【完結】ザコの旅   作:クリス

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25話 ただいま 0円(おかえり)
25-1


 

 

 

 

 

 突き刺すような寒さの中、息を吐く。白く濁った息が、暗く静かな薄闇に溶けていく。

 

 歩きながら後ろを振り返る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 緩やかに、けどたしかな存在感を持ってうねる西伊豆の山脈。

 

 果てしなく続く稜線を眺めていると、まるで自分が鯨の背の上にでも乗っているような、そんな気分になった。

 

「えっほ、えっほ」

 

 そんな静かな世界で、ひときわ元気な掛け声がこだます。

 

「だっるっまっやま〜」

 

 楽しそうに歌を歌いながら山を登っていくなでしこ。まだ日の出前だというのにすごい元気だ。

 

「暗いんだからあんまはしゃぐなよ」

 

「はーい! だっるっまっやま〜」

 

「ほんとにわかってんのかあいつ」

 

 ボクのちょっと後ろを歩くリンが先を行くなでしこにぼやく。

 

 でも、そんなことを言うリンの顔は薄闇の中でもはっきりとわかるくらい綻んでいた。

 

「双葉、今何時?」

 

 リンがボクにたずねる。ジャケットの袖を捲り時計を見る。

 

「5時半過ぎだよ」

 

「ありがと。日の出には間に合いそうだな」

 

「だね」

 

 誕生日パーティーも無事に終わり、そして迎えた伊豆キャン最終日。

 

 ボクたちは、だるま山の頂で最後の旅のはじまりを迎えようとしていた。

 

「リンちゃーん! 双葉ちゃーん! こっちこっちー!」

 

 いつの間にか遠くまで行っていたなでしこがボクたちに手を振る。どうやらあそこが頂上みたいだ。

 

「リン! ボクたちも早く行こ!」

 

 そう言ってボクは振り返りながらリンに手を差し出した。

 

 そんなボクに、リンはなにも言わず、少し微笑んでからゆっくりと手を握り返してくれた。

 

 冷え切った手がボクの手をしっかりと握る。

 

「じゃ、しゅっぱーつ!」

 

「……しゅっぱーつ」

 

 寒くて暗い、風の音すらしない朝のだるま山。

 

 空気すら凍りつくような寒さでも、手のひらに感じる大好きな友だちの感触が、まるで春の朝日のようにポカポカとボクの心を暖めてくれるのであった。

 

 

 

 

 

「はい、できたよ」

 

「わぁ、ありがと〜」

 

「ありがとね、リン」

 

 マグカップをリンから受け取る。

 

 カップに注がれた熱々の味噌汁から立ち上った湯気が、伊勢海老の濃厚な香りとともにボクもメガネを白く曇らせた。

 

 火傷しないように気をつけながら味噌汁をひと口すする。

 

「……あ、おいしい」

 

 口に含んだ瞬間、濃厚な海老の風味が口いっぱいに広がり、息を吐くと白い湯気とともにさっと通り抜けていった。 

 

「……海老の香りすごいね。これ昨日の伊勢海老の殻使ってるんだよね」

 

「うん。ていうか出汁とるの2回目なのにちゃんと味出るんだな」

 

「でしょ? 前にお母さんに教えてもらったんだー」

 

「ずず……うまい……」

 

「そうじゃろー? うまいじゃろー?」

 

 得気に笑うなでしこ。ボクも料理はかなり得意だけど、こういう応用はやっぱり敵わない。

 

 ボクもまだまだ修行が足りないな。帰ったら料理の勉強でもしようかな。

 

 3人で味噌汁をすすりながら、眼下に広がる伊豆の広大な大地を眺める。

 

 薄闇の中にぼんやりと浮かぶ黒いシルエットを眺めると、ボクたちがいかにちっぽけな存在なのかよくわかった。

 

「伊豆ってほんと広いよねえ。2人とも、走ってみてどうだった?」

 

「めっちゃ楽しかった」

 

 笑いながらリンが言う。思えばリンも、会ったばかりのときに比べてずいぶんと変わったよね。

 

「……そっかー あ、リンちゃん!」

 

「なに? なでしこ」

 

「また行こうね!」

 

「……うん!」

 

 ……いや、変わったわけじゃない。ただ単に、好きなものが増えただけなんだ。

 

「双葉ちゃんは?」

 

 なでしことリン、二対の瞳がボクを見つめる。ボクがどう思っているかなんて、そんなの今までの態度を見ればわかりきっていることだろう。

 

 でもそうじゃない。大事なのはそういうことじゃない。

 

 楽しかったら楽しかったと、嬉しかったら嬉しかったと言葉にする。思いを伝える。

 

 キャラじゃないとか、柄じゃないとか、そんなのどうでもいい。ボッチもリア充も関係ない。

 

「すっごい楽しかったよー!」

 

 2人の顔がパァっと笑顔に包まれる。

 

 だって、友だちが嬉しそうにしてて、嬉しくならない人なんてこの世にいないもんね。

 

「また行こうね。今度は、綾乃も一緒にさ」

 

「うん! 絶対行こ!」

 

 笑顔でうなずくなでしこに、ボクも笑顔でうなずき返す。

 

 さて、日の出まであとどれくらいかな? 時計を見る。うん、あとちょっとだ。

 

 そんなときだった。一陣の風が、ボクたち3人の背中を殴りつけるように吹いた。

 

「さむっ〜」

 

 味噌汁をこぼさないように気をつけながら両腕で自分の身体を抱きしめる。

 

「さみぃ」

 

「さむいよねぇ。あ、そうだ!」

 

 隣のなでしこが勢いよく味噌汁を飲み干す。空になったカップを地面に置き、そして……

 

「うぉ!?」

 

「わわっ!?」

 

 突然身体を引っ張られる。右腕に感じる暖かい感覚。

 

 なでしこがボクたちを抱き寄せたのだと気づくのにはそこまで時間はかからなかった。

 

「こうすれば寒くないよね!」

 

「……ふっ、そうだな」

 

「だね」

 

 3人で身を寄せ合ってもうすぐ見えるだろう朝日を待ちわびる。千明たちもそろそろ来るかな?

 

「ひぃ、ひぃ、や、やっと着いたぁ」

 

「お、思ったよりきつかったねぇ……」

 

「せ、せやなぁ」

 

 噂をすればなんとやら、息も絶え絶えな千明たち一行が到着。

 

「さ、さみぃ〜」

 

「おつかれ。味噌汁、飲む?」

 

 寒さに震える千明たちにリンが味噌汁をふるまい、6人で東の空の果てをのんびりと見守る。

 

「今日で終わりかぁ。なんか寂しくなるなあ」

 

「なんちゅうかあっちゅうまやったな」

 

「それなぁ〜」

 

 千明とあおいがこれまでの旅路を振り返るように言った。

 

 東の空が燃え盛るように赤く染まり始める。星の丸みをなぞるように、赤く赤く燃える空。

 

 もうじき日が昇る。また一日が始まる。

 

「楽しかったよねぇ」

 

「だな」

 

「みんな! 旅はまだ終わりじゃないよ!」

 

 なでしこが立ち上がって元気よく言った。そうだ。旅は終わってない。まだ、やることが残っている。

 

「飯田さんにお礼しに行って」

 

「チョコちゃんモフモフしに行って」

 

「そんでカピパラ温泉やぁ!」

 

 後ろから聞こえてきた一際元気な声に振り返る。車で寝ていたはずのあかりがそこにいた。

 

「お、起きたなーチビイヌ子」

 

「おはよーあかりちゃん」

 

「ふぅ、あ、あかりちゃん、ま、待って……」

 

 遅れてやって来た鳥羽先生も合流して全員がそろった。

 

 日の出まであとどれくらいだろ──

 

「みんな、見て!」

 

 恵那の言葉にはっとなって空を見る。

 

 夜のとばりを切り裂くように燃え盛る光が溢れ出す。

 

 溢れ出した光が空を明るく染め上げて、目に映るなにもかもが美しく彩られていった。

 

「綺麗……」

 

 誰かが言った。たぶん、ボクだったと思う。けど、誰が言ったかは大して重要じゃなかった。

 

 だって、この場にいるみんながきっとおんなじことを思っているに違いないからだ。

 

「さーて、伊豆キャン3日目、張り切って行きますかー!」

 

「カピパラちゃん! 待っててなぁー!」

 

「ふふっ、あんたほんまそればっかやなー」

 

「チョコちゃん待っててねー!」

 

「おいおい、恵那もかよ」

 

 眩い日差しを一身に浴びて、みんなで顔を見合わせ、あははと笑い合う。

 

 そこから先は、あっという間だった。

 

 パパッと東伊豆にある大室山に向かい飯田さんたちと再会。

 

「山梨からよう来たなぁー」

 

「ふふ、いらっしゃい」

 

「この前は本当にありがとうございました」

 

 みんなでお礼の品を渡して精一杯の感謝の気持ちを伝え、

 

「あはは、チョコちゃんくすぐったいよー」

 

「はっはっは、チョコは嬢ちゃんのこと気に入ったみたいだにー」

 

「こっちにもおいでーちくわー……あっ、ごめんチョコちゃん」

 

「そろそろ帰らんとあかんわこれ」

 

 恵那がちくわ欠乏症にかかったりしつつ、お姉さんとチョコちゃんと一緒に大室山に向かい、

 

「おねーちゃん来たでー!」

 

「うん!」

 

『はーい、撮りまーす』

 

「「ぴーす!」」

 

 あかりと一緒にリフトの上で写真を撮ってもらったり、

 

「みなさん撮りますよー!」

 

 お姉さんに8人全員で富士山をバックに集合写真を撮ったりして時間はどんどん過ぎていった。

 

「かわええなぁ、カピバラちゃん」

 

「せやなぁ〜」

 

 温泉に浸かってまどろむカピバラをみんなで眺める。

 

 大室山を後にしたボクたちは最後の目的地である伊豆シャボテン動物園に寄っていた。

 

「あかりちゃん、よかったね」

 

「うん!」

 

 待ちわびていたカピバラを前にして、あかりが嬉しそうにはにかむ。

 

 そんなあかりの笑顔を見ていると、こっちも嬉しくなって一緒に笑う。

 

「おねーちゃん!」

 

「うん、どうしたの?」

 

「またキャンプ、連れてってな!」

 

 キラキラと目を輝かせてボクを見るあかり。この3日、ずっとはしゃいでたし、よっぽど楽しかったんだろう。

 

「もっちろんだよ!」

 

 うなずきながらあかりの頭を撫でる。また1人キャンプ好きが生まれたってことなのかな?

 

「ついにチビイヌ子もキャンプハマったなー」

 

「あかりちゃん! また一緒に行こーね!」

 

「みんなまた誘ってなあ! 仲間はずれにしたらおこるでー!」

 

「はいはい」

 

 そうしてカピバラのかわいさを堪能したボクたちはその足で触れ合いコーナーに向かい、

 

「あはは、く、くすぐったいよー! だ、誰かたすけてー!」

 

「双葉ちゃん大丈夫!? い、今行くね!」

 

「いや、べつになんか嬉しそうだし行かなくていいんじゃね?」

 

「ほんまや、思いっきしにやけとるやん」

 

「そ、そんなー!」

 

「カピバラ……かわええ」

 

 触れ合いコーナーでカピバラの大群に襲われて怖いんだかかわいいんだかよくわかんない目にあったりして、伊豆での最後のひと時を過ごすのであった。

 

 

 

 

 

「お前らーお土産買ったかー?」

 

 道の駅の自動ドアから出てきた千明が、開口一番にそう言った。その両手にはパンパンに詰まったレジ袋がぶら下がっていた。

 

「ばっちりやでー! ていうかむっちゃこうてるやん」

 

「お金使っちゃったし、またバイトしないとねー」

 

「そういや、そうだったなあ。忘れてたわ……はぁ」

 

 千明が財布の中身を覗いてげっそりする。そういえばボクいくら使ったんだろう。

 

 ……怖いから確認するのやめとこ。

 

「……あたし、この旅が終わったら宝くじ買いに行くわ」

 

「露骨にフラグ立てるのやめいや」

 

 ふざける千明がおもしろくてみんなで笑う。

 

「そういやチビイヌ子は?」

 

「車でぐっすり寝とるでー よっぽど疲れとったんやろな」

 

「今日1日はしゃぎ回ってたもんなあ」

 

 朝のだるま山、そして大室山に動物園。朝起きてから、あかりの笑顔が絶えることは一度たりともなかった。

 

「それだけ楽しかったってことだよ」

 

「ふふっ、双葉ちゃんの言うとおりやな」

 

 そう言って、空を見上げる。昼下がりの空は昼間見たときよりも少しだけ暗くなっていた。

 

 帰るころにはもう真っ暗になっていることだろう。

 

「……もう終わりかぁ。なんか寂しくなっちまうなあ」

 

「ほんまになぁ」

 

 楽しい時間っていうのはいつだってあっという間に終わってしまう。あれだけ楽しみにしていた伊豆キャンも、あとはもう帰るだけ。

 

 旅が終わりを迎えようとしていた。

 

「お二人とも、本当にここまでで大丈夫ですか?」

 

 鳥羽先生が心配そうにたずねる。

 

 先生たちはすぐそこにある大仁中央ICに入れば、あとは高速に乗るだけで帰れる。

 

 でもボクたちは原付。一緒には行けない。先生はそれが心配なんだろう。

 

「下道で一緒に帰ってもいいんですよ?」

 

「あ、いえ。あかりちゃんも疲れてるだろうし、早くお家に帰らせてあげてください」

 

「そうですか……わかりました」

 

 了承しつつも、まだちょっと心配そうな顔でボクたちを見る先生。

 

「大丈夫ですよ先生。すぐそこですしね」

 

「いや、こっから山梨まで100キロくらいあるような……」

 

「なんだ、そんだけでしょ。4時間くらいだよね」

 

 リンがボクのセリフに乗っかるように言う。4時間か、それなら……

 

「あっという間だね」

 

「だな」

 

「お、お前ら……いや、もういいわ」

 

 呆れる千明を横目に見つつ、ヘルメットを被ってビーちゃんを軽く点検しながら出発の準備を整える。

 

 ガソリンは……うん、大丈夫そうだ。

 

 そういえば咲さんにもらった携行缶使う機会なかったなあ。でもまあ、トラブルなんてないにこしたことはないし、それでいいのかも。

 

「リンちゃん、双葉ちゃん! 寂しかったら一緒に帰ってもいいんだよ!」

 

「ほんとに大丈夫だって。リンもいるしね。ね? リン」

 

 そう言って、隣で準備を整えているリンの顔を覗き込む。

 

「……そうだな。もう、1人じゃないしな」

 

 リンが言った。ヘルメットのバイザー越しに見える顔はそれはそれは優しげに微笑んでいた。

 

「えへへ、そっか〜」

 

「なんでそんな嬉しそうなんだよ」

 

「ふふ、なんでもないもーん」

 

「なんだそりゃ」

 

 なでしこの気持ちが、ボクにはわかる気がした。

 

 1人が好きから、1人も好きに。変わったのはたったの一文字だけど、すごく嬉しい一文字だ。

 

「リン、もういい?」

 

「うん。いつでも行ける」

 

 うなずきながらビーノに跨るリンに続いて、ボクのビーちゃんに跨る。

 

「よろしくね。ビーちゃん」

 

 ボクがキックペダルを蹴り飛ばし、リンがセルスイッチを押す。

 

 ぶるんと唸る2台のヤマハ。トトトと吹き出す白い煙。

 

 旅立ちの時間だ。

 

「じゃあもう行くね」

 

「行ってくる」

 

 スロットルを回して空吹かし。 2ストロークのエンジンがぶるんぶるんとやかましく唸る。

 

「おう、事故ったりすんじゃねーぞー」

 

「気ぃつけてなぁ」

 

「またね! リン、双葉」

 

「気をつけてねー!」

 

 見送りの言葉に手をシュッと振ってゆっくりと走り出す。ミラーに映ったビーノが、ボクに続いてゆっくりと走り出す。

 

 エンジンを回しながらギアを上げていく。冷たい風がボクたちを包み込み、また後ろに流れていく。

 

 旅が終わる。

 

 

 

 

 

 暗闇に包まれた52号線をひた走っていく。右手に流れる富士川が月の光を反射して、一瞬きらりと輝いた。

 

 時折やって来る車がテールランプの光の尾をなびかせながらボクたちを抜き去っていくのをぼんやりと眺める。

 

 あの人も家に帰るところなのかな?

 

「こうやって知ってる道走ってるとさ、なんていうか、ほっとするよね」

 

『わかる』

 

 走りながらリンと話をする。

 

 この道をまっすぐ行けば、ボクの家につく。なでしこたちはもう家でまったりしているころかな?

 

 そういえば、お母さんはもう帰ってきているんだろうか。まあ、帰ればわかるか。

 

 そっか、家か……

 

「もうすぐ、帰ってきちゃうね」

 

『……寂しい?』

 

 前を走るリンが一瞬だけボクのほうに首を向けた。

 

「お見通しだね」

 

『わたしも、ちょっと寂しいからさ』

 

「そっか、リンもおんなじなんだ。うん、ちょっとね。だって、すっごくすっごく楽しかったからさ」

 

 話していると、これまでの思い出がまるで洪水のように心の中に溢れ出してきた。

 

 リンと、みんなといろんなところに行って、いろんな景色を見て、いろんな食べ物を食べて……

 

 楽しくて、楽しくて、ただ楽しくて。どの記憶をたどっても頭に浮かぶのはその3文字だけ。

 

『また、行けばいいじゃん』

 

 リンが言う。

 

 また行けばいい。たしかにその通りだ。今度はいつになるんだろうか。春だろうか、夏だろうか、それともまた冬だろうか……

 

「いつ行く?」

 

『春とか? でも、どうせならアヤちゃんが二人乗りできるようになってから行きたいし、やっぱり3年になってからかな』

 

 そのころにはボクたちはいったいいくつになっているんだろうか。

 

 いつまで、こうしていられるんだろうか……

 

『双葉?』

 

「え? あ、ごめん、なんでもないよ」

 

『……どうしたの?』

 

「べ、べつになんでもないよ」

 

『ふぅーん』

 

 一瞬頭によぎった考えを悟られないように必死にごまかす。せっかく楽しい旅だったんだ。最後まで楽しいままで終わらせたい。

 

『……べつに、誰も聞いてないよ』

 

 けど、そんなボクの浅はかな考えなんて、リンにはお見通しだったみたいだ。

 

「えへへ、やっぱバレちゃったかあ」

 

『どれだけ一緒にいると思ってるんだよ』

 

「まだ半年も経ってないよ」

 

 11月からはじまって、今日で5ヶ月。一緒にいたのはたったのそれだけ。

 

『そうだったっけ? なんかもっと長いと思ってた』

 

「ずっといろんなところ行ってたもんね、ボクたち」

 

 まるでパノラマのようにボクの脳裏に浮かんでは消えていく思い出の数々。

 

 かけがえのないボクの宝物……

 

「ねえ、リン」

 

『なに? 双葉』

 

「ボクたちさ、いつまでこうして一緒にいられるんだろうね」

 

 ずっと思っていたけど、言い出せなかったことを告白する。

 

 春が来れば2年生になって、夏になって、秋になって、冬になって、そしてまた春になって……

 

 みんなそれぞれやりたいことがあって、やらなきゃいけないことがあって、そして……

 

 楽しいから、楽しかったに変わっていく。そうやって、大人になっていく。なってしまう。

 

「みんな、いつか離れ離れになっちゃうのかな?」

 

 時がたてば人は変わっていく。ずっと一緒だと思っても、その時はいつも突然やってくる。

 

 ボクはそれをよく知っている。

 

「……ごめんね、変なこと言って。早く帰ろっか。あはは、早く家でお風呂入りたいなー 肩バッキバキだよー」

 

 ネガティブになった思考を空元気で塗りつぶしていく。こんなものはただの気の迷いでしかない。

 

 家に帰って、お風呂に入ってゆっくりすればきっと元に戻っている。

 

 視界が滲むのは、きっと夜風が目に染みるせいだ。

 

 きっと、そうに違いない。

 

『双葉』

 

「えへへ、なに?」

 

『ちょっと、休憩しない?』

 

 断る理由もない。

 

 ウィンカーを出すビーノについて行って街灯の下の路肩にビーちゃんを停めた。

 

 シートから降りて、ヘルメットを脱ぐ。寒い夜風がボクの髪を乱暴に撫で付けた。

 

 エンジンを切る。あたりがしんと静まり返る。

 

「さむさむ。リン、なんか飲──」

 

 飲む? そう言おうとした瞬間、ボクの視界が黒く染まった。

 

 リンがボクを抱きしめていることに気がつくのには、大した時間はかからかなかった。

 

「り、リン?」

 

 いきなりのことに驚いて、身体を動かそうする。

 

 けど、そんなボクの行動は頭と背中に回されたリンの手によって阻まれた。

 

 身体を動かすたびに、リンの腕がボクの身体をきつく抱きしめていく。

 

「り、リン、苦しいよー」

 

「離れ離れになんて、ならないよ」

 

 不意にリンが言った言葉に、ボクの心はまるでナイフを刺されたみたいにキュッと苦しくなった。

 

「ずっと、一緒にいればいいじゃん」

 

「ずっと、一緒に?」

 

 リンの言葉が頭の中で反復していく。

 

「大人になっても、おばさんになっても、おばあちゃんになっても、ずっと、一緒にいればいいじゃん」

 

 ずっと、一緒にいればいい。たしかにその通りだ。リンはただ当たり前のことしか言ってない。

 

 だけどどうしてだろう。なんでこんなに心に染み込んでいくんだろう。

 

 リンの首元に顔をおしつけ、やり場を失って固まっていた自分の腕をリンの背中にそっと回す。

 

「ずっと、一緒にいてくれるの?」

 

「うん」

 

「おばあちゃんになっても?」

 

「う、うん」

 

「そっか……」

 

 リンがそう言うなら、きっと本当にそうなんだろうな。なんだ、心配してたボクが馬鹿みたいだ。

 

 無言のまま2人で抱き合う。

 

「リンの服、冷たいね」

 

「ずっとバイクで走ってたしな」

 

「このまま抱きついてたらあったかくなるかな?」

 

「なるんじゃない?」

 

「じゃあ、そうしよっかなー」

 

 ずっとこのままこうしていたい。そう思ったその時だった。

 

 ピコン! ボクとリンのスマホが同時に鳴る。

 

「誰だろう」

 

「どうせなでしこだろ」

 

「心配してるだろうし、連絡してあげよっか」

 

「だな」 

 

 そう言ってお互いに回していた腕を解いてスマホを取るために離れる。

 

「あっ……」

 

 離れる瞬間、リンの腕の力が少しだけこわばったような気がしたけど、たぶん気のせいだと思う。

 

 そして、そんなリンの腕を名残惜しいと思ったのも、きっと気のせいだと思う。

 

 ポケットからスマホを取り出して、ラインを開く。

 

なでしこ:リンちゃーん! 双葉ちゃーん! 今どこー?

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 顔を見合わせる。それから、ボクたちは同時に微笑んだ。

 

「……帰るか」

 

「帰ろっか」

 

 2人でうなずきあう。帰ろう、ボクたちの街に。待っている人がいるあの街へ。

 

 なでしこにあと少しで帰るとだけ返信して、ヘルメットを被り直しビーちゃんに跨る。

 

 南部町はもう目と鼻の先だ。早く帰ってゆっくりお風呂に浸かろう。

 

 エンジンをかける。

 

「行くか……げっ」

 

 ビーノに跨ったリンが急にうめき声をあげた。

 

「どうしたのリン?」

 

「ガソリン、やばいかも」

 

 振り返ったリンの顔はさっきまでの雰囲気とは打って変わってものすごくげっそりとしていた。

 

「なくなりそうってこと?」

 

 顔を青くしながらうなずくリン。

 

「たぶんこの調子だと身延までもたないと思う。うわぁ、やっちまった……ここら辺のスタンドもう閉まってるだろうし……マジでどうしよう」

 

 べつにそんなに心配しなくてもいいのに。だってあれがあるしね。

 

「大丈夫だよリン。あれ使えばいいじゃん」

 

「あれ?」

 

 ボクはそう言ってビーちゃんから降りて、エンジンを覆うダウンチューブにくくりつけた携行缶を手にとった。

 

「リンのお母さんからもらった携行缶。まだガソリン入れたままだから、リンにあげる」

 

 ボクがシルバーメッキの携行缶を見せると、リンがはっとしたように目を見開いた。

 

「忘れてた。そうだった。ごめん、ありがと。マジで助かる」

 

「じゃあ入れちゃうね」

 

「あ、タンク開けるね」

 

「はーい」

 

 リンのビーノに携行缶にガソリンを入れていく。

 

 1リットル分しかないけど、ビーノの燃費なら余裕で身延まで行けるだろう。

 

「帰ったらお母さんにありがとって言っとこ」

 

「咲さんさまさまだねえ。よし、これで完了っと」

 

「ほんとにありがと」

 

「これで本栖湖での貸しはチャラだね」

 

「ふふ、そうだな」

 

 顔を見合わせて笑う。1人だったら途方に暮れるようなトラブルも、2人でなら旅を盛り上げるスパイスでしかない。

 

「じゃ、行こっか」

 

「うぃ」

 

 エンジンをかける。静まり返った52号線に2台のエンジン音が鳴り響く。

 

 再び走り出す。

 

 ヘッドライトの淡い光に照らされた富士川街道を眺めていると、なんだか急にお母さんの顔を見たくなってきた。

 

『あ、あのさ双葉』

 

 そんなことを考えていると、リンがふと話かけてきた。

 

「なに?」

 

『こ、このまま……』

 

「このまま?」

 

『……ううん、やっぱなんでもない』

 

「えー、気になるよー」

 

『言おうと思ったけどなんかどうでもよくなったわ』

 

 そう言われると余計に気になるんだけど。

 

 まあ、どうせここでボクがなに言ったって教えてくれないんだろうけどね。

 

 っていうかどうせなに言いたいかだいたいわかってるし。

 

「リン」

 

『なに、双葉』

 

「また、2人っきりでどこか行こうね!」

 

『……うん!』

 

 嬉しそうにうなずくリン。

 

『約束だからな!』

 

「忘れないよー!」

 

『絶対だぞ』

 

「はいはい」

 

 大好きなリンとの約束だ。忘れるわけがない。

 

 どこに行こうかな、なにをしようかな。そんな思いが溢れ出す。

 

『あ、ついた』

 

 リンが指をさす。気がつけば、ボクの家のすぐそばまでやって来ていた。南部町、ボクの住む町。

 

 見慣れたたけのこタワーを見ると、なんだかすごいほっとした。

 

 やっぱり家が一番だな。ボクは改めてそう思うのであった。

 

「リンちゃーん! 双葉ちゃーん!」

 

 ふと、遠くのほうでボクたちを呼ぶ声が聞こえた。ボクたちはこの声をよく知っている。

 

 ヘッドライトの光に照らされて、声の主があらわになる。

 

「リンちゃーん! 双葉ちゃーん! おーい、おーい!」

 

 ボクたちの親友が、こっちに向かって手をぶんぶんと振りながらぴょんぴょんと跳ねていた。

 

 なでしこだ。

 

『あいつ、もしかして待ってたのか? 心配しすぎだろ』

 

「まあ気持ちはわかるけど、リンも人のこと言えないよね」

 

 こっそりなでしこのソロキャンを見に行ったの忘れてないぞ。

 

『うぐ、まあそうだけどさ。ていうか隣の人誰だ?』

 

「え、隣?」

 

 リンの言葉で、ボクはなでしこの横にもう1人の人がいるのに気がついた。

 

 その人は女の人だった。

 

 ボクと同じようなメガネをかけて、ボクよりもちょっと身長が高くて、そしてなによりボクと同じような顔だった。

 

 ううん、違う。この場合はボクが、似ているんだろうなあ。

 

 まあ、誰かなんて、今さら言わなくてもわかるよね。だって、ボクのことをこの世で一番よく知っている人なんだもん。

 

 そう、ボクのお母さんだ。

 

 スピードを落とし、2人の前に止まる。バイクを降りて、リンと一緒に2人の前にいく。

 

 そっか、本当に帰ってきたんだな。なら、言うことは一つしかないよね。

 

 

 

 

 

「「ただいまー!」」

 

 ってね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこまでも続く海岸線。果てしなく続く太平洋。

 

 伊豆、国道135号。曲がりくねった道路を時速50キロで駆け抜けていく。

 

 容赦なく吹きつける太平洋の海風に負けないよう、両足でしっかりガソリンタンクを挟みこむ。

 

 家を出る前に磨いたばかりの青いタンクが、朝日を反射してキラキラと輝いた。

 

 スロットルを回す。2サイクル単気筒エンジンが毎分6000回転で振動、ブーツの靴底を規則正しく揺らす。

 

 100メートルくらい先に休憩所が見えた。あそこで一旦休もう。

 

 ギアを落とし、バイクを崖沿いの駐車場に止める。

 

 エンジンを切る。火を消したばかりのエンジンは、まだパチパチと音を立てていた。

 

 ちょっと高回転で回しすぎた。エンジンが冷めるまで少し休もう。

 

 シートから降りてゴーグルを取り、ヘルメットを脱ぐ。

 

 吹き荒れる海風がボクの髪をぐしゃぐしゃにした。

 

「あったかい」

 

 春の心地よい風に思わず目を瞑る。

 

 崖側のガードレールに両手を乗せて、さんさんと降り注ぐ朝日を浴びてキラキラと光り輝く大海原を眺める。

 

 水平線、地球の丸みすらわかるほどの大パノラマ。相も変わらずこの世界は美しい。

 

「綺麗だな」

 

「だね」

 

 隣のリンが、スマホをかかげて海をパシャリ。

 

「双葉、こっち見て」

 

「はーい」

 

 振り返りピースする。パシャリ。シャッター音が鳴る。

 

「リンも撮ってあげるよ」

 

「ありがと。でもあとでいいよ。どうせあいつらもうすぐ来るだろうし」

 

「そういえばさっき連絡あったもんね。今どこらへんかな?」

 

「リンちゃーん、双葉ちゃーん! おーい!」

 

 春の暖かさに負けないくらい、元気いっぱいの声がボクたちを呼んだ。

 

 声のほうに振り向く。2人乗りの青いエイプがボクたちの前に停まった。

 

「おはよーリンちゃん! 双葉ちゃん!」

 

 いぇーいとハイタッチしてくるなでしこ。バイクがよっぽど楽しかったらしい。

 

「おはよなでしこ。それに久しぶりアヤちゃん」

 

「2人とも、おひさー」

 

 綾乃はそう言って、にっこりとボクたちに笑いかけた。相変わらず元気そうでなによりだ。

 

 今日は待ちに待った伊豆キャンリベンジ。

 

 これまでいろいろあったけど、ボクたちは相変わらず旅ばかりだ。

 

「それじゃあ全員集まったことだし! 出発しよっか!」

 

「「「おー!」」」

 

 ヘルメットを被り、シートに跨る。

 

 イグニッションスイッチをオン。メーターランプが淡く光り燃料計の針が動いていく。

 

 キックペダルを足で引っ張りだし、蹴り飛ばす。春の日差しで暖まったエンジンが威勢よく唸り、白い煙が春の風に溶けていく。

 

 それじゃあ行こっか、ビーちゃん。

 

「みんな行くよー!」

 

 ギアを上げ、クラッチをつなぎスロットルを回す。 

 

 走り出す。ゆっくりと景色が流れていき、だんだんと早くなっていく。

 

 風を切り、道路を蹴り、ボクたちは走り出す。ボクの、ボクたちの旅がまた始まる。

 

 さぁ、今日はどこに行こうかな!

 

 

 

 

 

 

 

 

ザコ(ボク)の旅

 

 

【挿絵表示】

 

 

おしまい。

 

 

 

 

 








 これにて完結です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 活動報告にあとがきとこれまで挿入した挿絵を載せるので、興味がございましたら作者ページからどうぞ。
 
 番外編は引き続き更新。本編のほうでもおまけのオリジナル話を2話ほど投稿する予定です。

 ではまた後ほど。
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