アークナイツ Weg zur Erlösung 作:水面 透
そこで彼をよく知っていると思しき治安維持組織に所属する女性が現れ、市のトップとの会談後、彼女は送迎車の中である意味深な言葉をつぶやいたのだった。
一〇〇〇年以上前、この世界に赤く光る隕石がたくさん振ってきたという。
そして、たくさんの国が滅び、自分たちの祖国も化け物たちに支配されてしまったのだと、両親や先生がよく教えてくれた。
だからニコライは、いつかやつらを皆殺しにして、祖国を取り戻すことを夢見てきた。
そして、それがやっと叶おうとしている。
隣にいる友人のミハイルは、その巨大さに恐れおののいているようだ。無理もない。移動する都市なんて、極寒地区の■■■■にいる自分達じゃ滅多に見れないからだ。
確かチェルノボーグという要塞都市に潜入した時も、こんな様子だったな──そう思ったニコライは、肩を叩いて友人を安心させてやる。
「大丈夫か、ミーシャ」
愛称で呼ばれた友人は、怯えた表情を見せながらも笑みを見せる。だが顔半分に受けた火傷のせいで、笑みが余計痛々しく見える。
「大丈夫だよコーリャ……。でも、やっぱり慣れないな。こんな巨大な街を見るのは」
「しょうがねえよ。俺たちが住んでいたのは、■■■■の小さな村なんだし」
自分たちの住んでいた村は、■■■の極寒の土地にある小さな村だった。農作物が育ちにくいこの村では、生きてくだけで精一杯だった。
けれどその村以外にはどこにも居場所はなかった。■■■を占領している化け物たちは決して自分たちを受け入れてなんてくれないからだ。
電光掲示板に、■■語で入国希望者専用と表示されているエレベーターに、難民達と共に乗る。当然その難民達は全員が化け物だ。
そして化け物たちがアリの群れように行列を成したエリアに到達する。
皆が自分達と同じようにボロの外套を
けど、ミハイルは違ったようだった。彼らを見て、顔を曇らせている。
「なあ、本当にやるのか?」
友人が弱々しい声で聞いてくる。
「お前、まさかあいつらに同情しているのか」
ニコライはなるべく感情を抑えるように聞き返した。ミハイルは頷き、
「あの人達だって人間だ。俺達と何も変わらない。そんな人達をまた大勢殺すのか?」
それを聞いたニコライは、ついに怒りが爆発してしまった。
人間? あいつらが人間だと? 冗談じゃない!
「あんな奴らが人間だとでもいうのか!?」
激昂したニコライは、目の前にいる一人一人の難民を指、大声で喚きたてた。だが周りは驚きもせず、平然としている。
「普通の人間は、あんな熊のような耳なんてついていないし、犬のようなしっぽも付いていないし、竜のような角も生えていない! そんなことも忘れたのか」
「けど、
「俺たちはその病気になって悲惨な目に合ってる奴等に家族を殺されたんだが!?」
厳しい現実を突き付けるように、ニコライは激しい口調で言い放った。ミハイルは凍り付いたように口を閉ざしてしまう。
「あいつらはどんな酷い目に合っていようがいまいが、俺たち■■■人のことを否定し、徹底して無視し続ける。せいぜい死にぞこないの動物扱いがいいとこさ」
それを完全に証明したのが、三年前の大放火だった。俺が〈出稼ぎ〉から帰ってきたとき、村全体が火事になり、多くの人間が死んだ。俺の家族も、あいつに焼き殺された。
今だって、こんなに大声で叫びまくっているのに、誰も俺達を見ようとしない。最初からそこにいないかのように扱う。
あの女の指揮する組織の連中だってそうだ。認識したのはごく少数で、その他の奴らは見向きもしない。化け物どもは、俺達を徹底的にいないもの扱いする。
「だから俺たちはあの日誓っただろ? あいつらを皆殺しにして、俺たちの故郷を──■■■を取り戻すんだって。これはそのために必要なことなんだ。ここを
先ほどまで荒れていた感情を落ち着かせながら、ニコライは優しい口調で、労わるように友人を説得する。ミハイルはしばらく俯きながら、やがて顔を上げて、
「……わかった、やろう。俺たちの故郷を取り戻すために」
先ほどの弱々しい表情とは違い、ミハイルの顔つきは覚悟を持った真剣なものへと変化していた。だが灰色の眼にはいまだに葛藤ともいえる憂いを帯びていた。
きっと、頭の中では葛藤しているのだろう。ミーシャは優しい奴だ。それにニコライは何度も助けられたこともある。
だが、それは今は命取りだ。ちょっとした気の迷いで、命を落とす可能性が高いからだ。
「じゃあいくぞ。あとミーシャ、使命を果たすときは余計な感情を全部捨てろ」
出発を告げると同時に、ニコライはミハイルに注意を促した。ミハイルは頷いただけで、他には何も言わなかった。
二人は、入国を待つために整列している化け物たちをかき分けながら、ゲートへと向かっていく。
ゲートには化け物税関職員が、銃に似たデバイスを入国を希望する化け物に向ける。それが終わると、そいつは化け物をゲートの中に入れた。きっと、あれは検温器か何かであり、〈病気〉でないかをチェックするものなのだろう、とニコライは推察した。
その隙に、ニコライはミハイルとともに、急いでゲートの中を走り抜けた。警報装置は作動しない。警備員も全く反応を示さない。この世界の警備体制は人間が全員化け物であることが前提なため、俺達ような《人間》にはシステムでさえも存在を無視される。それは俺が仲間と■■■■へ出稼ぎに行っていたときからの経験則だ。
走り抜けた後、念のためニコライは背後を振り返る。警備員は変わりなく検査をし、それをクリアした連中は安堵の表情でこちら側へとやってくる。
けれど、それもいずれ、恐怖の表情へと変わっていくだろう。
ニコライはそのことに内心ワクワクしながら、友と先へ進んでいった。
[newpage]
* * *
去年三十一日に行われたウェイとの法的契約の結果、ロドスはスラムでの慈善活動、そして
都市に点在するスラム地域には、医療部の医療チームや衛生監察部の対テロ要因の一部がそれぞれ慈善事業(という名の警備活動)にあたり、治安活動に励む近衛局に対してはには衛生監察部の主力要因が支援にあたっている。
ドクターは、スラムの中でも一番規模が大きい
ドクターの業務スケジュールはこうだ。まずは朝の物資配給の手伝い、そして対テロ要因のオペレーターからの報告書の収集・編集し、都市部の拠点にいる上司のアーミヤに報告すること。そして各スラムで
なおスラム住民間のトラブルに関しては仲裁程度にとどめること。逮捕し、近衛局に引き渡すことはないようにすること。それがここで活動する上での最低条件だと、先方との交渉に赴いてくれたチェンから通達された。
各業務業務終了後は、補佐のシャイニングによるカウンセリングを受けることが義務付けられている。プレハブで作られた待機室の一室に入ると、すでに彼女が折り畳み式の椅子に座って、暖かな笑みを浮かべて待っていた。
「お疲れ様です、ドクター。どうぞお座りください」
シャイニングがそう言ったので、ドクターは目の前にある椅子に腰かけ、彼女と向かい合った。
「気分はいかがですか?」
「問題ないよ。目覚めたときとそう変わらない」
「そうですか。それはよかったです」と、返答を聞いたシャイニングが黒い手帳に内容を書き込む。「ところで、ご自分の記憶に関しては何か変化はありましたか」
「うーん、そうだな……」
記憶については今だ分かっていないことだらけだ。
ウェイとの会談の後、デバイスを経由してアーミヤから個人情報が送られてきた。
コードネーム:ドクター。本名:レイ・シュルツァー。所属:衛生監察部バイオテロ対策課。誕生日:大地歴一〇七一年十二月十五日。年齢:二十五歳。血液型:A 種族:
最初はあまり納得いくものではなかった。しかし、こうして活動をしていくうちに、曖昧ではあるが、資料に説得力が生まれているような気もしてきた。
「自分の家族については、なんとなくだけど思い出せた気がするよ」
悩んだ末、それだけをシャイニングに伝えた。彼女はそれを手帳に書き留めながら、
「家族構成は、開示された個人情報の記録と一致していますか」
「多分、そうだと思う」
「……本当に、それで間違いありませんか?」
すると、彼女がまるで何かを確認するかのような意味深な喋り方に変わった。まるで、それは真実ではないと陰で告げているかのように。
「個人情報の家族構成に間違いがあると……」
「いえ、あくまで確認です」と、シャイニングはにこやかに首を振った。「資料と記憶に
「なるほど……」
ドクターは曖昧にうなずく。これは自身の直感だが、彼女は嘘をついている。けれど、完全に嘘をついているわけではないようにも感じる。
記憶の封がまた開かれていく。夢に出てきた顔のない白髪の少女が、知識を授けるかのようにドクターの耳元で
『ねえ■■、上手な嘘をつくにはね、嘘に自分の本心を混ぜ込んだほうが効果的なの』
これは無自覚ではあるが、自分がウェイとの交渉時に使った手法だ。都市防衛という自分の本当にしたいことを隠すためにスラムの慈善活動を持ち出したが、あれも全てが嘘という訳ではない。
ということは──ドクターは、コートの懐に入れていた二枚の写真のうちの一枚をシャイニングに手渡した。自分の家族の他にも三人が写った、計六人の家族写真。
「これは?」
「これは部屋に飾っていた写真のうちの一枚だよ。多分、記憶を失う前は大事にしていたんだと思う」
「なるほど……」
その写真を、シャイニングはなにかを査定するかのような眼差しで見つめる。ドクターはそれに個人的感情を見出せないか確認したが、それを見出すことはできない。
「……やっぱり、何か間違っているのかな」
試しに、内に秘めたもやもやした気持ちを素直に吐き出してみる。
「どうして、そう思われたのですか?」
すると、それを待っていたかのように、シャイニングが聞き返してしてきた。予想通り過ぎて内心で驚いてしまう。
しかし、それでは彼女が家族写真や夢に出てきた白髪の少女という証拠にはならない。ドクターはシャイニングから言葉を得るため、再び疑問を口にする。
「……いや、資料に書かれた家族構成については間違っていないと思うんだ。ただ、他にもいたような気がするんだ……」
「なるほど」
「例えばだけど、血のつながった家族以外に、家族になる方法ってあるのかな」
すると、回答がすぐに返ってきた。
「例を挙げるなら、捨て子や劣悪な環境に置かれた子供に対して養子縁組という方法で家族になる方法、夫か妻が別の伴侶と再婚する場合。そして、身元引受人が親子ごと引き取ることで事実上の家族になる方法があります」
「つまり、ぼくはそのうちのどれかの方法で家族になったのかな」
「そうかもしれませんね」
そう彼女はいつものように慈悲深い微笑みを浮かべた。
仮に彼女が自分の家族だったことがあるなら、断定した口調で告げてくるものだと思っていた。けれど肝心なところをごまかすような彼女の物言いにに少し腹が立たないことも無いが、とりあえず資料にはない重要な情報が手に入ったので良しとする。
どうやら、自分は幼い頃、誰かに引き取られていたらしい。それも家族ごと。
そしてその方法は多分、一番最後の方法がとられていた可能性が高い。他の方法であれば、
「写真、お返ししてもよろしいですか?」」
「ああ、どうも……」
そして彼女から返された写真を受け取ったドクターは、改めてその写真を見つめる。
中央には端正な顔立ちをした、山羊のような角を生やした白い長髪の男性が写っており、その右隣には母親らしき長い黒髪の女性。そして左隣には灼熱のような赤い短髪に悪魔ような黒い角を生やした女が立っている。
そしてその三人のちょうど真下の位置に、同じ顔をした黒髪碧眼の兄弟の間に、あの山羊のような白い角を生やした白髪金眼の少女がいた。
みんな幸せそうだった。特に右に写る母親は笑いながら涙を流していた。まるで、貰いすぎた幸福が身体から溢れてしまったかのように。
けれど、自分は覚えていない。なのに、これがすごく大事なものだということを強く感じている。
「他になにか心配なこと、不安なことはございますか?」
少女に似た女が、労わるように問いかける。
その問いかけに、ドクターは悩んだ。これを聞いたら、彼女はきっとはぐらかすだろう。しかし、もし質問に答えてくれたら、
しばらく悩んだ末に口を開いた瞬間、小さな女の子が勢いよく扉を開け、部屋に入ってきた。
「ドクター、緊急事態です!」
入ってきたのはなんと、ロドスの最高責任者であり上司のアーミヤだった。彼女はセーフハウスである龍門の高級ホテルで、ケルシーと一緒にいるはずだった。
「アーミヤちゃん、どうしてここに……」
驚いたドクターは席を立つと、焦燥に駆られたアーミヤのほうへと向き直る。彼女がここへやってくるということは、相当重大な事態が発生しているということなのだと直感した。
「今、先程別エリアのスラムの人から通報がありまして、レユニオンらしき不審な人物が街をうろついていると……。現在、ロドスの人員が対処中です」
「他のスラム街はどうなっているんだ」
「他も同様で、多くのレユニオンが侵入しています。こちらも事件協力者であるマフィアの皆さんと共同で対処しています」
犯罪者の侵入──一応想定はしていたが、一体どうしてこうなったのだろう。龍門近衛局は以前から入国に関して厳重な審査と警備を行っていると聞いていたのに。
「こちらの警備体制に不備は……」
「それはないと思います」と、アーミヤがドクターの不安を遮るように言った。「現状、すべてのスラム地域においてわたしたちはうまく対処できています」
「ということは、龍門近衛局側に問題が発生したということですね」
すると、背後にいたシャイニングが会話に入ってきた。彼女は先ほどの慈悲深い笑みを消し、淡々とした表情で状況を確認する。
「問題が発生したのは入国管理の方面でしょうか」
「分かりません。ですが、近衛局側の情報では、突然龍門全体の警備システムに不備が生じるという事案が、ここ数日何度か発生していたようです」
「何者かにサイバーハッキングされていたとか」
「それが、ハッキングされた痕跡がないらしいんですよ。コンピューターウイルスの類も発見されなかったそうです」
「それでは、物理的にシステムを妨害するしかないのでは」
「そうなんですが、
そのとき、アーミヤが自分のほうを向いた。不安げな表情をしている。まるで悪さをした人間がどう罪を告白するか悩んでいるかのように。
「アーミヤちゃん、大丈夫かい」
そんな彼女に、ドクターは優しく語り掛ける。アーミヤは曇った表情を変えず、
「ドクター、本当にこの事件からの離脱は考えていないんですか?」
少女が労わるように問うてきた。それはこの事件に関わってしまえば、自分が壊れてしまうと警告しているようでもあった。
「この事件は、もう〈感染者〉だけの問題ではなくなりました。この大地の──
「ぼくに関わること……」
「はい。なぜならあなたは──」
アーミヤが何かを告げようとしたとき、左手首に取り付けられたドクターの携帯端末が鳴る。起動すると、真っ青な髪に燃えるような赤い瞳を宿した女性の顔写真がホログラムで投影された。
「レイ、聞こえているか」
機械のような冷徹な声で、ドクターに問いかける。本名で呼んでいるが、前回会ったときとは親しみの感情が消えている。
「はい、聞こえています。チェンさん」
「君に重大な任務がある。スラムにいるある少女を保護し、わたしのほうまで連れてきて欲しい」
すると、彼女からデバイスにファイルが付いたメール送られてくる。開封すると、熊のような耳を生やした銀髪の女の子の顔写真が貼られたホロ情報が表示された。名前はミーシャ・セルゲーエヴナ・スミルノヴァ。ウルサス人。性別・女性。年齢・十四歳。近衛局入国管理部門の審査で難民認定されたのち、市内の児童養護施設に送られたが、一月上旬に失踪。同児童養護施設に複数の子どもが同時に失踪しており、調査では彼女が連れ去ったものと断定。
「失踪した理由はおそらく、
チェンは淡々と、断定したような口調で告げる。「何らかの原因で検査を抜け、そして児童養護施設で発症してしまった可能性が高い」
鉱石病──
「保護するのはその子だけですか」ドクターはチェンに質問する。「一緒に失踪した子たちは保護しなくていいんですか」
「上からはミーシャだけを保護しろと命令を受けている。他の子どもに関しては施設側から被害届が出ていない以上、捜索し、保護することはできない」
「それはつまり、他の子は見捨てろということですか!?」
それはあまりにも無責任ではないのか──そんな怒りが烈火のごとく胸からあふれ出て、ドクターは思わずデバイス越しにチェンに怒鳴ってしまった。
それを聞いて驚いたアーミヤを見て、ドクターは我に返った。息を整えて、通信に答える。
「……とりあえず、そのミーシャって子を探せばいいということですね」
「ああ。恐らく、各スラム地域のどこかにいるはずだ。至急保護し、我々に引き渡してくれ」
「最後に一つ、聞いてもいいですか」
そのとき、シャイニングが通話に割って入ってきた。相手は黙ったまま質問に応じる。
「ミーシャさんを保護しなければいけない理由は何でしょうか」
「その回答には応じることはできない」とチェンはきっぱりと断った。「これ以上の質問は受け付けない。君たちは君たちの為すべきことを果たしてくれ。それから、この案件はわたし以外の近衛局員は関わってはいけないことになっている。それを念頭に置いておいてくれ」
そして通信は途切れた。彼女から命じられた内容に対し、ドクターはいまだ苛立っていた。
「どうして、彼女はミーシャという子だけを助けろと言ったんだ……」
「それは、政治的な問題が関わっているからでしょう」そうシャイニングは淡々と解釈した。まるでそんなことは当たり前だとでもいうかのように。「彼女には龍門政府がどうしても欲しい何かがあるのでしょう」
「利益がらみでしょうか。厄介ですね」
アーミヤからは先ほどの不安な表情が消え、真剣な表情でつぶやく。シャイニングはうなずいて、
「とりあえず、そのミーシャさんという方を探しましょう。彼女も感染者である以上、どのみちここににいては精神的な負担による症状進行リスクが高まりますから」
「他の子はどうするんだ」とドクターは憮然とした口調で言った。「彼女は恐らく一緒に逃亡した子どもたちと一緒にいるだろう。ぼくは彼らを見捨てていいとは考えていない」
「しかし、それでは行政の命令に背きますよね。何か考えがあるのですか」
相棒が問いかけてくる。暗に覚悟を決めろと言っているということがすぐに分かった。
ドクターは数分考えた。そして、ある一つの答えにたどり着く。
「……アーミヤちゃん。国際衛生保護法の第一条に、《すべての国家は、どんな人間であれ平等に医療を提供しなければならない》と書かれていたよな」
研修で特に言われていたのが、鉱石病とこの国際衛生保護法の二つだった。この言葉は記憶のない自分にとって特になじみ深いものであり、重要なものであると感じている。
「はい、そうですが」
問いかけられたアーミヤは頷く。ドクターは話を続ける。
「ぼくは彼らも見捨てるべきではないと思う。だから、法に則り、彼らを保護する」
それはチェンの命令を背くということであり、龍門の意思を曲解することになりかねなかった。場合によっては信頼を失うかもしれない。けれど、それでも見捨てられた人を見過ごすことなんてできない。そんな感情の方がリスクよりも強くなった。
「──ッ」
すると突然、あの記憶の線と線がつながりそうな鋭い痛みが頭の中を駆け巡る。ドクターは崩れ落ち、痛みを抑えるように額に頭を当てる。
「ドクター、大丈夫ですか」
シャイニングが肩を支え、自分のことを案じてくれている。ドクターはそんな彼女に手を振って、
「……大丈夫。ちょっと思い出しただけだから」
「何をですか」
彼女の問に答える代わりに、ドクターは痛みに耐えながら、まっすぐアーミヤのほうへと向いた。
「ぼくは……この事件から、降りるつもりはないよ……」ドクターは自身の決意を口にする。「これは、ぼくが絶対に解決したい。いや、絶対に、解決しなくちゃ、いけないんだ……。ここで諦めてしまったら、
そして痛みも弱まり、再び立ち上がると、今度は後方にいるシャイニングのほうへと向いた。彼女の金色に輝く瞳を真剣に見つめる。
「それと、ぼくはおまえの正体についても分かっていない。おまえはいつも自分のことを意図的に隠しているような気がする。おまえの正体を知ったらきっと、あの《約束》がいったいどんな内容なのか分かるかもしれないし、自分の本当の名前も受け入れられるかもしれない。それまでは絶対に諦めたくない」
決意を聞いたシャイニングは、慈悲深さを残した冷たい微笑みを浮かべた。その笑いは初対面の、あの隔離施設から出た直後に見たことがあるが、あの時よりもだいぶ懐かしさを感じるようになってきた。
恐らく、この女は自分が強い意志を示すたびに、自分の知っている彼女へと戻っていくのだろう。ドクターの直感がそう告げていた。自身の精神が健全となり、記憶も回復する。それがシャイニングの望みなのかもしれない。その理由は、きっとあの《約束》が関係している。
「アーミヤさん、お願いします。彼をこの案件に介入させてください」
シャイニングが、ドクターの身体を支えながら言った。アーミヤは呆れたような、どこか懐かしむかのような笑みを浮かべ、
「まったく、記憶を失っているのに、そこは相変わらずですね
「お兄さま?」
彼女から呟かれた意味深な言葉にドクターは反応する。アーミヤは恥ずかしそうに顔を赤らめて、
「いえ、何でもないです!」
と大声でわめいた。この子は年不相応に大人びたところがあるけれど、こうしたとこはやはり子どもだ。とてもかわいい。
ふと、ドクターは思う。こういう感情は、彼女が呟いた〈お兄さま〉と関係があるのだろうか。ときおり彼女を支えてあげたくなるのも、自分が〈お兄さま〉だからだろうか。
「とにかく、ドクターはこれからも職務に励んでください。くれぐれも、無理をしないようにしてください」
先ほどの赤面は消え失せ、真剣な表情でアーミヤは厳命した。ドクターは素直にうなずいた。
そしてそばにいるシャイニングのほうへと向き、
「それと、シャイニングさん。ドクターの身に何かあったら、そのときはよろしくお願いします」
「わかりました。彼はわたしが必ずお守りします」
シャイニングは暖かな微笑みを浮かべてうなずいた。そこには先ほど見た冷たさは感じられない。
「それでは、行きましょうか」
「アーミヤちゃんも行くのか?」
ドクターは素直な疑問を口にする。ロドスの社長ともいえる人間──最初聞いたときはとても驚いたのだが──が現場に出るのは危険であると同時に、そもそもまだ子どもだ。そんな彼女を現場に出すのは正気の沙汰ではない。
「当然です。わたしはロドスのリーダーであり、あなたの上司ですからね」
だが彼女の青く輝くまっすぐな目を見たら、断るほうが失礼な気がした。それほど、彼女の目には硬い意思が宿っていた。
ドクターは諦め交じりのため息を吐き、
「わかったよアーミヤちゃん。君の同行を認めるよ」
「それで、捜索はどうします?」と、シャイニングが訪ねてきた。「龍門市内の各スラム街を調べるとなると、かなりの人員が必要となります。先ほどのアーミヤさんのお話だと、ここ以外の警備要員は暴徒鎮圧で出払っている
可能性がありますよね」
「一応、レユニオンがまだ侵入していないエリアは他にもありますが、やってくるのも時間の問題でしょうね」
デバイスでマップを表示したアーミヤが、眉をひそめながら告げた。
「なら、《外》から応援を呼びますか? 近衛局に連絡して、戦力補助要員にも応援に入ってもらいましょう」
「いや、その必要はない」とドクターはシャイニングの提案を蹴った。「彼女の捜索にはそんな手間は必要ない」
「なぜですか」とシャイニングは怪訝な表情を浮かべる。「世捨て人が集まるスラム街といえど多くの人が住んでいます。わたしたちだけでその中から一人を探すというのは超難題な間違い探しをしているのと同じです」
「だって、ぼく知っているから」とドクターはにやりと笑った。「その銀髪の女の子、物資の配給の手伝いをしていたときによく見かけたんだよ」
[newpage]
* * *
大地歴一〇九七年一月一二日正午。
ミーシャは、ロドスが住人生活支援の本部を置いている最大級のスラム街──
この地域はかつて高所得者向けのタワーマンションが立てられるはずだったが、政策の失敗により放棄された場所だ。
その象徴といえるのがツタが生い茂る九つの巨大なマンションの群れ。中には違法建築が施されてジェンガのようになっている部分もある。
ここには家を失った人、不法入国してきた人、鉱石病に感染した人などが多く集まっているが、今は人手がまばらだ。ロドスの警備要員がテロの危険があるため住人に外出自粛要請を出したからだ。
シャイニングたちは捜索の前に、人員についてどうするのかを話し合った。結果、テロ対策支援として派遣されたフランカとリスカム以外はスラム地域の警備に当たらせることで一致した。これは機密性のある捜査であり、あまり人員を増やして目立ってしまってはいけないからだ。
そんなわけで、計五人という少人数のチームで少女の捜索に当たることとなった。
想定通り、捜査は難航した。
スラムの住人は、基本的に他人には無関心だ。彼らは自身の生活で手いっぱいなのだ。だから自分たちが銀髪のウルサス人の少女について聞いても、みんな口をそろえて「知らない」という。
赤茶の
「なんでこいつら、誰一人として知らないのよ……」
それを青い髪の
「フランカ、今は文句を言わずに、任務に専念して」
それに対し、フランカは抗議するように大声でわめきたてた。
「だって、こうして愚痴ってないとストレスたまっちゃうでしょ。あいつら身体も息もくさいし、我慢してたら全身かゆくなって死んじゃうわよ」
と、赤茶の女狐が意地汚い微笑を浮かべ、身体をかくふりをしてみせる。彼女は鉱石病感染者なのだ。アーミヤから送られた個人情報に表示された簡易精神診断の結果もそれなりに悪い。
そんな彼女を黙らせるため、シャイニングは懐からタブレットケースを取り出し、フランカに差し出した。
「よろしかったら、メンタルケア薬剤を処方しましょうか?」
「いいわよ、別に」と、フランカは手渡したタブレットケースを払いのけた。「冗談で言っただけだから」
「はぁ、まったく」リスカムは呆れかえるようなため息をついた。「すみません、私の相方が迷惑をかけて」
「構いませんよ。こういう環境での捜査は精神的な負荷はかかるでしょうから」
「いいえ、彼女はただ怠けてるだけですよ。これよりひどい現場を、フランカは何度も行ってますから」
「たしか、元々所属している
ドクターと一緒に歩いていたアーミヤがリスカムに聞いた。彼女が答える代わりに、フランカが間に割って入る。
「そ! わたしたちはね、昔からあなたたちと同じような仕事やってたの」フランカは幼い子供のように自慢げに語り出した。「各国政府の依頼で汚染地域へ介入したり、そこにいる感染者を問答無用で皆殺しにしたり……」
「フランカ!」
「じょ、冗談だってば……」
さすがにまずいと思ったのか、苦笑いを浮かべて周囲に謝った。
「冗談でも今のは行き過ぎだと思います」アーミヤの表情は元に戻ったが、しかし口調には怒りが混じっていた。「BSWの遂行業務に対してとやかく言うつもりはありませんが、今度わたしたちの理念に反することをいった場合には、今後一切あなた方との法執行関連での連携はしませんからね」
その圧に押され、フランカとリスカムは黙ってしまった。シャイニングはアーミヤに対し、気持ちを落ち着かせるように諭す。
「まあまあ、アーミヤさん落ち着いてください。今は争っている場合ではありません。一刻も早くミーシャさんを保護しないと」
「うん」と、アーミヤのそばにいるドクターが同調した。「アーミヤちゃんの気持ちもわかるけど、今は人探しに専念しよう」
こうして、五人は気持ちを切り替え、ミーシャの捜索を続行した。
進展があったのは、捜索開始から一時間が経過したころだった。
情報をくれたのは、路地裏の壁に寄りかかっている、一見みすぼらしい風貌をした浮浪者の男性だった。頭に頭巾をかぶっており、顔はよくわからない。
しかし上着の肩についていたとあるシンボルマークを目にしたとき、フランカは苦い顔をした。それを見なかったかのように、すぐその場を去ろうとする。
しかしシャイニングはそうしなかった。彼と同じ目線になるようにかがんで、携帯端末を操作して写真を見せた。
「すみません、このウルサス人の少女を探しているんですが、見かけませんでしたか?」
それに気づいたフランカは嫌な視線を送ってくる。まるで厄介ごとに巻き込まれたくないかのように。けれどシャイニングは気にも留めず、この浮浪者の反応をじっと見つめる。
「知らねえな。そんな嬢ちゃんなんて見たことねぇ」
男は首を横に振って否定した。しかしシャイニングは男の顔から眼を離さない。対象の心理を冷静に推察する。臨床心理士の基本中の基本
男は無精ひげを生やしていた。顔も痩せこけている。しかし目は真剣だった。まるで何かを要求してくるように──しかし食べ物を求めているようにも見えない。食べ物を要求してくる場合は、何かを乞うような、同情してほしいという欲求を前面に出してくるからだ。
しかし彼にはそれがない。だから、こんな貧相な格好をしているが、食べる者にはそれほど困っているわけではないのだろう。
だからシャイニングは、黒い外套に包まれたコートの懐から、換金した
それを男は無言で受け取り、細い声でこうつぶやいた。
「……この娘の名前と、年齢、身長──わかる範囲のことを全部話してくんな」
「彼女は機密性の高い人物なので、必要最低限の情報はお話しできませんが、かまいませんか?」
「へぇ、この嬢ちゃんそんなにヤバい案件なのか」男──情報屋は好奇心に目を輝かせた。「それなら、もっと金を払ってもらわなきゃ困るな。一〇〇万龍門幣くらいは貰わねぇと」
シャイニングは彼の要求に素直に従った。懐からまた束になった龍門幣を取り出し、惜しげもなく手渡した。そして自分は、情報屋に彼女のファーストネーム、年齢、そして複数の子どもとともに行動している可能性があることなど、必要最低限の情報を彼に話した。
そして男は納得したという風情でうなずいたあと、
「大体わかった。このミーシャっていう嬢ちゃんはこの路地裏の向こうにある三階建てのビルに住んでる」
そこはもともと保育施設が入る予定だった場所で、龍門市政の公共事業政策の失敗によって結局は使われなくなったのだという。そして去年の末ごろにウルサス人の子どもが住み着き始めたと男は語った。
「しかし、この嬢ちゃんが近衛局にマークされているとは知らなかったよ。何か悪いことをしたのか」
「いいえ、彼女は何も悪いことはしていません」シャイニングは男の問を否定する。「ただ、何らかの理由があって彼女を保護してほしいと依頼されたのです」
情報屋は納得すると、アーミヤに付き添っているドクターのほうを見やった。
「その黒いフードを被っている男は、もしかして《同胞》か?」
シャイニングはすぐさまドクターのほうを向いた。深々とフードを
「彼はわたしたちの仲間です。それ以上でもそれ以下でもありません」
今はそのときではない──そう思ったシャイニングは、適当な言葉でごまかした。相手もそれ以上はしつこく追及してこなかった。
「しかし、俺たちや《
何かに納得したようにうなずくと、しばらくして天まで響くような大声で笑いだした。シャイニング以外の五人全員はそれに驚いてしまう。
「あんたらがうわさのロドス・アイランドだったとはなぁ。病人や《同胞》に救いの手を差し伸べようとする製薬会社──実物に会えるのは初めてだよ」
そして彼は立って。シャイニングに握手を求めてきた。自分は代表ではないが、男が悪意を持っていないことは明らかだったので、遠慮なく手を握った。
そして男は他の人員に次々と握手をした。それに一番好意的だったのはアーミヤで、一番深いそうだったのはフランカだった。そしてドクターに対しては希望を持たせるかのように抱きしめた。彼は何が何だか分からず困惑している。その様子をシャイニングは手持ちの手帳にしっかり書き込んでおく。彼女たちの性格や心理状態の把握のために。
それが終わったあと、男は興奮しながらも、忠告するような口調で告げた。
「そういえば、うちの調査だと、〈同胞〉が二人、この龍門に侵入してきたらしい。そいつらが警備システムをいじりまくって、犯罪者が侵入させまくってるとか」
「よく知っていますね」と関心を示したのはアーミヤだった。「その通りです。彼らは〈レユニオン〉という《感染者》で構成された組織とともに行動している可能性が高いです」
「そいつは妙だな」と男が疑問を呈した。「俺たちにとっちゃ〈感染者〉と一緒の組織に入っても何のメリットもない。なぜならそいつは《
「すみません」
「おいおい、ウサギの嬢ちゃんたちが謝ることじゃねえよ。少なくとも俺たちはお前たちに期待しているんだからな」
そう言うと、男はまたアーミヤに近寄り、頭を撫でてやる。すまなそうにしていた彼女は、少しだけ顔がほころんだ。
「そういえば、あちこちのスラムでは新参者が大暴れしているらしいと聞いたが、五人だけで大丈夫なのか」
「別に問題ないわよ。わたしたちだけで任務を達成できるわ」
毛先が黒く、そして太い赤茶色のしっぽを振り回しながら、自信満々に言い放った。
しかしシャイニングは彼女の意に反し、彼に捜索人員が不足していることを話した。そして機密案件であるためあまり目立たないようにしなけれなならないことも。
それを聞いた情報屋は、ボロのコートから板状の携帯端末を取り出し、どこかへ電話するような仕草をした。その端末にも肩に張り付いていたマークが記されていた。衣服は汚かったのでよく見えなかったが、ペンギンのマークが描かれている。
「はい、
そして電話を切ると、男はにやりと笑った。
「うちの社長が人をよこしてくれるそうだ。そいつは二人とも
「ありがとうございます。助かります」
シャイニングが礼をいうと、男は何でもないように手を振った。
「多額の金を払ってくれたサービスだよ。俺たちペンギン急便は配達から情報売買、
それと、と男はドクターのほうを向き、一枚の鮮やかな水色の名刺を差し出した。
「連絡先を交換しよう。これからいろいろ付き合っていくことになるだろうし、〈同胞〉のよしみもあるしな」
ドクターは当惑しながらも、懐から名刺ケースを取り出し、慣れない手つきで情報屋に渡した。この名刺は、研修中、礼儀として、あらかじめケルシーから押し付けられたものだ。
アーミヤも礼儀として、彼と名刺を交換した。彼女のほうはドクターとは違い、かなり慣れた様子だ。
その二つの名刺を情報屋はしばらく見つめ、そしてアーミヤのほうを向いた。そして驚いた様子で黒い目を見開いていたが、何も言わなかった。
「じゃあお前さんたちが探しているお嬢ちゃんが、無事に見つかることを祈るよ」
男はそれだけを告げた。そして五人は急いでその場を去ろうとする。
だが、その途端また彼に呼び止められた。シャイニングたちは振り返り、薄汚い恰好の男を見つめた。
「もう一つサービスだ」と彼は前置きした。「