※原作76話までに提示された情報をもって執筆しています。原作の今後の展開によっては矛盾が生じる可能性がありますが、あくまでおまけとしてお楽しみください。
自転車キャンプと春のハンバーガーセット(1)
リン:双葉、なでしこ、起きてる?
なでしこ:おきてるよー!
双葉:zzz……
リン:こ、こいつ、寝ながらスマホいじってやがる……!
リン:まあいいや。あのさ、伊豆キャンのとき自転車でキャンプに行こうって言ってたの覚えてる?
リン:よかったらさ、今度のテスト明けに3人で行かない? 場所はそっちで決めていいからさ
双葉:いくー!
なでしこ:いくー!
リン:…………
リン:はいよ
自転車を担いで玄関の外にでる。銀色に輝くクロモリフレームが陽光を反射して鈍く輝いた。
「お前もひさしぶりだなー」
ボクはそう言って、久方ぶりに世話になるもう一人の相棒の車輪をくるりと手で回した。
「さーて、荷物積みますかー」
銀色のランドナーをコロコロと転がし軒先に停め、今日のキャンプの荷物を積んでいく。
パニアバック、マットレス、寝袋、テント……前輪と後輪についている荷台に荷物を載せ、ロープで縛り付ける。
5分もしないうちに荷物を積み終わり、最後の仕上げに薄めたスポーツドリンクがたっぷりつまったボトルと空気入れをフレームのホルダーにそれぞれ差し込む。
「これでよしっと」
荷物を積み終わった自転車を改めて眺める。
前輪と後輪におっきな鞄をぶら下げ、荷台にキャンプ道具を満載したランドナーは独特の迫力がある。
やっぱりランドナーは荷物を積んでこそだ。この感じ、懐かしいなあ。
車体を軽く前後に動かしブレーキを確認。うん、ブレーキもとくに問題ないな。荷物のぐらつきもなしっと。
「それにしても……」
空を見上げる。冬の空と違って、どこか柔らかさを感じる青い空。
わたあめを千切って散らしたかのような白い雲がふわふわとボクの頭の上を流れていく。
「いい天気だなー」
キャンプをするのに、これほどいいコンディションはないだろう。
時計を見る。待ち合わせにはちょっと早いけど、もう行っちゃおう。
「じゃ、行こっか」
グレーの布張りのヘルメットを被り、使い込んだ指ぬきのサイクルグローブをはめる。
最近カリブーで買ったマウンテンパーカーの袖を肘までまくり、ハーフパンツの裾をキュッと絞ったら準備は完了。
サドルに跨り、ところどころはげた革張りのドロップハンドルに手をそえる。
使い込んでちょっと黒ずんだ白いスニーカーを、傷だらけのペダルのトゥークリップに差し込み漕ぎ出しやすい位置まで回す。
乗るのはずいぶんと久しぶりだけど、身体はちゃんと覚えてたみたいだ。
「忘れ物はなしっと……あ、そうだ」
首をくるっと玄関に向け、ドアの隙間からじーっとこっちを覗いてくるボクによく似た人影を見る。
……普通に外に出て見送ってくれればいいのに。不審者かもしくは心霊現象にしか見えないからやめてほしい。
まあいいけどさ。どうせいつものことだし。
「行ってくるね! お母さん!」
手を振ってペダルを漕ぎ出す。
そんなボクに、お母さんもドアから手をにゅっと出して振り返してくれるのであった。
春真っ盛りの5月。
朗らかな春空の下、陽光をたっぷりと含んだ春の風を浴びながら、ボクはいつものように旅をしていた。
ペダルを漕ぐ。
フロントギアに噛み付いたチェーンが景気よく回り、チリチリと音を立てながら幅35mmのタイヤをぐんぐんと回していく。
久しぶりのバイクとはまた違う解放感に懐かしさを感じながら、ダウンチューブに取り付けられたレバーに手を伸ばす。
今ではめっきり使う人のいなくなったシマノ製のダブルレバー式シフターを奥に倒せば、後輪の変速機がガチャリと音を立て、ギアに噛み付いたチェーンをより小さなギアに巻き付けていく。
さっきよりも少し重くなったペダルを漕ぎ、世界をさらに加速させていく。
春の日差しを浴びながらしばらく走っていると、赤い屋根の一軒家が見えてきた。
玄関の側の駐車場には見慣れた青いSUV。最近知ったけどラシーンって言うらしい。そう、なでしこの家だ。
「お姉ちゃーん、行ってくるねー!」
玄関が開いて、中から見慣れた桜色の頭がぴょこんと出てきた。なでしこだ。
「あっ! 双葉ちゃんだ! おーい!」
リュックサックを背負ったなでしこが、ボクに気づいてぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振ってくる。
自転車旅だからなのか、薄手のスタジャンにショートパンツとラフな格好だ。
「おはよー」
そんななでしこにボクも手を振りながら挨拶。レバーを手前に起こしてギアを下げながらなでしこの前で停車する。
「おはよ! なでしこ」
「おはよ! 双葉ちゃん!」
パチン、にっこりと笑い合いながらハイタッチ。
「にしてもずいぶん早いね。待ち合わせまでまだ30分くらいあるよ」
腕時計を見ながら言うと、なでしこは照れ臭そうに頭をかきながら笑った。
「えへへ、待ちきれなくてこっちから迎えに行っちゃおうかなって」
どうやらボクもなでしこも考えることは大して変わらないみたいだ。
「あとはリンが来るのを待つだけだね」
「早くこないかなーリンちゃん」
そわそわしながら手で額の上にひさしを作り左右を見渡すなでしこ。
「あはは、まだこないでしょ」
たしかリンのお父さんが車でここまで送り届けてくれるらしい。
折りたたみ自転車に乗ってるって聞いてたけど、それなら車に積むのも簡単だろうな。
「そうだ! 今からリンちゃんのこと迎えに行こーよ!」
「それ入れ違いになったら悲惨なことになるからやめようね」
握りしめた拳を胸元で構えやる気まんまんのなでしこを諌める。
「あ、そっか。そだったね」
でへへと照れ臭そうに笑う姿は本当に楽しそうで、そんな姿を見ていると、ボクも自然と顔が笑顔になっていくのであった。
そうやって笑いつつ、今日の予定の話をしているとガチャリと横で音がした。
振り向く。なでしこの家のドアが開き、中からすらっとした美人が出てきた。
桜さんだ。
「あ、おはようございます。桜さん」
「おはよ、双葉ちゃん」
ボクが挨拶すると、桜さんは眼鏡の奥の瞳を細めながら優しげに微笑んだ。
「どしたの? お姉ちゃん」
「忘れ物、届けに来てやったのよ」
首をかしげるなでしこに桜さんはなでしこに近づいて頭の上になにかを乗せた。
「わっ!? ……ヘルメット?」
なでしこがきょとんとしながら頭の上に乗ったものをペタペタと触る。
桜さんがなでしこの頭に乗せたもの、それは自転車用のヘルメットだった。
水色のかわいらしいヘルメット。
ロードバイク用の穴のたくさん空いたやつじゃなくて、スケートボードに乗る人が被るような感じの丸っこい形。
春の空を連想させるような淡い水色がなでしこの桜色の髪にマッチしていてすごく似合っていた。
「それ、あんたが小学生の時使ってたやつ。遠く行くんでしょ? ヘルメットくらいは被っていきなさいよ」
「あ、ほんとだ。わぁ、懐かしいなあ。お姉ちゃん探してきてきてくれたの?」
「……べつに、たまたま押し入れの奥にあったの見つけただけよ」
あ、目逸らした。
たぶん、ていうか絶対自転車でキャンプ行くって聞いてわざわざ探したんだろうな。
「えへへ、そっか〜 ありがとお姉ちゃん」
なでしこもわかっているんだろう。お礼の代わりに嬉しそうに笑う。
「……どうしたの? 双葉ちゃん」
「ふふ、なんでもないですよー」
そんな2人が微笑ましくてボクも思わず笑ってしまうのであった。
「そう? そういえば、双葉ちゃんはヘルメットって……持ってないわよね?」
ボクの頭を見ながらちょっと心配そうに眉尻を下げる桜さん。
「たしか家にまだあったわよね……ちょっと待ってて、今──」
「あ! 待って桜さん!」
家の中に戻ろうとした桜さんを慌てて呼び止める。
「大丈夫です。この帽子、ヘルメットなんで」
ボクはそう言いながら被っているグレーの帽子を叩いた。コツンというプラスチックの音に2人が目を丸くする。
「えっ! 双葉ちゃんそれヘルメットだったの! ずっと帽子だと思ってた」
「でしょ? ボクがこの自転車乗り始めたころにお母さんが買ってくれたんだ」
「触ってもいい?」
驚きながら触っていいかと聞くなでしこにうなずきながら言う。
「ほへぇ、ほんとにヘルメットだぁ」
まるでワンコのようにボクの周りをうろうろしながらヘルメットをコツコツと叩いていくなでしこ。
「なでしこ、頭響くからやめて」
「わわっ、ごめん!」
「……ふふっ、大丈夫そうね」
そんなボクたちを見て、桜さんは楽しそうに笑うのであった。
さてと、あとはリンさえ来れば……
「あ、リンちゃんだ! おーい!」
噂をすればなんとやら。
なでしこが飛び跳ねながら手を振る先で、見覚えのある車が近づいてきた。
運転する渉さんの横でリンがボクたちに手を振る。これで役者は全員揃ったってわけだ。
さてと、今日はどんな旅になるのかな?
ボクは空を見上げながら、これからはじまる旅に思いを馳せるのであった。
「リン、忘れ物とかは大丈夫かい?」
「ううん、大丈夫。ありがとお父さん」
車のハッチから取り出された折り畳まれた自転車を組み立てながら、リンが渉さんに言った。
こっちもなでしこと同じく、薄手のパーカーに6部丈のデニムと動きやすそうな格好だ。
「わかった。じゃあ明日になったらまた迎えに行くね。帰ってきたら連絡よろしく」
「はーい」
「それじゃあ、双葉さん、なでしこちゃん。リンをよろしく頼むよ」
「各務原なでしこ! 任されましたー!」
「はっ! 必ずや娘さんを五体満足で送り返してみせます!」
そう言って渉さんに敬礼をするボクとなでしこ。
「……言っとくけどお前ら、これから行くのただのキャンプ場だからな。戦場じゃないからな」
そんなボクたちをリンがいつものように冷めた目で見て、
「ははっ、2人とも元気そうでなによりだね。それじゃあ僕はもう行くね」
渉さんも楽しそうに笑うのであった。
「あ、そうだリン」
帰ろうとしていた渉さんが、なにか思い出したかのように言った。
駆け足で車に戻ると中から頭ほどの大きさのある白い物を持って戻ってきた。
どこかデジャブを感じさせるやり取り。ボクの予想だとこのあとは……
「はいこれ」
渉さんがリンに手に持った物を手渡す。
「なにこれ? ……ヘルメット?」
渉さんが手渡したもの。それはなでしこのときと同じく自転車のヘルメットだった。
空気穴のたくさん空いた、メロンパンみたいな見た目のよくある自転車用のヘルメットだ。
「あれ? こんなの家にあったっけ?」
「こんなのもなにも、それ買ったのリンだろ? 覚えてないのかい? キャンプはじめたばかりのころ、自分で買ってたじゃないか」
「言われてみれば……うーん、買ったようなないような……」
「押し入れに入れっぱなしだったのを母さんが見つけてくれたんだよ? せっかくなんだから被っておきなさい」
「……そっか。あとでお母さんにお礼言っとかないとな」
こめられた意味を受け取って、リンがどこか嬉しそうに微笑む。どこの親も、考えることはけっきょく同じってことか。
ボクは頭に被ったヘルメットをコツンと叩きながら、このヘルメットを買ってくれた人のことを考えた。
なんか、いいお土産あったら買って帰ってあげよう。
そう思うボクなのであった。
「よし、こんなもんだな。おまたせ」
白いヘルメットを被ったリンが、キャンプ道具を積み込んだ自転車に跨りながらボクたちを一瞥する。
「すげぇ久しぶりだな。チャリに道具積んでキャンプ行くのなんて」
リンが自転車のハンドルに手を添えながら、昔を懐かしむように笑う。
「わたしと初めて会ったときも自転車だったよねえ」
「そういえばそうだったな」
「懐かしいよねえ」
リンはキャンプしに行った。
なでしこは富士山を見に行った。
ボクは本栖湖を見に行った。
それはまったくの偶然で、ちょっとでも歯車がズレていたら、ボクたちはきっと出会わなかっただろう。
まるで奇跡としか言いようがない偶然。いや、本当に奇跡だったんだろうな。
あの日はそんな素敵な日だった。ならきっと……
「じゃ、行くとするか」
「しゅっぱーつ! しんこー!」
「おー!」
今日も素敵なことが起こるに違いない。
「行ってくるねーお姉ちゃん!」
そんな確信めいた予兆を感じながら、自転車のペダルに足をかける。
荷物は積んだ。道は覚えた。空は晴れ、風が気持ちよく吹いている。こんな日はきっと、最高に楽しいキャンプになるだろう。
「3人とも、ちょっといい?」
今まさに出発しようとするボクたちを桜さんが呼び止める。その手に持ったスマホがボクたちに向けられる。
なにをしたいのかなんて、聞かなくてもわかる。
「「「いってきまーす!!」」」
3人で、ニカっと笑ってピースサイン。パシャリと撮られる一枚の写真。
桜さんがふっと微笑む。きっと、素敵な一枚になったんだろう。あとでボクにも送ってもらおう。
「3人とも、気をつけてね」
手を振って走り出す。
ペダルを漕げば、チリチリと音が鳴ってタイヤがぐんぐんと回っていく。
眼鏡の向こうに広がった、春の朝日をたっぷりと浴びた世界。
視界に飛び込むなにもかもが色づいて見えて、そんな世界を走っていると、なんとも言えない高揚感が全身を隈なく包み込んで、風に流され消えていく。
流れる雲を、瞳で追う。シフトレバーを指で押す。走っていく。
若草が瑞々しく背を伸ばす春の南部。水面に浮かぶ青々とした稲苗を横目に眺めながら、ボクはクランクをクルクルと回していくのであった。
用語解説
シマノ
自転車用品と釣具を主力とするメーカー。国内において圧倒的なシェアを誇り、街中で走る自転車のほぼ全てに何かしらのシマノ製パーツが使われている。イタリアのカンパニョーロ、アメリカのスラムと並ぶ世界3大自転車パーツメーカー
ダブルレバー式シフター
ブレーキレバー一体型シフターが主流となる以前に広く普及していたシフター。文字通りフレームに取り付けた2本のレバーを操作して変速を行う。
変速の際に手をハンドルから離さなければならず、使い勝手がいいとは言えないが単純な機構のため高い耐久性を誇り、現在でもランドナーなど耐久性を重視する自転車に多く採用されている。
帽子型ヘルメット
カポルで検索。インナーヘルメットに帽子型のアウターを装着することでサイクリング時のファッション性と安全性を両立させた製品。
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