21-1
「「「ついたぁぁ!!」」」
潮風を胸いっぱいに吸い込みながら、3人で歓声をあげる。
瞳の先にある海の遥か向こうには、ボクたちがさっきまでいた三浦半島がぼんやりと映っていた。
千葉県房総半島、金谷港。ボクたちは、海を越え千葉の大地へと足を踏み入れた。
「うーん、やっとついたぁ!」
リンが背伸びをしながら言う。まさかリンとこんなところまで来るなんて、ちょっと前までなら考えもしなかったな。
「なに笑ってんの?」
「べつにー なんか、あっという間だったね」
「たしかに、わたしももっとかかると思ってたよ」
「二人とも寝てただけじゃん。しかも人の肩に頭乗せてさ。おかげでめっちゃ肩凝ったわ」
「「ふひひ」」
笑うボクと綾乃にリンがふっと微笑んで肩をすくめる。
「ま、いいけど。それで、これからどうすんの双葉」
リンが話を切り上げてボクに質問してくる。綾乃もうんうんといった感じでボクを見てくる。
「とりあえず、房総半島ぐるっと回って、銚子まで行く。以上」
「めっちゃ適当だな」
「あはは、双葉らしいや」
ちょっと呆れた感じの二人。やっぱそう思うよね。ボクも思うし。でもこれがボクなのだ。
「ボクの旅はそういうもんなの。まあ行きたいところあったら言ってよ」
「あ、はいはい!」
綾乃が元気よく手をあげる。さっきまで寝てたからすごい元気だ。
「わたし灯台行きたい!」
「「灯台?」」
「行く前に調べたんだけど、ここら辺めっちゃ灯台あるんだって。せっかく来たんだし、ちょっと見てこーよ」
「あ、いいかも。双葉は?」
「ボクも賛成。ちょっと調べて行ってみよっか。でもその前に……」
ぐぅっという奇怪な音が鳴り響く。音の発生源は言うまでもないだろう。
「ご飯にしない?」
ボクは言う。そして、二人は笑った。さて、なにを食べようかな。きっと3人で食べればどんなご飯だっておいしいに違いない。
口の中に残る海鮮の後味を感じながらゴーグルをかける。港だけあってけっこうけっこうおいしかったな。高かったけど。
「準備いい!?」
後ろのリンと綾乃に声をかける。ビーノに乗ったリンが手を上げ、綾乃は返事の代わりにエンジンを空吹かしさせた。
大丈夫みたいだ。よし、行くとするか。手で合図してエンジンの回転数を上げ、クラッチを離す。
エンジンが唸り動きだす車体。ギアを上げていくたびに風が身体を流れていく。
港を後にしたボクたちは、島をなぞるように国道127号、内房なぎさラインを走っていった。
『めっちゃ海だ』
最後尾を走るリンが感心したように言った。
崖に沿ってくねくねと曲がった道路。その下の岩礁に、考えるのも馬鹿らしくなるような大きさの海原から押し寄せた波が飛沫となって打ちつける。
ボクたちが走っているのは、まさにそんな道だった。
『懐かしいなー 伊豆もこんな感じだったよ』
『え、アヤちゃん伊豆行ったことあるの?』
『うん。近いしキャンプするついでにちょっと走ってきた』
『……ついで? ついでで行ける距離なのか?』
そういえば、2月の頭くらいにそんな話をした気がする。どうせなら一緒に行けばよかったな。
『って言っても観光とかはしてないけどね。給料日前だったし』
「暖かくなったらまた行けばいいよ」
『それもそっか。ならさ、春休みなったら3人で行こーよ。ね、リンちゃん』
『え、わたしも?』
『むしろリンちゃんいなかったらどうすんのって感じ』
リンはボクたちの貴重なバイク仲間。当然一緒に行くに決まっている。もちろんリンが嫌だったらそのかぎりじゃないけど。
『……考えとく』
「『やったー!』」
『いや、まだ行くって……はぁ、しょうがないなあ』
「あ! せっかくなんだしまた琵琶湖とかもいいんじゃないかな! そのころなら桜も咲いてるだろうしさ」
湖を眺めながら満開の桜並木の、道を走る。きっとすごい綺麗なんだろうな。
『お、いいね。でもどうせならもっと遠く行こーよ。1日でたどりつけないところとかさ』
「なら一日400キロ走るとして二日かければ──」
『やめろ。まじやめろ。ほんとにやめろぉ!』
潮風の吹く海沿いの道に、リンの叫びが響きわたる。
暖かい日差しの差し込む静かな社に、ボクたちの手拍子が鳴り響いた。
「二人はなにお願いした?」
「ボクはとりあえず交通安全」
「わたしも」
「あはは、わたしも。ぶっちゃけいきなりお参りっていってもそれくらいしか思いつかないよね」
鶴谷八幡宮。金谷港から約20キロほどのところにある大きな神社で、ボクたちはお参りをしていた。
「標識があったから寄ってみたけど、なんかいい感じ」
お参りを終えてバイクに戻るために、石造りの広々とした境内を歩いていく。
落ち葉だらけの境内は、人気のなさもあってどこか浮世離れしている気がする。
「けっこう有名らしいよ。お母さんたちも昔バイクで走ったとき寄ったみたい」
「へぇ、リンちゃんのお母さんもバイク乗ってるんだ」
「今は乗ってないけどね。お父さんも乗ってたし、おじいちゃんも乗ってる」
「わたしのおじいちゃんも昔乗ってたんだー じゃあわたしたち孫ライダースだ」
「なんだそりゃ。そういえば双葉のお母さんもバイク乗ってたりするの?」
リンが聞いてきた。
「バイクは乗ってないけど、この前アフリカのサバンナでバギー乗り回してる写真なら送ってきたよ」
二人の目が点になる。まあ、やっぱそういう反応するよね。
「…………なんでそんなところいるの?」
綾乃のしごくもっともな疑問。
「……さぁ」
ほんとなんでなんだろう。
もう16年も生きてるのに、未だにどんな仕事してるのかすらよくわかってない。
正直ボクはあの人が宇宙から写真を送ってきてもなにも驚かない自信がある。
「双葉もいろいろ変わってるけどさ、ぶっちゃけ双葉のお母さんが一番謎だよね」
「めっちゃわかる」
ボクもわかる。
コンクリート作りの岸壁を3人で走っていく。
目の前に広がる砂利とコンクリで作られた道は風で飛んできた砂でところどころ埋もれていて、あんまり道っぽくない。
劣化して凸凹になった道をゴトゴトと走っていく。フロントのサスペンションがカタカタと音を立て忙しなく動く。
『めっちゃ道ガタガタしてうぉっ!』
後ろを走るリンが悲鳴をあげた。たしかに、スクーターでこの凸凹道はきついかもしれない。
『大丈夫? リンちゃん』
「もうちょっとスピード落とす?』
『なんで二人ともそんな平気そうわっ!?』
悲鳴をあげるリンを引っ張りつつ走っていくと、小さな島が見えてきた。
「ついたっと」
砂利の駐車場にバイクを停めてヘルメットを脱いで改めて島を眺める。
沖ノ島。館山市の端にポツンと浮かぶ小さな無人島。リンが行きたいと言ってた場所だ。
「ここが沖ノ島か。思ってたよりちっこいな」
「ふぅーん、陸続きになってるんだ。なんかおもしろいね」
「陸繋島って言うんだって。波が静かなところに砂が集まるとできるんだってさ。なんか看板あるし行けるみたいだよ。行ってみる?」
「さんせー」
「わたしもー」
3人で200メートルほどある砂浜の橋を渡っていく。水を含んでいるのか、それとも砂の種類のせいなのか、思っていたより歩きやすい。
「めっちゃ生い茂ってやがる」
島を見てリンがひと言。
砂の橋の向こうの島は、なんていうか草なのか木なのかわからない緑でボーボーになっていた。
「なんだろう……手入れサボった盆栽?」
「小学生が放置した夏休みの朝顔」
「廃校寸前の小学校の花壇」
3人でそれぞれ島に対する感想もとい暴言を吐いていく。自分たちで言っておいてなんだけどひどい言い草だなあ。
そんなこんなで浜を渡り終わり島の中に足を踏み入れる。島に入る志摩リン……
「しまりん島を──」
「10点」
「まだなにも言ってないのにー」
「安直すぎ。出直してくるんだな」
「どこに?」
リンをからかおうとして返り討ちにあいつつ、ボクたちは島奥へと進んでいった。
島の中はちゃんと道が作られていて、外から見たよりかは整備されているようだった。
けど、道の両橋に生い茂る雑草と、背の低い木のせいでまるでジャングルにいるみたいだ。
「ここ神社あるんだって」
綾乃が立て札を見て言う。どうせだし行ってみようということになって、3人で案内に従って森の中を進んでいく。
木々に覆われた狭い道を抜けると、開けた場所に出た。ちょうど島の端にあるみたいで、鳥居の向こうには海が広がっている。
「ちっこい……」
リンがぼそり。目線の先にはちっこい社。たしかに、古い住宅街とかにたまにある神社くらいの大きさしかない。
けど、周りの木とか草がものすごい生い茂ってるせいでなんか妙に神々しい。
「であい伝説、だってよ。リンちゃん、双葉」
鳥居のそばに建てられた立て札に書かれた文章を綾乃が読み上げる。白い蛇と赤いイワシが出会ってどうたらこうたら、らしい。
ありがたいお話なのかもしれないけど、なんかよくわからない。
「お参りしてく? なんか出会いあるかもよ」
「いいや」
「ボクもいいや。もう二人と出会ってるし」
……
…………
………………
「出会っちゃったかー」
「出会っちゃったんだな」
微笑ましいとも、苦笑いともとれるような二人の……いやこれ普通に半笑いだ。
やばい、めっちゃはずい。
「今の忘れて」
「やだ」
ひどいよリン。
そんなこんなで一人のクソザコが心に傷を負いつつも何事もなく沖ノ島を後にするボクたちなのであった。
ちなみに綾乃は島を出るまでずっと笑っていた。ちくしょう! おぼえとけよー!
「おぉー! 絶景!」
空に向かって突き立つ白い灯台。眼下に広がる房総の大地と相模湾。青い空にふわふわと流れる白い雲。
沖ノ島から11キロ。洲崎から望む南房総の絶景は、ボクたちの心を奪うには十分な代物だった。
潮風で風化してザラザラになった展望台の柵に手をかけながら、相模湾の向こうに広がる景色を眺める。
「向こうにある島影が伊豆半島で、あっちの島が伊豆大島か」
「こうして見るとほんとにおっきいよね」
「3月になったらあそこに行くのか……」
リンが感慨深げにつぶやく。
「楽しみ?」
「楽しみ」
うなずき、微笑むリン。あそこではどんな旅が待ってるのかな?
「リンちゃーん、双葉ー! こっちで写真撮ろー」
「「はーい」」
二人で綾乃のもとに駆け寄っていく。太陽が西に傾きはじめる。昼ももうじき終わろうとしていた。
潮風と太陽、大海原と花々。そしてどこまでも続く道。
海風の冷たさと、太陽の暖かさを同時に感じながら広大な道路を走っていく。
ボクたちは今、県道257号線を伝って房総半島の最南端を進んでいた。
南房総の沿岸線をなぞるように敷かれた257号線は、別名房総フラワーラインとも呼ばれている。
フラワーラインの名の通り、道に花が植えられ、季節を問わず訪れた人たちの目を和ませている。
視界に飛び込んでくる景色には木も建物もなく、目に映るのは道路と海と草と花々だけ。
写真だけ見れば、ここが外国だと言われてもきっと信じてしまうだろう。
『すげぇ……』
『きれいー!』
「気持ちいいねー!」
絶景とも言うべき道を走りながら、ほとばしる感情を叫んでいく。来てよかった。心からそう思う。
『なでしこのやつにも見せたかったなー』
『絶対喜ぶだろうな』
目をキラキラさせてはしゃぐ姿が容易に想像できる。
キャンプするときはいつも山梨とか静岡だし、たまにはこういう景色のところでキャンプするのも楽しいだろうな。
けど、移動手段がないんだよなあ。桜さんに頼むにしても限度があるし。でも、正直あの人ならなでしこが頼んだら連れて行きそうな気がする。
そうだ。いいこと思いついた。
「ならさ、綾乃が連れてけばいいんだよ」
『え? どうやって』
免許を取ってから1年経てば、二人乗りをしてもOKになる。綾乃のエイプはパワーもあるし、なでしこを乗せても問題なく走れるだろう。
「バイク、乗ってるじゃん」
『あ、そっか』
遠くに離れてしまって寂しいのなら、会いに行けばいい。一緒に行けないのなら、連れていけばいい。
「なんだってできるよ。だって、バイクだもん」
どこにだって行けるし、なんだって乗せられる。
夢も荷物も友だちも、乗せようと思えばなんだって乗せられる。それがバイクという乗り物だ。
『うん、そうする。あーでも、ちょっと怖いし、なでしこ乗せる前に練習付き合ってよ』
「ボクでよかったらいくらでも」
『約束、忘れんなよー』
「忘れないって、絶対」
免許を取って一年ってなると、来年の秋ごろか。楽しみがまた増えたな。
『リンちゃんもさ、わたしがなでしこ乗せられるようになったら4人でどっか行こうよ』
『え、わたしも?』
スピーカー越しに聞こえるきょとんとした声。なにも驚くことなんてないのに。
『なーに言ってんの。リンちゃんがいなかったら意味ないじゃん。ね、双葉』
「そうそう」
なでしことボクが騒ぎ、綾乃が茶化し、リンがつっこむ。簡単に想像がつく光景。4人ならきっとどこに行ったって楽しいに違いない。
『……そっか』
ミラーのすみにチラリと映るリンの顔は、ヘルメットに隠れてよく見えないけど、声でなんとなく想像がついた。
『……ちょっと前走っていい?』
ミラーに映っていたリンのビーノが見えなって横からエンジン音がした。
首を向けると、最後尾にいたはずのリンがいつのまにかボクを追い越していった。
ビーノって意外と速いんだなあ。ボクは加速していくビーノのエンジンを聴きながら、そんな場違いなことを考えた。
いきなりどうしたんだろう。もしかしてリン照れてるの?
「って、リンどこ行くのー!」
『ちょっと海見てくる』
「まってよー」
『お、競争だー』
4速から3速。スロットルを回し急加速。
2ストロークのエンジンが唸り、メーターの針がぶるぶると震え、マフラーが白煙の軌跡を描いて走っていく。
昼下がりの南房総。そんなボクたちを太陽が暖かく見守っていた。
それから257号を抜けたボクたちは、410号、128号と国道を渡り南房総を後にした。
鴨川、勝浦……太平洋の水平線を眺めながら、外房総を進んでいく。房総半島はとても広大でバイクで、それも原付で渡るにはそれなりに疲れる距離だ。
バイクによる長時間のツーリングは自分との戦いだ。
絶え間なく身体を圧迫し続ける風圧に耐えつつ、どんどん過ぎ去っていく景色の中から障害物や歩行者、信号などを見分け、適切にバイクを操縦しなければならない。
冷え切った身体。風によって乾いていく喉。振動によって痺れていく腕。こっていく肩、固まった関節。
出発してからすでに10時間以上が経過している。太陽は沈みかけ、冷たく暗い夜が訪れるのも時間の問題。
ちょくちょく休憩は取っているものの疲れはどんどん溜まっていく。なにが言いたいかというと、ボクたちは疲れていた。
『ふたばぁ、あとどんくらい?』
「九十九里入ったからあと60キロくらい」
『リンちゃん、あとちょっとだよ……』
『そ、そうだな……』
普段のリンからは想像できないくらい疲れ切った声。
走行距離が200キロを超えるまではまだ二人とも余裕があった。けど、250キロを超えたあたりから口数が少なくなり、今ではこのありさまだ。
ちょっと休憩したほうがいいかな。バイクから降りて、椅子に腰掛けて暖かいものを飲んでちょっと休めばまた少しは疲れも取れるに違いない。
「二人とも、ちょっと海見に行こう?」
だからボクはそう言った。
「白里海岸、九十九里有料道路……」
道路の標識にしたがってハンドルを右に切る。バイパスの下に作られた小さなトンネルをくぐり抜けると、砂塗れの駐車場に出た。
積もった砂にタイヤを取られないように気をつけながら適当なところにビーちゃんを停めてエンジンを切る。
風の音に混じって聞こえていたやかましい音がなくなって辺りが少しだけ暗くなった。たぶん、ヘッドライトが消えたからだろう。
歩く。歩く。3人で歩く。
ブーツの靴底に感じるアスファルトの感触が、砂の捉えどころのない感触に変わった時、ボクたちは歩みをその止めた。
砂と海。
頭の中によぎったのは、その二文字だった。それしか思い浮かばなかった。
ただ、砂と海がどこまでも続いていた。
他に言いようがなかった。だって、ボクたちの目に映る世界は、その二つしか存在しなかったからだ。
「……すご」
誰かがつぶやいた。たぶん、リンだと思う。
西の空は燃えるように赤く、東の空は凍えるように暗く、流れる雲は鮮やかなサーモンピンクに染まり、ただボクたちの頭上を流れていく。
押し寄せた波が砂浜を濡らし、鏡のように空を映し出す。
誰もいない。ボクたちしかいない。圧倒的な静けさ。まるでべつの世界に来てしまったかのような、そんな気がした。
初めて月に降り立った宇宙飛行士も、きっとボクと同じようなことを考えたに違いない。
「綺麗……」
誰かが言った。たぶん、綾乃だと思う。
風と波。静かな世界に、二つの音がこだまする。ボクたちは、なにも言わずただその音に耳を傾けた。
「リンちゃん、髪ボサボサ……」
「……そっちもな」
ふと視線を感じて首を向ける。リンと綾乃がボクをじっと見ていた。
「爆発してやがる……」
「しやがってるね」
おもむろに自分の髪に手を伸ばす。案の定すごいことになっていた。
「あっ、ほんとだ」
……
…………
………………
「「「ふふふ……」」」
3人で笑う。
おかしいってわけでもないし、滑稽ってわけでもない。バイクに乗ってればだいたいみんなこんな髪になる。
でも、それが楽しかった。砂と海の世界に、ボクたちの笑い声が吸い込まれていく。
「あーあ、おもしろかった。なんか笑ったらお腹空いてきちゃったね」
「ここでご飯にする? 双葉は?」
ボクは返事をしようとした。けど、ボクが口を開く前にぐぅっという変な音がした。お腹の音だった。
二人はまた笑った。返事は必要なかった。