夜の闇が空を染めて人工的な光が明るい時の色合いを再現している頃の時間帯、病院の一室で睦希は詩乃の冷ややかな視線を一身に受けていた。それもそのはず、現在睦希はイザベラと香蓮の2人と交際関係にあり2人とも睦希の女で良いと了承を貰って絶賛公認二股中なのだ。その事実を聞かされた証左として汚物を見るような目であるのは致し方ない。世間一般的の常識から考えて本来有り得ないことなのだから、こういった蔑みの目を向けられる事を予知していない訳ではなかった。
睦希の二股は咎められるべき事とはいえ、並々ならぬ事情あってこのような形になっている。その並々ならぬ事情を言えないを聞こうとしている今、睦希は頑なにそれを口に出そうとしていないため問い詰めてられている最中であった。そして彼女の視線が痛い。
「だからだな、その……俺の口から言うのは憚られる事なのだ。詩乃もあまり良い気分にはなれん」
「今の私も良い気分じゃないけど」
「それは悪いと思っているが」
「悪いと思ってるなら白状しなさい」
「うぐぅ……」
すぐに何も言えなくなった。どうしようかと悩みつつ頭を左右に振って、色々と考え始める。しばし考えて少しだけ息を吐き、自らの視界に封じていた過去の幻覚が映りこんだ。また感情が湧き上がりつつあった。
「……聞いても気分が悪くなるぞ」
「これ以上気分が悪くなるもの?」
「ああ──いや、違うな」
「どういう意味?」
「俺の気分が悪くなるからだな、言いたくないのは」
「……なら先にそう言えば良かったじゃない。人のせいにしないでよ」
「それはそう、だな。とはいえ聞いても気分の悪いものになる話題には違いない」
「それは、なに?」
「……昔の話だ」
1つ息を吐く。疲れた様子を見せている睦希の記憶には、過去の忌まわしき全て。
「……PTSDだったのだ、昔な」
「……あなたが?」
「ああ。今もまだ、その残滓は残っている」
開いた両手を見つめた。少しだけ息が荒くなったことに気付いた睦希はお土産として持って来たシャインマスカットを1粒口に放り込んだ。果実の甘みが思考を一時的に戻し、また言葉を続けた。
「かなり酷い状態だったものだ、眠れば悪夢が必ず襲い精神と肉体を磨耗していった。酷い時はぐちゃぐちゃになった感情までもが俺を苦しませた……とても、疲れたものだ」
目に見えて疲労している睦希を止めようと、詩乃は言おうとしたが構うことなく続けた。
「その時に香蓮と、レンのリアルと出会った。俺の世話で疲弊していたイザベラ、銃士Xのリアルを手伝う形で彼女の世話になった……そうしていく内に香蓮とも男女の仲になったというわけだ」
「……その、ごめんなさい」
「謝られたらこちらがどうして良いか迷うのだがな」
いつもより少しだけ苦しそうな笑みを零した睦希は、この重苦しい空気を払拭しようと自身の頬を叩いて椅子から立ち上がる。少しだけ体を、ほぼ90度フルに曲がる両肩の関節を動かしてこの感情を誤魔化していく。彼女の方に振り向いて、別の話題を投げかけた。
「それはそうとして……明日、放課後から時間は空いてるか?」
「え、ええ。何かあるの?」
「いや、事件のその後を聞ける機会があってな。新川恭二のことも気になっていると思ったしだいだ……別に聞かなくても構わんのなら、それはそれで良い」
「……行くわ、私」
「そうか。なら、連絡先……よりも時間と場所を聞いておいた方がいいな。構わんか?」
「あなたになら、それぐらいのこと教えても良いんだけど」
「だからお前さんは抵抗感というものをだな」
彼女は自身の通う学校の名前と放課後となる時間帯を伝えて、それをメモしている睦希の腕に手を置いた。彼は入力している手を止めて、詩乃と向き合った。彼女の顔は影のあった表情をして睦希の目を見ていた。
「その、さっきはごめんなさい」
「……知らなかったんだ。そればかりは仕方ない、人の事は分からんのが当たり前だ」
「それはそうだけど……」
「何か気がかりでも?」
「……私も、PTSDだから」
「……そうか」
「何でか聞かないの?」
「お前さんが……詩乃が言える時まで待つさ。なに、待つのは慣れているんでな」
「……ズルい人」
「こういうのが得意なだけだ、男というのはな」
メモを取り終えて、彼女の手に睦希自身の手を添えてゆっくりと腕から外していく。そこから彼女の手を包み込むように握って、別れの挨拶だけをして病室から立ち去る。1人残された詩乃の手にある温もりと僅かな重みが、彼女の眠りを深いものにさせていった。
翌日、放課後の時間帯になって詩乃は校門前に居るであろう睦希のもとへと向かおうとしていた所に、水を差してくるように現れたケバケバしい女子生徒たちが彼女を誘導する。内容は至ってシンプルに、金を要求していたのだが面倒そうに拒否をして遠藤と名乗る女子生徒がプラスチック性のモデルガンを手に詩乃の脚を狙っていた。けれど詩乃自身、今目の前で起きている事にどこか達観したものを持っていた。
目の前にあるのはプラスチック性の玩具。人を傷つけられる癖に殺すことはできない玩具として見えていた、何も考えず遠藤の手にあるM1911 ガバメントをディザームして後退しながらスライドを引いて構えた。そして手に取って初めて理解した、未だに少し緊張しているけれど以前ほどではない。もうこれが恐怖の対象として見えていなかった。スライドを引いてグリップから分解させると地面に落とした。
何も言わずただ一瞥して詩乃は待っているであろう彼の元へと向かう。校門前には人だかりが出来ており、その中心に居る睦希はスマホで誰かと会話しているようだった。他の女子生徒が居る中、堂々と彼のもとへと行き通話を終えた睦希の視界に映らせた。
「お待たせ」
「そこまで待っておらんさ。ほれ」
睦希からヘルメットを受け取り被って、止め具をつけると彼の乗るバイクの後部座席に座って腰に手を回す。周りからの黄色い声や視線がうるさく感じられるが、この温もりに身を寄せてそれらを遮断させていく。バイクのエンジン音が鳴って目的地へと向かう最中、睦希の腰に回した手の力を強めた。冷たい風を感じるよりもこの温もりをもっと味わいたいと願って。
しかしそんな幸福な時間も長くは続かず、銀座のとある洋菓子専門店に訪れた2人はそこで菊岡と桐ヶ谷和人と合流する。席に座って事の顛末を菊岡が話していく。基本的な大筋、つまり犯行予定は睦希が推理した通りのものであったが肝心のターゲットに、ペイルライダー、ギャレット、シノン──そしてヴェンデッタ含めたプレイヤーを狙っていたことを学生の2人は知る。睦希は既にそのことを聞いていた為、特に反応することなく皿にあるアップルパイを食べる。
「彼らの証言によると、非AGI型の実力あるプレイヤーに焦点を当てて計画を練っていたらしい。ゼクシードが生前に提唱してたAGI特化型のステータス最強論を唱えていて、その結果自分が弱くなってしまった……という逆恨みによる犯行だったらしい。とはいえ色々と彼らにもあったらしいんだけどね」
「色々、ですか」
「その事なら睦希君が1番詳しいよ。何せ彼の前じゃ2人とも暴露していたしね」
「会ったんですか、睦希さん」
「会ったな。奴らにも問題がたくさんあった……改めてだがよく知ることが出来た」
「何を?」
「人が犯罪をする時は、押し込めていた負の感情が一気に流れ出す時だとな。決して突発的なものではなく、日々の積み重ねによって成されてしまうことをな」
アップルパイをまた1口放り込み、咀嚼して飲み込むと睦希は続ける。
「その一端を担ったのは俺だ。画策していた事を知らなかったとはいえ、そうさせた責任は俺にもある」
「そして今日の夜、僕と睦希君は彼らの保護者に会いに行ってくることになった」
「会いにって……何するつもりなんですか睦希さん」
「ん、直談判」
「「はっ?」」
詩乃と桐ヶ谷の2人が再度訊ねることになるのも無理はない。なんの直談判かは分からないが、彼は今まさに渦中の人物と接触しようとしているのだから。
「いや、直談判というよりも一方的に話すだけになるのだがな」
「どういう意味よ」
「あの2人の話によれば、その医院長の親が根幹に関わっているのは間違いない。彼奴らの心の叫びを、奴に突きつけに行くだけだ。上手くアポは取れたんだろうな菊岡」
「手筈は既に整ってるよ。あとは向かうだけさ」
「ふむ、上出来だ」
それからあの2人のこれからについてだが、殺人を起こしているため家裁から検察に送検されるのは間違いないのは確かで、そのあと医療少年院に送られるのだそう。半分に残っているアップルパイを頬張って、睦希はこれからの事を考え始めた。彼はこれから愚かとも取られかねない行為をする、それを再三自身の頭の中で反芻していき、アップルパイを食べ終える頃に軽く息を吐いて意識を作り上げた。
【M1911】
ジョン・ブローニングの設計に基づき、アメリカのコルトファイヤーアームズ社が開発した自動拳銃。コルト・ガバメントの通称でも知られており、民間向けモデルの1つである「ガバメント・モデル」に由来している。