3-1
「きりーつ、れー、ちゃくせーき」
やる気のない日直の、これまたやる気のないあいさつを右から左に聞き流し席につく。
ボクの席は窓際の一番後ろ。日本全国のボッチにとって垂涎のポジションだ。
くじ引きで運よくこれを引いた時は思わずガッツポーズをしちゃったね。
でもたまにトイレとかから戻ってくると席に誰か座ってたりして困るのはなんとかしてほしい。
退けって言えばいい? ふっ、これだから素人は。
「えー、今日は突然ですが転校生を紹介しまーす。各務原さーん」
窓の外の寒空をぼんやりと眺め、この前の土曜日の出来事について考えを馳せる。
富士山一周ツーリング、幽霊もどき、ソロキャン少女、カレー麺、そして本栖湖ウィリー事件……あれはもう思い出したくない。
「──ちゃん!」
それにしても、カレー麺美味しかったなあ。同年代の子と一緒にご飯を食べたのなんて、小学校の給食以来だろうか。
「──葉ちゃん!」
もう何年も一人で食べるのが当たり前になっていたけど、やっぱり誰かと食べるご飯は一味違った。
惜しむべきは、もう二度とあんな機会は訪れないだろうということだろうか。
けど、ボクはしょせんクソザコボッチ。せいぜい一人で冷めたご飯を食べるのが性にあっているのさ(涙目)
「双葉ちゃん!」
「わわっ!?」
突如、視界の目の前に桜色の何かが現れ飛び退く。変な風に飛びのいたせいか眼鏡がずれて視界の全てがぼやけてしまう。
「あ! やっと気づいてくれた!」
どこか聞き覚えのあるこの元気という概念を擬人化したかのような声。そしてこれまたどこか見覚えのある桜色。もしかして……
「やった! 同じ学校だったんだー! もう、教えてくれればよかったのにー」
ずれた眼鏡をかけ直し、改めて桜色の何かを視界に捉える。それは人だった。それも、つい先日出会ったばかりのあの女の子だった。
「各務原、さん?」
「うん! これからよろしくね! 双葉ちゃん!」
そう言って本栖湖で出会った女の子、各務原なでしこは満面の笑みをボクに向けたのであった。
「それでね聞いてよ双葉ちゃん! お姉ちゃんがね──」
放課後、ボクはいつものように野クルのある部室棟に向かっていた。横に各務原さんを連れてだ。
あの衝撃の再会から現在にいたるまで、各務原さんはボクにずっとついて回ってきた。
「つぎスマホ忘れたら本栖湖十周って──」
文字通りずっとだった。授業の合間の休み時間、昼休憩、掃除の時間、トイレ、エトセトラエトセトラ。
「でね、お父さんもお母さんも──」
何かにつけて双葉ちゃん、双葉ちゃんと突撃してくる各務原さん。
当然担任にも知り合いということが知られてしまい、学校の案内を押し付け、もとい任されてしまった。
押し付けられたとはいえ、こんないい子を邪険にするわけにもいかない。
こうしてボクのボッチ生活は唐突に終わりを告げることになったのであった。
「あっ! そういえば双葉ちゃん!」
マシンガンのごとくずっと話し続けていた各務原さんが突如鼻息を荒くしてボクに詰め寄ってきた。
朝から今までずっとこんな調子だ。よくガス欠にならないなあ。その元気をちょっとわけてほしい。
「野外活動サークルって、どこにあるか知ってる?」
今の各務原さんの目はそれはそれはキラッキラに輝いていた。アニメだったらきっと目が椎茸になっていることだろう。
「あれ、そもそも今ってどこに向かってるの?」
「知らないでついてきてたのか……」
思わず辛辣なツッコミをしてしまうボク。これじゃまるで卵から孵ったばかりのひよこだ。
「えへへ、面目ありません」
けれど、それが少しも嫌味に感じないのはもはや生まれ持った才能というしかない。
たぶん、この子には悪意が一切ないのだ。
あるのはただただ純粋な好意と好奇心。だからこそ助けてあげたくなってしまう。
なんというか、本当に不思議な子だ。
「今向かってるのは、野クル……野外活動サークルだよ。これでも一応部員なんだ。だから案内するね、各務原さん」
本当に一応だけども。ほんと、ボクなんかがあんなところにいていいのだろうか。
「え、そうだったの! じゃあ早くいこ!」
「え、ちょ、まっ!」
「しゅっぱつしんこー!」
走り出す各務原さんに手を引かれ、ボクも半ば強制的に走り出す。大垣さんも最初こんな感じでボクを引き摺り回してたっけ。
それにしても……
「えっほ、えっほ」
部室棟そっちじゃないから!
部室棟、野クルもとい野外活動サークル部室。遠くで野球部の掛け声が聞こえてくる。
「なるほど、本栖湖で行き倒れそうになったところをたまたま通りかかったロリ子と」
と、大垣さん。
「リンちゃんっていうキャンプ少女に助けられた、と」
と、犬山さん。
「うん! 夜の富士山、すっごい綺麗だったんだよ! ね、双葉ちゃん」
身振り手振りであの時のことをダイナミックに説明する各務原さん。
「そ、そうだね、あれはすごかったね」
例の事件を思い出し目を泳がせるボク。幽霊、ウィリー、うっ頭が……
「ん? なんかあったのか?」
「なに? なんでもないよ! やー、富士山綺麗だったなー」
「なんで棒読みなん」
冬の夜空の悠然とそびえ立つ富士山。そして稜線を淡く照らす銀色の月。あれはまさに絶景だった。
いやー、もう一回行きたいなー
幽霊? ウィリー? なんのことかわからないなあ。
「あ! あとそれとね、双葉ちゃんがわたしのせいで──」
「わーわーわー! それは話さなくていから!」
各務原さんの前に強引に割り込み話をごまかす。
まずい、あれはもう誰にも知られたくない。墓場まで持っていくと決めたのだ。
「どうした急に」
「なんでもない! なんでもないか痛っ!?」
思い切り手を振り回したせいで壁のガリガリにぶつけてしまった。
「い、痛い……」
「ふ、双葉ちゃん大丈夫?!」
うぇ、じんじんする。なんでこここんな狭いんだよぉ。
どうしよ、涙出てきた。
「あーあー、狭いのに暴れるからそうなるんや。ほれ、手見してみ? あっ、ちょっと血出とるやないか!」
「うぉい! 大丈夫か!」
たしかに擦りむいて血が出てる。でもこれくらいの量なら吸っておけば平気でしょ。
「みんな気にしすぎだってー こんなの──」
そう思って口に近づけた手は、犬山さんの手によってがっしりとホールドされた。
「自分、蚊とちゃうで。あかんでもう! 今消毒して絆創膏貼るからちょっとまっとってな!」
犬山さんが、アウトドア本や買ったけどもったいなくて使えない薪束がしまってあるロッカーを漁り出す。
「うーん、救急箱どこやたっけ?」
現状名ばかりとはいえ、野クルはアウトドア系のサークル。
最低限の救急セットは用意してあるのだけど、わざわざこの程度で使わなくてもいいんじゃないだろうか。絆創膏だってタダじゃないし。
うん、ここはなんとか大丈夫なことをアピールしよう。身体だけは無駄に丈夫だしね。
「い、犬山さん? 別にこのくら──」
「ちょっと、まっとってな?」
「はい……」
無理でした。怖い、犬山さん怖い。なんでボクの時だけこうなの?
「うちの部室、考えなしに動くとすぐああなるから気をつけてな」
「うん……」
こうして、各務原さんと野クルのファーストインプレッションはグダグダの末に始まったのであった。
いったいどこの誰の仕業なんだ!?
「うぉっほん! 気を取り直して自己紹介といこう! あたしが大垣千明。で、こっちの関西弁が犬山あおいだ」
それからしばらく、具体的にはボクの手当が終わってから、グダグダになってしまった空気を一掃するべくお互いの紹介をすることになった。
「誰が関西弁やねん。よろしゅうなー」
「そんでもってそこで手押さえて涙目になってるちっこいのが」
「……山中双葉、です」
ちっこいいうな。いつか大きくなるもん。きっと、たぶん、メイビー
「まあ色々あったが……改めて、ようこそ野クルへ! 我々は君のような逸材を心から待っていたのだー!」
なんか大垣さんのテンションがおかしいけど、とりあえず心機一転するために乗っておこう。
「わー、どんどんぱふぱふー」
「やめい! 変な部活思われたらどないすんねん」
いや、もう手遅れだと思うよ犬山さん。どこかの誰かのせいでね。まったく、けしからん奴もいたものだ!
「アキちゃんにあおいちゃんに双葉ちゃん! わたし、各務原なでしこです! みんな、よろしくねー!」
だけど、こんな醜態を見せつけたあとでも、各務原さんはまったく動じることなく笑顔で返事をしてくれた。
各務原さん、なんていい子なんだ。ボクの中で各務原さんの株の爆上げが止まらない。
「にしてもアキ、えらい素直に歓迎するやん」
「……あ、新しい部員が増えることはいいことだからな!」
そうだよね。四人以上で部に昇格だもんね。大きな部室もらえるもんね。
「ふぅーん、でもよかったやん、これで四人そろったんやから部に昇格やで」
「そうなんだよー! ついに我が野外活動サークルも部に昇格できる日がやってきたのだ!」
「おぉー、よくわかんないけどおめでとう!」
これで部室でラジオ体操できる。と、一人で盛り上がる大垣さん。部室もらって真っ先に思い浮かぶやりたいことがラジオ体操って……
「あれ、そうなるともうサークルじゃなくなるってこと?」
「せやなー、これからは野外活動サークルやのうて野外活動部やな」
「つまり、略してノブ?」
ボクの一言に皆が固まった。野外活動部、略してノブ。
ノブ、ノブかぁ……
「なんか居酒屋さんみたいだね!」
……
…………
………………
「部の申請はもう少し先にしておくか」
「せやな」
せめてもう少しまともな名前を思いついてからにしよう。
「つーわけで! 今日は野クルメンバー四人目を祝して、盛大に焚き火をやるぞー!」
「わー!」
大垣さんと各務原さんの元気のいい声が校舎の中庭に響く。
あれからボクたちは外に移動していた。というか、あれ以上あの狭い空間にいたら本当に怪我しかねないので移るしかなかった。
「あれ、焚き火なら昨日しちゃったよね」
野クルでの焚き火と言えば、校庭の落ち葉や枝を必死に集めておこなうことをさす。
ぶっちゃけアウトドアというよりも中学生の火遊びなのは言ってはいけない。
けど、それは昨日やってしまった。またしばらく待たないと落ち葉は集まらないだろう。
「ま、まさかアキ、ついにあの薪使うんか!」
「ふっふっふ、そのまさかだぜ、イヌ子」
大垣さんの足元を見る。そこには、600円で買ってずっとロッカーで埃を被っていた薪束があった。
ついに、本来の役割を果たすときがきたということなのか。
「ぶっちゃけ、大事にとっておいても春になって暖かくなって雨でも降ったら結局カビるんだわ。で、最悪キノコ生える」
「げぇ、想像したら鳥肌立ってきてもうたわ」
キノコの生えた薪なんて燃やしたらなんか吸い込みそうでいやだな。
「そういうことだから、歓迎とデモンストレーションも兼ねて、盛大に燃やしちまおうってわけだ。
で、ついでにこのネットで買った980円テントも貼って、なでしこにキャンプの楽しさってやつを骨の髄まで染み込ませてやろうって寸法よ」
「ものは言いようやな」
歓迎会にしてはずいぶんと場当たりチックだけど、各務原さんは楽しそうだし、まあいいか。
それにしても焚き火か、じゃああれを持ってきたほうがいいかな。
「焚き火するなら、ボクあれもってこようか?」
「あぁ、たしかにええかもなー 焚き火はうちらで準備しとるから、お願いしてもらってもええ?」
「あれ? あれってなにアキちゃん」
「そいつは、待ってからのお楽しみってやつだ」
話は決まった。ボクは三人にいったん別れを告げて、部室に戻った。
部室の扉を開けて直射日光が当たらないようにロッカーの奥にしまってあるダンボールを手に取る。
「道具は全部揃ってるかな」
蓋を開け中身を確認。ケトル、サーバー、ドリッパー、ミル、フィルター、そしてコーヒー豆。
全てコーヒーを飲むために必要な道具だ。
「うん、問題なし、戻ろ」
基本的にクソザコのボクだけど、自慢できることがひとつだけある。それはコーヒーを淹れることだ。
ハマったのは中学一年生のころ。
例によって中二病をわずらっていたボクは、かっこいいからというただそれだけの理由でコーヒーの抽出器具を手に入れた。
そして三年、気がつけばボクも立派なコーヒー星人になっていた。
そういうことがあって、たまにこうして野クルの二人にふるまっているのだ。
「あ、戻ってきた! もう焚き火の準備終わっとるでー」
「ありがとー!」
中庭に戻ると、すでに薪がメラメラと燃えてその役目を全うしていた。さっそく、道具を焚き火の近くに置いてサーバーに水を汲みに校内の水飲み場に行く。
今日は四人いるし、おかわりも入れたら6杯くらい。120ccの6倍で720、蒸発する分と豆が吸う分を考慮して800ってところかな。
蛇口を捻り、水を勢いよく注ぐ。こうすることで水に空気が多く含まれて少しだけまろやかになるのだ。
まあ、実際は微々たる差だけどね。
「んじゃあ、ロリ子がコーヒーを淹れてくれているあいだに、あたしらはテントを立てるぞ!」
「おー!」
テントを前にわちゃわちゃやり始めた三人を横目に、水をいれたヤカンを火にかける。
気を利かせてて敷いてくれていたらしいシートに腰を下ろし、段ボール箱から道具を一式取り出す。
「アキちゃーん、この釘みたいなのどうやって地面に刺すのー?」
「ペグな、そいつは石を使ってだな」
「おぉー」
ドリッパーにフィルターをセットする。ボクの使っているドリッパーはハリオの円錐型。
一般的な台形型ドリッパーよりもコツがいるけれど、そのぶん味はワンランク上だ。
円錐型にセットするフィルターは本来は専用のものを使うのだけど、高いし売ってないしであまり手に入らない。
だからボクはスーパーで売っているフィルターを円錐に折り曲げて使っている。
フィルターをドリッパーにセット。これで準備は一つ完了。いよいよ豆を挽きにかかる。
手持ち式のミルの取手と蓋を外し、密閉式の瓶に保存していたコーヒー豆をメジャーで測って入れていく。
今日は量が多いから二回に分けよう。蓋を閉めて取手をつけて右手で丁寧に回していく。
コーヒー豆がセラミックの刃でガリガリと粉砕され細かな豆になっていく。しばらくすればミルに山盛りのコーヒーの粉が出来上がっていた。
出来上がった粉をドリッパーに注ぎ、もう一度豆をセットし粉にする。これで人数分の粉が用意できた。
ドリッパーを手に取り縁を手で叩き、粉を平にならしていく。こうしないとお湯を注いだときに粉に均一に行き渡らない。
「あおいちゃん、あれってもしかしてコーヒー?」
「せやで、双葉ちゃんはな、コーヒー淹れるのがめっちゃ上手なんよ」
「へぇ、かっこいいなあ」
そうこうしているとヤカンから蒸気が勢いよく漏れ出した。沸騰したようだ。
火傷しないようにヤカンを注意深くもち、サーバーにお湯を注ぐ。
しばらくして、サーバーが十分に温まったのでお湯をもう一度ヤカンに戻し火にくべる。
「あれ? 沸いたのにコーヒー淹れないの?」
「なんかよくわからんが、冷たいサーバーにコーヒーを淹れると味が落ちるらしい。だからああして一回サーバーを温めてるんだってさ」
「ほんま、いつ見てもプロのバリスタさんみたいやなあ。てか、こんなことしてないで早うテント立てるで」
「あ、そうだった」
ヤカンから再度蒸気が漏れ出し、沸騰する。
ドリッパーをサーバーにセット。ついでにスマホのストップウォッチも準備しておく。
沸き立つヤカンの熱湯を専用の細口ケトルに注いでいく。
沸騰したてのお湯を冷たいケトルに注いだ時、それがこの豆を美味しく淹れられる温度だ。
湯温計で測るという手段もあるけれど、個人的にはこれが一番わかりやすい。
そうしてできたお湯をドリッパーの中央にそっと乗せるような感覚で少しだけ注ぐ。この瞬間が一番緊張する。
多すぎず、少なすぎず。絶妙なラインで注ぐのを止める。
注がれたお湯を粉が吸収し、表面が少しだけ膨らむ。染み込んだお湯がドリッパーを伝い、サーバーの底に一滴垂れた。
ここですかさずタイマースタート。きっかり20秒待つ。いわゆる蒸らしという工程だ。これをやらないと味が途端に雑になる。
14、15、16、事前にケトルを持っていき、20秒になった瞬間に再びお湯を注ぐ。
抽出開始。ドリッパーの中央500円玉ほどの範囲に円を描くようにお湯を注いでいく。
注がれたお湯によって豆に含まれていた炭酸ガスが放出、粉の表面がチョコ饅頭のようにこんもりと膨らむ。
ドリッパーから抽出されるコーヒーと、ケトルから注がれるお湯が同じ量になるように手の角度を微調整する。
辺りにマンデリンの芳ばしい香りが漂い始め、サーバーに琥珀色の液体が溜まっていく。
そして720cc、予定していた量の抽出を確認したのち、すぐさまドリッパーをサーバーから下ろした。
仕上げにスプーンでサーバーのコーヒーを掻き回し、抽出の仕組み上、どうしても上澄みと底で濃度の違うコーヒーを均一混ぜて完成。
レギュラーコーヒーのできあがりだ。
紙コップにコーヒーを注ぎ、トレーに乗せてみんなのところに歩き出す。テントはもう終わったのかな。
「コーヒーできたよ。そっちは?」
「できませんでしたー!」
うん、気のせいかな。今、できませんでしたって、聞こえた気が。
「双葉ちゃん、これどないしよ」
犬山さんの目線の先にあるものを見て、ボクは思わずトレーを落としそうになった。
そこにはなんと、無惨にもポールが折れた980円のテントが虚しく風に揺れていた。
え、どうすんのこれ……
「はい、コーヒー」
「わぁ、ありがとー!」
無事に設置できたテントをバックにコーヒーを手渡す。
受け取った各務原さんが笑い、コップの中身を見て一瞬だけ表情を曇らせた。
まあ、おおよそなんのことなのかは検討がつく。
ボクはダンボールの中からスティックシュガーとコーヒーフレッシュの袋を差し出した。
「あ! 双葉ちゃんありがと!」
袋を見るや否や各務原さんの表情がぱぁっと晴れ渡った。いつみても表情のよく変わる子だ。
「これをこうしてっと、いただきまーす!」
砂糖とミルクを入れ、茶色くなったコーヒーをすする各務原さん。そして、その様子を慎重な面持ちで見つめるボク。
気に入ってくれるだろうか。
「双葉ちゃん!」
「えっ、な、なに?」
もしかして、不味かったのかな。あれ、温度間違えたかな。
「これ、すっごい美味しいよ!」
「ど、どういたしまして……」
目をキラキラと輝かせしきりにボクを褒めちぎる各務原さん。よかった、気に入ってくれたみたいだ。
「だろー、ロリ子のコーヒーはマジで美味いんだよ。あたしなんてもう外でコーヒー飲まなくなったもんな」
と、テントの中で足をだらんと広げてすっかりくつろぎモードになっている大垣さん。
「流石に、そこまでのものじゃないきが……」
「たしかに、この味に慣れてまうとインスタントじゃ物足りんわなあ」
「い、犬山さんまで」
三人からの情け容赦のない絶賛の嵐に顔の温度が高くなっていく。たぶん、耳も真っ赤になっていることだろう。
「あ、山中さん照れてる」
斉藤さんまで、うぅ、恥ずかしいよお。って、忘れてた。
「斉藤さんも、はい」
「え、いいのー?」
サーバーのコーヒーをコップに注ぎ斉藤さんに手渡す。
「テント直してくれたお礼だから」
「そっかー じゃあ遠慮なくいただきます」
斉藤さんが何故、ボクたち野クルと一緒にいるのか。
それは、折れてしまったテントのポールを斉藤さんが応急処置で直してくれたからに他ならない。
あの時は冗談抜きで斉藤さんが救世主に見えた。神様仏様斉藤様だ。
「うん、すごい美味しい。これ、双葉ちゃんが淹れたんだよね? すごいね」
「い、いやそんな、ぼ、ボクなんてまだまだ素人だし……」
「そんなことないってー」
「や、だ、だから、う、うぅ......」
言われなれない言葉の洪水に、目があちこちに泳ぎ顔がさらに熱くなっていく。
「照れてるな」
「照れとるな」
「照れてるね」
三人とも追い討ちかけないでよ! そんな微笑ましいものをみるような目で見ないでよ!
「そういえば双葉ちゃん、さっきテント直してくれたお礼って言ってたよね」
「うん、そうだけど」
あれ、そういえば斉藤さん、ボクのこと名前で呼んでない?
いやまあ、呼び方なんてなんでもいいんだけど、ちょっとむず痒い。
「だったらあとでリンにもコーヒー持っていってもいいかな? テント直すアイデア、リンから聞いたやつだし」
「それは別にいいけど。あれ、リン……あっ!?」
志摩さんのことすっかり忘れてた。本栖湖のこと改めてお礼を言おうと思っていたのに。
「ああもうボクのバカ!」
「どうしたんだロリ子」
突然声を荒げたボクに、みんなが奇異の視線を向ける。けど、リンって名前に聞き覚えがあるのは、ボクだけじゃない。
「リン? リンちゃん…...あっー!!」
「わっ!? なでしこちゃんまでどないしたん?」
そう、各務原さんもリンという名前には覚えがあるのだ。なんならボクよりもずっと。
「斉藤さん! もしかして、そのリンちゃんって子、ちっこくていつも一人でキャンプやってたりしない?」
情報が大雑把すぎる。けど、この場においてはこれ以上ない具体的な情報だ。
「そうだよ。でも、どうしてリンがキャンプしてるって知ってるの?」
「あのね! わたしこの前の土曜日にリンちゃんに助けてもらったんだ! 斉藤さん! リンちゃんがどこにいるか知らない?」
「どこにいるも何も」
斉藤さんが指をさす。ボクも釣られてその方向を見る。
「あそこにいるよ」
図書室と中庭を隔てる窓。その向こうで志摩さんが、しまったと言わんばかりにこちらを見ていた。
用語解説
ハリオ
日本の耐熱ガラスメーカー。コーヒーの抽出器具で世界的に有名。とりあえずハリオで揃えておけば問題ない。価格もリーズナブル。
マンデリン
インドネシア・スマトラ島で栽培されているコーヒー豆の品種。酸味が少なくスッキリした苦味が特徴。コーヒーの酸味が苦手な人には是非おすすめ。