【完結】ザコの旅   作:クリス

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ようやく8巻終わり


24話 モンベル クルピカ55 3,080円(税込)
24-1


 

 

 

 

 

 爪木崎をたち東伊豆道路をひた走ること約20キロ。

 

 小学校と住宅地に挟まれた道路の隅にある、細野高原と小さく表記された標識のある小道にボクたちは入っていった。

 

『ここから先はかなり急な登り坂なので気をつけてくださいね』

 

「わかりましたー!」

 

『こうして我々は、前人未踏の地を目指して、伊豆の奥地へと足を進めるのであった……』

 

 千明がわけのわからないことを言う。当然今からいく場所は前人未踏でもなんでもない。

 

『変なナレーション付け足すのやめいや』

 

『この道の先に、いったいなにが待ち構えているというのでしょうか……』

 

『しょうかー!』

 

「ふふっ……」

 

 そんな様子の車組に笑いつつみんなで家々に挟まれた登り坂を走っていく。

 

 坂を登っていくと、足元のエンジンの勢いが弱まってきた。3速じゃそろそろ限界らしい。

 

 スロットルを離しクラッチを握り、踵でシフトペダルを蹴る。ガッコンとギアが2速に変わる。

 

 クラッチを戻しながらアクセルを開くと、さっきよりも元気な音が足元から聞こえてきた。

 

 F5Bエンジンが、ボクの体重と84キロの車体を進ませるために猛烈な勢いで回っていく。

 

 けど、どれだけスロットルを回しても、スピードメーターは40キロを行ったりきたり。実際には30キロ前後しかでてないだろう。

 

『おねーちゃんのバイク煙すごいことになっとるで!』

 

 リアウィンド越しにボクを見ていたあかりが、声を荒げて聞いてきた。

 

 振り向いてたしかめてみると、マフラーからまるで飛行機雲のような白煙が何メートルも伸びていた。

 

『あ、ほんとだ。大丈夫?』

 

「あ、気にしないで。もともとこういうバイクだから」

 

 心配そうに聞いてくる恵那に大丈夫だと伝える。

 

『ほんと、いつ見ても煙の量すごいよな』

 

「 2ストだからねー」

 

 むしろこれがいい。

 

 やかましいエンジンサウンド、立ち込める白煙、オイルの焦げた甘い匂い。電子制御マシマシの今のバイクにはない、魂に訴えかけてくるような魅力がたまらない。

 

 って言ってもボク新しいバイク乗ったの教習のときだけだけど。いつかビーノ試しに乗らせてもらおうかな。

 

「そういえば、昔はビーノも2ストだったみたいだよ」

 

『へぇ、そうなんだ』

 

「改造なしで80キロでるんだってさ」

 

『おっかなすぎる……』

 

 90年代の原付は下手なバイクよりも速いのがたくさんあったらしい。

 

 かくいうビーちゃんも、もとはFS1っていうスポーツバイクのエンジンを流用して作られたバイクだから、カスタム次第では80キロくらい出るポテンシャルはあるみたいだ。

 

 なんでも50ccのくせに9000回転、90キロはでたそうな。昔の人たちは原付になにを求めてたんだろうか。

 

『そういや恵那、この前原付買いたいとか言ってたけどなに買うとか決めたの?』

 

 バイクの話で思い出したらしいリンが、恵那にそんなことをたずねた。ボクは出発の少し前に図書室で恵那と話したことを思い出した。

 

『うーん、それがちょっと悩んでるんだよねえ。リンみたいにスクーターにしてもいいんだけど、双葉の話聞いてるとマニュアルでもいいかなーって』

 

 マニュアルだとやっぱりカブあたりだろうか。いや、Jazzとかマグナかもしれない。

 

 まさかNS-1とかRZ50ってことは……なわけないか。誰が好き好んでちょっと改造するだけで100キロでるような原付に乗るんだろう。

 

『えっ!? 恵那ちゃん免許取ったの!?』

 

『あ、そういえばみんなには言ってなかったっけ。じゃじゃーん取っちゃいましたー』

 

『うぉー! すげぇ!!」

 

『恵那ちゃんかっこいい!』

 

『ふふ、ただの原付だろ』

 

 楽しそうに騒ぐ車組に、リンも楽しそうに笑う。

 

「リン。いつかさ、みんなでツーリングとか行けたらいいね」

 

 綾乃となでしこ、ボクとリン、そして恵那。千明とあおいは鳥羽先生と車かな? もしかしたらあかりもいるかもしれない。

 

 みんなで行ったらきっと楽しいに違いない。

 

『……うん。行きたいね』

 

 噛み締めるようにリンがつぶやく。でも、それはまだ先のこと。でも、きっとそう遠くないうちに実現することだろう。

 

 

 

 

 

 水分をたっぷりと含んだ冷たい空気がボクの顔にまとわりつく。

 

 見上げれば首が痛くなるだろう杉の木々の中、鼻から息を吸い込むと、ツンとした森の冷気が身体の中を通り抜けていった。

 

「深い森だなあ……」 

 

 細野高原へと続く一本道を走っていく。

 

 登り始めたばかりのころはたくさんの家々が立ち並んでいた登り坂は、いつの間にか杉の木が立ち並ぶ鬱蒼とした森の中の道へと様変わりしていた。

 

 古ぼけてひび割れたアスファルトの上を、泥のついたタイヤがゴロゴロと転がり、サスペンションがキシキシと音を立てる。

 

 エンジンの音と風の音、枝の音。そしてボクの息遣い。しずかで落ち着いた世界。

 

「あ、ソーラーパネルだ」

 

 木々の合間からのぞくたくさんのパネルが、太陽を反射し銀色の光を反射する。

 

『高ボッチでも似たようなのあったよな』

 

「あったねたしか」

 

 思い出話をしながら深い森の中を進んでいく。

 

 バイクといったら峠や海辺が定番だけど、こういう山道を走るのも悪くない。

 

 ビーちゃんなら少しくらいの不整地なら走れるし、今度林道でも走りに行ってみようかな。

 

『二人とも、そろそろみたいだよ』

 

『うぃー』

 

「はーい」

 

 恵那の言葉に返事をしつつ、ツリーハウスのコテージが特徴的なキャンプ場を右折。

 

 右手に広がる車が何十台も停まれそうな大きな駐車場を通り過ぎ走っていく。

 

 たぶん、そろそろだろうな。そう思ったそのときだった。

 

 視界が晴れ、太陽の日差しが目を覆い尽くす。

 

 視界の左右を遮っていた杉のトンネル。そのトンネルを抜けた先に待っていたのはなにもない丘だった。

 

 枯草の丘の向こうに広がるこんもりとした形の山々。

 

 枯れ草色の絨毯を山の上から覆いかぶせたかのようななだらかな山肌が山頂のほうまで続き、白い風力発電機がまるでまち針のように稜線に何本も突き刺さっていた。

 

「すご……」

 

 目の前に広がる光景に、息をするのも忘れて見入る。なでしこの楽しげに驚く声が耳元で響いていた。

 

『これ、頂上までどうするんだ』

 

 と、リンがひと言。言われてみればたしかに、風力発電機が設置された山頂までは目視でもかなりの距離がある。歩いていくのかな? 

 

 そんなことを考えていると、車の窓が空いてなでしこが顔を出してボクたちを見てきた。

 

「二人ともー、先生が車で上まで行けるってー」

 

 どうやら上までバイクで行けるみたいだ。なんだ、てっきり歩いていくのかと思った。

 

「狭くて急らしいから気をつけてねー」

 

「「はーい」」

 

 たぶん、ここまで来るのに通ってきた道よりも何倍も険しいはずだ。

 

 青いタンクをポンポンと叩く。ビーちゃんにはちょっと頑張ってもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 そう、意気込んでいたボクなのだったけど……

 

「一般車両、二輪車の乗り入れはご遠慮ください……」

 

 道の入り口を塞ぐようにしてかけられたチェーンにぶら下がっている案内を読む。

 

「マジか……」

 

 横を見ると、ボクの隣で同じように案内を読んでいたリンがあんぐりと口を開けていた。

 

 細野高原、三筋山の頂点へと続く細い道。山頂のそばまで乗り物で行こうとしていたボクたちだったけど、どうやら聞いてた話とちょっと違うみたいだ。

 

「なんか行けないみたいです。先生」

 

 小走りで入り口の手前で待機している車組のところに行き、案内の内容を伝える。

 

「お、おかしいですね。たしか山頂まで車で行けると聞いてたんですが……」

 

 先生にとっても予想外のことだったらしい。目を白黒させてあたふたしている。

 

「あっ!? 先生! ここちょっと前から車の乗り入れ禁止になっとるみたいです!」

 

 後部座席でスマホで調べていたらしいあおいがげっそりした様子で言った。 

 

「えっ!? ほ、本当ですか犬山さん」

 

「なんやひと月くらい前から景観保護の観点から一般車進入禁止に変わったみたいで」

 

「ま、またですか……」

 

 あおいの言葉にがっくりとハンドルに額を打ちつける鳥羽先生。

 

「しょ、しょうがないっすよ先生。こういうこともありますって」

 

「そ、そうですよ先生。わたしたち全然気にしてないんで」

 

「うぅ……ごめんなさいみなさん」

 

「元気出して先生! 車で行けないならみんなで歩いて登ればいいんですよ!」

 

「ですが、かなり距離が……」

 

 はげますなでしこたちと、この先の道のりを想像して心配する先生。実際頂上まで歩いていくとどれくらいかかるんだろう。

 

「あ、先生。この道2キロくらい行くともう一個駐車場あるみたいですよ」

 

 どうしようかみんなで悩んでいたところ、恵那が嬉しい知らせを持ってきてくれた。

 

「マジか! それならちょっと山登りするだけで行けるじゃねえか。でかしたぞ恵那!」

 

「せっかく来たんだし、ここで帰ったらもったいないよ! ねえみんな!」

 

「せやな! これからキャンプでご馳走食うわけやし、ちょっとくらい身体動したほうがええもんな!」

 

 思いもよらない朗報に、ボクをふくめてみんなが喜びに湧き立つ。

 

「うんうん。身体動かしたほうが温泉も気持ちいだろうしねえ」

 

「そうや! なら上までみんなで競争や!」

 

「明日もあるんだからあんまはしゃぎすぎるなよー」

 

「「「「「はーい!」」」」」

 

 はしゃぐみんなに、ボクの心も湧き立ってくる。こうして野クルの細野高原プチ登山が始まるのであった。

 

 

 

 

 

 だけど、ボクたちは知らなかった。これが地獄の始まりだということに……

 

 

 

 

 

 山頂へと続く道は長く、そして険しかった。言葉にするのならアップ、アップ、アップの連続。

 

 斜度30はありそうな坂と、高原の冷たい風が、ボクたちの体力を容赦なく奪っていく。

 

 はっきり言ってボクたちは山を舐めていた。そして、山はそんな存在を許しはしない。

 

 

 

 

 

「千明ぃぃぃ!!」

 

 まず初めに千明が力尽き……

 

 

 

 

 

「アキィィィ!?」

 

 次に千明が高原にその屍を晒し……

 

 

 

 

 

「アキちゃぁぁん!!」

 

 そしてまた一人、千明が──

 

 

 

 

 

「って! 全部あたしじゃねえか!」

 

「と、かつて千明だった屍が叫んだ。それはまるであの世から千明が──」 

 

「おい! 変なナレーション入れんな! こっちは、まじで、しんどいってのに……」

 

 膝をついて息も絶え絶えな千明。これで何回目だろう。千明がくたばるのは。

 

「ふひひ、ごめん」

 

 千明には悪いけどついおもしろくなってからかってしまった。

 

「だ、大丈夫アキちゃん?」

 

「アキちゃん、またくたばっとるんか?」

 

「アキ、ほんま体力ないなあ」

 

 マンボウ並みに紙耐久の千明に、あおいとあかりが呆れたように肩をすくめる。

 

「いや、お前らなんでそんなピンピンしてんだよ。こっちは死にそうだってのに」

 

「どう考えても調子に乗って開幕ダッシュしてたせいだろ」

 

「うぐっ……」

 

 リンの容赦ないひと言が千明に突き刺さる。

 

 たしかにきつい山道だけど、ちゃんとペースを守っているボクたちは千明ほど疲れていない。一番乗りだぜーとか言ってダッシュした千明の自業自得だ。

 

「くそぅ! バイトで足腰鍛えられたと思ったんだがなあ」

 

「大丈夫? お茶飲む?」

 

 さすがにかわいそうになってきたので持ってきたペットボトルのお茶を差しだす。

 

「す、すまん助かる」

 

 差し出したお茶を飛びつくように受けとるとごくごくと飲みはじめる。よっぽど喉が乾いてたみたいだ。

 

 あ、また全部飲まれた。

 

「アキちゃん! 山頂まであと15分だって! ファイトだよ!」

 

 なでしこが指差す方向には、山頂までの道をしめす看板と、頂上まで続く木組みの階段があった。

 

 ここまでけっこう歩いてきたけど、そろそろ頂上らしい。

 

「くそう! やってやんよー! 野クル部長の意地を見せてやるー!」

 

 叫びながら走っていく(微妙にフラフラしてる)千明を目で追いつつ眼下に広がる絶景に目を向ける。

 

 西に傾きはじめた太陽は山の斜面を黄金色に染め、澄んだ空の下には伊豆の大地がくっきりと浮かび上がり、その先に広がるのは太平洋の大海原。

 

「でもほんと綺麗だよねー」

 

 恵那が言う。

 

「ほんと、諦めて帰んないでよかったよね」

 

「うん。わたしもそう思う」

 

 3人で口々に目の前の景色を讃える。ここに来るまでもいろいろな景色を見てきたけど、ここは格別だ。

 

「へぇ、あんなところに島あるんだ」

 

 恵那が指差すほうに目を向けると、水平線の向こうにいくつかの島陰が飛び出していた。

 

「遠くに見えてるのは伊豆大島ですね。右の小さい島は利島だと思います」

 

「あれって房総半島行ったときに見た島と同じだよな双葉」

 

「みたいだね。それにしても風強いなあ」

 

 こうしている間にもびゅうびゅうと吹き荒ぶ風が耳元を騒がしている。ニットキャップを被り直し風で飛ばないようにする。

 

 けどいつもなら聞こえるはずの雑踏の音や枝の音がなく、風の音しかないせいで目を閉じればまるで空を飛んでいるかのようだ。

 

「ここは太平洋からつねに風が来るので、パラグライダーのスポットとしても人気だそうですよ」

 

「へぇ、楽しそうですね」

 

 パラグライダーかぁ。こんなところから飛んだら絶対楽しいんだろうなあ。怖いだろうけど。

 

「ほんと、綺麗だなあ……」

 

「……だね」

 

 もう何度目になるかわからない二文字をつぶやく。やっぱり、旅って最高だなあ。

 

「リン! 双葉!」

 

 恵那が階段をかけ上がり、ボクたちの前に躍り出る。

 

「来てよかったね!」

 

 そしてにっこりと笑う。ボクたちは、互いに見つめ合ったあと、返事の代わりににっこりと笑った。

 

「せんせー! アキちゃんがまたくたばっとるー」

 

「も、もう動けないずら……」

 

「お、大垣さん? だ、大丈夫ですか!? 大垣さん!? 大垣さん!?」

 

 慌てて走り出す先生に思わず3人であははと笑う。

 

「リン、双葉、わたしたちも行こ?」

 

「じゃあ3人で競争しよ!」

 

「お、負けないぞー リンもほら!」

 

「……ふっ、はいはい」

 

 走り出す先生。そんな先生を追いかけてボクたちは山を駆けていく。

 

 黄金色に染まる細野高原。遠くのほうで白い発電機がブンブンと元気よく回っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

「撮りますよー」

 

 パシャリ。細野高原から眺める伊豆の大地をバックにみんなで写真撮影。

 

 ありがとうございますと、先生にみんなでお礼を言って、ボクは山頂に設置された木の展望台を登った。

 

「三筋山山頂、標高831メートル……」

 

 展望台の看板に白いインクで書かれた標高は意外にも低かった。なんなら山中湖よりも低い。

 

「静かだなあ……」

 

 さっきまで吹いていた風はいつのまにか吹き止み無音に包まれる。聞こえるのは自分の鼓動とみんなの話し声ばかり。

 

 まるで宇宙にでもいるようなちょっと不思議な感じ。こういうところにいると、自分が普段どれだけたくさんの音に包まれているのかよくわかる。

 

「ふぅ、ほんとうに静かですねえ」

 

「あ、先生」

 

 いつのまにか展望台に登ってきた先生が、髪をかきあげながら言った。

 

『リンちゃん、ここ空飛んでるみたいだねー!』

 

『はしゃぎすぎて足滑らすな──』

 

『あぅっ!?』

 

『バカな女だぜ……大丈夫?』

 

『えへへ、ありがと〜』

 

 展望台の少ししたの広場では、こけたなでしこをリンが手で引っ張り起こしていた。

 

 舗装されているとはいえさっきまできつい山道を登ってきたとは思えないはしゃぎっぷりだ。

 

「ふふふ、各務原さんはいつも元気いっぱいですね」

 

「ほんと、見てるこっちも元気になってきますよね」

 

 笛吹公園でキャンプしたときもすごい健脚っぷりだったって聞くし、もし入った部活が野クルじゃなくて登山部だったら、今ごろ一年のエースだったかもしれない。

 

「先生、このあとどうしますか?」

 

「そうですね……少ししたらここをあとにして温泉に行こうと思います」

 

「やった温泉だ!」

 

 温泉という二文字を聞くだけで、どうして心がこんなに踊るんだろうか。やっぱりそれだけ日本人の魂に刻まれているってことなんだろうか。

 

「おそらくあと40キロくらいは走ることになると思いますけど……大丈夫ですか?」

 

 ボクたちが朝からずっと走っていることを心配してくれているんだろう。先生だって疲れてるはずなのにね。

 

 でもこの場において先生の心配はまったくの杞憂でしかない。

 

「あ、はい全然。いつものことなんで」

 

 今日はまだ200キロくらいしか走ってない、バイク乗りにとってはこれからが本番といったところだ。

 

 自分がどこに向かっているのかも、なんのために走っているのかもわかっているうちはまだまだ余裕。 

 

 400キロ超えたあたりから半分記憶喪失みたいになって、最終的にバイクと一体化してからが本番だ。

 

「そ、そうですか……す、すごいんですね……」

 

 先生がなにか理解できないものを見るような目でボクを見る。楽しいのにな、走るの。

 

 やっぱりボクをわかってくれるのは綾乃とリンだけだよ。

 

「双葉ー! 先生ー! こっちで一緒に景色見よー!」

 

「はーい! 行きましょ先生!」

 

 ボクたちを呼ぶ恵那に手を振り返し、先生の手を引っ張って走り出す。 

 

 西の空がかすかにオレンジに染まりはじめ、世界がだんだんとセピア色になっていく。

 

 伊豆での1日が、もうじき終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 右ヘヤピン、アクセルオフ、クラッチ、シフトダウン。

 

 身体の力を抜いて、上半身をコーナーの内側に投げ出す。近づくアスファルト、路面スレスレのリーンイン。

 

 アクセルオン。タイヤのトラクションを感じながらコーナーの出口へと頭を向け続ける。耳元でエンジンの音が喧しくがなりたてる。

 

 ミラーをちらり。右斜め後ろからリーンアウトで追従するビーノ。これくらいなら楽勝ってところかな。

 

『なんやあれ、むっちゃ速いやん』

 

『あいつらってあんなに運転うまかったんだな』

 

『かっこいいよ! 二人とも』

 

 いつの間にか大きく距離を離してしまっていた車組から聞こえてくる驚きの声にちょっと恥ずかしくなる。

 

 けどこれも全て温泉のためなのだ。

 

「先生! 温泉まであとどれくらいですか?」

 

 細野高原をあとにしたボクたちは県道15号線、婆娑羅峠を進んでいた。

 

 木々の立ち並ぶ峠道をフルスロットルで駆け抜けていく。目指す場所はキャンプ場、そして温泉!

 

『あ、あと10キロくらいです』

 

『あとちょっとだな。早く行こ双葉』

 

「りょーかい!」

 

 コーナーの終わりでアクセルを吹かしながらシフトアップ。

 

 加速していく車体。昼間に比べるとずいぶんと冷たくなった風が、身体にあたっては後ろに流れていく。

 

「うーん! やっぱ峠って最高だね!」

 

『調子乗ってハングオンとかすんなよ』

 

「そういうリンもバンクさせすぎて車体擦ったりしないでよ!」

 

『そ、その私この車あんまり乗りなれてないんで、できればもう少しお手柔らかにしていただけると……』

 

 山も峠もなんのその。オレンジ色に染まった空の下、エンジンの音を鳴り響かせ駆け抜けていく。

 

 温泉は目と鼻の先だ。

 

 

 

 

 

「ふぁあ……」

 

 全身を包み込む熱い湯に、思わず変な声が出てしまう。これはもはや極楽としか表現できないよ……

 

「これあかんわぁ……ほんまにあかんわぁ……」

 

「あかんよねぇ……」

 

 あおいとなでしこの溶け切った声がぼんやりとした頭に反響していく。周りを見れば、ほかのみんなもだいたい同じような顔をしていた。

 

 湯気の向こうに広がる大海原と今まさに沈もうとしている真っ赤な夕陽を眺める。

 

「絶景ですねえ……」

 

「ですねぇ……」

 

「っすねえ……」

 

 先生と恵那と千明のお湯にふやけたような声。みんなけっこう疲れているらしい。

 

「いろいろあったけど、なんだかんだ言って楽しかったなぁ」

 

「恵那ちゃん、まだキャンプご飯がまってるよぉ」

 

「あ、そうだったっけぇ? 温泉がきもち良すぎてわすれてたぁ」

 

「わかるぅ」

 

 朝の3時からずっと走りっぱなしの身体にこの温泉は凶悪すぎる。

 

 ちょっとでも気を抜くと温泉に溶けてしまいそうだ。まあでも、それもいいかなあ。気持ちいいし。

 

「明日はゆっくりできるし、今日は夜更かしずらぁ」

 

「アキぃ、そない頭こっくりさせて夜更かしなんてほんまにできんのぉ?」

 

「そういうイヌ子だって目ぇ半分つむってんじゃねえか……」

 

「あ、ほんまやぁ」

 

「細野高原けっこうきつか………」

 

 あれ? なんで喋れないんだろう。あ、そっか。顔の半分が温泉に沈んでるからか。

 

 まあいいや。このまま沈んじゃお……ぶくぶく。

 

「なんや視界がかたむいてきとるなぁ……」

 

「このまま沈んじまおうぜぇ……」

 

 みんなでぶくぶく温泉に沈没していく。なんて極悪な極楽さだぁ……

 

「せんせー! みんなが温泉に溶けてもうたー」

 

「おふろあがりにびーるぅ………」

 

「ってせんせーも溶けとるー!」

 

 ぶくぶくと沈没していく先生。

 

 というかまだ運転しなきゃいけないしビールダメなような……まあいいや。

 

 みんなで温泉に溶けていく。あとはみんなでキャンプ場でご馳走を食べて、そしたら終わりだ。

 

 今夜のご飯はボクとなでしことあおいが担当。みんなに喜んでもらえるようがんばろう。

 

 ボクはそんなことを考えながら、紫色の夕闇を眺め沈んでいくのであった。

 

 

 

 

 

 ちなみにリンはとっくの昔に隅っこで温泉と一体化していた。

 




用語解説

FS-1
ヤマハが1969年に発売した50ccバイク。 2スト6馬力9000回転のエンジンを搭載し、最高速度は95キロにも達した。もはや原付ではない。

Jazz・マグナ
ホンダがかつて生産していた50ccアメリカンバイク。現在でも根強い人気がある。

NS-1
ホンダが1991年に発売した50ccバイク。50ccにしては破格の大きさ(中型バイクと同サイズ)とスピードを誇り、鈴鹿サーキットでのコースレコードは現在でも破られてない。もはや原付ではないその2。

RZ50
ヤマハが1981年から2006年まで生産していた50ccバイク。7.2馬力
10000回転のエンジンを搭載。もはや原付ではないその3。

細野高原山頂への車の乗り入れ禁止
2021年12月現在、三筋山山頂までの舗装路は景観保護の観点から一般車の乗り入れが制限されている。頑張って歩こう。
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