桜の時期も少し過ぎさり、外は暖かな晴天となっていた。洗濯物を干すには最高の天気だ。香霖堂で働く私にとって、外の天気が良いに越した事はない。雑用係は私の仕事なのだ。
「今日は良い天気ですねー。春っぽいけど、春過ぎない暖かさ。小春ですかね」
「名無し。小春日和は冬の天気の事だぞ」
「そうでしたっけ?」
窓の外を眺めていた私の呟きに、森近さんがすかさず突っ込みを入れる。今日は、いや今日も来客が無いまま、お昼に差し掛かろうとしていた。窓から見える魔法の森の木々は、緑の色を濃く反映していて目に優しい。しかし、その緑を切り裂くように近づく物体があった。
ガシャン、と窓が叩き割れる。恒例の天狗の新聞投下である。大雑把な性格をしている妖怪達は、このような雑な行為を好んで行う。わざわざ新聞をポストに入れるのが面倒なのだろう。
「森近さん。また天狗に窓を叩き割られたんですが。なんとかなりませんか?」
「無駄だから諦めた方が良い。僕達にできるのは割られた場所を新聞紙で代用して補修する事ぐらいだ」
眉間に皺を作っている森近さんに尋ねると、気落ちした声音で彼は答える。たぶん既に試したのだろう。彼から手渡されたのは竹箒にチリトリ。天狗の後始末も私の仕事である。
箒でガラスの破片を処理しつつ、暇そうにお茶を飲んでいる森近さんに私から尋ねたのは、天狗の事だった。
「そういえば、前に天狗を見かけたんですが、人間と外見が同じで驚いたんですよ。顔が鳥じゃないんですね」
「天狗か。幻想郷の妖怪は外の世界の絵と剥離した妖怪が多いからな。無理もない」
「理由があるんですか?」 「もちろんだとも」
さっさと掃除を終わらせて森近さんのテーブルに相席する。自分の湯飲みにお茶を注ぎ、美味しい煎餅も用意した。聞く準備が整えている間に、森近さんは数種類の本を用意していた。彼のメモ帳のような物らしい。
「神霊の本体が信仰であるように、妖怪にも存在の源泉が存在する。それが人々の想像力と恐怖だ。妖怪の始まりは解釈からで、有名な例としては『鎌鼬』が挙げられる。いつの間にか皮膚を切られたことから、誰かの太刀によって斬りつけられたと恐怖した。それが『構え太刀』。しかし、いつしか名前は『カマイタチ』に変化した。更にその名前からイタチの絵が描かれた事で、『太刀』は『イタチ』の見た目に書き変わったんだ」
「誰かの思い描いた見た目が妖怪に反映されるんですか?」
「反映とは少し違う。新たな側面が混じったという方が正しい。そうだな。話が変わるが、妖怪の山は外の世界の富士山よりも高いのだが、幻想郷は外の世界の住民に知られていない。何故かわかるか?」
「八雲さんの結界で幻想郷が隔離されているからですよね」
数日前に桜の下で出会った彼女の姿は今も脳裏に焼き付いている。
「忘れがちだが、幻想郷は外の世界と地続きである事も重要だ。単純に考えれば、結界で山を隠すのは難しいだろう。しかし、見事に隠し通せている。県一つほどの広範囲をだ。それは外の世界と重なるように幻想郷が存在しているからなんだ」
「外の世界に存在しているけども存在していない、と」
「虚数位相、あるいは異界と言うべきか。説明が難しいんだが、世界は様々な異界を内包している。法則による物理。精神による結果。記憶による確率。この三要素を土台に、夢や地獄、天界などの異界は世界の側面に間借りしている。それが積み重なって今の世界があるんだ。」
もはや森近さんの話は理解が難しい領域に到達しているが相槌を打っておく。ふむふむ。なるほど。
私の声が白々しかったのか、森近さんが怪しげな瞳でこちらを訝しんでいるが知らないふりをする。知っているふりだけども。
「それが妖怪とどのように関係するんですか?」
「人間の解釈が異界のような役割を果たすんだ。ちょっと図に書くか」
ボールペンを用意した森近さんが紙にささっと書き記す。『人』・『神』・『妖怪』と書かれた三つの円が三角形状に配置され、それぞれの円が中央に重なる場所に『天狗』の文字が書き込まれる。これが天狗の仕組みらしい。
「天狗を構成する解釈を仮に三種類としよう。人間と風の神と山の妖怪だ。これらの解釈の数が偏るほど、その存在に近付いていく。すると、現在の天狗の姿は人間の説が有力だと推測できるわけだ」
「外の世界で天狗の正体が人間だったと信じられるほど、本当に変化してしまうと」
「天狗だけじゃない。河童も鬼も人間だったという説が有力だ。逆に言えば、そうではないと信じられている存在ほど人間になりづらくなる。ただ、それだけでは説明できない妖怪がいる事も確かだ」
「里の寺子屋にいる慧音先生とか?」
私の疑問がよっぽど的外れだったのか、森近さんは両腕を交差して否定の印を作った。そこまでしなくても。
「彼女は人間を土台に妖怪が混ざっただけだから違う。特殊能力を持つほどの存在ならば、誰かに恐怖されれば妖怪にもなってしまうさ。で、さっきの例だけど、付喪神だ」
「えーと、人間に道具として使われて神霊がすり減った結果、生まれる妖怪でしたっけ」
「そうだ。使っている内に妖怪に変化するのだが、例外的に元の道具から人間の姿に変化する付喪神がいる。君も見た事があるだろう?」
付喪神の妖怪。里で見かけた景色を思い返すと、該当する存在が一人いた。秦こころと呼ばれる少女である。たまに里で能楽を踊っているパフォーマンス系の妖怪だ。
「心綺楼という演目の能楽が面白かったのを覚えています」
「あの姿はお面が持つ人間の感情が含まれていたからと予想される。崇めれば神に、恐怖すれば妖怪に、しかし、彼女は解釈ではなく感情によって変化してしまった」
「もしかして、人間性に触れる事によって人間に変化する可能性がある?」
「かもね。人間と親しくなるほどに近付くのならば、幻想郷の妖怪の多くが人間の姿なのも納得できる。かつての妖怪と異なり、少女の姿に変化した。その原因が感情にあるのならば、人間から恐れられなければ、いずれ妖怪は力を失い、本当に人間になってしまうだろう」
その前に存在が保てなくて消滅する可能性もあるが、と締めくくってお茶を啜る森近さん。人間に変化する妖怪か。――――あれ? 更なる疑問が浮かぶ。
「あの、森近さんも一応、半分は妖怪ですよね?」
「君の言いたい事はわかる。僕が妖怪らしくないと言いたいんだろう。その通り、僕は例外だよ。恐怖も食事もいらない。人間と妖怪の良い所取りだ。そういう僕の立ち位置は、人間にも妖怪にも干渉しない仙人に近い」
通常の食事をしない事で有名な仙人。空に浮かぶ霞を食べて生きている彼らは、俗世で起きる出来事に干渉しない存在が多い。その立ち位置は観測者のようである。
「妖怪仙人ですか。人間にも妖怪にも関わらないと?」
「自分で異変を起こしたり解決したり、なんて事は嫌だね。僕は荒事は嫌いなんだ。だいたい、何かあったら霊夢の奴がどうにかするだろう。必要がなければ動くべきでは無いのさ」
そう言って、彼は黙々と煎餅を齧っていた。これで話は終わりらしい。
ふと外を見ると、外は夕方に近付いていた。随分と話し込んだせいか、気温も下がり寒々しい風が感じられる。その一因を担っているのは間違いなく壊れた窓だ。つまり、天狗のせいでもある。
そこに思考が至り、天狗について考える。外の世界において天狗の仕業とされている悪行は数多い。道に迷ったり、事故に遇ったり、災害が起きたり。ましてや、『デング熱』などの病気さえ天狗の仕業とされているのだ。なんて悪い奴なんだ、天狗め。
――――いつか文句を言ってやろう。私は決意した。
◇ ◇ ◇
次の日の事である。ガシャリと音がした。またしても窓が割れたのだ。
不機嫌を通り越して真顔の彼の姿を横目に見つつ、私は天狗が引き起こしたと推測される犯行現場に近付いていく。
割れた窓ガラスを踏まないように慎重に近寄ると、予想外の物体が落ちていた。白い長方形の箱である。箱は無地で、文字も絵柄も何もない飾り気の無い見た目だった。
「それが何かわかるか?」と森近さんが聞いてくる。彼の疑問を解消すべく、私は箱の蓋を持ち上げた。
箱の中には葉っぱに包まれた謎の物体が見える。それと、蓋の裏に貼られている紙には文字が書いてあった。読み上げてみよう。
「ええと、なになに。昨日はお騒がせしました。お詫びとしてはつまらないものかもしれませんが、こちらをお受け取りください。天狗の間で有名な栄養食です、だって」
「天狗の食べ物か。珍しいな」
謎の食べ物に昇格した物体は森近さんの興味を引くことができたらしい。眼鏡を少し動かして、注意深く調べている。数分後、その正体に気付いたのか彼はその名前を言った。
「これは天狗の麦飯だね」
「天狗の麦飯、ですか。とんと聞き覚えがないですね」
「普通の人は知らないだろう。天狗が主食として食べていると噂されている菌類だ。食べられるカビだと思えばいい」
「青カビのチーズとかもあるから大丈夫でしょうけど、菌類と聞くと食べるの躊躇しちゃいますね」
天狗の麦飯と呼ばれた物体は味噌のような外見だ。指で試しに触ると、ぷにぷにとした弾力があるのが感じられる。これが自然の食べ物とは信じがたい。
「先に僕が食べて見るか。味は、うん。不味くはないな」
森近さんが気にする様子もなく口に含んだ。どうやら食べられる味ではあるらしい。
一番槍は譲ったが、私も挑戦しようと思い立ち、天狗の麦飯を食べて見る。ぐにゅぐにゅとした食感と一緒に微妙な味が口に広がる。
「なんだろう。味もしない。匂いもしない。独特ですね」
好んで食べる味では無いのは確かだ。もう少し味があったら、コンニャクみたいに食べられたかもしれない。
私が天狗の麦飯を無事に食べ終えてわかったのは、やはり天狗の考えは理解できないという当たり前の事だった。
◇ ◇ ◇
夜はまだ終わらない。都市伝説は終わらない。
皆が寝静まった夜に、ひっそりと動き出す影があった。
人の気配なんてこれっぽっちもない場所。外の世界に最も近い場所。無縁塚で彼女は動き出した。
――――ケタケタ。ケタケタ。ケタケタタタタ。
笑って哂って、大きく嗤った。その姿を月明かりが照らし、彼女の様相が暴かれる。
古めかしい人形だった。普通の様子ではなく。見るからに狂気と魔力を持ち合わせていた。
『其れは魔法の森の人形師の人形に非ず』
『其れは鈴蘭畑の毒を操る人形に非ず』
『其れは都市伝説の影に埋もれた人形である』
――――ミツケタ。見つケタ。私ノ主人。今度コそ自己紹介するの。
影に潜むように小さな人形は緩やかに進みだす。主人の元へ辿り着くために。
――――あたし、メリーさん。今、幻想郷にいるの。待っててね。
誰に伝えるわけでもなく、人形は語り出した。古めかしい黒髪の『日本人形』が。
次回予告 最終話『夢は時空を超えて』