【完結】ザコの旅   作:クリス

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前話の二人の出発時間を修正。


23話 伊豆オレンヂセンター 河津の桜まんじゅう 15個 1,400円(税込)
23-1


 

 

 

 

 

 目を開く。たぶん朝だ。なんとなくそんな気がする。

 

 自慢じゃないけど寝起きはかなりいいほうだ。すぐに布団から起き上がり時計を確認。よし時間どおり。

 

「そうだ。リン起こさないと」

 

 電灯の豆電をつけて部屋をちょっと明るくし、ベッドの上に転がっている掛け布団の塊を揺らす。

 

「リン、リン、朝だよ」

 

 何度か揺らすと布団の塊がピクっと反応した。あと少しだな。

 

「リーン、おーい」

 

 揺らしながら声をかけると布団がモソモソと動いて、のそのそとリンが出てきた。

 

「ぇ、もぅあさぁ?」

 

 寝ぼけているのか、見当違いな方向に話しかけるリン。まだ眠いのかな?

 

「ふたばぁ、いまなんじ?」

 

「3時半だよ。そろそろ準備しよっか」

 

「んーわかったぁ」

 

 寝起きのリンの引っ張って一階の洗面所に向かう。

 

「ねむい……」

 

「ボクもちょっと眠いや」

 

 二人してあくび。まあ朝の山梨をひとっ走りすれば眠気も吹き飛ぶだろう。

 

「なでしこちゃんと寝れてるかなあ」

 

 テンション上がりすぎて寝れてないとかありそう。まあボクたち以外は車だし、眠くても平気か。

 

 そんなことを考えながら洗面所に入って朝の支度を済ませていく。

 

「ふあば、はぶらしとってー」

 

 と、相変わらず寝起き全開なリン。ボクといるときはいつもこんな感じだ。もう出発なんだから少しはしゃんとしてほしいんだけどな。

 

「しょうがないなあ」

 

 けど文句を言いつつも、なんだかんだいって面倒を見てしまうのもまた事実。こんなんだからリンも余計に甘えてくるんだろうなあ。

 

 こうして、朝のひと時は過ぎていく。出発のときは近い。

 

 

 

 

 

「リン、準備いい?」

 

「オッケーだよ」

 

 ジャケットのジッパーを襟元まで上げて空気が入らないようにする。

 

 荷物のほうは昨日のうちにビーちゃんに積んでおいた。あとは出発するだけだ。

 

「もう行く?」

 

「だね、行こっか」

 

 ヘルメットを取って部屋を出る。あまり音を立てないように階段を降りて玄関に向かう。

 

「下田までどうやっていく?」

 

「139号から行こうと思う。こっちのほうが車少ないし」

 

「今日は混むだろうしね。わかった」

 

 ちょっとした算段を立てながら玄関でブーツに履き替える。

 

「あれ……」

 

「どうしたの?」

 

「おじいちゃんのブーツなくなってる」

 

 言われてみればたしかに新城さんのブーツが見当たらない。昨日はあったはずなんだけどな。

 

「もしかして帰っちゃったのかな?」

 

「だとしても早すぎるだろ」

 

「よくわかんないけど、とりあえずでよっか」

 

「それもそうだな」

 

 靴を履きおえリンがドアの取手に手をかける。

 

「あ、そうだ」

 

 リンがくるりと振り返り、行ってきますと、ひと言つぶやいた。ボクも真似して行ってきますと言う。

 

「ま、寝てるだろうけど」

 

 けど、言わないと気がすまない。きっとそんなところだろう。

 

「案外陰で見てるかもよ」

 

「そうかな?」

 

「そういうもんだよ。お母さんって」

 

 そんな話をしながら玄関の外に出る。粘り気のあるひんやりとした空気がボクたちを包み込んだ。

 

「「さむっ」」

 

 腕を抱き寄せて震える。わかっていたけどやっぱり寒い。ヘルメットを被れば少しはマシになるんだろうか。

 

「来たか」

 

 ふと声がした。ボクたちははっとなって声のほうに顔を向けた。

 

「二人とも、よかったら途中まで一緒に走らないか?」

 

 そう言って、新城さんはニヤリと笑った。かたわらのトライアンフがシルバーのタンクを輝かせていた。

 

 

 

 

 

 キーを回す。コックを捻る。息をはく。白く濁る。

 

 燃料がエンジンに行き渡るまできっかり30秒待機。

 

 手袋越しに空気の冷たさを感じながら、ハンドルに手をかけてチョークレバーを左に引く。

 

 折り畳まれていたキックペダルを足で出して小刻みに踏み、踏み応えのある位置で止める。

 

 そして蹴る。

 

 ゴスっと音がしてピストンが空気を圧縮する。けどエンジンはかからない。

 

 もう一度。同じくエンジンはかからない。ペダル越しにピストンが回る感覚がするばかり。

 

「大丈夫?」

 

 ヘルメットを被ってすっかり準備を終えたリンが、白い息をはきながら心配そうに聞いてきた。

 

「大丈夫、いつものことだから」

 

 そろそろかかるころだろう。さらにペダルを蹴り飛ばす。

 

 ゆっくりと振動しながら回っていくエンジン。今までとは違う、明確な手応え。すかさずチョークを戻しながらスロットルを回す。

 

 エンジンが唸る。青白い煙を吐きながらブルブルと唸る。アクセルを煽ってガソリンを追加してやれば、エンジンが元気よく応えてくれた。

 

「あとはシリンダーがあったまるまでまってっと……」

 

 エンストしないようにしっかり暖めておこう。寒いからちょっと時間がかかりそうだ。4ストだったらそこまで気にしなくていいんだけどな。

 

 右手の手袋を脱いでシリンダーに手をかざす。まだまだ冷たいな。

 

「なんか、大変なんだね」

 

「適当にやると拗ねてちゃんと動いてくれないんだよね。もう半分生き物だと思ってやってるよ」

 

 高度に電子化された今のバイクと違って、ビーちゃんはデジタル的なパーツはほぼ使われていない。

 

 電子的な部品はせいぜいCDIの制御に使うトランジスタくらいだろう。それ以外は全てアナログ。エンジンをかけるだけでも気温や湿度、気圧などを考慮しないといけない。

 

 これでも、点火の間隔すら手動で操作しなきゃいけない戦前のバイクとかに比べたら楽なほうなんだけどね。

 

「大変なんだな。ビーノならスイッチ一つでできるのに」

 

「こういうのが楽しいのさ。だろう? 双葉さん」

 

 トライアンフの横でボクを待ってくれている新城さんがニヤリと笑った。さすが昭和世代、よくわかってる。

 

「はい! やっぱバイクはこうでなくっちゃですね」

 

「ふぅーん……」

 

 ボクと新城さんのバイク談義に今ひとつついていけてない様子のリンが、ちょっとつまらなそうに相槌を打つ。

 

「リンも乗ってみればわかるさ。古いバイクってのも味があっていいもんだぞ。手間はかかるがな」

 

「ですね。プラグ被ったりしたらほんと地獄だし」

 

 おかげでプラグレンチまで積まないといけないから面倒極まりない。

 

「にしても、もっとゆっくりしていけばよかったのに。お母さんだってそっちのほうが喜ぶでしょ」

 

 ビーちゃんのエンジンを暖めている間、リンが新城さんにそんなことを聞いた。ちょうどボクも同じことを思っていた。

 

「届けるもんは届けたんだ。あまり長居してもしかたないだろう。それにだ」

 

 新城さんがリンの顔を見る。そして微笑む。

 

「たまにはおじいちゃんにもいい思いをさせてくれ」 

 

 どんなに渋くてかっこよくても、本質は孫が大好きなどこにでもいる普通の人ってことなんだろう。

 

 ほんといいおじいちゃんだよなあ。ボクも歳をとったらあんな風になりたいなあ。

 

「……わかった」

 

「すまんな。わがままに付き合わせてしまって」

 

 新城さんのひと言に、リンは少し考えるような素振りを見せたあと、やがてにっこりと笑った。そんなリンに、新城さんはそれはそれは嬉しそうに笑うのであった。

 

「そろそろ行こうか。双葉さん、エンジンのほうはどうだい?」

 

「もう大丈夫だと思います」

 

 シリンダーに手をかざす。さっきとは違ってほんのり暖かい。このくらいでいいか。あとは走っていけば自然と暖まっていくはず。

 

 走れるようになったので手で二人に合図。

 

「なら行こう。リン、双葉さん、ついてきてくれ」

 

 ヘルメットのバイザーを下ろし、バイクに跨る新城さん。

 

 ほどなくしてトライアンフのエンジンに火が入り、ボクやリンの原付とは比べ物にならないくらい力強いエンジン音があたりに鳴り響く。

 

 後を追うようにリンがビーノのエンジンに点火して、トコトコと小さな音が鳴った。

 

 暗がりの山道に鳴り響く3台のエンジン音。もういつでも走り出せる。

 

 トライアンフがウィンカーを焚き、ビーノとビーちゃんがウィンカーを鳴らす。

 

 あとは新城さんが走り出すのを待つばかり。ボクはふと視線を感じて玄関のほうを見た。

 

 ドアの隙間から、咲さんがボクたちを見守るように見ていた。リンも新城さんも気づいてないみたいだ。

 

 こっそり手を振ると、咲さんもこっそり手を振りかえしてくれた。

 

 出発の時間だ。

 

 走り出すトライアンフ。テールランプの赤いLEDを追いかけて、ビーノがゆっくりと走り出す。

 

 クラッチを握り、ギアを上げてスロットルを回す。エンジンが唸る。クラッチを離す。

 

 走る。

 

 顔にまとわりつく冷たい風。だけど、ボクは不思議とその風が暖かく感じた。

 

『もうすぐ春だね』

 

 前を走るビーノから、そんな声が聞こえた。

 

「……だね」

 

 3月の頭の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 駿河湾を眺めながら、海沿いの414号線を二人で走る。

 

 朝の西伊豆は、東伊豆のほうと違って比較的車のとおりが少なく心なしかゆったりとした気持ちで走ることができた。

 

 朝の潮風を浴びつつ複雑に入り組んだ湾を横目にひた走っていく。

 

「リーン、スクリーンどう?」

 

『めっちゃいいー!』

 

 前を走るビーノから嬉しそうな声が聞こえる。新城さんからもらったスクリーンはその性能を遺憾なく発揮しているみたいだ。

 

『双葉、右』

 

 本栖と書かれた白いナンバープレートを追いかけて小さな橋を渡っていると不意にリンが右を指差した。

 

 脇見にならないように気をつけながら右に意識を向けてみる。

 

 

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「あ、富士山だ……」

 

 建物の向こう。雲一つない青空の下でこんもりと雪を被った青白い富士山が、ボクたちを見守るようにたたずんでいた。

 

『山梨で見るのとまた違う感じだな、富士山』

 

「そうだね。あっちの富士山も綺麗だけど、こっちの富士山も好きだなー」

 

『わかる』

 

 冬は空気が澄んでいるから、富士山も綺麗に見えるんだろうか。この前来た時よりもずっと綺麗に見える。

 

 きっと写真で撮ってもこの素晴らしさは残せないんだろうなあ。

 

 風を浴びながら、潮の匂いをかぎながらスロットルを回す。まるで自分が風と一つになったような一体感。

 

 車や電車では絶対に味わえない、バイクに乗っている時だけのご褒美だ。

 

「晴れてよかったね」

 

『うん!』

 

 スピーカーから聞こえるリンの声も心なしかうわずっている。でも、そんなの当たり前だ。

 

 知らない景色、知らない道、知らない匂い。

 

 目に次つぎと飛び込んでくる未知が、心と身体を否応なしに踊らせていく。

 

 この先にはなにがあるのか、どんなものが待っているのか。それを考えるだけで、身体が勝手に進んでいく。

 

 それが旅をするってことなのだ。

 

「たしか行きたいところあるって言ってたよね? なんだっけ? 迫真樹林?」

 

 走りながら次の目的地をたずねる。

 

『ビャクシン樹林だから。なんだよ迫真樹林って』

 

「さぁ? 森の木がめっちゃ荒ぶってるんじゃない?」

 

『てきとー言うな』

 

 と、この時点ではただの冗談のつもりだったボクたちだけど……

 

「ほんとに荒ぶってやがる……」

 

「荒ぶってるね……」

 

 目の前の幹がねじれにねじれて見事に荒ぶっている木々を二人で眺める。

 

 身延から3時間と少し。距離にしておよそ90キロ。静岡県沼津市大瀬崎、ビャクシン樹林。 

 

 荒ぶる自然を眺めながら、ボクたちは伊豆の旅の第一歩を踏み出していた。

 

「とりあえず写真撮っとく?」

 

「うん」

 

 とくに段取りしたわけでもなく、自然と肩を寄せ合ってツーショット。

 

「……今回はちゃんと撮れてるな」

 

「九十九里で撮った時ひどかったもんねー ボクたちもちょっとは上手くなったんじゃない?」

 

「かもな」

 

「うん、かもかも」

 

 それから写真の出来栄えに満足したボクたちは、払った拝観料100円(税込)を無駄にしないためにもビャクシン樹林を歩き回ることにした。

 

 空から見るとまるでドーナツのように真ん中に大きな池(神池というらしい)がある大瀬崎。その池を取り囲むように広がった樹林の中を二人で歩いていく。

 

「朝だから人が少なくていいねー」

 

「うん。早めに出といて正解だった」

 

 山梨じゃまず見ることができない光景に二人で感嘆の声をあげる。

 

 千明曰く、伊豆のこういう場所はジオスポットと呼ばれていて、伊豆の各地にそれこそ数えきれないほどあるらしい。

 

「前に行った時はこんなところがあるなんて知らなかったなー」

 

「前はどうやって行ったんだっけ?」

 

「沼津入ってずーっと海沿い走って熱海から帰っただけ」

 

「で、帰りに捕まったと」

 

「だからー! あれ捕まってないって何回言ったらわかるんだよー!」

 

「はいはい」

 

 太陽を浴びてキラキラと輝く神池を眺めながらボクたちは歩く。 伊豆の旅はまだ始まったばかりだ。

 

「リンは知らなかった……自分がこのあと大変な目にあうということに──」

 

「変なナレーション入れるのやめろし」

 

「ふひひ」

 

 

 

 

 

 

『ふっ、ちょろい峠だぜ……』

 

 そう言いながら、リンがリーンアウトで大きくビーノをバンクさせ、最小限の減速でコーナーを曲がっていく。

 

 大瀬崎を後にしたボクとリンは、みんなとの合流地点である下田を目指して、国道17号を走っていた。

 

 勾配の激しい伊豆の地形に沿って敷かれた17号はあまりよろしくない路面状況も合わさってなかなかスリリングだ。

 

 急な上り坂に下り坂、S字やヘヤピンが続く峠道を二人で走っていく。

 

 下り、見通しのきかない急な左。バイク乗りにとって一番危ないコーナー

 

 ビーノの減速に合わせてアクセルオフ。リアブレーキをかけつつ荷重を抜いてリーンアウト。

 

 バンクさせつつスロットルを回してトラクションをかけ、コーナーを切り抜ける。

 

「リン、だいぶ上手くなったんじゃない?」

 

 前を走るリンの腕前に感心する。

 

 スクーター特有の重心の高さとホイールベースの短さを逆手にとったコーナリング。ボクがビーノに乗ったとしても、あそこまで上手く操ることはできないだろう。

 

『なんだろう。どうすればこいつが曲がってくれるのか、なんとなくわかってきたんだ』

 

「そっかー」

 

『たぶんどっかの誰かにさんざん連れ回されたからだろうな』

 

「誰だろうねー」

 

『双葉しかいないだろ』

 

 うん、知ってる。

 

 荒れた道も峠もなんのその。話ながら進んでいくボクたち。

 

 しばらくすると展望台らしき場所が見えてきたので少しだけ寄ってみることにした。

 

「船多いな……」

 

 眼下に広がる景色を前に、リンがひと言。

 

 ボクたちの視界の先には、さっき行った大瀬崎と同じように、湾を囲むように岬が広がっていて、囲われた湾の中にたくさんの船がぷかぷかと浮かんでいた。

 

 目を凝らしてみると、岬の内側はちょっとした公園のようになっているのがわかった。

 

 形は大瀬崎とそっくりだけど、中は全然違うみたいだ。ちょっと気になるな。

 

「たしかあそこって御浜岬だったよね。まだ時間あるし、ちょっと寄ってみる?」

 

「うん。せっかく伊豆来たんだし、行けるだけ行ってみようよ」

 

「だね。行こっか」

 

 そう言って、それぞれのバイクに戻るボクたち。

 

 ボクがいつものようにキックペダルを蹴り飛ばし、リンもいつものようにセルスイッチを押す。4ストと 2ストのエンジンが唸り、マフラーが煙を吐く。

 

 走り出す。東の空に浮かんだ太陽はまだまだ低く、朝の風は冷たくも気持ちがよかった。

 

 

 

 

 

「とーちゃーく、っと」

 

 松林を通り抜け、岬にそって広がる堤防を左に進む。小さな上り坂を登ると、大きな駐車場にたどり着いた。

 

「おぉ……」

 

 そして、目の前に広がる景色に目を奪われた。

 

 海、果てしなく続く海。荒々しい冬の波が崖下の岩礁に打ち付けられてザブンザブンと音を立てる。

 

 右を見れば富士山が岬を見下ろすようにそびえ立つ。

 

「いいなーここ」

 

 スマホを出して目の前の景色をパシャリ。あとでなでしこたちに送ろっと。そうだ。

 

「リンー」

 

「ん?」

 

 ちょうどヘルメットを脱ぎ終わったばかりのリンにスマホを向ける。ふっと笑ってボクにピースしてくれたリンを写真に収める。

 

 うん。いい写真。

 

「どうせだし、ここでちょっとコーヒーでも飲んでかない?」

 

「まあいいけど……そんな余裕そうにしてて平気なの?」

 

 なでしこたちとは11時に合流する予定だ。まだ8時前とはいえ、リンの言うことももっともだった。

 

「平気平気、いざとなったら飛ばすから」

 

 と言ったところでリンの顔が険しくなる。やっぱりオカンだな。

 

「ってのはもちろん嘘だけど……リン、けっこう眠いでしょ?」

 

「えっ……なんでわかったの?」

 

 びっくりしたように目を開くリン。どうやら隠してるつもりだったみたいだ。

 

「だって朝からずっと眠そうだったじゃん。あ、もしかして興奮して眠れなかった?」

 

 ニヤニヤしながら聞くと、恥ずかしそうに目を背けた。図星だったみたいだ。

 

「べつに、そういうわけじゃないけど……ていうか! そ、そっちだって何回か起きてただろ」

 

「ソ、ソンナコトナイヨー」

 

 朝かなって思ってスマホつけてみたらまだ1時間しか経ってなかったなんてことは一切ない。

 

 ないったらないのだ。

 

「図星かよ」

 

「はい」

 

 図星はボクでした。だって楽しみだったんだもん……

 

 あれ? ボクが起きてること知ってるってことはやっぱりリンも起きてたんじゃないか。

 

「な、なに?」

 

「ふふっ、べっつにー」

 

 リンも子供っぽいところあるんだなと思っただけだ。

 

「この先も長いんだし、甘いコーヒーでも飲んで休憩しようよ」

 

「それもそっか。じゃ、お願い」

 

「はーい」

 

 こうして、伊豆の岬でちょっとしたコーヒーブレイクが始まった。

 

 

 

 

 

 コンクリのベンチに腰掛け、テーブルの上に置いたコッヘルに極細に挽いた豆を投入する。

 

「あれ? いつものと違うんだ」

 

 いつもと全く違う淹れ方にリンが不思議がる。普段ならドリッパーとフィルターを用意するところから始めるから、リンが不思議がるのも無理はなかった。

 

「うん。ずっと同じだと飽きちゃうでしょ? たまにはこういうのもいいかなって」

 

「……べつにそんなことないけど」

 

「ありがと。で、同じくらいの砂糖を入れるっと」

 

 コツはちょっと多めに入れることらしい。

 

「え、まさかこのまま煮るの?」

 

 驚くリンにうなずいて、いつものより少なめの水を注ぎ、バーナーの火にかける。五徳の隙間から漏れた青白い火がごうごうと風に揺れる。

 

「それにしても、なんか不思議な景色だな」

 

「たしかにね」

 

 コーヒーを火にかけている間、ボクとリンは目の前に広がる不思議な光景に目をやった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「湖っぽいのに漁船浮かんでるし砂浜もあるし、変な感じ」

 

 ボクの言葉にリンがうなずく。

 

 目の前の、湖にしか見えない内湾にはたくさんの漁船が浮かんでいて、すぐそばの向こう岸の町と合わさって、なんだかイタリアの地中海のような印象だ。

 

 ボクたちは、そんな湾を囲うように伸びる岬の内側にある砂浜にいた。

 

「ここ海水浴場らしいよ。さっき看板に書いてあった」

 

「駐車場大きかったし、夏になると人がいっぱいくるのかな?」

 

 そんなことを話していると、コーヒーが煮立ってきた。水と一緒に煮出しているから、いつものコーヒーとは違って匂いが濃い。

 

「さっきから思ってたけど、それどういう淹れ方なの?」

 

「ターキッシュって言ってね、トルコのコーヒーの淹れ方なんだ。もうすぐおもしろいのが見れるよ」

 

 コーヒーの混ざった黒い水が、まるで茶色いマグマのようにふつふつと揺らぐ。揺らぎは大きくなり、やがて無数の泡となってコッヘルをもこもこと上りはじめた。

 

「あ、溢れそう」

 

「大丈夫大丈夫。泡が上がってきたら火から離してっと」

 

 コッヘルを火から遠ざける。みるみるうちに下がっていく泡。下がりきったのを確認し、また火に近づける。

 

 しばらくすると、また同じように泡がモコモコしてきたので、同じように火から離す。

 

「なんで何回も沸騰させてんの?」

 

「こうすると粉が下に行って飲みやすくなるんだって。あと、口当たりがなめらかになるみたい」

 

「ふーん……こういう淹れ方もあるんだなコーヒーって」

 

「いっぱいあるよー サイフォンとか、パーコレーターとか、ネルとか」

 

「なに言ってるか全然わからん……」

 

「知らない人にとってはそんなもんだろうねー パーコレーターなんか一度にたくさん淹れられるし、粉入れて焚き火にくべるだけでいいから、キャンプで使う人も多いみたいだよ」

 

「へぇ……今度調べてみるか」

 

「リンももしかして気になる?」

 

「うん。ひと通りご飯とか作れるようになったし、そろそろキャンプでべつのことしてみようかなって。また今度教えてよ」

 

「うん! あ、もういいかな」

 

 カップにできあがったコーヒーを注いでいく。いつものと違って透明感のないドロドロしたコーヒー。砂糖とコーヒーの混じった香りが鼻をくすぐる。

 

「ありがと、いただき──」

 

「あっ、リン! ストッ」

 

 プっと言おうとしたところでリンが噴き出した。それはもう見事に吹き出した。

 

 しまった。遅かった。

 

「な、なんだこれ!?」

 

 目を白黒させて驚くリン。それもそうだろう。なにせ粉を直接飲んだに等しいからだ。

 

「ごめんねリン。ターキッシュはカップに注いだばかりだと粉っぽくておいしくないんだ。先に言っとくべきだったね」

 

 持っていたポケットティッシュを手渡しながら謝る。

 

「そ、そうなんだ」

 

「だから、トルコの人たちは粉が沈むまでお話しながら待つんだって」

 

「へぇ……」

 

「ま、今は景色でも見よっか」

 

「だな……」

 

 黙って湖のような海に浮かぶ船を眺める。

 

「思ったけど船沖に浮かんでるよね」

 

 ふと思った疑問を口にする。

 

「うん」

 

「あれってどうやって乗るんだろ」

 

「さあ、泳ぐじゃんないの?」

 

「めっちゃ寒そう……」

 

 この時期に乗ろうとしたら、死を覚悟しないといけなさそうだ。まあ、本当はボートで乗るんだろうけど。

 

「もういいかな?」

 

 くだらない話をしているうちに時間がたった。もう粉も沈んでいることだろう。

 

「うん、いいと思う」

 

「じゃ、いただきます……」

 

 リンがコーヒーに口をつける。すると頬にふっと色がさした。

 

「なんだこれ、不思議な味……」

 

「でしょ? じゃボクもっと」

 

 コーヒーをすする。水っぽさを感じないクリームのようなドロドロした喉ごし。砂糖とコーヒー豆を一緒に煮たことによって生み出される炭のような独特の風味。

 

「……うまい」

 

「うんうん」

 

 ひと口、またひと口とすすっていくボクたち。もともと少なめに淹れているだけあって、あっという間に飲み切ってしまった。

 

「これ、残ったやつは飲めないんだよね?」

 

「うん、トルコだと残った粉をソーサーにひっくり返してコーヒー占いとかするらしいけど」

 

「あ、それ映画で聞いたことあるやつだ。ふーん、コーヒー占いってそうやるんだ」

 

 主人公の父親が意外と鬼畜だったり、ラスボスが無理やりお辞儀をさせようとしてくる魔法学校の話かな。

 

「あれって何作目だっけ?」

 

「たしか……あれ、なんだっけ? 主人公がいきなり大きくなってびっくりしたやつ」

 

「えっと……3作目じゃなかったっけ? 時間巻き戻したりめっちゃ怖い幽霊出てくるやつ」

 

「あ、それだ。たしかにあれめっちゃ怖かったよな」

 

「ボク初めてあれ見たとき夢に出てきたよ。怖すぎでしょあれ」

 

「めっちゃわかるわ」

 

 なでしことか今でもダメそうだな。今度試しに一緒に見てみようかな。いや、やめとこ。どうせ自爆するだろうし。

 

 ピコン! ボクとリンのスマホが同時に鳴る。

 

「あ、恵那からだ。伊豆入ったんだ」

 

「やっぱ寝てやがったな、なでしこのやつ」

 

 恵那から送られてきたラインには、伊豆に入ったというメッセージと、爆睡するなでしこ(アプリで落書きされまくっている)が添付されていた。

 

「ボクたちもそろそろ行こっか」

 

「だな。休んでばっかもいられないし」

 

 立ち上がる。今から出発すれば、ちょうどいい時間に着けるだろう。

 

「さーて、あと60キロ。走るぞー!」

 

「おー」

 

 二人で同時に天に拳を突き立てる。

 

 伊豆、御浜岬。風に揺られて松ぼっくりがコロコロと砂浜を転がっていった。




用語解説

CDI
キャパシター・ディスチャージド・イグニッションの略。エンジンの点火装置の一種。現在はあまり使われていない。円盤状に並べたコイルを回転させて生み出した電力でプラグをスパークさせる。主人公がしょっちゅう蹴っているキックスターターはこいつを回転させるためのパーツ。

パーコレーター
19世紀に考案されたコーヒー抽出器具。中に漏斗を逆さまにしたような管のついた籠が入っており、火にかけると蒸気圧によってお湯が管を上り、籠にセットした豆に浸ることでコーヒーを抽出する。西部開拓史時代のアメリカでよく使われた。常時沸騰させるのでよくも悪くもアメリカンな大味。

ターキッシュコーヒー
トルコなどの中近東で広く普及しているコーヒー。極細に挽いた豆を同量の砂糖と少量のお湯で煮込むことで抽出する。熱した砂の上で鍋を温める光景が有名。

ネル
ペーターフィルターが普及する以前に広く使われていたコーヒーの抽出方法。文字通りネル(綿)の布をフィルターとして使う。ペーパーフィルターよりも滑らかな味わいになるが、水につけて保管しないといけなかったり(要交換)定期的な煮沸が必要と管理がかなり面倒。

魔法学校の話
おじぎをするのだ!
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