日が昇ってまもない箱根の峠道。肌を切り裂くような冷たい風の中を 3人ひた走る。
コーナーを曲がるたびにミラーに反射するヘッドライトがチカチカと顔を照らす。
朝の峠道は車の通りもなく不気味なほど静かで、そんな中を走っているとまるで自分たちがべつの世界に来てしまったかのような、そんな錯覚に陥る。
リンも綾乃もボクも、誰一人喋ろうとはしない。ただ、黙々と粛々と、目的の場所に向けて寒空の下を──
『さむいぃー!』
走っていこうとして、綾乃が耐えきれずに叫んだ。
『こんな寒いなんて聞いてないよぉー!』
浜松っ子の綾乃に、朝の箱根の寒さは身に堪えるみたいだ。
太平洋に隣接した浜松で氷点下を割ることなんて滅多にないだろうし寒いに決まっている。
『山の中だし、しょうがないよ』
「もう少ししたら日も上がってくるし、少しは暖かくなるって」
『二人はなんでそんな平気なのさー!』
「まあ、慣れてるし」
『こっちだと氷点下で走るのとか当たり前だもんな』
「山梨ってほんとどこ行っても寒いもんねー」
とくにリンはちょっと前まで冬しかキャンプしないっていう剛の者だったし、寒さにはめっぽう強いんだろう。
ちなみにボクはたんに厚着しまくっているから平気なだけである。今度ダウンジャケットの下にダウンベストも着てみようかな。
『顔が! 痛い!』
迫真すぎてもはやダミ声になっている綾乃。きっとすごい寒いんだろうけど、なんだろう……
『ぶふっ……』
「ふ、ふふ」
『あー! 笑ったなー!』
「ご、ごめん。声が迫真すぎて……ふ、ふふ」
『わたしもリンちゃんみたいにシールドにしとけばよかったよー! リンちゃんあとでわたしのゴーグルと交換してー!』
『麓についたらな』
『ありがとリンちゃーん!』
『はいはい』
千葉への道は、いまだ遠い。
信号が青になる。
アクセルを吹かしながら左に曲がると、ヘッドライトの向こうにある防風林と堤防が、視界の右端に流れていった。
曲がりながらスロットルオフ。一瞬だけ緩むチェーン。クラッチを叩くように握りすかさずシフトペダルを踏み込む。
シフトアップ。同じ動作を繰り返し3速、4速と上げていく。
「こっから流れめっちゃ早くなるから気をつけてね」
『はいよー』
『へーい』
どこまでも続く松の防風林。白いガードレールで隔てられた黒々としたアスファルトの上を走っていく。
『江ノ島、茅ヶ崎……』
最後尾を走るリンがボクの頭上を通り抜けていった標識の地名をつぶやいた。
箱根を抜けたボクたちは、国道1号を走り小田原を通過。湘南、鎌倉へとつづく長い一本道である国道134号に足を踏み入れた。
『なーんか高速道路みたいだね』
『わかる。まあ自転車走ってるけど』
『あ、ほんとだ』
二人は初めての道路に興味津々みたいで、さっきまでと違ってずいぶんと賑やかだ。
「二人ってここ走るの初めてだっけ?」
『双葉は来たこと……あるに決まってるか』
「うん。東京行ったり神奈川行くには
ここが一番楽だからね」
国道1号から続くようにつながっている134号は、神奈川の沿岸部を一本で結ぶ関東の主要な幹線道路の一つだ。
全長60キロと他の国道に比べれば大して長くはないけれど、どこまでも続く一本道はいつ見ても圧倒されるものがある。
そんなどこまでも続く一本道をボクたちはひた走っていく。途中、国道1号からやってきたトラックや乗用車がボクたちを猛烈な勢いで抜き去っていった。
『はえー』
『みんなせっかちだなー』
「みなさん、後方にご注意ください………なんて──いてっ」
飛び跳ねた砂つぶが、ボクの頬を掠めた。ボクもリンのシールド借りてみようかな。
ガソリンタンクのキャップを開けて、キャップをキャップ置き場に乗せる。
気化したガソリンのツンとした匂いが鼻をくすぐる。
あれから5キロほど走ったあと、綾乃のエイプのガソリンがなくなりそうだったので、湘南大橋の近くにある大きなガソリンスタンドで燃料を補充することにした。
「レギュラー、満タン、現金っと」
タッチパネルを操作して小銭を投入……あ、ここ小銭ダメだ。しょうがない、お札投入。
無機質なガイド音声に従い確認ボタンを押してから、静電気除去シートをペタペタ。
赤いノズルを手に取って給油口に突っ込みレバーを引く。
セルフ式はいちいち頼まなくていいからちょっと楽だ。ギリギリまで入れられるし。まあたまに欲張りすぎてこぼれるけど。
「1リットルくらいでいいかな」
スプロケットを変えたおかげか、はたまたリンの速度に合わせているおかげか、心なしか前よりもガソリンの消費が穏やかだ。
「レギュラーマンタンゲンキンデー……なんてな」
ぼそりとつぶやく声。顔を向けると、ちょうどボクの向かいのレーンでビーノにガソリンを入れているリンがいた。
「ん?」
きょとんとした顔で首をかしげるリン。もしかして聞かれたの気づいてないのかな。
「ううん、なんでもないよ」
ひょっとしてボクの真似なんだろうか。まあ追求するとはぐらかされそうだから聞かないでおこう。
「ふーん。そういえば、さっきの橋すごかったね」
「湘南大橋のこと?」
リンの言葉にボクは今さっき通り抜けたばかりの橋のことを思い浮かべた。
「うん。ずっと同じような道走ってからだろうけど、解放感すごかったね」
134号線は、隣接する茅ヶ先海岸からやって来る砂と強風を防ぐために何十キロにも渡って防風林が続いている。
おかげで風も砂もまったく来ないので走る分には快適なんだけど、単調な景色がずっと続くので、バイク乗りにとってはあまり楽しい道じゃないのだ。
「江ノ島のほう行ったらもっとすごいよ」
「江ノ島か。生しらす丼食べたかったなぁ……」
リンがガソリンを入れ終わったノズルを戻しながら、遠くを見る。目線の先にはきらきらとしたしらすの群れが泳いでいるんだろうか。
「ボク生のしらす食べたことないんだけど、どんな味なんだろう」
「一回だけ食べたことあるけど、おいしかったよ。バイト代貯まったらまた行くか……首を洗って待ってろよ。しらすどもめ」
「うんうん」
どうでもいいけど魚に首ってあるんだろうか。まあいいや。
「ていうか、双葉いつまでガソリン入れてるの? そろそろ溢れちゃわない?」
「大丈夫大丈夫、いつもギリギリまで入れてるし……っと」
ふちまで注ぎノズルを戻す。
タンクにキャップをつけて印刷されたレシートを取って、リンと二人でお釣りを釣銭機に取りに行く。
「セルフってこういうの不便だよな」
「お釣りも一緒に出してくれればいいのにね」
「アヤちゃんもガソリン入れ終わったかな」
「あっー!!」
そんなことを話していると、釣銭機から少し離れたレーンのほうで、聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。
「わー! めっちゃこぼれたー!」
どうやら、やらかしちゃったみたいだ。欲張りすぎるとああなる。ボクも昔よくやらかした。
「あちゃぁ……」
「やっちまったな」
「あー拭かないと! って、布巾ないし! ああもう! 手袋でいいや! わーん、ガソリン臭いよー!」
「「……ふ、ふふっ」」
二人で一緒に笑う。
本当は笑っちゃいけないんだろうけど、綾乃叫びがあんまりにも迫真すぎて耐え切れなかった。
「こらー! そこのキャンパーとライダー! 笑うなー!」
あ、やば、バレた。早く小銭受け取ろ。
小さな谷を抜ける。そこには、海と道路だけで構成された世界が広がっていた。
太平洋の荒々しい波が押し寄せる海岸線。
海水を含んで灰色になった砂浜に、黒っぽい波が打ち付られ、白い泡となってまた海に帰っていく。
澄んだ青空の下、遥か彼方にたたずむ三浦半島。
鎌倉、七ヶ浜海岸。ボクたちはそんな道を走っていた。
『わぁ! この道テレビで見たことあるやつだ!』
『アニメとかでけっこう使われてるよね』
『あっ! 今通り過ぎた踏切バスケのやつだ!』
東からくる風はこの時期にしてはどこか暖かく、柔らかくボクたちを包み込んだ。
後ろの二人の盛り上がる声に耳を和ませつつ心地のいい日差しを一身に受け、スロットルを回していく。
『ねぇねぇ双葉! 左に見える線路って江ノ電だよね』
「そうだよ。あ、ちょうど向こうから来たみたい」
噂をすればなんとやら。
海を眺めるように建てられた小さな駅から、緑とクリームの小さな電車が走ってきて、ボクたちとすれ違って行った。
2両編成の小さな車両の中に、たくさんの人が押し込められるように乗っていて海を眺めたりスマホをいじったり、思い思いのことをしている。
あの人たちも観光に来てるのかな。
『あはは、おーい!』
ミラーをチラッと見ると、綾乃が元気よく手を振っていた。ほんと、元気だなあ。やっぱなでしこの幼馴染なだけある。
『リンちゃん! 双葉! 楽しいね!』
楽しげな声。
スピーカー越しでも綾乃がどんな顔をしているのか簡単に想像がついた。
『アヤちゃんさっきからテンション上がりすぎでしょ』
「はしゃぎすぎて港ついたときにへばんないでよー」
『平気平気! まだちょっと走っただけだし』
「それもそっか」
『だね』
スロットルを回す。トンビが一羽、風を受け凧のようにゆらゆらと空を舞っていた。
『…………だね?』
ふふふ……
それからボクたちは、ひたすら海岸を走っていった。
由比ヶ浜でヨットやサーフィンに勤しむ人たちを横目に見つつ鎌倉を通過。
逗子市に入り、チェックポイントである久里浜に向かってラストスパートをかける。
潮の匂いが漂う海沿いの景色は、いつの間にか山と道路、そして民家といった、ボクたちには馴染みにのあるものに変わっていた。
山々の間を縫うように、時には貫いて、ボクたちはのんびりと走っていく。
『なんか横須賀ってもっと都会っぽいって思ってたけど、あんまこっちと変わんないんだな』
「関東って言っても端っこのほうだしね。それにこの山だらけの地形じゃ街とかあんまり作れないだろうし」
『それもこっちと同じってことか』
『山国だもんねー日本って』
どれだけ離れていても、似たような地形なら、似たような景色になっていくらしい。
『けど似てるけど、あっちと全然違うね』
リンの言葉にうなずく。どんなに似たような景色でも、やっぱり違う。
それは車のナンバーだったり家の作りだったりいろいろだ。
たとえば、山梨では杉の木ばっかりだけど、こっちでは広葉樹が植えられてたり、あるいは交差点の信号が全部LEDの薄型だったり、街ゆく人たちの服装が、山梨よりもちょっと薄着だったり。
違いは些細なものだけど、明確に違う。ボクたちは今遠く離れた土地にいる。そのことを見せつけられる。
徐々に徐々に変わっていくから気がつかないけど、改めてみると全然違っている。
これだから旅はおもしろい。
でも、そんな旅路ももうそろそろ折り返しになる。
「金谷行きフェリー乗り場……」
少し離れたところにある青い道路標識を読み上げる。これ以上ないくらいわかりやすい目印。
「リン、綾乃、お疲れさま。もうすぐだよ」
神奈川県横須賀市、久里浜港。ボクたちはついに千葉への入り口へとたどり着いた。
「原付3枚お願いします」
ガラス窓のついた受付の向こうにいるおばさんにお金を払ってチケットを受け取る。
「1枚1800円……ぐぬぬ」
フェリーにしたら安いほうではあるけどちょっと高い。でも陸から行くとかなり大回りだししょうがない。
チケットを無くさないようにポケットにしまってチケット売り場がある建物から出る。
自動ドアをくぐり外に踏み出すと、山梨とは違う、どこか暖かさすら感じるような空気が顔を撫でた。
「やっぱこっちあったかいなあ」
目の前にある白線でマス目のように区切られた待機スペースに足を伸ばす。
待機スペースでは、ボクたちと同じようにフェリーに乗ろうとしている人のバイクや、高そうなロードバイク、そして自動車など、いろいろな乗り物が勢揃いしていた。
この人たちもみんな観光しにいくのかな。ていうかやけにゴルフバッグ持った人多いけどゴルフ場でもあるんだろうか。
どうでもいい疑問に頭を悩ませながら、リンと綾乃の待つ港の駐車場にある待機スペースに戻る。
ボクが戻ると、綾乃がエイプのシートに腰掛けて足をぷらぷらさせていた。
「チケット買ってきたよー」
「あ、サンキュー」
「はい、チケットとお釣り」
綾乃にチケットともらったお金のお釣りを渡して綾乃と同じようにビーちゃんのシートに腰掛ける。
「リンは?」
「向こうで写真撮りまくってるみたい」
綾乃の目線の先に目をやる。
少し離れたところで、見覚えのあるニット帽が猛烈な勢いで写真を撮りまくっていた。
「チケット渡さないと」
「あと40分くらいだっけ? フェリーでるの。けっこう早くついたね」
綾乃にそう言われて時計を見る。到着予定よりも20分は早い。たぶん早めに出発したおかげだろう。
「まあそのぶんゆっくりできていいじゃん」
「それもそっか。あ、そうだ。せっかくだし3人で写真撮ろーよ」
綾乃がシートからピョンと飛び降りてボクの手を掴んで走り出す。
「ちょっ」
「リンちゃーん!」
風で冷やされた手がボクの手を引っ張っていく。この子と友達になってそこそこ時間が経ったけど、このちょっと強引なところは相変わらずだ。
でも、ボクは綾乃のそんなところが大好きだ。
「うぉっ!? あ、アヤちゃん?」
いきなり腕に組みつかれて目を丸くするリン。
「写真撮ろ!」
驚いていたリンだったけど、綾乃の屈託のない笑顔を見ると優しげに微笑んでうなずいた。
「双葉もこっちこっち。あ、ごめん腕塞がっちゃうから写真撮って」
もう、しょうがないなあ。スマホを取り出して、3人で顔を寄せ合う。
シャッターを切る。思い出がまた一枚増えた。
直列、並列、単気筒、2気筒。大きかったり小さかったり、うるさかったり静かだったり、いろんなエンジンの音が久里浜の港にこだます。
「どうぞー!」
従業員の人の合図に従って、ボクの前に停まっていたバイクが走り出した。ボクも行かないと。
前のバイクについていくようにアクセルを吹かしながらクラッチを離して車体を転がす。
後ろからついてくる二人をミラーで見ながら、まるで口を開けたジンベイザメみたいなフェリーの船内に飛び込んでいく。
鉄のゲートを潜ると、岸壁と桟橋の段差をタイヤががっこんと乗り越えた。
タイヤから伝わる路面の感触が、慣れしたしんだコンクリートからゴツゴツとした鉄の感触に変わっていく。
転ばないように気をつけつつ、ギアを下げながらゆっくりとフェリーの船内に入っていく。
船内は、鉄づくりの白い鉄の壁で覆われていて、壁には浮き輪やロープといった見慣れないものがたくさん吊るされている。
緑一色に塗られた床には白と線が引かれていて、さながら駐車場だ。
まるで、駐車場をそのまま船の中に作ったような、そんな空間。どんなものなのかは知っていたけど、実物を見るのはこれが初めてだ。
奥のほうでスタンバイしていた従業員の人の誘導に従ってビーちゃんを壁端に停める。
「ハンドルロックは切らないで、そのままでお願いしまーす」
「あ、はい、お願いします」
エンジンを切ってビーちゃんから降りると、従業員の人は手慣れた様子でビーちゃんを壁にロープで固定し始めた。
へぇ、ああやってやるんだ。おもしろいなあ。
「双葉ー!」
作業の様子を眺めていると、後ろから綾乃に声をかけられた。その横にはリンもいた。
「ここにいてもあれだし、中行こうよ」
「だね。いこっか。双葉」
リンにうながされて一緒に歩きだす。目指すは階段の上にある客室だ。
「遅いぞー! 二人とも!」
「もう登ってるし」
いつのまにか階段を登り切っていた綾乃が上のほうでボクたちを呼んでいた。
「リン、ボクたちも早く行こ!」
冷たい鉄の手すりをつかんで、急な階段を登っていく。
「転ぶなよー ていうか双葉」
声をかけられ振り返る。ちょっと困ったような、不思議そうな顔をしたリンがボクをじぃっと見つめていた。
どうしたんだろう。
「ヘルメット、船の中持ってくの?」
「あっ」
脱ぐの忘れてた。
どこまでも続く青い空、どこまでも続く深く青い海。水平線の向こうに流れる白い雲に船の影。
磯とも違う、水気と塩気をたっぷりと含んだ、まさに海の匂いとしか言い表せない空気を胸いっぱいに吸い込む。
白い鉄柵に手を乗せて下を覗いてみる。ゆらゆらと揺れる船体。揺れるたびに波飛沫が飛び散り白い泡になってまた海に帰っていく。
「ほんとに船の上なんだ……」
「落っこちるぞー」
声がする。横を向くとリンがちょっと離れたところで立っていた。
「あ、リン」
ボクが名前を呼ぶと、リンが近づいてきて、ボクと同じように鉄柵に手をかけて海原を眺めた。
「落ちそうになったらリンが引っ張って」
「物騒なこというなし」
リンとバカ話をしながら揺れる船の上から大海原を眺める。久里浜を出たボクたちは、船に乗って浦賀水道を進んでいた。
「風気持ちいいね」
「だね」
ニット帽からはみ出したリンの髪が風に揺れる。
「リン髪伸びた?」
「そう? いや、そうかも。双葉もけっこう伸びたんじゃない?」
リンが手を伸ばしてボクの髪を触る。肩口で切り揃えていた髪は、いつの間にか肩にかかるくらいまで伸びていた。
「いい加減切らないとなあ」
「そのままでいいと思うけどな」
「そう?」
よくわからないけど、リンが言うならそうなんだろう。どうせならリンと同じくらい伸ばしてみようかな。
やっぱやめとこ。手入れめんどうそうだ。
「って言ったら恵那怒るんだろうなあ」
「なんで恵那?」
「なんでも。そういえば綾乃は?」
「まだ客室でうんうん唸ってる。吐くほどじゃないみたいだけど、きついみたい」
「船酔いかあ、大変だよね」
乗る時は一番テンションが高かった綾乃だったけど、船が出航して一番テンションが下がったのも綾乃だった。
こればっかりは体質だからしかたがない。
「リンは大丈夫?」
「なんとも。うちの家族、みんな乗り物酔い強いし」
一族レベルでバイクに乗ってるんだから乗り物酔いも強くて当然か。
「双葉は?」
「……リン、船酔いってね。海を眺めるとよくなるんだって」
「酔ってるんだな」
「はい」
出航して10分。ボクは早くも船酔いに見舞われていた。
「大丈夫?」
ちょっと心配そうに顔を覗き込んでくるリンに手を振る。
「軽い車酔いくらいだから平気。ボクはもうちょっとここにいるよ。心配してくれてありがとねリン」
「そっか。わたしアヤちゃんのところ戻るけど、そっちも気分良くなったら戻りなよ」
「はーい」
ぐらりと揺れる船。フェリーってもうちょっと揺れないと思ってたけど、けっこう揺れるんだな。でもなんかちょっと慣れてきたかも。
「写真撮ろ……ってライン来てる」
千明からだ。
酔いそうだから電話にしとこ。通話ボタンをタッチ。ほどなくして電話がつながった。
「あ? もしもし、ボクだよ」
『おう! ロリ子、写真見たぜ。今どこらへんいるんだ?』
「ちょうどフェリー乗ってるところ。海のど真ん中。ていうか、携帯繋がるんだね」
まあ大した距離ないし当たり前か。でもなんか不思議な感じ。
『もうそんなところいるのか。いいなー、あたしも行きてえなあ』
「千明もいつかバイク買って行こうよ。山梨からたったの150キロだよー」
『……あー、やっぱやめとくわ。で、どうよリンと綾乃の様子は』
「綾乃が船酔いでダウン。リンは今のところピンピンしてる。口に出してないけどたぶんめっちゃテンション上がってる。さっきも写真撮りまくってたし」
『あ、その写真さっきあたしらにも送ってきたわ。リンって意外と写真好きだよな。ていうか綾乃は大丈夫なのか?』
「そんな距離ないし大丈夫でしょ。向こう着いたら休憩もするしね」
『あんま無茶させないでやれよ。ただでさえあいつだけ浜松から来てるんだから……ていうか、よく浜松から来ようと思ったな』
綾乃も浜松でいろいろ走ってるみたいだし、もう慣れっこだろう。
リンがちょっとだけ心配だけど。どうせ走ってるうちになにも思わなくなってくるから大丈夫。
……
…………
………………
「なんか、不思議だなあ」
ふと思ったことを口走る。
『ん? いきなりどうしたんだ?』
少し前までボッチボッチ言ってたのに、今じゃこうして友だちと3人でツーリングしてる。
いろんな人と知り合って、いろんな人と友だちになって、いろんなことを知って。頼ったり、頼られたり、助けたり、助けられたり。
人生ってバイクと同じくらい、なにが起こるかわからない。
「ううん、なんでもない」
『いや、言えよ! 気になるだろ!』
本当になんでもないことだ。
昔はどうであれ、今はもう違う。過ぎたことをいちいち考えたってなんの意味もない。
「秘密だよー」
だから教えない。教える必要もない。それに、お調子者の千明にそんなこと言ったらからかわれるに決まっている。
あ、でもあれだけは言っておこう。
「そうだ。言い忘れてたけど、ボクと友だちになってくれてありがとう。大好きだよ」
『は? え? い、いきなりなんだよ』
突然のひと言にスピーカーの向こうで驚く声が聞こえる。
「べつにー、思ったこと言っただけ」
『そ、そっか。まあいいけどよ。へ、へへ、なんか照れるな。も、もう切るぞ! あんま無茶すんなよ! あとお土産忘れんなよー』
「大丈夫! あとたったの200キロだし。じゃーね」
電話を切る。本当に、みんなボクにはもったいないくらいの友だちだ。
まあ、そんなこと言ったらまたリンとかなでしこに怒られるから言わないけどさ。
さて、酔いもだいぶマシになってきたし二人のところに戻ろうかな。
「戻ったよ」
広々とした客室に戻り、ソファーに座る二人の背に向かって声をかける。が、返事はない。聞こえなかったのかな。
「おーい──」
「しー」
振り向いたリンが口元に指を当ててボクに合図してくる。どうしたんだろうか。
回り込んでみると、答えはすぐにわかった。
「すぅ……すぅ……」
綾乃がリンの肩にもたれかかって眠っていた。
すごい気持ちよさそうに寝ている。この分なら酔いは大丈夫そうだな。ちょっと安心。
「重い」
リンがぼそり。
「代わろっか?」
「ううん、起きてまた酔ったりしたらかわいそうだし、このままでいいよ」
「それもそっか」
手足をだらしなく伸ばして眠りこける綾乃はなんだかちょっとおもしろい。きっと起きるころにはついてるだろう。
「ふふっ」
「な、なに?」
いきなり笑い出したボクに、リンがいぶかしむ。
「やっぱリンって優しいんだなって」
ボクが言うと、リンの顔がちょっと赤くなった。べつに照れることないのにね。
「べ、べつにしかたなくっていうか……」
目をキョロキョロと泳がすリン。これが噂に聞くツンデレってやつなのだろうか。
「もう、素直じゃないなあリンは。まあ、リンのそういうところ大好きだけどね。ボクもちょっと寝よっかな。肩貸りるねー」
「ちょっ、おい」
そう言って、リンの隣りに座り込み、頭をリンの肩に乗せる。もふもふのマフラーが顔に当たってちょっとくすぐったい。
「重てーよ」
セリフは嫌そうだけど、声色は全然嫌そうじゃない。まあつまり、いつものリンってことだ。
「ついたら起こしてー」
目を瞑る。揺れる船に意識を任せていると、なんだか少し眠くなってきた。ボクも疲れてるのかな。
「勝手に人の肩枕に…………って、もう寝てるし……しょうがないなぁ」
ほんとに眠くなってきた。少し、寝ちゃおう。
「おやすみ、双葉」
意識が落ちる寸前、そんな声が聞こえた気がした。
海を渡り、波を越え、ボクたちを乗せた船は進んでいく。そんな、長いようで短い船旅もやがては終わる。
『ご乗船のお客さまにお知らせします』
船内のスピーカーから流れるアナウンスに耳を傾け、船窓の外に広がる大地を眺める。
『当船は間も無く金谷港に着岸いたします。お忘れ物ございませんよう──』
徐々に近づく岸壁。甲板の上で、ロープを持った作業員の人が忙しなく動く。
「ついた……」
リンが、つぶやく。
「ついたね」
ボクは言う。
「ついた!」
綾乃が、叫ぶ。
「「「ついたぁー!!」」」
ボクたちが、歓声を上げる。
千葉県房総半島。ボクたちは、ついにたどり着いた。さあ、冒険の幕開けだ。