始まりは終わりに、終わりは始まりに
ついに『名無し』は幻想に足を踏み入れる
カード・コイン・タロット。世界には様々な占いがある。日本で有名な占いといえば正月の初夢だろうか。年明けに見た夢の内容で一年間の運勢を見極める、という方法らしい。
一富士・二鷹・三茄子。
最も良い夢と言われているのが、この三つ。一つでも見られたら幸運。三つ全てを見る事ができたら信じがたいほどに幸運。
しかし、夢を見るだけで現実世界に影響を及ぼせるのだろうか?
その疑問に回答すると、否定であり、肯定でもある。吉兆に対する捉え方が違うのだ。
重要なのは、幸運と呼ばれる物体を見る事ではなく、自由に好きな物を生み出せる事。つまり、夢を操る力が肝心なのである。
現実へ干渉できる夢の世界は恐ろしく万能だ。
どんな場所にも移動でき、何者にも変化できる。だが、その使い方を間違えれば、人間が見知らぬ場所で蝶になってしまう事さえ有り得てしまう。扱いが非常に難しいのだ。
そのため、普通の人間がどうにか扱いたければ『抜け道』を使用するしかない。
『抜け道』とは、自分だけではなく、神仏や妖怪に助力を求める方法である。彼らに精神世界から助けて貰う事で現実へ影響力を持つ夢を作り出すのだ。
このような方法で得た夢を、人々は『霊夢』と呼んでいる。
◇ ◇ ◇
里と魔法の森の中間にある古ぼけた外観の店。それが香霖堂である。
人間にとっても妖怪にとっても足を運びづらい、絶妙に駄目な立地。店主以外に使い方が分からない、需要の薄い商品。
そして、それらを決めたのが店主、森近霖之助さん。彼もまた奇妙な人物だ。彼は商売人でありながら自らが仕入れた商品を売る事を好まない。実の所、商品を集める事が目的であり、販売は収集の副産物なのだ。
そんな彼であるから、夏の暑さをものともせずに今日も外へ出かけていた。もちろん商品の仕入れのためだ。
額に流れる汗を拭い、私は掃除を続ける。森の木々は生命力に溢れ、うるさいほどに蝉の鳴き声を響かせていた。
――――チリンチリン。
「魔理沙、居るかしら?」
「いらっしゃいませ。って霊夢さんですか」
鈴の音を鳴らして、赤い服の巫女がドアからひょっこりと顔を覗かせる。熱気が漂う店内を見渡すと、彼女は床に置かれた小棚に腰かけた。一応、それも売り物なんですが。
「ここにもいないか。何処に行ったんだろ」
「今日は魔理沙さんを探しに来たんですか?」
「ええ。あいつったら、都市伝説を調べるなんて言って、先週から飛び回っているのだけど、何をするつもりなのか気になってね」
霊夢さんは気だるげに溜め息を吐き、どこからか取り出したうちわを使って涼んでいた。心配事は白黒の魔法使いに関する事が原因のようだ。
魔理沙さんといえば、人助けの他に好奇心でトラブルを引き起こす事でも有名である。かつて人間の里で流行した病にいたっては、魔理沙さんがうっかり祟り神の封印を解き放った事が原因だったらしい。
その事件も霊夢さんが後始末をする羽目になったので、今回も厄介事を持ち込まないか心配なのだろう。
「都市伝説ですか。私が新聞で見かけた内容だと、不気味であっても無害な存在が多いと書いてありましたが、そんな存在を手に入れてどうするんですかね」
「元から無害なわけじゃなくて、無害な存在に変化させているのよ。怪異達は不安定だから、噂に影響されて姿や性質を上書きできるの。それを利用すれば、こういう風に」
言葉を区切って、彼女が指をパチリと鳴らす。すると、どこからともかく空間が裂け、袋詰めの煎餅が落下してきた。なぜ煎餅なのかと尋ねたいがそれよりも。空間を裂く現象を引き起こすといえば。
「八雲さんのスキマ? いや、それにしては何か違うような」
「これが都市伝説の力よ。私の場合は『隙間女』。自分と相性が良い都市伝説を見つけて変化させる事で、その力を使えるようになるわけ」
「へー、便利ですね。でも、それなら魔理沙さんあたりが」
黙っていない、と言おうとして霊夢さんが訪れた理由を思い出す。そうか、なるほど。
「霊夢さんが都市伝説の力を操っているのを見かけたとか?」
「いいえ、見せてないわ。ただ、私と同じ事に気付いて探している可能性がある。だから、魔理沙がいなければ霖之助さんにでも尋ねようかと思ったんだけど」
彼女が指で差した店の奥は森近さんの定位置。そこには無人の空間が広がっていた。
「えーと、魔理沙さんでしたら、数日前に外の厠で何やら探し物をしていたような。それからは店にも来ていなかったはずです」
手がかりと呼ぶには微妙な情報を伝えておく。厠に関係する事が何なのか、私には見当もつかないが。
「魔理沙が厠に? うーん。一応、覚えておくわ。それじゃ、また明日も来るから」
そう言って、霊夢さんは次の心当たりに向けて、風のように飛び立っていった。
少しの時が過ぎ、霊夢さんの話していた内容を思い返す。都市伝説の異変では、相性の良い怪異の力を借りる事ができるらしい。ならば、様々な人間や妖怪がその不思議な力を求める事になるのは想像に難くない。きっと争いが起きるはずだ。
妖怪を恐怖する私にとって、弾幕のような争い事は苦手である。何事も平和が一番。超常現象に関わらずに生活できるなら、それに越した事はない。
そう思っても、ままならないのが世の常である。その日の夜、私は眠りによって夢の世界へ訪れた。
◇ ◇ ◇
その世界は赤色であった。青色でもあった。そして、緑色でもあった。世界は一秒ごとに風景を変え、目を離すたびに形が崩れては書き変わっていく。
香霖堂で眠っていたはずの私は、この奇怪な空間に閉じ込められていた。目を覚ました時には、既に私はこの世界に立っていたのだ。
「あー、これは妖怪の仕業かな?」
咄嗟に思いつく原因が自分自身の常識から剥離し始めている。こんな事で幻想郷に染まってきた事を実感するとは。とはいえ、自分にできる事は無いので、とりあえず自分の姿を見下ろしてみる。
「なんか、ぼやけてるような。輪郭は見えるけど、詳細が分からないって不思議ですね」
何かに例えるなら、カメラのピントが合わない感じが近いだろうか。
周囲では見覚えのある景色が現れては、ツギハギのように組み合わさっていく。夢の世界と思わしき場所は、崩壊と再構築を繰り返し続けていた。
試しに不思議な光景に接触しようと思ったが、足はぴくりとも動かない。意識はあっても、自由に歩き回る事は出来ないわけか。少々残念だ。
「動くこともできないとなると、どうしましょうか」
誰に聞こえるかは知らぬままに呟く。悪夢と称するには身の危機が無いために、脅威が感じられないのが問題だ。これが異変ならば、霊夢さんが必ず助けてくれるのだが。
異変の時の彼女は凄まじいのだ。殆どの異変を一日以内に解決する、幻想郷最強の巫女さんなのだから。
そんな事を考えていると、ふと違和感を感じた。どこかで誰かが見ているような?
私の訝しむ動きに気付いたのか、足元の影から誰かが這い出るように現れた。こちらと同じように相手の姿がぼやけているが、黒っぽいような白っぽいような服を身に纏っている姿が見える。
「あはははは。ようこそ、私たちの世界へ。あなたを待っていたわ」
こちらの驚きを気にするそぶりもなく、謎の女性は楽しそうに笑う。この傍若無人さは妖怪に違いない。
「貴方が私をこの夢の世界に引きずり込んだのですか?」
「ん? あー、いや、うーん。私じゃないわよ? あなたの事をずっと見ていたのは確かだけど……」
随分と歯切れが悪い。特に白々しく視線を逸らす素振りが怪しい。原因を探るべく、更に問い詰めようとすると、謎の女性は困った様子で話し始めた。
「もー、なんなのよー。そんな顔されたって教えられない事は無理なの。あなたが気付かないといけないんだから。どうしても知りたいなら……そうね。目覚めた場所の近くにいる人形と一緒に過ごしなさい」
彼女が話した人形についても気になるが。それよりも。
「その口ぶりだと、この世界から脱出できるのですか?」
「もちろん。別にあなたを閉じ込めて何かしてやろう、なんて誰も考えてないわ。むしろ、お節介をしに来たんだから感謝してよね」
「お節介?」
「ええ。これから厄介な事が起きた時はこの場所を思い出しなさい。そしたら、少しだけ私達が手助けするから」
私と違って、自由に動ける様子の彼女は、私の周囲をぐるぐると歩きながら語り続ける。彼女の服が黒から白に切り替わり、また黒に戻る。そして、彼女は最後に言った。
「そろそろ夢が壊れるから。お別れみたいね。また会いましょう。――――今度は現実で」
世界が真っ白に薄れていく。彼女の言葉を聞きながら、私の体は霧散して消滅していった。
◇ ◇ ◇
夜が明け、朝日が昇り、外の小鳥達が一日の始まりを告げる。その鳴き声を聞いた私は、無事に戻って来れた事に安堵の息を漏らした。そして、彼女との会話を思い出す。
――――ヒントは人形が持っている。
夢で出会った白黒少女の言葉。しかし、私が借りている部屋は質素な調度品で占められており、飾り気の無い殺風景なものだ。飾りつけの人形なんて置いてあるはずがないのだが。
その疑問に答えるように、コツコツと窓から小さな打撃音が聞こえる。どうせ小鳥の悪戯だろう、と音の発生源へと首を振り向かせると。そこには黒髪の日本人形が一体、窓ガラスに寄りかかっていた。
「――っ! これがたぶん。例の人形、ですよね?」
先程までの眠気が一気に吹き飛ぶ。咄嗟に発しかけた悲鳴を堪え、霊夢さんから貰った退魔札を構えて近寄る。札は下級霊の攻撃を防ぐ優れ物だ。多くの都市伝説と同じく、無害な怪異であればいいが。
――――ガラリガラリ。
窓を開けてあげると、小さな人形は頭と体を前に下げ、御礼をしてから入り込んできた。見た目の異様さに比べると予想以上に礼儀正しい。見えない糸で操られているような、ぎこちない動作に目を瞑れば好感が持てる動きだ。
警戒心を保ちつつ怪異の動きを見守っていると、彼女はこちらをじっと見上げて微塵も動く気配がない。どうしたものか。試しに話しかけてみる。
「えーと、初めまして。私は名無しといいます。貴方の用事は何ですか?」
返事は期待していない。動きで何かを表現してくれる事を期待していると、彼女は――驚くべきことに言葉を発し始めた。
「初めまして? イイエ、お久しぶり。やっと見つけた。置いていくなんて酷いわ」
「申し訳ないのですが覚えていないので、名前を伺ってもいいですか?」
彼女はこちらを知っている素振りだ。記憶を失う前の知り合いだろうか。私の言葉がショックだったのか、両手を頬に当てて驚いている。感情があるのだろうか。
「あなたも知っているはずよ。あたし、メリーさん。あたしこそが本当のメリーさんよ」
カタカタと日本人形は体を震わせて話す。動きに合わせて、彼女の長い黒髪が左右に揺れていた。
「うーん。私の思い違いでなければ、メリーさんは金髪の西洋人形だった気が?」
「…………! あぁ、ああぁ! 腹が立つ! あいつの何がメリーさんだ! 人に作られながら人を害する愚か者め! あたしが、あたしたちが許すものか!」
私の質問の何が琴線に触れたのか、人形は急に怒って地団太を踏み始める。図体が小さいせいか、そこまで騒がしいわけではないが、どうにも気まずい。私は彼女の怒りが落ち着くまで、暫し待つ事になったのだった。
◇ ◇ ◇
「で、これがその夢の人物が紹介していた人形か」
森近さんの見ている先には件の人形であるメリーさんが、いや、和風なので、めりーさんがいた。めりーさんは先程の怒りで疲れたのか、何も語ろうとはしない。どうにも困ったものだ。
「夢で話した彼女が白黒の姿だった事はぼんやりと思い出せるのですが、それ以外の手がかりがさっぱりで。夢に住む妖怪っています?」
「妖怪で夢といえば、有名なのは『獏』だな。悪夢を打ち払ってくれるらしい」
「えーと、悪夢を食べるんでしたっけ?」
「いや、違う。それは後付けだ。悪夢を食べるわけでもなければ、悪夢を見せるわけでもない。獏は夢の世界を管理して、人々の悪い夢を消去している妖怪なんだ。妖怪の中でも特殊で、人間を守る神に近い。しかし、その姿は正体不明で、実はハクタクであったとか様々な噂が存在しているんだ」
ハクタクの妖怪といえば慧音先生か。人間の里を守護している彼女が夢に関係あるとは考えづらい。となると、別の存在が関わっているのは間違いない。
「獏の姿が確定していないから、それが夢に反映されていると?」
「どうだろうね。夢の世界そのものの特性かもしれない。あやふやで目覚めれば消えてしまう不安定な世界では、何が起きても不思議ではない。夢が現実世界にどう影響するかは、誰もわかっていないんだ。あるいは、誰もがわからないようにされているのかもしれない」
森近さんの話を聞いていると、入り口へ来客が訪れたらしい。ドアの鈴が小さく鳴り響いた。
――――チリンチリリリ。
「今日は涼しいわね。魔理沙はやってきたかしら?」
「霊夢か。いらっしゃい。魔理沙は今日も来てないよ」
「あら、残念。ん、その人形は?」
姿を見せたのは昨日ぶりの霊夢さんだった。森近さんと軽く会話をしてきて、こっちにやってきた。この人形を見た途端、真剣な雰囲気に切り替わっていている。
「朝目覚めたら、私の所にやってきたんですよ。都市伝説のようですが、私を主人と呼んでくるし、夢の人物にはこの人形と一緒にいろと言われるし、何が何やら。呪われてませんよね?」
「ふーん、確かに怪しいわね。その人形。ちょっと貸りるわね」
霊夢さんがめりーさんを優しく持ち上げると、何やら呪文を唱え始めた。めりーさんは嫌がるように手足をばたつかせるが、霊夢さんの拘束が解けるわけもなく。数分後には諦めて、なすがままになっていた。
「これは困ったわ」
霊夢さんが首を傾げて不思議そうに呟く。彼女が見下ろす先には、ぐったりとしためりーさんがいた。
「困ったとは、どういう事ですか?」
「んーとね。何と言ったらいいのかしら。たぶん、この人形は都市伝説ではないわ。だって、存在がしっかりとしているもの。名無しさんと相性が良いのもあるんだろうけど、完全に実体化してるわ」
都市伝説は存在が不安定であるために、消滅しやすく変化しやすい。そうではないなら、妖怪や神様に準ずるものと考えるのが自然だ。
「それは本当か。だとしたら、それは付喪神なのか」
「付喪神でもないから困ってるのよね。強いて言うなら普通の人形だけど、それなら勝手に動くわけが無いし。ねぇ、名無しさん。この人形に何かした?」
頭に手を当てて悩んでいる霊夢さん。よほどこの人形は珍しい状態らしい。
「何もしてないですよ。本当にこの人形、何なんでしょうね。メリーさんって名乗ってましたが」
「メリーさん、か。それだけなら都市伝説の具現化と判断できるんだけど、そうじゃないから問題なのよねぇ。もしも、他の都市伝説も変化し始めているなら、本格的に再調査する必要があるわね。人間の里が危ないもの」
調べてからまた来るわ、と霊夢さんは足早にここから立ち去っていった。一方、森近さんは何か思い当たるふしがあるのか、里への買い出しついでに調べものをするらしい。彼もすぐにいなくなり、店内に残ったのは私と日本人形だけである。
黒髪の人形といえば髪が伸びる噂で有名だが、茫洋としてテーブルに横たわったままのめりーさんは、恐怖をもたらす存在とは思い難い。どこにでもある子供向けの飾り物にしか見えない。かつて、厄除けであった人形が逆に恐怖の存在へと変わってしまったのはどうしてなのか。
人形の歴史に想いを馳せながら、店内で過ごしていると、どこからか電子音が聞こえてきた。
――――ピリリリリリ。
座っていためりーさんが急に跳ね起きる。彼女は生気を取り戻したかのように動き出して歩き出す。その先には音の発生源があった。
「ここを開けて欲しいの」
彼女が指差すのは森近さんの机の中。彼女の指示に従って恐る恐る、引き出しを開けると、そこには壊れたはずの携帯電話が、元気にけたたましく鳴り響いていた。
液晶が砕け散った携帯を手に取る。すると、ボタンを押したわけでもなく、電話の先の相手の声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だった。だって、それは。
――――あたし、メリーさん。今、魔法の森にいるの。貴方を殺しに行くわ。
目の前にいる、めりーさんと全く同じ声だったのだから。
◇ ◇ ◇
メリーさんからの電話は続く。
電話は勝手に再生されて、少しずつ着実に近寄ってきていた。霊夢さんに助けを求めようかとも考えたが、間に合わない可能性が非常に高く、私は迎え撃つ準備をしていた。用意したのは霊夢さんが作成した退魔札である。
「メリーさんが、もう一体存在するとは」
香霖堂の店内では、無害そうな方のめりーさんがじっと周囲の警戒を続けていた。敵対関係にあるのならば私の味方なのかもしれない。
――――ピリリリリリ。
五度目のコールが鳴る。メリーさんはすぐ傍まで近寄ってきていた。今度はどこにいるのか。全神経を集中して把握に努める。電話は再び勝手に再生されて、メリーさんの声が。聞こえてきた。
ノイズ混じりの音。しかし、はっきりと、くっきりと、彼女は言った。
――――あたし、メリーさん。今 、 あ な た の 後 ろ に い る の。
前方に飛び出す。走りながら首だけで振り返ると、金髪の西洋人形『メリーさん』が包丁を持って床に振り下ろしていた。
乱暴にドアを開けて店外へ出る。後方では、精神を揺さぶる奇声が聞こえていた。
急いで退魔札を構えて、店内の彼女達を待ち構える。すると、黒髪と金髪の人形が争いながら同時に転がり出てきた。メリーさんの包丁が日本人形の腕を破壊する。めりーさんの黒髪が西洋人形の右腕に絡みついてへし折っている。
人形達が発する悲鳴と奇声が耳に入り込んでくる。
「ああぁあぁぁ! 壊してやるわ!」
「どけ、メリーさんの恥知らずが! お前の存在を消して、私が成り代わるの!」
「偽物が本物を騙るな!」
「私こそが本当のメリーさんよ!」
二体の叫び声は、ほどなくして一つに切り替わった。ボロボロの姿の人形が立ち上がる。
勝者はメリーさんだった。大地を踏みしめて、彼女は顎が外れながらも叫び続け、こちらに走り寄ってくる。
――――ああああぁあぁあぁ!
彼女の鈍重な突進を避けて、冷静に退魔札を投擲する。札は風になびくことも無く、しっかりと彼女の背中へと命中。札の霊力が解放されて巨大な光が生まれた。
札の爆発によって、地面からは土煙が噴き出し、メリーさんは空中に打ち上げられる。ボールのように地面を数度バウンドしながら転がっていくのが見えた。
その様子を、奇妙なほどに冷静に眺めている『私達』がいた。
怪異に恐怖する私がいる。人形風情に負けるものかと憤慨する私がいる。都市伝説である彼女達に親近感を持つ私がいる。
そんな精神の異常とは裏腹に、肉体は彼女たちの会話をしっかりと覚えていた。金髪のメリーさんは有名な都市伝説通りの存在だった。黒髪のめりーさんは自らを本物のメリーさんだと語っていた。だが、その主張は金髪のメリーさんによって否定される。何が正しいのか。何が間違っているのか。思考が加速していく。
視界の隅で再びメリーさんが立ち上がるのが見えた。
追い打ちをかけるために、更に複数の退魔札を投げ込む。メリーさんが空を飛び、札を躱す。上昇した勢いを停止し、ダイブするように上方から加速して落ちてくるのが視界に移りこむ。
上を見上げると、壊れかけの人形が見えた。そして、その手には握られている包丁の切っ先が、私の腹を裂こうとするのも見えた。
後ろに数歩逃げようとして、小石を踏んづける。体勢を崩した私に回避する手段は無い。
なんとか札を取り出そうとするが。
札を投げる速度と、人形が落ちてくる速度。後者の方が速いという現実に気付いた脳は、更に加速して事態を解決しようとする。
いわゆる、走馬燈というやつだ。
見えた光景は、今日の出来事だった。夢の人物に出会って、人形に遭遇して、森近さんや霊夢さんと会話して、そして今はメリーさんに襲われている。
ゆっくりと刃の切っ先が私の元へ近づいてくる。どうしようかと迷って、絶望しかけて、ふと今更ながら、夢の内容を確かに思い出した。なるほど、そういう事か。
ポケットに入っていたトランジスタを握りこみ、私は求めた。
求めるのは可能性。有り得たかもしれない、並行世界の存在を呼び出す夢だ。
「―――――――魔理沙さん!」
「紅夢の魔法使いが参上! 撃つと動く! 吹き飛ばしなさい、私のマジックミサイル!」
私の呼び声に応えるように、真っ白な服の魔理沙さんが足元の影から現れた。彼女の声に従う数本の閃光が素早くメリーさんの胴体を貫き、粉々に砕く。
バラバラになった人形は地面に吸い込まれるように落下していった。人形の破壊された姿は遠目からでもどうしようもないほどに壊れており、封印する必要もないほどだった。
脅威が過ぎ去った事を確認した後、魔理沙さんがこちらに向き直る。その顔は私の知っている魔理沙さんと同じで、しかし、明らかに異なっていた。
「いやー、危なかったわ。呼び出されないのかと思って焦ったじゃない。うふふ。まぁ、いいわ。ようやく外に出て来られたんだから」
嬉しそうに魔理沙さんが笑う。だが、その口調は私が知っている魔理沙さんとは違う。それもそのはず。彼女はこの世界の魔理沙さんではなく、『並行世界の魔理沙さん』を模した影なのだから。
「危ない所を助けて頂いてありがとうございます」
「あー? お礼は別にいいわよ。あなたがいないと私も出てこられないんだから。それより、私を呼び出せたって事は気付いたんでしょ。私であり、あなたでもある、名無しの存在の正体を」
ニッと歯を見せて笑う魔理沙さん。世界が違っても、その性格に変化があるようには見えない。
「わかりましたよ。わかってしまいましたよ。私は『アレ』と同じなんでしょう?」
地面に転がる二つの人形。その壊れた彼女たちを、私は確信を持って指差した。その様子を見た魔理沙さんが、にやりと笑って茶化す。
「自分は人形だー、ってことね。うふふ、ふふふ」
「もう、違いますってば。そうじゃなくて」
とぼけたような魔理沙さんの言葉を遮って、これまでの事を思い返すように、その言葉を叩きつけた。
『名無しの正体は、人間ではない』
◇ ◇ ◇
これまでの話をしよう。『名無し』の歩んできた道筋についてである。
『名無し』が最初に現れた無縁塚は非常に危険な場所である。どれくらい危険な場所かというと、幻想郷縁起では危険度極高。人間どころか妖怪でも危ない。うっかりと結界に引っ掛かれば存在を維持する事もできずに消し飛び、そうでなくても狂暴な妖怪などもうろつく、難易度的にはルナティックな場所である。
そんな無縁塚にやってきた『名無し』が野晒しにされて、幸運にも生還できる確率は如何ほどだろうか。
奇跡。そう呼ぶにふさわしい出来事が偶然だったかと聞かれると、怪しいものだ。
妖怪に襲われなかったのではない。襲われてなお、生き残れる『何か』があったはずなのだ。
ならば、『名無し』は本当に人間だろうか。
妖怪を容易く信じたのも。外来人でありながら外の世界の常識を知らないのも。始めて出会った博麗霊夢に襲われたのも。結界の管理者である八雲紫に目を付けられていたのも。
そして、これまでに一度も『名無しの姿が表現されていない』のも、ただの偶然だろうか。
さあ、ここまで言えば否応なく一つの結論に辿り着くはずだ。
『それは偶然ではなく、必然だった』
◇ ◇ ◇
「大正解よ。あなたは人間ではないわ。そして、妖怪でもないわ」
私の答えを聞いた魔理沙さんが、パチパチと拍手をする。確かめるように私の姿をじっくりと見た彼女は、目を細めて何故か頷いていた。
「にしても、随分としっかりと構成されているわね。これじゃ、どこからどう見ても人間のようにしか見えないわ。妖気も全く感じられないし、流石は人間に成りすますと噂されるだけはあるわね」
魔理沙さんの言葉は私の正体に関するものだ。
めりーさんは、知らず知らずのうちに私が生み出した存在であったが、並行世界からやってきた彼女は自分の立ち位置を見失い、暴走してしまっていた。
彼女は成り済ますだけに飽き足らず、成り代わろうとしてしまったのだ。
それははからずも、私以上に、私を構成する都市伝説の物語と一致していた。
「ドッペルゲンガー。あるいは影法師。有名な存在ですね」
「影女や影鰐のように、影は妖怪の特徴。でも、それ以上に影は模倣の象徴でもあるの」
ドッペルゲンガーとは、自分と全く同じ存在が現れて襲い掛かるという都市伝説だ。様々なオカルトの中でも、一際有名なこの都市伝説は妖怪と混同される事が多い。だが、影法師は妖怪ではないのだ。
妖怪と呼ばれる存在。実体化した概念。その根本には現象がある。
山彦ならば、山中で音が反射する現象を再現しなければならない。天狗だったら、人間が唐突に消え去る現象を再現しなければならない。それが存在理由だからだ。
しかし、影法師には、それが無い。
役割を持つ妖怪達に対して、役割の無い都市伝説は『恐ろしい何か』でしかないのだ。
だから、拠り所の無い都市伝説は不安定になる。噂によって容易く変化して、簡単に分裂して、あっさりと消滅する。
「ならば、どうして私が消滅しないのか」
自分に投げかけた問いを、並行世界の魔理沙さんが答える。ある意味では自問自答だ。
「それは新しい噂によって変質したから」
存在の不安定さを補おうとするならば、都市伝説が妖怪や人間の概念を入手するしかない。その点では、影法師は幸運であった。様々な噂があるからだ。
例えば『影法師は妖怪である』という解釈。似ているのは妖怪が化けたからだ、という説だ。この場合は『シェイプシフター』という人間に成り済ます妖怪と概念が混ざる。
あるいは『影法師は並行世界の人間である』という解釈。襲い掛かってくるのは並行世界の自分だからだ、という憶測に基づいた説である。
このような噂によって、ドッペルゲンガーは変化した。半人半妖どころか、全人全妖である。
「さーて、そろそろ別のお客様がやってくるかな。後の事は任せたわ、靈夢」
魔理沙さんの姿が私の足元の影に消えていく。入れ替わるように現れたのは、少し変わった姿になった霊夢さんだった。
私の知っている霊夢さんは脇が見える改造巫女服にスカートという見た目だったが、こちらの靈夢さんは正式な巫女服に袴と、実に神職といった見た目だった。鮮やかに輝く黒い髪も相まって、神々しさもある。
「一応、自己紹介しておくわね~。私は博麗靈夢。夢と伝統を保守する巫女よ。それにしても魔理沙ったら、せっかくの初登場を奪うんだから酷いわ~。助力するために張り切っていたら、魔理沙を呼ぶんだもの。そこは私でしょ~」
「あはは。ごめんなさい」
やや呑気そうな話し方の靈夢さん。何とは言わないが、魔理沙さんよりも活躍したかったらしい。前フリの流れ的に。
それはともかく、靈夢さんに一応謝っておくと「今度はよろしくね」と返事が返ってきた。もう二度と戦闘なんか御免であるが、それは伝えないでおこう。
霊夢さんが増えている姿を見られると、厄介事が起きそうな気がするからだ。レミリアさんとか、八雲さんとか、絶対に興味がありそうだと思う。
一方の靈夢さんは、何かを気付いたのか、私の横を指さす。
「おっと、お客さんが来たみたいね。んー、あなたの知り合いかな?」
――――ギチリギチリ。
お客さん? その疑問に応えるように空間が裂けた。噂をすれば影。いいや、噂をすれば本人か。
「あら。今日は珍しい人がいるみたいね。別世界の霊夢かしら」
スキマから這い出るように現れたのは、八雲さんだった。靈夢さんが幻想郷に登場したのは初めてのはずだが、一目で見抜いて言及するとは流石である。
「あはは。珍しい妖怪だ~。ええと、こっちにも私がいるんだっけ。ちょっとややこしいかな」
「間違いなく霊夢だけど、私の霊夢じゃないわね」
二人の少女が互いを確かめるように向かい合っている。靈夢さんは八雲さんの持つ派手な傘を眺め、八雲さんはパタパタと扇子を仰ぎながら、そんな彼女の様子を興味深そうに見ていた。
「ああ、そうだ。霊夢に構ってる場合じゃないわ。貴方に用があって来たのよ。正体が判明した以上、貴方は『名無し』ではなく、ただの『ナナシ』になるわ。それと、こないだの質問を覚えているかしら」
「質問というと?」
「忘れてしまっては困るわね。未来の住処の話よ。今度こそ、貴方の答えを聞かせて貰うわ。」
少し前の十六夜の夜。その時も彼女は言っていた。外の世界・人間の里・それ以外のどれかを選ばなくてはならないと。
「その前に一つだけ尋ねてもいいでしょうか。貴方が私を幻想郷に呼び込んだのですか?」
「いいえ、私は関わっていないわ。この結界の内部に紛れ込んだ特異な存在を偶然見かけただけ。幻想郷を脅かす可能性が無い限り、ずっと見守るつもりだったわ」
感情の籠っていない平坦な口調で、淡々と言葉を紡いでいく。
人間であっても妖怪でもそれ以外でも。この世界の住民である限り、彼女にとっては同じなのだと。
「だって、幻想郷は全てを受け入れるもの。結果として何が起きてしまっても。等しく公平に幻想郷は扱ってしまう。それはそれは残酷な話ですわ」
「人間でも妖怪でもない都市伝説でも、ですか」
「ええ。だから、私は貴方の方針を聞きにきたの。貴方はどんな形で幻想郷の住民税を払うのかしら?」
この世界に生きるのならば、必ず払わなくてはならない仕組みがある。
払わなければ、外の世界への退去を。人間として払うのならば、妖怪への恐怖を。妖怪として払うのならば、人間への脅威を。例外として生きるのならば、妖怪や人間への不干渉を。
記憶を取り戻した現在。私は自由である。どんな立場も選択できる特異な存在だ。
その幾多の選択肢から選ぶなら。
「全人全妖の例外扱いで、お願いします」
私の答えを聞いた彼女は、薄い唇を三日月形に歪めて、静かに笑った。
「最終確認よ。本当に、その選択でいいのね?」
「もちろん。後悔はしませんよ」
「わかったわ。これで貴方も幻想郷の住人ね。ああ、そうそう。外の世界では、地毛が緑色だったり、超能力を駆使する日本人がいるらしいわ。ご存じかしら?」
「まさか。外の世界にそんな人がいるわけがないですよ。幻想郷じゃあるまいし」
八雲さんの質問に不思議な感情を抱きながらも返答をした。私の知っている『並行世界の人間の知識』では、そんな事実は無い。だいたい、地毛が緑色って何だ。どこの外国人でもあり得ない上に、ましてや日本人。有り得るわけがないだろう。
「くすくす。そうよね。そういう答えになるわよね。予言するわ。きっと貴方は驚くでしょう」
そう言って、彼女はスキマの中に消えていった。どんな意図があったのだろうか。近くでは、八雲さんが消えた場所をじっと靈夢さんが見つめていた。
「あの妖怪も悪霊だったらコレクションにしたかったんだけど。残念だわ」
「悪霊集めとか神職がしちゃ駄目ですよ。止めましょうってば」
「私の神仙術で封印してあるから悪い物は何も無いわよ?」
「強いて言うなら、縁起が悪いです」
不思議そうな面持ちの純白の巫女は、何が悪いのかもわからず首を傾げていた。
「趣味なんて人それぞれよ。私はちょっと変わってるだけで。ああ、そういえば。アレがこちらの世界の魔理沙かしら?」
ふと何かに気付いた靈夢さんが森の上空を指さす。その先には、米粒ほどの大きさの物体が少しずつ大きくなっていき、見慣れた白黒姿の魔理沙さんが近付いてきていた。
その気配に釣られてか、影に引っ込んでいた白装束の魔理沙さんまで登場してしまった。靈夢さんと魔理沙さんが、白黒の魔法使いを見て、あーだこーだと言っている。
さて、この複雑な状況を、どうやって説明したらいいだろうか。
頭を悩ませるのは、これから始まる幻想郷の生活よりも、『夢の存在』と魔理沙さんの会話についてだった。
◇ ◇ ◇
それからの話をしよう。
あの後、魔理沙さんと並行世界の魔理沙さんは弾幕ごっこで勝負をする事にした。弾幕は火力だぜ、が口癖の彼女の得意技『マスタースパーク』と、並行世界の彼女の必殺技『ギャラクシー』がぶつかりあい、結果は相打ち。
星の光を収束して撃ち出した光線と、星の激突による波動は、互いに押しも押されぬ破壊力を秘めており、激突の結果、香霖堂の周辺に星属性魔法の傷跡を残した。具体的には窓ガラスとか、窓ガラスとか。
それから、私は現在も香霖堂に住んでいる。森近さんに認めてもらい、暫定的な助手から正式な助手となったわけだ。
霊夢さんは未知の存在となる私の扱いに難色を示していたが、八雲さんのとりなしもあって、やれやれとあきれ顔で滞在を認めてくれた。たまに私の影から現れる靈夢さんとは、あまり仲は良くないようだが。
話からわかるように、私の影から現れた『夢』は、概念が混ざったためか私の制御を離れて、随分と好き勝手に過ごしている。
といっても、今では妖怪の力が強化される満月の時ぐらいにしか、影から登場しなくなってしまった。
オカルトの力は不思議の力。本来は外の世界にある力を圧縮した『オカルトボール』が幻想郷に送り込まれていたのが、今回の都市伝説異変の原因だったのだ。しかし、その都市伝説異変が収まったために、都市伝説は弱体化。幻想郷に定着したものの、都市伝説たちは細々と生活している。
私が夢の力を自由に扱う事ができたのは、異変による後押しもあったらしい。ちょっぴり残念だ。
魔理沙さんなどは、星属性魔法の研究がー、などと並行世界の自分との共同研究が捗らない事に愚痴を零してばかりいる。だからといって、香霖堂に来ても、私が簡単に召喚できるわけでもないのだが。困った困った。
あとは、何か変わった出来事はあったかな。ああ、そうだ。
森近さんが幻想郷の歴史を記した日記を書いているのを知っているだろうか。彼は自分の日記がいつの日か幻想郷の貴重な書物となる事を祈って、日々書き記し続けている。
その行いを前々から知っていた私も、新たに書き物に挑戦する事にしたのだ。
今は自分の寝室にて、小さな手記に様々な事を記録している。
何のために書くのか? それは新しく訪れるだろう新たな妖怪や人間、そんな彼らへの説明のために幻想郷に関する様々な事を書き記しておくのである。
その内容はというと、既にある程度は考えてある。
幻想郷の成り立ち。幻想郷に根付いている人間と妖怪の関係性。里の人間の待遇。魔法の森の危険性。
それから、忘れちゃいけないのが。
香霖堂と私について。
幻想郷がいつか誰かに忘れられても覚えて貰えるように、私はこの小さな手記に書き残すのだ。