香霖堂と私   作:ノノクジラ

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本編は皆様の評価に励まされて完結できました。ありがとうございます。


<番外編> 秘封倶楽部と未来宇宙

 かつて、人々は《地獄》が存在する事を信じ続けていた。

 

 現世で生を終えたとしても、その意識には続きがあるはずだと考えていたのだ。

 

 しかし、その考えはいつからか消え去った。反証可能性を問われる科学哲学が世界を支配してしまったからである。――――非科学的な存在。地獄の在り方を理論で肯定するには、それは余りにも神秘に溢れすぎていた。

 

◇ ◇ ◇

 

 大学の構内。春の暖かな日差しが校舎に降り注ぐ中、カフェテラスで誰かを待ち望む金髪の少女がいた。

 

 彼女の名はマエリベリー・ハーン。愛称はメリー。霊能者サークル『秘封倶楽部』に所属している大学生である。ちなみに『秘封倶楽部』のメンバーはたったの二人だ。

 

 『秘封倶楽部』は表立った活動をしていないため、周囲からは不良サークルと呼ばれている。それはメリー達が不思議な力を使って調査をしている事が誰にも知られていない証拠でもあった。

 

 メリーが紅茶を飲んでいると、遠くから駆け寄って来る黒髪の学生が見えた。首から下げている学生カードには、宇佐美 蓮子と書かれている。『秘封倶楽部』の片割れだ。

 

 「遅くなってごめんね! メリー!」

 

 「4分38秒の遅刻よ」

 

 腕時計を見て不満を漏らすメリー。その仕草を気にする事もなく、蓮子は自らの鞄を漁り出す。何をしているのか尋ねようとして、首を傾げて様子を伺っていたメリーへ手渡されたのは、一冊のノート。宇宙に関する記事が纏められた時代遅れの紙媒体だった。

 

 近年では電子化が進み、紙の消費量は環境保護の名目で年々減少している。しかし、情報を入手する手段として非効率な、その無駄こそが世界を彩るのだと秘封倶楽部は知っていた。

 

 「蓮子、これって何? スターショット計画って書かれているけど」

 

 「それはね。地球の未来が《地獄》に変化する事を恐れた、過去の人々が進めていた計画よ。かのホーキングだって計画に参加していたんだから」

 

 科学が発展し、日本の首都が京都に戻るほどの時間を経ても、ホーキング博士を超える物理学者が現れる事は無かった。その博士も関わった計画が――――世界初の恒星間航行計画。

 

 「人々が争いを続ければ、地球は《地獄》へと変化する。そんな未来に備えて、移住できる惑星を探査するのがこの計画の目的みたいね」 

 

 もっとも、現在の地球は環境保護主義が一般的な考えだ。健全な環境による穏やかな生活。物品と資源の飽和による平和。そして、国によって選別された人間だけが生き残る社会。そのため、この計画は既に不要の物となっていた。

 

 蓮子から渡されたノートを読み上げたメリーはそこまで考えて、疑問が浮かぶ。

 

 「えっと、ホーキングって《地獄》の存在を否定してなかったっけ?」

 

 「違うわ。否定したのは死後の世界で、これはただの比喩表現。それに《地獄》と呼ばれる異世界が存在する事は否定してないんだから」

 

 「それで、それらの説明と秘封倶楽部の活動がどう繋がってくるのよ」

 

 「《地獄》を見てみたいって思わない?」

 

 何気なく話す蓮子の姿に、彼女は困惑する。それはメリーの特殊能力に関係する話だからだ。

 

 【結界の境目が見える程度の能力】は、世界の綻びを視認する事を可能とする。しかも、その能力は少しずつ強化され、夢の世界の風景を見るだけでなく、異世界から物品を持ってくる事さえできるようになってしまった。

 

 その事実をメリーは純粋に喜んでいるが、蓮子は快く思ってはいない。

 

 「珍しいわね。蓮子が提案してくるなんて。夢を見るのは危ないから止めよう、とか言うと思ってた」

 

 「今でも思っているわよ。夢は夢で現実は現実。蝶は人間に成り代われない。でも、私と違ってメリーは、夢での怪我が現実にも反映されるんだから当然じゃない」

 

 「それなら、どうして?」

 

 メリーの疑問に応えるように蓮子がテーブルに置いたのは、小さな石片だった。メリーが石片を転がして確認していると、蓮子は楽しそうに言葉を続けた。

 

 「安全で面白そうな物を貰ったのよ。これは《地獄》にある建物の欠片なんだって」

 

 「そんなものをどうやって入手したの?」

 

 「前に私と二人でバー・オールドアダムへ出掛けた事を覚えているかしら」

 

 「もちろん。あの古めかしくて汚い店ね」

 

 今では珍しい『健康に悪い旧型酒』が飲めるバーだ。加工された新型酒とは違い、自然の酵母で作られた旧型酒は、高級な癖に二日酔いまでしてしまう。そんな酒を嗜む客には変人が多い。

 

 『秘封倶楽部』の二人は、この店の奇妙な客たちが話すオカルト話を収集するために、課外活動として時々訪れているのであった。

 

 「嘘つきも多いけど、本当に異世界に迷い込んだ人がいるのが面白いのよね」

 

 メリーの能力を駆使すれば、他人の見た風景だって確認する事ができる。そうやって、彼女達は真のオカルトを収集していた。

 

 「その時の客の一人から譲って貰ったのよ。私達の調査活動の助けになるならって」

 

 「知らない内にそんな事をしていたなんて、蓮子も中々やるわね」

 

 「今回は特別よ。安全そうな場所だったって聞いたから貰ってきたのよ」

 

 「安全といっても地獄でしょう?」

 

 面白い冗談ね、と小声で笑うメリー。地獄といえば罪人を裁くために様々な苦しみを与える場所として有名である。そんなメリーのために、蓮子は更に説明を続ける。

 

 「それがね。既に廃棄された後の地獄らしいの。施設が老朽化でもしたのかしら? そのあたりのいきさつはさっぱりなんだけど」

 

 「再利用もしないで廃棄するなんて、地獄ってのも案外裕福みたいね」

 

 「それで、従来の地獄と区別するためにそこを《旧地獄》と呼ぶ事にしたわ」

 

 「《旧地獄》か。旧都の東京みたいに寂れているんでしょうね」

 

 前時代的な大型ショッピングモール。手入れをされる事もなく朽ち果てた車道。人々は答えの無い不思議を駆逐して、答えのある不思議を探求する。その結果として旧都に残ったのは、内面ではなく外面だけを追求した成れの果てだった。

 

 「地獄から運良く戻って来れた人によると、壊れた店が並ぶ繁華街の跡地があるだけだったみたい。きっと何処かに引っ越してしまったんでしょうね」

 

 「へー。同じ地底にあっても、場所によって様子が変わるのかしら」

 

 「時間が違うのも関係あるかも。過去と現在では地獄の認識も変わってるもの」

 

 少し前にメリーは異なる地底へと夢の中で訪れていた。恐ろしい死の匂いが充満した洞窟。黄泉比良坂に似た場所。古代の日本は神様が君臨する異世界だった。その探検の途中で拾った石を、彼女は今も大事に保管している。

 

 メリーによると、その石は神々の時代の人工物『伊弉諾物質』らしい。2500万年前の物品だと誇らしそうに胸を張るメリーを見て、不安で心がざわついた事は忘れられなかった。

 

 

 ――――メリーの能力はどこまで発展していくのだろうか。時間も空間も飛び越えて、異世界から物品を持ってくるなんてありえない。

 

 

 超統一物理学を専攻している蓮子は常識を投げ捨てた記憶は無い。これまでの知識と経験から判断すると、メリーの力は特異で危うい物だ。だから、その危険性を蓮子は彼女に何度も伝えていた。

 

 それでも、彼女は力を制御できないまま、軽い気持ちで能力を行使し続けている。もしかしたら、世界の不思議を全て解き明かしても冒険は続くのかもしれない。

 

 だからこそ、蓮子自身が用意した異世界の調査だけは安全に進めたかった。

 

 

 ――――まあ、気休めにしかならないんだけどね。

 

 

 蓮子は心の中で溜め息を零す。その想いとは裏腹に、普段通りに能力を使用するメリー。知的好奇心に突き動かされた瞳が赤から青、青から黄色と様々な色に変化して輝くのが見えた。

 

 メリーは《地獄》に縁のある物品を媒介にする事で風景を覗き込んでいるのだ。

 

 「確かに荒れ果ててるわね。暗い地面に薄暗い壁。こっちにまで湿気が伝わってきそうだわ」

 

 「移動先に奇妙な生命体は見えない?」

 

 「ええ、大丈夫。今日の夜にでも出発ね。準備は万端に」

 

 「わかってる。楽しみに待ってるわ、メリー。」

 

◇ ◇ ◇

 

 時が過ぎ、その夜は冬の寒さが残る涼しい空気が漂っていた。大学に設置されていた噴水は、月の光を浴びて黄色に染まっていた。近くでは静かに腰かける一人の少女の姿。メリーだ。

 

 水が流れる音を聴きながら蓮子を待つ。夜空では満月が綺麗に輝いている。

 

 一般人が月面旅行に行ける時代でも宇宙の神秘性は残り続けていた。その中でも最も優れた神秘が月だ。

 

 過去の人々は月に兎や神様が住んでいると考えていた。一方で、人々が月に訪れた現在でも、月には秘密が残っていると考える者もいた。『秘封倶楽部』もそのような人間である。

 

 待ち人来たれり。夜になると時間を呟く癖がある相棒は懲りずに遅刻していた。

 

 「2分の遅刻よ、蓮子」

 

 「残念。正確には2分19秒だと能力が教えているわ」

 

 蓮子は星と月を見る事で時間と場所を把握する事ができる。しかし、その能力が遅刻を防ぐ事には何の役にも立っていないことをメリーは知っていた。

 

 「それじゃ、準備はいい?」

 

 メリーが能力を発動させるために蓮子の体に触れる。蓮子はこくりと神妙に頷いて目を瞑った。

 

◇ ◇ ◇

 

 物理学者は知っている。素粒子が時間と空間を飛び越える奇妙な世界がある事を。メリーはその世界に妖怪が潜んでいる事を確信していた。

 

 逆さまの城が空に浮かんでいたのも、血のように紅い館があったのも、世界を異なる量子が支配していたためだ。そして、これから訪れる世界も。

 

 メリーと蓮子が目を開く。

 

 そこには偶然だろうか、《旧地獄》と書かれた立札と、怪しげな木製の橋が川を跨いで架けられていた。その先には遠目ながらも光の灯った町のような場所も見える。

 

 「――――あれ? おかしいわ」

 

 すぐ隣でメリーが疑問の声を漏らしたのが聞こえた。「奇遇ね、私もよ」と蓮子も呟いた。

 

 「ねぇ、ここで間違いないよね? ご丁寧に場所まで書かれてあるもの」

 

 「そうね。メリーが見た風景はここで合ってる?」

 

 「陰気臭い雰囲気なのも記憶通りだから、ここが旧地獄だと思うんだけど」

 

 「私の能力でも駄目ね。天井が岩で覆われているわ」

 

 空を見上げようとして、夜空が見えない事に気付いた蓮子が肩を落としていた。石を削り出した壁が各地を囲み、天井に空いた穴から風が吹き抜けて空気が循環しているように見える。

 

 「うーん、時間が異なっているとか?」

 

 「ああ、それはありそうね。空間移動に成功しても時間が違うのはお約束だわ」

 

 大昔に流行った空想科学小説にありがちな設定だ。猿が地上を支配してしまった映画の名前は何だっただろうか。

 

 「ここで悩んでいても仕方無いわ。さっさと地獄の観光に行きましょうよ」

 

 不安な様子の蓮子を元気づけるために、メリーが楽しそうに提案をする。いや、真実として、メリーは楽しんでいるのかもしれない。ここは間違いなく、未知の世界なのだから。

 

 逡巡の末、蓮子はメリーの提案に同意をした。

 

◇ ◇ ◇

 

 ――――地下に眠る神秘の世界で『秘封倶楽部』の活動は続く。

 

 湿気を具現化したかのような澱んだ空気。濁った風は怨霊の残り香か。

 

 橋に佇む怪しげな緑眼が印象的な少女。人ならざる気配を漂わせていた彼女に気付かれないように通る時は、蓮子だけでなくメリーも緊張していた。

 

 地獄に広がる石畳の道。あまり使われている様子もなく荒れていたが、メリーが見た記憶よりも新しい。

 

 生命の活気が溢れる繁華街。路地裏からこっそり覗き込んだ町並みの中には、鬼と思わしき角を生やした妖怪や、見た事の無い獣が道の往来を行き来していた。

 

 予想外だったのは、蓮子が目を離した隙にメリーが謎の両生類を拾ってきていた事か。見た目はサンショウウオだろうか? 現実では中々見つからない天然の生命という事が、メリーの好奇心を刺激したのだと蓮子は推測する。

 

 そこから先は妖怪に見つかり、追いかけてくる妖怪から逃げ出すうちに、いつの間にか夢から覚めていた。

 

 「せめて意思疎通ができればなぁ」

 

 異世界での冒険に疲れ切った蓮子がつまらなそうに愚痴る。妖怪を見るとピントが合わないようにぼやけるのだ。妖怪側もそうなのか、見つかる度に襲い掛かってくる。

 

 その不満を宥めるようにメリーが明るい笑顔で話す。

 

 「でも、お土産を確保できたから良しとしましょ。この生物が未知の生き物だったら、新しい学名を決めて発表する事だってできるかもしれないじゃない?」

 

 「入手した場所が不明なのに? ないない。水槽で飼って眺めて楽しむ分には良いかもしれないけどね」

 

 メリーの部屋の一角。小さな水槽の中で悠々と歩く謎のサンショウウオを眺めながら、二人は今後の活動について話し合っていた。

 

 メリーが腕時計を見ると、異世界での体験を随分と話し込んでしまっていたためか、夜になろうとしていた。

 

 「もうこんな時間か。光陰がここまで速いのは予想外ね。蓮子は泊まっていく?」

 

 「うーん、どうしようかな。冒険用に準備した寝間着とかあるから大丈夫ではあるけど」

 

 「なら、今日は一緒に寝てベランダから星空とか見ましょうよ。たまにはこういうのも風流でいいと思うの」

 

 肯定の意を返した蓮子の返答に、気分を良くしたメリーが喜び勇んで準備を始めていく。

 

 その間に、蓮子は水槽にいた怪生物の様子を眺める事にした。

 

 小さくつぶらな瞳。ナマズのような髭。愛嬌のある両生類だ。特に独特なのがその匂いで、まるで先日の旧型酒のような香りが水にまで反映されているようだった。

 

 「まさか、いや、そんなはずはないけども」

 

 ちょっとした好奇心から、水槽の上面にある水を少しだけ舐めてみる。どんな病気も治療できるこの世界で、二の足を踏む事は無かった。

 

 口に含んだその味は、蓮子の予想した通りの水――――ではなく。

 

 ――――信じがたい事に間違いなく旧型酒だった。

 

 自然酵母によって熟成された高級アルコール。独特の眠くなるような甘い匂いは旧型酒の特徴だ。

 

 急いで手元の端末で水だったはずの液体をスキャンする。結果はエタノール。酒だ。

 

 「メリー! メリー! ちょっと来て! これって凄い生き物かもしれないわよ!」

 

 「どうしたの蓮子? そんな異世界に行ってきた時みたいなテンションで」

 

 「このサンショウウオの水槽って水を入れたのよね! 私も確かめたもの!」 

 

 「そうよ。それがどうしたの?」

 

 「水が旧型酒に変わってるの! しかも、かなり美味しい味で!」

 

 その言葉に目を丸くしたメリーも近付いて、水だった酒を舐めて驚く。前に飲んだ酒よりも美味しいかもしれない、とのことだ。

 

 「これは凄い発見ね。惜しむらくは餌や生息地が不明なせいで発表できない事だけど」

 

 「でも、水を酒に変化させる生物が大量に溢れたら経済が壊れるから、これでいいんじゃないかしら」

 

 「それもそうね。で、どうする?」

 

 「どうするって、何を?」

 

 「この大量のお酒をどうやって楽しむか、色々と悩んじゃうじゃない」

 

 お酒のつまみに枝豆を用意するか。チーズを用意するか。あるいは、他の何を用意するか。メリーの提案はこの世紀の大発見に対して余りにも即物的な内容だった。しかし、そんな彼女だからこそ、この福の神を捕まえられたのかもしれないと蓮子は考える。

 

 昔話において、幸運を掴み取るのは欲が深くない人物が多い。意図せずして善行を積んだ人間が富を得る。逆に欲望が強い人物は地獄送りになるのは知っての通りだ。

 

 更に面白いのは、そんな生き物が地獄で捕まったという奇妙な事実だが。

 

 それはさておき、お酒の準備をするとしよう。蓮子はメリーと一緒に準備をして酒盛りを始める事にした。

 

◇ ◇ ◇

 

 お酒を飲んだ。星空を見た。夜空は綺麗に輝いていた。

 

 蓮子はゆっくりと目を覚ます。いつの間にか寝ていた彼女の隣には、同様に眠っているメリーの姿があった。どうしてか、胸騒ぎがする。

 

 ああ、なんだろうか。この感覚は。メリーを見たからではない。宇宙を眺めたからでもない。

 

 視界が歪み、頭に痛みが走り、どうしようもないほどに気分が悪い。

 

 そこまで考えて、蓮子は原因に気付いて溜め息を吐いた。美酒の欲に負けて大量に旧型酒を飲んだことを。

 

 「二日酔いになっちゃったみたいね」

 

 地獄のお酒は、信じがたいほどに蓮子に《地獄》の存在を教えてくれた。地獄送りという形で。

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