【完結】ザコの旅   作:クリス

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後編です。


3-2

 

 

 

 

 

「志摩さん、これよかったら」

 

 カウンターに座ってこちらを不思議そうな顔で見つめている志摩さんにコーヒーの入ったカップを差し出す。

 

 窓の外はもうすっかり夕方になり、冬の寒い風が木々の枝を揺らしている。

 

「あ、ありがとう。これ、さっき外で淹れてたやつだよね」

 

「うん、本栖湖のお礼。ちょっと冷めちゃってたからレンジで温め直したけど、味は変わってないはずだよ」

 

 カレー麺に比べたらコーヒー一杯の単価なんてたかが知れている。とうてい釣り合わないけど、何もしないよりはマシだ。

 

「別に気にしなくていいのに、大したことしてないし。でももらっておく」

 

「ありがとう。あ、ミルクと砂糖あるけどいる?」

 

「大丈夫、ブラックもそんな嫌いじゃないし」

 

 さっきまで野クルのハイテンションに振り回されていたからか、志摩さんと話すのがずいぶんと気楽に感じる。

 

 本当ならボクだってこっち側の人間のはずなんだけどなあ。いや、そんなこと言ったら志摩さんに失礼か。

 

「あ、おいしい。さっきここから見てたけど、コーヒー淹れるの得意なの?」

 

「得意、かどうかはわからないけど、昔から好きなんだ」

 

「そうなんだ」

 

「うん」

 

 か、会話が続かない! やっぱ、各務原さんのようにはいかないか。

 

 ていうか何がうん、だよ。ボクのバカ! これだからボッチは役に立たないんだ。

 

「あのさ……さっきのこと、なでしこに悪かったって言っておいてくれないかな」

 

 コーヒーを一口啜ってから、志摩さんはバツの悪そうな顔でそう言った。

 

「さっきのって……」

 

「あいつにキャンプ誘われた時にすげえ嫌そうな顔しちゃったこと」

 

 志摩さんの言葉にボクはさきほどの出来事を思い返した。

 

 志摩さんと偶然の再会を果たした各務原さん。例によって、各務原さんが志摩さんに突撃し、開口一番こういった。

 

 いっしょに野外活動しよう、と。それに対する志摩さんの返答は言わなくてもわかるだろう。

 

「あ、もちろんわたしからも言うけど、もしショックとか受けてたら悪いし……」

 

「ああ、うん、それならたぶん大丈夫だと思う。あのあとテント撤収した時、そんなに気にしてる感じじゃなかったし」

 

 ちょっとだけ元気がなくなっていたけれど、あの子はあのくらいでへこたれるような性格じゃないと思う。

 

 短い付き合いだけど、それだけはなんとなく確信していた。

 

「そっか、ちょっと安心した。なんか、一人キャンプの時間が取られるんじゃないかって思ったら顔に出ちゃってさ」

 

「ボクもそれ、わかる気がする」

 

「山中さんも?」

 

 あの時のことを思い返す。もしあの場で詰め寄られていたのがボクだったとしても、きっと同じような顔をしただろう。

 

「ボクもさ、見てのとおりこんな感じだからみんなで仲良くって苦手なんだ。野クルの二人に会うまでは話せる相手すらいなかったし」

 

 恥ずかしい話だけど、ボクはこの歳になってもまだまともに友達を作ったことがない。

 

 野クルの三人は友達と言えるのかもしれないけど、友達がいたことのないボクには今の関係をどう表現すればいいのかわからなかった。

 

「一人っていいよね。うまく言えないけど、こう、めんどくさいことも楽しいことも、全部独り占めできるっていうのかな。そういうのがある気がする」

 

 そこには一切のしがらみや義務も存在しない。無駄に時間を使ってもいいし、自分なりに有意義な時間を過ごしてもいい。

 

 誰かに強制されるわけでもなく、ただただ自分のためだけに自分の時間を使う。

 

 みんなで仲良くってことももちろん大切なことだと思う。でも、一人でとことんやることも、同じくらい大事なことだとボクは野宿を通して実感した。

 

 まあボッチのボクが言えたことじゃないんだけどね。

 

「……なんか、それすごいわかる気がする」

 

 志摩さんが心底同意するように頷いた。この人とは仲良くなれそうな気がする。なんとなくそう思った。

 

「わたしもキャンプしてる時、そんな感じかも」

 

「ボクもしょっちゅう一人で旅するから、ある意味似たものどうしかもね」

 

 とはいえブランド装備一式でフル武装したエリートキャンパーの志摩さんと、クソザコ野宿野郎のボクとでは比べるのもおこがましいけど。

 

「旅? あのバイクで?」

 

「うん、適当に荷物積んであっち行ったりこっち行ったり」

 

 おかげでオドメーターの数字がどんどん増えていっている。あのペースじゃあ来年の4月くらいには1万キロ超えていそうだ。

 

「へぇ、なんか、うちのおじいちゃんみたい」

 

「おじいちゃん?」

 

「うん、うちのおじいちゃんも旅行が趣味でさ、バイクに荷物積んでいつも日本中走り回ってるんだ」

 

 なんともまあかっこいいおじいさんだ。志摩さんがキャンプ好きなのもその人の影響だろうか。

 

「うちのお父さんも昔バイク乗ってたみたいだけど、バイクってそんなに楽しいの?」

 

「うん、楽しい」

 

 即答する。この世で最も楽しい娯楽は何かと聞かれたら、ボクは間違いなくバイクと答えるだろう。それくらいには入れ込んでいる。

 

 基本的に毎日乗っているが一向に飽きる気配がない。たぶん死ぬまで飽きない。

 

「……あのさ、よかったらもう少しバイクの話、聞かせてもらってもいいかな?」

 

 ちょっと恥ずかしそうに、けど、その瞳には隠しきれない好奇心を輝かせ、志摩さんは聞いてきた。

 

 放課後はまだ時間がある。少しくらい無駄話をしても、きっとバチは当たらないだろう。

 

「じゃあボクの乗ってるバイクの話からするね──」

 

 それからボクと志摩さんはバイクの話をした。

 

 話が進むにつれ、志摩さんの口調はどんどんぶっきらぼうになり、終いにはボクのことを双葉と呼び捨てで呼ぶようになった。

 

 志摩さんの心情になんの変化があったのかはわからないけれど、志摩さんなりの親愛の証なのかもしれない。ボクはそう思うことにした。

 

 久しぶりの趣味の話。楽しい時間はどんどん過ぎていく。

 

「志摩さん、またね」

 

「うん、じゃ」

 

 すっかりオレンジ色に染まった空の下、小さくなっていく志摩さんの背中を見て、ボクは満足感と少しばかりの名残惜しさを感じた。

 

「なんか、ここ数日で知り合いが一気に増えたなあ」

 

 狭かった世界が少しだけ広くなるのを感じる。それもこれも、全部あの子にあってからだ。

 

「今度遠くに行った時、なんかお土産買っていってあげようかな」

 

 そういえば各務原さんって浜松から来たんだっけ。浜松ってたしか浜名湖があったよね。

 

「よし、決めた」

 

 おもむろにスマホを取り出す。次の旅の目的地が決まった。

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、ここが浜名湖か」

 

 コンクリートの階段に腰掛け、ペットボトルのお茶とパンでひと息つく。

 

 目の前には静岡県、浜松市の名所浜名湖が広がっていた。

 

 国道301号、弁天島海水浴場。人気のない砂浜でちょっと、いやだいぶ遅めのランチをとっていた。

 

 遅過ぎてもはやディナーに片足を突っ込んでいる。

 

「もう4時か。もっと早く家出ればよかった」

 

 海面にポツンと佇む鳥居、そしてその向こうには湾を跨ぐようにしてかかる国道1号。

 

 ここからじゃあ見えないけど、更にその先には太平洋が広がっている。

 

「橋の上走れれば見れるんだけどなー」

 

 あの橋の上は制限速度80キロの魔境。ビーちゃんのような貧弱ゼロハンバイクで突っ込んでいいような道じゃない。ていうか捕まる。

 

「いや、リアのスプロケットもっと小さくすればいけるかな? それかボアアップ……車体が大きいからいっそのことエンジン取っ替えして、うーん、そもそもそんなことするなら──」

 

 ピコン!

 

「わっ!?」

 

 間抜けな妄想に夢中になっていたところに突然のラインの通知。ビクッとした拍子に手に持っていた買ったばかりの熱々のお茶が顔にかかる。

 

「熱っ!? なんだよもー!」

 

 涙目になりながら頬をさすりスマホを取り出す。このアイコンは志摩さんか。

 

リン:うぃーす

 

双葉:熱いです

 

リン:何があったし。今日もどっか行ってんの?

 

 あの図書室での一件以来、志摩さんはちょくちょくラインしてくるようになった。クールな雰囲気とは裏腹に意外とノリがよくて楽しい。 

 

双葉:ここだよ

 

 目の前の鳥居と国道1号を写真に撮って送る。これでわかるかな。

 

リン:いやどこだよ

 

 だめだった。撮り方雑だししかたないか。

 

双葉:静岡の浜名湖

 

リン:マジか

 

双葉:ちょっとうなぎパイ買いに

 

リン:コンビニ感覚で静岡まで行くなよ

 

 そうなのかな、たったの150キロくらいしか離れてないと思うんだけど。

 

双葉:志摩さんは今日もキャンプ?

 

リン:うん、富士山のそばの麓キャンプ場ってところ

 

 少しして写真が何枚か送られてくる。開放感あふれる草原に雄大な富士山。

 

 あとは虎なのかライオンなのかよくわかんないオブジェや柴犬の写真もあった。

 

 写真でみただけでもわかるくらいいいところだった。こんなところで焚き火を前にコーヒーでも飲んだらさぞかし美味いだろう。

 

 ちょっと行ってみたい。でも、お高いんだろうなあ。

 

双葉:柴犬かわいいね

 

リン:ふっ、あいつはなかなかいいもん持ってたぜ

 

双葉:?

 

リン:いや、こっちの話。双葉は今日どこに泊まるの?

 

 そういえば今日どこで寝るか考えてなかったなあ。まあその辺でいいか。

 

双葉:その辺の公園

 

リン:……マジ?

 

双葉:マジ

 

リン:......まあ、その、うん、死ぬなよ

 

双葉:死なないよ!

 

リン:短い付き合いだったけど、お前のことは忘れないからな

 

双葉:だから死なないってー

 

 ここでラインは途切れた。なんだこれ……まあいいか。

 

「バイク戻ろ」

 

 階段から立ち上がりバイクを止めてある海水浴場のちょうど真後ろのコンビニに戻る。

 

「けっこう時間おいちゃったし、エンジンかかるかなー」

 

 ビーちゃんは朝一発目のキックは絶好調だけど、その後のキックはすごい気分屋なのだ。特に寒い時はそれが顕著になる。

 

 かかる時はすぐにかかるけど、かからない時は本当にかからない。あまりにもかからなくて泣きそうになりながら押しがけしてやっとかかったことも何回かある。

 

「いい子だからかかってねー」

 

 チョークを引いてペダルを蹴る。

 

 手応えなし、ピストンが回る鈍い音しか聞こえない。

 

 うん、知ってた。チョークを戻ししばらくしてからもう一度。

 

 空振り。エンジンは黙りこくったままだ。

 

「はぁ……」

 

 思わずため息がこぼれる。これ以上やるとプラグが被って沼にハマりそうだ。

 

 うん、しかたない。

 

「……押すか」

 

 バイクを301号と海水浴場につながる小道に持っていく。

道は緩やかな下りになっていて、押しがけにはもってこいの場所だ。

 

「もうビーちゃんも歳だからなー」

 

 毎日乗り回してるけど、ビーちゃんは実はボクよりも歳上なのだ。

 

 好き好んで乗っているのだからしかたないけれど、こういう時だけは素直に新車が羨ましくなる。

 

「ま、それも含めて好きなんだけどさー」

 

 シートに跨らず、イグニッションをオン。クラッチを握ってギアを2速に変え呼吸を整える。

 

「いくか……おりゃー!」

 

 そして、ハンドルを握って思い切り走る。

 

「お、重いー!」

 

 84キロしかないとはいえ、女子で、しかも141センチしかないボクの体格ではバイクを押して走るのはとんでもなく体力を使う。

 

 でも他に選択肢がないので必死にビーちゃんを押して走る。

 

「こんにゃろー!」

 

 ある程度勢いがついたのを確認しクラッチを離す。タイヤの回転がエンジンに連動、ピストンを動かしガソリンが爆発。

 

 微かな手応え。今だ!

 

「とりゃー!」

 

 その隙を逃さすクラッチ操作。ジャンプしてシートに飛び乗りながらアクセルを思い切り吹かす。

 

 単気筒のエンジンが震え、マフラーが白煙を吐き出す。よし、かかった!

 

「やったー!」

 

 歓声をあげながらUターン。路肩にビーちゃんを停めて息を整える。

 

「あー疲れた」

 

 もう何回もやっているけど、やっぱり疲れる。

 

 うまい人だと歩きながらでもかけられるらしいけど、ボクにはまだそこまでの経験はない。

 

「ふぅ……さて、寝るところ探そっかな」

 

 ポケットにしまったスマホからくぐもった着信音。

 

 珍しい、電話だ。今度は驚かずに冷静にスマホを取る。相手はなんと各務原さんだった。

 

 

 

 

 

 

 真っ暗な木組の階段を、スマホのライトだけを頼りに登り終える。

 

 顔を上げる。眼下広がったのは、眩い光を放ち輝く浜松の町だった。

 

「わぁ、綺麗……」

 

 漆黒に染まる水面。その湖岸にそって敷き詰められた光の粒。

 

 遠くの浜名大橋で、まるでミニチュアのような車が何台も行き交っている。

 

 枯れ木のさざめき、微かに聞こえる車のエンジン音。乾いた風が耳を凍らせる。

 

 誰一人いない木組の展望台。寒さや孤独感すらスパイスになって眼下の景色を彩っていく。

 

「各務原さんには感謝しないと」

 

 弁天島で各務原さんと話したことを思い出す。ここを紹介してくれたのは、他ならぬあの子だった。

 

 どういう流れか知らないけど、各務原さんは志摩さんのところにいるらしい。おおかた斉藤さんあたりから場所を聞いたのだろう。

 

 そして志摩さんからボクの場所を聞いた各務原さんは、振り切れたテンションでボクに電話。

 

 お土産を買って帰るのと引き換えにいくつかのおすすめの場所を教えてくれた。ここもその一つだ。

 

 この奥浜名の山の上にある展望台は各務原さんの思い出の場所らしい。

 

 まだ時間もあったしせっかくなので登ってみたが、正解だった。

 

「今頃各務原さんは志摩さんと仲良くお鍋してるのかなー」

 

 たしか電話でそんなことを言っていた。開放感あふれる草原、身も凍りつく冬の寒空の下、熱い鍋に舌鼓を打つ。なんて贅沢な時間なのだろうか。

 

「ま、ボクは菓子パンだけどねー」

 

 菓子パンをちぎって頬張りながら自嘲する。暴力的な甘みと身体に悪そうな脂が乾いた口の中に広がる。

 

「美味しくない……」

 

 旅の時はいつもこれだ。はっきり言ってあまり美味しくない。というかメインで食べるものじゃない。

 

 けど、旅の時の食事はただの栄養補給と割り切っているので不満はない。

 

 ないったらない。嘘じゃないよ、本当だよ。

 

 夜風で冷え切ったパンをもう一口。小麦と砂糖と脂が口の中で混ざりあってまるで粘土だ。

 

 さらにもう一口。氷のように硬く冷たいそれを胃のなかに押し込む。

 

「この人間としてギリギリの感じ……たまらねさぶっ!?」

 

 風が吹く。高台だからしかたないけど風が強い。思わず変な声を出してしまった。

 

「……下で食べよ」

 

 はいはい無理無理、こんな寒いところで食事なんてできませーん。

 

 なにが人としての限界だよ。馬鹿じゃないの? 死ぬの? 本栖湖で食べたカレー麺が恋しいよ。

 

「カレー麺、あなたはなぜカレー麺なの? そ、れ、はー 美味しいからさー」

 

 一人の時特有の謎テンションでビブラート効かせながらバイクに戻ろうと一歩踏み出し──

 

 目の前の光景にフリーズした。

 

 女の子が一人、階段の終わりで立ち止まってボクを見ていた。

 

「……ふっ」

 

 ご丁寧に半笑いのオプション付きで。

 

「あ、こんばんはー」

 

 女の子が苦笑いでボクに挨拶する。

 

 同い年くらいだろうか、ボクよりも背は大きくて、茶髪をニット帽の下に押し込んでいる。たぶん、地元の人だろう。

 

 でも、そんなことはどうでもよかった。

 

「え、あ、はい」

 

 きっと今のボクの顔は、人生の中で一二を争う真顔だっただろう。

 

「こ、こんばんは」

 

 やばい、聞かれてた? 聞かれてたよね? 

 

 絶対聞かれてたよね。こ、ここはさっさと退散しよう。

 

 そっと歩き出す。明鏡止水、何事もなかったかのように振る舞うのだ。

 

 こちらが何事もなかったように振る舞えば、同じ和を重んじる日本人どうし、きっとわかりあえる。

 

「きょ、今日は寒いですねー いやー帰ってお風呂入りたいなー」

 

 家の風呂まで150キロあるけどね!

 

 よし、あとちょっと。あと少しで階段だ。いける! ボクならきっといける!

 

「カレー麺、好きなんだ」

 

 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!

 




用語解説

オドメーター
距離計の英訳。古いのだとあまりあてにならない。

ゼロハン
50ccバイクの通称。100の半分だからゼロハン。

ボアアップ
エンジンのシリンダーやマフラーを改造して排気量を増やす改造。純粋にパワーが上がる。性能を引き出すにはチェーンやスプロケットの交換が必須。
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