温泉沈没事件のあと、ボクたちは風呂上がりの一杯を満喫したのち、キャンプ場へと向かった。
途中、いつものノリで風呂上がりのビールを飲もうとした鳥羽先生を慌ててとり押さえたりといったハプニングを挟みつつ(死ぬほど焦った)ボクたちは無事にキャンプ場へと辿り着いた。
駿河湾に面したこの岬は、黄金崎の名のとおり、夕方になると夕陽に照らされてまるで黄金のように美しく輝くという。
残念なことにボクたちが来たときはもう夜になっちゃってたけど、それでもここがいいキャンプ場だということは一目でわかった。紹介してくれた飯田さんに感謝だ。
なにはともあれ観光は終わり、これからはキャンプの時間だ。
「えい、えい」
地面に突き立てたペグをレンチで打つ。よし、このくらいかな。あとはフライシートのロープをペグに結びつけピンと張れば完成だ。
初めのうちはもたついていたテントの設営もすっかり慣れて、今では目を瞑ったってできる。
「テントできたよー」
「早えなー、もうできたのかよ」
隣で感心したようにボクを見る千明。まだテントにポールを通している途中みたいだ。
「ふっふっふ、ボクにかかればこのくらい造作もないことなのだよ」
「うわ、すげぇドヤ顔」
ちなみにたんに家の庭で猛特訓したおかげなのは内緒。だってそっちのほうがかっこいいし。
「家でめっちゃ練習してたもんな」
リンがぼそり。
「なんで言っちゃうんだよー!」
あかりと焚き火を熾しているリンに抗議の視線を送る。プイッとそらされる。そりゃリンにはたくさんアドバイスとか聞きたいけどさあ。
「ふふ、双葉もすっかりキャンパーだねえ」
みんなもそんな微笑ましい感じで笑わないでよ。うぅ、恥ずかしい。
「そ、そっち手伝おっか?」
恥ずかしいので話を逸らす。8人分のテントを張るのはなかなかの重労働だ。
「双葉ちゃーん! こっち来てご飯作るの手伝ってくれへん?」
と、あおいがボクを呼ぶ声。そうだった。こっちもやらなきゃいけなかったんだ。
「今行くー! ごめんね、あとお願い」
「おう、まかしとけ! ちなみに、今日はなに作るんだ? なんかでっけー肉買ってたけど」
「ふっふっふ、それは見てからのお楽しみってやつだよ! あ、そうだ。ちょっと千明に借りたいものがあるんだけど──」
そんなこんなで、ボクたちの伊豆キャンが始まるのであった。
トングで掴んだロース肉を、バーナーの火にかけたスキレットの上に静かに乗せる。
熱々のスキレットに肉が乗った瞬間、肉を焼く心地よい音とともに牛肉とハーブと胡椒のなんとも言えない良い匂いがあたりに漂いはじめる。
ジュウジュウと煙を出しながら焼けていく牛肉。肉を焼く音って、どうしてこんなに心地いいんだろうね。
表面に十分に焼き目をつけたらトングで肉を転がして別の面を焼いていく。
煙と音と匂いで口の中から涎がふつふつと湧いてくる。もうこのままでも食べちゃいたいくらいおいしそうだけど、我慢我慢。
「はぁ、いい匂いですなぁ〜」
いつのまにか隣に座り込んでいたなでしこが、ボクの手元を覗き込んでうっとり。
「音だけでも幸せになれるよねえ」
「だよねえ〜 そういえば、双葉ちゃん何作ってるの?」
そう言いながらボクの周りを物色するなでしこ。料理好きのなでしこならきっとすぐに検討がつくだろう。
「ふむふむ、アルミホイルにブロック肉……あっ!」
手を叩いてパァっと表情を明るくさせる。どうやらわかったみたい。
「わかった! ローストビーフだ!」
「大当たりー」
そう、今日ボクが作るのはローストビーフだ。
簡単に作れるうえにおいしい。そして見た目も豪華。これほどキャンプに適した料理もあんまりないと思う。
「クリキャンのときは鶏肉だったから、今回は牛肉にしよっかなって。そっちはどう?」
「ちょうどあおいちゃんが作り始めたところだよ。あっちもすっごくおいしそうだよ!」
「アヒーなんとかって料理だったよね」
野菜と魚介を買い込んでいたのを覚えている。
たしかスペインとかそっちの料理だった気がする。どんな料理なのかな。楽しみだなあ。
「あれ? なんて名前だったっけ? アヒーホ?」
「ふふ、それだと雄叫びになっちゃうよ」
「アヒージョやでー」
ボクたちが料理の名前に頭を悩ませていると、あおいが答えを教えてくれた。
「スペインの料理でな。オリーブオイルとニンニクでいろんな野菜や魚介を煮込む料理なんよ」
手元の鍋に具材を敷き詰めていくあおい。マッシュルーム、パプリカ、長芋、ナス……すごい具沢山だ。
風に乗ってただよってくるオリーブオイルとニンニクの香りがなんとも食欲をそそる。匂いだけでわかる。これは絶対おいしいに違いない。
「ちょうど煮込み始めたところやからもうちょい待っててな」
「「はーい!」」
元気よく返事をして、自分の料理に意識を戻す。うん、そろそろかな。
表面を十分に焼いた肉をアルミホイルを素早く包んでいく。
こうすると肉の熱がアルミホイルで反射して、まるでオーブンで焼いたのと同じようになるのだ。
今日は寒いので熱が逃げないようにアルミは二重、さらに新聞紙とタオルで包む。
「あとは30分じっと待つのです……」
アヒージョを食べているころには完成してるかな?
「はぁ、楽しみですなぁ〜」
「ですなぁ〜」
二人でローストビーフの味を妄想しながらあおいのところに戻っていく。もうお腹がぺこぺこだ。
ニンニクの香り漂う長芋に、あおいが竹串をすっと差し込む。
オリーブオイルを張った土鍋にはブロッコリーやマッシュルーム、タコ、エビといった具材がごろごろと転がり、ニンニクの香りとともにふつふつと煮えていた。
「ど、どう?」
恐る恐るたずねる。
「ころあいやな……」
あおいが神妙な顔でひと言。
……
…………
………………
『いただきまーす!』
8人の元気な声がキャンプ場にどよめく。待ちに待ったご飯の時間だ!
「おいひ〜」
「お、あたしもあたしも! うめー!」
おいしいおいしいと声を上げるみんなを見ながら、ボクも鍋に浮かんだマッシュルームに串を刺す。
そしてパクリ。口の中に広がるオリーブとニンニクの香り。旨味たっぷりのマッシュルームを鷹の爪がピリリとひしきめる。
これ……
「なにこれおいしー!」
あまりのおいしさに、思わずあおいに詰め寄る。きっと、側から見たらボクの目は椎茸みたいになっていることだろう。
「あおい! これすっごいおいしいね!」
「やろー?」
得意げに八重歯をのぞかせるあおい。ドヤ顔も納得のおいしさだ。
「多めに作っとるから、たくさん食べてええからなー」
「やったー! あおいちゃん大好きー」
「ありがとあおいー!」
「口ん中火傷せえへんようになー」
「あちち」
火傷しそうになりつついろんな具材を口の中に放り込んでいく。
うん、全部おいしい! オリーブオイルとニンニクで煮ただけなのにこんなおいしいなんて反則だよ。
「くぅー! 疲れた身体にワインが沁みますねー!」
ワイン片手にご満悦の鳥羽先生。たしかキャンプ代捻出とかであんまり(鳥羽先生基準)飲んでなかったんだっけ。
「あ、みんな。これ残ったオリーブオイルにパンつけて食ってもおいしいでー」
「ほんとだー!」
「……うまい」
わいわいともりあがる食事。やっぱりみんなでやるキャンプはこうでなくちゃね。
時計を確認っと。うん、そろそろいいかな?
「あれ? 双葉どこいくの?」
「ふっふっふ、お楽しみは一つだけじゃないんだよー恵那」
「あっ! ローストビーフ!」
「えっ! おねーちゃんお肉あるん!?」
さっき横で見ていたなでしこと、育ちざかりのあかりが目を輝かせボクに詰め寄ってくる。
「そだよー ボク用意してくるからみんな食べてていいよー」
ボクのそんな言葉とは裏腹にじーっとボクを見つめる7対の瞳。このパターン、クリキャンのときも見たなあ。
「見る?」
コクコク(リンだけこっくり)とうなずくみんな。
「ふふ、はいはい」
ボクはそんなみんなに笑いながら、肉を切り分ける準備にとりかかるのであった。
ミニテーブルの上のまな板に置いたハーブと胡椒の香りが漂うローストビーフの固まりに包丁を差し込む。
ほどよく弾力のある柔らかい肉を切ると、綺麗なピンク色の断面が現れた。うん、ちゃんと火が通ってる。
「「じー……」」
強い視線。見なくても誰なのかわかる。顔を上げると、予想通りなでしことあかりがボク……ローストビーフを穴があくほど見つめていた。
「食べる?」
首が取れそうな勢いでうなずく二人。最初はボクが食べようと思ったけど、まいっか。
「はい、あかりちゃんあーん」
「わー! あーん!」
「あっ あかりちゃんずるいよー」
凄まじい形相で肉を凝視するなでしこをスルーして、切れ端を摘んであかりの口元に持っていってあげる。
「あむっ」
パクリ。もぐもぐと食べるあかり。
「ど、どう?」
ちゃんと作れたかな?
「おねーちゃん……」
食べ終え、じっとボクを見つめる。ご、ごくり……
「これむっちゃうまいなぁ!!」
まるで花が咲いたみたいにパァっと笑顔になるあかり。よかったぁ……
「ふ、双葉ちゃん! わたし! わたしもちょうだい!」
さっきお預けを食らったなでしこが、まるでわんこみたいにボクに詰め寄ってくる。しょうがないなー
「はいはい、あーん」
「わーい! あむ! おいひぃ〜」
おいしそうに口をもぐもぐさせるなでしこ。そんななでしこを皮切りに、みんながわたしもわたしもと詰め寄ってくる。
「ごめん、誰か手伝ってもらっていい?」
「あ、じゃあわたし手伝うよ」
恵那と一緒に肉を分けてみんなで食べはじめる。さて、ボクもひと口。
「……んま」
口の中に広がる柔らかい牛肉の味。噛めば噛むほど旨味が口の中に広がっていく。そして、そんな旨味をハーブと塩胡椒が引き締めていく。
「ん、んまぁ……」
お、おいしすぎる。お肉高かったけど、作ってよかった……
「おいひ〜」
「シーフードもええけど、やっぱ肉もええなぁ〜」
「お肉には……あった! 赤ワイン!」
これはおいしい。素直においしい。
今度は焼いた時に出た肉汁で作ったタマネギソースをつけてもう一切れ。
うん! おいしい!
「リンちゃん! おいしいね!」
「ぇ? あ、ごめん、まだ食べてない」
返事するリンだけど、さっきよりも身体の揺れがすごいことになっている。
「り、リンちゃん! お皿! お皿傾いてる!」
キャンプ場に着いたときからリンはずっとこんな調子だ。よっぽど疲れてるみたいだ。
「リン、ほんとに大丈夫か? さっきからめっちゃ眠そうじゃねえか」
「んぁ? ぁ、だいじょぶだいじょぶ。千葉行ったときにくらべればこんなのぜんぜんだし……」
ふらふらするリン。耳を澄ますと16時間とか、600キロとか、まるで呪詛みたいな言葉がぶつぶつと聞こえてくる。
そんなにきつかったのか。次は500キロくらいにしとこ。
「リンちゃん、ご飯どうする? 食べさせてあげよっか?」
「ん……おねがい」
志摩リンからしまりんと化したリン。緩みきった表情も合わさってまるで子供みたいだ。
「リンちゃん、あーん」
ローストビーフを箸で摘んでリンの口に運んでいく。
「……うまい」
もぐもぐと咀嚼するリン。よかった。リンも気に入ってくれたみたいだ。
「リンちゃん、口にソースついてるよ」
「ぇ? どこ?」
「今拭いてあげるからねー」
「……ありがと」
うん、お母さんだ。
まるで親子みたいな二人にみんなでほっこりする。
「あはは、リンったら寝ぼけすぎでしょ!」
恵那が悪い笑みを浮かべながらカメラをパシャリ。これ絶対あとでからかうんだろうなあ。リンが爆発する様が思い浮かぶ。
「朝からずっと走ってますものね。きっとお疲れなんですよ。ゆっくり休ませてあげましょう」
「ですね」
おつかれリン。心の中でそう言う。
「いや、双葉ちゃんも同じ距離走っとるやろ。いくらなんでも元気すぎひん?」
「あ、言われてみればたしかに……大丈夫か?」
あおいと千明がはっとしたようにボクを見る。心配してくれるのはうれしいけどボクはなんともない。
「ふっふっふ、千明、あおい。ボクの目をよーく見て」
「え、目がどうした……ってバッキバキじゃねえか」
あんぐりと口をあける二人。たぶん二人から見たボクの目は充血とかくまですごいことになっているだろう。
「お、おねーちゃん、ほんまに大丈夫なん?」
「大丈夫だよー まだ自分が誰なのかとかどこにいるのとかわかってるから」
そう、この程度なんてことないのだ。丸一日走ったときに比べれば、こんなのなんてことないのだ!
「知ってる? 疲れてるって自覚しているうちはね、まだ大丈夫なんだよ」
本当に疲れているときは横になったり座ったりした瞬間に気絶する。ソースはボク。
「アキ……この子どこに向かっとるん?」
「さぁ……」
「あはは! 双葉目バッキバキじゃん!」
「や、山中さん? よ、横になったほうがいいんじゃないですか?」
だから、だからここで寝るわけにはいかないのだ。まだアヒージョもローストビーフもなでしこの金目鯛料理も残っているのだ!
そんなこんなで、バイク乗りとしての経験をフルに使いなんとか最後まで料理を堪能したボクなのであった。
ちなみにリンは途中で脱落した。
「あおいちゃーん、この銀髪の子の靴下どうなっとるん?」
あかりがタブレットの画面に映し出されたアニメのキャラを指差す。いわゆるガーターベルトってやつをつけてるみたいだ。
かわいいとは思うけど、高校生でその格好はどうなんだろうか。
「な、なんやろなー?」
言い淀むあおい。これはちょっと説明しづらいだろうな。
「なでしこちゃん知っとる?」
「ご、ごめん! こ、怖すぎて画面みれなくてー」
目を両手で隠して、毛布にくるまってぶるぶると震えるなでしこ。
ご飯を食べ終えてアニメを見はじめてからずっとこんなちょうしだ。
でもよく見ると指の隙間から目が覗いている。そこまでするなら普通にみればいいのに。
まあ気持ちはわかるけど。ボクも前に家で見てたときも同じポーズで見てたし。
「べつに今怖いシーンやないで?」
「無理無理無理! 超怖いよぉー!」
「なぁ、そんなに怖いならべつののにするか?」
コクコクと首を横にふるなでしこ。
どうやら怖いけど気になるらしい。わかる。ホラーって妙に続き気になるんだよね。
「適当に選んだやつだったけど、けっこうおもしろいな」
「たしかにおもろいけどオープニング詐欺すぎひん? こんなん絶対勘違いするやろ」
「普通のほのぼの系かと思ったらまさかのゾンビものだもんねー」
「わんこかわいかったなあ。ちくわ今ごろどうしてるかな?」
千明みたいな髪型の女の子がスコップを振り回しているシーンをぼんやりと眺めながら今日の旅を振り返る。
綺麗な景色においしいご飯。見たことないものばっかりで、すごくすごく楽しかった。
みんなで集まる機会も減っちゃったから、余計にそう思う。
明日は堂ヶ島に行って、西伊豆スカイラインを走ってキャンプ場の予定だ。どんなところなんだろうなあ。
「ふぁぁ〜」
大きなあくびが口から飛び出る。瞼が重くなってきた。心なしか頭もぐらぐらする。
「双葉ちゃん眠いん?」
隣のあおいの優しげな声が頭にずんと響く。
「……うん」
「ずっと走っとったんやろ? リンちゃんも寝とるし、双葉ちゃんもそろそろ寝たほうがええんとちゃう?」
大した距離じゃないけれど、明日もそれなりに走る。あおいの言うとおりもう寝たほうがいいんだろうな。
けど、正直なところボクはまだ寝たくなかった。もやのかかった思考を巡らして言葉を探していく。
「だよね……でも……」
「でも?」
「ひさしぶりにみんなとキャンプできたから、寝たくないなあって……」
重くなっていく瞼を必死にこじ開けて言葉を紡ぐ。
みんなやらなきゃいけないことが増えて、みんなで集まる時間はずっと減ってしまった。
高校生っていうのは、いろんなことを考えないといけない時期だ。遊んでばかりはいられない。
しょうがないのはわかっている。でも、やっぱり寂しい。
「次いつみんなと集まれるのかなあって思ったら、寝るのがもったいなくなっちゃってさ……」
頭が重い……ねむい……けど寝たくない。寝たら今日が終わってしまう。
「ボクさ、友だちとかいなかったからさ、こういうのずっと憧れてて……だから、みんなと友だちになれて、やっと夢がかなって……それで……その……」
眠い……寝たくない。こんな楽しいのに終わりたくない。
「双葉ちゃん……」
「ごめんね、へんなこと言っちゃって」
「ううん、ええよ」
あおいの優しい声が頭に響いていく。視界が傾く。ねむい、でもおきてないと……
「あおい……ねそうに……なったら……おこしてくれない」
せっかくみんなで夜更かしするって決めたのに寝たくないよ。だから起きてないと……
「……双葉ちゃん、ちょっとええ?」
「え? なぁに?」
ふと、肩に暖かい感触が伝わった。眠気で力の入らない身体はそれだけで倒れてしまった。
そして頭に感じる柔らかくて暖かい感触。横になったことで身体の疲れが抜けていくのがわかる。
そっか、ボク今あおいに膝枕されてるんだ。
「リンちゃんはもう寝とるし、双葉ちゃんも寝よ?」
あおいのささやきが頭に染み込んでいく。
「で、でも……」
「キャンプなんていつでも行けるんかやら、夜更かしはまたそんときな?」
ぽんぽんと頭を撫でられ、そのたびにどんどん眠気が押し寄せてくる。
「今までは夢やったかもしれんけど、もう夢やないんやから、いつだってできるんやから……な?」
「うん……」
モワモワと意識にもやがかかっていく。起きようとする気力はいつのまにかなくなっていた。
「それに……明日も走るんやろ? むっちゃ疲れとるんやから、今日はもう休んで、そんで明日いっぱい楽しんだらええ」
あおいの言うとおりかもしれない。せっかくのキャンプなのに無理して起きて、疲れを引きずったっていいことなんて一つもないか……
それにキャンプなんてこの先いつでも行ける。べつに今日無理して全部やらなくてもいいんだ。
だって、また行けばいいんだから。
「あとはうちらで運んだるから、今はゆっくりおやすみ……な? 双葉ちゃん」
「……うん」
ぼんやりとした頭でうなずいた途端、暖かさに包まれてボクの思考はみるみると沈んでいった。
そんな心地よい感覚に身を任せ、目を閉じる。沈んでいく。
「おやすみ……あおい」
「ふふ、また明日なぁ。双葉ちゃん」
沈む。
今日はきっといい夢が見れそうだ。
不意に寒さを感じて目を開く。全身を包むシャカシャカとしたナイロンの感触。これは寝袋だ。
「……あれ?」
ボクどうしたんだっけ? みんなとアニメ見て、すごく眠くなってあおいに膝枕されて……
「あっ」
思い出した。たぶんあの後寝ちゃったんだ。寝袋に入ってるってことは、みんなが運んでくれたのかな?
自分がどういう状況にいるのが理解したとき、ボクの右側でなにかがピクリと動いた。
え? な、なに?
「……ぞんびぃ」
と、なでしこらしき声。なんだ、寝言か。身体の力がどっと抜ける。
あれ? なでしこってリンと同じテントじゃなかったっけ? というか今何時だろう?
真っ暗な中、枕元を手探りで漁ると腕時計が見つかった。バックライトをつけて時間を確認。
「4時10分かぁ……」
ずいぶんと早起きしちゃったみたいだ。
身体を起こしてあたりを見回す。だんだんと夜目がきいてきて周囲が見えるようになってきた。
「あ、リンの寝袋……」
なでしこを挟んだ向こうにリンの寝袋らしきものが見えた。どうやら3人で寝てたらしい。
たぶん寝落ちしちゃったボクをここに寝かせて、後からなでしこがここで寝たってことなんだろう。あとでお礼言わないと。
というかテント5つあるんだからわざわざ3人で寝なくてもよかったのに。
「そういえば、リンどこ行ったんだろう」
うっすら見えるリンの寝袋はもぬけの殻。ボクよりも早く寝てたからもう目が覚めちゃったんだろうか。
「……寝よ」
もう一度寝袋に潜り込む。
みんなが起きるのもどうせもっと後のことだろうし、そもそもこんな早くに起きたってすることがない。
スマホをいじろうにもなでしこが寝ている。
「おやすみぃ〜」
目を閉じて寝袋の暖かさに身を任せる。眠気はないけど、こうしてただ横になるのも悪くない。
静かなテントの中でなでしこの寝息と波の音だけがこだます。
ザッザッザ、不意にそんな音がテントの外から聞こえてきた。足音だ。どんどん近づいてくる。リンだろうか。
足音がテントの入り口の前で止まり、ジッパーがそっと開かれ誰かが入ってくる音がした。
「……まだ寝てるか」
リンがぼそり。
「寝てる」
ボクもぼそり。
「起きてんじゃん」
「おやすみー」
深呼吸をしてもう一度眠りに入ろうとするけど、ちっとも眠気がやってこない。寝起きが良すぎるのも考えものだなあ。
「……えい」
そんな声とともに頬に冷たいものが突き刺さった。
目を開ける。枕もとにリンがしゃがみ込んでいてボクの頬に指を突きつけていた。
「なに?」
「仕返し」
太田子海岸のことかな。仕返しならもうすんでるような……まあいいや。
「……柔らけえ」
そう言ってつんつんと指を押し込むリン。前もそうだったけどボクのほっぺのなにがいいんだろう。
「つめたいからやへて」
「やだ」
なんで!?
「うそだよ」
リンがちょっと名残惜しそうに指をどかしてくれたのを見計らって身体を起こす。
「おはよーリン」
「うん、おはよ」
挨拶すると、リンも笑っておはようと言ってくれた。
「早いね。まだ4時だよ」
「早く寝すぎた」
たしかにリンが寝落ちしたのは9時くらいだったはず。こんな朝早く起きちゃうのも無理はないか。
枕元に置いてあったジャケットやバイク用のズボンを着て外に出る
「寝るんじゃなかったの?」
「無理だった」
「あっそ」
日も昇ってない黄金崎は真っ暗で、青白い月明かりがうっすらと浜辺を照らしていた。
「さむっ」
「さみぃ」
とてもじゃないが暦の上では春とは思えない寒さだ。山梨に比べれば氷点下じゃないだけマシだけど、寒いものは寒い。
「焚き火でもする?」
「こんな時間に?」
「こんな時間だからいいんだよ」
薪はいっぱいあるし、少しくらいなら大丈夫だろう。それにちょっと悪いことしてるみたいで楽しい。
「……寒いしいいか」
「決まりだね。じゃあボクやるよ。あ、コーヒー飲む?」
「おねがい」
ボクはいつものように返事のわかりきっていることをリンにたずねるのであった。
メラメラと薪が燃え盛る。赤い炎が風にゆらめき、時折パチパチと爆ぜる。
「はい、おまたせ」
「ありがと」
薪に座って肩を並べながら、風に乗って漂ってくる煙の匂いを嗅ぎながら淹れたばかりのコーヒーをすする。
炎に照らされて、白い湯気がモクモクとボクたちの間を漂っていく。
砂糖とミルクをましましにした熱いコーヒーをすすると、苦味と甘みがぼんやりしていた意識をはっきりさせてくれた。
「昨日わたしが寝たあとなにしてたの?」
「みんなでアニメ見てた。ゾンビのやつ」
「なでしこのやつめっちゃ怖がってただろ」
「手で目隠してひいひい言ってた」
「ふふ、だろうな」
あれからみんなどれくらい起きてたんだろう。
たぶんかなり遅くまで起きてたんだろうなあ。起きるのはきっと当分先だろう。
「今日は堂ヶ島行って、西伊豆スカイライン走ってだるま山でキャンプか」
焚き火にあたりながら、リンが今日の予定をざっとおさらいする。
「そうだ。伊豆スカイライン走るとき、前走らせてもらおうよ」
「あ、それいいな」
「でしょ?」
西伊豆スカイラインはツーリングのスポットとして有名らしい。写真でちょっと見たけど、まるでヨーロッパの山道みたいだった。
楽しみだな。早く行きたい。
「で、キャンプ場ついたらあおいとなでしこの誕生日パーティーか」
「だね」
「千明のやつ、誕生日プレゼント忘れてたりしないよな……まあ、あいつなら大丈夫か」
「なんだかんだいって、そういうところはしっかりしてるんもんね。千明って」
2月のテストだって、ちゃんと勉強していい点とってた。本人曰く、やるときゃやるってやつなんだろう。
「二人とも、喜んでくれるかな?」
友だちの誕生日とか祝ったことなんてないからちょっぴり不安だ。
「むしろ喜びすぎてやばいんじゃない? とくになでしこ」
「ふふ、だといいね」
そう言ってコーヒーをすする。突き刺すような空気に白い息がモワモワと舞っていく。
「そういえばさ、誕生日で思い出したけど、双葉の誕生日っていつなの? たしか春だったよね」
「あれ? 言ってなかったっけ」
首を振るリン。そういえば言う機会もなかったし、言う必要もなかったから、言ってなかった気がする。
「もしかして、お祝いしてくれるとか?」
「当たり前じゃん」
「あ、う、うん……そ、そっか。そうだよね」
いつもみたいに照れ隠ししながらうなずくのかと思ったら、まさかのど真ん中ストレート。
「ふっ、照れてやがるぜ」
「追い討ちやめてー」
手で顔を覆い隠す。
うれしいけど、恥ずかしい。そんなボクに気をよくしたのかリンがニヤニヤする。
「で、いつなの?」
「え、えっと4月の28日」
なんとか復帰しながら誕生日を教える。そういえば人に誕生日教えるのなんて生まれて初めてだなあ。
「でもさー笑っちゃうよね」
「え? なにが?」
リンがきょとんとする。まだ気づいてないみたいだ。
「だって、28だよ?」
ボクの言葉にリンは少し考えこむように黙り、しばらくしてはっとしたように顔を上げた。
「あ、だから
「うん、語呂がいいからだってさ。お母さんったらほんと適当だよね」
意味なんてあとからついてくるってお母さんは言ってたけど、娘としてはちょっと複雑な気分。
まあ残念なことにその性質はボクにもちゃっかり受け継がれていたりする。
YBだからビーちゃんって、人のこと言えないよ。
でも、そっか……お祝いしてくれるのか……なでしこたちもお祝いしてくれるのかな?
きっとしてくれるんだろうなあ。なんか、変な感じ。
「リン」
隣で焚き火にあたっているリンの肩に頭を乗せる。
「……なに?」
ぶっきらぼうだけど、すごく優しい声に思わず目を瞑る。
誕生日は誰にだって特別な日だ。ボクだって例外じゃない。だから、ちょっとくらいわがまま言っても、いいよね?
「ボク、友だちに誕生日お祝いされるの生まれて初めてなんだ」
「……そっか」
ちょっと悲しそうな声。リンはほんとに優しいなあ。
「だから、すっごい期待しちゃうからね」
きっと、間違いなく一生の宝物になるだろう。
プレゼントとかくれるのかな? もしかしたら泣いちゃうかもしれないなあ。
「ほんとに! すっごいすっごい期待しちゃうからね!」
「……はいはい」
リンはそう言ってぶっきらぼうに返事したあと、ボクの頭をぽんぽんと撫でるのであった。
「えへへ、リン大好き」
「……わ、わたしも、す、好きだよ」
照れながらも、言葉に詰まりながらも、リンははっきりと言ってくれた。
「えへへ、そっかぁ」
思わず顔がニヤける。寒い寒い伊豆の朝。けど、ボクの心はいつもよりずっとずっとぽかぽかしていた。
リンと、みんなと友だちになれてよかった。ボクは本当に幸せものだ。本当に、本当にそう思う。
「あーあ、誕生日楽しみだなー」
あと約2ヶ月か。きっとあっという間なんだろうなあ。
「……ふっ、気が早えよ」
リンが笑う。楽しみだなあ。すごく、すごく楽しみだ。
「ねぇ、これからどうする?」
そんな幸せに浸りながら、ふと思ったことを聞いてみる。
「どうするって?」
「どうせ千明たち起きないだろうし、暇じゃん」
起きたとしても昼くらいだろう。それまではリンと二人だけの時間だ。
「たしかに……」
時計を見るとまだ6時にもなってない。
朝ごはんを食べて荷物をまとめて……それくらいしかすることがない。本を読むにしても暗いし寒い。
「昨日アニメ見てたんだっけ?」
「うん。っていっても途中で寝ちゃったんだけどね」
「……じゃあさ、そのアニメ見せてよ、朝ごはんでも食べながらさ」
そういえばローストビーフがちょっと残ってたはず。それと昨日のパンの残りを使ってサンドウィッチでも作ろう。
「それでさ、そのあと温泉にでも行こうよ。近くに朝からやってるところあるみたいだし」
二人で抜け駆け温泉……なんだかとってもワクワクする響きだ。断る理由なんてあるわけない。
「うん! さんせー!」
「じゃ、決まりだな」
「はーい! あ、コーヒーおかわりいる?」
「おねがい」
「うぃ」
「わたしの真似すんのやめろし」
「わかったし」
じぃーっと睨みあうボクら。
「「ふふふ」」
暗がりの黄金崎。暖かい焚き火にあたりながら二人で一緒に笑い合う。
伊豆キャン2日目の朝、静まり返った世界のなか、どこか優しげな月の光がボクたちを暖かく見下ろしていた。
※友情です。誰がなんと言おうと友情です。
用語解説
ソンビの出るアニメ
言わずと知れた窓割れてる系日常アニメ。これがゆるキャンと同じきららという事実。