「この奥か」
本来は真っ昼間だというのに空には太陽も青空もなく、代わりに黒ずんだ曇り空と妖しい瘴気が上空を支配している。
温かな風は吹かず、生命の声も聞こえない。
そんな異様な空気の満ちる森に足を踏み入れようとする金髪の男がいた。
「まだそう近づいていないはずなのに肌がざわつきやがる。この領域といい、やはり相当な穢れを溜め込んでやがるな」
その男-アイゼンは命枯れた木々の先を見据えて呟くと拳を握り締め、森の奥地へと足を踏み入れる。
「かなり奥に進んだはずだがやはり静かすぎるな。鳥や虫はおろか憑魔すら出くわさないとは」
穢れのたまった場所では大抵そこを縄張りとする鳥や虫は狂暴性を増し暴れるか、憑魔となって襲いかかってくると相場が決まっている。
ところがこの森に限っては入ってから今まで自分以外の生命との接触はない。
手間がないのはいいがそう手放しには喜べない。
ここから考えることは一つ。それだけ強い穢れを持つ存在がこの奥にいるということだからだ。…そしてそれだけの憑魔となれば
「災禍の顕主…やはりこの先に」
静かどころか無音の森の中で呟く。自分で口にした言葉に思うところがあったのかアイゼンの目は寂しげな森ではなくもっと遠い、見えないところを見ている。
「上等だ。俺がケリを付けてやる」
決意を固めた瞳で森の奥を見据えアイゼンは奥へと進んだ。
「ウウウウゥ」
森の奥地。岩に腰かける、黒い龍がいた。一見金と漆黒の鎧を纏った人間にも思えるその龍-アトラスは低くくぐもった呻くような声を出す。
今の彼にはもはや理性も記憶もなかった。
沸き上がる衝動のままに行動し、穢れと災厄をまき散らす人類に害を為す者『災禍の顕主』へと成り果てた彼は誰も寄り付くことのない森の中で時が流れるのを待っていた。
その彼の前にアイゼンが現れた。
「お前が災禍の顕主か」
「ウウゥ」
アイゼンの声に反応してアトラスはゆっくりと顔を上げる。その目は濁った赤色に光っている。
「…ドラゴン。災禍の顕主にしちゃ天族に近い姿だな」
「アア、ウアアッ!」
その言葉に耳を貸すことなくアトラスは地面に突き刺さっていた剣を引き抜き、敵と見なしたアイゼンめがけて斬りかかる。
頭へと軌道を描いていた剣筋をかわし、アイゼンは横っ腹に拳を打ち込む。
「ガッ」
一撃をもらうがアトラスも一撃を返す。
龍の頭を象った左腕でアイゼンの顔を殴りつける。
よろめくアイゼンだが隙を作らず、術を唱え反撃に転ずる。
「ウィンドランス!」
地を走る風がアトラスの身を切り刻む。
両腕で正面を庇う防御姿勢を取るアトラス。その甲斐あって術によるダメージを軽減したが、視界を塞ぐ姿勢を取ってしまったがためにアイゼンの接近を許してしまい、腕を下ろし攻撃しようとしたところを顔に正拳突きをおみまいされる。
吹き飛ぶアトラス。枯れ葉の上を転がるアトラスだがすぐさま膝立ちになり、左腕を突き出す。
すると龍の口から黒い炎が飛び出し、アイゼンを焼く。
「くっ!」
咄嗟にアトラスと同じ防御姿勢を取らざるを得なくなってしまう。しかしアイゼンはアトラスと違って相手の動向を探れるようできるだけ腕の間隔を開け生じた隙間から、相手の姿を捉えていた。
照射され続ける炎の奔流に耐えるアイゼンは右腕に炎を球体状へと変えるアトラスを見た。
「させるかよ!」
その場で術を詠唱し足で地面を蹴ると、アトラスの足元から土の壁がせり上がる。
アトラスはそれに気づき避ける素振りを見せていたが攻撃をしていてしかも次の攻撃への準備に入っていたのもあって、直撃をもらい炎も二つ消えてしまう。
背中から倒れ込んだアトラス。それとまったく同じタイミングでアイゼンは駆け出し、拳を振るい降ろそうとする。
しかし驚くべき反応速度でアトラスは立ち上がり、拳に剣をぶつけ攻撃を退けてみせた。
アイゼンは忌々し気に舌打ちする。
(思った以上に厄介な奴だ。これはかなりしんどい戦いになるな)
アイゼンの見立ては的中した。
その戦いは文字通り三日三晩続いた。普通の人間であればここまでの激戦は生まれなかっただろう。
天族と憑魔、どちらも睡眠を必要せずかつ両者の実力が拮抗しているからこそ成立した戦いであると言える。
「チィ、面倒な奴だ」
膝こそ土に付いていないもののアイゼンの顔には汗が滲んでいた。疲労と消耗が蓄積した結果である。
だがそれはアトラスも同様のようで荒い息遣いで激しく肩を上下させている。
「…ャダ…」
「何?」
「…キズツケタク、ナイ…タノム…トメテクレ…」
幻聴か。一瞬アイゼンは我が耳を疑った。
だがアトラスは火炎攻撃のために上げかけていた左腕を剣を持つ右手で抑えた。
その言葉が嘘ではなく、まるで自分の意にそぐわぬ行動に抗っているかのようにアイゼンには思えた。
「そうか、てめぇもそういう口か」
今目の前にいるアトラスがアイゼンには誰かが重なって見えた。
悪趣味な思惑を持った連中に自我と姿を奪われ、道具として利用されたかつての仲間。
その人物とアトラスは一緒だった。彼は救えなかった。だが今度は
「わかった。望み通り止めてやる…少し応えるが我慢しろよ」
そう告げたアイゼンは駆け出し、距離を詰める。
接近を払うべくアトラスは剣での迎撃を取るが、横一線に振るったそれは柄を狙ったアイゼンの拳に弾かれ剣はアトラスの手元を離れてしまう。
くるりと宙で円を描いて地面に突き刺さる剣。
アトラスは一瞬そちらに気を取られるもすぐに正面に目を移す。
だが一瞬でも視線を反らしたのが命取りになった。
「はあ!」
胸に一発、右肩に一発。交互に拳を食らう。
よろめくアトラスの頭を鷲掴みにして顔面に膝蹴りを追撃に放つ。
「カッ!アアアァ!」
重たい攻撃を浴びて苦悶の声を漏らしても尚アトラスの戦意は失せず、またもや左腕に炎を収束し始める。
「同じ手を何度も食らうかよ!グランドクエイク」
しかし三日に及ぶ戦いの中で何度目にし、受けてきた技であった故に嫌という程予備動作は見てきた。
故にアイゼンは相手が炎を撃つ前に唱えた土の棘で左腕を削ぐ。
左腕からは炎が消えた代わりに黒い血が流れた。
「明日はいらねぇ、お前を止めるための詰みの一手だ。ドラグーン・ハウリング!!」
黒きドラゴンの顔をドラゴンの翼の形に展開した霊力を背に持った天族が掴み、そのまま地面に押し倒す。
倒された衝撃に息を詰まらせるアトラス。
振りほどこうとするが両手でアイゼンの腕を掴むが、アイゼンは構わず引きづり進む。
そして宙に投げ捨て、浮かび上がった胸に拳を突き上げる。
「ガゥ!?ァア…」
アイゼンの拳の上でアトラスはだらんと手足を投げ出す。
完全な戦闘不能、気絶した証だ。
それを確認したアイゼンは拳を下げ、アトラスを地面に降ろす。
すると黒い龍の鎧は紫の気となって消失し、人間へと戻った。
★
「ぁ…んんっ…」
小屋の中で一人の人間が、アトラスが目を覚ました。
「目が覚めたようだな。どうだ?久しぶりに眠れた気分は」
声の出どころを目で追うと椅子に座ってこちらを見つめるアイゼンがいた。
-どこかで見たような気がする。
初めて見る相手のはずなのに彼の出で立ちと声に覚えがあった。
そう思っていると頭痛と共にある光景が頭に浮かんでくる。
人々を襲い、街や村を焼く、騎士のような鎧をまとい剣を手にした黒い龍。
狂った人間が狼やリザードマンへと変貌し、それを片っ端から斬りつける光景。
そして自分へ拳を振るうアイゼン。
「あんた、あんたが…俺を止めてくれたのか」
「そうだ」
「…じゃあ、やっぱり本当のことだったんだな。全部」
「自分が何をしてきたのか覚えているのか」
「正直言って実感はない。夢みたいに…でもうっすらとは覚えてるような、気がする。なぁ、教えてくれ。俺は何を」
アトラスは恐る恐る問う。できれば全てまどろみの中の出来事であって欲しい。
「災禍の顕主」
アイゼンがその言葉を口にした時アトラスの体は震えた。
「つまり人間ではない姿のお前は長らくの間世界を苦しめてきた。あちこちで生み出した穢れは大地を蝕み、人間や天族を数多く憑魔へと変えていった。その噂を聞いた俺はお前を殺すつもりだった」
とても信じられないような話だった。まさか自分が化け物となっていたのもそうだがそれ以上に数え切れないほど多くの命を奪ってしまったというのがショックでたまらなかった。
だが先ほど頭をよぎったビジョンからして紛れもない事実なのは気付いていた。
アトラスは毛布を握る力を強めた。
「なんで助けたんだよ…殺すつもりだったなら殺してくれりゃいいのに。こんな奴生きてたって意味ないじゃんか」
震えた声で頭を抱えるアトラス。
そんな彼にアイゼンはこう言い放った。
「お前の本心ではないと気付いたからだ」
「えっ…」
その言葉にアトラスは顔を上げる。
「戦いの中でお前は攻撃を躊躇い戦いたくないと言った。それを聞いて俺は知った。お前が災禍の顕主として暴れ回ったのは自身の意志によるものではなく、別の何者かの意志によるものだと。真に殺すべき相手がいることを…」
真に殺すべき相手と聞いて、アトラスの脳裏に妖しい笑みを浮かべる少女の姿が浮かぶ。
「お前を憑魔に変えた奴がいるはずだ。わかっている範疇でいい。そいつについて知っていることがあるなら教えろ」
「あ、ああ…」
おぼろげな記憶を頼りにアトラスは全てを話した。
ある日突然見知らぬ何人かと共に閉じ込められた謎の空間で起きた戦い、その戦いの中で死にかけた天族いう存在と神依なる行為を行い、人間が姿を変えた狼と戦ったこと、助かったと思った矢先に現れたサイモンと名乗る少女の存在。
彼女によって自分が何かをされたのだということ…覚えている限りのことは洗いざらい話した。
途中で思い出したことはその都度付け加えて
「俺がわかってるのはこれで全部だ。後のことはたぶんあんたの方がよく知ってると思う」
「なるほどな…憑魔の姿から考えれば今のお前は憑魔でありながら神依の状態にでもあるわけか。お前の中にいる天族の声は聞こえるか?」
「声?…いや」
「自分の中に意識を集中させてみろ。瞳を閉じて、耳も塞げ」
「目と、耳?」
疑問を持ちながらも言われた通りにアトラスは目を瞑って、両手で耳を抑える。
そうして数秒が経ったが、誰かの声が聞こえてくるようなことはない。
「何も聞こえない」
「息も止めろ」
「息ぃ!?さすがにそれは-」
「いいから言う通りにしろ。少しの間でいい」
「わかった」
今度は息を吸ってから呼吸も止めてみる。それでも声はおろか音も聞こえてこない。
その状態で十数秒が経過し、アトラスの呼吸は限界を迎えた。
「ぷっはぁ!?うはぁ!はぁ!…も、もう、いいだろ?」
「ああ、充分だ。結果は変わらなかったようだな。俺たち天族の声は霊応力の高い人間にしか聞くことができない。神依まで成功させる程の霊応力を持つお前が声を聞くことができないとなるとお前の中にいる天族は完全に死んだようだな」
「死んだ…」
「神依化する前から深い傷を負っていたそうだからな。そんな状態で神依をすれば自分の身がもたないことはおそらく想像がついていたはずだ。それでもお前との神依を選んだということは自分の命を捨ててでも尚お前と他の奴らを助けようとしたんだろう」
話を聞いたアイゼンは腕を組みながら情報を頭の中でまとめる。
「サイモンという奴がお前や天族たちを利用して使ったのはおそらく蠱毒によるものだろう」
「蠱毒?」
「多くの虫を同じ容器に入れて共食いさせ、最後に残った一匹に強力な毒と呪力を与えるとされている呪法だ。これを用いて憑魔を作る連中が過去にいたが、サイモンという奴は虫の変わりに霊応力の高い人間と天族を使ったんだろう。導師の力を得た者を己の意のままに動く災禍の顕主という傀儡にするために」
推測を語るアイゼンだが彼の表情には苛立ちが隠れていた。
長い生の中で人の意志を捻じ曲げる者には山ほど見てきたが、サイモンという輩の行いは群を抜いている。
「あんたはあいつを、サイモンを探すのか」
「災禍の顕主を生み出そうとする奴を放っておくわけにはいかないからな。お前はどうする?」
「俺は…俺には」
「自分の舵は自分で取れ」
迷うアトラスに向かってアイゼンが言った。
「今のお前は人間ではない。だが意志は紛れもなく本来のお前自身の物だ。だったら決断できるはずだ。お前は今望むのはなんだ」
「俺は…」
アイゼンの話では自分は人間ではなくなり、罪のない無関係の人間を大勢傷付け苦しめた。
もう記憶に覚えているような人間だった時の暮らしには戻れないだろう。
それでもなお望むことがあるとすればそれは
「あいつを、サイモンを見つけて、そんでぶん殴りたい。思いっきり力を込めて。俺も一緒に行かせてくれ」
悩ん暗い表情から一転、吹っ切れたような晴れやかな顔つきを見てアイゼンは軽く笑う。
「好きにしろ。だが付いてくるなら一つ言っておく。俺には死神の呪いという自分の周りに不幸を呼ぶ力がある。俺と共にいるというのならお前にどんな災厄が降りかかるか保証できん。それでも来るか」
「最悪の不幸ならもう経験した。これより酷くなけりゃ全然平気さ」
「そうか…久々に面白い奴と会ったな」
ニヤリ、とアイゼンは不敵に笑う。
「あっ、そうだ。名前、名前まだ聞いてなかったな。俺はアトラス、よろしくな」
「アイゼンだ」
アトラスから差し伸べられた手をアイゼンが握る。
死神と災禍の顕主が手を取り合った瞬間だ。
アトラスの憑魔態は『仮面ライダージオウ』に登場したアナザーリュウガをイメージしています。片腕の龍の頭からの火炎攻撃とかはそのままストライクベントもどきです。
そしてタグにある妹を差し置いて登場した海賊のお兄ちゃん。
ベルセリア後のお兄ちゃんは海賊団の皆と別れたら一人放浪の旅しながら憑魔と戦ってそうだなという完全な個人的想像で書きました。
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