夜。また夜のことだ。けれどもこうして車中で人工灯で煌めいた街中を見ながら、睦希は明日のことを夢見る。世間はクリスマスシーズン一色に染まり冷たい夜空の中で人を愛し、仕事をして、どこかで騒ぐ。光によって照らされた者にある影を無情にも照らしてあらわにしているようで、こんな思考を止められない睦希はセンチメンタルになる己を自嘲した。明日のことを今考えるようなワーキングメモリは備わってないと思い出し、今はやるべき事だけを考える。
菊岡の運転する車の助手席に、珍しくスーツ姿の睦希は盛大に溜め息をつく。変わる景色と車内の匂いに酔いそうになって、何も代わり映えのない車内の天井を見上げた。脇目でチラと見た菊岡が話しかけた。
「緊張してる?」
「車酔いだ……昔から慣れんのだ」
「そうなんだ」
「あと流れる景色を見るのも苦手だ、酔う」
「バイク平気なの?」
「空気が常に変わる環境なら平気だ」
「なら窓開けるかい?」
「いや、着いたらめいっぱい吸わせてもらう事にする」
「別にいいんだよ? 気持ち悪かったら今吸うのがいい」
「寒いのも苦手なんだ、勘弁してくれ」
「苦手なもの多いね君」
「対策してるなら別に良いんだが、今はその対策をしていないのでな」
「下にヒートテックなんか着てこなかったの?」
「あれは逆に熱くなりすぎる、肌が痒くなるんだよ」
「不便だねぇ、何かそういう体質なの?」
「思い当たるのは発達障がい特有の感覚過敏だろうな」
「えっ?」
思わず睦希の方を見たがすぐに前を見て車を走らせる。突然のカミングアウトを受けた菊岡の心境を察知しながらも、微妙に酔いが回ってきたために睦希は目を閉じた。
「意外か」
「そりゃね」
「まぁ言ってなかったしな」
「発達障がいの……なに?」
「何とは?」
「種類」
「高機能自閉症、ASDだ。とはいえ外見は普通に見えるからグレーゾーンというやつだ」
「なるほどね。にしても発達障がい者か……」
「分からんのは普通だ、見た目は健常者のそれと何ら変わらんしな」
「いや、あの時言ってた言葉の意味が分かった気がしたよ。理解されない痛み……君がそうだったからそう言えたんだなって」
「まぁ、な」
車のエンジン音をBGMにして目的地へと走らせていく。睦希は目を閉じたままこの車中に伝わる僅かな揺れだけを感じていた。呼吸はどこか眠りにつくような落ち着いたリズムで繰り返されている、いやすぐにでも落ち着こうとしているのだろうか。大きなあくびを1つ睦希は盛大にかました。
某高級住宅街にある1つの家、この家のリビングに3人の人間が居る。仮想課の訪問という形で菊岡と睦希は、目の前に居る新川兄弟の親である院長の前に居た。仕事の一環も兼ねているというていで菊岡に取り次いでもらい、この目の前に居る人間に対して彼らの慟哭を聞かせなければならないと睦希は考えていた。どんな結果になろうと、これは聞かさねばと信じて。
「────はい、ありがとうございます」
「満足したか。なら早く出ていってくれ、今は多忙なんだ」
「いえ、実は今回貴方にお伝えすべき事がありまして」
「何なんだ」
菊岡が睦希を見やる。頷きをもって返し、彼はスーツのポケットからスマホを取り出してボイスレコーダーのアプリを開くと、発言を始めた。
「私は貴方のご子息と話をさせていただきました。そこで聞いた話の中に貴方のお名前が出ていたんです」
「それがどうした?」
「なぜ彼らは犯罪をするまでに至ったのか……あなたにも知る権利はあると考え、こうして録音したものをご用意させていただきました。貴方にはこれを聞いてもらいたい」
「何かと思えば……今はそんなもの聞いている暇は無い。それに今回の確認はもう済んだ筈だ、早く出ていってくれ」
「──いや、アンタがこれを聞くまで出て行くつもりはない」
「何だと……?」
若干の声色と口調が変化した睦希を睨む。しかし一歩も引く様子を出さない睦希は発言を続ける。
「アンタにはこれを聞かなきゃならん義務がある。……いや、アイツらの心を知らなきゃいけない。今すぐにでも」
「そんな義務は私には無い。知る必要も」
「いいや大いにあるね。アンタのような人間に近い奴を見た事はあるが、俺はアンタのような人間こそ自分の子どもの心を知る必要があると思ってる──今から流すのは、新川昌一が流した嘘偽りない本音だ」
再生ボタンを押して、スマホの音量を大きくさせた。睦希の訊ねる声と新川昌一の叫びが流れ出す。
『君は、なぜ殺人という道を選んだ?』
『そっちが楽だったから……は、もう通用しないな。アンタには』
『ああ』
『────SAOで知ったんだよ。俺でもやれる事はあるんだと、くそったれな現実を意のままに操れるってことを、初めて知ったんだ……出来損ないの烙印を押された俺でも!』
『……出来損ない』
『ああそうさ。あのクソ野郎のもとで生まれて、生来の病弱気質であった俺をアイツは出来損ないだと言ったのさ……ふざけんな……ふざけんなよクソがッ!』
机らしきものを叩いた音が響く。嗚咽混じりの怒りが彼を呑み込んでいく。
『病弱だから跡継ぎには向かない?! お前は出来損ないだから何をやったって無駄?! お前には何の期待もしていない?! それが親の言う言葉か、それが子どもに向ける言葉かよええ?! あのクソ野郎は俺も、恭二も自分の子どもとは思っちゃいねぇ! 自分の権利を守るための道具にしか思っちゃいねぇんだ! でもSAOに居て初めて知れたんだ、こんな俺でも何かを成すことは出来て、影響を与えられる大きな存在になれることに!』
少しの静寂。ギシッ、とパイプ椅子が鳴った。どこか疲れたような声で話を続けた。
『……ところがだ、SAOから帰ってきた俺をあのクソ野郎は面倒そうな目で見てたんだよ。生きていて良かった、なんて言葉を言ってねぇ。まるでどこかで忘れてきたみたいによ、弟の恭二は起きてくれた俺を喜んでたのにな』
『……父親と、弟さんだけか?』
『ああ。母親は離婚してる、あんなクソ野郎から離れていったの正解だったな……人を物として見てる奴から離れたのは』
『……話の腰を折ってすまない、続けてくれ』
『──目覚めて、リハビリ施設通いも終わって、家に帰って暫く経った頃だ。不意に目が覚めて水を飲みに行こうとしてたら、リビングに居たクソ野郎の声が聞こえきたんだ。何で生きて帰ってきたんだって……そっから俺は、未だに消えない殺人衝動を必ずアイツにぶつける事を決意した。そうして殺害計画を考えていた時に恭二が相談してきたんだ……』
『……そして計画を立て、ゼクシードと薄塩たらこを殺した。どんな思いでやったんだ?』
『楽しんでたさ、殺して苦しみ悶えるさまが笑えてしょうがなかった……いつかあのクソ野郎をぶっ殺した時、どんな顔をするんだろうかって思っていたよ。そうじゃなくとも、捕まればアイツをドン底に叩き落として絶望的な表情が思い浮かぶだろうなとも考えた──その後はアンタも知っての通りだ』
乾いた笑いと、またギシッと鳴るパイプ椅子の音。
『俺は、あのクソ野郎に復讐したかったのさ。俺たちを都合のいい道具として見ていたアイツに思い知らせたかった……奴へ報復をすべきだと感じて、目にものを見せてやりたかった。結果はご覧の通りだがな』
『……そうか』
『なぁ、アンタ』
『ん?』
『本当にこの声を、届けてくれるんだな? アイツに』
『ああ、誓うとも。必ずこの声を届けよう、必ずお前の叫びを届けよう……どのような結果になるかは分からんがな』
『良いんだ、結果は分かりきってる……けどもしそうするのなら、アイツに言ってやりたいことがある』
息を大きく吸って、吐いて。意を決した新川昌一は全てを吐き出すように言った。
『ざまぁみろクソ野郎! 俺たちを物扱いした報いだ! お前が受けるべき正当な報復措置だ! 精々堕ちる所まで堕ちたら、またもう一度ざまぁみろと笑い飛ばしてやるよ! ハハハハハ!』
停止ボタンを押して、音声を終了させる。この音声を聞き終えた目の前に居る男は明らかに苛立ちを見せている、だがそれを意に介さず睦希は口を開いた。
「俺は、アンタの息子たちが画策した殺害計画のターゲットの1人だった。そして今こうしてアンタに新川昌一の胸の内を伝えにここまで来ている……正直言って、今のアンタがコイツに怒りを向ける資格は無い」
「……どういうつもりだ、貴様」
「新川昌一ならびに新川恭二、この2人が犯罪行為に手を染めた原因はアンタにもある」
「ふざけるな! 私のせいで犯罪を仕出かしたとでもいうのか!? 責任転嫁にも程がある!」
「これは責任転嫁ではない!」
「その口を閉じろ!」
「そうだと思っているのならお門違いだ!少なくともアンタの言動1つ1つが2人の犯罪行為を助長させたのは確かで、その根幹に根付いた負の感情を募らせたのはアンタの仕業だ! その結果がこれだ! アンタは今まさに全てを失いかけ、その理由をあの2人のせいだとしている! そっちの方が責任転嫁をしているではないのか!?」
「そんな言葉はただの戯言だ! 自分の人生が上手くいっていない理由を他人のせいにするしか能の無い奴の言葉を真に受ける程、私は愚か者ではない!」
「なら新川昌一と新川恭二は誰の手によって育てられた!?」
パタリと応酬は止んだ。興奮状態のまま睦希は告げていく。
「子どもが1人で成長していった結果そうなった? 違うだろう……子どもは親や大人の手で育てられ、形を成していく。誰かの言葉が、誰かの行動が子どもの糧になっていくのだ。
だがお前は自分の息子に対して出来損ないだと罵り、あまつさえその重荷を新川恭二1人に押し付けた! 辛いと思っても最初はお前に褒めてもらいたかった、お前の言う通り良い成績を積み上げて“よくやった”ではなく“出来て当たり前だ”と告げられた時、新川恭二も気付いた筈だ。自分を道具としてしか見ていないんだと!……それが子どもにとって、どれだけ苦しい事なのかお前は分からずに放置した!」
感情的になった心を落ち着けて、もはや諦めたような表情を向けた。
「その結果が、これだ。他人のせいにするしか能の無い? それはお前の事だろう。悪いことを他人のせいにしてきた結果がこれだ……お前に親としての心がほんの僅かにでも残っていたのなら、俺は2つの音声データを聞かせた上で渡そうとした。少しでも息子と向き合って欲しいと思ってだ……ハッキリ言って無駄足だったようだがな」
踵を返し、睦希は菊岡とともに出ていく。玄関へ続く廊下に繋がる扉のノブに手をかけようとして、睦希は振り返って言った。
「アンタに親としての情があったのなら、もっと良い方に向かってたのかもな……もう意味の無いことだが」
そうして彼らはその家を後にした。残された1人は未だに煮えたぎった思考を誰にぶつけることも出来ないまま悶々としていた。