4-1
「まー遠慮せずに食べなよ。わたしが奢るなんてめったにないんだからなー」
「う、うん」
油ぎった天井。酒が入って活気づく大人たち。汗を流しながら中華鍋と戦う職人たち。
どこに目を置けばわからなくて、テーブルの上の大皿に視線を避難させる。
大皿の上には焼き立ての羽根付き餃子が向日葵のように盛り付けられ、熱々の油がパチパチと音を立てている。
「やっぱ浜松に来たからには、餃子か鰻食べないとね」
美味しそう。思わず唾を飲み込む。どうしてこんなことになったのか、話は少し前に遡る。
「なんかごめんねー 盗み聞きするつもりはなかったんだけど、すごい熱唱してたから近づけなくてさ」
「うぅ、死にたい……恥ずかしすぎる」
奥浜名湖展望公園、人気のない駐車場。
頭を抱えてうずくまったボクの悲痛な叫び声が夜の山にこだます。
「おおげさだなー」
全ての元凶である女の子が気楽に言う。人の気持ちも知らないで。
「君カレー麺好きなんだね。美味しいよねあれ」
泣きっ面に蜂! この子には慈悲ってものがないのか。
「あぁ、ボクのバカ。なんであんなところで歌うんだよぉ」
膝をつき、冷たい地面をどすどすと殴る。うん、小石がめり込んで痛いからやめよう。
なんか最近黒歴史の量産ペース増えてない? ボク悪いことした?
そりゃたしかに交差点のど真ん中でクラッチミスってエンストさせて渋滞作ったりしたことあるよ!
片側一車線の上り坂で40キロのところ30キロしか出せなくて車の団子作ったりしたことあるけれど、あるけれど! こんな目にあうほどじゃないでしょ!
「もうやだ死にたい、誰か殺して」
「あはは、ごめんごめん、ちょっとからかいすぎちゃったかな」
「いや、もう、なんか、大丈夫です」
一周回ってもはや何も感じなくなってきた。とりあえず正気に戻ったので立ち上がろうとすると、女の子が手を差し伸べてくれたので手を掴んで立ち上がった。
もしかしたら、意外といい人なのかもしれない。
いや、絆されるの早すぎでしょ。ネット小説のヒロインじゃないんだからさ。
「へぇ、山梨から来たんだ。よくこんなところまできたね。遠かったでしょ」
いつの間にかバイクの周りをうろうろしていた女の子が、ナンバーを見て驚きの声をあげた。
たしかに山梨ナンバーなんてここじゃああまり見かけないだろう。
でも、そんなに驚くことかな。道行く車とかたまにとんでもないところから来てたりするし。一回だけ沖縄ナンバーを見た時は本当に驚いた。
「たかが150キロだし、たいした距離じゃないですよ」
「うん、150キロはどう考えても遠いよね」
何言ってんだこいつみたいな顔で見ないでほしい。ボク何もおかしなこと言ってないよね。
「そうなんですか?」
「そこは悩むとこじゃないと思うなー」
バイク乗りにとって、片道150キロなんてコンビニに行くレベルの距離じゃないの?
「みんな同じこというんだよなあ。やっぱりボクがおかしいのか? いやでも……」
「ふふ、なでしこの言ってたとおりだ。君、面白い子だね」
「お、面白い? しかも今なでしこって? え、どういうこと?」
なでしこってもしかして各務原さんのこと? しかも言ってたとおりって、まるでボクのこと知ってるみたいな口ぶりだ。
「あ、ごめん言い忘れてた。わたし土岐綾乃、各務原なでしこの幼馴染やってまーす。なでしこ知ってるってことはやっぱり山中双葉ちゃんだよね?」
「そうですけど……各務原さんの幼馴染? それって最近山梨に引っ越してきた?」
「うん」
「やたら美味しそうにご飯食べる女の子?」
「そーだよ」
だめだ。全然状況がわからない。でも、今のやり取りからして目の前にいる女の子は、本当に各務原さんの幼馴染らしい。
でも、なんでそんな人がボクの目の前にいるのだろうか。
「さっきさ、なでしこからライン来たんだ。今山梨の友達がそっち来てるからもしかしたら会えるかもーって。で、展望台のこと教えたって言ってたから、ダメ元で来てみたんだよね。ほら、これ双葉ちゃんでしょ?」
そう言って女の子改め土岐さんはスマホに保存された一枚の写真を見せてくれた。
バイクに跨ったボクと各務原さんのツーショットだ。
たしか各務原さんに一度ねだられて撮った記憶がある。なるほど、だからボクのこと知ってたんだ。
「まさか本当に会えるなんて思ってなかったよ。偶然ってすごいね。なでしこは元気にしてる?」
「はい、なんていうかもう元気の塊みたいなかんじです。ボクなんか振り回されてばっかですよ」
「あはは、やっぱそうなんだ。あの子昔っからああなんだよね。けど、引っ越す直前は友達できるかなーって心配してたんだよ」
各務原さんもそんな面があったのか。普段の様子からじゃあそんな雰囲気微塵も感じないのに。
「ま、その様子じゃあ元気でやってるみたいじゃん。なんかほっとしたよ」
口調こそ気怠げな感じだったけど、土岐さんが本気で各務原さんのことを心配しているのは、なんとなくわかった。
「それでそれで? ほほーん、これが噂のビーちゃんか。へぇ、写真で見るより大きいね」
各務原さんの話は終わったと言わんばかりにボクのバイクの周りをぐるぐると回る土岐さん。その目は明らかに興味津々といった感じだ。
各務原さん経由でボクのことはある程度伝わっているようだ。ボクの知らないところで、ボクを知っている人がいる。ちょっと気恥ずかしい。
「これけっこう古いでしょ。何年の?」
「たしか99年です」
「うわぁ、わたしより年上じゃん。しかもこれ、2ストってやつでしょ? 2ストなんて外走ってるおじさんの古いスクーターくらいしかみたことないや」
なんか、この人女子にしてはすごい詳しいな。でもそれもそうか、こんなバイク乗ってるくらいだし。
ボクは未だ興味の尽きないといった土岐さんから目を離し、ビーちゃんの横に停まっている青いタンクの小柄なバイクに目をやる。
「それ、ホンダのエイプですよね?」
ホンダ・エイプ。ホンダが昔生産していた4ストの原付バイクだ。ナンバーがピンクだから100ccモデルかな。
土岐さんはしきりにボクのバイクを褒めるけど、この人もなかなかすごいバイクに乗ってるなあ。
5速MTのキャブ車なんて女子高生が選択するチョイスじゃないでしょ。
「そーだよ、かっこいいでしょ。これは2008年式、こいつもけっこーレアなんだよ」
なんて羨ましい。改めて土岐さんのエイプを観察する。
イエローのラインが入った若干緑ががった青のタンク。ゴールドのホイールやワイドなハンドルがオフロードっぽさを演出していて端的に言ってめちゃくちゃかっこいい。
「気になるんだったらちょっと跨ってみる? なんならエンジンかけてもいいよ」
「え、いいんですか?」
基本的にバイク乗りにとって、自分のバイクっていうのは命の次、下手したら命よりも大事な相棒だ。
そんなものに跨らせてくれて、しかもエンジンまでかけていいなんて。
「うん、かわりに双葉ちゃんのバイクにも乗らせてよ。ついでに敬語禁止。せっかく同じバイク乗りなんだからさ。もっとフレンドリーにいこうよ」
「そうで……うん、そうだね」
断る理由もない。二つ返事でうなずいてお互いの鍵を交換する。ついでにヘルメットとグローブも身につけておく。
シートに跨り、ビーちゃんよりシンプルなメーター下のイグニッションスイッチにキーを差し込む。
「チョークってどこにある?」
「エンジンの右のほうについてるよー」
「あ、これか。へぇ、エンジンに直接レバーついてるんだ」
チョークを引いて、2ストよりずっと重いキックペダルを蹴飛ばす。
ブルンとエンジンが唸り、4スト特有の少し重たい鼓動がボクの鼓膜を刺激する。いつもと全く違うエンジン音に少しテンションが上がる。
チョークを戻してアクセルを軽く吹かすと、軽快なエキゾースト音が鳴り響いた。
これが噂のホンダサウンドか。うーん、やっぱりバイクのエンジン音はいつ聴いても最高だ。
「土岐さん! これいいね!」
「でしょー! なんなら少しだけ走ってみたら?」
「いいの! ありがとう!」
初対面の人に自分のバイクを運転させてくれるなんて、土岐さんはなんていい人なんだ。
そういうことならお言葉に甘えてちょっと走ってみよう。
クラッチを握ってシフトペダルを踏み込み1速に変更。ビーちゃんと違って普通のリターン式だから注意しないと。
「教習所で習った時みたいに……」
スロットルを回してクラッチをゆっくり離す。進み出す車体。
クラッチを握りシフトペダルに爪先を差し込む。
ペダルを二回持ち上げ2速にチェンジ。
加速して3速に上げちょっと進んでから減速とシフトダウン。Uターンして土岐さんのところに戻っていく。
ブレーキペダルを踏んで停車。ニュートラルに戻しエンジン停止。スタンドを出してバイクから降りる。
うん、いい体験だった。やっぱ新しいバイクはクセがなくて乗りやすい。
「じゃ、次わたしの番だ。こーいうの一回乗ってみたかったんだよねえ」
いつの間にかヘルメットを被っていた土岐さんが、ボクのバイクに跨る。
「あ、燃料計ついてる。いいなあ、エイプないんだよねえ。まずはキック出してっと……チョークって使ったほうがいい?」
「うん、 この子古いから始動性よくないんだよね。左のグリップの下についてるやつがチョークだよ」
「これか、よし……」
チョークを引いて土岐さんがキックペダルを蹴飛ばす。
けれど、エンジンは一瞬だけかかったものの、すぐに沈黙してしまった。
まあしかたない。ビーちゃんのエンジンが一発でかからないのなんて珍しくないし。
「うーん、やっぱ一発じゃ無理か」
「一回チョークを戻して、少し待ってからもう一回やってみて。で、キックしてエンジンが唸ったらすぐに空吹かし。それでいけるはずだよ」
「なるほど、コツがいるわけっと……よし、もう一回」
もう一度ペダルを蹴り飛ばす。
ブルンと、一瞬だけエンジンが唸る。すかさず土岐さんがスロットルを回した。
エンジンが唸りマフラーが白煙を撒き散らす。うん、やっぱり聴き慣れた音が一番心地いい。
「あ、かかった! うはー煙すごっ」
後ろを見た土岐さんが 2スト特有の現象に笑いながら驚く。
見慣れない人には故障しているようにしか見えないんだろうな。ボクもたまに不安になるし。
これでも煙が少ない純正オイルを使っているんだけどなあ。カストロールとか使ったら酷いことになりそうだ。
「あ、かかったらチョーク戻して! プラグ被っちゃうから」
「わかった! 双葉ちゃん! 走らせてもいい?」
「いいよ! でも、エイプと違ってロータリーギアだから気をつけてね! カブみたいに踏むだけでいいよ」
「わかった! じゃ行ってきまーす!」
そういって、ややぎこちない動きで進み出す土岐さん。
ボクのバイクに違う人が乗っているのは何ていうか不思議な気分だ。でも悪い気はしない。
白煙を吐きながら走る土岐さんとビーちゃん。服の雰囲気とバイクがマッチしていて様になっていた。
ボクもあんなふうにかっこよく乗れているのかな。
そんなことを考えながらしばらく眺めていると、土岐さんが帰ってきた。ボクの前で停車しエンジン停止。
バイクを降りてボクを見る土岐さんの目は、満足気に輝いていた。
「これすごいパワーあるね。何cc?」
「51ccだよ」
「え、ほんとに? 全然そんな感じに見えなかったよ」
土岐さんが驚くのも無理はない。昔の原付は本当にパワーがあるのだ。ビーちゃんなんて優しいほうで、無改造で100キロ近くでるモデルもあったらしい。
「はいこれ鍵。こんな昔のバイク乗るの初めてだったからちょっと緊張しちゃったよ」
「ボクのバイクなんてたいしたことないって。土岐さんのバイクだってすごいじゃん」
世の中には自分のお父さんよりも年上のバイクを乗り回す人たちがそこそこいる。
そういう人たちに比べれば、ボクのバイクなんてまだまだ新車も同然だ。
「いやいや、なかなかいい趣味してると思うよ。さっきはあんなんだったのに」
唐突に黒歴史を掘り起こされて顔が熱くなる。人がせっかくなかったことにしようとしてたのに、なんて酷いことをするんだ!
「あんなんって、あれは土岐さんがからかうからだろー!」
「やーい、カレー麺大好き人間」
「な、なにをー!」
お互いに見つめ合う。先に口を開いたのは綾乃だった。正確には吹き出したというべきか。
「ぷ、あはは! 双葉必死すぎ」
「もう! 笑いすぎだよー!」
「だって、あそこであんな歌ってる人初めて見たんだもん! しかもカレー麺って、どんだけ好きなの!」
「だから、わ、笑いすぎだって。う、歌ってただけじゃん。ふ、ふふ」
「そ、れ、はー、美味しいからさ〜」
「真似しないでよもー!」
無駄に似てるのが腹立つ。
お腹を抱えて笑う綾乃。それに釣られたのか、ボクもだんだん面白くなってきて、気がつけば一緒に笑っていた。
思い返してみると、たしかにバカみたいな出来事だ。
「「あはは!」」
二人の笑いが夜の駐車場に響き渡る。
まだ知り合って少ししかたっていないけど、この人とは仲良くできそうな気がする。
なんとなく、そんなことを思った。
「あーおもしろかったー そうだ、せっかくだから綾乃って呼んでよ。土岐さんってなんか拳法の達人みたいでやだし」
笑いが収まった土岐さんが、突然そんなことを言いだした。
「え? いや、えっと、そのー」
突然の提案に、しどろもどろになるボク。
なぜなら人のことを下の名前で呼んだことなんて一度もないからだ。
「んー? どうかした?」
でも、やだって言っている人を苗字で呼び続けるのも失礼だし、なによりせっかく仲良くなれたんだからもっと仲良くしたい。
だからちょっと勇気を出そう。
まさかボクがこんなふうに思うなんて、各務原さんの性格がうつったのかな。
「え、えっと、じゃ、じゃあ綾乃、さん」
「惜しい、もーひと声」
「うぐっ……わ、わかった。あ、綾乃」
「うん、よろしくねー 双葉」
差し出された手を握り返す。手袋の感触が少しもどかしくて、だけど、すごく嬉しかった。
「そういえばさ、双葉ってもうご飯食べちゃった?」
「食べてないけど、もう買ってあるよ」
食べかけの菓子パンを思い出す。あれあんまり美味しくないんだよなあ。もうちょっと甘さが控えめだったらいけたんだけど。あと大きすぎる。
「もしかして、さっき展望台で食べてたパン?」
「そうだけど……どうしたのそんな顔して」
穏和な笑みを崩さなかった綾乃が、一変して嘘だろって言いたげな顔でボクを見てきた。
「え、あれだけ? なんか食べに行ったりしないの?」
「しないよ。ボク、旅での食事はカロリー補給の手段って割り切ってるから」
真冬の野宿においてカロリー不足は冗談抜きで死につながりかねない。
だからこそ、他の食事に比べグラムあたりのカロリーがぶっちぎりで多い菓子パンに白羽の矢が立ったのだ。
たんにケチとも言う。
「そ、そうなんだ。す、ストイックだね」
マジかよこいつみたいな顔で見るのやめてほしい。ボクだっておかしいのくらいわかっているんだ。
「でも、食べてないならちょうどいいや。双葉、これから時間ある?」
時計を見る。まだ寝るにはかなり時間がある。だから全然かまわないのだけど、何をするつもりなんだろうか。
「うん、平気だよ」
「よかった。ならちょっと行きたいところあるから着いてきてよ」
「べつにいいけど、どこに行くの?」
「ふっふっふ、それはついてからのお楽しみってやつですぜー」
綾乃はそう言ってニヤリと笑い、バイクに跨がりこうつけ加えた。
「双葉、脂っこいのって大丈夫?」
用語解説
ホンダ・エイプ
ホンダが2017年まで生産していた原付バイク。綾乃のエイプは2008年のスペシャルカラーモデル。
キャブ車
ガソリンと空気の混合を機械で制御する方式の乗り物の総称。現在はコンピュータ制御に役目を引き渡している。
4スト
4ストロークエンジンの略。吸気、圧縮、燃焼、排気をそれぞれ独立した行程で行う。どの回転域でも効率的に動力の生成が可能で燃費もいい。
リターン式
変速機構の一種。1→N→2→3とペダルを上げていくごとにギアが上がっていく。オートマをのぞき、現行のバイクはほぼこれの一強。
カストロール
エンジンオイルのブランド。レーサーレプリカなどによく使われている。煙がすごい。
プラグが被る
ガソリンを燃焼させるスパークプラグにガソリンがかかってしまうこと。濡れてしまっているのでエンジンが極端にかからりにくくなる。控えめに言って地獄。
拳法の達人
あぐらかいてビーム出したりする。あと病んでる。