狼の爪を剣で受け止めるアトラス。狼は腕に力を込め、押しのけようとするが先ほどとは比べて剣が退くことはない。
(すげぇ、さっきと全然違う。体の中からおかしなくらい熱い力が湧いてくる。これが、神依って奴なのか)
感じる。自分の中で沸き上がる力を、生命の活動を、恐怖に飲まれそうな心を包み込んでくれるような温かさを。
これなら
「よし、これならいける!」
自らにかかる力をアトラスは剣を握る手に力を込めて真正面から押し返えす。押し負けて腕が浮かんだために無防備になった狼の胸元に空いた手で作った拳をたたきつけ、更に身を捻って廻し蹴りを横っ面にお見舞いする。
これまでと異なり苦悶の声を漏らす狼。攻撃が効いている証拠だ。
優位から一転して劣勢に追い込まれた狼は次第に焦りを感じ、反撃に転じるも爪や足による攻撃は全て受け止められるかかわされてしまい、かえって攻撃をくらってしまう羽目となる。
その立ち回りを傷口を抑えながら見守る女性。その体を駆け付けた少女が支える。
「大丈夫ですか?」
「ええ、どうにか」
「あの、あれは一体?」
少女は剣を振るい圧倒するアトラスを見る。突然変わった姿、受けた傷が嘘のような戦いぶり、浮かび上がる疑問がたくさんあった。
「あれは神依。人間が器となって私たち天族を宿すことによって得られる穢れを祓う力。憑魔、あの
狼にとってはこれ以上ない天敵となる力よ」
「そんなすごい力が」
(けれど神器もない神依では不完全もいいところ…たとえあの憑魔を倒して戦いが終わったとしてもどれだけの負担がお互いの体にかかるか)
呟く少女の横で女性が心配そうな目をする。しかし向けられている視線とは裏腹にアトラスは勇猛果敢に立ち向かっていく。
「おっりゃあ!」
爪を剣で弾きかえし、顔を殴りつける。怯みよろめく狼を剣先から飛び出した炎の奔流が追撃にかかる。
完全にしてやられている状況に歯ぎしりした狼から怒りが沸き立つ。すると体から発する邪悪な気がその感情に呼応するかのように増幅し、狼を更に強化させる。
「ウッッ、アアアア!!」
「何!?」
炎に身体を焼かれながらもそれに耐え、飛びかかる狼。自らを落とそうと振り上げられた剣を殴り落とし、アトラスの首を掴んで彼の体を壁に押し付ける。
「離せ、この!ぐうう!」
剣を溢して両手で狼の腕を掴むアトラスだが、首にかかる圧迫のせいで思うように力が入らない。
「くっ、そ…!」
-まずい
朦朧とする視界でそう思った時、頭に声が響いた。
『諦めるな!』
それは自分の中に入った男性の声にも、それ以外の何か別の声にも聞こえた。誰の声か判別できなかったが、不思議とその声が奮い立させてくれるかのように、アトラスの体が光り、力が増大していくのを感じる。
両腕で狼の腕を剥がし、首にかかっていた苦しみから逃れる。
「ガァ?」
驚く狼。その顔にアトラスは頭突きをかましてのけぞらせ、更に拳を胸元に打ち付ける。
休む間を置かず、流れるような動きで落とした剣を拾い上げそれを狼に投げつける。
体勢を崩した胸元に剣が刺さる。
『今だ!一気に決めるぞ!』
「ああ!」
腰を落とし、右脚に力と炎を集約させる。落とした眼差しを狼に向け、アトラスは駆け出す。
接近に気付いた狼は胸に刺さる剣を強引に引き抜くも
「だあああああああ!!」
迎撃する前に勇ましい叫び声と共に炎の蹴りが突き刺さる。
背中からゆっくり倒れる狼。勢いのままに通過するアトラス。
アトラスは背中越しに何かが床に落ちる音を聞いた。
振り返った目にはピクリとも動かない狼…いや灰色の男性と宙に漂う蛍のような青い光。
「狼が戻った?」
『穢れを浄化したのだ。我々の、神依の力で』
「生きてるのか?」
『おそらく』
そっか、と中にいる男性の言葉に返すとアトラスは安心したのか大きな息を一つ吐く。
浄化やら神依やらわからないことは山ほどあるが、狼と化していた男性が無事だというのであればひとまず喜ばしい限りだ。
『すまないが神依を解くのは待ってくれ。まだ私の傷が癒やせていない。もう少しだけ君の中にいさせてくれ』
「えっ?ああ、それはいいよ。俺もあんたが中にいるとさっきより動けるみたいだしな。だけど…どうやって出るんだ?」
戦いは終わったものの空間から出られなければ助かった意味がない。
訊ねたアトラスが返答を待とうとした時、周囲に異変が起きた。
木や床、家に空、彼らを取り巻く全ての景色の形が音もなく泥のように歪み始めたのだ。
「家が歪んだ!?」
「違う、空間そのものが歪んでいる。この空間を構成している力が消失しているのよ!」
「まるでわかんねぇ、今度は一体何が起こるってんだよ!?」
そこは色が落ちたかのように灰色一色の風景だった。
枯れた草木の広がる大地。動物も虫も鳥も、生命ある物の姿が一切なく、ただ大きな門がポツンと立っているのみである。
ドラゴンでも容易に入ることができそうな大きさのあるその門が独りでに開くと、中からアトラスたちが飛び出した。
「うおっ、どあってえ!!」
「きゃあ!」
飛び出した…というより押し出されたという表現が似合う勢いで地面に落ちるアトラスたち。
足から地面に落ちた女子たちとは異なり、頭から落ち何度も草木の上を転がり回ったアトラスは打った頭を抑えながら起き上がる。
「っ~!!なんなんだよさっきから!…ここ、さっきまでいた場所じゃないな。戻れたのか?」
「だといいですけど…」
そう返す少女だが不安は拭えなかった。黒ずんだ空に荒れた空気、とても解放されたとは思えないからだ。
「この門は…まさか穢れの坩堝?何故こんなものがここに!先ほどまで私たちがいたのはこの中だったいうの」
『穢れの坩堝だと…だとすればまずい!すぐにこの一帯から離れるんだ!』
「離れる?どういう-」
己の隣と中から緊迫感のこもった警告の意味にピンと来ず、アトラスが訊ねる。
だが彼の言葉を遮るようにアトラスの背中を衝撃が襲った。
「うっ、あああっ!?」
『ぐおおおお!』
膝を付くアトラス。顔を歪めた彼がなんとか首を動かして後ろを見ると、視線の先には自分に向かって腕を伸ばす一人の女性がいた。
いや女性というには幼い顔立ちをしているが、少女というには妖艶な雰囲気をまとっていた。
淀んだ空気に合った闇を思わせる黒髪、氷のように凍てついたこの世の全てを見下しているかのような冷徹な目。
「霊応力の高い人間を選別したとはいえよもや神依を成功させる程に至るとは…嬉しい誤算だ。正直言って期待以上だったぞ」
少女は目を合わせたアトラスへ軽く微笑んだ。
「なんだこれ…!心臓が直接握られてるみてぇにいてぇ…!吐き気まで…お前、何しやがった…」
『穢れだ…穢れを直接…体に撃ち込まれたのだ…神依の解除も出来ない。このままでは…!』
胸を抑えて蹲る。体を思うように動かせず、目まいと吐き気、体内を蝕む痛みに苦しめられる。
そんなアトラスと彼の中にいる天族に少女は語りかける。
「安心しろ。苦しみは今だけだ。すぐに収まる」
言いながら少女は一歩一歩とアトラスに歩み、頬を掌でなぞった。
彼女の手が触れた瞬間、死体にでも触られたと錯覚するような冷たさと不気味さにアトラスの背筋が凍る。
「完全に苦しみが収まったその時私サイモンは貴方に仕えます。この地に災厄をもたらし、絶望と恐怖で染め上げる災禍の顕主の忠実な片腕として」
「何、言って…」
『災禍の顕主、そうか先ほどまでのことも全てこの者の仕業か…この者の狙いは我々を…災禍の顕主に仕立て上げようというのか』
『災禍の顕主』
自らをサイモンと名乗った少女の言うそれが何なのかアトラスにはてんで理解できないが、男性の声色からして自分にとってろくでもないものなのは間違いなさそうだ。
しかしそれがわかったところで彼には抵抗する術もなく、気力と体力も先ほどの戦闘もあって疲弊している。
サイモンの注がれた力に抗えず、苦しみが増していくのを感じることしかできない。
「なんで、体が動かない…」
「何故だ!あの者をここで止めなければならないというのに何故術が発動しない!」
少女と女性にも不可思議な力による戒めがかかっているのかアトラスと同じように体を動かせず、術も唱えられない様子。
「お前たちにもう用はない。そこで大人しく我が主の誕生の瞬間を見ているがいい」
「があああ!ううっ、ああっああああ!!」
サイモンは二人に冷ややかな目を向けると再度絶叫を上げて苦しむアトラスを見る。
彼の体には異様な変化が起き始めていた。
腕は爬虫類を彷彿とさせる鱗に変わり、更に腕の先を辿って見れば爪は先の狼よりも鋭く鋭利なものになっている。
「思った以上に進行が遅いな。それだけ素質が優れている証左なのだろうがこちらとしては面倒だな」
淡々と、微塵も感情のこもっていない呟きをしたサイモンは周囲から集めた禍々しい力を塊にし、アトラスに撃ちだす。
「かっ、ああああああああ!!」
『これ以上は…抑えきれん…す、すまない…!許してくれ!』
その一撃は彼らの抵抗を破った。彼らの体は渦巻く、紫色の竜巻に包まれ姿が見えなくなる。
声も途絶え、竜巻が収まった時
「あ、ああ…」
「なんということだ…」
「ハハハ!祝うがいい!今この瞬間こそ、新たな災厄の誕生の時だ」
目前の光景に恐怖する二人。
ただ一人、唯一サイモンだけが笑っていた。
「数日経っても全然帰ってこない。どこ行ったんだろ。あいつ…またどっか一人で探検でもしてんのかな」
丸い月の輝く夜。
首都からそれなりに離れた地理に位置する小さな村。その村の宿屋の隣の家の一室で一人の若き少女が誰かの帰りを待っていた。
ある日の夜更けから姿を消してしまった幼馴染の青年。村中をくまなく探しても、いつも訪れている釣り池を探しても彼の姿はなかった。
一体どこに行ってしまったのだろうか…変わり映えのしない村での生活に嫌気が刺して旅にでも出たのだろうか。
それならそれで一言言ってくれればいいのに、と愚痴を溢すだけでいいがもし何かに巻き込まれていたらと思うと心配でたまらなかった。
「もう、無事なら早く帰ってきなさいよ。馬鹿」
少女の待つその村の手前に一つの影がいた。
ゆったりとした歩みで一歩、一歩着実に村に近付きつつあるそれは実におぞましい見た目をしている。
今にも炎を吐き出す寸前の龍の頭部を切り取ってそのまま付けたような右腕、龍の頭と鱗を素材にした兜と鎧に覆われた顔と体、そして顔を覆う兜の間から覗く赤く不気味に光る瞳。
まさに龍と人間を合わせたような異形が今静かな夜を過ごす村に向かいつつあった。
「さぁ、新たな災厄。その誕生を祝う狼煙を上げようではありませんか。災禍の顕主よ」
その横に並び立つサイモンはこれから起こる光景を思い浮かべて不敵に微笑んだ。
三話目にようやく出てきた原作キャラ、その記念すべき初のキャラになったサイモンちゃん。
この作品では悪役度マシマシの彼女を魅せていきたいと思います。