日本ダービー。
毎年行われるGⅠレースでも特別なレースだ。
全てのウマ娘、そしてトレーナーたちが憧れ、勝利を目指すといわれているダービー。
まあ、例外はいるわけだけど。
「流石は日本ダービーだね。歓声だけで建物が揺れているように感じるよ」
その例外がこちら。
最高速度の果てを見るという目標のためにレースを走る。それがタキオンだ。
ダービーがどうとかそういった感情はないらしく、いつも通りに走るよというだけだ。
しかし、走るかどうかは考えておくみたいな話をしていたが、結果出走することになった。
一体何が引っかかっていたのかわからず仕舞いだが、とりあえずレースに出てくれるなら嬉しい。
なんだかんだ言って、タキオンの走りを見たいわけだから。
「どうしたんだい、そんな小動物を見守るような目をして。いつもの狂った目はどこにいったのやら」
とんでもない言いようだ!?
「自覚がないのかい? 結構危ない目をしている時があるよ、トレーナー君」
出走前にとんでもない新事実を告げられ、愕然としてしまう。
他のウマ娘に避けられる時があるのはそういうことか……。
「それは君の足がよく光っているからだと思うけどね」
誰のせいだろうね。
「さあそろそろ出走時間だ。ではね」
露骨に話題をそらしてスタスタと控室から出ていこうとするタキオンを引き留める。
本当に大丈夫なのか。そう話す。
「大丈夫とは?」
皐月賞の前に脚の疲労がという話があった。
なんというか……トレーニングの頻度といい脚の疲労蓄積といい、どうもタキオンはあまり体が丈夫でない気がするのだ。
だからこそ皐月賞の後からアイシングのために水を入れたバケツを用意したり、マッサージや鍼灸など色々なケアの仕方を調べていたわけで。
そう話すと、タキオンはいつもの怪しげな笑みを引っ込めた。
……瞳が一瞬、揺れたような。
「……ククク、心配してくれるのはありがたいけどね、トレーナー君」
すぐにいつもの笑みを浮かべ、頬に手を当てる。
袖が長すぎて白衣がぺちょっとなっているけど。
「君が考えるべきは、私が走り、そして帰ってくるのを見る。それ以外に何かあるかい?」
まあ、確かに走り出したら俺は何もできないけど……ね。
「なら見守っているといい。何、私が走ると言ったんだ。十全に走ってくるとしようじゃないか」
じゃあ行ってくるよ。そう言ってタキオンは控室から出た。
……一抹の不安はあるが、タキオンが走ると言ったんだ。
信じよう。そう思って、俺はレースを見るために外へ出るのだった。
◆ ◆ ◆
『すべてのウマ娘が目指す頂点、日本ダービー! 歴史に蹄跡を残すのは誰だ!』
実況がダービー出走前にレース場を盛り上げている中、タキオンは静かに佇んでいた。
体は既に温まっている。体調も良好。これ以上動くと負担になる。
無駄に動かず、ゲートインを待つ。
「タキオン」
「うん? おや、トリップ君」
アマゾントリップがタキオンに話しかける。
その体は皐月賞からさらに磨きがかかっており、体全体から力強さを感じるほどだ。
「今日は勝つからな」
「いつも強気だね、君は」
「当然だろ。勝つためにここまで来たんだから!」
「そういうこと」
アマゾントリップの後ろから出てきたのはホクオウボーダー。
彼女もかなり仕上げてきており、鍛え上げられた脚はこのレースの主役が誰なのかを教えてくれる。
「今回はアナタに勝つ」
「おいおいオレはお前にも勝つぜ。皐月賞ンときは負けちまったしな」
「言ってなさい。じゃ、お互い全力で走りましょう」
「おう! じゃあな、タキオン」
2人は宣戦布告して去っていく。
それをタキオンは羨ましそうな、寂しそうな目で見つめ、無言でゲートへと向かっていった。
全てのウマ娘がゲートに入り、スッと体を沈める。
同時に歓声も収まり、スタートを待った。
『各ウマ娘、ゲートイン完了しました』
――ガタンッ
『スタートしました! 8番ダイニメビウス出遅れたか! 他は好スタートです!』
もっとも運がいいウマ娘が勝つという日本ダービー。
そのレースが始まった。
出遅れたウマ娘が1人いたものの、全員スタートは順調。
タキオンは左右を確認して走るコースを考える。
人気があるウマ娘は、今回外側が多い。
1番人気は言わずもがなタキオン、彼女は8枠16番。
2番人気のアマゾントリップは18番、3番人気ミナモトライコウが17番。
ホクオウボーダーはやや内側だがそれでも5枠9番だ。波乱の枠番だと事前には言われていた。
立ち上がりは静かに、争いは少なかった。
先行したいウマ娘たちは流れるように前へ、後方で脚を溜めたいウマ娘たちは後方へ。
これは今回の東京レース場が重バ場での開催だったためだ。
こんな序盤で争っている場合ではない。そういうことである。
『ハナを切ったのは2番パッショーネ、外から14番ティエムノース! グングン前に出ています!』
『一気に上がってきましたね。これは他の逃げウマ娘は苦しいでしょう』
外からティエムノースがグングン前に出ていく。自分が先頭に出るのだという気合は誰よりも凄まじい。
パッショーネは逃げウマ娘だ。逃げとは先頭を走るということ。
前に他のウマ娘がいたのなら、もう自分の走りはできないのだ。
逃げウマ娘たちが攻防を繰り広げている間に、外にいた人気上位のウマ娘たちは穏やかにポジションを決めていく。
タキオンはいつも通り先行。集団の前か横か、どうするかと様子を見ている。
アマゾントリップは差しで行くために少し後ろへ、ミナモトライコウも後方へ。
ホクオウボーダーも後方から開始するのかと思いきや、なんと先行している集団にとりついていた。
後ろにいた2人はそれを見てギョッとする。走り方が変わった! そう思ったからだ。
実際は流れで前に行ってしまっただけで先行するつもりはないことが後々わかるのだが。
第1コーナーまでの400mは、逃げウマ娘以外はゆるやかな争いでポジションをそれぞれ確保。
コーナーに入ってハナを走るのはもちろん大外から全力で逃げたティエムノース。
重バ場なのにかなり飛ばしているようだ。
『先頭はティエムノース! 2、3バ身離れて3番キタサマチャネル! その後ろ2番パッショーネ! 1バ身離れて先行集団先頭の16番アグネスタキオンです!』
タキオンは4番手。先行している集団の先頭にいた。
マークされはするがブロックされにくい場所であり、タキオンの走りと合致するポジション。
少し早めに前に出たのが功を奏したのだ。
コーナーを回りながらタキオンは考える。
最終直線は525m。残り400m手前から上り坂が100m。その後300mの平坦なコース。
どこでスパートをかければいいか、どこから後ろが仕掛けてくるか。
自分の脚と相談しながら、丁寧に回っていく。ぱかプチダッシュなんてふざけたトレーニングの成果が発揮されていて、脚に負担がかからずコーナーを走れている。
被検体Aのチームは本当に不思議だ。内心ほくそ笑む。
第2コーナーを終えて向こう正面へ入った。
隊列はあまり変わらないが、先頭で飛び抜けているティエムノース。
第1コーナー途中から下り坂になっているとはいえ、ハイペースで走っているのは誰が見てもわかることだ。
『先頭は大逃げをしているティエムノース! 1,000m通過タイムは58.4! かなりのハイペースです!』
あのペースで走っていては最終直線でのスタミナは持たないな。
誰もがそう思って、落ち着いたレースをする。
ペースメイクをしているのは、実質2番手のキタサマチャネルと3番手のパッショーネだった。
先頭で大逃げをするウマ娘がいる時は、ペースメイカーは2番手のウマ娘。レースを知る関係者の中ではあたりまえのことだった。
下り坂も終わり、1度ゆるやかな上り坂になる。そしてすぐに下り坂へ。
ペースを一定に保つことがやや難しいコースではあるが、日本ダービーに出走するウマ娘だ。
誰も大きな失態を犯すことなく走り、第3コーナーに差し掛かる。
(ふぅン?)
タキオンは後方からの圧に気づいた。
ティエムノース以外はかなり落ち着いて走っていた。
スタミナにまだ余裕があるため、ここで少しずつ進出しようという機運が高まっている。
チラと少し後ろを確認。内から6番のカラフルダンスが前に行きたがっていた。
少し外に出ると軽く頷いて前に出る。タキオンと並走する形でコーナーを回っていく。
第3コーナー途中でティエムノースがかなり苦し気になってきた。
2,400mだというのに飛ばしすぎた。シニア級2,000m並のペース。クラシック級ウマ娘がやれるペースではなかったのだ。
しかし根性で走り、大ケヤキを越えて第4コーナーへ。2番手のキタサマチャネルは脚を溜めたいのかペースを落とし、パッショーネの隣にまで下がっていった。
『大ケヤキを通って第4コーナーへ! 一体誰が抜け出すのか!』
一足先にティエムノースが最終直線に入ろうとした。
しかし、既にコーナー終わりからペースを上げてきた後ろのウマ娘たちに追いつかれてしまう。
足音を聞いてくっと顔が引きつるが、それでもなお負けたくない! と上がってしまいそうな顎を必死に下げた。
そんな中、最終直線でひゅうッと抜け出すウマ娘がいた。
『アグネスタキオン! ここで抜け出した! やはりこのウマ娘か!』
タキオンだ。
第4コーナーに入るところで息を入れ、わずかにスタミナを回復。
いつも通りに抜け出して、先頭で加速していく。
先ほどまで併走していたカラフルダンスはタキオンを見てぐっと歯を噛みしめる。
必死になってダービー出走までこぎつけたが、目の前で自分との差を見せられているのだから。
しかし、まだ勝ち筋はある! このまま抜け出して走り切るんだ!
タキオンを追走していくように加速し、バ群から抜け出してハナを取りに行った。
『先頭はアグネスタキオン! 後ろからはカラフルダンスが追いかけてきている! 坂を上る!』
抜け出した2人は坂を駆けあがる。
タキオンもカラフルダンスも、容赦ない坂のキツさに息が上がる。
しかし、息を入れている分タキオンは余裕があった。
なんとか駆け上がり、そのまま最後のスパートへ入ろうとした、その時。
後ろから猛烈な勢いで追い上げてくるウマ娘たちがいた。
そしてそれはもう後ろまで来ている!
『コースの中央を一気に駆け上がってきた! アマゾントリップ! ミナモトライコウ! ホクオウボーダー!』
重バ場でもなんのそのと言わんばかりに凄まじい末脚で追い上げてきた。
ここで差す! 凄まじい気迫とパワーで一気にタキオンたちまで駆けていく。
残り300m。
この最後の300mが勝負だ。
『ミナモトライコウ! ライコウは伸びない! ライコウ伸びない! アマゾントリップ! ホクオウボーダー! インコースにはアグネスタキオンとカラフルダンスも伸びてきている!』
グングンと伸びていくアマゾントリップ。距離適性なのか、ミナモトライコウは必死に走るが追いつくことができない。
インコースを走るカラフルダンスも最後の力を振り絞って走るが、限界だ。今の速度を維持するだけで精いっぱいだった。
タキオンは何かを堪えているような顔で走っている。弥生賞などで見せたスピードが出せていない。踏み込みもあまり強くないように見える。
アマゾントリップはタキオンを見た。どうだ! ここから勝負だ! 前を向いて、さらに力強く踏みこんだ。
『アグネスタキオン先頭! しかしアマゾントリップ伸びてくる! 躱した!? 躱したか!? 先頭はアマゾントリップ! アマゾンだ! アマゾントリップだァーー!!!』
最後の最後、アマゾントリップはタキオンを躱した。
それを差し返す距離もなく。
アマゾントリップが先頭でゴールイン。タキオンは半バ身差、ホクオウボーダーはタキオンと1バ身差でのゴールとなった。
「おおぉ……うおぉぉああああああーーーーッ!!!!」
頭を激しく上下に振りながら、歓喜の声を上げるアマゾントリップ。
彼女に惜しみない拍手と歓声が浴びせられ、最高の笑顔を見せて観客席に走っていく。
勝者である彼女に祝福の声をかけようと、ホクオウボーダーやミナモトライコウたちが歩いて寄っていく中。
「………」
タキオンはひどく落胆していて。
今にも泣き出してしまいそうな目で自分の脚を見つめるのであった。
Report:●△年5月□▽日
ダメみたいだ。