ホンダ モンキー50
1960年代、とあるテーマパークの遊具として生み出されたこのバイクは、他に類を見ない独創的なデザインと手軽さから発売から瞬く間に大ヒット。世間に4ミニとばれるジャンルを確立させた。
ハンドルを折り畳めば車のトランクにすら収まる極端にコンパクトな車体に、49cc 3.4馬力の4ストロークエンジンとリターン式の4速マニュアルトランスミッションを搭載。
子供の遊具のような見た目からは想像もできない走りに対するこだわりと、原付大のプラモデルとまで呼ばれるほどの改造の手軽さも相まり、生産開始から半世紀以上が経過した現在でも、国内国外を問わず根強いファンが存在する。
ボクの目の前に停まっているバイクは、そんなバイクだった。
「じゃじゃーん! ついに手に入れちゃいましたー」
8月の暑い日差しを浴びて、額に汗を滲ませた恵那がボクに自慢気に言う。
「うわぁ! モンキーだ!」
原付バイク好きなら避けては通れない名車を前にして、ボクのテンションが上がっていく。
バイクを手に入れたと聞いて甲斐大島駅のそばにある恵那の家まで遊びに来たけれど、まさかモンキーにお目にかかれるなんて。
「おほほぉー ほんとにモンキーだぁ」
庭に停められたモンキーの周りをぐるぐると回って観察していく。
真っ赤なフレームにちっこいホワイトのガソリンタンクがなんともかわいいらしい。
「ふふ、ちっこくてかわいい」
「でしょー? なんかちくわみたいじゃない?」
「言われてみれば見えなくもないかも。まあこの子はお猿さんだけどね」
「ふふっ、モンキーだもんね」
「そういえばちくわちゃんは?」
「暑くて外出たくないみたい。今は家で扇風機の前で寝っ転がってるよ」
「かわいいなぁ、ちくわ……あとで撫で撫でさせてもらおっと。それにしても原付買ったとは聞いてたけど、まさかのモンキーかぁ。ボクはてっきりカブ買うと思ってたよ」
50ccモデルは何年か前に生産終了しちゃったし、モンキー自体すごく人気のあるバイクだ。
仮に中古だとしてもかなりのプレミア価格になるはずなんだけど、こんなのどこで手に入れたんだろうか。
「お父さんの仕事先の知り合いの人がね、何年か前に買ったはいいけど全然乗ってなくて誰かに譲ろうと思ってたんだって。それで、お父さんがわたしがバイク買おうとしてる話したら安く譲ってもらえることになったんだー」
「えぇ、めっちゃラッキーじゃん」
「でしょでしょ? これも日頃の行いがいいからかな〜」
「あはは、かもねー」
なんてうらやましい話なんだ。ボクも誰かピカピカの旧車譲ってくれないかな。
「もう乗ってみたんだっけ?」
「うん。この前リンと甲府のほうまで行ってきたよー やっぱ難しいねマニュアルって」
「大丈夫、すぐ慣れるよ」
「うん! わたし、バイク乗るの生まれて初めてだけどすっごい楽しいね。わたしハマっちゃいそうだよ」
「うんうん! だよねだよねぇ!」
新しいバイク好きの登場に、自然と顔が笑顔になっていく。
「そういえば、アヤちゃんは来てないの? 双葉の家泊まりに来てるんだよね? ラインしたとき一緒に来るって聞いてたんだけど」
「あーそれなら全然起きないから置いてきちゃった。さっき涙目で走ってるスタンプ送ってきたしそろそろ来るんじゃないかな?」
「あ、あはは……双葉けっこう容赦ないね」
「だっていくらゆすっても毛布剥がしても全然おきないし──」
話していると、セミの鳴き声に紛れてバイクのエンジンの音が聞こえてきた。ちょっと野太い4ストロークのエンジン音。エイプの音だ。
どうやら来たみたいだ。振り返る。寝巻きで着ていた半袖にパーカーを羽織っただけの綾乃が、必死の形相でエイプを転がしながらこっちに近づいてきていた。
ウィンカーが点滅し、ボクたちの前でエイプが止まる。
「や、やっとついたぁ〜」
「アヤちゃん久しぶりー」
「あ、恵那ちゃんおひさー……って双葉ー! なんで置いてっちゃうんだよー!」
エンジンを止めてエイプから降りた綾乃が、ぷりぷりと怒りながらボクに近づいてくる。どうやらお怒りの様子。
「だって起こしても起きないんだもん」
ちなみに寝るときに抱き枕代わりにされて苦しかったなんて事実はないのだ。ないったらないのだ。
「だって双葉の家のベッドすっごいふっかふかだったんだもーん」
「はいはい」
「ふふふっ、相変わらず仲良いね……にしても今日あっついなぁ」
恵那が額の汗を拭いながらちょっと恨めしげに空を見上げる。
「だねぇ〜 山梨ってほんと暑いね。わたしもっと涼しいって思ってたよ」
「まあ盆地だし」
「わたしあんまし暑いから来る途中でパーカー脱ごうかと思っちゃったよ」
「あんまおすすめしないよ。それやって腕の日焼けが3ヶ月くらい消えなかった人見たことあるから」
「それって双葉のこと?」
「……ノーコメントで」
ノーコメントもなにもボクのことである。3ヶ月くらい腕時計の跡が消えなかったときは本当に恥ずかしかった。
「あ、あはは……」
「双葉ってさ、たまに滅茶苦茶女子力低いよね」
うるさい。最近はちゃんと塗ってるからいいのだ。ていうか塗らないとあおいとかあおいとかあおいが怖い。
ほんと、あおいってなんでボクにだけ年上みたいな感じになるんだろう。
「そういえばアヤちゃんっていつまでこっちいるんだっけ?」
ボクが今頃スーパーでレジを打っているだろう友だちのことを考えていると、恵那が綾乃にそんなことを聞いた。
「なでしこともキャンプしたいし、とりあえず来週まではいるつもりだよー」
「べつにもっといてくれてもいいのに」
「わたしも本当はそうしたいよー でもほら……ね?」
綾乃がそう言いながら空中で何かを書くようなジェスチャーをする。言うまでもなく宿題だろうな。
「こっちでやればいいじゃん」
「あ、それいいね。なでしこちゃんも呼んで勉強会しよーよ」
「せっかく山梨まで遊びに来たのに宿題なんてやりたくないんだよー!」
双葉代わりにやってーと抱きついてくる綾乃をスルーしながらモンキーに目をやると、綾乃もはっとしたようにモンキーに目を向けた。
「それでそれで? ほほぉ、これが恵那ちゃんの単車かー えーモンキーじゃん! ちっこくてかわいい〜」
ボクと同じようにぐるぐるとモンキーの周りを回りながら目を輝かせる綾乃。同じホンダ乗りとしてシンパシーを感じるのかな。
「うわ、ピッカピカじゃん。これもしかして新車? って、なわけないか」
「ふふっ、いいでしょー? でね、ちょっと2人に頼みたいことがあるんだけど──」
ちょっとだけ恥ずかしそうに頬をかきながら恵那が言う。
今日は待ちに待った夏休み。そんな日にバイク乗りが集まれば、することなんて一つしかない。
そう、旅だ。
『あっづい〜』
「わかる……」
降り注ぐ太陽にうんざりしながら、田園の続く田舎道を走っていく。
『日本の夏って、なんでこうジメジメしてるのかなぁ〜』
「綾乃、心を落ち着けてバイクと一体になるのです……」
『むぅーりぃー』
「だよねー」
だいたいバイクと一体になったところでバイクも太陽でバカみたいに暑くなってるから意味がない。
車と違ってエアコンも屋根もないし、夏というのはバイク乗りにとって地獄のような環境なのだ。
『それにしても、山梨ってほんと田んぼいっぱいだよねー』
「まあ、ぶっちゃけ田舎だし。夜カエルの鳴き声とかすごいよ」
何百匹もゲコゲコと鳴く光景は、なかなか迫力がある。
『でも、なんか落ち着くな。双葉がバイクで走り回る気持ちもわかるよ。あっち車多いんだよねー』
すぐ煽られるしーとぼやく綾乃。たしかにこの時期の国道1号は混んでるだろうな。
そんなことを話つつ、走っていると今日の待ち合わせ場所の甲斐大島駅が見えてきた。
駅前の広場にはすでに恵那がキャンプ道具を積んだモンキーのそばでボクたちに手を振っていた。
「おまたせー」
ボクたちも手を振りつつ停車。ヘルメットを脱いで髪を振りほどく。
「おはよ恵那。待たせちゃったかな?」
「はよー恵那ちゃん」
「おはよー2人とも。ちょうど来たばっかだよ。それにしても、今日も暑いねー」
そう言いながら空を見上げる恵那。
恵那の言うとおり、空は清々しいほど青く、ソフトクリームみたいな入道雲がどっしりと遠くのほうで浮かんでいた。
「ほんと、なんでこんなあっついんだよぉ」
ヘルメットを脱いでハンドルに引っ掛けた綾乃が、うんざりしたように言う。
「やっぱ浜松のほうが涼しい?」
「うん、ぶっちゃけもうバテそう。髪がさーすっごい暑いんだよー もうバッサリ切っちゃおうかなー」
そう言いながら髪を指でつまむ。綾乃の髪はけっこうなロングだ。たしかにその髪の長さじゃ熱も篭るだろうなあ。
「あ、だったらわたしが切ってあげようか? こう見えてもけっこう得意なんだー」
「えっ、恵那ちゃん髪切れるの?」
「本格的なヘアカットは難しいけど、長さ変えるくらいなら大丈夫だよ。この前も双葉の髪切ってあげたし。ね、双葉」
「うん、ありがとね。おかげですっきりしたよ」
リンがなんで切っちゃったんだよと文句を言ってきたけれど、ぶっちゃけ暑くてしかたなかったからしょうがない。
「へぇ、それなら頼んじゃおっかな」
「その気になったらいつでも連絡してねー それじゃあ全員そろったことだし……」
「だね、じゃあ行こっか」
3人で顔を見合わせ、それぞれのバイクに戻る。恵那はモンキーに、綾乃はエイプに、そしてボクはビーちゃんに。
ヘルメットを被り、ゴーグルをかけ、キーを回し、キックペダルを蹴り飛ばす。
ぶるんと唸るエンジン。隣に停まった綾乃が同じようにエンジンをかける。
「やっぱ2人とも慣れてるねー じゃあ、わたしもっと」
よいしょという掛け声とともに、恵那がモンキーのキックペダルを蹴り飛ばす。
小さな車体には似つかわしくない、小気味のいいエンジン音が鳴り響き、マフラーがぺぺぺと煙を吐き出していく。
「準備おっけーだよ!」
「こっちもいいよー」
出発の準備を整えた2人に手で合図して、クラッチを握りシフトアップ。
片足をつきながらUターンし、ウィンカーを出しながら車道の手前で停まる。車はなし、いつでも行ける。
「じゃあ、行くよー!」
走り出す。そんなボクに続いてエイプとモンキーも走り出す。
今日はどんな旅が待ってるのかな?
『どう、ちゃんと聞こえる?』
『うん、ばっちしばっちし』
「大丈夫だよー」
耳元で鳴り響く風切り音に混じって、ちょっとくぐもった恵那の声が聞こえてきた。国道52号線、甲府に向けていつもの道をボクと恵那と綾乃の3人で走っていく。
『それにしても今日もいい天気だねー めっちゃ暑いけど』
『こんな暑いとアイス食べたくなるよねー』
『いいねー コンビニ寄ったら買ってこうよ』
『いぎなーし!』
2人の楽しげな話声に耳を傾けながら、シフトペダルを蹴って4速からニュートラルに落とし、赤信号の前でビーちゃんを止める。
恵那のモンキーお披露目から2日たった今日。ボクは恵那と綾乃の3人でキャンプツーリングに出かけていた。
信号が青になるのを待ちながら後ろを振りかえる。
信号が変わるのを待ちながら、4スト特有の重たいエンジン音を響かせるエイプとモンキー やっぱホンダはエンジン音がいいな。
『そういえば双葉、言われたとおり長袖来てきたけど、こういうのでよかったかな?』
キャンプ道具を積んだモンキーに跨る恵那を見る。
デニムのジャケットにグリーンのカーゴパンツ、足を覆うのは青のハイカットスニーカー、ブーツ代わりだろうか。バイクに乗るには十分な格好だろう。
「うん、全然大丈夫だよ」
『そっか、リンにも言われたけどバイクって夏でも長袖なんだね』
「やっぱ転んだとき危ないしさ。薄着でもあるとないとじゃ全然違うしね」
たまにTシャツ短パンサンダルで乗ってる人見かけるけど、怖くないんだろうか。少なくともボクだったら絶対できないな。
『でも意外、もっと暑いと思ってたから意外と涼しくてびっくりしたよ』
『服が風の通り道になるからね。下手な半袖よりも涼しいでしょ?」
『止まると地獄だけどねー』
『あはは、たしかに止まるとあっついよねー あ、そろそろじゃない?』
恵那に言われて前を向く。右手に見える信号が黄色になっていた。
クラッチを握りギアを1速にして青信号に備えアクセルを吹かしていく。
『いつも思うけど、双葉ってほんと空吹かし大好きだよねー』
「しょうがないじゃん。低速スカスカだから吹かさないと進まないんだもん」
青信号。スロットルを回しクラッチを離す。 2ストにしては割と大人しいエンジン音と共に車体が進み出す。
夏の52号線はひどく暑く、カンカン照り太陽に温められた空気が、熱風のごとくボクの身体に当たっていく。
『いやー本当に暑いねー さっき道路に足ついたとき、足の裏まで暑くなっちゃったよ』
「大丈夫、もうちょっと辛抱だよ」
『そういえば今日ってどこ行くんだっけ?』
恵那が聞いてくる。たしか恵那はキャンプツーリングに連れて行ってと頼んだけど、そのあとのことはノータッチだったっけ。
「今日は甲州のほう行って大菩薩ラインに入って、一之瀬高原にあるキャンプ場で一泊、明日はそのまま東に進んで奥多摩湖でゴールだよ」
『奥多摩湖かぁ。けっこう遠くに行くんだねぇ』
「あそこはボクのお気に入りの道なんだー 恵那と綾乃も絶対気にいるはずだよ!」
『うん! 期待してるね』
「だいたい往復で240キロくらいかな。今日は途中でキャンプするしそこまでキツくはないはずだけど、なにかあったらすぐ言ってね」
『りょーかいでありまーす』
『ありまーす!』
「ふふっ、はいはい」
ノリノリの恵那と綾乃に笑いつつ。甲州へ向けての道を走っていく。
モンキー、エイプ、そしてYB-1。2台のホンダと1台のヤマハが50ccと100ccの煙を吐きながらトコトコと進んでいく。
雲はどこまでも白く、空はどこまでも青く、燃えたぎるような太陽と、熱風がボクたちを旅の興奮へと誘っていく。
用語解説
ホンダ モンキー50
本田技研が1961年に発売したミニバイク。元は同社の経営する遊園地の子供用遊具であり、手軽さとカスタムのしやすさから日本中で大ヒットした。
2017年のモデルを最後にホンダの生産ラインから姿を消し、現在は後継のモンキー125が生産中。恵那のモデルは2009年式のモンツァレッド。