香霖堂と私   作:ノノクジラ

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<番外編> 蛇の足と茨華仙

 幻想郷の東。森に囲まれた山の中に、大きな赤い鳥居が佇んでいた。博麗神社の鳥居である。境内には綺麗に澄んだ池や、春の陽気に当てられて青々と生い茂った木々が立ち並んでいた。

 

 ――――ささりささり。と、誰かが竹箒で石畳の掃除をしている音が聞こえる。その箒の持ち主は黒髪の巫女。幻想郷を守護する今代の巫女、博麗霊夢であった。

 

 「あー、退屈だわ。何か起きないかしら」

 

 舞い上がる土埃に嫌気が差したのか、霊夢は溜息を吐いて空を見上げた。

 

 その時だった。青空に小さな黒点が写った事に霊夢が気付く。黒点は徐々に大きくなり、やがて人型へと姿を変える。それは誰かが空から神社に近付いている証であった。

 

 「あれは、天狗かしら?」

 

 黒い翼で羽ばたいて空を駆けていた天狗は、何をするわけでもなく、霊夢の目の前へ新聞を落として立ち去っていった。天狗たちが新聞の出来栄えを競って各地に新聞を(強引に)渡していく事を思い出した彼女は、地面との衝突を果たそうとしている新聞を救い上げる。

 

 『未知の魚か!? 水龍か!? 霧の湖に佇む黒い影!』

 

 「――――霧の湖に訪れた猟師が巨大な魚影を見かけた、か。妖怪だったら危険ね」

 

 霧の湖には僅かながらの猟師が立ち入る場合がある。今回の彼らは無事であったようだが、もしも妖怪に遭遇してしまっていたならば大変なことになっていただろう。

 

 霊夢がそう考えて身支度を整えていると、見知った顔の若い女が声をかけてきた。淡い桃色の髪、片腕には白い包帯。妖怪仙人の茨華仙だ。

 

 「霊夢? 今日はどこに出かけるのですか」

 

 「んー、あんたも興味あるの? 霧の湖に巨大な魚影が現れたんだって」

 

 「ああ、それなら私も付いていきましょう。動物の事なら任せてください」

 

 魚って動物だっけ、と霊夢が首を傾げていると、両腰に手を当てて胸を張って自慢げな仙人の後ろから、人影が現れた。白黒の魔法使い、霧雨魔理沙だ。

 

 「おーい、霊夢。もう新聞は見たか? 巨大な魚の妖怪が現れるかもだってよ」

 

 「既に確認済みよ。これから、あいつと一緒に行こうとしてた所なんだから」

 

 霊夢が近くに立っている華仙を指さすと、魔理沙は残念そうに首を振って言葉を続けた。

 

 「なんだ、お前らも見たのか。だったら、私も連れてってくれ。珍しいお宝があるかもしれないだろ?」

 

 魔理沙の言葉に対する二人の返事は、肯定だった。

 

◇ ◇ ◇

 

 「うわぁ、湿っぽいわねー」

 

 霧の湖に到着した霊夢は、すかさず湿気の強さに言及する。

 

 水滴が服にへばり付くかのような錯覚をもたらす湖の水中には、様々な生命が隠れ潜んでいるという。その中には、かつて霊夢と魔理沙が倒した妖怪も含まれている。

 

 「これだけ広いと目撃現場を探すのも一苦労ね。霊夢は目星を付けてあるのかしら?」

 

 「あるわけないじゃない。そういう作業は魔理沙の方が得意よ」

 

 「ん? 私の事を呼んだか?」

 

 華仙の声に振り向いた魔理沙はというと、帽子の中から様々な機材を取り出して、妖力の反応を探っているようだった。そんな彼らに来訪者が現れる。

 

 「あ、魔理沙さんに霊夢さん。それに仙人様も一緒ですか」

 

 「あら、早苗じゃない。貴方もここで巨大魚を見に来たの?」 

 

 早苗と呼ばれた緑髪の女性、東風谷早苗は妖怪の山に住んでいる巫女である。外来人の彼女は【奇跡を起こす程度の能力】を持っており、人間の里で布教活動を行っている宗教人でもあった。つまり、霊夢の商売敵でもある。

 

 普段ならば妖怪退治の霊夢、人心安定の早苗と、それなりに役割分担がなされているのだが。

 

 早苗は霊夢の質問に目を輝かせて、御淑やかな見た目と相反するほどの興奮具合で大声で叫んだ。余りの喜びように目の模様がシイタケになっているほどだ。

 

 「もちろんです! 湖に登場する巨大魚の影なんて未確認生命体に決まってます! UFOもネッシーも私の大好物です! あ、でもここはネス湖じゃなくて霧の湖だから、ネッシーではなくキッシーですか! そうそう、しかも魚影は巨大ですって! 大きな物体にはロマンが詰まってるんです! それから―――――」

 

 止まらない早苗の早口。普段の彼女であれば滅多に無いのであるが、興奮しすぎるとこうなってしまう事を一同は知っていた。ドン引きしながらも霊夢達は相槌を打ちながら、早苗のマシンガントークを聞き流していく。慣れたものである。

 

 少しの時間が経ち、落ち着きを取り戻した早苗を加えた一同は捜索活動を続ける。湖に近付いてみると、そこにすぐさま変化が見られた。

 

 空が暗くなり、湖の色が僅かながらに濃くなり始めたのである。このような変化を起こすのは妖怪に属する者と昔から決まっている。

 

 霊夢と魔理沙、早苗が緊張感を高め、華仙が普段通りの様子で湖を伺っていると、湖の端――――ちょうど一同の目の前に巨大な『それ』は姿を現した。

 

 その妖怪は大きな大きな姿をした――――妖怪鯨だった。断じて、巨大魚でもなければ未確認生命体キッシーでもない。かつての巨大魚騒ぎの『万歳楽』(幻想郷在住のアザラシ)は動物であったが、こちらは妖怪であった。

 

 「――――我の眠りを妨げる者は何者ぞ?」

 

 その問いにどう答えるか、一瞬ほど逡巡していると、霊夢の隣にいた華仙が前に進み出た。

 

 「失礼。貴方の眠りを邪魔するつもりではなかったのですが、興味を持つ人々が現れたようです」

 

 他の人間が仙人の答え方に疑問を浮かべると、妖怪鯨は誇らしげに笑い機嫌が良さそうに体を揺すった。水飛沫が飛び、霊夢達を濡らしていく。

 

 「ふっふっふ。誰かと思えば、先日の仙人ではないか。今日の晩にでも我を外界へ返還してくれるのであろう。となると、そやつらは貴様の連れか。うむうむ。せめて我を一目でも見たいとは殊勝な心掛けよな」

 

 大きな高笑いをすると、華仙に話しかけ終わった妖怪鯨は我が物顔で霧の湖を泳ぎ回り、そして、最後にはゆっくりと湖の中へと沈んで消えていった。

 

 妖怪鯨が立ち去った後には、仙人への御礼の品として、小さな丸い石だけが渡されたようであった。

 

 その様子を眺めていた一同は、華仙へと詰め寄り、肩を掴んで事情を聞こうと詰め寄ってくる。その展開を予想したのか、ひらりと身軽に躱した彼女は、うっすらと微笑んで嗜めるように話しかけた。

 

 「まぁまぁ、皆さん。聞きたい事もあるでしょうが、ここは場所が悪いです。霊夢の神社に行ったら質問を受け付けますよ。それでいいですね?」

 

 いいわけあるかー!と叫んだ一同であったが、そんな様子も華仙には露知らず。何食わぬ顔付きで空を舞った彼女を追いかけるように霊夢と魔理沙、早苗は空へと体を投げ出すのであった。

 

◇ ◇ ◇

 

 博麗神社の境内。不貞腐れた顔の霊夢を宥める華仙の姿がそこにはあった。霊夢は嫌そうな顔つきをしながらも華仙が既に妖怪鯨を知っていた事を追求しようとする。

 

 「えーと、とりあえず色々と聞きたいんだけど。まず、あんたは既に巨大魚の正体を知ってたって事でいいわけ? 私達と一緒に付いてきた時は、そんな様子を見せてなかったわよね?」

 

 「その通りです。私も幻想郷を守る賢者の一員として、今回の件は見過ごせないと考えていたので対処させていただきました。このままだと鯨に湖の生命が全て食われてしまう可能性がありましたからね」

 

 「じゃあ、どうしてそれを黙っていたのよ?」

 

 「だって、私が正体を先回りして言ったら面白くないでしょ? 私からのサプライズですよ」

 

 しれっと言い放つ華仙に、霊夢と魔理沙は不満顔だ。早苗はというと、未確認生命体でない事に非常にがっかりとした様子を見せている。

 

 「それじゃ、次の質問。私達が出会ったあの妖怪って何?」

 

 その質問に反応するのが早かったのは、華仙ではなく早苗だった。

 

 「ああ、そういえば霊夢さんは知らないんでしたっけ。鯨っていう海に生息している動物ですよ」

 

 「動物? 巨大な魚じゃないの?」

 

 「ほら、霊夢さんが前に見たアザラシとかと同じ扱いですよ。可愛くないですけど」

 

 「あー、なるほどねぇ。確かにそれなら動物なのかしら。可愛くはなかったけど」

 

 早苗の話に納得したのか、何度かこくりと頷く霊夢。魔理沙はというと、「食べ応えがありそうだったな」と少しズレた感想を零していた。

 

 「アレでも恵比寿様の御使いとして扱われているんですから、食べたら罰当たりですよ。それに鯨は竜蛇の仲間と呼ばれているんですから」

 

 「へー、あんな妖怪がねぇ。あんまり威厳とかは感じなかったけど」

 

 霊夢の脳内では、高笑いするだけの巨大な妖怪と認識されていた。哀れである。「それに」と、華仙が取り出したのは先ほど入手したばかりの小さな丸い石だった。一同は興味深く眺めている。

 

 「最後の質問だけど、あんたが妖怪鯨が貰ったその石って何なのよ」

 

 「これですか?」と華仙が掌に載せた石を右指で突っつく。

 

 「これは龍の涎です。かつて龍が海に涎を垂らして石として固まった物だと言われていますね。実際は事実とは違うのですが」

 

 「あ、その名前ならテレビで聞いた事があります。何だっけ。海岸で入手できる高級な素材だとか何とか」

 

 早苗は何かしらの心当たりがあるようだった。頭に手を当てて思い出そうとしているが、名前以外は思い出せなかったようで渋い顔をしている。

 

 「おっと高級素材か。それはいいな。マジックアイテムの材料として使えるのか?」

 

 魔理沙が素材と聞いて我慢しきれず、霊夢と早苗を遮って横から口を挟む。

 

 「いえ、これは高価な香水の材料として使えるだけなので魔道具には使えませんね」

 

 「なーんだ。それじゃ、私が永久に借りておく必要もないな」

 

 「別に渡しませんからね?」

 

 魔理沙の本気混じりの冗談に対して華仙はすげなく拒否する。親交の深い霊夢ならともかく、不老不死の技術を求めて仙人に付き纏う魔理沙に渡すには、残念ながら友好度が足りないようだ。

 

 「あぁ、でも霊夢になら貸してあげてもいいですよ?」

 

 「いいの? 貴重な石なんでしょ?」

 

 「私の家の飾りになるだけですからね。これが龍の涎じゃなくて龍の卵だったら私が大事に育てていた所ですが」

 

 華仙が所持する大多数のペットの中には、彼女自身が育てた龍の子供も存在する。かつて霊夢を華仙の修行場へと誘拐、もとい、強制的な招待をした時に活躍した幻想的な生物だ。ただの子供と侮るなかれ。最強生物の一角に位置する龍は、子供の時点で人並みに賢く、その体躯は人の何倍も大きく、そして超常の力を振るう事ができるのだ。

 

 しかし、彼らを育てるには大きな困難が待ち受けている。色々と存在する制約の中でも厄介なのは、所有者が龍の子供よりも強くなければならない事だ。龍の親になるためには、龍を調教できる程度の強さを持つ必要があるのである。

 

 その条件を満たすには常人には難しい。仙人であったり、魔法使いであったり、あるいは。強大な力を秘めた鬼でもなければ。

 

 「しっかし、龍の涎ねぇ。これを見世物にするには悩むわね。巨大魚の正体と一緒に広めても、肝心の鯨は華仙が結界の外に返してしまうんでしょ? だったら、私としては博麗神社で、仙人様の一発芸を見世物にした方が――――って、あっ」

 

 うっかりと口を滑らせて本音を漏らす霊夢。まずいと思った時には時すでに遅し。華仙は顔を真っ赤にして怒り出していた。さもあらん。仙人の技術とは長い修行によって得られる徳の高い行いなのだ。それを商売の道具にしようなどと、どっかの誰かが言い出してしまえば…………。

 

 「馬鹿者――――!! そんなことを考えているから貴方の神社はいつまで経っても人が訪れないのです! 神職とは神に仕える心の清い者ですよ! それがやれ人気取りだの、金儲けだの。最近では妖怪達から場所代を頂いて、神社の境内を使わせているではありませんか。それが人のためなら我慢しましょう。しかし、信仰心とは常に俗世の欲に塗れる事とは相反するものです。霊夢は今一度、反省をしなさい!」

 

 そう叫ぶと、華仙は霊夢に竜の涎を押し付けて、世界から消え去るように瞬時に姿を消した。残されたのは、仙人の怒りに尻もちをついた霊夢に、叫びに顔を引き攣らせた魔理沙。そして、そっとその場から距離を取っていた早苗の三人であった。

 

 「あーあ、霊夢ったら、また華仙のヤツを怒らせちゃったな。あの怒りは早々とは収まら無さそうだぜ。どうするんだ?」

 

 「あれだけ怒ってるんですから、後で霊夢さんが謝りに行った方が良いですよ。数週間の性根叩きなおしコースの修行に送られたら、私がきっちりと代理で霊夢さんの神社も管理しておきますから」

 

 「二人とも本当に他人事ね。もうちょっと私に言う事ないの?」

 

 「お前が悪い」「霊夢さんが悪いと思いますよ」

 

 霊夢がぶーぶーと頬を膨らませて抗議するも、二人は素知らぬ顔で呆れている。その様子を見て、少しは反省したのか、とある思い付きを口にした。

 

 「だったらさ。私がきっちりと神社を盛り立てる事ができる事を見せればいいんでしょ。神職失格だなんて言わせないわ。今回は何て言ったって、龍の涎という使えそうな道具があるんだから」

 

 一念発起した霊夢が手をぱちりと打ち合わせて気合を入れる。

 

 「さーて、どうやって繁盛させようかしら。まずは猟師向けのグッズとして、安全祈願の竜の涎型のお守りを作るでしょ。それから妖怪達に話を通して、龍の涎っぽいお菓子とか食事とかを作ってもらって、それからそれから」

 

 霊夢の脳内では既にどうやって龍の涎を商売に盛り込むか考えているようであった。霊夢の瞳がきらきらと輝いている。一方で、魔理沙と早苗は霊夢が嬉しそうにアイデアを出している姿を冷ややかに見ていた。

 

 「霊夢さんのあの状況ですけど、魔理沙さんはどう思います?」

 

 「どうって?」

 

 「失敗するか、それとも成功するか。ちなみに私は失敗する方に賭けます」

 

 「奇遇だな。私も霊夢が失敗する方に賭けるぜ。ああやって嬉しそうに金儲けを考える時は間違いなく失敗する。あいつは無意識の内に直感で行動するのが必ず最適解になるんだ。意識的にやっている時点で駄目だな」

 

 二人の意見が一致する。これまでに霊夢が行ってきた金儲けは殆どが失敗している。その事を知っていた魔理沙と早苗は、これからどうやって霊夢を慰めようかと頭を悩ませるのであった。

 

 「今回はどうやって失敗するのか気になるな」

 

 「人が来ないパターンとか。私の神社の方に人が流れるパターンは無いとして、龍の涎って名前じゃ縁起物だと思って貰えないんじゃないでしょうか」

 

 「そうか? 霊夢の言う事を信じるけど何かしらの不備が見つかって失敗しそうな感じもするが」

 

 「どうでしょうね。結果は数週間もすれば分かるでしょうし、霊夢さんのために宴会の準備でも進めておきましょうか」

 

 「そうだな。私は魔法の森で山菜とキノコを集めてくるから、そっちは魚介類か肉類で頼むぜ。春の山菜といえば、ふきのとうだな。あの苦味を味わえば元気も取り戻すだろ」

 

 意見を交わした二人は、準備を進めるために霊夢に一声かけて立ち去って行った。後には、うんうんと唸ってアイデアを出し続ける霊夢の姿があった。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 後日の事である。龍の涎は一定の人気を経て、博麗神社の繁盛に役立ったのかと思われた…………が。

 

 早苗がふと思い出したのはテレビで見たという龍の涎の事についてだった。

 

 龍の涎とは、鯨がイカなどを食べた時に発生する老廃物。つまり、トイレで生み出す糞のような存在であった。その事を信者の前でうっかりと話してしまったのであった。

 

 早苗の信者の中には、霊夢の神社の事を妖怪神社と呼び、霊夢が妖怪に与する神職であると信じている人間もいる。そのためだろうか。霊夢の配った龍の涎のグッズは、幸運をもたらす縁起物ではなく、むしろ妖怪側に与するものではないかという迷信が広がってしまった。

 

 この噂を聞いた早苗と霊夢が慌てたものの、時すでに遅し。人の口に戸を立てるのは難しく、いつの間にか博麗神社は寂れた風景へと逆戻りをしてしまった。

 

 

 「何でこうなるのよー!」と霊夢が頭上へ叫ぶ。

 

 

 博麗神社にぽつんと残されたのは妖怪鯨――『竜蛇』が渡した竜の涎だけ。

 

 人が消え去った博麗神社には『蛇足』となった、飾り物の石だけであった。

 


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