アークナイツ Weg zur Erlösung   作:水面 透

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前回のあらすじ:チェルノボーグの医療研究施設跡でロドス・アイランド製薬に保護された男、ドクターは、自分の本名とこれまでの過去すべての記憶を失っていた。そんな彼に、とある不思議な女性、シャイニングが面会に訪れる。彼女に遠い昔に《約束》をした少女の面影を見たドクターは、忘れてしまった《約束》を果たすため、職務に復帰するのだった。




第二問 為すべきこと

 大地歴一〇九六年一二月三一日 午前六時。

「おはようございます。起床の時刻になりました。オペレーターの皆様は速やかに起床してください」

 そう〈PRTS〉の起床アナウンスが繰り返される。部屋の照明も自動的に点灯する。眩しさのあまり、ベッドで寝ていたドクターは目を開ける。

 怠そうにゆっくりと起き上がると、枕の傍らに置かれていた腕時計型の携帯端末を左手首に装着する。眠気覚ましのため別室の洗面所で、あらかじめ用意されていた男物の洗顔フォームを使って顔を洗う。

 就寝服からスーツに着替え、ほぼすべての身支度が完了すると、携帯端末から呼び出し音が鳴りだす。自動的に顔写真付きのホロ映像が表示される。通話相手はシャイニング。

「もしもし」

 ドクターは通話機能をオンにして、彼女に応答する。

「おはようございます、ドクター。今日の調子はいかがですか?」

 聖女のような慈悲深い声色で、シャイニングが自身の体調について問いかけてくる。ドクターはかぶりを振って、

「問題ないよ。記憶はまだ思い出せないけど」

「焦る必要はありません」とシャイニングは労わるように告げる。「慌てて記憶を取り戻したりすれば、心は壊れてしまいます。段階を踏んで思い出していきましょう」

「分かった」

 なんだか、とても懐かしい感じがした。数年ぶりに取り戻したかのような感覚。どうして彼女と話していると、そんな感覚に陥るのだろう。昨日、あの写真を見てからというもの、その感覚が強まっている気がする。

 しかし彼女の口調にはやはり距離があった。患者と医師といった適切な間。その距離感がドクターにとってはもどかしい。かつて自分たちは、もっと強い絆で結ばれていたような気がする。いったいどういう関係だったのかは、まだ思い出せないけれど。

「それと、午前八時頃に、急遽(きゅうきょ)医療部のケルシー先生から部長執務室に来るよう要請が入りました。メールで連絡が来ていると思いますので、端末でご確認ください」

 ドクターは指示通り、通話機能をオンにしたままメールアプリを起動する。一件のメールが送られている。開くと、至急部長執務室に来るようにと書かれていた。差出人は医療部部長のケルシー。

 名前をタッチすると、簡単な個人情報(プロファイル)が表示された。凍り付いたような顔をした猫耳を生やした白髪の女性の顔写真が貼られている。

「確認した」

「では三十分前に迎えに行きますので、今日も一日よろしくお願いします」

 シャイニングが電話を切ったので、ドクターも通話機能をオフにする。

 ケルシー。彼女は救出されたときにアーミヤからどんな人物なのかは聞いている。とても優秀な医者で、とても優しく、仲間からも信頼されているんだとか。

 しかし、このホログラムのプロファイルに表示されている顔は、明らかに優しさとは無縁な、冷酷な人物という印象を抱かせる。

 けれど実際に会ってみないと分からないこともある。彼女はいったいどんな人なのだろうか。

 

 

 * * *

 

 

 ロドスの主力部署は主に五つだ。

 最高責任者(CEO)であるアーミヤが直々に部長を務める衛生監察部。オペレーターの個人情報の管理や

世界情勢の収集を担当する情報部。天災の観測を主な業務とする天災観測部。最先端の兵器や医療用機械などを開発する先端科学技術研究部、そして私──ケルシーを中心とする医療部。

 医療部は内科、外科、小児科、保育福祉課、精神医療科など、鉱石病(オリパシー)感染者の治療の他に、オペレーターや救出した難民の健康管理を主におこなっている。閉鎖病棟区画の管理も医療部の管轄だ。

 今日から()()ドクターが職務から完全復帰する。執務机に設置されたタワー型デスクトップパソコンに向かいながら、ケルシーは暗いため息をつく。

 彼はロドスに多く貢献してくれた。ロドスの行動基盤となっている国際衛生保護法の成立は彼なしでは成しえなかった。

 しかし、もうここで終わっていいのではないかという思いもある。彼がこの世界の()()を知ることもなく、どこか遠くで暮らす。その方が幸福な人生を送れるのではないか。たとえ、彼の存在をこの大地に住まうすべての人間から否定されるとしても。

 気密性の扉が開く音が聞こえる。

「失礼します」

 ほぼ二人同時に挨拶をし、足並み揃えて部屋に入ってくる。黒髪蒼眼の男と白髪金眼の女。

「ドクター、シャイニング。君たちを待っていたよ」

 規定時刻に来た彼らに対し、ケルシーは歓迎の言葉をかける。が、ドクターの方は少々緊張した面持ちでいる。仕方のないことだ。感情を表に出すのは自分の苦手分野であることをケルシーも自覚している。

「ケルシー先生、今日はどのような用件で呼びだしたのでしょうか。彼に対する報告書は既に提出済みなはずですが」

 とシャイニングが丁寧に疑問を口にする。今日話したいのはそのことでもあるのだよ。

「今日呼び出したのは、ドクター、君の意思をこの目で確認するためだ」

「ぼくの意思、ですか……」

「そうだ。君は現在記憶障害を患っており、〈PRTS〉の簡易精神診断の結果もあまりいいとは言えない。この状態で職務に従事するのは、君にとって大きな負担になるのではないのかね?」

「それは、そうでしょうが……」

 ドクターはそう顔を俯かせながら答える。自分のいまの状況について多少なりとも理解はしているらしい。確かに判断能力は報告書通り鈍ってはいないようだ。

「そんな危険要素である君に、今回の事件に介入させることはできない」とケルシーは冷酷に告げる。「私からは転属か、もしくはロドスを退職することを推奨する」

「しかし、彼は職務に従事したいという明確な意思を持っています。それをないがしろにすることは、彼の精神をさらに穢すことになりかねません」

 とシャイニングが割って入る。丁寧な口調だが、明確な反抗の意思が感じられる。言葉にいまのところ私情は見つからない。専門家としての的確な意見。

「たしかに、報告書ではそう書かれている。君は優秀な医師かつ臨床心理士(テクニカル・サイコロジスト)だということは履歴書(プロファイル)でしっかり確認しているし、そんな君が書いた報告書は信頼に足るものだと思っている。しかし、君の判断が必ずしも組織単位でいい影響をもたらすとは限らないのだよ。衛生監察部バイオテロ対策課課長──この役職についている彼が何らかの失敗をもたらしたとき、それはロドス──いや、この大地全体の不利益をもたらすということになる」

「確かに、組織維持にとって利益は必要不可欠でしょう」ケルシーの辛辣な意見にシャイニングも同意する。「しかし、彼に復帰の意思がある以上、それは尊重されなければなりません。精神的な問題は、ただ薬物を投与すればいいだけではありません。心理的な問題を問題ではない方向へと持っていくことも重要なのです。わたしは臨床心理士として、職務を通じて心理療法を駆使したほうが、彼の精神が改善できると判断しました」

「なるほど。それで、君はどうなのかね」

 ケルシーはドクターの方を見やる。

 俯いていた顔は前に向いていた。天空のような青い瞳は強い意志によって宝石のように輝いている。その輝きは、かつてここにいたあの女(ひと)のようで、眩しい。

「確かに、ぼくは組織に不利益になる存在かもしれません。でも、それでも目の前で起きる理不尽を見過ごすことはできません。もしこのままあなたの言うとおりに辞めて、為すべきことを果たさなかったら、ぼくは()()()()()()()()()()()()()なってしまう。そんなのは嫌です」

「なるほど」

「それに、ぼくには約束があるんです。その約束がある限り、ぼくは絶対に諦めたりするわけにはいかないんです」

 とドクターはシャイニングの方を見やる。彼女は慈悲深くも冷たい笑みを浮かべた。彼女はサルカズではあるが、どちらかというと、前任のドクターに似ていることがある。

「わかった。改めて、君の復帰を認めよう。ドクター」

「ありがとうございます」

 二人同時に声を上げ、そしてお辞儀をした。羨ましいほどに、息がぴったり合っている。

「ただし」とケルシーは冷酷に忠告する。「もし仮にドクターが大きな失態を犯したとき、君たち二人とも懲戒処分とする。いいな」

「了解しました」とシャイニング。

「覚悟の上です」とドクターも続く。

 そうして彼らは扉の方へと振り返り、部屋を辞した。

()()()()()()()()()とサルカズ──それはケルシーにとって大きな意味をもたらす存在であり、また己の罪の象徴ともいうべきものたち。

 彼らもまた、今の二人のように息があっていた。だが、三年前のカズデルで起こった紛争と、彼女がこの大地に潜む真実を知ってしまったがゆえに破滅した。

 あの悲劇が、また繰り返されてしまうのだろうか。

「せめて、また私に執行(ころ)させないでくれたまえ」

 そう願う以外、ケルシーには何もできなかった。

 

 

 * * *

 

 

 ドクターが初めて──初めてではないかもしれないが──ケルシーという人に直接会って抱いた印象は、第一印象通り冷酷な人物だということだ。

 彼女は冷たく、自分がどれだけ無能な存在であるのかを突き付けた。そして転属するか、この仕事を辞めるかという選択を勧めてきた。シャイニングの説得と自身の意思表示によって、転属または退職という事態は回避できた。これで、自分の為すべきことを果たすことができる。

 けれど、確かにアーミヤが言う通り、悪い人ではないことはなんとなくわかった。ケルシーの突き放すような口調は、なんとなくだけど、自分を何かから守ろうとしているような感じがする。

 午後十時。ドクターは補佐のシャイニングとともに、落蹄(らくてい)州に位置する龍門(ロンメン)の入国管理ゲートへやってきていた。犯罪組織から明確に犯行声明が出されたため、向こうから支援要請が出されたからだ。

 チェルノボーグで発生した事件から一週間以上経ったはずだが、そこから逃げてきた難民は今だ蟻の軍勢のような列をなして並んでいる。中には用意された毛布にくるまって寝こんでいる難民もいる。冬の夜はかなり冷えるためか、身体は猫のように丸まっている。

 その様子に、ウサギの耳を生やした茶髪の少女──アーミヤが心配そうな顔をして見つめている。彼女もまたロドスの代表としてやってきた。ケルシーもまた龍門に来ているが、先に現地の代表と事件対処に対する計画を話し合っている。

 ドクター達も後から合流するはずだったが、難民の数が多すぎるせいで目的の人物が全く見当たらない。

「ここの人たちのことが心配か?」

 暗い面持ちでいるアーミヤに、ドクターが優しく語り掛ける。少女は頷き、

「はい。こんなにも大勢の難民が、いまだに路頭に迷っているなんて……」

 ゲートでは武装した警官が立っており、手に持った端末で難民一人ひとりに身体検査を行っている。難民に見せかけた犯罪者を入れないための措置だろう。検査を終えた難民は、そのままゲートをくぐり、龍門市内へ向かっていく。

 そして次の男に対し、武装警官が携帯型の検査デバイスを近づける。すると、デバイスを確認した警官は、難民の男の入国を拒否した。

「デバイスであなたが感染者であると判定されました」と警官は冷酷に告げる。「感染者は専用レーンへ移動し、再度入国申請をしてください」

「まってくれ」ボロの外套をまとった難民が必死に叫んだ。「俺はただの被害者だ。中に入れてください」

「感染者と判断された以上、あなたは龍門にとって脅威になりえる存在です」

「そんな……俺は犯罪者じゃない。ただの被害者なんですよ……。お願いします、今すぐ中に入れてください……」

 入国拒否された難民は必死に懇願した、しかし警官は聞く耳を持つことはなく、感染者用のレーンを通るようにと勧告する。

 そのことに絶望した難民は、泣き叫びながら、無慈悲な警官に殴りかかる。だが警官はすぐさま腕を拘束し、彼の身体を床にたたきつけた。他の難民にも負の感情が伝播し、皆怯えた表情を浮かべている。

「酷いな……」

「鉱石病に感染してしまった人は、どこにいても酷い扱いを受けるんです。ドクターやAceさんたちの扱いに比べたら、まだいい方ですけど……」

「ぼくの、扱い……?」

 アーミヤが暗くつぶやいた妙な言葉に、ドクターは反応する。

 そういえば、自分を守るために死んでいったAceという男も、最期にこんなことを言っていた。

 

 

『お前は俺たちの希望だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()ために、お前には絶対に生き残らなければならない』

 

 

 あれは一体どういうことなのだろうか。

 そんなことを考えている間に、先ほどまでそばにいたシャイニングがいなくなっていることに気が付いた。いつの間にかごった煮替えしている難民たちの間を縫い、拘束された感染者難民のいる入国管理ゲート付近へ向かっている。

「あの馬鹿っ」

 そんな彼女の後をドクターは追った。これから起こるトラブルに対処しなくてはならなかった。

 

 * * *

 

 感染者が暴れているとの部下の通報を受け、龍門近衛局特別偵察隊隊長であるチェン・フェイゼは、難民増加に伴い、簡素なテントで作られた臨時の入国審査受付から龍門入国管理ゲートへと向かっていた。

 到着すると、そこには部下にうつぶせで拘束されたボロの外套を着た難民の他に、黒いフードを被った白髪の女性が、応援に駆け付けた数名の部下と口論している。

「ですから、鉱石病は精神状態によって症状も変化します。心的外傷によって病の進行が早まる可能性があるのです。彼の取り扱いには最大限の配慮を……」

「我々は職務を遂行しているだけだ」と部下の一人は憤然とした面持ちで答える。「これ以上我々に口答えすると、職務妨害で拘束するぞ」

「いったい何の騒ぎだ」

 彼らの口論にチェンは割って入る。部下の一人は困った様子で、

「先ほど、指示に従わない感染者の難民が暴れたので拘束したのですが、その途端、このサルカズの女が拘束を解けと言ってきたんです」

「なるほど。大体把握した」とチェンは頷いた。「貴様、身分を証明するものは持っているか」

 白髪のサルカズ女性は左手首に着けた携帯端末を操作し、ホログラムの身分証を提示した。ロドス・アイランド衛生監察部バイオテロ対策課課長補佐・シャイニング。なるほど、今日会う手はずになっていた者たちの一人というわけか。

「ちょっと、お前何やってんた……」

 と列に並ぶ難民の間を縫ってきたのは、黒のフードジャケットを着た男。声には疲労の色が浮かんでいる。

「彼らが感染者の難民に対して不当な暴力を働いていたので、止めに入っただけです」

「だからって無用なトラブルを起こすんじゃない」

 悪びれる様子もなくシャイニングが答えたので、フードの男が諫めるようにため息を吐いた。

「すみませんうちのものが……。ぼくはドクターです」

 男もまた左手首の携帯端末を操作し、塔のエンブレムが描かれた身分証を提示した。衛生監察部バイオテロ対策課課長・ドクターと書かれている。顔写真にもフードがかぶせされているが、これにはある特殊な事情があることをチェンは知っている。

「お前たちがロドスだな?」

「はい、そうですが……」

「私は龍門近衛局特別督察隊(ろんめんこのえきょくとくべつとくさつたい)隊長、チェンだ」と、チェンは携帯端末を操作し、ホロで作られた近衛局員を示す警察手帳を掲げた。「国際衛生保護法に基づき、我々はお前たちとともに犯罪者と対峙していくこととなる。よろしく頼む」

「あなたがチェンさんですか。随分若いんですね」

 身分を開示したとたん、ドクターと名乗る男は、驚くようにフード越しに見える青い瞳を見開かせた。その感情に侮りは含まれてはいない。ニ年前に出会ったのと同じ、尊敬の念が入った純粋な反応。

「お前の方が私より年下だろうが、レイ」

 久々にあったこの男に、チェンは軽口をたたく。しかし当の本人は困惑したかのように目を細め、「レイって誰ですか……」

「お前、自分の名前を忘れたのか」

「彼は記憶を失っているんです」とシャイニングが割って入った。「わたしは彼の精神ケアを担当しています」

「そうか。ということはおまえが──」

「知り合いですか、隊長」

 チェンが言いかけたところで、先ほど口論していた部下──ワンも会話に入ってきた。

「……ああ。彼らは今回の犯罪対策の支援をしてくれるロドスのものだ」

「なるほど、そうでしたか」

 納得したようにワンは頷いたが、不機嫌な色は消えない。協力者とはいえ部外者であることには変わりなく、そんな人間に職務を妨害されたことに不快感を覚えているのだろう。

「ところで、代表の姿が見えないが……」

 チェンは周囲を見渡した。すると難民の集団の中からウサギ耳のコータス族の少女が飛び出してきた。

「もう、二人とも先に行かないでくださいよ……」

 難民たちに揉まれてしまったのか、かなりの疲労の色が見えた。年は自分やレイよりも年下のように見える。おそらく十代前半かそのあたりだろう。

「君が代表のアーミヤか」

「はい」とコータスの少女は頷いた。「わたしはロドス・アイランド製薬最高責任者、並びに衛生監察部部長のアーミヤです」

 ホロの身分証を見せ、アーミヤはとした態度で応じた。なるほど。見た目に合わず肝は据わっているらしい。おそらく、限りない修羅場を潜り抜けてきたのだろう。

「集合予定時刻は十時のはずだが、今は十時十四分だ。わたしに十四分の時間を無駄にさせたということだな。さらには君の部下の一人が問題を起こすとは……」

「すみません」

「謝罪は不要だ。結果を示してくれればそれでいい。ゲート内に入れ、ウェイ長官がお待ちだ」

「待ってください」と先ほど問題を起こしたシャイニングが拘束されている難民の方を見やる。「その前に彼をロドスで治療させてください」

「ダメだ。彼はこの場で問題を起こした。我々の法で対処する」

「ならばせめて、彼に心身共に良好で居られる環境を整えてあげてください」

「……善処しよう」とチェンは彼女の願いに同意した。「連れていけ」

 自身がそう指示すると、部下たちは拘束された難民を連れて、その場を立ち去った。

「では付いてこい。わたしが案内する」

 

 

 * * *

 

 

 チェンという人物は、想像していたよりも苛烈な人だとアーミヤは思った。

 己の職務に忠実で、自分や他人に厳しい印象。まさに仕事人間という言葉がふさわしい人物。

 そんな彼女の背中を、ドクターとシャイニングとともについていく。龍門近衛局本部のエントランスを抜け、長官執務室がある最上階へ続くエレベーターに向かう。

「なあ、アーミヤちゃん」

「なんですか」

 待っている間、ドクター──レイがそう呼びかけてきた。昔から彼はよく自分のことをちゃん付けで呼ぶ。三年前、義理の両親が死んでからは彼が兄変わりとなり、よくかわいがってくれていた。記憶を失っても、その名残は消えていないのはアーミヤにとってとても嬉しかった。

「レイって、いったい誰なんだ」とレイは困惑気味に言った。「さっきチェンさんから言われたんだけど」

「シャイニングさんから詳細な個人情報を貰っていないんですか」

 アーミヤは驚きながら、彼のそばにいるシャイニングの方を見やる。彼女は苦い顔をしながら、

「何度も申請しているんですけど、なかなか許可が下りないんです」

「そうなんですか……」

 ロドス・アイランドに所属するオペレーターは全員にコードネームが割り当てられ、本名など重要な個人情報は情報部で厳重に保管される。職務中に本名や個人情報を意図的に関係者以外の人間に漏らすことは厳禁で、違反すれば懲罰対象となる。

 しかし記憶喪失状態に陥ったレイの場合は、特例として本名が記載された個人情報の開示が許可される。おそらく、ケルシー先生が圧力をかけているのだろう。チェルノボーグ事件で彼が遭遇した()()を思い出させないために。その気持ちはアーミヤもよくわかる。

「わかりました。わたしの権限で情報部に申請しておきます」

「ありがとうございます、アーミヤさん」

「いいえ、こちらこそすぐに情報を開示できなくて申し訳ありません」

 感謝の意を述べるシャイニングに対し、アーミヤは謝罪の言葉を告げた。そしてドクターの方へ向き直り、

「さっきの質問ですが、レイというのはあなたの本名です。ただ、フルネームや経歴に関しては口外出来ませんので、後日シャイニングさん経由で情報をお渡しします」

「そうか。ありがとうアーミヤちゃん」

 そう告げると、レイはにこやかに笑い、アーミヤの頭を撫でた。三年前、紛争で両親が死んで孤独だった自分にしてくれた仕草。こうされると、いつも口もとが緩んでしまう。

 エレベーターが到着するチャイムが鳴った。

「では行くぞ」

 チェンが厳しい目でそう告げたので、アーミヤは口元を引き締める。三人とともにエレベーターの中に入る。自分の為すべきことを成すために。

 

 

 * * *

 

 

 エレベーターでビルの最上階まで上がり、ドクター達はチェンの導きに従い、龍門近衛局長官執務室と書かれた扉の方へ向かう。中からは冷徹な女性の声と、年季の入った男性の声が聞こえる。この中にケルシーと、そして龍門のトップであるウェイ・イェンウが話し合っているのだろう。

「……ミスター・ウェイ。我々は感染犯罪者の心理傾向や医学的知見のノウハウがございます。今回貴方たちに犯行声明を出してきたテロ集団は、その知見が少ない龍門近衛局では対処不可能な存在であると言わざるを得ません」

「しかし、君たちはまだ出来たてほやほやといっていいほどの組織だ。誕生までまだ二年もたっていない。それに今までの活動といえば各国で補助勢力(オブザーバー)としての感染者犯罪対策支援と医療支援だけだ。いくら国際法に則って結成されたとはいえ、そんな組織に龍門の治安維持を任せるのはいささか不安要素ではある」

 会話の内容を聞くと、あまりうまくいっているとは言えない。どうやら相手方はロドスの能力に対して疑念を持っているらしい。

 チェンは手首の携帯端末を扉の右隣に取り付けられたデバイスにタッチすると、鍵がひとりでに開いた。彼女がノックすると、

「入りたまえ」

「失礼します」

 男が入室を指示すると、チェンは扉を開け、先に入るよう促す。ドクター達はそれに従い、部屋の中へと入っていく。

 室内には血のように紅く塗装された壁紙には金色の竜が描かれている。たしか、赤は生命の象徴、そして強い感情を呼び起こす色であり、そして金色は豊かさや権力を象徴する色だと誰かから言われたことがある。

 高級な皮で作られた黒塗りの応接ソファには、ケルシーと竜のような顔をした赤毛の男が話し合っている。男は赤を基調とした高価そうな着物を着ている。あれが今日会う手はずになっている龍門のトップであるウェイ・イェンウなのだろう。

「ウェイ長官、客人三名を連れてまいりました」

「ああ」

 紅き竜──ウェイはドクター達の方へと目をやった。同時にケルシーもこちらを振り向く。三人は同時に敬礼し、

「本日より龍門の犯罪抑止に尽力させていただきます。ロドス・アイランド製薬最高責任者、並びに衛生監察部部長のアーミヤです」

「同じく、衛生監察部バイオテロ対策課課長のドクターです」

「課長補佐のシャイニングです。よろしくお願いします」

「かけたまえ」

 権力者らしい厳格な口調でウェイが着席を促したので、ドクター達はケルシーが座っている方のソファに腰かける。一番左に座るアーミヤと自分の間にケルシーが挟まり、そして一番右にシャイニングが着席する。扉を閉めた チェンはウェイ側のソファに近づくと、座ることはせず、彼の後ろで起立をする。

「ではケルシー君、話の続きを」

「この映像を見ていただきたいのですが」とケルシーは携帯端末を操作し、ホログラム映像をウェイに見せる。チェルノボーグで発生した事件当時の映像。戦闘中に撮影されたもののため画像が荒い。「このタルラという主導者はかなりの心理誘導能力に長けています。レユニオン・ムーブメントという組織のメンバーはみな彼女を狂的なまでに心酔しているのがその証拠です」

 映像には竜のような黒い角を生やした白髪の女性が、犯罪を扇動するような言葉を発していた。それを聞いた彼女の私兵たちは、狂ったように民衆を殺している。ウェイの傍らに立っていたチェンが、その映像を見て驚いたような表情を浮かべていたが、すぐに元の平静な顔に戻った。そのことにドクターは違和感を持ったが、とりあえずは気にしないようにした。

「カリスマ性……確かに、それは厄介ではあるな」

「ええ。彼女が言葉を巧みに操れば、龍門にいる感染者のみならず、政治に不満を持つ人間までも犯罪者に変えることも可能でしょう。そうなれば、あのチェルノボーグと同じ、精神災害(サイコハザード)状態に陥ります」

「ならば、扇動された人間ごと殲滅をすればいいのではないかな」

「それこそ、精神災害の引き金になりかねません。闇雲に犯罪者認定して鎮圧を行ってしまえば、行政への不満も増大し、あなたの信用も地に落ちます。そうなれば、龍門もチェルノボーグと同じ末路をたどってしまうでしょう」

 そう発言したのは、右隣に座っていたシャイニングだった。

「ならば、君には何か妙案があるのかな」

「まず、港の入国管理ゲートの警備徹底はもちろんのこと、密入国の盲点になるであろうスラム街の警備を徹底します」

「スラムは確かに密入国に最適な環境であるといえよう」とウェイが同意を示す。「あそこは近衛局にとっての不可侵領域だ。犯罪に加担する支援者もいる可能性も十分に考えられる。なにせ、彼らの多くは不法民だからな」

「けれど、スラムの人たちにも生活というものがあります」今度はアーミヤが発言した。「不可侵領域であるならば、わたしたちが介入することで、住民たちにも無用な不安を煽ってしまう可能性があります」

 たしかにアーミヤの言うとおりだ。立ち入り禁止の場所にわざわざ部外者が立ち入ってしまえば、余計なストレスを与えることになる。けれどウェイのように疑いのある人間を徹底排除するとなれば、ケルシーやシャイニングの言う通り、チェルノボーグのようにサイコハザードを引き起こしかねない。

 どうすればいい。考えろ。考えろ。

「では、こうしましょう」

 悩んだ末、ドクターはついに口を開いた。

「ぼくらはスラム地域に対し()()()()を行います。他の区画の防衛や入国管理業務に関しては、近衛局の皆さんに一任します」

 すると、周りにいる全員が一斉にドクターの方を見た。アーミヤとケルシー、そしてチェンまでもが驚いた表情を浮かべ、対してウェイは興味深そうに見つめている。シャイニングはそのどちらでもなく、観察者のような冷徹なまなざしを向けている。

「……今回の事件は、君たちにとってはとても重要な案件となる。解決すればロドスの名声はこの大地に広がり、()()()()をさらに推し進めることができるだろう。君はそれを放棄するのかね?」

 一瞬、ウェイの妙な言葉にドクターは反応した。まさか、彼は自分のことを知っているのだろうか。もしそうだとしたら、いったいどこで出会ったのだろうか。

 そううろたえていると、代わりにシャイニングがウェイの質問のに返答した。

「現時点でロドスの信用がない以上、そうする以外に道はありません。彼の提案は最善策であり、わたしも彼の案に賛成です」

「他のものはどうかね」

 ウェイが厳格な口調で周囲に問うた。だれも異存はないようだった。

「では決まりだ。君たちロドスはスラム住民に対する慈善活動、また我々龍門近衛局の補助──主に隊員の治療と補助支援(バックアップ)をしてもらう。そして我々の指示は絶対であること。再度聞くが、これで異存はないかね」

「ありません」

 アーミヤは年不相応に、決意めいた口調で告げた。そんな彼女にウェイは感心したようで、

「君はまだ子供なのに、随分と大人びた態度をとるんだな」

「わたしにも為さなければならないことがありますので」

「なるほど、君にも君の覚悟があるということか」とウェイは頷き、「では契約書にサインをしよう。できれば、紙の契約書がいい。電子書類はあまり好きではなくてね」

 ケルシーが黒い鞄から紙の書類を取り出すと、それをウェイの目の前へ置いた。彼は古そうな万年筆を取り、書類にサインをする。

「では、これで契約成立だ。我々龍門はロドスを歓迎しよう」

 

 

 

 龍門のトップであるウェイ・イェンウとの会談は、ドクターにとってかなり心的負荷がかかるものだった。ジャケットのフードを外したドクターは疲れた表情を浮かべながら、迎えの車の後部座席でぐったりしている。

「はぁ、しんどかったなあ……」

「お疲れさまでした、ドクター。よく頑張りました」

 疲れ切ってため息をつくドクターに対し、隣にいたアーミヤがねぎらいの言葉をかけてくれる。本当にいい子だなぁ。なんて優しいんだ。

「しかし、ドクターのスラム住民に対し慈善活動をするという提案は素晴らしいものでした。これで、レユニオンからスラム住民を守り、かつ密入国を防ぎやすくなります」

 シャイニングもまた微笑みを浮かべながら、自分の行動を褒めてくれる。

「私はてっきり頭がどうかしたのかと思ったがな」

「ケルシーさん……」

 だがケルシーだけは褒めてはくれなかった。口から放たれた冷たい言葉に、ドクターはまたうなだれる。

「ケルシー先生、あまり強い言葉を使わないでください」

「すまない。しかし、頑なに精神衰弱者を作戦に参加させようとする君のほうがはるかに問題だと思うが」

 そんな彼女の発言を諫めるように、助手席に乗っていたシャイニングが振り返って注意をした。だがケルシーは逆に挑発めいた言葉を返してしまう。ふたりとも何も動じていないかのような表情をしているが、明らかに敵意むき出しの雰囲気を醸し出している。たぶん、朝のことが少なからず影響しているんだろう。

「シャイニングさんの言う通りです。ケルシー先生、今の言葉はドクターに対して失礼ですよ」

 そんな雰囲気の中、アーミヤが眉をひそめながらケルシーに注意をした。

「アーミヤ……」

 それを受けたケルシーは少々怯えたようにそうつぶやく。いつもの彼女らしくない表情にドクターは驚いてしまう。あのウェイの目の前でさえ彼女は眉一つ動かさなかったというのに。

「まあまあ、アーミヤちゃん。それくらいにしといてあげてよ」とドクターはなだめるように言った。「僕の提案に不満が出るのも仕方ないと思うよ。実質主導権は龍門側に握られてしまったからね」

 そう、結局はテロ対策の主導権は龍門に握らてしまった。自分たちにできることは、スラムで慈善活動を称して密入国してきた犯罪者を叩くこと。そしてそれ以外の地域は龍門近衛局の支援だけだ。ロドスだけで犯罪に対処できる自由はかなり制限される。

「けれど、ここでわたしたちが龍門の治安維持に貢献することができれば、彼らもきっと評価してくれるはずです」

 そうシャイニングが励ますように微笑んだ。ドクターもそれに答えるように感謝の言葉を述べる。

「ありがとう」

「スラムでの君たちの活動についてだが、伝手を使ってわたしから住民たちへ協力の要請をしておく」と運転しているチェンが言った。「彼らも犯罪に巻き込まれるのは御免だろうからな」

「ありがとうございます、チェンさん」

「礼はいらない」とチェンは頬をほころばせ、「君たちが応援に来てくれて、こちらも心強い。お互い協力して、為すべきことを果たそう」

「はい!」

 龍門近衛局の一部局の隊長に頼りにされている──ドクターはそのことに大きな喜びを覚えた。だってそれは自分の存在を認めてくれたということだから。自分がこの世界で生きていていいと言ってくれたのと同じだから。理由は分からないが、そんな思いがドクターの胸の裡からあふれ出てきた。

「ところで、さっき言えなかったことなんだが、聞いていいか」

 すると、バックミラー越しに映るチェンの表情が曇った。まるで問いかけることを躊躇しているかのように。ドクターは少し不安になりながらも、

「構いませんよ」

「じゃあ聞くが、お前、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 チェンはそう囁くように言った。一瞬、ドクターの思考が真っ白になる。

 その言葉は、あの執務室を出るときにウェイに言われたのと同じものだった。あのとき、あの紅き竜男はこう告げた。

 

 

『君は、取り戻すべきものを取り戻すことができたのかね』

 

 

 あの時も、ドクターは何も答えることができなかった。今も、その答えを出せないでいる。記憶がないせいもあるだろうが、まだ取り戻せていないという感覚が、自分の口を縛り付けていた。

「いや、すまない。忘れてくれ」

 ドクターが答えられないでいると、チェンは発言を撤回した。曇った表情は消え失せて、冷静な顔つきに戻る。

 取り戻すべきもの──ドクターはジャケットから一枚の写真を取り出した。机に置かれた写真立てに入っていた、双子の兄弟と一人の少女が写った写真。なぜだか、彼女たちの言っていることはこれと関係があるような気がした。

 一瞬、助手席のシャイニングと目が合った。

 その眼には、何を思っているのかをうかがわせない、氷のような冷たさが宿っていた。

 

 

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