『何の……強さ』
ヴァー・ヴィーの疑問は至極もっともなもので、“何に対する強さ”なのかを前提としなければシノンにとって求める答えは得られず、また彼の方も求められた答えを提示することは出来ない。それ故に質問を質問で返した、彼女が何を求めているのかを知るために。
当のシノンも悩んでいた。このGGOに来たのは自分が強くなりたいと願ったためだが、何に対する強さを求めたのかこの時改めて考えさせる機会となった。強さという、とても曖昧で不確かなものの1つを求めていたシノンがどのような強さを手に入れたいと願ったのか。時間をかけて悩んだあと、シノンが口を開いた。
『どうすれば、アンタの持ってる強さを得られるの』
『鍛錬しかなかろう』
『……そう』
『待って待って待って。V、もうちょっと何か足してすっごい淡白すぎる』
『とはいえ俺の技術は鍛錬によるものだ。身体操作も気配読みも鍛錬で培われ取り戻したもの、下手に含みのある言い分より余程分かりやすいと思うが』
『確かにわかりやすいしそうなんだけど。他にもあるでしょ、ほら心理面での強さとか精神面とか』
『それだと精神論について書かれた書物を読むなり、様々な人間の過去話や志を聴かねばならん。その後に鍛錬を積んで自らに落とし込むしか無いな』
『──分かった。なら今すぐ教えて、アンタの強さを手に入れられる方法を』
『今ので良いの!?』
『それで強さが手に入るのなら、なんだって』
『……でもシノン、ホントにやるの? 言っとくけどまぁまぁキツいよ。楽しんでやるよVは』
『え?』
『無論、多少は鍛えて有効活用するつもりだからな。遠慮なくしごかせてもらう』
これがその日に起きた出来事のほんの一部、その日はすぐにログアウトして現実に戻ったが翌日の予定時刻にログインしヴァー・ヴィーの訓練が始まった途端、何も分からないうちに殺されかけたことを述べる。そして拘束から解放された時に見えた笑顔がやけに印象深いのを朝田詩乃は覚えていた。
早業としか言いようのない一瞬の間に行われた急所への攻撃や制圧術など、CQB戦闘訓練までもその身で味わい彼女の中に自分自身への疑問が最近になって浮かぶようになった。強くなったのはGGOのシノンであって現実の朝田詩乃が強くなったわけではない、そんな考えがふと過ぎることも増えていった。元々荒事や面倒事を避けてきた彼女にとって、ある意味切実な悩みとも言える。
そして現在、未だに彼女はその思考に囚われていた。自分は強くなっているのだろうか、未だに現実の自分は成長した感覚がないことをどこか焦っていた。思考の渦に呑み込まれていた最中、唐突に自分の携帯から通知が入り意識をそちらへやるとそろそろ買い物の時間に近付いていたことを報せていた。彼女の意識は現実でのやるべき事に向けられ、一時の間その悩みを頭の隅に追いやった。
午後5時頃に差し掛かった時間に睦希と小比類巻はある人物の元へと訪れていた。用事があるのは睦希の方なのだが折角なので見学として同伴する形で訪れた先は何の変哲もないビルの地下、段数の少ない階段を降っていきガラス張りの扉を開けた先の一室に彼が師と慕う男がいた。
やって来た2人を出迎えた男はサングラスをかけており、服装もミリタリー色のあるものを着用している。雰囲気からしてどこか気さくな雰囲気を漂わせるこの男だが、睦希が師と呼ぶ人物であるため普通の人間ではないというのは予想できる。その予想の答えはすぐに出た。
小比類巻は安全圏の場所にまで移動し、2人が部屋の中心で向かい合った途端に部屋の空気が一変する。両者とも自らの全身を不規則に動かし始めた、その場に留まらず相手を仕掛けながら移動したことで漸く戦闘が既に始まっていることを理解出来た小比類巻。この2人は読み合い合戦の中でフェイントや攻撃などを相手に仕掛ける、実践的なものに近い訓練を睦希は上京してからずっと続けているのだ。
ステップ、移動に組み込んだフェイント、攻撃動作に対する虚実の利用を使い分け組み立て続ける。そこに相手にダメージを与える技術を乗せて、睦希は確実に殺すつもりで読み合い合戦を師と続けていた。お互いに決定打らしい隙や動きを見せているようで、仕掛けた攻撃の殆どを冷静に処理していく様は一朝一夕で身に付くものではない。どちらかの体力が尽きるまでこの訓練は終わらず、実力が拮抗した両者の戦いを止めるのは決まって師の言葉であるのも日常の一つとなっていった。
「今日はここまでにしようか」
「分かりました。ありがとうございます」
「今日は見学者もいるから
「やってみましょうか」
「オッケ、10分休憩ね」
両者とも緊張から解放され、汗だくの状態で彼は自身のバッグを持っている彼女のもとへと近寄った。
「香蓮、わるいがタオルとポカラを」
「ふぇっ、あ、タオルとポカラね! はい」
「……そういえば師との訓練風景を見せるのは初めてだったな。どう思った?」
「いつもの雰囲気と全然違ってた。あんな風に変わった亮司さん、初めてだったから」
「流石に普段からあんな空気出していたらこっちが疲れる」
マットの敷かれた床に座り込み手渡された飲料をゆっくりと飲んだあとタオルで汗を拭き取って一息つく。雰囲気からしていつもの通りに戻った、というよりも普段通り気配が薄まった睦希はどこかしら眠そうな様子をみせている。
「あぁ睦希君、ちょっとこっち来て」
「はい」
師のもとに向かい、1つのスペースで小比類巻に後ろを向けるようにして何やら小さく会話し始めた。ボソボソと何かしら聞こえているものの内容の方はよく聞き取れなかった。
「睦月君あの子は?」
「住んでるマンションのお隣さんです」
「この前フランス人の彼女連れてきたよね」
「連れてきましたね」
「あの娘とはどういう関係なの」
「彼女ですね」
「睦月君、浮気したくなるほど切羽詰まってるの?」
「いえ全く。あと浮気じゃなくてイザベラも認めてます」
「まさかの!?」
「最初は良い顔してなかったですけど紆余曲折ありまして」
「……うん、人のあれこれに兎や角言いはしないけど背中と夜道には気をつけて」
「それ襲ってきた方が返り討ちになりません?」
「女性関係はホントに繊細だからね、うん」
「ご経験が?」
「無いよ。でも流石に公認二股は初めて見るからさ」
「それもそうですね」
内緒話が終わり休憩を済ませたあと、わざわざによる武装解除と女性でもできる護身術のデモンストレーションを披露した2人。実際に小比類巻がやる際は睦希が受け手となり技を掛けられるのだが、意外にも運動神経が良かったのか一般人という括りで見ればやや手際の良い方であったことが小比類巻自身にも初めて理解したらしい。尚受け手である睦希は色々と堪能して内心満足気な様子であったとのこと。
それはそれとして、睦希と師の2人は次の予定を決めてあとはマンションに帰るだけ。駐輪場に止めてあった二人乗り用に改造したバイクの方へと向かい、乗ろうとしていた時だった。ふと何かに気付いた様子で立ち止まったかと思えば、何事も無かったかのようにバイクに乗りその後ろに小比類巻を乗せて帰宅するのかに思われた。
「──ん? 亮司さんこの道」
「少し遠回りする。嫌な予感がする」
「それって……」
「口は閉じておけ、舌を噛むやもしれん」
最初の大通りの交差点を右に曲がり、次の右折用レーンに入ってまた右に曲がり、そしてまた同じように右折用レーンから右へと曲がっていく。ヘルメット越しから分かる睦希の目は未だに虚ろになっており、今度はマンションから遠ざかるようにしてジグザグに移動し始めた。なるべく細く曲がり角の多い道を選んで暫く走らせていると不意に進路を変え、睦希と小比類巻は住んでいるマンションに到着する。面倒な手間をかけたため睦希の表情から疲れが増えた様子、ため息をひとつ吐き駐輪場に停めて2人で部屋に向かうためエレベーターで上の階へと昇っていく。
「大丈夫?」
「疲れた。もう寝たい」
「あはは……にしても、どうして遠回りなんか」
「付けられていた。多分目的は俺だ」
「亮司さんに? でも何で」
「分からん。どこかの物好きやもしれん」
「物好きって……って、その前に警察に連絡入れないと」
「多分無駄だ。証拠はあるが、ああいった輩は警戒して尻尾を出さんのが常だ。とはいえ追跡を撒いた時点で向こうも慎重になるだろうし下手に目立つ真似はしないだろう、暫くは安全と思って構わん」
目的の階に到着したエレベーターの扉が開く。途中同じ階の住人とすれ違いながらも睦希の部屋へと歩んでいき、2人して入っていく。疲れた様子で体の節々を鳴らし、ひとまず手洗い等を済ませてから睦希はリビングでカーペットの上に寝そべった。少ししてお茶の入ったコップを2つ用意した小比類巻が睦希の頭の傍に座り、睦希に優しげな視線を向け軽く自分の膝を叩いた。のそりと体を起こし、小比類巻に膝枕をされて睦希は規則正しい呼吸を繰り返す。
「亮司さん」
「なんだ」
「どこかの物好きって言ってましたけど、睦希さんは何をしたんですか」
「……あまり人には話せん」
「私でも?」
「香蓮でもだ、悪いな」
「分かりました。ならもう聞きませんよ」
「そうしてくれると助かる」
優しく頭を撫でられながら睦希は疲れからか意識を暗闇の底に落としていった。