アークナイツ Weg zur Erlösung 作:水面 透
龍門のスラム街で慈善活動を行っていたドクターは、龍門近衛局のチェンから、ミーシャという難民を捜索してほしいと依頼された。
ドクターは仲間を連れて町中を捜索していると、そこで情報屋を名乗る怪しい人物と遭遇するのだった。
お待たせしました。
今回はかなり長くなるため、前編と後編で分けさせていただきます。
ペンギン急便の情報屋によって、ミーシャ・セルゲーエヴナ・スミルノヴァの居所が判明し、現在、ドクターら五人はその目的地へと向かっている。
しかしその間、ドクターの脳内には疑問が渦を巻いていた。
まず一つが、あの貧相な男がつぶやいた〈同胞〉という言葉、そして二つ目が
あれ以来、一緒にいる仲間に対して強烈に──助け出されたときは全く感じなかったが──違和感を覚えた。なぜあの赤茶髪の女性には太筆のようなしっぽが生えているのか。なぜあの紺色の髪の女性には角と細長いしっぽが生えているのか。そしてあんなに可愛がっていたアーミヤに対しても同様に、なぜウサギのように長い耳を生やしているのかが気になった。
そして一番気になるのが、
それを一番よく知っているのは、傍らで共に歩いている純白に輝く白髪の女──シャイニングしかいないと、ドクターは確信していた。だから彼女に対してこの疑問をぶつけようとした。
「まさか、あのペンギン急便が
が、その前に、前方を歩いている赤茶髪の女性──フランカが気軽な口調で気になる単語を呟いた。ドクターはそれを見逃さない。すかさず彼女に問いを投げかけた。
「フランカさん、透明人間って何ですか?」
しかしフランカがそれに答えることはなかった。後方にいる短い青髪の角女──リスカムが強い視線を送っているからだ。後ろを振り向くと、険しい顔をした彼女がそこにいた。腰に手を回し、武器を取ろうとしている。恐らく下手を言えば殺すつもりなのだろう。
けれどドクターは質問を取り下げず、再び彼女に質問した。それでもフランカは答えない。さっきまで軽かった口は、今は門のように固く閉ざされている。
ドクターはしびれを切らした。頭の中で
「さっさと答えろ。透明人間ってなんだ!」
しかし、アーミヤとシャイニングが自分をフランカから引き離そうとした。ドクターは問いを聞くまで離さないでいるつもりだったが、
「何をするんだ!?」
ドクターは二人に対して抗議した。しかし彼女たちは口を閉じたまま一言も喋らない。特にアーミヤは憐憫の眼差しを向けている。
それを見て、ドクターはあの入管ゲートで感染者が取り押さえられた時のことを思い出した。あのとき彼女が呟いた言葉──『ドクターやAceさんの扱いに比べたら、まだいいほうですけれど』
あの時は何を言っているのかよくわからなかった。ただAceという男が意味深な言葉をつぶやいたことを思い出しただけだった。
だが、今ならなんとなくわかる気がする。アーミヤが言っていたことも、Aceが言っていたことも。
それを裏付けるかのように、フランカが再び口を開いた。
「いい機会だから、ちょっとだけ教えてあげる」その顔からは笑顔が消え去り、凍り付いたような表情になった「あんたたちはね、この世界には存在しない人間なの」
「フランカ!」途端、リスカムが雷鳴のごとく叫びをあげた。腰に付けた銃を、戦闘にいるフランカに対して向けている。「これ以上軽率なことを口走ったら、私はあなたを殺す。私はBSW上層部からフランカに対して射殺する権限が与えられている」
「感染者は犯罪者と同義だから?」フランカは自嘲気味に呟いた。「けど、それならあいつらのほうが酷いわよ。感染者はちゃんと〈人間〉という枠に入っているもの──まあ、先民限定だけど──けどあいつらは最初から人間扱いされない。だからどこの国にも所属できないし、劣悪な就職先にさえ就けない。善良な市民様に認知してもらうには、ドクターのように顔を隠すか、〈感染者〉になって感染生物扱いされるしかない」
ドクターは彼女の言葉に耳を傾けていた。フランカから語られたことは酷かった。全体の空気が一層悪くなっているのを肌で感じた──しかしシャイニングだけは真顔だった──が、なぜかドクターは彼女を非難する気にはなれない。それはフランカの口調には嘘が全く感じられなかったからだった。
「ぼくもその透明人間の一人なのかな」
ドクターはフランカに聞いた。彼女は意地悪な微笑を浮かべながら、人差し指で頭を小突いて見せ、
「
「そうか、ありがとう」
ドクターは心からの感謝の言葉を告げた。フランカは意表を突かれた表情を浮かべ、
「怒らないの?」
「怒ってほしかったのか」
「いや、そうじゃないけど」フランカは何かを観察するような鋭い目で、ドクターの顔を眺めた。「なんか意外。他の同種の連中にこの話すると大概キレられるんだけど」
「したんですか……」
そうため息を吐いたのはアーミヤだった。彼女はもう怒りを通り越して呆れているようだった。年相応にかわいらしい顔は、過剰な労働をしたかのように、ひどく疲れ切っている。
リスカムも銃を下ろし、腰のホルスターへと戻す。そしてベストのポケットからタブレットケースを取り出して、数粒の錠剤を飲み込んだ。
「これがトップに立つ器ってやつなのかしら……」
「それは、どうだろうね」
フランカの感心したようなつぶやきに対し、ドクターは曖昧に返す。
トップの器だから怒らない──それはドクターにとっては違和感しかなかった。たしかにそれも一つの理由かもしれないけれど、もっと他の理由があるような気がしてならない。
そんな疑念を彼女は察しているのかは分からない。けれどまたあの何かを探し当てようとするかのような鋭い目で、そして顔を至近距離まで近づけた。まるで心の中にある真実を探り当てようとするようなその眼差しから逃れるために、ドクターは顔を背けた。そこにはシャイニングが立っていたが、彼女は何の感情も読み取れない表情でこちらへ視線を送っているだけだった。
やがてフランカは顔を離し、いつものにやけた表情へと戻った。
「さ、辛気臭い話はここまでにして、人探しへレッツゴー!」
能天気に叫んだ彼女は、まるで自分がリーダーであるかのように前へ進んだ。
そんな彼女にリスカムとアーミヤは不満げだった。口には出さないが、顔からは誰のせいで空気が悪くなったんだと主張しているのがしっかりと伝わってくる。
まったく、先が思いやられるな──そう思いながら、ドクターは四人とともに先へ進んだ。
だが、そのとき自分は知らなかった。この人探しで、自分の心の中に潜む闇の一端がすぐそこまで迫っていることを。
ペンギン急便の情報屋が教えてくれた三階建てのビルは、壁の周りに蔦が生い茂っていて、まるで巨大な樹木のようだった。
ここに、ミーシャと彼女が連れてきた子供たちが一緒になって暮らしている。
ドクターはミーシャを無事に保護するため、ビルの前で、彼女をどうやって説得するか、誰が一番適任なのかを話し合った。その結果、何度も話している自分こそが適任であるということで一致した。
保育施設はこの建物の二階にある。ドクターが先行して階段を上り、他の四人はその後に続く。
錆びだらけの重苦しいドアに辿りつくと、ドクターはドアをノックした。
「すみません。この地域の人道支援をしているロドス・アイランドのものですが、ミーシャさんはいらっしゃいますか?」
扉の奥からは何も反応がない。もしかしたら警戒しているのかもしれない。ドクターは再度ドアをノックし、今度は優しい口調で呼びかけた。
すると扉がゆっくりと開き、灰色の眼だけがじっとこちらを見つめている。
「……フードのお兄さん」
その眼をドクターは何度も見てきている。いつも何かを憂いているような目は、心の奥から何かが呼び起こされるような感覚を呼び起こしたものだ。
しかし、今の彼女には、それに怯えという感情が付け加えられてきた。自分たちが何をしにここへ来たのか分からない──もしくは察しているのかもしれない。
「ミーシャちゃん、また会ったね」ドクターはミーシャを怖がらせないように、優しく微笑んだ。「落ち着いて聞いてほしいのだけれど、今日はね、きみを保護しに来たんだ」
「保護……どうしてそんなことを……」
「今、ここでは悪い奴らが酷いことをしているんだ。だからね、
すると、ミーシャは開きかけの扉を閉め、内側から鍵をかけた。こうなることは考えなかったわけではなかったが、実際に起こるとやはり悲しい。
「出ていって!」ミーシャは怒気を
そこには悲痛な感情が含まれていた。ドクターはそれを否定することはできない。が、それでも彼女を保護することに何らかの理由が含まれているというのなら──例えば生命が脅かされるという事態──自分も引くわけにはいかない。
「ミーシャちゃん、きみの気持ちは分からなくはないんだ。でも、もしぼくはきみの命を危険に
少なくとも、あのチェンという人はそうだと信じたい。チェンは初めて会った時から──彼女にとっては再会なのかもしれないけれど──ドクターと同じ気持ちを共有していた。人を殺すような人間には見えない。
「近衛局は先生を見殺しにした。だからお兄さんと一緒には行けない」
だがミーシャはドクターの言葉を拒絶した。こうなるとどうしようもできない。
強制的に連れていくという手もあるが、そんなことをすれば彼女の心にも影響が出る。
どうすればいいんだ──。
「ドクター、わたしに代わってくれますか?」そう聞いてきたのはシャイニングだった。「わたしが彼女を説得します」
ドクターは扉から離れ、その場所を彼女に譲った。シャイニングならば彼女を説得できるだろう──そんな信頼が胸の裡から湧き上がった。
「ミーシャさん、聞こえていますか?」
シャイニングは、あの聖母のような慈悲深い声で囁いた。
「お姉さん、誰……」
一度拒絶していた彼女だったが、その温かな言葉に反応を示した。
「わたしは、そうですね……」そのとき、一瞬自分の方をちらりと見た。「お兄さんの、
「お友達、ぼく達ってそんな関係──」
ドクターがそう言おうとしたとき、シャイニングに口を塞がれた。いいかけた部分がもごもごという言葉に変換される。
「余計な言葉を挟まないでください。説得に支障が出ます」
耳元で声を潜めて警告されたので、ドクターは言葉を引っ込めて、シャイニングの背後へと戻った。
シャイニングは改めて、窓に寄りかかり、まるで絵本を読み聞かせるように、優しく語り掛けた。
「ミーシャさん、わたしは思うんです。もし、龍門側が、あなたのような《感染者》を本気で憎んでいるなら、この地域は跡形もなくなくなっています。このような
「でも、近衛局は先生を……」
ミーシャはまだ、シャイニングの説得に応じようとしない。しかし、声の調子から見て、信じていいのか迷っているようにドクターは感じた。
「ミーシャさん、その先生の件につきましては、我々が独自に調査を行いましょう。我々は製薬会社ですが、世界各国から衛生関連に対する法的執行権限が与えられています。ですので、協力関係にある龍門近衛局と共に、先生がその後どうなったのかを確認しましょう。結果次第では、正式に抗議をします」
「……信じて、いいの?」
「ええ、わたしたちを信じてください」
彼女がミーシャに告げたその言葉は、自身にも向けられているようにドクターは感じた。
すると、またあの頭痛──今度は爆発したかのような激しい痛み──がドクターを襲った。
わたしを信じて──透明人間──わたしを信じて──透明人間──夢で見た少女の声と、フランカの声が混ざり合って脳内に流れ込んでくる。
ドクターは声を止めるように、両手で自身の頭を抑えながらその場で崩れ落ちた。けれど声は止まらない。それどころかどんどん音量がでかくなっていく。
しかし、音は唐突に終わりを告げる。光が──あの暗闇の世界の夢で見たような光が──自分の目の前を照らしたからだ。
「落ち着いて……深呼吸して……大丈夫……大丈夫……」
その声を聴くと、少しずつ気分が落ち着いてきた。声の導きのままに、ドクターは息を大きく吸い、そして吐いてを繰り返した。
そして、気持ちが安定してくると、あたりを見回した。アーミヤが心配そうに、自分の手を握っている。そしてシャイニングは、黒い杖を抱えながら、ドクターの顔を見つめている。彼女も座り込んでいるせいか、距離がかなり近い。
「大丈夫ですか? ドクター」
身を案じるかのような不安げな声色で、シャイニングから言葉を掛けられた。しかし、ドクターはその言葉を何一つ聞いてはいなかった。
「……なんで、ここにいるんだ?」
ただ、それだけを口にした。その言葉の意味を、ドクター自身もよく分からない。そして、自身が涙を流していることにも、シャイニングの後ろで、ミーシャが心配そうにしていることにも気が付かなかった。
* * *
ミーシャがフードのお兄さんと出会ったのは、何人かの友だちとともに養護施設を抜け出し、このスラム街へやってきてすぐのことだった。
彼は大広場で製薬会社がやっている食べ物や服を配る活動に参加していて、フードを被っているせいか他の人と比べてかなり目立った。
最初は不審者か何かかと思った。しかし会話してみると全く悪意といったものは感じられず、むしろ自分や友達の生活の不安について相談に乗ってもらった。
だが、さっきの光景は異様だった。
ミーシャがお兄さんの友人と名乗る白髪の
けれど今のお兄さんは、まるで何も起きていないかのように、自分の友達に説得を試みている。あんなことが起こったから、ミーシャはとても心配になったが、それはお兄さんの友達も同じらしく、特に
彼の説得に、一緒に暮らしていた友達は納得した──ただ一人を除いて。
金髪碧眼の、気の強そうな顔立ちの少年──ユーリは、お兄さんたち──ロドスに対して不信感を抱いている。
「ミーシャ、本当にこいつらに付いていく気かよ」
「大丈夫だよ、ユーリ。わたし、あの人たちと約束したから」
ミーシャはそう言うと、お兄さんのそばにいるあの
「安心してください。わたしたちは必ず、ミーシャさんをお守りします」
「信じられるもんか! お前たちって俺たちと先生を引き剥がした龍門の回し者じゃないか」
「そのことについては、ミーシャさんからお話を伺っております」お姉さんはユーリの怒りを受け流すように、サルカズらしくない暖かな笑みを浮かべた。「そしてミーシャさんとお約束しました。皆さんの保護者である先生の消息について、龍門近衛局に対して調査を依頼し、不当な扱いをしていた場合はこちらから正式に抗議します」
「魔族の言うことなんか信じられるか」
ユーリの明確な拒絶の言葉を発したとたん、フードのお兄さんは拳を強く握りしめていた。フードの奥底に見える真っ青な眼が、まるでウルサスの厳冬のような冷たさを帯びている。お兄さんは怒っていた。お姉さんが《魔族》というサルカズ族の侮蔑語を使われたことに対して。
けど、その冷たさはすぐに消え去り、あの穏やかで寂しい瞳へと戻った。
「ユーリくん。きみの気持ちはなんとなくだけど分かる気がする。大事な人と離れるのが嫌なんだよね?」
「……」
お兄さんがそう指摘すると、ユーリは黙ってしまった。
「ぼくにも身に覚えはあるよ」そう語るお兄さんの口調は、なんだかとても苦しそうだった。「ぼくにも大切な人がいるんだ。とても大切な〈約束〉を交わした人が」
「それは、隣にいるサルカズのお姉さんのことなの?」
ユーリとお兄さんの会話に、ミーシャが割って入った。さっきユーリに対して怒りの眼差しを向けたとき、差別を非難する以外に何か特別な感情を感じたからだ。
「それは……分からない」
お兄さんは何かを必死で絞り出すかのようにそうつぶやいた。そしてミーシャは察した。さっき玄関前でお兄さんが苦しみだしたのは、思い出を亡くしてしまったせいだったのだと。
「……ユーリくん、ぼくはミーシャちゃんを絶対に見捨てない。それは君たちも同じだ」
「……は?」
肩を掴まれたユーリは、戸惑うように青い目を泳がせていた。
「ミーシャちゃんを近衛局に引き渡した後、君たちをロドスで保護し、
「ミーシャ……!」
自身の決断を非難するかのように、ユーリがこちらをにらみつけてくる。左手首に付いた黒い結晶を搔きむしり、そこから黒ずんだ血が流れていく。
「ユーリ、心配しないで」ミーシャはなだめるように言った。「お兄さんは優しいし、信用できる。ユーリ達に危害を加えることなんかないよ」
「だけど……」
「ユーリ、みんなのこと、頼んだよ」
そう告げると、ユーリは何かを察したかのように、しょんぼりとうなだれて、しばらく何も言わなくなってしまった。
そして顔を上げると、
「……もしミーシャに何かあったら、俺は絶対に許さないからな」
「分かってる、ミーシャちゃんは、ぼくらがちゃんと守るから」
そうお兄さんが優しく言うと、そっとユーリの頭を撫でた。
その時だった。玄関傍にいた赤茶髪の
「大変よ
「ついにここまで来たか……」
「けど、ここで迎え撃ったら、保護対象である子どもたちを巻き込んでしまいます。どうすれば…………」
アーミヤは表情を曇らせて、周囲を見渡している。それでミーシャは察しがついた。ここに危ない人たちがやってくるのだと。そして彼女はみんなが危ない目に合わないように気を配っているのだと。
「……アーミヤさん、わたしに提案があります」
そうサルカズのお姉さんは、さっきまで浮かべていた優しい笑みを消し、氷のような表情で告げた。
しかし、このときミーシャは知らなかった。彼女の言葉をきっかけに、お兄さんの正体を知ることになることを。
そして思い知る。感染者と非感染者、種族間の対立の中にある、もう一つの闇があることを。