静岡に向かって52号線をひた走っていく。
ペダルを漕げば、タイヤがシャーシャーと音を立てて回り、暖かい風と心地よい太陽がボクたちを包み込んでいく。
「えへへ、楽しいね! リンちゃん、双葉ちゃん」
前を走るなでしこが、楽しそうにペダルを漕いでいく。
いつも見送ってもらってばかりだったから、こうして背中を追いかけるのはなんだか新鮮だった。
「そういやなでしこ。今日どこ行くんだっけ? 川沿いってのは聞いてるんだけど」
ボクの後ろを走るリンがなでしこに聞く。
「えっとね、興津川の上流にあるキャンプ場だよ。無料で、しかもちょっと先に温泉があるんだって〜」
「なにそれ、めっちゃいい場所じゃん」
「でしょ〜 アヤちゃんが教えてくれたんだぁ」
綾乃かぁ。そういえばこの前そんな写真送ってきてたっけ。
琵琶湖行ったり千葉行ったり、吊り橋巡りしたり、もうすっかりベテランキャンパーだ。
52号線から眺める身延の山々は、どれも瑞々しく輝いていて、空の上で輝く太陽に、ハンドルに取り付けたベルがキラリと輝く。
「気持ちいいなあ」
ペダルを漕ぎながら、そっとつぶやく。やっぱ自転車も好きだな。改めてそう思う。
速くはない、走るたびに疲れて、なにかと不安定。バイクのほうが乗り物としての利便性は圧倒的に上。
だけど、息を荒くして、心臓の鼓動とともにペダルを回していく一体感は自転車でしか味わえない。
「たまにはお前も乗ってやるか……」
ハンドルを握りしめつぶやく。よーし、ちょっと本気、出しますか。
走りながらダウンチューブのシフターに手を伸ばす。左側のレバーを掴み、手前に引く。
ガチャリ、フロントのギアが3段に変わり、ペダルが一気に重くなる。
ドロップハンドルの下を掴み、腰を持ち上げる。
そして漕ぐ。思い切り漕ぐ。
引き足と踏み足をフルに使い、車体を左右に小刻みに振りぐんぐんと加速していく。
「あ、おい!」
「待ってよー双葉ちゃーん!」
「ふーははー! 2人とも、おっさきー」
ぐんぐんを通り越して、ぎゅんぎゅんと加速していく車体。2人には悪いけど、ちょっとお先に行かせてもらおう。
ごうごうと耳元を騒がす風切り音。じゃーじゃーと猛烈な勢いで回転していく車輪。
きっと40キロくらいは出てるだろう。太めのタイヤを履いてるとはいえ、やっぱ怖いなあ。
荒れた息。脈打つ心臓。額に滲んだ汗が春の風に流されて乾いていく。
「ふぅ……ふぅ……」
久しぶりだからちょっと疲れてきた。いいかげん普通に漕ごう。さて、どんくらい離したかな。
後ろを振り返る。
ボクのすぐ後ろを走るなでしこと、はるか後方で豆粒のよう小さくなったリン。
向こう折りたたみ自転車だし、ちょっと大人気なかったかな。
……
…………
………………
「……あれ?」
なんか、おかしくない? 落ち着け、もう一度見てみよう。
すぐ後ろで追走するなでしこ、だんだん近づいてきたリン……
うん。なんで、なでしこいるの?
「わぁあん! 待ってよぉ! 双葉ちゃーん!」
べそをかきながら猛烈な勢いでペダルを回すなでしこ。
……おかしいなあ。
ボク今少なくとも30キロ以上は出してるはずなんだけどなあ……
「お前ら、いきなりペース上げんなよ」
あ、リン来た。ていうか、リンも速くない? さっきまで50メートルくらい離れてたよね。
「やっぱ身体動かすと気持ちいいね! そーだ! 3人で次の信号まで競争しよ!」
負けた子がジュース奢り。そう言いながらなでしこがボクを軽々と抜き去っていく。
「あ、おい! ……ったく、しょうがないなー! 双葉、行こ?」
リンがボクを抜き去っていく。
おかしいなあ。リンが乗ってるの、ただの折りたたみ自転車のはずなんだけどなあ。
「あ、あはは……」
もしかして、ボクは実はとんでもない子たちとサイクリングをしちゃっているのではないのだろうか。
「双葉ちゃーん! こっちこっちー! 川綺麗だよー!」
って、もうあんな先まで行ってるし!
「待ってよ2人ともぉー!」
ギアを下げ必死にペダルを漕ぎながら、2人に追い縋る。あ、やばい、足疲れてきた。
あーもう! 調子に乗るんじゃなかったー!
5月、富士川街道。ボクの情けない悲鳴が春の風にかき消されていく。
ちなみに勝負には負けた。ぶっちぎりでビリだった。ちくしょー、おぼえてろよぉ(息切れ)
「ふっ、ふっ」
左右を杉の木々に囲まれた登り坂を息を荒くしながら登っていく。
富士川街道を8キロ走っていくと、そこはもう峠道だ。
いつもなら原付で楽々と登っていた道も、キャンプ道具を積んだ自転車でとなると、けっこうな重労働になる。
一番軽いギアで、なるべく体力を消耗しないようにリズムよく漕いでいく。
「チャリだと、こんな、きつかったっけ!」
「わ、か、るっー!」
リンとひぃひぃ言いながらきつい登り坂を登っていく。
静岡と山梨を結ぶ峠道は、春とはいえひんやりとしていて、冷たい空気が火照った身体に心地いい。
「見て見てー! 富士宮市だってー!」
ちょっと先を走るなでしこが、楽しそうに青と白の道路標識を指差す。
「しぐれ焼き、また食べたいなぁ〜」
「……あいつ、なんであんな平然としてやがるんだよ……」
キャンプ道具を満載したリュックサックというハンデを背負っているのにもかかわらず、楽しそうに漕いでいくなでしこにリンがげっそりとする。
「リン、ボクたちはボクたちのペースで行こう。じゃないと、死ぬ」
「……だな」
ちょっと喉が渇いた。フレームのホルダーに差し込んだボトルを手に取り、走りながらスポーツドリンクを流し込んでいく。
うん、ぬるいけどおいしい。
「リンも飲みなよ」
「ごめん、ありがと」
ちょっとスピードを落としてリンに横付けし、ボトルを手渡す。
「あれ? これどうやって飲むんだ?」
ボトルを眺めながら首をかしげるリン。
そっか、自転車乗ってる人じゃないとこういうのあんまり使う機会ないもんね。
「押せばそのまま出てくるよ」
ボクが教えるとリンが飲み口を口につけ、ごくごくと飲み始めた。
「うめぇ、ありがと」
返されたボトルをまたホルダーに戻す。自転車はこうやって走りながら飲み食いできるから楽しいんだよなあ。
「そろそろちょっと休憩したほうがいいかもね。たしか、この先にコンビニあったはずだし、そこでちょっと休憩しようよ」
ついでにちょっと食材も買っておこう。まあほとんど持ってきてるから大丈夫だろうけど。
「うぃー にしても……」
リンがしんどそうな顔でペダルを漕ぎながら前を見る。
「ふっじのみや〜 しっぐれやき〜」
前から聞こえてくるなでしこの楽しそうな歌声。ボクたちは額に汗を滲ませひぃひぃ言ってるというのに……
「めちゃくちゃ元気だな、あいつ」
「だよねー」
このキャンプが終わったらちょっと自転車に乗る機会を増やそう。そう思うボクであった。
髪をなびかせながら、長い下り坂を駆け降りていく。
「ふぉぉぉ!」
前を走るなでしこが楽しげに叫ぶ。
「あんまスピード出しちゃダメだからねー」
「はーい!」
前輪と後輪のブレーキを交互に効かせ坂を降りていく。
バイクと違ってちょっと握り込んだだけで簡単にタイヤがロックしてしまうから、慎重にブレーキを握っていく。
とはいえ、重い荷物を積んだ自転車だ。スピードはみるみるうちに上がっていった。
風とともに流れていく山の景色。朗らかな風が滲んでいた汗を吹き飛ばしていくのがなんとも心地いい。
着込んでいたパーカーのジッパーをちょっと下ろす。流れ込んだ風が熱くなった身体を冷やしていく。
流れる雲。爽やかな風。青い空に心地よい日差し。
ゴーグルをしていないせいなのか、それとも速度が遅いせいなのか、いつも走っている道なのに、見え方がまるで違う。
「たまには自転車も悪くないな」
後ろを走るリンが言う。ボクにはリンの気持ちがよくわかった。
同じ景色のはずなのに、乗り物が違うだけでこんなにも違って見える。それがなんだかおもしろい。
遠くに行くだけが、旅の楽しみじゃない。そういうことなんだろう。この2人といると本当にいろんなことを教えられる。
「リンー! 誘ってくれてありがとねー!」
「……ふっ、どういたしまして」
リンが言う。
後ろを走っているから顔は見えなかったけど、たぶんきっと、笑ってくれているんだろうな。
そんなことを考えながら身延道をどんどんと南下していく。
「……およ?」
カントリークラブの入口を通過したところでなでしこが不意に自転車を停めた。
「どうしたのーなでしこ」
たずねるボクになでしこが無言で指をさす。指の先には木でできた看板が立ててあった。
「人情あつい、茶の里宍原……」
「お茶は急須が一番ずら……」
看板の手書きの文字を2人で読み上げる。
看板のとおりよく見ると看板の横に茶畑がある。そういえばここら辺お茶が有名だったっけ。
「双葉ちゃん、喉渇いたずら」
「なでしこ、スポドリ飲むずら」
「ありがとずら」
「お腹空いたずらね」
「この先のコンビニで休憩するずら」
「さんせーずら」
「お前ら、早く漕げずら」
写真を一枚撮って、先を行くリンを追いかけ走り出す。
そんなボクたちの上を飛行機が一機、雲を引きながら飛び去って行くのであった。
「「「いただきまーす」」」
パクリ、3人でアメリカンドッグにかぶりつく。
ほんのりと甘いサクサクの生地と、魚肉ソーセージの塩気が疲れた身体に染み渡っていく。
「いつ食べてもおいしいよねい。アメリカンドッグ」
「なーんか、たまに無性に食べたくなるよねえ」
「あー、それなんかわかるな」
「でも、なんでアメリカンドッグなんだろね」
「わかんないけど、なんかアメリカっぽいよね。ソーセージに生地つけて揚げるとか、いかにもアメリカン人って感じじゃん」
「アメリカン人かぁ」
「アメリカン人だな」
「うん、ただの言い間違えだからね。そんな何回も言わなくていいからね」
コンビニをあとにする軽トラックを目で追いかけながら残ったアメリカンドッグに齧りつく。
顔が熱いのは気のせいだ。気のせいったら気のせいなのだ。
そんなボクたちの前をいろんな荷物を積んだトラックが走り去っていく。ここら辺は工場や倉庫がたくさんあるから、走るとき気をつけないとな。
「まあでも、なにもつけないで食べるとちょっとくどいな」
そう言いながらリンがなにもつけてないアメリカンドッグを齧る。
わけあってボクたちは買うときについてきたケチャップとマスタードをつけずにたべていた。
「Hey! リンちゃんや、真のキャンプのためには我慢も必要なんじゃよ! HAHAHA!」
「アメリカンお婆ちゃん……」
楽しそうに話す2人を眺めながら、停めてある自転車に目を向ける。
グレーと赤の折り畳み自転車。なでしこの自転車はしょっちゅう見てるけど、リンの自転車を見るのは初めて会ったとき以来かもしれない。
あのときは暗くてよく見えなかったけど、今ならよく見える。あ、この自転車よくみたら……
「今気づいたけど、2人ともダホンの自転車乗ってるんだね」
「へっ? 駄本?」
ボクの言ったセリフになでしこが首をかしげる。あってるんだけど、なんかニュアンスが違う。
「ダホン、アメリカの折り畳み自転車のメーカーだよ。なでしこのは前から知ってたけど、リンもそうだったんだね」
「へぇ、わたしお父さんが買ってくれたの乗ってただけだから知らなかったな」
「けっこういいやつだよ。乗りやすいでしょ?」
「言われてみればたしかに、ママチャリより全然走りやすいな」
「そっかぁ、リンちゃんとお揃いなんだぁ。えへへ」
「なんでそんな嬉しそうなんだよ……ていうか、わたしのチャリより双葉の自転車のほうがすごいだろ」
そう言いながらボクの自転車を観察するリン。たしかに、ロードバイクけっこう見かけるけど、ランドナーはあんまり見る機会ないだろうな。
「鞄4つもついてるし、前のギアとか3枚あるし、どこのメーカーなの?」
めっちゃ荷物積みやすそうと、リンがうらやましそうに見てくる。
「これ、ボクも詳しく知らないんだ。お母さんは知り合いの自転車職人に頼んで作ってもらったって言ってたけど」
自転車のサドルを叩きながらこの自転車について知っていることを話す。
「えっ!? 双葉ちゃんこれ手作りなの?」
手作り自転車というパワーワードになでしこが目を見開いて驚く。まあ普通そうだよね。
「うん、みたい。鋼材溶接して作ったんだって。ボクのお母さんの体格に合わせてフレーム作ってあるからすごい乗りやすいんだ」
普通この手の自転車って最低でも150cmくらいはないとかなり乗りづらいはずなんだけど、これはそんなことは一切ない。
きっと身体を隅々まで採寸してミリ単位で調整したんだろう。まさに職人の腕が光る逸品だ。
……でも、なんでそんな人と知り合いなんだろ、ボクのお母さん。ほんと、謎すぎる。
「そろそろ行くか。そういえば今どのくらい走ったっけ」
串にこびりついた衣のカスを齧りながらリンが言う。
「たしか、15キロくらいだったはず。キャンプ場まで40キロだから……」
「三分の一ってところか。久しぶりだからやっぱ疲れるな」
そう言いながら腕や足を伸ばすリン。きっと原付なら楽勝なのにとか思ってるんだろうな。まあボクもだけど。
「明日絶対筋肉痛だろうねー」
「うぐっ……まあしょうがないか」
「温泉浸かればきっと大丈夫だよ! それにお父さんも言ってたよ! すぐに筋肉痛になるのは若さの証拠だって! 誇っていいんだぞって!」
微妙に哀愁の漂うなでしこパパの言葉になんとも言えない感情に包まれる。
「……とりあえず行くか。筋肉痛にならないうちに」
ゴミを片づけ、リンがスポーツドリンクをひと口飲んでから自転車に跨る。ボクもボトルからひと口。
よし、残り25キロ、頑張って走るとしよう。
「しゅっぱーつ!」
「「おー」」
走り出すなでしこ。そんななでしこに続いていくボクたち。目的の地は未だ見えず。
燦々と輝く陽光に照らされた興津川を横目で眺めながら、キャンプ場を目指し自転車を漕いでいく。
あれからコンビニをあとにしたボクたちは、52号線を下り興津川を渡ったのち75号線に入った。
ボクが覚えているかぎり、この道を走るのは初めてだ。初めての道を走るのは、いつだって気分が高鳴る。
「わはぁ」
「おぉ……」
それは2人も例外じゃないみたいだ。前を走るなでしことリンから楽しそうな声がする。
表情は見えないけど声と雰囲気で想像はつく。
降り注ぐ太陽と風を浴び、高鳴る鼓動に身を任せてペダルを漕いでいく。もうちょっとスピードがほしいな。
漕ぐのをやめレバーを奥に向かってめいいっぱい倒す。変速機がスパンスパンとギアを変えていき、ペダルが一気に重くなる。
ペダルを漕ぐ。目まぐるしく変わっていく景色。進めば進むほど、濃くなっていく草花の匂い。
ほのかな期待が、大きな期待に変わっていく。
「よーし! キャンプ場までこのまま一気に行っちゃおー!」
「おー!」
「……おー」
灰と赤、そして銀。6つのタイヤを転がして、ボクたちは川を上って進んでいく。
ペダルを漕げば漕ぐほどに、風を受ければ受けるほどに、山は濃く、そして深くなっていく。
はじめはちょろちょろと流れているだけだった興津川も、今ではすっかり大きな流れになっていた。
「あっ、2人とも! みてみて!」
先頭を走るなでしこが左のほうを指差す。なにか見つけたみたいだ。
「……あれって」
「吊り橋、だね」
ききぃと音を鳴らしながら自転車を停め、コンクリート作りの堤防から向こう岸に架けられた小さな吊り橋を眺める。
「へぇ、こっちにもあるんだな。吊り橋」
「なんかあれ思い出すね。3月のキャンプ」
向こう岸に通したワイヤーに板を敷いただけの簡易的な橋を見ていると、3月に綾乃とリンたちの4人で行った静岡のキャンプを思い出す。
「あれ楽しかったよねぇ。また4人で行きたいなあ」
「だねぇ」
どうせ浜松まで100キロちょっとしか離れてないんだし、綾乃も誘えばよかったかな。
まあ綾乃の場合、呼ばなくても勝手に来るんだけどね。
この前だってボクがソロキャン楽しんでたら、しれっとやってきてなし崩しに2人キャンプになっちゃったし。
なにが『来ちゃった』だよ。いや、まあめっちゃ楽しかったからいいけどさ。
「この形……夢の吊り橋に似てるな」
「まああれよりちっこいけどね」
「リンちゃーん、双葉ちゃーん! こっちこっちー!」
いつの間にか吊り橋の中ほどまで移動していたなでしこがジャンプしながらこっちに手を振る。
「もう渡ってやがる」
「あんなところでジャンプしたら……」
「あわわっ!? め、めっちゃ揺れてるぅ!」
「言わんこっちゃねえ」
「あはは……」
「……あーもう! 今行くからじっとしてろよー! 双葉も行こ?」
リンがボクの手を掴んで吊り橋に向かって走り出す。
そうだ。あとで写真でも撮って綾乃に送ってあげよう。そう思うボクだった。
そんなちょっとしたハプニングを挟みつつ、キャンプ場目掛けて自転車を漕いでいく。
川にそって敷かれた大きな右のカーブを抜け、高速道路の橋の下を通り抜けたとき、それは突然現れた。
「……なんだありゃ?」
リンの言葉を皮切りに、向こう岸に突然現れたそれに、ボクたちを目を釘付けにされた。
カーブを抜けた先の隅に自転車を停めて3人で謎の物体を観察する。
「んー なんだろね。ひょうたん?」
「とっくりのお化け……」
それはコンクリートで作られた巨大なとっくりみたいななにかだった。高さはちょっとしたビルくらいある。
本当に唐突に現れたからすごいびっくりした。思わず二度見しちゃったよ。
「えっと……あ、あった。給水塔だって、あれ」
スマホをいじるなでしこが、ボクたちに謎の物体の正体を教えてくれた。言われてみればたしかに給水塔に見えなくもない。
「でもなんであんな形なんだろ」
「うーん、市長さんがすっごいお酒好きだったとか?」
「いや、鳥羽先生じゃないんだぞ」
鳥羽先生でもそんなことしないんだよなぁ。一応写真撮っとこ。
スマホをかかげて写真を一枚。場所が悪いからあんまりうまく撮れなかったけど、旅の思い出にはちょうどいいだろう。
あ、ついでに鳥羽先生にも送っとこ。
双葉:先生が好きそうな建物、見つけました!
鳥羽:なるほど、これはいい徳利ですねえ……ってそこまで飢えてませんよ!
「ふふっ」
わりとすぐ来た返信にくすりと笑いつつ。自転車に跨る。
「そろそろ行こっか」
「そうだな。よし、あともうひと踏ん張りだ」
「リンちゃん双葉ちゃん! あの給水塔のすぐそばにお茶屋さんのカフェあるんだって!」
今まさに走り出そうとしたボクたちを、なでしこが呼び止める。
「じー……」
振り返ったなでしこが、ボクたちを見つめる。それはもうキラッキラした目で見つめる。
行きたいって言えばいいのに。
「……今日はなでしこが主役のキャンプなんだから、ボクたちはついてくだけだよ。ね? リン」
ボクがリンに目配せをすると、リンはなでしこを見てから優しげに微笑んだ。
「いいかげん疲れたし、ちょっと休憩してくか」
「わぁ!」
その言葉になでしこの目キラキラした目が、さらにいっそうキラキラと輝く。
「やったぁ! じゃあ行こ! しゅっぱーつ!」
土煙が出そうな勢いで走り出すなでしこ。よっぽど行きたかったらしい。
「あ、おい! 行こ双葉!」
「うん!」
そんななでしこに置いていかれないよう、ボクとリンも慌ててペダルを漕ぎはじめる。
「えっほ、えっほ……」
「ほっ、ほっ、ほっ……」
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
なでしこ、リン、ボク。3人の息遣いが静かな山道にこだます。
あのあとカフェでおいしいお茶とアイスクリームでひと息入れたボクたち3人は、キャンプ場へ向けての最後の道を進んでいた。
さっき道沿いの小さなスーパーで足りない食材も買い足したので、あとはキャンプ場に行くだけだ。
南部町からここまでおよそ40キロ弱。
距離としてはそこまで遠いわけじゃないけど、ここに来るまでのきついアップダウンもあって、けっこうな疲労を感じていた。
左右に広がる竹林の中を走っていく。
ひび割れたアスファルトの上をタイヤが通ると、ハンドル越しにガツンと衝撃が伝わって、荷台に積んだ荷物がガチャリと音を立てて揺れていく。
「なでしこ、あとどんくらーい?」
リンがちょっと気だるそうにたずねる。さすがにリンも疲れてきたらしい。
「2人とも、あとちょっとだからファイトだよ!」
「「うぃー」」
しんどそうにペダルを漕ぐボクたちとは打って変わって、元気いっぱいのなでしこに先導され竹林を抜けていく。
開ける視界。渓谷の中により集まった畑と民家の中を走っていく。
「橋でけぇ……」
遥か頭上にある山と山を結ぶように架けられた巨大な橋を3人で見上げる。
「たぶん中部横断自動車道だね。間近で見るとやっぱ迫力あるなぁ……」
高速の真下を通るなんて、あんまり経験がないからなんか変な感じ。
「こんなのどうやって作ったんだろ……」
3人で思い思いのそんな大きな橋が作り出す大きな影の下を通り、ポツンポツンと立ち並ぶ民家を後にし、川に架けられた橋を渡っていく。
そして……
なでしこの自転車が橋の出口で止まる。振り返る。
「おつかれ! ついたよ!」
そう言って、にっこりと笑った。荒れた息を整えながら、ゆっくりとあたりを見回す。
丸っこい石の敷き詰められた河川敷。青々とした草木。脈々ながれる興津川。
川にそって広がったサイトにポツンポツンと張られたテント。間違いなくキャンプ場だ。
「うーん、やっとついたぁ!」
「長かったねえ」
身体を伸ばしながら、たどり着いた喜びに打ち震える。
「2人とも、おつかれい!」
自転車から降りたなでしこが、ボクたちの前で手を上にあげる。なにをやりたいのかはもうわかっている。
「「「いぇい!」」」
パチン、3人でハイタッチ。小気味のいい音が春の興津川に鳴り響く。
「それじゃ、このあとどうする? もうテント張る? それとも、どっか寄ってく?」
「リンったら、わかってるくせに」
ボクの言葉にリンがニヤリと笑う。
「ふふふ、だよねだよねぇ」
なでしこもおんなじようにニヤリと笑う。
「じゃあ3人でどこ行くか一斉に言お!」
なでしこの言葉に3人で顔を見合わせる。これからどこに行くかなんて、そんなの決まっている。
「せーの!」
「「「おんせーん!」」」
そう言って、ボクたちはにっこりと笑い合うのであった。
用語解説
ダホン
アメリカの折り畳み自転車専門の自転車メーカー。ドラマ版ではリンが『Speedfalco』なでしこが『Boardwalk D7』に乗車。