346プロの雑用バイト君 作:焼肉定食
「あら、こんな時間に何処へ行くのかしら?」
「えっ?」
宿舎の中から外へと出ようとしたその瞬間、突然後ろから声をかけられて俺の体は大きく跳ねる。
「は、速水さん……」
「こんばんわ……いえ、時間的にはもうおはようなのかしら? ふふっ、あなたはどっちだと思う?」
「あ、あはは……ど、どっちだろうね」
薄暗い廊下で光る速水さんの黄色い瞳が、俺の姿を捉えて離さない。
ま、まずったぞ……今の俺は速水さんのいる廊下側に背を向けてドアノブを握っている状態だ。つまり速水さんから見ればどこからどう見ても、俺がこの宿舎から外に出ようとしているとしか思えないだろう……
この状態で「いや〜別に何もしてないけど?」なんていう言い訳は絶対に通じない。
誰にも見つかりたくなかったのにまさかこのタイミングなんてなぁ……せめて普通に廊下を歩いてる時なら誤魔化しが効いたのに!
「は、速水さんこそどうしたの? こんな夜遅く……いや朝早くにさ」
「そうねぇ……ふふっ、秘密よ」
「えっ?」
「女には秘密が多いのよ。それとも……そんなに私のことが知りたいのかしら? 意外と積極的なのね」
「そ、そういうんじゃないよ…!?」
速水さんは自分の唇に指を当てて妖艶な笑みを浮かべる。そんな年下とは思えないほどに色気のある仕草に思わず目を奪われるが、小さく咳払いをしてなんとか気を確かに持つ。
「それで、あなたの方はこんな時間に何をしていたのかしら?」
「お、俺は……べ、便所にでも行こうかと」
「宿舎の中にあるじゃない。どうしてわざわざ外に出ていく必要があるのよ」
「で、ですよねー。あはは……じゃあそろそろ部屋に戻ろうかな〜!」
もう誤魔化すのは無理だと悟った俺は廊下の方へと引き返して、速水さんの横をするりと抜けて部屋に戻ろうとする。
「あら、意外とつれないのね?」
「つ、つれないも何も俺は別に隠し事なんてしてないからね……」
「秘密の香りがする男ってのも嫌いじゃないけど、あなたにそれは似合わないわよ?」
「うっ……」
「ねぇ、本当のことを聞かせて頂戴…?」ジッ
速水さんは俺の顔を下から覗き込んできた。その綺麗な瞳の奥からは絶対に逃がさないとでも言うような圧を感じる。
10秒ほど無言のまま見つめ合ってもう逃げられないと悟った俺は、ため息を吐いて自分の頭を軽く撫でる。
「わ、わかったよ。話しますってば……」
「ふふっ」
「実は……」
俺は管理人さんの話を聞いて、日の出を見に行こうとしていたという事情を包み隠さず話した。その話を聞いた速水さんは納得をしたように柔らかく微笑む。
「なるほどね……そんなことなら別に隠さないでも良かったじゃない」
「い、いや〜、一応誰にもバレないように出かけようと思ってたからさ」
「あなたが必死に隠すからもっと重要な秘密かと思ったわ。例えば……逢引とか」
「残念ながらそんな相手はいないよ……」
唐突に俺の心にダメージを与えられたが、とりあえず速水さんは納得してくれたみたいなので良しとしよう。
その速水さんはと言うと、自分の顎に手を添えて何やら考え事をしているような表情を浮かべている。
「どうかしたの?」
「……いいえ、何でもないわ」
「そう?」
「えぇ。それじゃあ行きましょうか」
「ん? どこに?」
「もぅ……意地悪ね、そんなに私の口から言わせたいのかしら?」
……? 速水さんが何を言いたいのかまるで分からないぞ?
「私も一緒に行くわ。日の出も見たいし、ちょっと外の空気に当たりたいのよ」
「えぇっ!?……んぐっ」
「そんなに大きな声を出したら……他の子にも気づかれちゃうわよ?」
速水さんがいきなり変なことを言い出したので思わず大きな声が出そうになったが、速水さんの手が俺の口を素早く塞いだ。
「落ち着いた?」
「……」コクコク
「じゃあ離すわね」
「ふぅ……は、速水さん。一緒に行くってマジで言ってるの…?」
「もちろんマジよ」
さ、流石にまずいよな。まだ外は暗いし、こんな時間に速水さんを連れ出すなんて……もし何かあったら大変だぞ。
「あー速水さん。その……まだこんなに外は暗いし、女の子である速水さんを連れて行くのは危ないかもしれないから……」
「少し羽織る物を持ってくるわね。ここで待っててちょうだい?」
「えっ? お、俺の話聞いてる…!?」
速水さんは俺の言葉を最後まで聞くことなく部屋の方へと戻っていった。
な、何でこんなことになってしまったんだ。
〜〜〜〜
「さぁ、行きましょうか。急がないと日が出ちゃうわよ」
「……ま、マジで行くの?」
「それはさっきも言ったじゃない」
「で、でもさ〜」
速水さんはもう行く気満々のようで、俺の横を通り過ぎていち早く宿舎の外へと出て行ってしまった。
あぁ……もう! こうなったら仕方ないけど、絶対何もアクシデントを起こさないようにしないと……
俺も速水さんに続いて宿舎の外へと出る。そして管理人さんに借りたスペアキーを使って扉に鍵をかけた。
「速水さん」
「何かしら?」
「……こ、この事は誰にも言わないってことでよろしく」
「ふふっ、えぇ。分かってるわよ。私とあなた2人だけの秘密……ね?」
速水さんはそう言ってバッチリとウインクを決めてみせた。
因みに2人だけの秘密というワードに少しだけドキッとしたのは俺だけの秘密だ。
〜〜〜〜
「それで? 今からどこに行くのかしら」
「ここから近くにある丘の上の公園だよ。歩いてすぐ着くって言ってたから、そんなに時間はかからないはず」
「あら、じゃあ2人きりの時間はすぐに終わっちゃうのね」クスッ
まだ日の出ていない薄暗い道を2人で歩きながら俺の顔を見て速水さんは微笑む。クスクスと微笑みながらこちらの様子を窺っているのは、多分俺の反応を見て楽しんでいるんだろう。
「……あ、あのさ速水さん。さっきから俺のこと揶揄ってるよね…?」
「あら、バレちゃったかしら」
「や、やっぱり……」
「ごめんなさいね? あなたがいちいち顔を赤くするものだから、何だか楽しくなっちゃって」
またしても速水さんは楽しそうに微笑む。この余裕のある態度と仕草を見ていると、俺と速水さんのどっちが年上でどっちが年下なのか分からなくなってくる。
と、そんな感じで速水さんに遊ばれながら歩き続けていたら目的地の公園が見えてきた。
まだ日は出ていないし、なんとか間に合ったみたいだな。
「よしっ、到着!」
「本当に近いのね……それで、ここで普通に日が出るのを待てばいいのかしら?」
「いや、あっちに少しだけ高くなってる丘があるでしょ? あそこから海を眺めると綺麗な日の出が見れるんだって」
「じゃあ行きましょうか。もうそろそろ日が出てきちゃうわ」
「そうだね」
俺と速水さんは丘の上に登り、未だ真っ暗で静かな海を眺める。
時間的には後どれくらいで日が出てくるんだろう? 速水さんの言う通りもうそろそろな気がするんだけどなぁ。
「この静かな空間も悪くないわね……まだ人々も街も眠っているのに私たちだけが起きているのよ。トクベツって感じがするわ」
「なんとなく分かるよ。早朝って独特な空気感があるよね。空気も澄んでて気持ちいいし」
「えぇ……そうね」
静かな波音と風の音が鳴る。その中で俺たちは小さく内緒話をするようなトーンで会話を続けていたが、段々と会話は減っていき2人黙って日の出の登場を心待ちにする。
「ふぅ……」
「……」チラッ
俺はチラリと横目で速水さんを見る。風で靡く綺麗な髪の毛を手で整えながら、ふぅと小さな息を吐いている。
……絵になるよなぁ。
「あら、じっと見てどうしたの?」
「えっ!」
や、やばっ……気づかれたぞ。
「ご、ごめんごめん。別に大したことはないんだ。ただちょっと見てただけっていうか」
「本当に?何やら情熱的な視線を感じたんだけれど……一体どこを熱心に見ていたのかしら?」
「ちょっ!? 別に変なとこ見てないから!
全体、全体を眺めてただけだからね!」
「ふふっ、あなた本当に良い反応するわね」
またしても速水さんに揶揄われてしまった。ただ俺がここまで慌てたのは断じて図星を突かれたからとかではない。断じてチラリと見えた胸の谷間や綺麗なうなじなんかチラチラ見てはいない。
「あまりにもジッと見られてたものだから……
告白でもされちゃうのかと思ったわ」
「こ、こくっ!?……い、いやいや、また変なことを言って俺を揶揄ってるんだろ…?」
「あら、流石にもうバレバレかしら」
「……ま、まぁね。もう速水さんのやり口にも慣れてきたよ」
こうも同じ手口をくらい続けていれば慣れるというものよ。俺はもう速水さんに何を言われても動じることはないぞ。
「あっ……もうそろそろじゃない?」
「お、本当だ」
薄暗かった空をじんわりとオレンジ色の光が照らし始めた。俺と速水さんはその光に吸い寄せられるようにジッと遠くを見つめる。
じわじわと……ゆっくりとではあるが、確実に太陽は顔を出し始める。
「おぉ……太陽出てきた」
「……綺麗ね」
しばらくその光景に目を奪われていると、太陽はどんどんその姿を現していき、気づいた時には太陽全体が見えるようになっていた。
広大な海から浮かび上がる朝日と、海面に光る一筋の光がやけに神秘的に見える。
「こうして水平線を見ていると、何だか心が洗われていく気がするわね……」
「うん、そうだね」
最初は太陽の周りだけが明るかったが、やがて空全体にぼんやりとした色の明かりが溢れていく。
「めちゃくちゃ綺麗だったね」
「えぇ、いいものを見れたわ。白石さんに着いてきてよかったわ。ふふっ」
「ははっ、それは良かったよ」
「じゃあそろそろ帰りましょうか。皆が目覚める前にね」
「そうだね」
キラキラと水平線を照らす太陽に背を向けて俺たちは公園を後にした。
すごい綺麗だったし本当にいいものが見れた。教えてくれた山田さんには後でしっかりとお礼を言うことにしよう。
〜〜〜〜
ガチャ
「よし、開いた」
「じゃあ入りましょうか」
宿舎に到着したのは5時になる少し前だった。流石にまだ人は起きてないと思うからいい時間に帰ってくることができたな。
「白石さん、今日はありがとうね。おかげでいい気持ちで今日を迎えられるわ」
「いやいや、別に俺は何もしてないよ」
「そんな事ないわよ? あなたが連れて行ってくれたからあの素敵な景色を見れたの」
「……俺が連れて行ったというより速水さんが無理やり着いてきたって感じだけどね」
「あら、言うじゃない。ふふっ」
速水さんは小さく微笑み歩き始める。そして少し歩いた所で俺の方へと振り返った。
「それじゃあね、白石さん」
「うん、おやすみ」
「ふふっ、今から寝るかは分からないけどね」
そして速水さんは自分の部屋へと戻っていった。残された俺もとりあえず扉に内側から鍵をかけて、自分の部屋へと戻っていった。
〜〜〜〜
それから時間は過ぎていき時刻は朝の10時、この2泊3日の海合宿を終了して宿舎から出発する時間がやってきた。
アイドルたちはそれぞれ自分たちが使用した部屋を片付けて荷物を持ち、既にバスに乗り込み始めている。
「お世話になりました山田さん」
「いやいや、白石くんはよく働いてくれたよ。ちゃんと後でプロデューサーさんにも報告しておくよ!」
「あ、ありがとうございます」
俺はお世話になった管理人である山田さんに別れの挨拶をする。最初はどんな人と仕事をするのかと思っていたけれど、とても気さくでいい人でありがたかった。
「あと日の出のことも教えてくれてありがとうございました。すごく綺麗でした!」
「そうかいそうかい、なら教えた甲斐があったってやつさ」
「本当にありがとうございました。じゃあ俺はそろそろ行きますね」
「はいよ。気をつけて帰るんだよ〜」
俺は手を振る山田さんに一礼をして駐車場へと向かい、車に乗り込んでバスが出発するのを待つ。
そしてそれから数十分後、プロデューサーさんが最終確認を終えたので俺の車とバスは駐車場から出発した。そこからはここに来る時と同じで、途中いくつかのサービスエリアに寄りながらも高速道路をひたすらに運転し続けた。
そして宿舎を出発してから数時間後に事務所へと到着したのだが、アイドルの皆はその場で解散らしく荷物を持ってそれぞれが自宅や寮へと帰っていった。
俺は自分の乗っていた車を会社の駐車場に停めて千川さんの元へと向かう。
〜〜〜〜
「千川さん、お久しぶりです」
「あ、白石くんおかえりなさい。どうでした?合宿の方は」
「まぁまぁ大変でしたけど、楽しかったですよ」
「そうですか。あ、お給料はちゃんと弾みますからね♪」
「よっしゃぁぁ!!」
やったぜ! これで臨時収入ゲットだぜ!
「ふふっ、それじゃあ今日は家に帰ってもらって大丈夫ですよ」
「わかりました!」
「また次のバイトの時、よろしくお願いしますね〜」
ニコニコと笑いながら手を振る千川さんに挨拶をして事務所から出る。そしてそのまま寄り道をすることなく俺は自分の家へと向かって歩き出した。
色々あったけど、なんだかんだで楽しい合宿だったな。流石にトランプ地獄だけは辛かったけど……ははは。
こうして俺の二泊三日の海合宿は終了したのだった。