あれから数日経った昼のこと、睦希は新川昌一と対面していた。飯はどうだ、体の調子は平気か、少しは慣れただろうか、そんな取り止めのない話を投げかける睦希に対して昌一は淡々と答えるぐらいしか出来なかった。まさかあの時の発言が嘘ではなく、本当にあの父親とも呼べない人間に面と向かい合って言い合いをしていたと、あっけらかんに言ってのけたと発言する時点でおかしいのは明白だ。
彼にとって他人とは不特定多数の殺害対象かどうでも良い存在のどちらかに二分される、少なくとも目の前に居る睦希という男の所業を知るまでは。大馬鹿者か自分以上にイカレているのか、そのどちらかでしか今は判断できない。見たことも聞いたことも無い人柄の人間を今まさに初めて見たのだから。
「アンタは……」
「ん?」
「アンタは何でここまでする? 俺や恭二は、世間的に犯罪者として扱われる奴だ。どうしてここまで」
その言葉に対し、睦希は目を閉じて鼻を鳴らすと上まぶた側の目頭を押さえつつ何かを考え始めた。少しして彼は思いの丈を語り始める。
「見捨てられる事が出来ない、から?」
「……いや、何で疑問形なんだよ」
「いやな、正直な話をすると俺が気に入らなかったからという身も蓋もない言葉しか出せんのだよ」
「はっ?」
「犯罪者を犯罪者として見るのも気に入らんし、お前さんたちをそうさせた原因も気に食わん。この世界の理不尽が気に食わぬから、理不尽に陥った者を助けたかった……うぅむ上手いことが言えんな。こういう時に語彙力が欲しくなる」
「……何だそれ」
この男、筋金入りどころか鉄筋コンクリートでも入ってるんじゃないかと昌一は思う。まるで人を疑わないし、犯罪者とされる自分のような人間でさえも手を伸ばして救い出そうとする。悪が嫌う善に居る者、悪でさえも関係なく救いあげる者、こんな馬鹿はどこを探しても睦希以外に見つかりはしないだろうと思った。
昌一は鼻で笑った。こんな馬鹿は絶対どこかで騙されて死ぬ、ろくでもない奴にろくでもない死に方をさせられて敢え無く死ぬ。それが今の所感であった。
「……アンタ、その内騙されて人生終わるんじゃねぇか?」
「ふむ、それを言われると何とも言えんな」
ほら見ろ、と内心でそう呟いた。けれど目の前にいる睦希は真っ直ぐ、とはいかなかったものの昌一に語った。
「とはいえだ、俺とて何でもかんでも救えるとは思っておらん。救おうとも思わんさ、短いとはいえ今までの人生で色んな人間を見てきたからな……だからまぁ、何だ。救いようがないと判断したら俺は容赦なく割り切ることは出来るぞ、意外とな。その前にその人間を理解することから始めて、救える奴なら俺は全力でそうするだけだ」
屈託のない笑顔が昌一を襲う。ただそれよりも意外な答えを出されて少し戸惑っている、この目の前に居る睦希という男が割り切ると言い切ったことに対してだ。こんな誰彼構わず救いあげようとする馬鹿な男だと思っていた認知が、一瞬にして書き換えられていく。
新川昌一があの世界で相見えた男でも、この世界に居る憎むべき怨敵でもない。綺麗事ばかりを言い連ねて何もかもを見ようとしない人間とはまた違うし、世界を憎み続けて何もかもを見ようとしない人間でもない。睦希 亮司という男は目の前に立つ全てを理解しようと歩んで見定める、こんな人間が居たのだと初めて思い知った。
笑いたかった。自分の仕出かした愚かさに、目の前に立つ男の価値観に、どうしようもなく笑いたかったが内に押し留める。コイツを笑い飛ばすのは違う、ならせめて悪の道に堕ちた者の忠告をくれてやる事だけが今できる良心からの行動なのだろう。
「……なら、気をつけろ。お前みたいな輩を、俺たちみたいな犯罪者は狙うからな」
「……ご忠告どうも。ま、信頼できる人間が居るんだ。助けてくれるさ……現に俺は何度も助けられてる」
「そうか。なら俺の忠告は意味が無いな」
「いいや違うな」
昌一は睦希の目を見る。睦希もまた昌一の目を見た。
「改めてそれを知れたんだ。意味が無いと言うんじゃない」
「……ハッ」
睦希は椅子から立ち上がり、もう良いだろうと考えて扉のドアノブに手をかけようとしたが不意にその動きを止めて、新川昌一の方へと振り向いた。
「ああ、そうだ。言いたいことが出来た」
「あ?」
「BoB本戦で見せたロボットホースの操縦、そして緊急離脱からの空中スナイピング。俺も馬に乗ったことはあるが、かなり扱いが難しかった記憶がある。それにあの咄嗟の攻撃は俺でなかったら当たっていただろう……そこまでの技術を磨き上げたお前さんは、かなり良いセンスを持ってるぞ──誇りに思え、それはお前だけが持つ紛れもない
そう言い残して、睦希は部屋から退出していった。何故だか妙に、睦希が言い残した言葉を新川昌一の頭は反芻していた。
自宅のマンション部屋に帰ってきて、ドアを開けた先で待っていた詩乃が睦希を出迎えた。数日前、具体的には銀座の洋菓子店に訪れたあの日からだが詩乃はこの部屋に居るようになった。具体的にはこの部屋に夕食の準備中であろう匂いと、イザベラや香蓮とはまた違った女性特有の匂いがするぐらいには。長ったらしく説明したが、要はあの時から毎日ここに通って来ているのだ。ついでにここに泊まる用意もしてきている。
一度部屋にあるダブルサイズのベッドで4人一斉に寝たが、上に詩乃が乗ってきたことと我慢は良くないと囁かれたことで初体験を済ませてしまうといったことが起きたため、要望と妥協を繰り返し上に乗っても良い時はそういう事をお互いが同意した時のみという制約が敷かれた。その翌日は4人全員眠気が残っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま……で、良いのだよな?」
「まだ慣れないの?」
「慣れてない訳では無いがな、ふとこんな奥さんが居ただろうかと思ってしまうことが」
「おっ……!?」
詩乃の顔が耳まで赤らんでいく。このような事を言われたのは初めてである為すぐに嬉し恥ずかしといった様子を見せるが、不意に彼女の脳裏に浮かんだのはあの二人のことだった。
「……まさかとは思うけど、2人にも言ったことかしら?」
「えっと……いや言ってないな。あの時は何だかんだで色々と有りすぎたからな。後で言うべきか」
「それは亮司を出迎えた時に言ってあげなさい。あと言葉を少し変えるのも忘れずにね」
「肝に銘じよう」
「さ、早く入って」
「ああ」
靴を脱ぎスリッパに履き替えて、洗面台で手洗いうがいを終えてから暖かなリビングへと入っていくと、着ていた上着類を脱ぎ始めていく。何故か足取り軽く詩乃は彼の後ろに立って脱いだ上着を持ち、クローゼットを開けて中にあるハンガーにそれらを掛けて閉める。この一連の動きがここ数日の間毎日やっていることもそうなのだが、違和感を感じないほど丁寧な動きをしていることに睦希は詩乃とこの状況に対して疑問を持った。
そしてそんな疑問を更に想起させていくように、詩乃は台所へと向かって夕食の準備を進めた。彼はこの光景に対して疑問を覚えていたが、別に良いかと思って台所の方に向かう。
「何か手伝うことは」
「大丈夫、そろそろ終わるから。ゆっくりしてなさい」
「そうか」
どこか申し訳なさそうに睦希はリビング中央のテーブルの傍に座って、出していたホットカーペットの暖かさを感じつつスマホで動画を見始めた。15分ほど経った頃、詩乃が睦希の元へと寄ってきて前を空けさせるようにすると彼はそれを受け入れ、その空いたスペースに彼女は入り込んだ。動画を止めてイヤホンを外し、彼女の体を包み込むように抱きしめる。満足気な様子でもたれかかり暫くその状態のまま無言で居続けた。
その温もりが心地好く、けれどその温もりが彼女から離れていったらという妄想を詩乃は思う。言ってくれた言葉の数々は彼女の生きる糧になった、愛してくれたことで日々を充実させる良いスパイスとなったが、それでも不安に思う時はある。もう一度、その言葉が聞きたいと思って詩乃は訊ねた。
「ねぇ、亮司」
「どうした」
「……私の手は、どう見える?」
以前、桐ヶ谷たちの手で詩乃は強盗犯の魔の手から救われた母娘と出会った。あの時、あの場で銃を手に取り撃ったことで2人の命を救ったことに、彼女たちから感謝の言葉を告げられた時は自分が救われていた。この薄汚れた手で何かを守れたのなら、何もかも悪いことばかりでは無いのだと知った。
それでも、こうして愛を与えてくれている睦希に再確認してもらいたいのだ。我儘なのは承知で、ただその言葉を言ってもらいたいが為に彼女は自分を弱く見せる。詩乃の手に触れて優しく包み込んだまま、 睦希はあの時の言葉を思い出す。
「誰かを守った手を薄汚いとは思わん。俺は、誰かの命を守った手を何よりも美しいと考える」
「──ありがとう」
「なに、構わんさ」
詩乃が彼を見上げる。姿勢を変え、睦希の首に腕を回して横になると彼女はまた訊ねた。
「いつか……いつか、貴方のことも知りたい」
「……知って、どうする?」
「亮司の心を救えるようになりたい」
「──ありがとう、詩乃」
密着するぐらいに彼女を抱きしめて、また温もりを感じる。彼の耳元で詩乃は囁いた。
「いつか、貴方が言える日を待ってるから。それまで待っててあげる」
「……そうだな。いつか、伝えられる日が来ると良いな」
物憂げな声が、2人だけの世界に残った。
その声は何を思って出した言葉なのか、まだそれは彼と彼の秘密を知る者にしか分かりはしない。