月明かりとヘッドライトの灯りを頼りに山中湖のほとりを駆け抜ける。
空はさっきまでの明るさが嘘のように真っ暗で、ミラーにはどこまでも続く漆黒の闇が映っていた。
「知ってたけど寒い!」
気温2度の海岸を時速50キロで走ってもほとんど寒さを感じないボクの装備ですら思わず身震いしてしまうほどの寒さ。リンの言ってたとおりだ。
「あと少しで例のキャンプ場か……」
途中で何回か電話したけど繋がらなかった。そしてこの寒さ。これは本当にまずいことになってるかもしれない。
千明たち無事だといいんだけど……
「あれかな」
真っ暗な世界の中で、ヘッドライトの光がキャンプ場の看板を照らした。
大間々岬キャンプ場。間違いない、ここだ。ウィンカーを出して敷地の中に入っていく。
「くらっ」
案の定キャンプ場の中は真っ暗で灯の一つも見当たらない。
地図で見たかぎりそこまで広いキャンプ場じゃないみたいだけど、この暗さだと探すのに苦労しそうだ。
少し走ると管理棟らしき建物が見えたのでその前で停車。エンジンを切ると身も心も凍りつくような寒さと静けさがボクを包みこんだ。
「さ、さむっ……」
ただでさえ寒いのに、ヘルメットを脱ぐともっと寒い。買ったばかりのニットキャップを被ると少しだけ寒さがやわらいだ。
買っててよかった。恵那に感謝しないと。
「よし、探そう」
リンから借りた懐中電灯のスイッチを入れて一歩踏み出す。
その時だった。
「よ、よかった! ひ、人がいた」
がさりと足音が聞こえて後ろから声をかけられた。一瞬どきりとしつつも振り向き懐中電灯を向ける。
「って、千明?」
「……あれ双葉?」
光の向こうには、今まさに探そうとしていた友だちが息を荒げてぼけっとボクを見ていた。
「なんか、ほんとすまん」
二人で持ってきたガスや薪を運びながら真っ暗なキャンプ場を歩いていくと、千明が申し訳なさそうに謝った。
「誰とも電話繋がらなくて本当に心配したんだからね」
ボクがそう言うと、千明が不思議そうにスマホを取り出した。
「いや、そんなはずは……」
電源がオンになって青白い光が千明の顔を照らし少しして顔が青くなった。
「あ、やべ。機内モード入れっぱだったわ」
「やっぱり。そんなことだと思ったよ」
どうりで繋がらないわけだ。
学校サボって伊豆に行った時、二人があれだけ心配した理由が今ならよくわかる。
連絡が取れないってこんなに恐いことだったんだな。
「ボクも人のこと言えないけどさ、ちゃんと繋がるようにしないとダメだよ」
「うぅ、面目ねえ」
そう言ってがっくりとうなだれる。
「すぎちゃったことはしょうがないよ。それで、今どんな状況なの?」
「気がついたらマイナス2度でよ。さすがにやべえと思って二手に分かれることにしたんだ。で、あたしはコンビニにカイロ買いにいく係で、イヌ子たちには焚き火と鍋の準備。けど、焚き火の匂いもしてこねえしこの様子だと薪買えたか怪しいなあ……」
千明が顔を後ろに向けてあるもぬけの殻となった管理棟を見た。
遊んでるうちに気がついたら日が暮れていて、キャンプ場の管理人も帰ってしまったってところだろうか。
「まさかこんな寒いなんて知らなくてよ。ちょっと舐めてたわ、冬のキャンプ」
げっそりする千明。
ボクもリンに言われるまで知らなかったし、しかたないといえばしかたない気がする。
ただちょっと今回は油断しすぎだと言わざるをえないけど。
でも、千明も十分反省してるみたいだし、ボクがこれ以上なにか言う必要はないだろう。
「ほんと、ありがとな。わざわざ助けてにきてくれて」
「お礼ならリンに言ってよ。ボクもリンに言われるまで気が付かなかったしさ」
「そっか……あとでリンにもちゃんとお礼言っとかないとな」
「ま、とにかく今は早く二人と合流しよっか。きっと寒い思いしてるだろうし」
「だな。お、見えてきた」
暗がりの中を歩いていると見覚えのあるテントとタープが見えてきた。間違いない野クルのテントだ。
「あれ? 灯りついてないね」
けれど、こんな真っ暗にもかかわらずテントは真っ暗。中を覗いてみても誰もいない。どこ行ったんだろう。
「ほんとだ。あいつらどこ行ったんだ。おーい! イヌ子ー! 恵那ー!」
「あ、アキちゃんこっちこっちー!」
聴き覚えのある声がして千明と一緒に声のしたほうに振り向く。
「おーい!」
暗くて気がつかなかったけど、大して離れてない距離に煙突の伸びた白い大きなテントが張られていて、その中から恵那がボクたちに手招きしていた。
よかった。こっちも無事だった。
「って、双葉ちゃん!?」
そして、恵那がボクを見て目を丸くした。まあ普通はいるなんて思わないだろうしね。
「恵那ちゃんアキ帰ってきたん? ってなんで双葉ちゃんおるん!?」
あ、あおいも出てきた。
そろって口をあんぐりと開けて驚く恵那とあおい。そんな二人が面白くて、思わず笑ってしまう。
まあ、なにはともあれ元気そうで何よりだ。
「やっほー 来ちゃった」
そう言って、ボクは二人に手を振った。
「あったかぁ〜」
パチパチとストーブの中で燃え盛る薪に手をかざす。バイクで冷え切った身体が血の気を取り戻していくのがよくわかった。
ワン! そんな声……っていうか鳴き声がしてボクの横に茶色いモフモフが擦り寄ってきた。
茶色いもふもふ、もといワンコがボクのしゃがんでいたボクの顔をぺろぺろと舐めてくる。
「あはは、くすぐったいってー」
仕返しに首回りを撫で回してあげると、気持ちよさそうに尻尾をぶんぶん振ってくれた。
やばい、めっちゃんこかわいい……
「はっは、チョコもお嬢ちゃんのことが気に入ったみたいでな」
そんなボクたちを見て、白髪頭の初老のおじさんが豪快にわらった。
「こらチョコ! お客さんに意地悪しちゃダメよ」
おじさんの隣に座ったお姉さんがそう言うと、ワンコはお姉さんのもとに戻っていった。
「双葉ちゃん、わざわざ来てくれてほんまにありがとうなぁ」
椅子に座ったあおいが嬉しそうにそうに笑った。
ボクは今、たまたまここで親子でキャンプをしていたこの人たちのテントにお邪魔していた。
というのも、恵那たちいわく管理人が帰ってしまって途方にくれていたところをこの二人が助けてくれたらしい。
おかげで3人とも寒い思いをせずにこうして無事にすごせている。本当にこの二人には感謝してもしきれない。
「たまたまリンの家に寄っててそれで気づいたってだけだし、お礼ならリンに言ってよ」
「そっか、リンが……あれ、リンの家ってここから50キロくらい離れてるよね?」
「50キロ……そんな遠くからわざわざ」
恵那と、恵那たちを助けてくれたキャンパーのお姉さんが驚いたように目を見開いた。
「ほんと、悪いことしちまったなあ」
「ごめんね……双葉ちゃん」
「ごめんなあ、双葉ちゃん」
3人が心底申し訳なさそうに謝ってくる。ここまでかしこまられるとなんだか調子が狂う。
「誰も悪いわけじゃないんだからさ。3人が無事ならそれで十分だよ。だからもうそんな顔しないで」
今言った言葉は紛れもないボクの本心だった。
もし3人になにかあったら悔やんでも悔やみ切れない。笑い事ですんで本当によかった。
「それにたかが50キロでしょ? 2時間くらいしか走ってないしコンビニに行くようなもんだよ。ほんと大した距離じゃないから全然気にしなくていいよ」
久しぶりに真っ暗な峠道を走ったけど、楽しかったなー 今からまた走りに行こっかな。
あ、ダメだ。明日バイトだ。がっくし。
「いや、2時間はどう考えても…………もうそれでいいわ」
千明がなにか言おうとして、やがて諦めたのか、額に手を当てて大きなため息をついた。
「なっはっは! おもしろい嬢ちゃんだにー」
「あの道けっこう暗いと思うんですけど……あ、あはは」
おじさんは笑っているけど、お姉さんのほうが心なしか顔が引きつっているような……
まあいいや。いつものことだし。時計を見る。もう遅いし帰るとするか。
「あれ? 嬢ちゃんもう帰るんけ?」
立ち上がってテントの出口に身体向けたボクをおじさんが呼び止める。
「はい、もう暗くなってきたんで」
3人が無事なことも確認した。
ここに長居する必要もない。この様子なら薪もガスも必要ないだろうしリンに返しに行かないと。
というか、そろそろ帰らないと目の前でおいしそうに煮えているお鍋の誘惑に耐え切れなくなる。
ほんのりごま油の香りのするきりたんぽに……なんだろうこの牛肉っぽい匂い。思い出したモツだ。いいな、もつ鍋。
おいしそうだなあ……いけないいけない。危うく誘惑に負けるところだった。
「あの、せっかく来たんだしよかったらお鍋食べていきません?」
お姉さんの一言に思わずぎくり。もしかしてお鍋見てるのバレた?
「い、いや、あのべ、べつにボクはお腹空いてない──」
ぐぅぅ。ふとそんな音がした。
ちなみになんの音なのかは言わなくてもいいだろう。そして誰が音を出したのかも言わなくていいだろう。
はい、ボクです。
「ふふふ、今お椀用意しますね」
「…………ご馳走になります」
絞り出すように言った言葉に、みんなが笑った。うぅ、恥ずかしい。
「ささ、お姉さんももう一杯!」
「でへへ〜 ありがとうございますぅ〜」
「相変わらずすごい変わり身ようだ……」
ボクは気がついたらこうなっていた元美人教師を眺めてつぶやいた。
あれから少しして、リンから連絡を受けた鳥羽先生がやってきて、千明たちのことはなんとかかたがついた。
さすがにテントで寝るのは無理なので、3人とも今夜は鳥羽先生の車で車中泊するらしい。
いろいろあったけど、なにはともあれ一件落着というわけだ。
さて、ボクもいい加減帰るとしますか。
「先生、ボク帰りますねー」
「え? やまなかさんかえっちゃうんですかぁ?」
「はい、もう暗いんで」
まだ美人教師成分が残っている鳥羽先生に帰る旨を伝える。
完全にグビ姐になっちゃうと、なし崩しにここに残ることになっちゃう気がしたからだ。
「え、双葉ちゃんほんまに帰ってまうん?」
「もう真っ暗だし泊まっていけばいいじゃねえか」
千明とあおいが引き留めてくる。
二人の言ってることはもっともだ。たしかに今から帰るのはちょっとめんどくさい。けど、明日はバイトだ。
ここからそのままバイトに行ってもいいけど、さすがに一回家に帰りたい。
心配してくれている二人には悪いけど今日はもう帰ろう。
「せっかくだけど、リンから借りてきたガスと薪返さなきゃいけないし、もう帰るよ」
「あ、わたしの家もとすのほうなんで明日しまさんの家までとどけますよー」
頬を赤らめた鳥羽先生がそんな提案をしてきた。
酔ってるせいでちょっと舌足らずだけど、その目は心配するようにボクを見ていた。
たしかに、荷物は軽いにこしたことはない。そういうことならここはお言葉に甘えておこう。
「すいません先生。お願いしてもいいですか?」
「はい〜 やまなかさんも気をつけてくださいね〜」
了承する先生に会釈してジャケットのチャックを上まで押し上げ寒さに備える。きっと寒いだろうなあ。
ま、たまにはこういうのもありか。
「お二人とも、今日はありがとうございました。お鍋おいしかったです」
おじさんたちもとい飯田さん親子にお辞儀。ほんとこの二人にはすごいお世話になった。感謝してもしきれない。
「帰り道、気をつけてくださいね」
「お、気をつけるんだぞー」
「はい!」
笑顔で会釈してテントを後にする。その瞬間、猛烈な寒さが身体を包んだ。
うわ、これ思った以上に寒いや。こんなところでキャンプなんて、よほどの準備しないとできないな。ボクも気をつけよ。
「かーえろっと」
と、その前に千明たちのテントに置いてきた薪とガス、取りに行かないと。
「双葉ちゃん!」
そう思って歩き出したボクを誰かが呼び止めた。振り返る。恵那がボクを見ていた。
「どうしたの?」
ボクが聞くと、恵那がちょっと嬉しそうに目を細めた。
「今日はほんとにありがと。それと心配かけてごめんね」
「ほんと気にしなくていいって。ツーリングの途中で寄ったみたいなもんだしさ」
「薪とガス満載で寄り道しただけってのは、無理があると思うなー」
「うぐ……」
図星を突かれ思わず唸る。
助けるつもりで来たのは間違いない
ど、それを大っぴらにするのはなんか恥ずかしいのだ。
恵那なら空気を読んで合わせてくれると思ったのに。
「ふふふ、ありがとね。双葉ちゃん」
「う、うん……」
どこかからかうような感じでそう言われ思わず顔が熱くなる。なんか、調子狂うなあ。
「これからお家帰るんだよね?」
「そうだよ」
「南部町だよね。けっこう遠くない?」
「そうかな? まあだいたい70キロくらいだよ」
南部町方面なら比較的街灯も多いし、寒い以外はとくに問題はない。帰ったらすぐにお風呂入ろっと。
「え、そんなにあるんだ……」
家までの距離を聞いて、恵那が驚いたように口を半開きにした。
「そう? 大した距離じゃないでしょ」
「ううん、大した距離だよ」
どこか真剣な表情で恵那は言った。
いつもニコニコしている印象が強かったから、なんだか今の恵那は別人のように見えた。
「恵那たちにはいっぱい良くしてもらってるし、このくらい当然だよ」
恵那たちは自覚してないだろうけど、ボクはこれ以上のものをたくさんもらっている。
恩返しってわけじゃないけど、ちょっとくらいはお返しがしたい。まあけっきょく取り越し苦労になっちゃったけどね。
でもそれでいいのだ。
「……やっぱり優しいね双葉ちゃん」
前にも綾乃に似たようなことを言われた覚えがある。あの時は否定しちゃったけど、今はそうじゃない。
「だって恵那もボクの大事な友だちだもん。友だちが困ってるのになにもしないなんて、ボクやだよ」
リンだって真っ暗な本栖湖まで助けにきてくれた。
リンみたいにかっこよくはいかないかもしれないけど、ボクだって同じようにしたい。
「それにさ」
「うん?」
ポケットから恵那に選んでもらったニットキャップを出して被る。
暖かくなる頭。暖かくなる心。思い返してみれば、友達にこういったものを選んでもらったのなんて生まれて初めてだった。
「帽子、選んでもらったしね」
「え、あ、うん」
恵那がボクのひと言にきょとんとする。
なんか自分で言ってて恥ずかしくなってきた。いい加減帰ろう。じゃあねと言って人差し指と中指をこめかみでシュッっと振る。
「寒いし、風邪ひかないようにねー」
背を向けて歩き出す。やばい、なんかどんどん恥ずかしくなってきた。早く帰ろ。
「おやすみー! 双葉ちゃん……ううん、双葉!」
後ろから聞こえてくる声に振り向かずに手を振る。あれ、今ボクのこと呼び捨てにしてたような……
「ま、いっか」
呼び方なんてなんだっていい。恵那がボクのことを友だちと思ってくれているのなら、それだけで十分だ。
けどまあ、ちょっとだけ嬉しかったりするのもまた事実。なんだかいい気分になって思わず鼻歌を歌う。
「あ、リンに電話しないと」
スマホを出してリンを電話をかける。
1コールもしないうちに電話がつながった。こっちにも心配かけちゃったみたいだな。
「もしもしリン?」
『あ、やっと電話きた。鳥羽先生から聞いたよ。3人とも無事だったんだな。よかった』
「うん。みんなリンに感謝してたよ。ありがとーって」
『ふっ、心配かけさせやがって。月曜会ったらちょっと説教だな。それで、双葉はこれから帰り?』
「みんなには一泊してけって言われたけど、明日バイトだし帰ることにしたよ」
『そっか、ならわたしの家泊まりなよ。こっちのほうが近いでしょ』
たしかにリンの家のほうが近いし、バイト先もすぐだ。どうしよ。
『お父さんとお母さんにはもう言ってあるから大丈夫だよ。どう?』
さすがリン。もう根回しはすんでいるみたいだ。ほんと志摩家にはお世話になりっぱなしだなあ。
「ありがと。お世話になるね」
それに家に一人でいるよりも、リンと一緒にいたほうが楽しいしね。
『じゃあ待ってる。まだそこまで遅くないけど暗いんだからあんま飛ばすなよ。あと帰ったらすぐ風呂だからな』
慣れてるから大丈夫って言ってるのに、リンはやっぱり心配性だな。でもそんなところが大好きなんだけどね。
「はーい」
『あと双葉』
電話を切ろうとしたボクをリンが呼び止める。どうしたんだろう。
『その……ありがとう』
なにに対してのありがとうなのか。いちいち聞き返したりはしない。そんなことは聞かなくてもわかる。
自然と笑顔になっていくボクの顔。
「じゃあお助け料1300円」
そんな満たされた気持ちのまま冗談を言う。いつぞやのガソリンスタンドのお返しってやつだ。
『おい、金取るのか』
「うそうそ。今度キャンプにでも連れてってよ」
『ふっ、わかった。なら双葉が帰ってくるまでにいろいろピックアップしとくよ』
「うん。できればあんまり寒くないところがいいなーなんて」
『りょーかーい』
寒い冬。寒い夜。吐いた息が白く濁る。ここは寒い。早くリンのところに帰るとしよう。