静かな草原。かなたにそびえる富士山の黒いシルエット。
空を覆う漆黒のベールに手を伸ばす。
「すごいな……」
手を伸ばせば吸い込まれてしまいそうな闇の中。数えるのも馬鹿らしくなるほどの星々が煌めいていた。
「あの赤いのがベテルギウスでプロキオン、シリウス……」
まるで空間が裂けて、命の輝きが溢れ出したような天の川の中。冬の大三角形を見つける。
ベテルギウスを除いて、あと四つ結ぶと大六角形になるらしいけど、ぼくにはそこまでの知識はなかった。
「今度双眼鏡でも買ってこようかな」
今までずっと道路ばっかり見てきたから、星がこんなに綺麗だなんて知らなかった。
知識はない、どの星がどんな名前でどんな星座なのかもなにもわからない。
でも……
「綺麗だなあ〜」
この空が綺麗なのは、よくわかる。
「富士山から見たら、きっとすごく綺麗なんだろうな」
いつか登ってみたいな。
「わあはぁ! すっごい綺麗!」
一人物思いにふけっていたボクは、友達のそんな声で我にかえった。
「きらきらだぁ〜!」
なでしこの瞳が、無数の星々でキラキラと輝く。この子はどんなことも本当に楽しそうにする。
「ほんと、綺麗だよね」
「うん! お姉ちゃんにも見せてあげたかったなぁ〜」
おかげで、見ているこっちもどんどん楽しくなっていく。
だから、ボクはこの子のことが大好きなんだ。
「二人はどうしてる?」
「リンちゃんとアヤちゃんなら、二人で話してるよ。わたしはよくわかんないけど、バイクの話だと思う」
「そっか、ボクもあとで混ざろう」
でも、その前にお風呂だな。寒いし、先に行った三人が戻ってきたらとっとと入ろう。
「双葉ちゃん、今日は楽しかったね〜」
「……うん、すっごい楽しかった」
「あ、そうだ! お風呂入ったら、みんなで焚き火しよ! マシュマロも持ってきたんだ〜」
あれだけ食べて、まだ食べる気なのか。まあボクも食べる気満々だけどね。
「食べすぎるとまた太っちゃうよ」
「双葉ちゃん! 甘いものは別腹なんだよ!」
「ふふ、だね」
二人でにっこりと笑い合って、星を見上げる。
琵琶湖で見た星よりもずっと強く輝いている。きっと、空が近いのだろう。
クリスマス。特別な一日の名に相応しく、今日はなにもかもが楽しかった。
こんなに楽しいクリスマスを過ごしたのは、たぶん生まれて初めてだと思う。
「ボクさ、ずっとサンタさんのこと信じてなかったんだ」
だからだろうか、気がついたらそんなことを言っていた。
「……そうなの?」
上を見ているから、なでしこがどんな顔をしているのかはわからないけど、声色でなんとなく想像がついた。
やっぱりこの子は本当に優しいな。
「うん……だってさ、この世界のどこにクリスマスプレゼントを郵便で送ってくるサンタさんがいると思う?」
小学生の時からずっと、ボクのサンタさんは配達のおじさんだった。
「学校でさ、みんながサンタさんサンタさんって、はしゃぐんだよね。なんか、ボクだけ仲間外れでそれがすごく嫌だった。今は違うんだけどね」
歳を取るにつれて、周りのことが見えるようになってきて、考えは変わった。
嫌だったクリスマスも、お母さんのおかげでちょっとは好きになれた。
でも、毎年かかさずプレゼントをくれるのはすごく嬉しいけど、せめて名義くらいはなんとかしてよねお母さん。
明日は25日。今年はなにを送ってくるんだろうか。楽しみだな。
「そっか……」
「けどさ、なでしこ」
上を見ていた顔をなでしこに向ける。きっと、ボクの顔はものすごい笑顔になっているんだろうな。
だって……
「サンタさん、いたね! それも七人も!」
なでしこ、リン、あおい、千明、斉藤さん、綾乃、鳥羽先生。
酔っ払ってたり、関西弁だったり、大食いだったり、お団子だったり、とにかく個性の強いサンタさんたちだったけど、ボクはそれで十分だった。
「双葉ちゃん!」
さっきから黙ってボクの話を聞いていたなでしこが、突然ボクの手を握ってきた。
冬の風で冷やされた手は驚くほどひんやりしていたけど、なぜだかちっとも冷たく感じなかった。
「双葉ちゃんも、わたしのサンタさんだよ!」
「え? ぼ、ボク?」
ボク、なでしこになにかプレゼントあげたっけ?
チキンはプレゼントと言えなくもないけど……
ダメだ、思いつかない。
「だって、アヤちゃんと会わせてくれたもん!」
「綾乃? ボク、なにもしてなくない?」
言い方は悪いけど、綾乃が勝手に来ただけだ。ボクは本当になにもしていない。
けど、そんなボクの言葉を否定するようになでしこは強く首を振った。
「アヤちゃんが言ってたんだ! わたしがここにいるのは双葉ちゃんのおかげだって」
まあ、さんざんいろんなところに連れ回して耐性つけさせちゃったもんね。
たかが170キロって言葉をボク以外の口から聞くことになるとは思わなかった。さすがにあれは予想外だった。
でも、すごく嬉しいサプライズだった。
「だからね! 双葉ちゃんは、わたしのサンタさんなんだよ!」
クリスマスプレゼント、ありがとう。なでしこは、そう言ってにっこりと笑った。
そっか……ボクも、誰かのサンタさんになることが、できたんだ。
びっくりだよ。まさか信じてなかった存在に、ボク自身がなるなんてさ。
ねえ、昔のボク、やっぱりサンタさんはいたよ。
それも、八人もね。
「メリークリスマス! なでしこ」
「メリークリスマス! 双葉ちゃん!!」
お互いに笑い合う。
「なでしこー、双葉ー こっちでうなパイ食べよー?」
遠くで綾乃が呼んでいる。リンも遠くからボクたちのことをチラチラ見ている。
「はーい!」
なでしこが駆け出す。
ボクも後を追おうとして一歩踏み出し、立ち止まった。
そうだ。たまには電話のひとつでも入れてあげないとね。
スマホを出す。お母さんのアイコンをタッチ。
繋がらない心配なんてしない。この日のこの時間だけは絶対に繋がるからだ。
電話が繋がる。スピーカーから声がする。この世にあるどんな声よりも聴き慣れた声。
ボクの一番大切な人の声。大好きなお母さんの声。
「お母さんボクね、今友達とクリスマスキャンプしてるんだ──」
お母さん、きっと驚くだろうな。
ボクは夜空を見上げながらそんなことを考えた。
流れ星がひと筋、流れて消えていった。
そんな聖なる夜だった。
「ただいま〜」
荷物を抱えて玄関に入る。
25日、クリスマス。楽しい時間はあっという間に終わり、ボクたちはそれぞれの家に帰った。
綾乃はまた170キロ走るのかとうんざりしていた。ふふふ、まだまだ修行が足りないな。
「正月はバイトも休みだし、またどっかに行こうかな」
寒くなって来たから南のほうかな。原点に帰って行き当たりばったりの旅をするのも悪くない。
「で、今年はなにをプレゼントしてくれたのかな。お母さんは」
玄関先の配達ボックスにつっこんであったかなり大きなダンボールを見てつぶやく。
送り主はいつもどおりお母さん。中を開けると頭の大きさくらいの箱がでてきた。
さらにその箱を開ける。
目を見開く。
「……ヘルメットだ」
まるで、象牙みたいにつやつやと光るアイスブルーのジェットヘルメット。
額に輝くのはアライのエンブレム。よく見るとベンチレーションがついている。
これ知ってる。アライの最新モデルだ。
「嘘でしょ、これ4万もするやつじゃん……」
震える手でヘルメットを被る。
今までの安物のヘルメットとは比べ物にならないほどのフィット感。サイズもぴったり。
「あ、メモ入ってる」
段ボールの底に落ちていたメモを拾い上げる。
どうか気をつけて。
無愛想な文。口下手なお母さんらしい。ボクもクソザコだけどさ、お母さんも大概だよね。
「ふひ、ふひひ……」
ヘルメットを脱いで抱きしめる。にやつくのが抑えられない。
やばい、超うれしい……
うん、こうしちゃいられない!
「よし! バイク乗ろう!」
荷物を放り出し玄関を飛び出す。
駐車場でカバーを被っていたビーちゃんを引っ張り出してシートに跨る。
「いくよ! ビーちゃん!」
マカセトケ!
そんな声が聞こえる。
イグニッションスイッチをオンにする。
オイルランプとニュートラルランプが点灯する。
チョークを引く。
キックペダルを出す。
二、三回踏んで、重くなったところで止める。
蹴り飛ばす。
わずかな手応え、すかさずアクセルを吹かす。
唸るエンジン、飛び散る白煙。
焦げた匂いがボクの鼻をくすぐる。
ウィンカー、クラッチ、1速、アクセル。
クラッチを離す。
進み出す車体。流れていく景色。
2速、3速……そして4速。
回り出すタイヤ、加速していく世界。
「しゅっぱーつ!!」
さて、今日はどこに行こうかな。
とりあえずひと区切り。あ、普通に続きます。