自宅に帰ろうとした睦希であったが、不意にどこかへ寄りたくなったため公共の駐輪場に置いて足を適当に運ばせる。昨日今日で色々とありすぎて精神的な摩耗があったのも起因しており、リフレッシュのつもりで周囲を巡るのが目的だった。スーパーに向かって気になる調味料や食材を見繕うのもよし、家電量販店に向かい興味の惹かれるものを探るもよし、ただの物見程度に収まり一頻り満足したら帰るつもりだった。
彼が本屋に足を運び、あるコーナーに自然と向かって到着したところで彼の視線は一冊の本に集中した。とある戦場カメラマンが見聞きした戦場のリアルについて綴ったもので、出版されてから誰の記憶からも薄ぼんやりと覚えられているぐらいの月日が流れているそれを、彼は手に取り表紙をなぞって中身を見始めた。軽い流し見のそれだったが、不意に彼は呟く。
「今どうしてるんだろうな……」
「あれ、亮司さん?」
彼に向けて掛けられた声に驚いて持っていた本を落としそうになったが、本の背を間一髪で掴み取り安堵したところで声の主に視線を向けた。隣に住んでいて、イザベラの許可がおりて男女の仲となった小比類巻香蓮その人であった。本を元の棚に戻し、歩み寄ってきた香蓮と話し始めた。
「今日出かける予定あったんですか?」
「まぁな……香蓮は学校の帰りか?」
「はい。気になってた神崎エルザの特集本を探しに」
「ああ、好きな歌手のか。その様子だと買えたみたいだな」
「はい!」
香蓮の持ち物にお目当ての物が入っているだろう書店のロゴマークが記載された袋があることを確認した予想であったが、結果は予想通り。彼女は嬉しそうに微笑んでいたが睦希がこのコーナーで何を買おうとしていたのか気になって、彼が先程まで持っていたであろう本を手に取った。
「【過激派組織の現実 〜私が見たセカイ〜】 中々ハードな物を見てましたね」
「かもな」
「あ、でもこの人前にテレビで見たことあります。確か捕虜で捕まってたけど無事に保護されたってニュースで言ってましたね」
「そういえば……そうだったな」
「買うんですか?」
「あ? あー……いや、見ていただけだ。戻しても構わん」
「そうですか?」
「ああ、良いんだ」
物憂げな目を隠しながらそう言って、香蓮は何も気にする様子はなくその本を戻した。書店から出ていき停めてあるバイクのもとまで向かい、2人はそこからバイクで住んでいるマンションに到着し自分の部屋に戻ろうとしたが、唐突に香蓮から今夜の夕食時間に睦希の部屋に向かって良いか聞いた。彼はひとまずイザベラと連絡を取り、彼女の許可もおりたため今宵の夕食は3人で食すことが決定された。
小比類巻香蓮が本日の夕食に参加した理由は、いつもの睦希と比べてどこか悲しげな様子を出していた為らしく。そんな様子を見せてしまったことに対して失態と思った睦希に注目するようにイザベラと香蓮は見ていた。その理由を聞こうと訊ね、渋々ながら昨日今日あったことについてゆっくりと話し始めた。テーブル中央においてある湯気立つ鰹出汁ベースの鍋の熱がじんわりと冷やされていく中、始めにイザベラが口を開いた。
「リョージ、シノンのことに関してはまぁしょうがないって思うしかないよ。だってシノンの全部を知ってるわけじゃないし……何がきっかけで怒るのか分からなかったから仕方ないって思える」
「……かもな」
「でも、リョージは“知らなかったからしょうがない”で済ませたくないのよね。リョージ自身が
「ああ」
「ならもう、決まってるよね」
「…………ああ」
それは確認作業のようなものであった。だが彼にとっては第三者を介した確認というのは1つの救いでもあり、自らの考えを強固にさせるためのおまじない。さきほどまで揺れ動いていた思考を明確にしたこの睦希は決してブレることは無い。やる事を定めた睦希の目と意思は真っ直ぐなものへとなった。と、ここで今度は菊岡の提案に対しての話題が始まった。
「にしてもあの官僚サマ、どーいう神経してるんだか」
「こういうのってバレたら只事じゃないですよね? 亮司さんはその人の言ったことに対してどんな反応を?」
「無論、反対した。とはいえ最後に決めるのは彼奴の判断だ、俺は意見を出すことしか出来んからな」
「まぁ結局それに尽きるからねぇ……鱈おいしっ」
「ごく自然に食べてますねイザベラさん」
「私らが出せる意見は決まってこんなものだし、それ以上言うのも野暮ってものよ。それより今は腹ごしらえして英気を養うべし」
「それについては同感だ。俺たちも食べよう」
そうして3人とも食事にシフトし、思い思いに鍋の具を食べて腹と舌を満たしていく中、ふと睦希だけがある事を考える。死銃事件の犯行や犯人像などを自身の頭の中で一度整理し始めた。
まずこの死銃事件は現実世界で行われた殺人をカモフラージュするためのフェイクをGGOでやってのけた。遺体の様子は死後数日経っていて、運良く犯行手口が判明されないまま事故死と断定された。今でも犯人はどこかでほくそ笑んでいることだろう。
死銃事件の推理内容はこうだ。まず始めにBoBに参加していたプレイヤーの住所を、今回はゼクシードと薄塩たらこの住所をGGO内にあるメタマテリアル光歪曲迷彩を使い盗み見る。次に犯行のタイミングを予め決定し、現実側、つまり実行犯はその部屋の中に救急隊が使用するマスターキーを使用し侵入。決まった時刻になったところで死銃の発砲と殺害の実行を行う、この時殺害に使われたのは麻酔薬と針なし注射器。体内に麻酔薬を過剰投与し殺したあと誰にもバレないようにその場から立ち去る。
これらの実行犯とカモフラージュ犯を合わせれば2人以上と確定するが、うち1人は少なくとも針なし注射器、救急隊のマスターキー、麻酔薬を入手できる立場であることから医療関係者。とりわけGGOに使える時間のある院長やそれに次ぐ立場の身内が考えられる──と、ここで睦希がふと疑問に思う。鍋の中身は少なくなり、そろそろ〆という雰囲気のなか睦希はその疑問を解消するべくスマホで何かを検索し始めた。
「あー食べたわねぇ。リョージ、〆どうする?」
「……亮司さん?」
「ん、ちょっと待ってくれ」
若干適当な返事であったが、ある事を確認した睦希はふとある思考に囚われ手で口元を隠す動作を行い何かを考え始めた。そうした考えがふと、口に出た。
「もしや……」
「亮司さん?」
「ん?」
「どうしたのよリョージ。何か上の空になってさ」
「いや、もしかしたら俺は少し間違いをしていたのかもしれんとな」
「「間違い?」」
「死銃事件の凶器についてだ。あぁいや、針なし注射器が間違っているとは思ってないぞ」
「じゃあ麻酔薬が間違ってたんですか?」
「恥ずかしながらな。物事の内容はきちんと見なければと何度も思っているのだが」
「それで、何が使われたって考えてるの?」
睦希は今しがた見ていたスマホの画面を2人に向けて見せながら話す。
「おそらくだが筋弛緩剤なのでは無いかと」
「それはどうして?」
「まず麻酔薬の方だが、確かに過剰投与による死亡事故等はあっても生き残る可能性が高いものを使うのはリスクが高すぎるという点。注射器一本に容れられる量にも限りがある分、この麻酔薬という説は消してもいい」
「じゃあ何で筋弛緩剤って断定できるの?」
「他にも心臓を止める薬は確かにある。ただこの画面にある塩化ナトリウムの使用だと体内の塩分濃度が高くなってバレやすくなる。ただこの筋弛緩剤の場合だと話は変わってくるのだ、心臓の辺りに注射すればまず間違いなく心臓の役目は停止する。即効性ということを考えればこの可能性も浮上してきたわけだ」
「うーん……でもこの画面を見るに、アーカンソー州とかオクラホマ州とかでも鎮静剤のあとに麻酔薬を打って薬殺刑にしてるんでしょ? 麻酔薬でも殺せるなら体内に残ることを考えたらそっちが良いと思うけど」
「そうなんだが、遺体は死後数日経ってる状態だったことを鑑みると筋弛緩剤でも体内から除去されていそうでな……」
「あ、じゃあその死銃の目の前で推理を披露して反応を見るのはどうです? 合ってるかどうかはそれで分かるでしょうし」
「それしかないか」
「しかしここまで来ると……リョージ、ちょっと探偵として働いてみるのもありじゃない?」
「大半の依頼が浮気調査になるよりもGGOで依頼受けた方が実りは良いがな」
「大体あのマーキからの依頼で稼いでるけどね」
「否定はせん」
その会話が終わって、鍋の〆がうどんか雑炊かファルファッレかで議論が行われたが最終的にはジャンケンで香蓮の提案であるうどんが決定し、あと2つの〆であるファルファッレと雑炊はまた後日ということになった。そして〆が出来上がるまでの間に睦希は菊岡と笹森に凶器に関する新たな可能性を伝え終えると、ゆっくりと〆をいただく事にした。ふと睦希はそろそろクリスマスが近づいている事に気付くも、予定はこの死銃事件が終わってからにしようと考え頭の隅においやった。