19-1
「伊豆キャン?」
「おうよ!」
放課後。もはや第二の溜まり場と化しつつある図書室で、リンの言葉に千明が元気よく相槌を打った。
「なんでまた伊豆?」
リンの問いに千明を除いたボクたち全員がうなずいた。
「いやぁ、そろそろ1年生も終わるしよ、最後のシメにグルキャンしてえなあって思ってな。んで昨日の帰りにパトカー走ってるのみて、そしたらロリ子が伊豆行ってたの思い出してよ」
「あぁ……」
「どうしたの? 双葉」
「な、なんでもないよ恵那」
忘れかけていた黒歴史が蘇る。熟睡、パトランプ、肩トン……うっ、頭が。
けどしかたないじゃないか。あのときのボクはまだボッチのダークサイドに染まっていたんだから。
ボッチのダークサイドってなんだろう。まあいいや。
「そういや双葉ちゃん、伊豆で警察に捕まったゆうとったな」
「ぶっ!?」
あおいが思い出さなくてもいいことを思い出す。あぁ、ボクの黒歴史が衆目に晒されていく……
「双葉、なにしてんだよ……」
「つ、捕まってないから! ちょっとその辺の道で寝てたらお巡りさんに肩トントンされただけだから!」
ソロキャンガールのジト目を掻い潜り、必死に弁明する。
なんの言い訳にもなってない気がするのはたぶん気のせいだと思う。
「いや、十分アウトだろ」
だよねー
ほんと、なにやってんだろボク。次はもっと人目につかないところで寝ないと。いや、そうじゃないって。
「ふ、双葉ちゃん、悪いことしちゃダメだよー!」
「してないよー」
「あははは! 捕まった、捕まったって! なにしてんの双葉!」
なでしこがあわあわして、恵那が爆笑する。いつもは静かな図書室も、6人も集まるとやかましい。
「うぉっほん。本題に戻るぞー」
そんな風に横道に逸れかけた軌道を千明が修正する。こういうときの千明のリーダーシップは本当に頼りになる。
「伊豆キャンやったよね? そういやこの前山中湖で助けてくれた飯田さんたちも伊豆から来たゆうとったな」
たしか酒屋をやっているって言ってたっけ。どうりで鳥羽先生と話が合うわけだ。
「そっか。ならお土産持っていったほうがいいよね」
「あぁ、もちろんだ。命の恩人だからな。それに、リンも正月伊豆に行こうとしたんだろ?」
「うん。けっきょく渋滞で行けなかったけどね。そういえばなでしこって伊豆行ったことあるの?」
「ううん。家族で遊びに行くときはいつも愛知だったし、伊豆は行ったことないんだよねー」
「ふむふむ、つまりここにいる全員が伊豆に因縁があるってわけだねー」
「恵那、間違ってないけど言葉のチョイスがなんか……」
それだとまるで6人で伊豆に敵討ちに行くみたいに聞こえるんだけど……まあいいや。
「とにかくだ。全員異存はないよな! んじゃあ伊豆キャン行きたい奴は挙手!」
「はいはいはい! わたし行きたい!」
「もちろんわたしも行くで!」
「ボクもボクも!」
当たり前のように野クルは全員参加。残る二人はというと……
「わたしも行くよ。え、恵那はどうする?」
「うん。もちろん行くよー」
リンも恵那も当然のように承諾。これで全員揃ったわけだ。うん! なんか楽しくなってきたな。
「ふふふ、それにしても」
そんな和やかな雰囲気の中、恵那がニヤニヤしながらリンを見た。
「な、なんだよ」
「今日は斉藤、じゃないんだね」
恵那のひと言にリンがボフンと爆発した。
「なっ、ど、どうでもいいだろ」
目をキョロキョロさせながら必死に話を逸らそうとしている。うんうん、平和だなあ。
「リン、こんなにたくましくなって……お母さんは嬉しいわ。オヨヨ」
「聞けよ」
微笑ましいやりとりにボクは心が暖かくなるのを感じた。
ボクが変わったように、リンと恵那の関係も少しだけ変わったように見えるのは、気のせいじゃないと思う。
些細な変化かもしれないけど、ボクはそれがすごく嬉しかった。
「おし、決まりだな! じゃああたし鳥羽先生に相談しに職員室行ってくるわ」
「あ、わたしも行く!」
「ボクもボクも」
「うちも行くで」
「わたしも」
「あ、わたしも」
「って、全員来るのかよ。ま、いいや。よーし行くぞーお前ら!」
「「「「「おー」」」」」
放課後の図書室にボクたちの元気な掛け声がこだまする。
「またなー」
「うん、またね」
「また明日〜」
校門の向こうに消えていく千明たちをボクとリンで見送る。
空はすっかり夕焼けに染まっていて、まるで畑のうねのような雲がどこまでも続いていた。
「よかったね。鳥羽先生も伊豆キャン考えてて」
「あんなことがあったばかりだし、反対されても不思議じゃなかったけどね。鳥羽先生が優しい先生でよかったよ」
「先生、双葉が伊豆行ったって話聞いたらめっちゃ驚いてたな」
「東北まで行ったことあるって言ったらどんな顔するのかな」
「そんな遠くまで行ったことあるのかよ」
「津軽海峡綺麗だったよー」
「原付で行く距離じゃねえ……」
むしろ原付で行くからこそおもしろいのに。あの非力感がたまらない。
「3月か……けっこう先だな」
「まだ1月だもんねー」
ひと月先に控えているだろう伊豆キャンを思い描く。
あの時は走ることしか興味がなかったけど、今は違う。今回はちゃんと観光したいな。
どんなキャンプになるんだろう。きっと楽しいんだろうな。
「そういや千明が言ってたけど、3月ってあおいとなでしこの誕生日なんだっけ」
「うん。二人とも3月の4日生まれなんだって」
千明が大塩平八郎と同じ誕生日とか言ってたけど、なんでそんな教科書に一行くらいしか書かれてない人の誕生日知ってたんだろう。
「ちょうどキャンプと被るわけか。ちゃんとお祝いしてあげないとな」
「うんうん」
誰かの誕生日をお祝いしたことなんてないけど、ボクはボクなりに精一杯喜んでもらえるようにしよう。
「……帰るか」
「そうだね」
夕焼けに染まる駐輪場を二人で歩いていく。隣り合わせで停めているビーノとビーちゃんにお互いのキーを差し込む。
オイルランプとニュートラルランプが点灯し、バッテリーに連動したガソリンメーターの針がゆっくりと動いていく。
「このまま帰るの?」
横でビーノを押していたリンが聞いてきた。
「ううん、ちょっと甲府のほうまで行って工具買ってくる」
メガネレンチ一式、買わないと。今までは普通のレンチで我慢してたけど、さすがにちゃんとしたものを買っておいたほうがいいだろう。
「たしか前にバイクの改造するとか言ってたっけ」
「今週で1月も終わるしね。いい加減取り掛かろうかなって」
改造が終わったら試走もかねて伊豆とはべつにまたどこかに行こう。
たしか2月の中旬ごろに3連休があったはずだし、そのときにでも行くかな。
最近寒い思いばかりしてるし、暖かいところに行きたいな。海とかよさそうだ。
「わたしもついてっていい? キャンプに使えそうなパーツあるかもしれないし」
「それってわざわざ聞く必要ある?」
「……それもそうか」
ボクがニヤリと笑って言うとリンもふっと笑った。校門の前でバイクを停める。
ボクがアイスブルーのヘルメットを被り、リンがアイボリーのヘルメットを被る。
シートに跨る。チョークを引く。キックペダルに足をかけ軽く三回踏んで一番重くなったところで止める。
蹴り飛ばす。プラグが火花を飛ばし、シリンダーの中のガソリンに引火する。
三回ほど空ぶかし。ブウォンブウォンとやかましいエキゾースト音が鳴り響き煙があたりに立ち込めた。
エンジンがトトトトとアイドリングし、その鼓動に合わせてヘッドライトのバルブがチカチカと点滅を繰り返す。
チョークを戻す。ゴーグルを目にかける。スモークの入った傷だらけのレンズが、西の空で赤く燃え盛る太陽に影をさした。
「リン、オッケー?」
ビーノに被ったリンが無言で手を上げる。
「じゃあ、しゅっぱーつ」
「うぃー」
走り出す。風が顔に当たり背後に流れていく。
「これで、よしっと」
そんなことがあった週の日曜日。家の庭先でボクは一人腕を組んでいた。
目の前には、まな板の上の鯛ならぬ、ジャッキに持ち上げられたYB−1が無防備な姿を晒していた。
まだまだ寒さの残る2月。冬と春の境目。ボクは、来るべく新たな旅に向けて準備を進めていた。
「ぐへへ、どこからバラしてやろうか……なーんてね」
ピコン! ラインだ。誰だろう。
なでしこ:双葉ちゃーん!
双葉:どしたのー?
なでしこ:暇だよー
双葉:バイトは?
なでしこ:今日は休みなんだよー お姉ちゃんは出かけちゃったし、お父さんとお母さんは買い物行っちゃったしなにもすることないよー
なでしこ:だから双葉ちゃんのお家に遊びに行こうと思います!
なでしこ:お昼ごろ行くから一緒にご飯食べよ!
なでしこ:またねー
返事をする前に一方的に話を打ち切られる。ボクのスケジュールなんてとっくの昔になでしこに把握されている。
そしてボクが断らないのも当然知っているので、こういうことは珍しくない。
「ま、いっか、昼までには終わるよね」
そうと決まればとっとと作業を終わらせよう。
まずはシートからかな。ラチェットレンチを手に取りシートを固定しているボルトを外す。
「ほんと狭いなもう」
メットホルダーだのサイドバッグだので埋もれてるボルトを外すのはなかなかめんどくさい。
なんとかボルトを外してシートを取り外し、ついでにサイドバッグも外しておく。
メッキのかけられたチェーンカバーを取り外し剥き出しになったチェーンを見て顔をしかめる。
この前掃除して注油したばかりなのに、もう錆と汚れがついている。それに心なしか弛んでいる。これもう寿命だなあ。
後輪を手で回してチェーンを回し、留め具を見つける。ラジオペンチを手に取りU字型の留め具を取り外しピンを引き抜く。
そうすれば、繋がっていたチェーンが切れてだらんと地面に垂れ下がった。
「あとは引き抜いて……あ、前のカバー外さないと」
寒空の下、一人黙々と作業を進めていく。
手袋をしていないせいで、手は油で真っ黒だ。汚いけど、手袋なんてしてたら細かい作業はできない。
けど、こういうのはそんなに嫌いじゃない。
シートに跨ってハンドルを握ったその瞬間から、ボクとこの子は一蓮托生なのだ。この子がちゃんと動かなかったらボクは走れないし、ボクがいなくてもこの子は走れない。
だからどんなに汚れたとしても、どんなに面倒だとしても、一緒に走っていくならちゃんと見てあげなくちゃいけない。少なくともボクはそう思っている。
垂れ下がったチェーンの端を持って引っ張れば、スプロケットに噛み付いたチェーンがするすると抜けていった。
よし、あとはブレーキを外してそしたらリアタイヤを外してっと。
「たしかボルトのサイズは17、19、24だったはず……」
手を油で汚し、思考を巡らせ一人と一台の世界に入り込んでいく。
「よいしょっと!」
メガネレンチを力一杯右に締めていく。
本当ならトルクレンチを使わなきゃいけないところなんだろうけど、あいにくそんなものはない。手ルクレンチで我慢我慢。
「えい! えい! よし!」
綺麗にハマった後輪を手で回してみる。くるくると回る車輪。
とくに変なところはなさそうだ。仕上げにペダルとブレーキを連動させ、ボルトに脱落防止用の割りピンを差し込む。
チェーンを取り付けアジャスターナットを締めて弛みを取り、カバーを取り付ける。
最後にサイドバッグとシートを取り付ければ……
「できたー!」
組み上がったビーちゃんを眺める。ところどころ錆びてボロボロだったスプロケットはピカピカの新品に交換され、見違えるように綺麗になった。
伸びきっていたチェーンも新品に交換したことでツヤツヤと真新しい油をてからせている。
ブレーキだって徹底的にオーバーホールしてシューも新品に交換した。きっとよく効くだろう。
念のためブレーキペダルを踏んでみる。よし、問題なしっと。
「ふぅ、終わった〜」
額に滲んだ汗を手で拭う。今何時だろう。時計をチラ見。ちょうどお昼か。そろそろご飯にしないと。
すると、まるで待ってましたと言わんばかりにお腹がぐぅっと鳴った。
「お前も腹が減ったのか」
手、洗ったらご飯だな。試し乗りはその後にしよう。
「双葉ちゃーん、遊びに来たよ……およ?」
軒先から聞き覚えのある声がして振り返る。門の向こうから桜色の髪の毛の女の子がこちらを覗いていた。
なでしこだ。
「わわっ! 双葉ちゃん、顔真っ黒だよ!?」
目を丸くするなでしこ。ビーちゃんのミラーで顔を確認。うわ、たしかに真っ黒だ。
こりゃ念入りに洗わないとだめだな。
「やっほー、なでしこ」
そう思うボクなのであった。
「またねー双葉ちゃん」
「またね〜」
自転車に乗って元気よく去っていくなでしこを見送る。赤い自転車がみるみる小さくなっていき、やがて曲がり角の向こうに消えていった。
「行っちゃったか。なでしこが作った焼きそば、おいしかったなあ」
いつもボクの料理をおいしいって言ってくれるけど、なでしこもかなり上手だと思う。
食べるのが好きで作るのも好きって、もはや永久機関だよね。
「さて、と。ボクも行くとしますか」
ヘルメットを被って顎紐もしっかり締める。ただの試し走りだし、ささっと走って帰ってこよう。
「どんな感じになったのかなぁ〜」
ビーちゃんに跨ってチョークを引いてキックペダルに足をかける。ついでにプラグも新品に変えたから、きっと始動性もよくなってるはず。
「よいしょっと! わっ」
今までとは明らかに違う手応えに一瞬驚く。うん、さすが新品。かかりかたがまるで違う。
暖気も兼ねて空ぶかし。2ストローク単気筒のエンジンが威勢よくぶんぶんと唸る。タコメーターがあったらきっと元気よく回ってるところだろう。
「あははっ、これいい!」
本当だったらもっとぶんぶん回したいところだけど、ご近所迷惑になりかねないから自重する。
「そろそろいいかな」
いつものようにクラッチを握ってギアを変えウィンカー&後方確認。よし!
「しゅっぱーつ! わわっ」
走り出した瞬間、一瞬エンストしそうになって慌ててアクセルを煽る。そうだったギア比が変わったんだった。
すぐに立て直し、順調に走り出していくボクとビーちゃん。2速、3速と変えていくたびに変わっていく景色。
「さてと、とりあえず甲府にでも行ってこようっと」
2月の風を切り裂いて、ただ一人走っていく。
「うんうん、いい感じいい感じ」
赤信号で止まりながら誰に言うわけでもなくつぶやく。スプロケットとブレーキを交換したことで、乗り味は劇的に変わった。
「これなら伊豆も楽に走れるだろうなあ。燃費もよくなっただろうし、いいことづくめだ」
最初のころの少しでもアクセルワークを間違えると即ウィリーしてしまうようなピーキーな乗り味はなくなってしまったけど、こっちのほうが断然いい。
「ボクも変わったよなあ」
信号が青に変わったのでクラッチを離してゆっくりと発進させる。これもちょっと前だったら信号が変わったら即ダッシュが基本だったのにね。
「なでしこたちに会ったからなのかなあ」
思い返してみれば、無茶な運転を控えるようになったのはなでしこたちと友だちになってからのような気がする。
なでしこと会って、誰か一緒にいることの嬉しさに気が付いたり、リンと会ってキャンプの楽しさに目覚めたり、綾乃と会ってご飯のおいしさに気が付いたり……
誰かと知り合うたびに、ボクの世界がどんどん広がっていく。きっとこれからもボクはいろいろな人たちと出会って、いろいろな世界に触れていくんだろう。
そう思うとなんだかちょっとワクワクしてくる。
「伊豆の前にどこか行きたいなあ。どこにしよっかなあ」
どうせなら徹底的に海辺がいいな。伊豆は3月に行くし、となると……
「あれって、リンのバイト先か」
次の旅先をどこにしようかとあれこれ考えていると、一軒の本屋が見えてきた。あれってたしかリンのバイト先だったよね。
「店番してたりして」
本屋の前を通過するほんの一瞬だけ横を見る。店内には綺麗に陳列された本と丁寧に掃き掃除をするお団子頭の……
「ふふっ」
今めっちゃ目合ってた。あとでおつとめご苦労様ですってラインしとこ。
そんなことを考えながらいつ見ても珍しい形をしている上沢交差点を通過。新早川橋に向かう。
あの橋の向こうにあるスーパーと酒屋であおいと千明がバイトしてるわけか。二人とも今日も働いてるのかな。
「おつごめおつごめ………うん?」
ちょうど交差点を渡り切った先の歩道で、どこかで見たような茶髪が見えた。
あの髪色にあのシルエット……間違いない。自転車を見てるみたいだけどなにしてるんだろう。
ウィンカーを出し、減速しながら近づいていく。
「おーい、あおいー……あれ?」
気のせいかな。なんかあおい小さくない? まあいっか。
小さな違和感を抱きながらビーちゃんを停車。邪魔にならないように歩道にちょっと乗り上げてから降りる。
ヘルメットを脱いで挨拶。気分もいいし、元気よくいこう!
「やっほー! あお……」
「うん? お姉ちゃん誰なん?」
あ、これ違う人だ。
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