メイクデビュー当日。
トレーナーとして初めてのメイクデビューのため、俺はガチガチに緊張していた。
パドックでのお披露目を終えて控室でレースの順番を待っているが、どうにも落ち着かない。
タキオンはタキオンで珍しく静かに椅子に座っている。ぼーっと何かを考えているようだが……。
緊張してるのか? そう聞くと、ん? と不思議そうにこちらを見た。
「ああ、別に緊張で黙っているわけではないよ」
そう話す彼女は特に何もなくいつも通りと言った感じだ。
武者震いのようなものもなく、落ち着かない様子でもなく。
しかし何か気になることがあるようで、うーんと唸っている。
「実はね、トレーナー君。私のラボにある紅茶が切れそうなんだ」
ラボとは理科教室のことだ。
というか、紅茶?
「私は紅茶が好きでね。飲むと落ち着くし、砂糖を入れればブドウ糖が脳を活性化させてくれる。いいものじゃないか」
楽しそうにそう話すタキオン。
つまり、気にしていたのは紅茶のことだったのか……。
「そうだよ。それで1つ頼みがあるんだ」
タキオンからの頼みとは珍しい。
いつもなら強制させられるのに。
「私がレースから帰ってくるまでに茶葉を買ってきてくれないかな。私はローグロウンが好みなんだ。サバラガムワがあると嬉しいね。なければアッサムでもいいよ。あ、キーマンがあるならそちらをお願いしよう」
レースから帰って来るまでだったらタキオンのレースが見れないんだけど。
そう訴えると、何当たり前のことをというような表情でこちらを見てくる。
いや、どう考えてもタキオンがおかしいぞ。
「おかしくはないだろう。紅茶が切れることの方が私にとっては一大事だよ」
俺にとってはタキオンのレースを見れないことが一大事なんだけど。
「む、そろそろ時間か。私は行ってくるよ」
そう言って話をぶった切り、颯爽とレースへと向かうのだった。
だ、大丈夫なんだろうか……?
応援するならここだと先輩に勧められたので、人の海をかき分けてなんとかゴール前を陣取った。
担当ウマ娘が走る初めてのレースだ。
緊張で心臓がはちきれそうだが、なんとか深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
しばらくするとタキオンが走るレースの番になった。
続々とゼッケンをつけたウマ娘たちが地下バ道から現れる。
メイクデビューを頑張るぞ! という力強い気持ちが満ち溢れた表情だ。
タキオンも同じように出てきたが、こちらはいつも通りの感じだが、少しだけ真剣な表情だ。
控室でも確認したが、体の仕上がりは悪くない……はず。
パドックや今見ても、他のウマ娘たちより明らかに仕上がりはいいと感じている。
頼むぞ……祈りながら様子を窺っていると、時間になってゲートへと向かう。
ファンファーレが鳴り、各ウマ娘がゲートインしていく。
今回のレースは8人立て。タキオンは4枠4番。位置としては真ん中だ。
果たしてどうなるのか。
うぅ、心臓が……。
『各ウマ娘、ゲートイン完了しました』
アナウンスが読み上げられ、全員が走る体勢をとった。
始まる!
――ガタンッ
『スタートしました! 7番ミニキャクタス出遅れたか! 他は好スタートです!』
出遅れたウマ娘はいたものの、おおむね好スタートだ。
タキオンも問題なくスタートしている。
『最初に上がってきたのは6番モルフリッス! 5番タヴァティムサ! 続いて2番リボンヒムヌスと4番アグネスタキオンが続きます!』
タキオンは想定通り先行の動きだ。
本人が自分の脚質を先行差しと言っていたから、メイクデビューでは先行で走ってもらうようお願いした。
理由は簡単で、デビュー戦は逃げと先行が勝ちやすいと思われるからだ。
単純に前のほうにいて最後にスパートをかけて抜け出す。これが1番王道で1番強い。
脚を溜めてからの差しでもいいとは思うんだが、差しは経験値がものを言う……と思っている。
いぶし銀な走りをするブロンズコレクターのナイスネイチャや、シニア級で大活躍中のスペシャルウィークなど。
どちらも素晴らしいウマ娘だけど、差しウマ娘としての完成度で言えば、誰もがナイスネイチャを推すはず。
それは長いレース歴を経て培った勝負勘や技術力が誰よりも優れているからだ。シンボリルドルフという例外はいるけど。
つまり、デビュー戦に限り先行有利!
と、思っているわけだが……。
『続いて8番リズミカルリーフ! 7番ミニキャクタスもグングン上がってきた! 1番マジャールロンドと3番リボンカプリチオは後方待機……おっとアグネスタキオンが少し下がりました!』
……な、なんで下がったんだ、タキオン!?
◆ ◆ ◆
(なかなか強引だね)
アグネスタキオンは7番のミニキャクタスを見てフッと笑う。
出遅れたことでかなり焦ったのだろう。ミニキャクタスはここがスパートだと言わんばかりに追い上げてきて、タキオンの隣に来る。
そして急激なスタートダッシュによって体がブレてしまい、内にいたタヴァティムサのほうに体がヨレる。
もちろん距離を詰められたタヴァティムサは驚いて内に動く。
その1連の流れを受けたタキオンも内に動こうとしたわけだが。
「………」
チラッとタキオンの様子を窺ったのはリボンヒムヌス。
内にいた彼女は外の動きを見て、逆に外へ動いたのだ。
これでは挟まれてしまうし、リボンヒムヌスは自分よりも少し前にいる。
そして目の前は6番のモルフリッス。迫りくるタヴァティムサ。
つまり、タキオンは後ろに下がるしかなくなった。
(誰の入れ知恵かわからないが、なかなかやるじゃないか)
デビュー戦にしては苛烈なポジション攻めだ。
リボンヒムヌスのいるチームにはさぞ素晴らしい先輩ウマ娘がいるのだろうねと思いながら、レースプランを考え直す。
後半にやられたのであれば困るところだが、まだスタートして300m程度。
特に問題は……そう思っていると、タキオンの外側にすぅっと入ってくるウマ娘が。
「おや?」
「ふん……」
隣に現れたのはリボンカプリチオ。
ふむ、成程。
どうやらコンビプレーを受けているらしい。
昨年の有マ記念を思い出すね、とタキオンは先輩の覇王の包囲網を思い出す。
それよりはよっぽどかわいいものだが、これはこれで困る。
何が原因でこうなったんだろうね。
そう思いながらタキオンは第1コーナーを回る。
研究とレースへの姿勢だろうよとトレーナーなら言うだろうが、彼は本当に困った顔でレースを見ているから何が起きているかはわかっていない。
第2コーナーを回って向こう正面へ。
変わらず最後方で走っていくタキオンと、その隣にぴったりとくっつくリボンカプリチオ。
体を寄せてきたリボンヒムヌスはタキオンの正面を陣取った。ここから出さないぞという布陣だ。
レースの半分が終わったところで、タキオンはどうしたものかなと考え出す。
このまま走っていたら勝てないだろう。かといって前には出れない。
いやあ困ったね。アッハッハ。
何も困っていなさそうな表情でタキオンは第3コーナーに差し掛かろうとしていた。
リボンカプリチオとリボンヒムヌスは激怒した。
必ずあの生活態度の悪いウマ娘を除かなければならぬと決意した。
だって本当に必死な思いで入学して、レースで勝ちたくて頑張っているのに。
こんなふざけた相手がレースで走るなんて認められない。そう思ったのであった。
今回だけは、絶対に邪魔してやる。
2人の怒りは本物だった。本気で走らないような、真面目に取り組まないようなウマ娘は学園から去れ!
デビューしたてのウマ娘とは思えないオーラを出しながら走るリボンの2人。
2人の想いは、まあ大抵の人がわかる。そう思うことだ。
トレセン学園に入るだけでも大変で、そこからスターになれるのは一握りだ。
本気で走らないウマ娘など、許せないことだろう。
だが、1つだけ失念していることがある。
確かにタキオンは生活態度も悪いし、選抜レースすら出ずに研究ばかり。
挙げ句の果てに担当トレーナーをモルモット呼ばわりで実験三昧だ。
ーーしかし。
タキオンがレースに本気じゃないとは言っていないのだ。
つまりは。
「君たちには悪いけどね」
タキオンは第3コーナー終わりにペースを緩めてリボンカプリチオより後ろに出る。
そして流れるように外に動き、ターフを強く踏みしめる。
「速さを求めないような有象無象に構っている暇はないんだよ」
そう話し、タキオンは凄まじい勢いで走り出した!
「なッ!?」
あまりにも自然。
あまりにも速い。
コーナーで体に負担がかからないように膨らみながら、一気に先頭集団へと肉薄。
ただ1人だけで逃げていたモルフリッスに追いつき、第4コーナーを終え直線に入るまでには2番手の位置にいた。
一緒に走っていたウマ娘たちも観客たちも、トレーナーさえも驚いてその走りを見ていた。
気づけば前にいて、今にもモルフリッスを追い抜きそうだ。
(こんなものか)
アグネスタキオンはモルフリッスに追いつくまでに、自分にとって最適なタイミングで息を入れていた。
つまり、最後の直線で一気に走れるわけだ。
『最終直線に入った! 誰が抜け出すのか!』
『先頭に立ったのはアグネスタキオン! 驚異的なスピード! グングン差が開いていく!』
直線に入ったところでグッとターフを踏み締め、末脚を爆発させる。
トレーナーが惚れ込んだ、超光速の走り。それのほんの1粒の輝き。
あまりの速度に誰もが驚く。デビューしたばかりのウマ娘が出せるスピードではない!
その場にいる全ての心を惹きつけて、アグネスタキオンは1着でゴール板を駆け抜けたのだった。
Report:●×年7月◆日
デビュー戦で1着。圧勝だったようだ。
ウィニングライブも行って疲れた。
研究の結果としては、脚の強度は上がっていることがわかった。
この調子で研究を続けよう。
それにしても、紅茶を買ってくれといったのになんで買ってこないんだ。
それでもトレーナーなのか、モルモット君。