香霖堂と私   作:ノノクジラ

1 / 10
<第一話> 新たな世界と私

 

 『はたして、妖怪はこの世に存在するのか?』

 

 昔、そんな事を誰かに尋ねられた時。私はどのように答えただろうか。

 

 かつての。まだ何も知らなかった頃の私ならば『恐怖が作り出した虚構の存在』とでも答えたのかもしれない。

 

 でも仮定で空想で、意味なんて有りもしないけれど。今も同じ事を尋ねられたのであれば? 

 

 そしたら、きっと私はこう言ったはずさ。

 

 『可愛らしい女の子だったよ』と。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ――《忘れ去られた謎の手記》より抜粋――

 

 人類の技術は著しい発展を遂げた。

 

 錬金術は化学と同一化した。魔法は手品へと貶められた。技術の進歩は人類に大いなる繁栄をもたらした。その対価に様々な神秘を奪い去りながら。

 

 真なる世界には多くの神秘があった。妖怪・幽霊・妖精・神。人知を越えた力を持つ彼女達を今では誰もが幻想だと思い込んでいる。

 

 しかし、それらは本当に存在しなかったのだろうか。ただのおとぎ話だった? ……。いや、そうではない。彼女達は今も息をひそめて隠れているのだ。幻想達の楽園、『幻想郷』に。

 

 我々の世界の片隅。その不思議な場所は『幻想』と、隔離された人間と、忘れ去られた何かによって構成されている。不可視の結界に覆われているため、幻想郷と外の世界の往き来は殆ど不可能であるらしい。

 

 

 <中略>

 

 

 人間は幻想郷でも生活を営み続けた。危険な『幻想』が各地に生息しているのに、どうして人間は生き延びる事ができたのか。それは『幻想』の一種、妖怪のおかげだ。

 

 ――――人間は無力である。

 

 幻獣のように強靭な身体を持たず、妖精のように空を飛ぶこともできない。一部の例外――人間の退魔師は『幻想』と渡り合えたが、全ての人々を守りきる事は到底不可能だった。

 

 だが、人類にも幸運と奇跡だけはあったのだ。

 

 妖怪は人間よりも遥かに強い。外見は人間の女性に近しいが、優れた知性と頑丈な身体に加えて特殊な能力まで持っている。

 

 一方、妖怪には重大な弱点があった。それは彼女達が人間の想いから生まれた『幻想』である事だ。

 

 『幻想』は人間が滅ぶと存在が維持できない。幻想郷の人間が多数の『幻想』に襲われて消えていく姿を眺め、ついに妖怪は危機感を覚えた。

 

 ――人間を保護できなければ楽園は崩壊する。

 

 そして、妖怪は人間のための保護区域を設定した。妖怪に襲われずに日常生活を営める地域。これが『人間の里』の成り立ちである。

 

 こうして、人々は襲われなくなり、いつしか人間は妖怪と交流する事さえも可能になった。

 

 けれども。里の本来の目的を忘れてはいけない。

 

 里は人間を守るが、それは幻想を守るための檻なのだ。人々は外の世界へ逃げ出す事を禁じられ、里の内部で一生を過ごさなければならない。

 

 しかし、何事も例外は存在するものだ。

 

 人間にも。妖怪にも。あるいは、その中間にも。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 人間の里から少し離れた場所に『魔法の森』という場所がある。体を蝕む瘴気が広範囲に漂っている危険地帯だ。森に入る事を人間だけでなく妖怪さえも敬遠すると説明されれば、その恐ろしさが伝わるだろうか。

 

 瘴気は幸いな事に森の入り口には届かないが、それでも広大な森の大部分が覆われている。そのため、獣を狙う狩人も魔法の森には近づけず、人の気配は常として皆無である。

 

 その魔法の森の入り口。誰もが近付かない道無き場所に、奇妙な店がぽつりと存在していた。

 

 店の名は香霖堂。

 

 人間であり、妖怪でもある、半人半妖の店主が営む古道具店である。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 彼岸の季節のとある日。

 

 幻想郷から夏の暑さが少しづつ消え去ろうとしていた頃の話である。森の古道具店に、落ち着きの無い白黒姿の少女が訪れた。

 

 ――――カラン、カラララン。

 

「よう、邪魔するぜ」

 

「ようこそ、いらっしゃいませ」

 

 閉店と下げてある札を押しのけて、いきなり誰かが戸を開ける。余りの勢いに戸が軋むほどの乱暴な開け方だ。こんな開け方をするのは彼女だろう。

 

 私は床のゴミを箒で掃く事を止め、ゆっくりと彼女に目を向けた。ずかずかと店の奥へと入ってきたのは元気そうな少女。霧雨魔理沙だった。

 

 私の姿を見つけた彼女は、さっそく呆れ顔で話しかけてくる。

 

「やれやれ、元気が足りないな。店員だからって何も陰気な所まで香霖に似せなくてもいいんじゃないか?」

 

「いえ、これが私の気質ですので」

 

 店に訪れた彼女を少し説明すると、魔法の森に住んでいる魔法使いである。つまり、ご近所さんだ。森の瘴気から離れた場所で営業をしているこの店とは違い、瘴気に耐えながら普通に生活をしているのだから驚く他にない。

 

 彼女曰く、慣れれば住み心地が良いとの事だが、移り住む人間が彼女以外にいない事が現実を示している。そんな彼女は店を見渡して、ぽつりと言葉を零した。

 

「で。香霖はどこに出掛けたんだ」

 

 香霖とは店主の事を指している。どうやら店主に会いに来たらしい。

 

 この店の主は、森近霖之助さんという男性である。魔理沙さんのように彼を香霖と呼ぶ人もいるが、それは彼を屋号で呼んでいるためだ。

 

 では、私は誰かって? ただの従業員である。それもつい先日に雇われた外来人だ。

 

「森近さんなら無縁塚に行きましたよ?」

 

「ん? 無縁塚か。なんだってそんな場所に」

 

「どうやら、無縁仏の供養をするようで」

 

 無縁塚とは外来人の死体を埋め立てるための共同墓地である。

 

 墓地の付近は結界が緩んでおり、偶然迷い込んで来た外来人の死体や外界の道具が落ちている事が多い。だが、危険な場所であるために幻想郷の人間は訪れず、死体は野晒しになっている。

 

 しかし、森近さんは彼らの遺品や外界の道具を商品として回収する対価として、危険を冒しながらも無縁仏を弔っているのだ。

 

「あー、この時期は道具拾いだったか。それなら帰ってくるまで待ってるぜ」

 

「そうですね。もうお昼ですから、一休みしましょうか」

 

 ちらりと店内の置き時計に目を向けると、正午を少し過ぎたあたりだった。

 

 魔理沙さんは話しながらも勝手に棚から煎餅を漁っている。あったあった、と彼女は呟き、居間の机でお茶を準備し始めた。彼女と店主は親しい仲とはいえ、いつも通りの傍若無人っぷりである。

 

「魔理沙さん。せっかくですから、何か外の世界の話でもしましょうか」

 

「お宝に関わる話なら気になるが、私は香霖ほど外の世界には興味が無いぞ」

 

 面白くない話なら他の話をしろ、という意味だろうか。煎餅を齧る彼女の目からは言外に催促の意が伝わってくる。

 

 では、どのような話をするとしようか。私はお茶を啜って喉を潤し、記憶を掘り起こす事にした。やはり、あの日の話がいいだろう。幻想郷に私が初めて訪れた日の事だ。

 

「では、私が雇われた時の話でどうでしょう。魔理沙さんは知らなかったですよね?」

 

「いいかもな。詳しい内容は知らなかったんだ」

 

 彼女のお気に召したらしい。私は思い出すようにゆっくりと語り始めた。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 あの日の天気は曇り空だった。今にして思えば、それは私の先行きを表していたのかもしれない。

 

 意識を取り戻し、よろよろと体を引き起こした私が見たものは、枯れた地面が広がるだけの寂れた場所だった。自らの姿を確認すると、地面の砂で激しく汚れており、服もぼろぼろと酷い有様である。

 

 私に何があったのか。私の名前は何だったのか。何も思い出せない。一方、生活の知識に関しては少しだけ残っているようだった。

 

 ぐるりと周囲を見渡して僅かに嘆息してしまう。自分の周りには彼岸花が咲き乱れており、人の気配は感じられない。

 

 これからどうしたらいいのだろうか。今の現状ではサバイバル生活なんて論外。救助の可能性を考えるなら下手に動くべきではないが、何もかもが不明の状態では何も判断できないだろう。

 

 

 事態に変化があったのは数分後。自分の所持品と思われる物品を確認してから少し経ち、もの寂しいと感じる光景を眺めながら、今後の進退を考えている時だった。

 

「そこの人間。ちょっと君に尋ねたいのだが」

 

 座り込んでいる私の背中へ、後ろから小さな声が聞こえた。

 

 鈴が鳴るような声。こんな荒れ果てた場所には似合わない綺麗な声だ。絶望のせいでついに幻聴まで聞こえてきたらしい。

 

 いや、待てよ。女性の声?

 

 聞き間違いでは無い事を頭が理解して、後方を素早く確認する。

 

 ――小さな少女がいた。

 

 ネズミのコスプレをした可愛らしい少女だった。場違いな服装に思えるが、どこからやってきたのだろうか。

 

「……。現地の人でしょうか? 少し尋ねてもよろしいですか」

 

「構わないが、君の質問に答えたらこちらの話も聞いてもらうよ。つまらない事に時間は取りたくないから、さっさと話してくれ」

 

 こちらを値踏みしている彼女の視線は冷たく、排他的な雰囲気を漂わせている。

 

「とりあえず私がいる場所が何処か教えていただけませんか?」

 

 まずは差し障りの無い事を聞き、他の情報を得る足掛かりとする。しかし、彼女は何故かこちらを訝しみながら口を開いた。

 

「ここは無縁塚だよ。もし君が本当に知らないのなら、ここからさっさと立ち去ったほうがいいだろうね。ここは人間が生きられる場所ではない。私みたいな妖怪ならば話は別だけど」

 

 何を言っているのだろうか。

 

「教えていただいてありがとうございます。ですが、妖怪? この付近に伝わる方言か何かの話でしょうか?」

 

「そうか。外来人は妖怪を忘れていたのだったか。それなら、これで理解できるかな?」

 

 彼女が何事かを呟いた瞬間、正面に立っていた彼女の瞳の輝きが怪しく変わり、私の体に強烈な寒気が走る。

 

 体が鉛のように重くなる。声を出すこともできず。膝の震えも止まらない。ふらふらと力が抜けて体が崩れ落ちた。すると、途端に謎の圧力は消え、彼女は得意げに話を始める。

 

「妖怪の威圧を感じた感想はどうかな? 怖かっただろう。恐ろしかっただろう。これに懲りたら、私の話は真剣に聞く事だ。この辺りで死ぬ人間は多いとはいえ、目の前で無駄死を見るのも気分が悪いからね」

 

 何の話かわからないが、今の状況が色々と危険である事はよくわかった。

 

「とにかくここは恐ろしい場所なんですね?」

 

「そのとおり。君にとっては危険な場所だよ」

 

 私にとっては問題無いけどね、と自慢げに彼女は笑う。

 

「では、私をここから安全な場所に連れて行っては頂けないでしょうか? 迷子になってしまったようなので」

 

「ふむ。迷子か。行きたい場所は外の世界だろう? 残念だけど、幻想郷と外の世界は違うよ。君は神隠しにあった外来人だろう?」

 

 神隠し。嘘のような話だが、不思議な事に何故か納得できた。記憶が無くなっている事が関係しているのだろうか。

 

「よくわかりませんが。私は神隠しにあったのですか?」

 

「そのように見えるね。疑うなら、ひとまず人里まで連れて行ってもいい」

 

「人里とは?」

 

「文字通り人間の里さ。多くの人間が住んでいる場所だから安全だよ?」

 

 彼女の奇抜な服装も相まって非常に怪しいが連れて行ってくれるらしい。どのみち手掛かりが皆無なのだから信じるしか無いだろう。私は腹を決める事にした。

 

「では、申し訳ありませんが、その場所までの道案内をよろしくお願いします」

 

「うん。確かに承った。だけど」

 

 私のお願いを聞いた彼女は頷く。しかし、指を振り、まるでわかってないと呟いて、続きを話し始めた。

 

「人助けをするのは吝かでは無いよ。けれど、物事は等価交換が基本だろう。次は私が尋ねたかった事について答えてもらおうか」

 

 ネズミの少女は少し口を噤み、真面目な雰囲気に変えながら再び話し始めた。

 

「君は知らないだろうが、私は宝探しが趣味でね。このあたりにはお宝の気配があるとダウジングが囁いたから、わざわざやってきたのさ。すると、ちょうど指し示す場所に君がいた。だから、私は君に問おう。君はお宝を持っているな? 人里まで連れていくのは、それを渡す事が条件だ」

 

 自信満々に少女は無い胸を張る。この彼女の顔を言葉に表すのは難しいが、強引に表すなら『慈悲のあるドヤ顔』である。

 

「宝ですか。私は持っていませんが、どのようなものでしょうか?」

 

「いや、隠しても無駄だ。お宝の姿形は知らないが、君が持っているんだろう」

 

「そう言われましても。私の持っている物を見せますから、どれがお宝か教えていただきませんか?」

 

 私の申し出に彼女は肯定の意を返す。だが、彼女は私を疑っているようだ。心なしか先ほどよりも冷やかにこちらを眺めている。しかし、私は貴重なものを本当に持っていただろうか。頭を悩ませながらも、彼女に所持品を全て見せる事にした。

 

「これで全部だと思います。別の物が近くに落ちていなければですが」

 

「うーん。これでもない、あれでもない。外の世界の食べ物は食べてみたいが違うな。君からそれなりの反応があったから、誤作動では無いはずなのだが……」

 

 数分後、その場には灰色の少女が雑に私の持ち物を仕分けていく姿があった。が、やはり見当たらない。面倒だと呟き、彼女は嫌そうな顔を見せている。その気持ちに合わせてか耳が動く。可愛い。

 

 しかし、困ったものだ。このまま、見つからなければ私は彼女に頼る事ができないかもしれない。嫌な予想が頭を駆け巡り、冷や汗が一筋ほど流れ出た。

 

「探し物は見つかりましたか?」

 

「いや、見当たらないな。本当に持っていないのか?」

 

 不満げなネズミの少女と困惑する私。新たな第三者が現れたのは、その時だった。

 

「おや? ナズーリン、君もここに来ていたのか」

 

 右から男性の声が聞こえる。視界に入りこんできた人は、これまた不思議な服装をした男であった。様々な様式を混ぜた奇抜な服装をしているが、顔にかかった眼鏡のおかげか、理知的な雰囲気を漂わせている。

 

「これはこれは道具屋の店主じゃないか。あの時はどうも」

 

「宝塔の件なら気にする事はない。僕も良い取引だったからね」

 

 ナズーリンとは彼女の名前だろうか。彼らの話し方から察するに二人はどうやら知り合いらしい。しかし、言葉とは裏腹に仲が悪い印象を受けるのは何故なのか。場違いな私は、話が落ち着くまでは口を挟むのを止めようと後ろ向きの決意をした。

 

「それでナズーリン。君が外来人に絡むとは珍しいじゃないか。僕の予想だと面倒事を避けそうなものだけども」

 

「その外来人からお宝の気配がしてね。ここから無事に連れ出す代わりにお宝を貰えるように頼んでいたのさ」

 

「けれど、見つからずに取引は難航していると。ふむ。ナズーリン、さっき僕が拾ってきた物を一つ譲るから、外来人をこちらに渡してくれないか」

 

「あの店主が交渉してくるなんて怪しいが、うーん。お宝は名残惜しいが見つからない。そして、私の手間は減る。よし、そいつは煮るなり焼くなり好きにしていいよ」

 

「交渉成立だな。あそこに置いたものから一つ持っていくといい」

 

「了解。あ、そうそう、人里に行く機会があったら命蓮寺に訪れて感謝の寄進でもしておくれよ。そこの外来人もね」

 

 そう言い残し、ネズミ少女は素早く立ち去っていってしまった。ちょっと様子見してたら、いつの間にか私も巻き込まれた事に驚愕を隠せない。先ほどの決意を後悔しても、後にも先にも立たず。私は目の前の彼と行く事になってしまったのだった。

 

「で、私はどうなるんです? ひとまず地面に置かれたものを回収したいのですが」

 

「もちろん君を安全な場所に連れて行くよ。だが、その前に君のものを少し見させてくれ。珍しいものだったら、僕が買い取らせて貰う」

 

 店主は私の持ち物をじろじろと手に取って眺め始めた。そして、彼は全てを順番に見終わると、私の所持品の何もかもを風呂敷に詰め込んでしまった。何をしているのだろうか。疑問に思う私の心情を察したのか、こちらを見て店主は言葉を発した。

 

「全てを売ってくれないか。外の世界のものはどれも僕には興味深いから」

 

 先ほどの少女とは好みが違うらしく、店主の目は爛々と輝いている。ちょっと怖い。

 

「構いませんが、今日中に安全な場所に到着できますかね? 日が落ちる前に着けたら良いんですが。幻想郷とか言われてもさっぱりわからないですし」

 

 すると、私の声を聞いた彼は張り切って説明をしてくれた。彼は他者に説明をする事が大好きなタイプのようだ。

 

「あぁ、彼女から聞いていなかったのか。危険な場所を躱して遠回りする予定だけど、時間的には問題無い。それと、この世界は幻想郷と呼ぶのだよ。妖怪や妖精、神が存在する場所と言った方が理解できるかな。まぁ、心配する事は無い。外来人は外の世界に帰る方法があるから、幻想郷に定住するかどうか選ぶ事ができる。だけど」

 

「だけど?」

 

「だけど、幻想郷の住人は外の世界には行けない。外の世界を詳しく知りたくてもその方法が無かった。だからこそ、僕は君に興味があるのだけど。参考になったか?」

 

 彼は眼鏡をずらしながら、つまらなそうに話していた。

 

「詳しい説明をありがとうございます。それと気になっていたんですが、持っていたものを彼女に渡してしまっても平気だったのですか?」

 

「それは大丈夫。貴重なものは懐に隠し持っていたし、外の世界の知識を得られる方が僕にとっては重要だから」

 

 したたかな人のようだった。そして、彼から期待されるのは嬉しいが、記憶喪失である事をどう伝えるべきか。

 

「その言い辛いのですが、私はどうも記憶と知識を多少失っているようでして。あまりお役には立てないかと」

 

 私の言葉が予想外だったのか驚く店主。彼は少し考えた後にかぶりを振って、気にする事は無いと言ってくれた。

 

「それは残念だが、君の記憶が戻った時に改めて聞かせてもらうから問題無い。それに君の様子だと外の世界にすぐ戻っても大変だろう。人里で生活するにも記憶が無いと不便だろうし、まずは私の店に住み込みで仕事をしてみないか?」

 

「いいんですか? ありがとうございます!」

 

 見ず知らずの人間を助けてくれるとは、なんて良い人なのだろうか。彼の優しさに心が温まるようだった。

 

 その時、思い出したかのように店主は言葉を付け足した。

 

 

「ただし、働く時には客との対応に注意してくれ。店には、巫女や魔法使いだけではなく、一捻りで人間を粉微塵にできる妖怪とかも訪れるから」

 

「――――え?」

 

「それと、まだ名乗っていなかったね。僕の名は森近霖之助。古道具店『香霖堂』の店主さ。それじゃ、僕の店を目指そうか。無事に生きられるように今後の君の幸運を祈ってるよ」

 

「え、えぇ?」

 

 今さらっと、酷い事を聞いた気がする。ぎこちなく首を動かして隣で歩く店主を見る。呆然と見た彼の眼鏡はきらりと邪悪に輝いていた。先ほどの妖怪少女にこの店主。幻想郷は魔窟だと私は初めて感じるのであった。

 

 これが私が香霖堂で働く事になる過程の記憶。始まりの記憶なのだ。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「――――って事があったんですよ」

 

「ふーん、なるほどな。それで香霖に雇われていたのか」

 

 回想は終わり、香霖堂へと時間は戻る。魔理沙さんにあの日の出会いとその後の出来事を語り終わった時には、窓の外は夕暮れへと差し掛かっていた。

 

「えぇ、それで私も後から気付いたのですが、ナズーリンさんが探していたお宝は私の壊れた携帯電話だった、っていうオチがありましてね。私はもう森近さんに渡したのですが、彼はナズーリンさんに渡されないために黙っていたんです」

 

 あの日、香霖堂に到着した時にその事を説明されて唖然としたのは内緒の話だ。携帯電話に金や銀が含まれている事など、指摘されるまで思い出す事はなかった。

 

「そいつは香霖らしい。携帯電話、というと、遠くの人と会話できるようになる魔道具だろ? あいつも私と同じく珍しい物を集める収集家の気があるからな」

 

「しかし、その話題の本人が中々帰ってきませんね。森近さんはどこかで寄り道でもしているのでしょうか」

 

「案外どこかでのんびり昼寝でもしてるんじゃないか? 香霖はたまに予想もしない突飛な事をするからな。どうやら、今日の晩御飯の用意は私がする事になりそうだな」

 

 魔理沙さんが自然体で晩御飯を食べる宣言をしているのを軽く流しつつ、何があったのかを考え込む。朝から出かけていったのだから、もうすぐ帰って来なければ何かあったのかもしれない。だが、その心配はすぐさま霧散した。

 

 ――――カラン、カラ。

 

「ただいま。今日は魔理沙も来てるのか」

 

 店の中に呼び鈴の音が鳴り響く。戸を労わるように開き、緩やかに体を見せたのは件の彼であった。

 

「よう、香霖。残念ながら一足遅かったな。今日の食事は私が決めさせてもらうぜ」

 

 お勝手から声が聞こえてきた。彼女はもう調理の準備をしているようで、包丁などを準備している姿がちらりと見える。食事の内容をどれにするか悩んでいるようで、『魔法の森のキノコ料理』などといった内容が聞こえてくるのが心配だ。

 

「待て、魔理沙。それは僕が前に食べさせられた妖念坊だろ。毒キノコを食事に混ぜるな」

 

 私がぼうっとしている間に森近さんもお勝手に入っていったようだ。彼岸花の毒を洗い落とすついでに、魔理沙さんが持参した食べ物を次々と却下していた。机に置かれた帽子からは怪しい食材が見えていたが、やはりダメだったか。ひとしきり注意が終わったのか、森近さんはこちらに戻ってきた。

 

「今日は店を閉店にしていたけど、魔理沙以外に来客はあったか?」

 

「いえ、営業していた一昨日や昨日と同じく、閑古鳥が鳴いていましたよ」

 

「やはりか。いつも通りだから構わないが」

 

 私の返事を聞いた森近さんは拾ってきた道具を鑑定し始めた。彼の仕事をしている姿をじっと見る。食事の良い匂いが立ち上り始めた頃、彼の仕事は一段落付き、ついに私は彼に話しかけた。

 

「ええと、森近さん。少し話があるのですが」

 

「話か。察するに、君の名前に関する事かな?」

 

「ええ、何度も引き伸ばしましたが、自分の名前をようやく決めました。」

 

 そうなのだ。実をいうと、私はまだ名前を持っていない。私には本当の名前があるはずなのに、別の名前を持つのがなんだか嫌だったのだ。しかし、もう一週間。すぐに記憶を思い出す事はできなかった。

 

 名前とは自己の証明である。言霊が現実味を帯びた世界で、本来の名前とは異なる名前を持つ事は自らを歪める危険性がある事を私は知っていた。

 

 それでも、名前が無い状態に比べれば、偽名でもあった方がマシではあると、森近さんに説明されてからは、真剣に新しい名前を考えていたのだ。

 

 

「安直だって笑われるかもしれないですが、決めました。私の名前は――――名無し。名を無くし、自己を探し求める姿そのものを名前にしました。笑ってもいいですよ?」

 

「いや、笑いはしないさ。それに名無しという名は安直ではない」

 

「そうか? 私は随分と簡単な名前にしたもんだと思うが」

 

 気が付くと調理が終わった魔理沙さんも話に加わっていた。皿の上に乗ったキノコ料理が続々と私と森近さんの目の前に置かれていく。全てが置き終わったのを見計らってか、彼女が腰かけると同時に森近さんは話し始めた。

 

「名前が無いというのは不確かなものだ。まるで空に浮かぶ雲のように、自らの寄って立つ場所が無いのだから。そして、世界が発生する以前の物で無い限り、万物は必ず名前を持つ。ゆえに、名前が無いものは違和感が際立ってしまう。名前とは、世界に対する楔であり、自らの可能性を縛る事で名前が表す力を世界から得るものなのだよ。ところでだ。しっかりとした拠り所を持たない人間を『根無し草』と呼ぶのは知っているかい? 根無し草とは浮き草を指す言葉なのだが、どうして人を草に例えたのだろうね」

 

「さあな。案外、植物が大好きな奴らがこぞって名前を付けたんじゃないか」

 

 熱弁を始めた森近さん。その言葉を真剣に聞き続ける私。近くの魔理沙さんは真面目な雰囲気が嫌なのか軽口を叩いていた。

 

「魔理沙の考えは当たっているのかもしれない。先日、外の世界から紛れ込んできた本の中に、ある一節があったんだ。『人間は一本の葦にすぎない。だが、それは考える葦である』ってね。葦とは言うまでも無く、植物の一種だ。つまり、これもまた人を植物に例えているというわけだ。さて、ここからは僕の考えになる。外の世界の人間達は、植物と人間を同一視していたのではないだろうか」

 

「おいおい、それは明らかに間違えているだろう。何もかもが違うじゃないか」

 

 どこかで聞き覚えのある言葉だ。知識が穴抜けになっている今の私には、本当にあっているのか判断できない。しかし、そのような意味だっただろうか?

 

「いいや、合っているはずだ。よく考えてみろ。確かに食べるものや姿形は違うとも。だけど、植物も人間も自らの居場所を求めて必死に生きようとしているじゃないか。心地良く生活できる場所を探して、植物は種を飛ばし、人間は各地を彷徨い歩く。そこに違いは全く無い。そして、長い旅の果てにその場所を見つけたら、人はそこで生活を始め、年を取って影が差し、最後には体を地に埋める。植物は春と夏に成長し、秋に葉が色づき、やがて冬に朽ち果てる。どうだ、違いはあるか?」

 

「香霖の話は長くて、まどろっこしいぜ。こいつと何の関係があるんだ?」

 

 私の疑問を魔理沙さんが代弁してくれた。他方では、森近さんは眼鏡をずらし、私を見ながら再び口を開いた。

 

「そうせかすな。何が言いたいかというと、『根無し草』というのは自らの居場所を探そうと努力する人を表しているんじゃないかって事だ。で、『名無し』と『根無し』は似ているだろう? 自らの記憶を探すというなら文字通り『根無し』にした方が良いと考えるのは早計だ。さっき言ったように、名前の意味に自分が引っ張られてしまうからね。だから、似ている名前を使う。ある程度意味をもたせるとともに、他の意味をもたせる余地を残すんだ。すると、君の名前が『名無し』というのは全然安直でも無く、今の君にぴったり合うわけだ。」

 

 これで僕の話は終わりだ。そう話し、森近さんは食事に手を付け始めた。

 

「なるほど。本当に森近さんって面白い方ですね」

 

「だろ? それが、香霖の良い所だよ」

 

 彼の怒涛の説明に私は終始押されっぱなしだった。魔理沙さんは悪戯っ子のようにくすくすと笑っている。

 

「まったく。一体何を笑っているんだか。それと、暗くなってきたから戸締りの準備をしてくれないか」

 

 森近さんは困惑しながらも、こちらに仕事を任せてきた。朝飯前ならぬ晩飯前である。魔理沙さんが帰るための入り口だけ鍵を開きつつ、その他の場所の鍵を閉めていく。窓に顔を出してみると、外は夕暮れを過ぎて、夜へと差し掛かっている。

 

 

 月明かりの下、幻想郷の木々は月の光で輝いていた。暗闇で輝く木々は、未だ緑のままである。

 

 

「おーい、さっさと戻ってこないと食べてしまうぜ!」

 

 魔理沙さんの声が後ろから聞こえる。どうやら急いで戻る必要がありそうだ。足を再び進める前に、もう一度だけ外を見る。

 

 

 幻想郷に秋が来るのはまだ先になりそうだ、と私は思うのであった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。