クラスで一人浮いているギャル系女子の噂。
俺には関係ない、と思っていたのに、学校帰りの電車で彼女と遭遇してしまう。
俺は彼女の知られていない人柄に触れることになる。
噂。辞書で意味を調べると『世間で言いふらされている明確でない話』とある。そして、得てして尾ひれがついて伝わるものだ。
『中嶋未可子はパパ活をしている』
中嶋未可子は俺のクラスの女子生徒だ。こんな噂が俺のクラスではまことしやかに囁かれている。
噂の出所は分からない。二年のクラス替えが落ち着いた辺りから周りが口にしているのを何度か耳にしただけだ。
『そんな事する訳ないだろう』
誰かが言い出せばいいんだろうけど、彼女を擁護する者は誰もいなかった。
何故ならば、中嶋の見た目は紛れもない筋金入りのギャル系だから。おまけに、そんじょそこらのギャルとは比較にならない程によく目立つ銀色の髪をしている。
背中を覆う程に長い白銀色はまるで異世界からやって来たようだ。スカートは短く、普段の立ち振る舞いはどこか他人を寄せ付けない印象を放っている。お手上げなのか彼女の髪を注意する教師もいない。
完全不干渉。中嶋の周囲には見えない壁があって、異物として存在しているようだった。
毎朝、教室に足を踏み入れると窓辺で一人座る中嶋の銀髪が視界に入る。
中嶋が他の生徒と話している姿はあまり見た事は無く、いつも窓際で一人静かに座って外を眺めている。
友達が少ないと必然的に口数も少なくなってクラスで浮く。そういう生徒はどのクラスにも一人や二人いるけど、まさにそのポジションにいるのが中嶋だった。
ふと思う。中嶋自身は噂の事をどう思っているのだろう、と。
そもそも、彼女はクラス内で交わされているこの噂を知っているのだろうか。
中嶋には特別親しい友人はいないように思える。会話もせず、クラス内の情報が回って来なければ、自分がどう思われているかなんて想像でしか分からないんじゃないか。
それとも、全く気にしていないという可能性もある。髪を銀色に染めるようなギャルが他人の噂などに影響されるだろうか。
俺が彼女についての『噂』を初めて知ったのは友人からの又聞きからだった。あの見た目だけど、中嶋が学校内で問題行動を起こしたという話は聞かない。
あまりにも興奮気味に言う友人を、俺は人を見た目で判断するなと注意した。
けれど、それを聞いたそいつは『その見た目だから学校では逆に大人しくしているのかもしれない』と豪語し、騙されんなよと釘を刺されてしまったのだ。
◇
「はあ」
帰りの電車に揺られながら、これまでの事を思い返した俺はため息をついた。気まずいなあと思いながら、何気なくスマホをいじる。
対面に座っているのは他でもない中嶋未可子だった。
見ないように床だけを見ていても銀髪ギャルの存在感は凄まじい。視界に勝手に映り込んでくる。おまけに、スカートの丈が短すぎて、正面からだといろいろ見えそうで心臓に悪い。
彼女と電車で遭遇するのは入学してから一年半で初めての事だった。
音楽でも聞いているのだろうか。揺れる車両と聞いている音楽に合わせるように首を動かす中嶋。
俺は意識している事が彼女にバレないように必死に耐える。幸いな事に電車にはまだ空席が残されている。いっそ別の席に移るのも手かもしれない
――いや、待て。
ぼんやりとした眼差しを中空に向けた中嶋を見ながら、俺は自問する。この空いた車内で席を移動したら不自然だ。逆に中嶋に違和感を与えてしまうかもしれない。
結局何も動けないまま、俺は中嶋の対面に座り続けた。
ターミナル駅に停まり、ドアが開くと同時に大量の乗客が車内になだれ込んでくる。空席は全て埋まり、別の場所に移るという俺の選択肢もその瞬間に消え去る。
もうこれは腹をくくるしかない。極力気にしないように降りる駅まで我慢だ。
そうやって下を向き続けていたら、声が聞こえた。
「あ、どうぞ」
発車してまもなく、可愛らしい声がくっきりと聞こえた。見上げた先では、中嶋が杖をついたおばあさんに席を譲っている所だった。
予想もしなかった光景に思わず見入っていたら俺に気づいた中嶋と目が合う。
俺は咄嗟に視線を外す。中嶋は銀髪を揺らしながら不思議そうな顔をしていたが、特に気にする風でも無く、俺の座る席の方へと歩いてくる。
嘘だろ。
そして、あろうことか目の前のつり革を掴んだ。
俯いていても中嶋の白い足がはっきりと目に入る。こうなると、俺はもうパニック状態だ。
中嶋は俺の方を見る訳でもなく、その背後にある車窓を見ているようだった。俺の事なんて眼中にないっていうような顔。
あと数駅で俺の最寄り駅。それまでの辛抱だと思い下を向き続けた。
ていうか、中嶋はどこで降りるんだろう。ギャルだし、若者の街で放課後を遊びつくすんだろうか。
そんな事を考えていたら電車は次の駅に停車する。もしかしたら、彼女もここで降りるんだろうか。ドアが開き多数の乗客が降りていく中、動き出した中嶋を目で追った。
しかし、彼女は降りるどころか丁度空いた俺の隣に座ったのだ。
(何が起こっている?)
思わず身体を縮こませて肩が触れないようにする。しかし、中嶋は何も気にしない。空いたスペースに身体を預け、俺の肩に肩を当ててくる。他人の事なんて全く気にしてない風だけど、俺は気になる。
柔らかな腕の感触と温かさ。誰か助けてくれ。身体を小さくしようとするが、人体の構造上これ以上は無理だった。
「ん……」
中嶋がおもむろにワイヤレスイヤホンを外す。耳にかかった髪を掻き分けた先で、大きなピアスがきらりと光る。やべえ、まごうことなきギャルだ。
「ねえ」
耳元で舌ったらずな声がした。中嶋が話しかけてきたのだと理解するまで時間がかかった。
「君って、同じクラスの石井くんだよね?」
「そうだけど」
いけない。不愛想に答えてしまった。
しかし、中嶋はそれを聞いて何故か口許で笑みを作る。
「どこで降りるの?」
「あと四つ先だけど……」
「へえ。私はその一個前なんだよね」
気だるげな口調で背後の窓ガラスに頭を預ける。こちらを見る流し目にどきっとした。
俺は今、教室では孤高のギャルに話かけられていた。
もしかしたら、あまりにもキョドりすぎたせいで、逆に注意を引いてしまったのかもしれない。
「ん? どうかした?」
小首を傾げると銀髪がはらりと肩にかかる。
黙っているのもそれはそれで気まずい。意を決し、俺は恐る恐る口を開く。
「中嶋さん。さっき、席譲ってたよね」
「あー。やっぱ見られてたか」
恥ずかしそうに髪を触ると、さっき一瞬だけ見えたピアスらしき物がはっきりと姿を覗かせる。
でっかい白い星が耳たぶの下で揺れていた。ひええ。ピアスとかバレたら即停学ものなのによくやるよ。
でも、そのギャルがお婆ちゃんに席を譲っていたのだ。他にも乗客はいたのに、席を譲ったのは彼女だけだったんだよな。
「たくさん人がいるのに自分から席を譲るなんて、そうそう出来ないから」
少なくとも、俺なら多分知らない振りをしてしまう。
「そう?」
「うん。だから、ちゃんとしてる人なんだなって思った」
「あはは、なにそれウケる」
初めて中嶋の笑顔を見た気がした。
「じゃあ、今まではどーゆー目で見てたの?」
「いや、その……」
ぐっと近づいて来る中嶋に何故か俺の頬まで熱くなる。
にらめっこみたいな状況は、俺から目を逸らす事で終わりを告げる。
「ん?」
興味深そうな中嶋の表情。教室での不愛想っぷりからは想像もつかない。こうもぐいぐい距離を詰めてくるなんて。
「君に私はどう映っていたのかなあって」
からかうような言い方だけど、それが逆に会話の糸口を与える。
「怒んない?」
「うんうん」
中嶋はこくりと頷いた。
「こういうのもなんだけど、中嶋さんってギャルっぽいから。その、……意外だと思った」
『ぽい』どころかバリバリのギャルだけどな。心の中でツッコミを入れる俺だけど、口に出すとマイルドになってしまう。
「まあ、この見た目だしねー」
「だってその髪の色。先生に言われたりしないの?」
「それ、いきなり聞くんだ?」
中嶋はさほど気にしていないのか飄々と返してくる。
さっきよりも更に一段階くだけた言い方になる辺り、やっぱり見た目通りのギャルなんだなと思う。
「いいよいいよ。気にしてないから」
猛省する俺に気づいたのか、中嶋は優しい言葉をかけながら笑った。
◇
「で、何で俺の駅に降りたの?」
「いやー。いろいろ話してたらつい」
嘘つけと思いながら、俺は駅からの帰り道を歩いていた。
隣を歩くのは中嶋。
「せっかくだし、カレー食べたい。私カレー好きなんだよね」
「そうなのか。言わなきゃよかったな今日の晩御飯」
言い返すと中嶋は派手に笑った。
電車で俺が一人暮らしだと言う事。今日の夕ご飯はカレーだと言う事をうっかり口に出してしまったのがまずかった。
慣れない女子との会話でついつい浮かれてしまったのかもしれない。
そんなこんなでマンションに着く。
「でっかー。マンションじゃん」
「元々親と住んでたんだよ。転勤についていくにしても、来年は受験だし。ここに残った方がいろいろ都合が良いってなったんだ」
「ギャルも連れ込めるし?」
「こら」
言うと、楽しそうに肩を揺らす。こんな風に話術に乗せられて色々と喋ってしまったのだ。俺の片手には帰り道にスーパーで買った買い物袋。
「ねえ、石井くん」
「えっ」
エレベーターの前で待っていたら、中嶋が急に改まった口調で話しかけてくる。
「君みたいなタイプって女の子に騙されやすいタイプだと思うんだ」
「中嶋さんにだけは言われたくないな」
エレベーターの扉が開くと同時に俺は声に出していた。
それを聞いて軽快に笑う中嶋。ここがエレベーターの密室の中で助かった。
◇
「んで、中嶋さんは何で俺の家までついてきたの? 本当の理由は?」
リビングについてすぐ、俺はかねてからの疑問をぶつけてみた。
無下に断って面倒事になるのも嫌だったから黙っていたけれど、ここはもう俺の家なのだ。そろそろ何を企んでいるのか問い詰める必要がある。
「言ったでしょ? 私カレー好きなの。君の作るカレーがどんな味か確かめたくなったんだ」
「はいはい」
何かもうこのノリ慣れて来たな。
電車では緊張してばかりの俺だったけど、中嶋と自然に会話できている事に驚いた。そもそも、俺と中嶋は春から今まで挨拶すらした事が無いのに。
「どうしたの?」
冷蔵庫から良く冷えた緑茶を出すと、中嶋は何故か笑いをこらえるような顔をしていた。
吊り上がった口角が感情を隠しきれていない。
「君は気が利くね。この部屋に彼女とかも呼んだりしてるの?」
「俺に彼女なんてできっこないと思って聞いてるよね?」
そう言うと、また優しい顔で笑われた。俺は彼女にからかわれているんだろうか。
「でも、本当に一人暮らしだなんて。羨ましい」
中嶋はそう言いながら、スーパーの袋に入っていた食材をあさる。
「家事は全部一人でやらなきゃいけないし、結構面倒だよ」
「へぇ」
中嶋はテーブルの上に買ってきた野菜やら肉を並べていく。カレールーに牛肉、ニンジン、たまねぎ、じゃがいも。まあ、一般的なカレーの具材ばかりだ。
「ちなみに私はパパと二(・)人(・)暮(・)ら(・)し(・)」
いやドヤ顔でそんな事を言われても。
「あ、気使ってる? 片親だけど気にしてないよ?」
「そっちの意味か」
きょとんとしたままの中嶋から牛肉パックを取り上げる。
「どっちの意味よ?」
「ねえ中嶋さん。そのパパって本当に血のつながったパパ?」
「あー。なるほど。そういうことか。ひどっ!」
気づいた中嶋が割と本気っぽく怒るけど演技丸出しだ。それを見ていたら何故か俺も笑ってしまった。
聞いてもいないのに片親とか打ち明けられたら反応に困るけど、パパ活やってるとかカミングアウトされるのもそれはそれで困る。
「石井くんって結構生意気だね」
中嶋は駄々をこねた子供みたいにソファーに倒れ込むように座り込む。
「まるで今まではそうじゃないと思ってたような言い方だなあ」
「おとなしいし、教室では割と皆に気配りできるタイプじゃん? 絶対優しいと思ったからついてきたのに」
中嶋はじっと俺を見つめながら言いきった。お世辞だと分かっていても普通に照れてしまうのが悔しかった。
意外に教室での俺を見られている。その事実が俺の思考を急にフリーズさせる。
「あ、どう返すか困ってる? 褒めたから照れてるんだ。かわいいー」
カレーを食べたいからついて来たわけでもないらしい。このギャルが何を考えているのか分からない俺は心の中で頭を抱える。
しかし、そんな俺を余所に中嶋は話を続ける。
「パパ……ううん。お父さんとね、喧嘩してるの。引っ越してきて三日目で盛大にやっちゃった」
ああ、そう言う事か。ようやく心が平静を取り戻し始めた。道理で中嶋の見た目なら同じホームにいたら一発で分かる気がする。
「聞いてる? 喧嘩したんだよ? かわいい娘にありえなくない?」
ここに来た本当の理由はどうやらそれらしい。
「その娘がそんなだったからじゃないの」
「うざ」
楽しそうに不平を垂れる中嶋に耳を傾けながら、対面キッチンに回って鍋にお湯を沸かした。
「会話もずっとしてないんだ」
「へえ」
「帰ってくるのは遅いからあまり話さないにしても、ないわー。そう思わない?」
「へえ」
一方的に愚痴る中嶋に相槌を打つ。百均の小さなピーラーなのででかいじゃがいもの皮が剥きづらい。
「今日だって朝は顔合わせてご飯食べたんだよ? それでも会話一切ナシ! 気まずいっつーの」
「そうなんだ」
いつもはもっと小粒なじゃがいもでカレーを作っている。それなのに、今日は中嶋が食べたいからとか言う理由ででかいのを買ってきてしまったのだ。
野菜を切っていた所で、ちょうどいい具合にお湯が沸騰してくる。
俺は手早く具材を炒めてそれを鍋に入れる。
「ねえ。聞いてる?」
「ああ。学校でも家でも会話が無いんだよね?」
要は話し相手が欲しかったんだろう。俺は学校でもぼっちの中嶋を皮肉るつもりで言ったのだけど、何故か嬉しそうにソファーに腰かけている。
「そうそう。素っ気ない顔してちゃんと聞いてるんだね。よしよし」
姉が弟を褒めるような言い方だ。
「それで、親父と顔を合わせるのが気まずいから、丁度いい寄生先を見つけて駆け込んできたと?」
「うわそれ言っちゃう?」
ソファーの上で膝を抱え込みながら上目で睨みつけてくる。さらさらと銀色ヘアーが眩しいったら無い。この生活感溢れた俺の家に中嶋がいる事が未だに現実離れしているように思えた。
「まあ、食べたら帰りなよ。それで仲直りしなって」
「泊まっていけっては言わないんだ」
「ダメだよ」
泊めるなんて出来る訳がない。たまに帰ってくる母親に見慣れない銀髪の一本でも見つけられたら家族会議が始まる。
「あ。同じ部屋じゃないんだとか思ってがっかりした?」
「一駅だけだよね? 何なら送ってあげてもいい」
「うわー。帰る前提で物言ってるよ。この人」
有無を言わさずカレールーを鍋に投入した。
「あ、カレーの匂いしてきた!」
「ちゃんと仲直りしなって。一人だけの父親なんだろ?」
コンロ前で鍋を見張る俺。中嶋はその横にやってきて、ぴたっとついている。
「上から目線だね」
人の家に勝手に上がり込んでおいて、どの口が言うんだろう。
ころころっと笑う中嶋を見てそう思ったけど、多分これは俺の本音じゃない。
「君ってさ。もしかして、私の事怖いと思ってる?」
「もう怖くなくなったよ」
「そっか。安心した」
今度は本心のまま答えると中嶋は何故かゆっくりと息を吐いた。
「うれしい」
満面の笑みで言われてしまった。俺も心の中で密かに嬉しさがこみ上げて来るけど、顔には出さない。
カレーが出来上がり、俺は鍋を持ちながらリビングのテーブルに向かう。
「中嶋さんも――」
「えっ?」
中嶋は俺の横をついてきながら、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「中嶋さんもこんなに明るい人だとは思わなかったよ」
「私って学校じゃそんなに暗い?」
「どっちかというと暗いんじゃなくて怖い」
「全然怖そうにしてないけど、君は私の事ずっと怖かったんだ?」
まるで、二年になってからずっと俺を見てきたような事を言う。俺はそう思った。
「さっきも言ったでしょ。これだけ本性見せられたらもう怖くないから。これで安心した?」
「安心したけど言い方がうざい」
「はいはい」
いつもは一人だけの食卓に向かい合わせに座る。ライスの上にルーをかけると、銀髪ギャルの顔が一気に綻ぶ。
「わー。美味しそう」
「はいこれ、スプーン。うちの家族が使ってたやつだけど」
銀のスプーンを渡すと、俺達の間で沈黙が流れる。
「え、何かした?」
首を傾げながら、中嶋がそんな事を尋ねてくる。
「いや、他人の家の食器とかスプーン使うの。抵抗ないんだなって」
答えても、スプーンにカレーライスを掬った動きのまま中嶋は動かない。
何か言いたい事でもあるのだろうか。
「君ってもしかして潔癖症?」
「中嶋さんがずぼらすぎるんじゃないの」
「ああもう! また意地悪言ったし!」
「冷めるよ」
「ああっうざいうざい!」
そう言ってぺろりとカレーライスを頬張った。
「うまいっ!」
「意地の悪い男が作ったカレーだよ、それ」
「うざい。うまいけどうざいっ」
段々中嶋の反応が面白くなってきた。俺もカレーにスプーンをつけて食べ始める。
そこから先は学校での俺や中嶋の話に終始した。でも、クラスで言いふらされている中嶋自身の噂の事だけには触れない。
中嶋にいじられて俺が皮肉で返す。そんなやり取りをしていたらカレーの皿はあっという間に空になった。
◇
「私も手伝うよ」
食べ終わり、皿を洗おうとすると中嶋が声をかけてきた。しかし、生憎スポンジは一個しかない。
「いいよ。俺がやる」
「やだ。せっかく食べさせてもらったんだし、お礼くらいしないと」
意外に気が強い。意地でもお礼する気かよ。
「電車で席譲ったり。ギャルとは思えない礼儀正しさだ」
「私ギャルじゃないもん!」
そう言いながらかけられていたふきんを手に取った。
どう見てもギャルだろと心の中で思ったけど、言わないでおく。
「じゃあ、君が洗ったやつを私が拭く。拭いたのはここの棚でいいんだよね?」
「うん。じゃあお願いしようかな」
「おけ! 任せてよ!」
そう答えると、中嶋はとても嬉しそうに笑う。
中嶋が自分の事をギャルだと思っているかいないかはさておき、俺達は共同作業で後片付けにあたる。
あっという間に片付けは終わり、俺はソファーに戻った。
テレビをつけるとすっかりゴールデンタイムの番組が始まっている。もういい時間だ。
「あのさ。私本当にギャルじゃないからね?」
「そのネタ、まだ引っ張る?」
返答はない。見返すと、中嶋は打って変わって真面目な表情を浮かべていた。
「どうしたの。改まって」
「石井くんは教室で流れてる私の噂、どこまで信じてる?」
「噂?」
すっとぼけると、中嶋は切羽詰まった顔をする。
「私、パパ活なんてしてないからね……?」
拗ねた風な口調で中嶋が言う。
俺はさっき、父親と二人きりで住んでいると言った中嶋に本当のパパか? なんて事を聞いた。
なんてことだ。中嶋は噂の事を知っていたんだ。
今まで全く表情に出さなかったから分からなかったけど、彼女なりに悩んでいたのだ。
冗談でも言ってはいけない事を言ってしまった事に気づかされる。
「どうして君まで落ち込んだ風な顔になってるの?」
「え」
顔を上げると、中嶋が心配した風に俺を見ていた。
「いや……さっき酷い冗談を言ったなと思って」
首を傾げたまま中嶋は状況を飲み込めていない。自分でパパ活をネタにする癖に噂を気にしているのかよ。
俺は気を取り直して続ける。
「まあ……噂は知ってるよ。中嶋さんがパパ活なんてひどい噂だよな」
「信じてくれるんだ?」
「当たり前だろ。カレー楽しそうに喰ってたし」
「あはは。それ関係ある?」
「ある」
真顔ではっきりと言い返すとまた笑われた。
「そんな事で信じてくれるんだ。バカじゃないの」
中嶋が嬉しそうに目を細めた。
まあ、それだけじゃないんだけど。
これまで中嶋と話して分かった。彼女はとても純粋な性格をしているし、人を思いやる気持ちも持っている。
口調は多少ギャルっぽいけど、こうやって見ると普通の女子って感じだ。
「電車でさ。意外に礼儀正しかったから正直引いたよ」
「うっざ。君だって」
そう言って、中嶋は少しだけ空気を飲み込む。
こらえきれない感情を必死に抑えているようにも、俺には見えた。
「君だって、教室だとおとなしいじゃない? もっと良い子だと思ってた」
「お互い様だな」
「ほんっとうに!」
俺達は示し合わせたように笑い合う。
「この髪ね」
蛍光灯の下、艶光りする銀のキューティクル。中嶋は前髪を一本摘まみ上げながら続ける。
「生まれつきこういう色なの。珍しい体質なんだって」
「珍しすぎるね」
もしかして、アルビノって奴か? はっきり聞こうとしたけど、何となくそういう言葉を安易に口に出すのはいけない気がした。
「あ。別に気にしなくていいからね?」
「してないよ」
正直、多少は気にしてる。でも、中嶋が事前にそういう風に言ってくれると安心する。
「学校だとカラコンしてるけど、普段はうさぎさんみたいな真っ赤な瞳なんだ」
「うさぎさんって」
「何、今笑うとこだった!?」
中嶋の反応とうさぎさんという例えが可愛らしくておかしかったのだ。
だが、笑いをこらえる俺を見て何故かムッとする中嶋。
「本当良い性格してるよ、君」
ソファーにくたっと身体を預け、腕で額を覆う。
「髪なんて染めちゃえばいいんだけど、出来ないんだよね」
「カラコンはするのに?」
俺も後ろに手をついて楽な姿勢で座り直す。ソファーの上の中嶋。額から腕をどけて困ったような笑みを向けてくる。
「ちっちゃい頃に死んじゃったお母さんが褒めてくれたの。私の髪はとても綺麗な髪だって。今でも覚えてる」
「そうか」
二人暮らしっていうのはそういう事だったのか。
多分、中嶋は大好きだった母親の言葉を今でもずっと大切にしたいんだろう。だから、染めずにありのままの髪で過ごしている。
「あ、気を使わなくていいからね?」
「綺麗だと思うけどな。俺は」
「えっ!?」
驚いたように飛び起きる。
目をしぱしぱ瞬かせる中嶋に言ってやる。
「その髪。これからも染めなくてもいいんじゃないの、中嶋さんは」
「髪の方かあ」
何故か残念そうな顔を向けられた、次の瞬間。
「おっと」
一瞬の隙を狙って中嶋がクッションを投げつけてくる。首の動きだけで避けると、きゃあと中嶋が無邪気に笑う。
「何で避けるの」
「いきなり投げて来るからだろ」
「いやそれ、普通避けれないから!」
けらけらとソファーの上で踊るように笑っていた。俺はそれを中嶋が飽きるまで黙って見ている。
「先生しか知らないんだけどさ。石井くんにも一応教えとこうと思って」
テレビに目を向けてそんな事をぽつり呟く。思わず彼女の綺麗な横顔に釘付けになった。
「じゃあ、中嶋がギャルでも何でもないって噂、俺が広めておこうか?」
俺は割と本気で提案する。
こう見えてそれなりに顔は広い。
中嶋の人柄が誰にも分からなかったからこそ流れた噂だ。だが、事情が分かれば今の状況もいくらかは改善されるかもしれない。
だけど、中嶋は首を横に振った。
「ううん、いい」
「でも……」
「君が知ってるならそれでいい」
そのまっすぐな目線に俺は何も言い返せない。どこまでも温かくて良心の塊みたいな瞳だった。
多分、良くも悪くも中嶋は純粋過ぎるんだ。だから、こんなに綺麗な銀髪をしているのかもしれない。そんな根拠もない事を一人思う。
「そっか。じゃ仕方ないな」
そう答えると、中嶋が何故かこちらを窺うように肩をすくめる。
「あ、今照れてなかった?」
「照れてない」
中嶋との会話はその後もしばらく続いた。
◇
彼女を送る為、駅までの夜道を歩く。
「何で、俺で良かったんだ?」
「えっ」
尋ねると、中嶋は何故かびくっと肩を震わせる。
「俺なんて目立たないし、この通り嫌な奴じゃないか。何で中嶋さんは秘密を打ち明けてくれたのかって」
「えーと」
中嶋は何故か視線を逸らしながら口ごもる。明滅する電灯を一緒に見上げる。
「カレー作ってくれたから、そのお礼」
「皿も洗ってくれたし、お礼ばっかしてもらってる気がする」
「もう、言い方!」
駅名の灯りが徐々に見えてくる。
「本当はね、いつも聞こえてきて嫌だったんだ」
「えっ」
「クラスの皆がこそこそ陰で私の事言うの。すごく嫌だったよ」
それでも中嶋は優しい笑みを向けてくる。潤んだ瞳を見て、中嶋からの言葉をはっきりと聞いた俺は愕然とする。
窓辺で一人孤高を装っていても、中嶋の耳にはしっかり入っていて、噂はちくちくと彼女の心を傷つけ続けていたんだ。
「……でも」
「ん?」
駅の入り口に辿り着くと、中嶋が足を止める。
「君は私の事、見た目だけで決めつけるなって言ってくれたよね?」
「言ったかな」
「はっきり聞こえてきたし。君がそういう風に言ってくれたの今でも覚えてる」
いつだったっけ。クラスの友人がそんな話をしてきたのは二年に上がって間もなくの頃だった気がする。
「俺はあいつらが好き勝手言ってたのを適当に聞き流しただけだよ」
「でも、私は嬉しかったよ」
中嶋はそれこそが今日言いたかった事なんだと、ぐっと頷いて俺を見る。
「嬉しかったんだからね」
泣きそうな潤んだ瞳。上目遣いで精一杯の笑みを作る。
「中嶋さん。泣きそうになってる。コンタクトずれるよ?」
「あっ!」
やば、そんな事を小さく漏らしながら、中嶋はそっと目を擦る。
もう一度こちらを見上げると、もう泣きそうな顔はしていなかった。
「つーかさ。中嶋さん。簡単に人の言う事を信じるんだね」
「いけない?」
「いけなくはないけど……」
でも、気をつけた方はいいと思う。人をだまされやすそうとか言っておいて、中嶋だって結構危うい。
「じゃ、いいじゃん!」
しかし、中嶋は嬉しそうに俺の前に出る。
「今日はありがと!」
そのまま二段きりの駅の階段を軽やかに上がる。 気づけば改札口はすぐそこだった。秋の終わりの北風が顔に吹き付ける。
「中嶋さん」
「え、なに?」
自然と声が大きくなる。白銀が翻り、冷たい空気にさらされた赤い頬がこちらに向けられる。
「中嶋さんの本性を知ったら、きっと噂なんてなくなるよ」
「その言い方、なんかムカつく」
釈然としない。中嶋は小さく唸る。それがまた可愛らしい。学校でも今日みたいに振る舞っていればきっと皆分かってくれるはずだ。
そう言おうとしたら、中嶋は駆け出した。
「親父さんとちゃんと仲直りしなよ」
「うん!」
最後にそう声をかけると、中嶋は少しだけ気まずそうに手を振ってくる。俺も軽く手を上げて振り返すと、そのまま駆けて行った。
いかがだったでしょうか。